狼姫<ROKI>
煉獄
ライダーのジョーカーたる「王の軍勢」。
その力はアサシンを通して綺礼に、そして時臣に伝わっていた。
そして、ここにもまたライダーの力を覗き見た者がいた。闇の中で、恐怖を誘う眼光を細めながら。
『流石は英霊。人間とは比べ物にならんな』
余りにも光のとおらない空間のせいか、ここにいる者の姿は暗闇の覆われて全く見えない。
『あれほどの魂、如何な味が、真に楽しみだ』
光が無いため、視覚情報などは一切得られないが、お聞きの通り音声は現世と同じ要領で聞こえてくる。
しかし、声に混ざって何かを掻き回すような得体の知れないノイズが混在している。
『フォーカス』
『ハッ―――何の用だ?』
何物かが身体をうねらせながら呼びつけると、そこへ一人の騎士が姿を見せる。
猛禽の兜、銀灰色の鎧、ボロついたマントを纏った孤高のホラー剣士が。
『体力は十分に戻ったであろう。今一度その剣を振るうのだ』
『…………わかった』
最後の一言だけは、フォーカスは人語で了解を示し、暗闇の世界から人間の世界へと去って行った。
背後から聞こえる不気味な笑い声に、同じホラーとしてではなく、かつての何かだった者としての悪寒を感じながら。
*****
聖杯問答という規格外な催しは奇妙な形で終わりを迎えた。
セイバー陣営とデューク以外の面々は城から去って己が陣地へと帰っていき、あっと言う間に日の出の時刻となっていた。
切嗣はこの夜明けを境にアインツベルン城の破棄を決定した。
デュークが招きよせたライダーを筆頭に、キャスターやアーチャー、さらにはバーサーカーにまで踏み込まれたとあっては、流石に無傷同然とはいえ此処を拠点にし続けるのは危険すぎる。
その判断によって、アイリスフィール、セイバー、舞弥の3人は今朝早くから自動車に乗って深山町の和風めいた住宅街に向かっていた。
切嗣が第二の拠点として急遽に確保した物件らしく、買収するにあたって地元を締める任侠組と少し揉めたのだが、少し年が経てば笑い話となるであろう。
「運転の換装はどう?セイバー」
助手席のアイリスフィールが聞くと、
「素晴らしい乗り物です。これが私の時代にもあったらと思わずにはいられない」
運転席のセイバーが答えた。
セイバーにはクラス別スキルとして『騎乗:A』が与えられている。
このレベルにまでくると、幻獣や神獣を除いたありとあらゆる乗り物を操れるのだ。
したがって、乗り物の一種であり何の神秘も宿っていない自動車を運転することなど造作もない。
「それにしても、サーヴァントのスキルって本当に凄いのね。初めて触る機械なのに、あなたの操縦って完璧よ」
「私も、いささか不思議な感覚ではありますが、まるで遠い昔に腕に馴染ませた技術を振るっているような感じです。理屈で理解するというより、自然と次の操作が思い当たるのです」
と言いながらハンドルを操作するセイバー。
そこでふと思ったことがある。
あのとき、夜道でアイリスフィールが猛スピードで運転していた時のこと。
アイリスフィールは心の底から運転という行為を楽しんでいた。にも関わらず公道で車を走らせたのはあれだけ。にも関わらず、今朝は運転席を自分に譲った。
なにかあるのか、とも思ったが、優しい彼女の事だ――きっと褒美として、楽しみを分け与えてくれたに違いない。そうセイバーは明るく前向きに解釈することにした。
「ふと、思ったんだけど、どこかの闇市場で最新型の戦車や爆撃機でも買い付けてきて、あなたを乗せたら、あっさりと聖杯戦争が片付くんじゃないの?」
「面白い発想だとは思いますが。断じて言えます―――いつの時代でも、私の剣に勝る兵器はないと」
ライトな冗談を述べる主人に、ジョークを解しつつも自信満々に答えてみせるセイバー。
その答えを聞くと、アイリスフィールは期待通りとでも言うかのような表情である。
「それにしても、マイヤはますます深山町の奥に入っていきますが―――」
セイバーは自分たちが乗るメルセデスを先導するライトバンの操縦者の話題を振った。
「大丈夫なのでしょうか?その、新しい拠点にするという屋敷は、こんなにも戦場の真っ只中にあって」
「その点は、べつに不安がるほどのことじゃないわ。遠坂とマキリは堂々と市内に砦を構えているし、他の外来マスターにしても大方がそう。寧ろあんなに遠い場所に城を置いていたアインツベルンが異質なぐらいよ」
暗闘を大原則とする聖杯戦争において、地の利というのは霊脈のことを指し、戦略の事を言わない。
よって、多少町から離れた場所――それも人のいない場所は打って付けだったのかもしれない。
「むしろ所在を知られていないという点で、切嗣が用意したっていう新しい拠点の方が、以前の城より有利かもしれないわ」
「……」
途端、セイバーが黙り出す。
やはり切嗣との軋轢は簡単には埋まらない様だ。
「ところでアイリスフィール。デュークはどうしたのでしょうか?私は今朝から彼の顔を見ていませんが……」
「それが、私にもわからないのよ。多分、切嗣と会うのが嫌で、また単独行動をとってるんでしょうね」
「……」
またもや沈黙。
衛宮切嗣という男は、とことんナイトとは相いれないのだと、アイリスフィールの悩みの種となっていた。
などと言い合っているうちに、二つの車両は目的の物件に到着した模様である。
三人は車から出て、その和風屋敷を見やった。
屋敷の敷地をぐるりと囲み、黒い瓦が乗せられた塀。
二台の車のすぐ近くには、大きな木製の門が築かれている。
「ここが……ふぅん、風変わりな建物ねぇ」
近代化が進む現代社会の中にあっても古めかしさが錆つくように残る深山町。
此処ならばこの手の屋敷もあるだろうが、意外に敷地が広い。豪邸の手前とも言えるレベルだ。
しかも門を潜ってみれば、屋敷は荒れ放題になっている。どうみても十年以上は人の手が入っていない証拠だ。
もしかしたら、ここは曰くつきの物件なのかもしれない。そうでなければ、十年以上もの間、これだけの面積の土地を空き家一つに専有させる筈がない。
「お二人には、今日からここを行動の拠点としていただきます」
舞弥はそういってアイリスフィールに鍵束を差し出した。
「あ、それはセイバーが預かって」
「―――わかりました。アイリスフィール」
しかし、彼女は鍵の管理をセイバーに委ねた。
普通こういうことは家主の領分なのだが、セイバーは深入りすることなく素直に頷いて鍵束を手にした。
「マイヤ、この鍵は何でしょうか?ほかの物と随分違いますが」
シリンダー状の鍵のなかには、一つだけ古めかしい鋳造製の鍵が混ざっている。
「庭にある土蔵の鍵です。古いですが、立てつけに不安がないのは確認ずみです」
そうはいったものの、やはり屋敷の荒れ放題ぶりに顔を曇らせる舞弥。
「つい先日、名義を買い取ったばかりで、申し訳ないのですが、見ての通り何の準備もありません。生活の場には相応しくないかもしれませんが……」
「構わないわ。とりあえず雨風を凌げれば文句は言いません」
屋敷の内装は荒れっぷりを一考した。
高貴な一族の姫君がこんな場所に及第点を出すというのは、実に殊勝すぎることだ。
「それでは、私はこれで―――」
切嗣に別件の用を任されているのか、舞弥はライトバンに乗り込んで走り去っていった。
「さて、それじゃあセイバー、新居の点検といきましょう」
「はい」
残された二人は門の鍵を開けて敷地内に足を踏み入れた。
すると、屋敷の状況が仔細に視界へと入り込んできた。
「……この国なりの、お化け屋敷ってところかしら」
観方によってはそうなるかもしれない。
何年も放逐された和風屋敷というのは、それだけでホラーチックだ。
アイリスフィールは内心でこういう場所に憧れていたのかもしれない。
「あらセイバー?どうしたの?」
「いいえ。貴女が構わないというのなら、それはそれで助かる話です」
少しばかり呆れていたセイバーだが、この廃墟に令嬢が納得してくれるのなら、これ以上の事はない。
当のお姫様はというと、
「きっと廊下は板張りで、干し草を編み固めた床に、紙の間仕切りで部屋を分けているのよ。ウフフ、むかし日本のお屋敷を見てみたいっていう話したの、切嗣は覚えてくれていたのかしら?」
あの冷酷無慈悲で機械じみた殺し屋が、いかに妻の言葉とはいえ、この重要な戦況で真心を魅せるとは思えなかった。
しかし、姫君の上機嫌さをぶち壊すのは流石に気が引ける。
二人はその後、家中の隅々まで調べた。
殆どの場所には埃が溜まっていたし、塗装が剥げていた部分、内装や外装の板の一部が剥がれていたが、それは掃除と修理さえすれば何の問題もない。
しかし、ここで会話は一変する。
「期待していたほどの内容ではありませんでしたね」
「ううん、それなりに堪能したんだけどね。でも、魔術師の拠点として考えるとちょっと厳しいのよね、ここ」
物見遊山の気分であったかと思えば、きちんと戦略上のことも考えていたようだ。
痩せようが枯れようが、やはり一流の魔術師だ。
「結界の敷設は良いんだけど、工房の設置がねぇ……まぁこの国の風土からすれば仕方ないんだけれど、こうも開放的な造りだと、魔力が散逸しすぎるわ。とりわけアインツベルンの術式ともなると……う〜ん、困ったなぁ。できれば石か土で密閉された部屋が欲しかったんだけど」
その言葉に、セイバーは思い当たる節を鍵束から見つけた。
「マイヤの話ですけど、庭にも古い倉庫があるそうです」
二人は早速その土蔵の前に向かうと、セイバーが鍵を扉の穴に差し込んで開錠した。
古めかしく、そして厳つい金属の音を鳴らしながらゆっくりと扉が開放されていく。
そして、二人が目にした者は―――
――ずずず……っ――
「ぃよ、遅かったな」
能天気に日本茶を飲む魔界騎士の姿であった。
その瞬間、なんの備えもしていなかった二人はズッコケ掛けた。
しかし、そこはギリギリのところで踏ん張って見せた。
そして、
「「此処で何してる!?」」
気合の入ったツッコミが炸裂した。
だが、
「何って、お茶?」
ふてぶてしい態度で青年騎士が答え、湯呑を見せた。
「いや、そういうことを聞いているのではない!」
「何で此処にいるのよ?」
至極ごもっともな質問である。
「いやー、朝早くに出たはいいけどさ、ゲートの気配がなくてやる事もなくて……そしたら、もう此処しかないかなって」
「……それでずっとこの中で待ってたのね?」
「というより、どうやって土蔵に入り込んだのだ?」
「壁んとこに窓みてぇのがあっただろ?そこから忍び込んだ」
もう何も言えなかった。
一体どこをどうすれば、この猫みたいに自由奔放な騎士を制御できるのだろうか。
『すみません。止めたのですが……』
いや、多分無理だろう。
魔導具ルビネの哀しそうな謝罪の声を聴く限りは。
「まあ二人とも落ち着いて。折角中を片づけて待ってたんだからよ」
そういわれてみると、土蔵の中にある荷物らしき物は全て片隅にバランス良く積まれ、此処を使う者達の面積が多くなっているのを感じる。
「取りあえず、魔法陣だけは床に描いといたから、あとはお前らに任せる」
「え、えぇ……ありがとう」
床を確認すると、そこにはルーン文字が外周に書かれた六芒星の魔法陣がある。
ただここで暇をつぶしていたわけじゃないことを知り、アイリスフィールは戸惑いながらも感謝の言葉を紡いだ。
「じゃあ、早速準備に取り掛かりましょうか。セイバー、車に積んである資材を取って来てくれる?」
「はい。一通りここへ運びますか?」
「今は取りあえず、錬金術系の道具と薬品だけで充分よ。えぇと、確か……そう、赤と銀の化粧箱に纏めてあったはず」
「わかりました」
メルセデスのトランクに詰め込んだ荷物の一部のなかで、とりわけ小さくて軽い、それでいて慎重な扱いを頼まれた物の一つだ。
荷造りしたのは舞弥だが、セイバーも見覚えはあった。
セイバーが化粧箱を持ってくると、アイリスフィールはデュークが敷いた魔法陣を指さす。
「それじゃあ、水銀の配合からお願いしていいかしら。配分は私の方で指示するから、慎重に―――」
「アイリスフィール。一つ窺いたいのですが……」
生前のアーサー王は、魔術師マーリンという後見人のもとで魔術の基礎を学んだことがある。
魔法陣の設置の助力を乞うことは疑問に思わないが、
「今日の貴女は、なにか物に触れることを慎重に避けている節がある。私の気のせいでしょうか?」
「…………」
その問いに姫君は黙り、デュークも無言で様子を見ている。
「車の運転、鍵の扱い。この程度なら気に留めるまでもありませんが、肝心の魔術の実演まで、ご自身の手でなされようとしない。今日のあなたには、何か不都合があるのですか?」
どうやらその質問はアイリスフィールにとってかなり面倒な類のものだったらしい。
表情の気まずさと雰囲気の硬さから、その心境が読めてくる。
「もしも体調の不安なら、事前にそうと教えてもらわねば。いざという時、私は貴女を守るという務めがある。それ相応の配慮が必要になります」
「……御免なさいね。たしかに、隠してどうこうなるものでもなかったわ」
するとアイリスフィールはデュークに近くへ来るように言い、両手を二人に差し出す。
「ん?握手か?」
デュークはそう解釈してアイリスフィールの手を握った。
それを見たセイバーは、アイリスフィールの表情を見てその解釈で良いと判断し手を握った。
「今から二人の手を精一杯握るわよ。いい?」
「え、えぇ」
「どうぞ」
了承を得ると、アイリスフィールは両手に力を籠めだした。
だが、握られている方の二人は違和感を覚えた。
何故なら、彼女の手は痙攣するかのような動きをするだけで握力が伝わってこないのだ。
「ふざけてるわけじゃないのよ。今の私には、これが限界なの」
それを伝えられたとき、デュークとセイバーの表情が一変した。
「指先に何かをひっかけるのが精いっぱいで、掴んだり握ったりはできないの。おかげで、今朝は着替えるのに苦労しちゃったわ」
「い、一体どうしたのですか?どこか怪我でも?」
「いいや。見た感じ外傷はなさそうだぜ。あるとしたら……」
『内側に問題があるのでしょうかね?』
慌てふためくセイバーとは逆に、デュークとルビネは恐ろしいまでに冷静な態度を保っていた。
しかも、何かを射抜くような鋭い視線まで尖らせている。
「……実は、体調が悪くて、触覚を遮断してるの。間隔の一つを封じるだけでも、霊格をかなり抑えられるから、他の行動に支障をきたさないってわけ。こういう融通が利くのって、ホムンクルスの強みよね」
「そんな簡単に済ませていい話ではないでしょう!そもそも、体の不調というのは、一体なんなのです?手当が必要なのでは?」
「忘れているかもしれないけど、私の普通の人間ではなくてよ。風邪を引いたからって、医者に診てもらうってわけにもいかないの。この不調はまぁ……私の構造的欠陥とでも言うべきものだから、大丈夫」
そういわれると、セイバーは何も言えなかった。
アイリスフィールは自分の中にある”造り物としての自分”よりも”妻であり母である自分”という認識が、心の大きな支えになっていることは明確。
下手なことを聞けば、彼女の尊厳を傷物にしてしまいそうに思えた。
「だけど、セイバーとデュークには迷惑をかけるだろうけど……。今日みたいに、車の運転はセイバーに任せるしかないし、魔術の儀式にも手を貸して貰わなくなるわ。すまないんだけど、よろしく頼むわね」
私の騎士様、と付け足して貴婦人は僅かに微笑んだように見えた。
その赤い瞳には紛れもない覚悟の色が見えた。
「勿論です。こちらこそ、余計な詮索をして申し訳ありませんでした。お許しを」
「いいのいいの。――さあ、それより早く陣を完成させましょう。きちんと地脈に繋いだ魔法陣で休息すれば、私の具合もちょっと好転するはずだから」
「わかりました。それでは資材を取ってきます」
セイバーは快く化粧箱を持って来ようとした。
だが、
――スッ――
先にデュークが土蔵から出て行ってしまった。
腕を組み、きつく結んだ口元からは、普段の軽いノリが一切感じられない。
「デューク……?どうしたのだ……?」
何時もとは全く違う雰囲気を不思議に思い、セイバーは彼を呼びとめた。
「出かける」
「どこへだ?」
「野暮用だ」
「お、おい待て!デューク!」
セイバーの問いかけにも一言だけで済まし、さっさと屋敷の外へと行こうとするデューク。
セイバーは彼を追おうとしたが、
「いいわよ、セイバー。彼には、彼なりの考えがあるのよ……」
「アイリスフィール……」
主君が少し切なそうでいった言葉に、セイバーは思わず立ち止まってしまい、立ち去っていく騎士の背中を見送るしかなかった。
*****
その頃、雷火と雁夜はというと。
「やはり、俺なんかじゃダメなのかな……」
例の貯水槽の薄暗闇の中で胡坐をかいて座り、手にしている魔導筆を見つめながら溜息をつく雁夜。
どうやら昨夜のライゾン戦で満足のいかない戦いしかできなかったことに落ち込んでいるらしい。
死者じみた様相は元の人間らしいものに戻ったが、それでも痩せ細った身体と白髪のせいで見た目以上に疲労しきったかのように見える。
「いいえ。初めてにしては上出来でしたよ」
そんな雁夜を励ますのは、首から下を黒マントで覆い隠した闇の女騎士。
「如何に魔術使いとはいえ、魔導筆を持っただけで術は使えませんよ、普通はね。私の使い魔になったことで、貴方は普通じゃない力量を得たのです。気を落とすにはまだ早いですよ」
そう論して雁夜を元気づけようとする雷火。
「まあ、夜になるまで時間はありますし、また知識のダウンロードを昨晩以上に戦えるようになるでしょう」
「またあれか?」
「でなければ、短期で実力をつけることはできません。何せ我々は人道から外れた存在ですからね。……いえ、外れたからこそ、こうなれたのかも」
と、妖艶に微笑んだ雷火。
雁夜は立ち上がり、魔導筆の穂先を主人に向けてこう言った。
「やってくれ」
「えぇ、勿論ですよ」
雷火は雁夜に歩み寄ると、その手を取り強めに握った。
すると、彼女の袖の中の闇から雁夜の手を伝い、得体の知れないモノが雁夜の体内へと侵入していった。
「がッ……あァ……ぎィッ……!!」
まるで全身にくまなくブローを入れられたかのような痛みが雁夜を襲った。
だが、これしかない。才能のない彼が短時間で術を会得するにはこれしかない。
雷火が吸血鬼――死徒として甦ったのは5年前のこと。
そして、暗黒騎士になったのは、それから間もない頃のことだ。
さらに彼女は暗黒騎士となって尚、ホラーを狩り続け喰い続けた。
無論、憑依されていた人間諸共―――否、魔術師諸共に。
「刻印の移植は……今日は大体、こんなものですね」
雷火は魔性の力の塊、魔術刻印の流入を止め、手を放した。
雁夜は言葉もまともに発せられずに肩で息をし、その顔には疲労困憊の色が浮かんでいる。
「まあ所詮は他の血族の魔術刻印。剣を振るうことしか能の無い私では、持っていても宝の持ち腐れですし、丁度良かったのかもしれませんね」
雷火が喰ったホラーに憑依された魔術師たち。
彼らは皆それなりに代を重ね、価値ある魔術刻印を受け継ぐ者達だった。
だが、ホラーに憑依された挙句、喰われてしまった以上その力は捕食者に取り込まれていた。
「…………」
雁夜は漸く息が整ったのか、己が主人の姿を網膜で捉え、無言で何かを訴えかけている。
分身型の使い魔の知らせを受けて、吸血鬼はすぐに察知した。
「わかっています。……遂に来たのですね、私たちの所にも」
雷火は黒マントを脱ぎ捨てると同時に後ろを振り返った。
『…………』
そこにたたずむ騎士と目線が交差した。
「薄暗いとはいえ真昼間からホラーとは……。いいのですか?僅かとはいえ、光が差し込んでいますよ」
『問題ない。この程度の光なら如何にかなる』
「そうですか。……でしたら……」
雷火はソウルメタルの首飾りを手に取ると、首飾りにそっと口づけをして魔力を籠め、それを自らの頭上で回転させることで円を描いた。
ソウルメタルによって描かれた円形は門となり、妖しくも眩い光が雷火を照らし出す。
そして、
――ザンッ!!――
ゴングなど最初から鳴ることさえなく、戦いの火蓋たる剣戟が響いた。
銀灰と漆黒の騎士は、初撃の刃を一旦離し、間合いを取った。
方や、猛禽の兜に銀灰色の鎧。背中にはボロついたマントといった風貌をした孤高のホラー剣士。
『我が名はフォーカス』
方や、闇に堕ちたとは思えない程に優美な姿をしており、額についた刀刃の如き一本角、騎馬が露出していない口元、背中に着けられた雄大な黒いマント。
両肩、胸部、両肘、両膝にはメタリックレッドの装飾が施された、鎧全体には艶やかな金属光沢が冴えわたる。そして、金色の切れ長な双眸が眼前の敵を捉えて離さない。
「我が名は『鬼狼』―――暗黒騎士」
此処に、魔と魔、闇と闇―――血で血を洗う光景を予感させる対戦カードが組まれた。
――ジャキ……!――
フォーカスの籠手より伸びし魔双刃。
ギロの手に握られた両刃の長剣こと『煉獄剣』。
二つの獲物が、鳴った。
これこそが本当の戦いのゴングだと言わんばかりに。
*****
同時刻、暗黒騎士の妹たる紅蓮騎士はというと―――
「流石は征服王……って言えばいいのかしらね?」
『さてな。その問いに答えるのはワタシでもキャスターでもあるまい』
龍洞の最奥、大聖杯の間という聖杯戦争の根底をなす場所を拠点としているこの陣営は、守りに難く攻め易い立場にある。
しかし、それは聖杯の真実を知る御三家に対してにのみ有効な話だ。
何も知らない外来のマスターからすればよく隠された隠れ家程度にしか思われないかもしれない。
特に豪放磊落で正面から突っ込んでくる巨漢とか……。
「輪廻。これからどう動くのか、サーヴァントとして是非とも聞かせて欲しいのだが?」
「そうね。まずは今夜あたりは街をぶらついて、ホラー共が如何するのか、じっくり見せてもらおうじゃない」
不敵な笑みを浮かべながら、輪廻は言いきって見せた。
ここだけ聞けばさぞやシリアスな話題をしていると誰もが思うことだろう。
ここで―――
「ところで輪廻」
「なに?」
「そろそろ吹きこぼれそうなので、火を止めてくれ」
「はいはい」
―――ガスコンロ使って味噌汁を作っていなければ。
「もうすぐ出来上がる。茶碗と箸を用意してくれ」
「わかった」
忘れているかも知れないが、今はまだ朝といえる時間帯だ。
即ち、今作っている味噌汁(具は豆腐と貝類)は手早く済ませられる朝食という事になる。
会話の割には、やっていることは実に平和なキャスター陣営であった。
*****
南の番犬所。
そこにはデューク・ブレイブと、神官ヴァナルの姿があった。
「珍しいな。君の方から出向いてくるとは」
「まぁな。ほかに行くところも無かったんで」
互いに煙管と煙草の白煙を口から吹かしつつ、両者が向き合って会話している。
「……何があった?」
ヴァナルが吸い切った煙管の中身を取り換えて火を着け、再び煙を吸いだす。
すると、同じタイミングでデュークが吸い切った煙草を携帯灰皿に押し込み、「GOLDEN WOLF」という銘柄の箱から一本を取り出す。
そしていつも通り魔導火のライターを着火して、煙を吸って吐いていく。
「別に。セイバーんとこのアインツベルン……何かを隠してるもんでさ」
「御三家のホムンクルスならば当然だろう」
神官という中間管理職に就いているだけあって冷静で私情を抜いて発言するヴァナル。
その素顔を狐面で隠すように、本心さえも悟らせない。
「―――ところで、今宵にでも渡そうと思っていたが、そちらから出向いてくれたおかげでいろいろと手間が省けた?」
「そいつは一体如何いうことで?」
ヴァナルは番犬所の床に置いてあった真っ黒な箱を取りだし、その辺の台座に置いた。
その大きさや置いたときの音からして、温和なものが入っているわけではないらしい。
開けてみろ、とヴァナルに言われたデュークは、言われたとおりに箱へと近づいてその封を解いた。
「……これは……まさか……」
「そう、君の為に新調した得物だ」
箱の中に納まっていたのは、ソウルメタルで造られ白銀色に煌めくボディが特徴的な二丁の自動式拳銃。
「対ホラー戦闘用50口径自動式拳銃『魔戒銃』。全長は40p、重量は自由自在。」
「あの、銃身の下に変な溝があるんだが」
「そこに君が今持っている魔戒剣が嵌め込められるようになっている」
そう説明されると、デュークはコートから二振りの魔戒剣を抜き、魔戒銃のコネクタ部分と組み合わせてみる。
そうするとあっさりと銃身は魔戒剣を受け止め、見事な「魔戒銃剣」が出来上がっていた。
「専用弾は?」
「ソウルメタル製マグナム徹甲弾」
「補給は?」
「術式による自動転送型」
「硬度は?」
「例え戦象に踏まれても如何にかなる」
質問と応答を繰り返す双方。
デュークは聞きたいことを全て聞いたのか、新たな得物をコートの中に仕舞い込む。
「パー壁ってとこだな」
『よかったですね、ロック』
ルビネが角と顎を動かして主の喜びを共に喜んだ。
しかしそこへ、
「紫電騎士」
ヴァナルがデュークに向けてある物を投げ渡した。
「こいつは、火種か?」
「これからは二つ持っておけ。但し、無駄遣いはするな」
「……如何いうことだ?」
「例えその魔戒銃と魔戒剣が一つとなり魔戒銃剣になろうと、真の武器が狼銃剣である事に変わりはない。尤も、面白いギミックが追加してあるのだがな」
ヴァナルは何処となく楽しそうに述べると、また煙管を吸って煙を吹かした。
*****
薄暗い貯水槽。
――ガギンッガギンッガギンッガギンッガギンッ!!――
闇の魔戒剣が敵の刃と弾け合う。
『流石は孤高のホラー剣士。ヴァンプと此処まで張り合うとはな』
魔導具バジル。主人が鎧を纏って尚、腕輪として左手首に巻きつくウロボロスの如き者。
普段は口汚い彼がこうもあっさりと称賛するということは、それだけフォーカスの剣術が優れていることを証明している。
「ふーむ……ここ数年、これほどの使い手と会い見える機会はありませんでしたよ。久々に良い感触が味わえそうです」
『そうか。褒めてもらい感謝する―――だが、決して手を抜くことなくお前の心臓と首級を狙わせてもらうぞ』
「ふふふ。ドンと来いって感じですね」
ギロとフォーカスは楽しんでいた。
このやりとりを、この空気を、この剣戟を、闘争行為の全てを楽しんでいる。
(これが……本当の戦い、いや、殺し合い……!)
その様子を眺めていた雁夜は今更ながらに実感した。
これこそが決して表の光を浴びることのない闇の闘い。
自分が一つの祈りと願いの為に身を投じた世界の光景であると。
――ガギン!ガギン!ガギン!――
二度三度と続く壮絶な打ち合い。
二刀を巧みに操りテクニカルな攻めと冴えを見せるフォーカス、一振りの長剣を豪快かつ軽やかに振るい剣戟を捌いていくギロ。
両者の切り結ぶ速度と精度がより増していくことで、その戦い方の断片が垣間見えたかのようにも思えた。
――ドガッ!ガツン!――
さらには足蹴、頭突きなどといった剣を用いない肉弾戦まで合間を縫うようにして展開している。
まさにルール無用の一騎打ちに相応しい荒々しさを魅せる戦いだ。
『ハハハ!面白い、酷く面白いぞ!』
「私もですッ」
互いに興奮の度合いが強まっていく。
闘争本能が昂ぶれば自然と動きも活発になる。
だが、この域での戦いで熱を上げ過ぎれば逆にそれが敗北のきっかけにもなる。
故に二人は一度だけ距離をとり、次の一撃に力を込めた。
『魔炎邪装―――三日月斬!』
フォーカスが魔双刃を振るうと、まさしく三日月の形をした斬撃がギロ目がけて飛んで行った。
まるで罪人の首を跳ね飛ばすギロチンのようにゆるぎなく突き進んでいく。
ギロはその一撃必殺とも言える地獄の業火を形とした業に対し、
「―――――」
何のアクションも起こさなかった。
それどころか、手に持っている煉獄剣をダラりとぶら下げているだけの姿勢になる。
結果、
――ザシュっ……!――
――ガン……!――
首筋に直撃した三日月は、暗黒騎士の首と体を泣き別れさせたのだ。
首の入った兜が地面に転げ落ち、金属音を無機質に鳴らした。
「お、おい……ウソだろ……?」
雁夜は全身から力が抜けていくような思いをした。
あれだけの力を持つ吸血鬼が、無抵抗で死ぬ?一体なんの冗談だ?―――としか考えられなかった。
『そうとも。こいつは只のペテンだ』
だが、倒れた身体の腕にあるバジルが雁夜の言葉に反応して見せた。
「全く、勝手に喋らないで下さいよ」
「―――――っ!?」
聞こえてきたのは何と雷火の声。
雁夜は周囲を見渡したが、それでもその行動は無意味だと聴覚が言っている。
声は間違いなく、落ちた兜から聞こえてくるのだから。
首のない身体が独りでに起き上がり、自ら歩み寄って己が首を拾い上げてくっつける……などという異様な状況がここで発生した。
くっつけられた首はすぐさま身体に馴染み、顔を左右にキョロキョロさせているあたり、問題ない状態となったらしい。
『……人ではないという話は、まことらしいな』
ならば―――!
『半月斬ッ!』
再び刃を振るい、半月の形をした魔性の火炎がギロの胴体目がけて放たれる。
これも避けようと思えば避けられた筈……だが、
――ザグ……ッ!――
ギロは敢て避けなかった。
胸の中央、解りやすく言うと心臓あたりを起点にして真横に線を引いたかのように、彼女の身体は真っ二つになってしまう。
しかし、
「ですから、意味など大してありませんよ」
と、ギロが敢てゆったりとした口調で言い放った。
その言葉と同時に、鎧に包まれた身体の切断面から、何やら不気味な何かが這い出てきた。
まるで身体に流れる鮮血がそのまま魔物となったかのようなそれは、瞬く間に身体と身体を繋ぎ合わせ、接着剤のようにくっつけてしまう。
すぐさま立ち上がる暗黒騎士。そこには人間らしい要素が一切感じられない。
先程の言葉も、暗喩でこう言っているのだ。
”いく殺しても無駄だ”―――と……。
『……フン。ならば殺るだけ無駄か。今回はこれで引き上げることにしよう』
フォーカスは魔双刃をひっこめて、闇の世界へと舞い戻ろとした。
その時、
「少しお待ちを」
『…………なんだ?』
「なぜ、この場所がわかったのですか?」
『今お前らが知る時ではない。いずれ、全てが分かる時が来る……全てがな』
そうやって今度こそ、フォーカスは魔界へと姿を消していった。
ギロも鎧を解除し、聖雷火の姿に戻った。
「あんた…………本当にバケモノなんだな……」
雁夜は失礼と思いながらも、事実としかいいようのない言葉を紡ぐ。
「えぇ。吸血鬼ですから」
対して雷火は屈託のない表情で肯定した。
「でもね、雁夜さん」
しかし、そこへ何かを追加する。
「私は”人であることは捨てましたが、騎士であることは微塵も捨てちゃいません”よ♪」
その美貌に十分似合う笑顔と、可愛らしい仕草をしてみせると、先程述べられたバケモノという言葉が薄れて感じられる。
自分はほとほととんでもない奴に仕えることになってしまった、と思う雁夜であった。
「それにですね」
「今度は何だ?」
「こっちを満足させずにリタイアというのも申し訳ありませんからね」
誰の事を言っているかって?決まっている……。
「今度は貴方にも、きちんと活躍してもらいますよ」
「ゥゥゥ…………ゥゥゥ…………」
「……バーサーカー……」
暗黒と混沌は、まだ終わらない。
陰我が―――人々の黒い影がある限り、決して消えはしない。
次回予告
ヴァルン
「騎士と法師が光ならホラーは闇、ならば人間とは何なのか?
答え?それは自分自身の心に聞いてみるのが一番であろうな。
次回”狂宴”―――尤も、聞ける内容については自己責任で頼むがな」
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