無限航路−InfiniteSpace−
星海の飛蹟
作者:出之



第一話


 なぜだろう、私は知っている。
 彼の名は、ユーリ。ユリウス・クーラッド。
 そう、彼は。



「見捨てるんですか」
 ブリッジに低く、固い声が響いた。
 その声の方に顔を向けると。
 いつもは澄ました童顔で、何かあればあいまいな笑みを浮かべている副長が、今この時、燃えるような視線を突き付けてきた。
 トスカ・ジッタリンダ船長はふ、と唇を歪め。
「責任は取れるのかい、“ユーリ”」
 と、副長に向け愛称で呼びかける。
 ユリウス・クーラッドは顔を引き締める。
 彼女の細い両肩には常にクルー145名の人生が掛かっている。
 そんな事は判っている。
 それでも、だ。
「今なら、勝てます」
 短く言い切った。
 やっぱり、おとこのこ、だねえ。
 トスカは一つ頷くと、毅然と発した。
「合戦準備!。副長、任せる」
 ブリッジがどよめく。当然だ。こちらから海賊に襲撃を加えるなどこれが初だ。
「機関、両舷全速!。
 通信、メイデイ全力発信!。
 保安担当、砲戦準備!」
 ユーリが流れる様に発令する。
 まるで正規軍の艦長の様に。
 しかし、それに驚いたのはなにより本人だった。
 内容はこれでいい、構想通り。でもそれがこうもすらすらと命令として自分の口を衝いて出たのが良く判らない。
 脳裏にそれらが、的確なオーダーがふと浮かんだのだ。


 彼は戸惑ってしまった。私のささやきに。
 でもそれは彼の力になる。


 悩んでいる暇は無かった。火事場のクソ力か尋常ならざる集中の加護か。何でもいい。
「砲戦準備完了、アイ」
 即座にユーリは命じる。
「砲撃開始」
 保安担当はけげんな顔でユーリを見た。
「この距離でですか?」
「いいんです。撃って!」
「了解。砲撃開始します」
 海賊船は悲鳴を上げた。
 通信を封鎖しさんざん威嚇射撃を浴びせようやく抵抗を諦めた獲物に向け減速、接舷接近の最中に、公宙航路上でこしゃくにもパッシブ・センシングで存在を秘匿し、いきなり
全力加速で存在を暴露した民航船が「お巡りさん、こっちです!」と大声で喚きながら突っ込んで来たのだ。
 間が悪いといってこれほどの不幸も無い。
 しかもきっちりケツを取られての同航戦だった。
 ヘタに機関にでも食らったら、例えこの場では返り討ちに出来たとて、駆け付けた警務軍にお縄をちょうだいしてしまう。
 天を呪いながら全力加速で避退するしかなかった。

「……逃げていきます」
 センシング担当がぼうぜんと告げる。直後、ブリッジは勝利に沸き返った。
 やるじゃねえか、ユーリ。
 親子ほども違うスタッフに取り囲まれどやされながら、それに気づきユーリはトスカに視線を送る。
 それを受け、トスカは茶目っ気タップリのウィンクを返し。
「上出来だ、副長」
 と、一言だけ褒めてみせる。

 “パッケージからガキが出てきた”、という要領の得ない報告。
 そのガキ、が彼だった。
 
 彼女はくさりきっていた。
 前回の航宙時、以前から調子が怪しかったサブ・モータの一基が遂に昇天した。
 いつか換装せねばならなかった。その決断をまるで質の悪い政治屋の様に先送りにしていた挙げ句の決算はほぼ最低なものとなった。航宙の最終行程、寄港に向け減速、全力稼働中にアラートを発したそのサブ・モータは対処の間も無くそのままブローからスタンピードへ陥った。
 報告を受けたトスカは新任機関長でも無く、引き抜かれた熟練、トスカ組では珍しく子持ちの、だから家庭の事情から昇給を願い出、適わず離れていった前任でもなく、何より自身を恨んだ。引き継ぎを徹底させ、例え厭われようとも今のフネの機嫌について新任にあれこれちゃんと伝達していれば。ありもしない度量を、判った任せるで虚勢を張った挙げ句がこれだよ。
 メイン・モータを巻き込んでの爆沈という最悪の事態こそ辛うじて免れたものの、フネは半壊、負傷者山盛りで彼女のサイフはあっけなくはじけとんだ。
 星間事業者、“スター・バーズ”を仕切る協同組合、“ザ・パーチ”の会計窓口に顔を出す。屈辱だった。報酬の受け取り以外では決して近寄らない場所だったのに。
 そしてここだ。エルメッアのど辺境。ロウズ。
 大手運送の下請けだ。情けなさに涙ちょちょぎれる。パーチに首根っこ捕まれた鳥は無惨だ。星々を好きに渡り、では無くイヌに成り下がるしかない。
 しけた星だ。でも今の自分には相応しい、とも。
 渡航制限では無いが旅客には理不尽な重課税がなされ、実質、惑星住民はこの星に縛り付けられているらしい。
 重力井戸の底の人生。今の自分には想像することすら出来ない。
 規定のペイロードを受領し出航して間もなく、巡航に入る手前だった。
 騒動の現場に駆け付けると、人の輪が出来ていた。
 中心には少年が一人。
 ブランケットを被り、うずくまっている。
 積荷は、「精密機器」
 中に入っていたのは、今ではもう骨董品でしかない「コールド・スリープ・ベッド」だった。
 大昔、これを使って時間を距離に換え人は星海を押し渡ったという。現物を目にするのはトスカも初めてだ。
 カーゴルームで異音が発生し、発生源の荷物を特定しさてどうしようと打ち合わせていた目の前で、こいつはいきなり自分から開梱をはじめたらしい。パッケージが内部から裂け現れたベッドが開き、中から。

 目が、合った。

 おねがいします!と少年はそのすっぱだかのままトスカにすがりつく。
 僕を、連れていって下さい!できることならなんでも、なんでも!!。
 私を一目で見抜いた。と、トスカは別の事を考えていた。
 けっこう勘がいいのか。

 あれからそろそろ一年。
 ユーリは今、トスカの隣にいる。
 平の甲板員から、10年、場合によっては一生掛けても上がれない坂をここまで昇って来た。
 
 
 彼女にとって、それが少年との出会いであったなら、少年にとっては、この小舟こそが始まりの出会いだった。



押して頂けると作者の励みになりますm(__)m


目次 次話>>

作品を投稿する感想掲示板トップページに戻る

Copyright(c)2004 SILUFENIA All rights reserved.