ヒルデガルド・マーリンドルフが帝都にやってきて依頼、仕事の進みは確かに良くなった。
政治家のパワーバランスがマーリンドルフ家に傾いている点は問題ではある。
それでも、帝都の世情安定が先ず持って優先されるため、オーベルシュタインも受け入れた。
ラインハルトは口出しされる範囲が方針と反しない限りにおいては認める事とした。
「重要な部分に関しては、方針がほぼ決まったようだな」
「はい、と言っても手を付け始めたばかりですが」
ラインハルトは宰相の執務室でヒルダの報告を受ける。
実際、ヒルダの率いてきた官僚団は涙が出るほどありがたい。
何せ、もともとの帝国予算というものは頭が痛いものばかりだった。
中抜き、バックマージン等が当たり前に横行した結果、現場に行く資金が半分ならばまだいいほうだったのだ。
物によっては10分の1しか現場に金が来ないなんて言う事もあった。
もっとひどいものは、そもそも金を着服するために架空の予算を組んでいた等という事まであったのだ。
それらの行き先は、政治に関わる門閥貴族がほどんどで、敵対している現在それらは参加していた人間が着服するという事態になっていた。
それらを逮捕し、制度を改めなければならないため、殆どの法を改正する必要が出てくる有様だ。
ラインハルトももともとこれらを予想していたため、一定数の政治が行える部下はいるが、とても足りなかった。
だが……マーリンドルフ家に行政を握られるのが不味い事はラインハルトもわかっていた。
「さて、そこで一つ頼まれてほしい事がある」
「頼まれごとですか?」
「ああ、中立派と和解がなったおかげで、捕虜交換を行う事ができるようになった。同盟にはそれを通達している」
「はい」
「だが、捕虜交換を指揮する人材がいない」
「……私にやれと?」
「そのとおりだ、頼めるか?」
「……わかりました」
ヒルダはこれがマーリンドルフ家家臣団が、オーディンであまり力をつけないようにするための牽制である事を理解した。
だが、断れば追い返される可能性が高い。
何せ、乗っ取りを指摘されてもおかしくない立場だ、影響力が残せる事で満足しておかないと何をされるかわからない不安がある。
そこまで計算した後、ヒルダは了解した事を伝えた。
目の前のラインハルトが何か仕込みをしようとしているという事もなんとなくわかったが、何をしようとしているのかまではわからなかった。
「行ったか……オーベルシュタイン、いるな?」
「はい」
「捕虜交換は上手くいきそうだ、計画の方はどうだ?」
「リンチとその部下192人、仕込みをしてあります」
「ふむ、ではあちらはどうだ?」
「最大の秘匿性を持って計画を勧めています。
しかし、リンチらが反乱を起こした時には困ったことになりませんか?」
「いや、それは恐らく無い。あの男がいる限りな」
「……そこまでの男なのですか?」
「そうでもなければ、前回の防衛作戦が失敗するはずはなかった」
「確かに……」
ラインハルトはわかっていた。
普通の仕掛けは、今の同盟に、いやジュージ・ナカムラには効かない事を。
だからこそ、ジュージ・ナカムラが今まで対処した事のない仕掛けを用意した。
そう、今のラインハルトは今までのジュージのやり方を研究していたのだ。
「さて、罠は張った。対処出来るか見てみようじゃないか」
ギリギリの攻防、ラインハルトは今までに無かった緊張感を楽しみ始めていた。
ラインハルトはジュージをライバルと認めたのである。
銀河英雄伝説 十字の紋章
第三十五話 十字、原作崩壊を味わう。
入院から1ヶ月半後、宇宙暦797年になって半月ほど、リハビリも終わった俺はどうにか退院の運びとなった。
メディアのほうが煩く色々と嗅ぎ回ってきたが、短めの会見を開いてあらかた終わらせた。
アホみたいな質問もあったが、切り替えして笑い話にしてやった。
実際問題、スキャンダルになるような事は常に対処しているので表には出ていない。
勝利の立役者を落とそうというのだから、相当な覚悟なのか嫌がらせなのか知らんが。
彼らは同盟市民が勝手に叩いてくれるから心配ない。
「ゴクウ・プティフィス少尉、小隊を率い護衛に参上しました!」
「ご苦労。この車に乗ればいいのかね?」
「はい!」
養子であるゴクウはもう18歳、士官学校を卒業し、少尉任官を果たしている。
今は陸戦隊で小隊長となり俺の護衛任務が初仕事となる。
俺の養子だから特別扱いをされている可能性も否定できなため少し探りを入れたが問題はないようだった。
なんというか、フィジカルエリートというか、名前が影響している気がしないでもない。
熟練の陸戦隊員と同等かそれ以上だと言うのだから凄まじいものがある。
「まさか、こんなに早く俺の指揮下に入るとはな……」
「はっ! 志願した事もありますが、どうやら上の方としても都合が良かったようです」
ゴクウは任務中だから部下として俺の話に応じる。
しかし都合が良かったね、タイミング的に確かに俺に護衛がいないのは不味いとなるか。
ゴクウをよこしたのは、リベラル派に俺を護衛したいやつがいなかったとかそういう事かね?
出来ればゴクウを前線に出したくは無かったが。
少なくともカスパー・リンツは前回の事があるから、悪く思われてないと思うんだがな……。
「それで、俺はどこに行けばいいんだ?」
「はい、ドワイト・グリーンヒル大将から見つかったので統合作戦本部まで来てほしいとの事です」
「なるほど……ならば、寄り道を頼む。少しばかり一緒に来てもらいたい人達がいるからな」
「わかりました」
途中、俺が5年ほど前に保護した人物を3人程連れて統合作戦本部に向かう事にした。
連れてきたのは女が2人と男が1人、年代は40代20代10代である。
彼らは一様に沈鬱な顔をしていた。
だが、来てもらわねば困るし、彼らのためでもある。
統合作戦本部にある、本部長執務室。
最初にここに行く必要がある、3人には呼ばれるまで待機する様に言っておく。
護衛というわけではないが、不審に思われない様にゴクウを付けておく。
正直、グリーンヒル大将と2人で悪巧みと行きたい所ではある。
出来ればあまり会いたくはないが、会わないわけにも行かない。
この作戦には、政府と軍の全ての協力が必要なのだから。
「ジュージ・ナカムラ入ります」
「よく来てくれた。ジュージ君」
俺の目の前には浅黒い白髪の老人がいる。
年齢ははっきりしないが70代くらいか。
そう、シドニー・シトレ統合作戦本部長だ。
「それで、今回の作戦だが……本気かね?」
「はい」
「こんな事で上手くいくとは思えんが?」
「そもそも、彼らが色々と持ち込んでいたのは事実です」
「……確かに、確認させてもらった。恐ろしい計画だ」
「彼一人ならまだどうにかなるでしょうが」
「他にもいるというのかね?」
「はい」
既にグリーンヒル大将から資料の提供を受けている様だ。
まあ、シトレ本部長にとってはでっち上げで現実を上書きする事に抵抗があるのは当然だろう。
だが、でっち上げこそが皆にとって幸せである場合なんてザラでもある。
彼が折れれば大勢が救われる、その事は理解しているはずである。
「君はいつも軍のルールを逸脱する」
「そうしなければ、帝国に対抗できません」
「軍の規律はどうなる?」
「軍は何のためにあるんですか?」
「……わかっている、君の言う事の方が正しい。だが……特例は悪しき慣例と化す可能性が高い」
「それこそ、帝国に勝ってから心配すべきです」
「……」
「……」
シトレ本部長の言うことは正しい、それで勝てるなら俺の様な奴はいらない。
だが、それでは勝てないからこそ、逸脱した手段が必要になる。
もちろん、これ一つで帝国に勝てるというものでもないが。
同盟がよりひどい目に遭う可能性は少しでも下がるはずだ。
「私に言える事は、少なくとも帝国の作戦の一つを潰し、不名誉で恨みを持つ者達の気持ちを緩和させる事が出来るという事です」
「確かにな。わかった君が英雄としての名を使いそれを行うならば、特例措置として認めよう」
「……例外適用基準を狭くするという事ですか」
「その通りだ」
つまり具体的に言えば大将である事や戦争による手柄の量等を基準点とするということだろう。
大将という時点で適用範囲が少ないが、手柄を前提にする以上戦時中でなければ適用されず、かなりの手柄が必要だ。
そんな悪人がいないとは言えないが、それだけ貢献するなら悪人でも使うべきだろう。
「ありがとうございます。これで帝国の策を一つ潰せます」
「全く……君は変わらないな」
「私は帝国の臣民になるのは御免ですから」
「確かにな……今回の件は任せよう」
「はい、被害を出さずに終われる様、全力を尽くします」
こうして作戦を始める事になった。
グリーンヒル大将の執務室へと向かう事とする。
彼は統合作戦本部に詰めている訳ではないが、大将ともなれば当然部屋を持っている。
まあ、俺も大将に出世した以上部屋はあるんだが実はまだ来たことがない。
ともあれ、ノックをして返事を待ち入室する。
「よく来てくれた。感謝するよ」
「いえ、こちらこそお願いした事をしてもらえたんですから」
「ふふ、しかし私に言ってくれた事が嬉しいのだよ。
彼は惜しい人材だったからね」
「ですね」
そう、アーサー・リンチ少将はグリーンヒル大将が目をかけていた人材だった。
原作において、彼が救国軍事会議に走ったのも、同盟に対する失望だけではなく、リンチに対する信頼もあったのかもしれない。
だが、彼は既に全てに対して絶望しており同盟を巻き込んで盛大に散る事こそが慰めとなっていた。
つまり、彼をどうにかするには弱点のない今はどうしようもないと言える。
「で、彼がアーサー・リンチですか」
「そうです」
リンチの姿は無精髭がぼうぼうで、やる気の無さそうなものだ。
恐らくは、救国軍事会議を作る事に失敗した事により余計に無力感を感じているのかもしれない。
もっとも、彼はあくまで対グリーンヒル要員だろうから、他に向かっている人員も多いだろう。
恐らくは彼の元部下たち。
死んだ人間もいるだろうし、反対して参加していない人間もいるだろう、なので全員というわけでもないはずだが。
それでもかなりの数がいるはずである。
それを知るためには、リンチの協力が不可欠だ。
「はじめまして、アーサー・リンチ元少将」
「かの有名な英雄様が、俺なんぞに会いに来てくれるとは。一体何の用だ?」
アーサー・リンチは俺に対して怒りを向けている様だ。
まあ、予想された事態でもある。
何せ彼は原作において、同盟に自分が卑怯者と罵られ、妻が離婚して離れていった事を知らされ絶望した。
そして、その時の事で出世したヤンを憎んだ。
ならば、彼より2年ほど年下で大将まで出世している俺に対して嫉妬の感情を持っていてもおかしくない。
「なあに、お前さんに聞きたい事は単純だよ。元部下達がどこにいるか教えてくれないかね?」
「……そんなの知るわけねぇだろ」
「まあ、そりゃそういうだろうな。だから餌をやるよ」
「餌?」
「ああ。お前さんの過去を無かったことにしてやる」
「何を……」
リンチの顔がピクリと反応する。
そりゃそうだろうな、やり直せるならやり直したいはずだ。
だが、それが可能だなんて思ってもいないだろう。
だから疑う、そして俺に余計に怒るだろうよ。
「嘘を言うんじゃねぇ!! そんな事出来るはずだねぇだろうが!!」
「そうかな?」
「俺の過去は同盟市民全員が知っているんだ! 無かったことに出来るはずなんてねぇだろ!!」
「いいや、そうでも無いさ」
「どうやったら出来るっていうんだ!?」
「簡単さ。お前の敵前逃亡はエルファシル市民を逃がすためにわざとやったってことにすればいいのさ」
「ッ!? そんなの誰も認めるはずねぇだろ!!」
「そうかね?」
「あいつが、ヤンがいるだろ! それに当時の奴の部下達も認めるはずがねぇ!」
「それがそうでもないんだな」
俺はそう言って、モニターをつける。
それは超光速通信でイゼルローンにつながっている。
そして、その先にいるのはヤン・ウェンリーだった。
「なあ、ヤン・ウェンリー中将。アーサー・リンチの敵前逃亡は敵を引きつけるためで、お前はその事を聞いていたよな?」
『はい、しかしそれは軍機違反になるため報告を上げてはならない。そうアーサー・リンチ少将に命令を受けていました』
「そう言う事だよ」
「ま、まさか……」
俺が既にヤンに話を通していたのを驚いたのか、それとも実現が可能に見えてきた事に驚いたのか。
どちらにしろ、これで彼の心に揺らぎができたわけだ。
もちろん、この程度で彼の絶望が晴れる事はないだろう、根本の問題は解決していないのだから。
しかし、揺らぎが出たのは一端には触れたという事だ、どんどん押し込んでいくべきだな。
「心配しなくても、俺は政治にもメディアにも顔が効く。お前さんが少将に復帰するのも難しくない」
「そ、それは……。だが! そんな事で俺の人生が戻ってくるわけじゃねえ!」
「そうだな、お前さんの8年間までは保証できんさ。
だが、もう一つばかりプレゼントがある。
答えはそれを見てからでもいいだろう?」
「プレゼントだと……?」
俺は一度部屋から出て、待たせていた3人をゴクウに連れてこさせた。
そして、また部屋へと戻ってくる。
その間もグリーンヒル大将がリンチを説得しているようだった。
「さて、行ってやってくれ」
「……はい! あなた! お帰りなさいッ!!」
「パパ!!」
「父さん!」
「なっ!?」
そう、俺が保護していたのはリンチ少将の妻と子供達だ。
見つけるのに3年程かかったが、保護して俺の家の周辺に住まわせている。
狙撃回避のためにかなりの広さを確保しているので、今や周辺には低い家ばかり500件ほど建っている。
そして半数近くが、リンチ少将の部隊だった人達の家族の家だ。
そう、原作知識で知っていた俺はこの時のために可能な限り引き取ってきた。
そのままでは、彼らを受け入れる心理にはなれないだろうから、俺や関係者からリンチらの英雄譚を聞かせている。
離婚して逃げ出すほどに周囲に追い詰められていた彼女らを生活の面でも心理面でもサポートしつつ洗脳したわけだ。
そう、彼らの家族は今や捕虜となった彼らを英雄的行為の結果だと思い込まされているのだ。
「リンチ少将の英雄的行為のおかげで我らは助かっている。
復帰後はすぐに中将に出世されるだろう」
「まっ、まさか……」
「では、良いお返事を期待していますよ」
「わ……わかった」
妻や子が戻ってきて、更に彼女らが夫の事を信頼している。
その事実はつまり、俺が仕込みをした結果だという事を理解したのだろう。
俺の機嫌を損ねれば、折角戻ってきた妻や子がまた離れていくかもしれない。
それが、リンチ元少将の心理的トラウマを突く事になる。
彼はもう俺には逆らえないだろう。
悪辣だと理解しているが、リンチにとっても部下たちにとっても悪い話ではない。
社会復帰が可能になるし、家族も戻ってくるのだ。
これ以上望まれても逆に困るというもの。
救国軍事会議はリンチが部下を説得して回ればほぼ解決したようなものだろう。
「これで救国軍事会議は出てこないか、出てきても規模は小さくなるはず」
「救国軍事会議とは何ですか?」
「帝国が送り込んだ、同盟内の反乱分子だ」
「そっ、そうなのですか……」
俺は、統合作戦本部のロビーまで戻ってきていた。
後ろにはゴクウもいる。
人心地ついた俺だったが、ふと気になってロビーの大型モニターを見る。
何か、おかしな物が見えた気がしたからだ。
『我ら、同盟正統政府は、本日これより自由惑星同盟を自由惑星正統同盟とする事を宣言する!』
「はっ?」
そこに映っていたのは、コーネリア・ウィンザーの姿だった……。
あとがき
ジュージの仕込みが空振った瞬間と相成ります。
ラインハルトがジュージの能力を深読みした結果、2つの作戦を同時展開したという事ですね。
もちろん救国軍事会議もきっちり動いていますので対処が必要になります。
同盟正統政府のほうもあるので余計ややこしくなるわけで。
同盟はこれからてんやわんやになるかもしれません。
まだ深くは考えてなかったりしますがww
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