―4月9日  ???―


 少年が謎の女性によってわけも分からぬ空間に放り込まれてからしばらく経っていた。
 相変わらず何もない空間を、上なのか下なのか分からない方向へと流れていた。
ただ少年の瞳に映っているのは不気味な目玉だけだ。それも一つや二つではなく、無数にあるともいえるそれが一斉に少年のことを見ていた。
 はっきり言ってホラー映画よりも怖いそれ。少年は顔にこそ恐怖を出していないが、内心ではかなり困惑していた。

「ここは、どこなんだ……? 俺は……一体どうなるんだ?」

 何かに引き寄せられるようにあの廃れた神社に足を踏み入れた少年。
ただの興味であったそれであるが、まさかあのようなわけも分からない女性が現れ、さらに意味も分からない空間に突き落とされるとは思いもしなかった。
普通の人間である少年の頭では、とてもじゃないがこのような状況を冷静に理解することなどできなかった。
 ゆっくりと移動していた少年であるが、突然視線の先に光が溢れ出しているのが眼に入った。それに引き寄せられるように向かってく。そして眩い光に包まれ、少年は思わず目を閉じた。


―4月9日  ???―


「こ、ここは……」

 少年が眼を覚ました時、視界に広がったのは一面青色に染め上げられた、やや広い部屋だった。向こう側の窓から見えるのは、外の風景が逐一別のものに変わるといった摩訶不思議なものだった。
 どうしてこうも次から次へと異常なことが立て続けに起きるのか。いくら冷静な少年でもこれ以上は焦りを表に出さないではいられない。
 まさかここが“幻想郷”なのだろうかと、あの空間に突き落とした女性の言葉を思い出す。
しかしとてもではないがそうは思えない。
 この不思議な部屋の中で、悲しみを感じさせるような歌とピアノの旋律が流れている。
しかし見渡してみても歌を歌う者も、ピアノの伴奏者の姿も見当たらない。
 ようやく目の前、大きな長テーブルを挟んだ向こう側に誰かがいることに気がついた。そこにいたのは、少年が座っているソファーと同じようなものに座り込んでいるぎょろりとした大きな目と長い鼻が特徴的な、タキシードを着込んだ老紳士が腰を丸めて座っていたのだ。
 その老紳士の隣には、まるで付き従うかのように青いキャリアウーマンが着るような服を着ている長い金髪の女性が立っていた。金髪だということで一瞬警戒したが、自分を突き落とした女性とはまったく違う人物であったため、すぐにその警戒を解く。
 少年が向けていた警戒というものに対して、女性はまったく気にしている様子はなく、変わりない笑みをこちらに向けている。まるで少年のそれを微風のようにしか感じていないような、そんな感じだった。

「ようこそ……我が“ベルベットルーム”へ……」

 前に座っていた老人が言う。
どうやらここは“ベルベットルーム”という部屋のようだ。つまりあの女性が言っていた“幻想郷”という場所ではないようだだった。
 それに二人は一体何者なのだろうか。
少年が尋ねようとするよりも先に老人がまた口を開く。

「私の名は“イゴール”。……お初にお目にかかります」

 確かに目の前にいる老紳士と会ったことなど一度もない。最初に見た時にはまるで妖怪のようだと考えてしまった。流石に失礼だということで口にはしなかったが。“イゴール”という老人は少年に口を開かせることなく、何かを尋ねようとすることを無視して話を続ける。

「さて、あなたが今居るここは夢と現実、精神と物質の狭間にある場所……ここは、何らかの形で運命に引っ張られた方のみが訪れる場所」

 そう言って“イゴール”は次に少年に名前を尋ねてきた。
ここで偽名を使ったとしても目の前の二人にはそれは通用しないということは一目瞭然だった。
仕方なく少年は名前を呟いた。

「……優也、“綾崎(あやさき)優也(ゆうや)”だ」
「綾崎、優也様ですな。なるほど」

 “イゴール”は優也の名前を聞いてなるほどと呟いて頷いている。
隣にいる女性がサラサラと何かを書くような動作をした。そして目の前にある長テーブルの上に何かの契約書のようなものが現れた。
 そこには署名欄に優也の名前がある。
 そしてそこには『我、自らが選択し、未来へと進まん。いかなる結末も受け入れん』とあった。その文章から予想するに何か自分の身に起こりそうだというのが分かる。

「今からあなたはここ“ベルベットルーム”のお客人だ。あなたは“力”磨くべき運命にあり、必ずや私どもの手助けが必要となるでしょう。あなたが支払うべき代価はただ一つ……“契約”に従い、ご自身の選択に相応の責任を持っていただくことです」
「それを拒否することは、できないのか?」
「“不可能”でございます」

 イゴールは優也の問いに対して即答した。
 「そ、そんな……」優也は唖然とした表情を浮かべ、戸惑いを言葉で表す。

「既に采は投げられました。あなたはもう「運命の分岐点」の一つを超えてしまっております。つまり後戻りなどできないのです」
「……」

 勝手すぎるなどとここで叫んでも意味はないだろう。そのイゴールが言う“運命の分岐点”とは一体なんだろうか。
神社に足を踏み入れたことだろうか、それともあの女性から謎の空間に突き落とされたことだろうか。
その答えが分かったところで今のこの状況を打破することは文字通り“不可能”だろう。“イゴール”が言うように、既に始まってしまったのだから。
 優也は端正な顔をやや歪めている。
 何故自分がこんなことに巻き込まれなければいけないのか。いきなり“契約”などというものを結ばされ、さらにあからさまに危険が待っていると言っているようなものだ。
 頭の中がぐちゃぐちゃになりそうだ。
 そんな風に考えが纏まらなくなってきていた優也に対してイゴールが意識を向けさせるように何かをどこからともなく出現させ、優也に手渡してきた。
それを受け取る優也。
その手にあったのは青く淡い光を放つカギだった。
 次から次へとなんだろうか。このカギは一体なんだろうか。

「これをお持ちなさい」
「これはカギ……? 何でこんなものを……」
「おっと、紹介が遅れましたな。こちらは“アリア”。同じくここの住人だ」

 優也の質問を無視してイゴールがそう女性を紹介する。アリアと呼ばれる女性は礼儀正しくお辞儀をする。

「アリアと申します。以後、お見知りおきを。優也様」
「あ、ああ……こちらこそよろしく」

 見惚れてしまいそうな笑みを向けられ思わずそう答え返してしまう。
アリアはそれを見てクスクスと笑っている。思わずグッと自分の醜態を恥じる。

「では、またお会いしましょう……」
「えっ――」

 そう突然の言葉。まるで自分の今の役割を終えたように話を切る。
すると同時に意識が遠のいていくのを感じた。ゆっくりと瞳が閉じていき、完全に優也は意識を失った。


―4月9日 霧の湖―


 そこに広がるは美しく透通った水のある巨大な湖と、その先にある森に囲まれているまるで血を塗ったかのように赤一色の大きな館がある。
 その周りを大きく取り囲むようにして大きな木々が集まり森を形成している。
 湖の近くは草花がたくさん咲いており、季節にとってその姿を変えていく。今日もその上にある空はすっきりとして晴れ渡っている。
 太陽も雲がほとんどないために顔を出している。明るい日光が湖などに降り注いでいる。キラキラと水面が輝いているのが見え、美しいと取れる。
 そこではさまざまなものに宿る妖精たちが楽しそうに遊んでいる。
 そんなところで草な場に囲まれる形で一人の少年がそこに眠るようにして倒れていた。黒い髪、整った顔立ちをしており、寝顔も穏やかなものである。
 その少年の瞳がゆっくりと開けられる。その瞳の色は髪と同じように黒である。やや睨みの強そうな細い目つきをしている。
 その雰囲気が相手を寄せ付けないような冷たいものというわけではない。
 自分が寝そべっているということに気がつく。上半身だけを起き上がらせる。ゆっくりと周りを見渡し、現状を確認する。

「す、凄い……」

 そう少年――綾崎優也は呟く。
 その瞳に映った光景が、あまりにも素晴らしいものであったために言葉にならなかったのだ。そこにある湖が、草花が、そこで遊んでいる妖精たちが。優也はその妖精たちが人間の子どもであるように見えていた。
 立ち上がる。
湖に近づくようにして歩き、水の中に手を入れてみる。
透き通っているために水の中にある手がはっきりと見える。丁度いい冷たさで両手を入れて水をすくい、それを顔にかける。
 水滴を飛ばすために顔を左右に振る。
 若干の眠気が消えた。すっきりとした表情でいる優也。
 ここに来てようやく自分が先ほどと違う場所に来たのだと理解する。もしかするとここがあの女性が言っていた“幻想郷”なのではないだろうかと思った。
 しかしあの女性は優也のことを“幻想郷”に送ったはいいが、その後のことはまったく考えていないようだった。周りには人間の気配はなく、姿すら見えない。
先ほどまで楽しく遊んでいた少女たちは既にその姿を消している。もしかすると優也が動いたのに驚いてしまい、隠れてしまったのかもしれない。
 それに先ほど少女たちは背中から羽のようなものを生やし、宙を飛んでいたようにも見えた。それが一体何を意味するのか、ようやく冷静になってきた優也は、彼女たちは人間ではないのではないかと思った。
 あの神社であった女性とはまた少し違う存在のようだと考える。
 それに先ほどの“ベルベットルーム”でのやり取り。
あれが夢ではないということはズボンのポケットに入っているカギが意味していた。

「なんなんだよ次から次へと……」

 嘆息する優也。
突然意味の分からない空間に落とされ、意味の分からない“契約”を結ばされ、そして意味の分からない世界に落とされた。ここが先ほどまでいた世界とは違っているのが雰囲気のようなもので感じられた。
 次から次へと理解の追いつかない出来事が起きすぎている。自惚れではないが、理解は早い方だし、勉強もそこそこできるつもりだ。
 だがあまりにも衝撃的過ぎるのでとてもではないが現実、日常という世界に浸っていた優也がすぐに理解できるようなことではなかった。
 これからどうしようか。それが今の率直な思いだった。
連れてこられたと言ってもいい今この状況。
だが肝心の彼女は今ここにはおらず、こちらから連絡を取る手段すらない。携帯電話すら今この場では意味のないものなのかもしれない。
 開いていた携帯電話であるが、一応電源は入っているようだ。しかし肝心な電波というものがあらず。森が近いためなのか、圏外になっていた。
 仕方ないと思いつつそれを閉じ、ポケットに入れる。今あるのは普通の高校生が持っているくらいのお小遣いと多種のカードくらいだ。自転車を止めてきてしまったのでそれのカギもあった。
 ここで役に立ちそうなものはなさそうだ。
イゴールから貰ったこの青いカギであるが一体何に使うのかも分からない。扉らしいものなどないために、これも役に立ちそうにはない。結局言いたいことを言われただけに終わったというわけだ。
 ふと森の方を見る。
もしかするとあの森を抜ければ人が住んでいるところに行き着くかも知れないと思った。湖の向こうには森に囲まれた館もあるが、湖を渡っていく手段がを持ち合わせておらず、それにあんな不気味なところに行きたいとも思わなかった。
 赤一色ということで眼が疲れそうだ。はっきり言って趣味がいいとは言えない。
 取り敢えず森の中に入り人のいる場所を探そうと思った。


―4月9日 森―


 この森に入ってからであるが薄気味悪さが一層増したように思う。
 どこからか獣の唸り声が聞こえてくることもある。森の中なのだから獣がいてもいいだろうが、時折戦っているのかお互いに叫んでいるのが聞こえた。さらに悲鳴があまりにも痛々しく思わず耳を覆いたくなってしまう。
 実際に見たわけではないのだが、想像してしまうととてもではないがさすがに気分が悪くなる。

「……何なんだよ、ここ」

 しばらく進んでいたために疲れからか息が乱れていた。
 思わず方膝をついてしまい、顔は項垂れている。額からは汗が噴出しており、それが頬を伝って地面に落ちる。
 喧嘩をしたことがないわけではない。
殴った時に相手が悲鳴を上げるのは何度も聞いているし、グロテスクな光景など実際ではなくとも友だちと見たDVDで慣れているつもりだった。
 しかし実際の場合は違った。
 やはり今までのは実際に起こったことではなかったので、何とも思わなかっただけのだろう。
しかし今は違う。
実際に優也がいる空間の近くか、または遠くで行われているのだ。
 木を薙ぎ倒す音も聞こえてくる。
それに驚いてか木に止まっていた鳥たちが一斉に飛び立つ羽の音や鳴き声が聞こえる。
 木が倒れる度、地面が小さく揺れる。耳を劈くような音が聞こえてくる。この場にいるのはまずいと判断する。少し早歩きできていたが、いよいよ走る必要が出てきた。地面を勢いよく蹴り優也は森を出るために走り出す。
 こんなところに一分一秒といたくない。背中から追いかけてくるような恐怖を感じつつ、表情には表さないようにして走る。
 優也の目に映るのはとにかく木、木、木。
 木を避けて走ってもすぐにまた別の木が現れる。さらに枝葉によって太陽の光があまり差し込んでこないこともありあまり見通しがいいとは言えなかった。
 走っている間、あちこち木の根っこが隆起しているところがあった。転びかかったのも何度かあったが立ち止まらずに何とか来ることができた。遠くの方では、まだ獣たちと思われるもの同士の争いをしているのが聞こえていた。
 ここまで来れば大丈夫だろう。そう思い、ホッと胸を撫で下ろす。走ることはそこまで嫌いではないが、それでも恐怖と隣り合わせだったということで予想以上に疲れが出ていた。

「それにしても、人の姿が一つもない……。まあ、こんな場所に入り込むだなんて物好きはいないだろうけどな……」

 ドサッと木に身体を預けながら優也は座り込む。
 肩で息をしているために、ゆっくりと身体を休め、息を整えることにする。ゆっくりと頭上を見上げる。するとまるで四角く切り取られたキャンパスように青い空が見える。僅かな日差しがそこから差し込んできている。
 周りには草は少なく数メートル先まではやや見えづらいが見える。今のところは優也を襲おうとしている存在は見当たらない。
 ゆっくりしていたいが、そんな時間は多くはない。こうしている内にもどこからか自分のことを見ているものがいるかもしれないと考える。
 大分呼吸も整った。立ち上がり、尻についていた汚れを落とす。もう少しでこの森を抜けられるのではないかという確証もないことを考える。
 とにかく抜けられると考えて、もう一度優也は地面を蹴る。走り出した優也はとにかくこの森を抜けることをまず考えることにした。


―4月9日 森 入り口付近―


 優也の目の前に光が差し込んできた。
 ようやくこの森を抜けられる出口が見えてきたのだ。
一度立ち止まり、膝に手を当てて荒い息を整える。顔を上げると確かにそこには出口があった。ようやく抜けられるのだと額の大汗を拭い、ゆっくりと歩き出す。
 そうしてようやく森を抜ける。
そこからは木が密集しているのではなく切り開かれた道が広々と広がっていた。僅かであるが、向こうの方には建物のようなものがいくつも並んでいるそんな里のようなものが見えた。
 あまりにも建物が少ないように見える。やはりここは自分がいた世界とは違うところなのだろうかと思う。
 ここまで無傷で来られたのははっきり言って運がいい。ここからは走る必要はないだろう。そう考えながらゆっくりと歩き出す。周りの景色を見ながらその里を目指すことにした。
 季節は春なのか少し暖かな雰囲気が漂っている。そんな雰囲気のように安全に目的地まで辿り着ければと思っていた、
 しかし優也の前に突然現れた少女たち。複数人であるが皆同じような顔立ちをしている。着ている服も似ており、さらに背中から羽のようなものが生えていて、宙を飛んでいる。体が小さいために、そうすることでようやく優也と同じ目線にいることができた
 彼女たちは優也の事を見てクスクス笑っている。まるで面白い玩具を見つけた子どものように。

「悪いけどそこをどいてくれないか? 先を急いでるんだ」
「駄目駄目、お兄さん」
「お兄さんは私たちと遊んでくれないと」
「人里に行きたいの? なら、私たちの弾幕からうまく逃げ切れたらここを通してあげるよ?」
「倒れても私たちはどうしようもないから、頑張ってねー」
「おい、お前たち――」
「「いっくよー!」」

 道を阻むようにして飛んでいるために優也はどいてくれるように頼む。しかし少女たちはクスクスと笑うだけでそれを拒否する。
 さらに自分たちと遊んで欲しいと言ってくる。そんなことをしている暇はないというのに。優也は小さく嘆息する。
 別の少女が言う“弾幕”という言葉の意味が分からなかった。
相手が人間ではないので何か不思議な力を使うのかもしれない。そうなると人間でしかない優也がどうこうできるものではないだろうと思う。
 さらに倒れても置き去りにされるとのこと。そうなれば向こうの森からそれほど離れていないために先ほどの獣たちのような存在がやってきたら死ぬのがオチだ。
 やめさせようと口を開いたが、優也の言葉を遮って少女たちが笑顔で叫んだ。
 少女たちの周りには色鮮やかな球体状の何かが浮かんでいた。それらを優也に向けて投擲してくる。慌てて地面を転がることで回避することができた。地面に着弾したそれは地面を抉り、爆発する。
 その跡を見て、思わず唖然としてしまう。あんなものを少女たちが放ったというのか。生身で受けてしまえばどうなっていたのか。
一瞬悪寒が背中を走る。
立ち上がろうとした優也に向けて再び弾幕が迫る。今度は回避することができず身体に弾幕が襲いかかる。
 死ぬような痛みはないが、それでも石を投げられたような痛みが走る。爆発し、土煙にまぎれて逃げる。
 煙がいつまでもあるわけではない。当然のように薄れてくると再び少女たちの攻撃が激しさを増す。舌打ちを零しながら優也は走り出す。とにかくここから離れようと。いくら彼女たちが人間でなくとも殴ることはどうしても躊躇われる。
 だが彼女たちを倒すか何かしなければここから抜け出すことはできないかもしれない。弾幕が背中を穿つ。思わずたたらを踏むが何とか体勢を立て直す。
 何とかしなければ、このままではただなぶり殺しにされるだけだ。弾幕というものを実際に喰らってみて分かったことであるが、それの威力自体はそれほどでもない。しかし数の暴力であるためにかなり厳しい。
 一旦弾幕の攻撃が収まる。
荒れていた呼吸を整える。すぐに構え直し、どこかに突破口はないだろうかと視線を探らせる。

「どうだ、あたしたちの力!」
「人間なんて私たちにかかればこんなもんよ!」
「これであのバカ妖精に自慢できるよ」
「今度自慢してあげないとね」

 少女たちは満面の笑みを浮かべて喜んでいる。
 彼女たちの言うバカ妖精というのが一体何者なのかどうかは分からないが、優也に気が向いていない隙を狙い、走り出す。
 ダンッという地面を踏みしめる音に彼女たちも気がつく。
その瞬間には優也が彼女たちの間を抜けて、集落の見える方へと走り出していた。
 優也の背中に彼女たちの声がぶつかる。
 「待て」そう言われて待つ者がいるかというように優也の足はさらに加速する。少女たちも羽を動かして空を飛びながら迫ってくる。
 歯を食いしばり、肺が潰れそうな痛みを必死に我慢する。
後ろからは今度は逃げる優也を追いかけるのが面白いのか笑いながら弾幕を放ってくる彼女たちの姿が肩越しに見える。まるで道化だということに悔しさと恥ずかしさに小さくクソッと吐き捨てる。
 もう少しで里に辿り着くというところまで来た。
入り口付近には見張りなのであろう男たちが武器を持ってこちらに視線を向けていた。
 後ろにいた少女たちはそんな男たちの視線を感じてかつまらなさそうな表情を見せる。どうやら彼女たちは自分からあの集落の中に入ろうとは思わないようだ。
 優也を追いかけることに飽きたのか背中を向けてまた来た道を飛んで行った。後ろから見張りをしていた男性たちに声をかけられる。
 ようやく自分が着ている服同様にボロボロになっていることに気が付いた。

「おい、大丈夫か!?」
「すぐに慧音先生に報告を!」

 ようやく着いたという安心感からか、身体からフッと力が抜ける感じがした。
 次の瞬間には地面が目と鼻の先に見えた。
優也は自分が倒れたということに気づく。
優也が突然倒れたということで男たちが騒いでいるのが聞こえる。向こうの方からも少しずつ騒がしい声が聞こえてきた。
 耳元で叫ぶ女性の声が聞こえる。
正直うるさいと思った。
身体を揺さぶられるがもはや声を出す元気すらない。ゆっくりと瞼が閉じられていく。ここまで来るのにフルマラソンをしていたのだから疲れるのは当然だった。
 ――少しぐらい眠らせてくれ。
 そう思い優也はゆっくりと瞼を閉じた。


―4月9日 人里―


 次に目を覚ました時、優也の目には昔の家のように木の天井が映っていた。
ゆっくりと起き上がるとそこはやはり和式造りの家のようだった。障子の外がやや薄暗いということから今は夕方を越して夜に近いのだろうと思う。
 倒れてしまったためにここに運ばれたのだろう。
枕元には桶の中に水と浸されている白いタオルがあった。ボトリと布団の上に額に当てられていた一枚のタオルが落ちる。それを掴んで桶の中に入れた。

「どこだ……ここ?」

 着ていた服はボロボロのままであるが綺麗にたたまれ、枕元に置かれていた。今優也が来ているのは浴衣のようなものだ。
 和式の部屋の周りに視線を向ける。特にこれと言って凄いという置物をしているわけではない。昔祖父母の家で見たような掛け軸が掛けられているくらいであまり置物に興味を向けているわけでもなさそうだ。
 すると障子の向こう、おそらく縁側になっているのだろう。そこから床を歩く足音がゆっくりとこちらに向かってくるように聞こえてきた。そして障子に人影が映る。
 ゆっくりと障子が開けられる。そこに現れたのは女性だった。

「起きていたのか。どうだ、具合の方は?」
「特にこれといって。ところで、あんたは?」
「それはよかった。それと相手に名前を聞くときはまず自分からだろう? まあいい、私は上白河(かみしらかわ)慧音(けいね)。この家に住んでいて、寺子屋で教師をしている」

 紺のワンピースのような服を着た白髪の女性は上白河慧音と言うらしい。教師をしているということもあってなのか、優也の礼儀に対して一言注意をする。
 寺子屋という言葉が古い時代の学校のことだと知っているので、やはり自分がいたところとは違うのだろうと小さな確信を得る。
 相手に名乗らせておいて自分が名乗らないというのはそれこそ礼儀に反する。優也は慧音に対して自分の名前を告げる。

「……俺は綾崎優也。なあ、ここって“幻想郷”って言うところなのか?」
「ああ、そうだが……着ている服といい、その言葉からして君は“外来人”のようだが……」
「“外来人”? なんだ、それ?」

 目の前にいる優也が、ここが“幻想郷”だと知っているのは何故だろうかと思った。だがその枕元にある服とこの世界の住人がそのように尋ねるのはありえないということから彼女は彼が“外来人”なのだと確信する。
 そして彼をこの世界に連れてきた犯人が誰なのかも。
 対する優也は“外来人”という言葉が一体どういう意味なのか慧音に尋ねる。
 “外来人”――それは言葉通り外から来た人間だと言うことだ。この世界が隔離された世界であり、優也がいた世界はここから見ると外の世界ということになるからである。
 隔離されている理由はこの世界を作り出した妖怪の賢者と呼ばれている“八雲紫”による“現実と幻想の境界”とこの世界の平和を象徴している場所である“博麗神社”に住む“博麗の巫女”によって保たれている“博麗大結界”のおかげだと言う。
 優也のような“外来人”が来るのは珍しいということではないらしい。
“八雲紫”という妖怪が今回のように“スキマ”と呼ばれる彼女の能力によるものを使って外の世界から人間をこの世界につれてくることもあるらしい。それは決まって彼女の暇つぶしということらしく、連れてこられた外の人間は“博麗神社”に向かい、外の世界に帰してもらうのが多いとのこと。中にはこの世界に永住を決めるものも少ないがいるらしい。
 だが連れてこられた人間が必ずしも全員生きて帰ったり、この世界で生きていたりというわけではないらしい。優也のように危険な場所に放り出され、そこで運悪く妖怪と出会ってしまい殺されるということもあるらしい。
 外の世界から多く連れてこられる人間は大抵自殺願望者などほとんど世界に必要とされていない人間のようだと言う。
 今回のような場合以外にも博麗大結界の一部が緩んだり、ある程度力のある者がそこを破って“幻想郷”に入ってしまうということもあるらしい。とはいえそんな頻繁に結界が緩むというのは決してあってはならないことである。
 当然頻発することはないのでことが大きくなったことは今のところはない。
 ここまで慧音に説明され、自分がこの世界から帰れないと言うわけではないことを理解する。その話しにも出ていた“博麗神社”に行き、そこにいる巫女に頼めば何とか帰ることができるかもしれないということだった。

「まるで死んだように眠っていたな。まあ、あれだけやられればそうもなるか」
「あいつらは一体なんだったんだ? 人間とは思えなかったし……」
「あの子達は妖精だよ」

 妖精とはまたファンタジーなものだと思う。
 しかしこの世界を作り出したのが“妖怪”だというのだから、そのような存在がいてもおかしくはない。
もしかするとあの森で戦っていたのは獣ではなく妖怪だったのかもしれないと思う。もし出会ってしまっていたら、自分はその話しに出てきていた人間たちと同じような末路を辿っていたかもしれない。
 正直生きてここに辿り着いたのは奇跡だったのかもしれない。

「そしてここはそんな妖怪などの人外たちに囲まれた世界で唯一人間が寄り添って生きている場所――“人里”だ。時々妖怪の姿もあるがその妖怪たちは人間と仲のいい奴らばかりだから気にしなくてもいい」

 来たばかりなのでそう言われても困る。

「今日はもう遅い。疲れもまだ残っているだろうし、ゆっくり休んでいってくれ」
「悪いな……ありがとう」
「なあに、こういうのも私の役目なんだ。気にしなくてもいい。食事もそろそろできる頃だろう。お腹は空いているかい? 少しでも満たしておいてもいいんじゃないかな?」

 気遣うように言ってくる慧音。それはまるで母親のような気遣いだ。
 彼女は素でやっているようだ。きっと彼女は周りから親しみを持たれているのだろうと思う。
 優也は小さく呟くようにしてお礼を言う。
 立ち上がっていた慧音は笑みを浮かべ、食事に誘う。確かに少しであるがお腹が空いている感じがする。お言葉に甘え、食事を摂らせてもらうことにした。


―4月9日 人里―


 食事を作っていると場所を案内される。やはりその部屋を見てみてもタイムスリップしてしまったのではないかと錯覚を覚える。
 幻想郷についても説明してもらったが優也が住んでいた世界とはまったく違うことがありありと感じられた。
日本の人里離れた山奥の辺境の地に存在しているとのことだ。妖怪などの人外のものが多く住んでいるが、僅かながら人里などに人間も住んでいる。“幻想郷”は強力な結界によって“幻想郷”外部と遮断されているため、外部から“幻想郷”の存在を確認することはできず、“幻想郷”内に入ることもできない。
同様に“幻想郷”内部からも外部の様子を確認することはできず、“幻想郷”から外へ出ることはできない。そのために“幻想郷”では外の世界とは異なる独自の文化が妖怪たちによって築き上げられている。なお、“幻想郷”は結界で隔離されてはいるものの、異次元といったものではなく、“幻想郷”も外の世界も同じ空間に存在する陸続きの世界である。“幻想郷”は内陸の山奥に位置するため、そこに海は存在しないとのことだった。
 小さな気でできたテーブルのあるそこにはもうひとりの女性の姿があった。
 白い髪は背中まであり、赤いリボンで結われている。白いワイシャツにモンペを着ている。やや気の強そうな瞳が優也に向けられる。

「ああもう起きたんだ。それと慧音、いつものところに炭、置いておいたからな」
「ああ、いつも悪いな妹紅(もこう)

 妹紅と呼ばれる女性に対して慧音が礼を言う。
気にしなくてもいいというように懐から取り出したタバコを口に咥え、指から炎を出して煙を吸い込んだ。ゆっくりと吐き出された煙が白いものから透明なものへと昇っていくにつれて変わっていった。
 タバコを吸い始めた妹紅に対して慧音が諌めるように言う。どうやら彼女は体に悪いということでタバコをやめさせたいらしい。
 しかし当の本人はやめる気はないようだ。慧音の言葉を無視して二本目のタバコを取り出している。
 これ以上言っても意味はないと判断したのか慧音は仕方ないと嘆息し、座っていてくれと優也に言って奥の方へと姿を消した。
 おそらくその奥が台所なのだろうと思う。向かい合う形で座る二人。黙ってタバコを吸っていた妹紅だが、二本目を吸い終わったところで口を開いた。

「話しには聞いていたけどやっぱり“外来人”なんだな」
「慧音が言っていたからそうなんだろう。俺はここについて何にも知らなかったからな。一応の知識は教えられたけど」
「まあ、あの“スキマ妖怪”がこんなことをするのは今に始まったことじゃないからな。またかと思うくらいにしかないさ」

 三本目を口に咥えながらニヤリと笑みを浮かべて言う。
また指先から炎を出してタバコに火をつける。目の前でまるでマジックのようなことをされ、ただ見つめているしかできなかった。その視線に気づいたのかまるで子どもを見るような目でこちらを見てきた。

「なんだ、興味を持ったのか?」
「そりゃあ、な……。普通“人間”が指先から炎を出せるか? ありえないから驚いてるだけだ」
「その割には顔は冷静だよな。まさか感情豊かじゃないんだな?」
「いちいち大げさに反応しないだけだ。内心では普通に驚いてる」

 もともと驚くなどの感情をそうあからさまに出すような人間ではない。内心では感嘆のため息を吐いているが。
 妹紅がいうには妖術のひとつらしい。
この世界では“〜する程度の能力”というように少し曖昧な名前の能力がある。全員が持っているわけではなく、ある程度霊力やら妖力などの力が強い物だけに限定される。それに全てが戦闘などに役に立つものばかりではなく“天気が分かる程度の能力”や“北の方角が分かる程度の能力”などとしょうもない能力のものもあるとのことだ。
なら妹紅の能力は“炎を操る程度の能力”なのかと尋ねる。すると少しだけ表情を歪め、「まあな」とただそう呟くだけだった。
三本目のタバコが終わる。
それと同時に奥の方から声がかかった。
どうやら料理が完成したらしく、運ぶのを手伝って欲しいとのことだった。
 妹紅がサッと立ち上がる。それに続くように優也も立ち上がった。
 先ほどのことに関してはあまり詮索しない方がいいだろう。そう思って優也は黙る。
 今はまず食事をいただくことにしようと思い、奥の方に向かうのだった。


―4月10日 人里―


 朝になっていた。
 いつもと違う枕であったが気にせず眠ることができた。いくら気絶していたためとはいえ、かなり疲れが溜まっていたのであろうと思う。
 ゆっくりと起き上がる優也。
ボロボロであるが汚れは落とされている服に着替える。この世界のものはどちらかというと江戸時代のものが多い。そうでもない服装のものもいるがそれはごく少数だ。ここに来て見たのは慧音と妹紅くらいであろうか。
 着替えを終え、洗顔をするためということで井戸の方に向かう。
 そこは慧音の家を出てから少し離れた人里の中央に位置している場所にあった。多くの人里の住民たちが利用するということでそこに作られたようだ。そこには朝早いというのに住民たちの姿があった。
 優也を見て昨日のことを知っている者たちは心配するように声をかけてきたり、初めてみる者たちは珍しいものを見るような視線を投げかけてきたりした。
 挨拶も簡単に井戸の中に桶を投げ入れ、ロープを引っ張って水を汲む。移し代えて借りてきていたタオルを浸し、絞って顔を拭く。
 冷たい水がまだ若干残っていた眠気を吹き飛ばした。
 洗顔を終え、優也はまた慧音の家へと戻る。
家の中に入ると今のテーブルには既に妹紅の姿があった。彼女も優也が戻ってきたのに気が付き、声をかけてきた。

「おう、おはよう」
「おはよう。昨日は家に帰ったようだけど、朝食はいつもここでなのか?」
「まあ、そんなところ。別にできないわけじゃないんだけど、慧音がね」
「一人でも多くの者と食べるのがいいんじゃないか妹紅。君もそう思わないか、優也くん?」
「……まあ、そうだな」

 慧音がお節介を焼いているようだ。それでもその気遣いを邪険にしていない様子の妹紅。表情を見ても小さな楽しみを感じているように見えた。
 どうしてそこまで慧音が気に掛けているのかは分からない。二人の間に何かがあるのは確かだった。
 朝食が運ばれ、雑談交じりに食事が進められる。
 家族揃って食事というわけではないが、こうして誰かと一緒に食事をするというのは本当に久しぶりだった。もちろん学校では友だちと昼食は食べる。しかし家では両親と揃って食べるというのはほとんどなかった。
 そう言うこともあってか新鮮な気分を味わっていた。
 食事が終わる頃に今日の予定について話し合うことになった。慧音は昼頃までは寺子屋で仕事があるということだ。妹紅も時々手伝っているということで同じく寺子屋に行く予定だと言う。
 なら優也はどうしようかと考える。
この世界に来てまだ二日目。当然人里の作りなどを知らないためにふらふらとで歩けば道に迷うだろう。周りの人に聞けば慧音の家はすぐに分かるだろうが。
 すると慧音が提案してきた。

「なあ、優也くん。君は外の世界では職にはついていたのかい?」
「職ってものなのかな? まあ、高校には通う予定だったけどな。あ、高校っていうのは寺子屋のようなところのこと」
「それくらいの歳でまだ寺子屋に? まあ、外の世界とは違ってるんだろうけどさ」

 この世界の優也と同じくらいの年齢の者は既に家の手伝いに精を出しているのがほとんどだ。畑仕事など農家を継ぐ者、店を継ぐ者などがいる。
 外の世界でもその年齢で進学せずに何かしらの職に就くというものもいなくはないが、今の時代、中卒で採用などはほとんどないに等しい。
 大変だなというような視線を妹紅は向けてきた。

「勉学に励むのはいいことだ。ところで提案なんだが君も寺子屋で一日だけ教師をしてみないかい?」
「ハァ?」

 唐突に教師をして見ないかと言われ、優也は思わずそう声を漏らしてしまう。知らない人間がいきなり現れるのは、かえって寺子屋の生徒たちに変な緊張感を与えてしまうのではないかと考える。
 慧音は大丈夫だと言っているが、果たしてそうなのだろうか。
 意見を聞こうと思い、妹紅に視線を向ける。

「別にいいんじゃないか? 折角だし、思い出作りにもなるだろう? 寺子屋が終わったら人里を案内してやるよ」

 そうニカッと笑みを浮かべて言う。
どうやら二人は優也を受け入れてくれるようだ。
 優也自身もそこまで言われて断る理由はない。時間を潰すという意味も兼ねてその提案を呑むことにした。


―4月10日 人里 寺子屋―


 優也の周りには子どもたちが集まっている。
 外から来た人間だということもあり、興味津々の様子だ。授業そっちのけで外の世界のことについて質問をされ、それに対して優也が答えるということで時間がほとんど過ぎてしまう。
 授業をしなくてもいいのかと慧音に尋ねたが、こういう機会は滅多にないためなので、折角なので質疑応答の時間に急遽変更された。
 子どもたちは非常に純粋だった。
外の世界とここ“幻想郷”の違いに表情を逐一変えて驚いたり興味を示したりした。
 便利さという観点からすればこの世界は酷く遅れているだろう。授業でも習った江戸時代となんら変わらない。
 冷蔵庫やテレビなどというような普通ならどこの家にでもある電化製品というものがこの世界にはない。
 慧音の話によればそのようなものを扱っている河童がいるとのことだ。しかし実際に電気というものがこの世界にあるとは思えないので到底使えるとは思えない。
 それに電気というのはこの世界には不釣合いだと優也は思う。
 確かに便利かもしれないが逆に外の世界にはそれにどれだけの金が毎秒かかっているだろう。消えることのない光の世界とはいえ、果たしてそこが素晴らしい世界かどうかは即答しにくい。
 夜は僅かな明かりで過ごし、月が昇ったところで眠りに着く。
夜は人間の時間ではなく妖怪の時間。そして朝日が昇ると同時に人間は動き出す。それが当たり前のこの世界。世界の変化と共に生きているこの世界の人間たちと比べて外の世界の人間たちはどうだろうか。
 夜の世界に生き、朝の世界から逃避している。
 そんな同級生も何人も見てきた。
 そんな世界と比べるのもおこがましいが、この世界は外よりも眩しく見えた。光的な意味ではなくそこに、生きているヒトの美しさというものにだろうか。
 子どもたちには外の世界で何をしていたのかと尋ねられた。
 みんなと同じように学校、寺子屋のような、それよりももっと大きなところに通っていたと答える。
 年齢が違うのにどうして勉強をするのかと尋ねられた。
 この世界では優也位の年齢の人間が勉強しているということは珍しいことなのだ。
一通りの勉学を納めた子供たちはそれぞれ家業的なものを継ぐために手伝いを始める。それが彼らにとってやりたいことかどうかは分からない。
 しかしこの世界ではそれが当たり前のことなのだろう。だが子どもたちはそれを不満には思ってはいなさそうだ。
 それに比べて自分はどうだろうかと優也は考えた。
 何も考えず、ただ行かなければいけないということで高校に進学した。特別そこで何をしたかったわけではないし、その後のことを考えてのことでもない。どうせいつかは離れるのだと。また転勤があればどうせ別の学校に行くのだと特別な理由で今の学校を選んだつもりはなかった。
 まさに流れに逆らわずにそのまま生きているようなものだ。それは酷く楽なことであるが、それと同時に酷くつまらないものでもある。
この世界に来たのもまた自分の意志ではない。
流されるままにこの世界に来て、いずれ戻るということを考えている。戻ったとしてもまた同じようなことが繰り返されるだけ。そう考えると酷くつまらない人生だと内心ため息をつく。
 もしかするとこんな優也の思いを八雲紫は汲み取ったのかもしれない。もしそうだとしたら彼女という妖怪は相当厄介な存在だと考えざるを得ない。さらにこの世界を形成した中心人物だということからも普通の妖怪ではないのだと考えられた。
 子どもたちからの質問はその後も続いた。


―4月10日 人里 寺子屋―


 昼食を取り終えたと時だった。突然一人の男性が慧音の家に飛び込んできたのだ。

「一体どうしたんだ!?」

 その男性のあまりの慌てように慧音は落ち着かせながら事情を尋ねた。
 ここまで走って来たためか、酷く息が切れていた。ようやく落ち着いて来て話し始めた。

「森の中に入って行った奴らがまだ戻って来てないんです。朝から山菜を採りにと行ったっきり昼になっても戻ってこなくて……」
「自警団の者たちは付いて行かなかったのか? 森の中には妖怪がいる。それは分かっているはずだろ?」
「それが……そのぉ……」

 男は慧音に質問されるがなかなか答え辛そうに口ごもってばかりいる。
その様子から察するに、自警団を連れずに中に入って行ってしまったのだろう。普通ならありえないが時々不注意で独断で森の中に入っていってしまう者たちもいる。
 少しくらいなら大丈夫だろうという安易な考えが最悪を引き起こすかもしれないというのに。慧音は苦虫を噛んだような表情を見せ、すぐに立ち上がる。

「自警団を集めてくれ、もしかするとまだ森の中にいるかもしれない。生きていたとしても最悪遭難している可能性も否めない。すぐに捜索のための準備をするんだ!」
「わ、分かりました!」

 慧音の鬼気迫る様子に男性は驚きながらも何とか返事をして家を出て行く。立ち上がったのは慧音だけではなく、一緒に食事をしていた妹紅もだった。

「慧音、私も出るぞ。最悪以前から討伐願いが出ていた妖怪が出るかもしれない。そうなると自警団だと難しいからな」
「そう、だな……頼めるか?」
「任せとけ。ああ、そうだ……優也、お前は里に残れ。戻ってきたら案内してやるから」
「あ、ああ……分かった」

 なんだか慌しくなってきた。
 突然のことに話についていけない優也。ただ何か人里の住民に危険が迫っているのだということだけは理解できた。
 人里の守護者である慧音とともに妹紅も捜索に参加するということだ。
そうなると人里や博麗神社への案内ができない。
だがこの状況下で我が儘を言う者はいないだろう。優也も残れと言われただ頷いて承諾するしかできない。

「一応里の方にも自警団を配置させておこう。何があってからでは遅いからな……よし、妹紅行くぞ!」
「おうっ!」

 玄関の戸に手を添えながらこちらを見て言う。
 急がなければという思いを顔に表しながら慧音が妹紅と共に家を出て行った。
 二人が出て行ってしまってひとり慧音の家に残された優也。彼女たちに待っていろと言われたので、余計なことをするわけにはいかない。
取り敢えず食事をした後の食器を片付けることにした。


―4月10日 人里 広場―


 それは突然のことだった。
 人里に響き渡った悲鳴。家を揺るがすほどの地響きが起きたのだ。
 丁度片づけが終わっていた頃だったので、怪我をすることはなかった。外の方からは何やら人々の叫ぶ声が絶え間なく聞こえてきた。
 優也は一体何が起きたのだろうかと確認するために家を出ることにした。
 戸を開けると何かが起きた方向へと走る住民たちの姿があった。ほとんどが武装している様子からしておそらく自警団の者たちなのだろうと思う。
 彼らとすれ違う形で一般の住民たちが逃げて行く。
 行っては危険だと分かっているにもかかわらず、何故か優也の足はその方向へと踏み出していた。

「出たぞ! あいつだ!」
「自警団はすぐに中央広場に集まれ! 今日こそ終わらせてやる!」
「住民を避難させろ! お年寄り、女、子どもが優先だ!」

 自警団の者たちと思われる声が響き渡っている。
 中央広場というところに慧音たちも言っていた妖怪が現れたのだろう。そこは人里の中でも一番広い場所だ。なんでも時々人形劇などが開かれるという。
 向こうの方からまるで雪崩のように走ってくる住民たちとぶつかりながらも中央広場へと向かっていく。
 住民たちと一緒に逃げればいいのに――内心こんな行動を取っている自分が理解できない。
 そうしてようやく中央の広場へと辿り着く。そこには確かに奇妙な生物がいた。
 だが果たしてそれを生物と言っていいのか、優也には分からなかった。
 無数の腕を持ち、それぞれが足の代わりをしたり、直剣を握り締めていたり、さらには仮面のようなものを手にして蠢くような動きを見せながら広場をうろうろしていた。

「何だよ……あれ」

 見たこともない生物のようなもの。あれが妖怪なのだろうか。優也が昔絵本などで見たものとはまったく違い、僅かに記憶に残っている妖怪のどの名前にも当てはまらないと思った。

「と、取り囲め! 今日こそやつを仕留める!」
「「オウッ!」」

 男たちがそれぞれ得物を構えてその生物を取り囲むようにして立つ。きょろきょろと腕が仮面を動かして空洞状の双眸が取り囲んでいる男たちに視線を向ける。
 能面のようなその仮面からは冷たい視線しか感じられず、嫌な感じが背中を走った。
 男たちが構えた得物がその生物に対して振り下ろされ、突き立てられる。
 だがその攻撃に対して直剣にていなし、回避する。切りつけられたところから黒いヘドロのようなものが地面に飛び散り、まるで陸に上がった魚のようにビチビチという音を立てて数秒跳ね、黒い靄となって消滅した。
 ギョロリというように仮面が数人の男たちに視線を向けた。構わずに得物を構える。そんな男たちが次の瞬間に生物から放たれた炎によって吹き飛ばされた。

「あ、熱い! 熱い!」
「まずい! 水だ、水を持ってこい!」

 服に燃え移った炎が一瞬にして男たちを飲み込む。強烈な熱と痛みが身体を襲う。炎を消そうということと、あまりの痛みに地面をのた打ち回る。
 仲間が慌てて上着を脱いでそれを叩きつけるようにして火を消そうとすると共に、水を持ってくるように叫ぶ。
 数人がその場を走り去る。
 のた打ち回っていた一人が身体を硬直させ、絶命する。体は炭化しており、既に息はない。奇跡的に助かった者もいるが、その火傷は重症である。
 慌てて桶に入った水を持って男たちが戻ってくる。それをかぶせると火は一瞬にして消える。だがその者は既に事切れていた。
 意識をその生物からずらしていた。
 気付いていない獲物に対して猛然と迫る。肉食獣の如き速さでその生物が男たちに接近する。次の瞬間男たちは数人その直剣によって身体を貫かれていた。
 突然のことにその者たちは自分が剣に刺されたことに気付くのに数秒の時間を有した。抜き取られると共に膝から崩れ落ちる。
 仲間がまたやられた。
 悔しさを露にしてひとりの男が斧を振り上げた。

「くっそおおおぉ! 死ね、化け物があああぁ!」

 鍛えられた太い腕から放たれる鉄槌。しかしその鉄槌は振り下ろされることなく、一閃された剣によってきり飛ばされていた。
 自分の腕が斧を握り締めたまま地面に突き刺さっているのが見えた。切り口から噴水のように血が噴出す。
 ありえないことに悲鳴を上げる男。
 しかし次の瞬間心臓を一突きされ、その場に崩れ落ち、血の海に沈む。
 悲鳴が響き渡る。
 まだ避難していない住民がちらほらと見える。男たちが必死になって避難の誘導をしている。彼らにも逃げたい気持ちもあるだろう。
 自警団の男たちは必死になって攻撃を繰り返している。確実にダメージを与えているのは見える。しかしその生物も生命の危機を感じているのか必死になって対抗している。戦局は自警団がやや不利のようだ。
 切り飛ばされた生物の腕が剣が地面に突き刺さった反動で落ちる。今まで動揺に靄となって消えると思われた。しかしそれが大きく広がっていき、まるでスライムのようなものがそこに現れた。腕をゾンビのように伸ばして何かを求めるように地面を這う。
 突然増えた敵に対して自警団は戸惑いを隠せない。さらに切り飛ばされた腕がまた新たな敵となって数体増える。
 親玉の一体に新しく現れた二体の異形。
 その二対は炎を放ってくることはないものの、振り下ろされる腕からの攻撃は確実に自警団の男たちの体力を奪っていく。それでも諦めずに男たちは攻撃を続ける。一人の男が振り抜いた刀の一閃を受け、一体の異形が吹き飛んだ。
 ベチャリという音が響く。
 それと同時に聞こえる小さな悲鳴。そこには一人の少女が転んだ状態で蹲っていたのだ。

 ――なんでまだそんなところに!?

 優也は愕然とした。少女の一メートルもない場所には異形がいるのだ。その異形が少女の悲鳴を聞きつけたのか、それとも気配を察知してなのかゆっくりとその双眸を少女に向ける。
 少女はその視線を受け、また小さく悲鳴をあげる。異形が声のようなものを上げ、地面を這うようにして少女の方に迫る。
 自警団の男たちも少女を助けに行こうとするも剣を持つ異形に阻まれてそれが叶わない。少女は腰を抜かしてしまっているのか後ずさることしかできず、ただ恐怖に顔を涙と鼻水でぐちゃぐちゃにしている。
 ゆっくりとした動きで異形の腕が振り上げられる。
 それを見た瞬間――まずいと思うのと同時に優也は足で地面を蹴っていた。その腕が少女に振り下ろされるよりも先にその異形を思いっきり蹴り上げた。
 何か柔らかいものを蹴ったような変な感触が足に感じられた。少しだけ後方に蹴り飛ばされた異形。すぐさま少女の元に行き、抱き起こす。

「大丈夫か? もう安心――」
「あ、後ろ!」

 間に合ったということでホッとしてしまった。少女のその声に慌てて振り向く。そこには腕を振り上げている異形の姿があった。その雰囲気から怒りを感じているというのが分かった。次の瞬間激しい痛みが身体を襲った。少女を抱きしめていたために彼女には傷はないようだ。
 後方に弾き飛ばされる。
肩越しにまたこちらに向かってくる異形の姿が見える。立ち上がり、逃げようとするがそれよりも早く接近して来た異形の攻撃がまた優也を襲う。
 また地面を滑るように倒れる。擦り傷ができ、血が滲んでいる。腕の中にいる少女の泣き声が小さく聞こえる。いよいよ彼女も無傷というわけにはいかなくなった。
腕が擦り切れたような傷が見える。痛みと恐怖に少女の鳴き声が優也に聞こえて来る。
 自警団は足止めをされており、数分前に出て行った慧音と妹紅が戻って来る気配はない。すなわち二人に助けが来るのはまずないということだ。このままなぶり殺しにされるのか。ギュッと腕の中にいる少女を抱きしめる。
 いきなり訳も分からぬ世界に連れてこられ、とんでもないことに巻き込まれ、あの不思議な部屋で聞いた言葉――『いかなる結末も受け入れん』――であるが、こんなのはあんまりだと思う。
 優也はただ思う――。

 ――死にたくない……!

 こんなところで、こんな理不尽な死に方はない。
 何も知らず、何もせずにただ死を待つだけなのか。
 心の中で少しでもこの世界なら退屈だった自分の世界を変えてくれるのではないかと思ってしまったのは否めない。だが結局はあまりにも理不尽すぎる幕切れが迫っている。
 誰がこんな結末を受け入れられるだろうか。
 運命とはこんなにも残酷なものなのだろうか。運命とは変えることはできないのだろうか。しかし力のない優也がそう思ったところで何も変わらない。
 だがその瞳には諦めというものはなく、ただその鋭い一撃が振り下ろされようとしている時にもしっかりとその異形を捉えていた。

 ――死にたくない……死んで、たまるかあああぁ!

 その時だった。
突然足元に現れた魔法陣のようなもの。淡い光が優也を包み込む。まるでそれは力の放流のようなものを感じていた。
 突然のことに戸惑っているのは何も優也だけではなかった。二人に攻撃をしようとしていた異形もその光に怯んだのか動きを止めていた。
 そして光の中から何かの影がゆっくりと現れたのが見えた。
 それはゆっくりとヒトカタの姿を模していく。

『我は汝……
汝は我……
我は汝の心の海より出でし者。我は汝とともに戦場を駆ける者であり、人々の導とならんとする者……
聖剣の担い手、“アルトリア”なり!』

 そこには青いドレスのような服を着て、その上から騎士甲冑を纏っている金髪の女性が現れた。その手には何かが握られており、空から降り注ぐ太陽の光を浴びて何か揺らめいているように見える。一体何者なのか、一気に体から何かが抜き取られたかのように倦怠感のようなものが襲う。
しかし意識は失われずただその目の前にいる女性を見つめている。
不意に頭に流れ込んでくるような感覚。まるで最初からそれが一体何なのかを知っているような不思議な感覚だ。
まるで塞き止められていたものが一気に流れ始めたかのようなもの。
優也は手をその異形に向けて翳し、叫んだ。

「“アルトリア”!」


―4月10日 人里 広場―


 “アルトリア”――それが一体何者なのかは分からない。しかし力を貸してくれるようなそんな気がした。
 優也は手を翳して叫ぶ。

「“アルトリア”! “ガル”!」

 シンクロするように“アルトリア”が手を翳すと異形に向けて風が放たれた。強烈な風が異形を包み込み、消滅させる。
 黒い靄となったそれを無視して“アルトリア”はさらに自警隊が戦っている二体の異形に向かっていく。
 それに気づいた剣を持った異形がこちらに振り向いた。無数の腕にある剣。それを全ていなすのは至難の業だろう。いなせないのであれば破壊すればいい。

「切り飛ばせ、“スラッシュ”!」

 鋭い一閃が放たれる。その一閃が異形の腕をすべて切り飛ばしていた。
 ビチビチ対面を跳ねる異形の腕。それを“アルトリア”は踏み潰し、新たに敵が出現するのを防ぐ。
 腕を失い後退する異形。
しかし男たちが好機と見て槍や刀といった得物を一斉に突き立てる。剣山となった異形は小さく痙攣し、その場に崩れ落ちる。黒い靄のようなものを出して消滅した。

「残り一体! “ペルソナ”!」

 優也はもはや躊躇いを捨て攻撃を指示する。
それに従うかのように“アルトリア”は手を翳し、再び風を異形に向けて放った。強烈な疾風に包まれた異形は苦しむようにのた打ち回りながら黒い靄となって消滅していった。
 終わった。
 ようやく終わった。
 優也はそれをようやく理解し、その場にしりもちをつくように崩れる。腕の中にいた少女は優也の服にしがみ付き、胸に顔を埋めて泣いている。どれだけ怖かったことか。落ち着かせるように優しく頭を撫でてくれる。
 するとこちらに向かって戦いを終えた“アルトリア”が戻ってくる。自警団の男たちは再び武器を構え“アルトリア”を警戒している。
 姿がヒトカタとはいえ、その力は妖怪のようなもの。人外がそこにいるのなら当然そう行動するだろう。
 だが優也は“アルトリア”に危険はないと判断する。こちらを見下ろしている“アルトリア”。手を出すような動きは見られない。ただ無事を確認しているかのようだ。
 すると向こうから声が聞こえてきた。
 捜索と討伐に出ていた慧音と妹紅が連れて行っていた自警団の男たちを連れて戻ってきたのだ。
 広場に残っている戦いの跡を見て唖然とする。
 そこには戦いで命を落とした者、傷ついた者、傷ついた広場があった。そして何より警戒させるだけある存在――“アルトリア”。
 自警団の男たちは武器を構え、慧音と妹紅はスペルカードを取り出し、手に構える。
 それを見て慌てて優也は叫ぶ。

「やめろ、彼女に危険はない!」
「だ、だが優也くん。あんな存在、この“幻想郷”では――」
「違う、こいつは――」

 慌てて慧音を落ち着かせるために叫ぶ。しかし彼女から警戒の色はとれず、逆に強めてしまった。
 どうすると考える。このままだと“アルトリア”は討伐するべき対象と見られてしまう。あれは敵ではなく味方だ。
 だがこの状況下でそう易々と考えにいたることができるとは思えない。
 何かないのか、あれが敵ではなく味方であると分からせることができるだけのものが。
“我は汝……
汝は我……
我は汝の心の海より出でし者。我は汝とともに戦場を駆ける者であり、人々の導とならんとする者……
聖剣の担い手、“アルトリア”なり!“
 ふと思い出した言葉。「アルトリア」が現れた時に言った言葉だ。
 その言葉が意味すること、それは――。

「こいつは――俺自身だ」

 そう叫ぶ。
 その言葉を聞いた者たちは一同にポカンとしている。あれが優也と同じ存在なのだと誰が信じられるだろうか。
 すると優也の言葉と同時に“アルトリア”が再び淡い光に包まれ、そこには一枚のカードのようなものが宙に浮いていた。クルクルと回転をしながらゆっくりと優也の元に降りてくる。

「綺麗……」

 胸に顔を埋めていた少女が顔を上げ、光を放っているそのカードを見つめる。思わずそう呟いた。キラキラと輝く光が降り注ぐ。まるで癒してくれているかのようだ。敵から襲われ身体にできた傷の痛みが少しだけ和らいだような気がした。
そしてそれが胸に溶け込むように消えていく。
 それを見てただ唖然としているしかできない慧音たち。ゆっくりと手に会った得物などをおろしている様子を見る限りもう警戒していないのだろうと思う。

「優也くん、それは一体なんなんだい……? それが君の「能力」なのかい?」
「……分からない」
「えっ?」
「分からない。いきなり出てきてそれで力を貸してくれただけだ。あれがなんなのかは……知らない」

 慧音が“アルトリア”について尋ねてきた。
 しかし優也にとってもあれが一体なんなのかは分からない。ただまるで以前からあった知識のように“アルトリア”が現れた瞬間にどうすればいいのかを理解できただけなのだ。
 優也は自分でも不思議であるとしか思えない。使用用途の分からないものをいきなり押し付けられ、使ってみろと言われたような状態にならなかっただけ運がよかったのかもしれない。

「なら何であれは危険じゃないって分かったんだ?」
「……なんとなくだ」
「な、なんとなくって……」

 妹紅の問いに対して思わず顔を背けながら答える。
 今思うとなんとも根拠のないことだったと内心反省する。それを聞いて妹紅は呆れたような表情を見せている。
 ようやく緊張が解かれたのか自警団の男たちは傷ついた仲間たちの元へと向かう。
 既に事切れてしまっている者や、異形の炎によってもはや誰だったのかも分からなくなっている者たちを見て悲しみに顔を歪めている。
 優也が助けた少女は行方が分からなくなっていたためか探していた彼女の両親が現れたために泣きながら走っていく。
 その少女の後姿を見送る。
 そのときだった。突然体の全身が強烈な倦怠感に襲われる。それは戦いが終わった後に感じたものと同じ感覚だった。体勢を保っているのも億劫に感じられる。
 もう瞼が重い。
優也の様子がおかしいことに気付いたのか、慧音と妹紅がこちらに向かってくるのが見えた。
しかし視界が霞んでしまっている。
二人が何か声をかけているのが聞こえるが、それももはや遠くから聞こえるような感じになっていた。
 この世界に来て気を失ってばかりだ。だが今回くらいは多めに見て欲しい。そう思いながら優也はゆっくりと瞳を閉じるのだった。



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