狼姫<ROKI>
狂宴
「言峰綺礼。
彼は生まれながらの欠陥者である。
幼少の頃から父の璃正と共に世界中の宗教的聖地へと足を運ぶ、いわゆる巡教を行ってきた。
しかし、宗教を通しても彼の心に響くものはなく、父が味わっているような信仰の喜びを味わえなかった。
そこでありとあらゆる娯楽を、勉学を、運動をかじってみてそのどれかの中に自分を満たせる物はあるかと考えた。
だが、そこに答えはなく、自棄になって酒浸りになってもみたが、結果は変わらない。
綺礼はそんな自分の事を咎人だと考え、上手くいけば枢機卿にさえなれた筈のエリート人生を投げ打ち、敢て危険極まりない世界に赴く。
教会の裏世界――即ち聖堂教会。その中でも特に危険度が高く、高い戦闘能力が要される”代行者”となったのだ。
修行の日々は通常、辛く険しいものと表現されるが、綺礼からすれば修行と任務は己に対する罰であり戒めに過ぎない。
そうやって益体もない行為を繰り返すうちに、綺礼は模範的な信徒として一目置かれるようになり、望みもしない地位と名誉を得た。
そうして、最早これでは拉致が明かないと考えた綺礼は、最後の手段と言わんばかりに病弱な女性と結婚し、子供を設けた。
しかし、病弱な妻は娘を産んだことで一気に弱っていき、遂に最期の時を迎えることになる。
”私はお前を愛してやれなかった”
綺礼は無感情な声で妻に告白した。
”いいえ。貴女は私を愛しています”
妻は即座に優しく反論して見せた。
”ほら、貴女は今、泣いてるんですもの”
嘘か真かで言えば、嘘の類に入る言葉だった。
綺礼が涙を流したのは、妻の葬儀の際であり、看取る時には雫一つも流していなかった。
最も、妻が安らかな表情で天国へと旅立って逝った時、綺礼の虚無な心の縁の奥の、さらに深い深層意識から、何かが湧き出していた。
もっと、この女を■■■てから死なせてやりたい
目の前の妻の、■■そうな顔を見てみたい。
その瞬間から、綺礼は何かに対して否応なく否定的になった。
英雄王が是とする「愉悦」を、魂の喜びを。
そして、その在り処がどことなく解りはじめていた。
あのホラーが言っていた、魔物さえも忌避する己の陰我の形を……。
*****
間桐邸。
主人である臓研が消滅したことで、ここを仕切っているのは実質、バーサーカーのマスターとなった雷火である。
え?ワカメの親父?
それなら―――
”貴方ちょっとウザったいので眠っていてください”
”な、何だお前!?いきなり上り込んできておい…………”
――バタンッ――
そういわれると、ワカメの親父は突然黙り込み、千鳥足で寝室に入って行った。
”お、おい。何やったんだ?”
”あぁ、雁夜さん。魅了の魔眼を使って言う事を聞いてもらったんです”
というわけで、雷火と雁夜の邪魔をするものは最早どこにもいないのだ。
地脈的に雷火との相性は悪いが、マキリの血を継ぐ雁夜にとっては魔術的にも生活的にも最適なので、やはりここを活動の拠点としたのである。
そんな二人は今、かつては蟲蔵と呼ばれていた地下室にいた。
以前は薄気味悪い蟲どもが床を、壁を、天上を這いずり回るという生理的嫌悪感を誘うにはもってこいの場所だった。
しかし、今は臓研が死んだ上に雷火の使い魔として優れた術の使い手となりつつある雁夜の制御下にあり、その悍ましい姿は巣穴に引っ込めている。
よって、ここは今純粋な意味での修行の場として機能していた。
魔術の研究などではない、本当の意味での修行の場へと―――。
――チャポン――
「まあ一杯やってから始めましょうか」
「あ、あぁ……」
と、雷火が黒マントの中から取り出したのは、二つのグラスと血のように紅い赤酒。
実を言うと雷火は大の酒好きで、日に一度は酒を喉に通しておく主義なのだ。特に今持っている赤酒が好みらしい。
「しかしながら、輪廻は赤酒が嫌いなんですよね。折角同じお酒を飲めると思ったのですが」
あの聖杯問答の際、出そうと思えば雷火は赤酒を出していた。
しかし、あの時はイスカンダル、ギルガメッシュ、輪廻が各々の酒を持ち寄っていた上、自分は一番最後に宴に加わっていた。
とてもじゃないが空気を読んで出すのは止そうと思うだろう。
「というわけでこんなに余りました」
「つまり、残り酒を俺は飲まされるのか?」
「残り酒とは失礼な。そんな悪い言い方をすると、お仕置きしますよ」
「…………何だよ?」
少しながら戸惑ったが、敢て挑戦的に振る舞った雁夜。
しかし、一分と経たずに後悔することになる。
――パサッ――
雷火は袖から一冊のノートを取り出し地面に投げ打つ。
気になった雁夜はなんとなくノートを拾った。表紙にはどこかで見覚えのある文字が書かれている。
「ッ―――”暗き闇の魔剣士カリヤ・邪神覚醒編”―――!?」
その瞬間、雷火は申し合わせたかのようにこう言った。
恐らく、ノートの内容を読んでいるのだろう。スラスラと台詞が吐き出される。
「”俺の魔眼が、闇を、切り裂く……!”」
そして、
「うおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッッッ!!!!」
―――ビリビリッ!!――
黒歴史を掻き毟られた元中二病患者が、使い魔として得た筋力でノートをバラバラになるまで引き千切った。
「あらまぁ、何をするのですか?暗き闇の魔剣士さん」
「やかましい!失くしたと思ってたのに何であんたが持ってんだよ!?というか忘れろよ、忘れてくれよッ、頼むから!!」
「―――”血塗られた堕天使編”と、”漆黒の邪眼編”も、見つけましたよ」
「グハぁぁっっ!!」
因みに、これら闇ノート三冊は全て臓研の机の中に仕舞ってあったとか。
『ケケケ。痛い痛い(笑)』
まぁこんな感じで、意外とここは平和的であった。
*****
円蔵山の内部にある龍洞の最奥、大聖杯の間では。
「えっと、フィルムをこうして、感光剤をっと……」
撮った写真を自前で現像していた。
今この上なく事態が錯綜し、直ぐにでも大きな戦いが起ころうとしている状況で。
「…………」
だがキャスターは何も言わなかった。というか、何も言えなかった。
理由は簡単。
”邪魔する気?令呪使うわよ”
見事なまでに脅迫されたからである。
幾ら有利な状況とはいえ、こんなアホらしい動機で令呪を使われてたまるか。
『マスター』
「ん、なに?」
とここで魔導輪ヴァルンが聖輪廻に話しかける。
『現像し終えるまで時間はある。折角だから話でも聞いてみようじゃないか』
「……何の話を?」
『恍けないで頂きたい。―――好い加減、キャスターの素性を問いただしても良いのではないか?』
「…………」
やはり、とキャスターは思った。
当然だ。今までは輪廻のお情けによって見逃されてきたが、戦況は刻一刻と変化している。
そんなときに自らのサーヴァントの真名さえも知らないというのはバカげているにも程がある。
「……そうね……」
輪廻は手の甲に浮かんでいる三画の令呪をみやる。
能力ブースターであり絶対命令権であるそれを。
「じゃあキャスター、取りあえずアンタの経歴、オブラートに包むことなく喋りなさい」
「……断る、と言った場合は?」
キャスターは主人を試すために敢て挑発的な物言いをした。
すると輪廻は戸惑う様子など一欠片も魅せることなく、こう宣言して見せた。
「我が従僕、キャスターに己が来歴の開示を令呪にて命じよう」
男くさい口調で言い放たれたそれは、一画分の魔力と引き換えにキャスターの身体を駆け巡り蹂躙した。
「輪廻」
キャスターはもう言い逃れする気はなかった。
だがそれでも聞きたかったことが一つある。
「良いのだな?このような些末事にカードを切ったこと、悔いはしないのか?」
「今はこれが最善だと思っただけの事。大体、令呪は使うためにある消耗品よ。お守りじゃないんだから」
それを聞いたとき、つくづくこの女は”ツンデレあくま”に似ていると思った。
益体の無い用件で希少な令呪をあっさり使うこと。そして後々になってそれを愚痴ったりしない胆力を。
そう思うと、令呪でなくとも自然と話したくなってしまった。
今思う返すだけで腸で蛇がのた打ち回る様な、苦りきった地獄の記憶を。
*****
因みに、色々と苦労が絶えなさげなライダー陣営はというと。
「しかしまた、どういう風の吹き回しだ?」
「別に。ただの気分転換だよ」
まだ日が高い昼ごろ、ウェイバーとライダーは外を出歩いていた。
その理由は気分転換というより、書籍を探しに本屋を向かうためだ。
ただし、日本語を喋ることも読むこともできないウェイバーにとっての本とは、どうあっても英語で書かれたものとなる。
古き良き街並みがモットーの深山町でその手の一品は手に入らない。したがって大型店舗のある新都の繁華街に出向く必要がある。
それに何より、今自分の後ろを歩いている巨漢は、前々から現代の服装で実体化し、街中をぶらつきたがっていた。
今回の件で発散させて今後の勝手な行動を少しでも抑制したかったのもある。
「いいんだよ、オマエは何も考えなくて。というか、オマエも盛り場を出歩きたいってごねてたじゃないか」
「うむ。異郷の市場を冷やかす愉しみは、戦の興奮に勝るとも劣らんからな」
「……そんな理由で戦争を吹っかけられた国は、ホントに気の毒だよな」
実はウェイバーは今日の寝起き前、とある夢をみていた。
「なんだ、まるで実際に見てきたかのような物言いは?」
「気にしなくていい。こっちの話だ」
サーヴァントとマスターには霊的な繋がりがある。
以前、輪廻がキャスターの過去を垣間見たように、マスターがサーヴァントの記憶の片鱗を夢として見ることがある(その逆も然り)。
歩くこと数十分、ライダー陣営は新都駅の近辺にある商店街に辿り着いた。
目的地である大型の書店の周囲には数々の多種な店がある。
ライダーは玩具屋とか電器屋とか酒屋とかゲームセンターとか出店とかに興味津々である。
「―――征服するなよ。略奪するなよ」
「え?」
「え、じゃねぇぇよっ!もうっ!」
この常識知らずの巨漢にウェイバーは再びツッコム。
「万引きも、食い逃げも、一切なしだっ!欲しい物があったらきちんと金を払え!それとも令呪で言い聞かせないとわからないのか?」
「はっはっは。何を無粋な。マケドニアの礼儀作法はどこの宮廷でも文明人として通用したぞ」
その歴史的証言で何を安心すればよいのか全くわからなかったが、とりあえずウェイバーは財布をライダーに押し付けてさっさと書店に入って行った。
一階にはお目当ての物はなく、仕方なく二階に上がると、小規模ながらもきちんと外国人向けのコーナーが設けられていた。
大抵の書店ではこういうウェイバーのような観光客相手には薄っぺらい案内版レベルの本しか売っていないが、冬木には異邦人が多いため、彼らの為の配慮がなされているのだろう。
早速ウェイバーは気になっていた本を見つけ出し、手に取って読みだす。
その本の内容とは、とある一人の暴君の物語。彼の苛烈な生きざまと、それに魅せられた軍勢の物語。
それを読んでウェイバーは改めて思った。ライダーの野望は本物であると。「最果ての海」を観たいと言うだけの夢物語を。
暫くの間、本の黙読(立ち読み)に夢中になっていると、
「おお、いたいた」
褐色の巨漢がやってきた。
「そうチビっこいと本棚の間にいたんじゃ全然見えんなぁ。捜すのに一苦労したぞ」
「普通の人間は本棚より小さいんだよ馬鹿。――で、何買って来たんだ?」
ウェイバーはさっさと本を元の場所において何食わぬ表情で応答した。
そしてライダーは手に持った袋からある物を誇らしげに見せつけた。
「ほれ!なんと『アドミラブル大戦略IV』が本日販売であったのだ!初回限定版だ!フハハ、やはり余のLUCは伊達ではないな!」
イスカンダルには『軍略』のスキルがある故、この手のゲームでは必ずといっていいほどの好成績を残すだろう。
もっとも、こういうことにサーヴァントのスキルを活用するというのは、色んな意味を込めて残念な行為に当たるのだろうが。
「あのな、そういうのはソフトだけ買っても―――」
「問題ない、ハードも買ったしパッドも二つ買った!さぁ坊主、帰ったら早速対戦プレイだ!」
「ボクはな、そういう下賤で低俗なゲームに興味はないんだよ!」
しかも、この一分一秒の行動が勝敗を決する聖杯戦争において、テレビゲームが役立つとは到底思えない。
「あーもう、なんで貴様はそうやって好き好んで自分の世界を狭めるかなぁ……ちったぁ楽しいことを探そうとは思わんのか?」
「うるさいな!余計な事に興味を割くぐらいなら、真理の探究に専念するのが魔術師ってもんだ!ボクにはテレビゲームなんぞに消費していい脳細胞なんてこれっぽっちもないんだよ!」
「――んで、そういう貴様が興味を持っていたのはこの本か?」
と、ライダーがあっさりとウェイバーが立ち読みしていた本を引っ張り出す。
「ち、ちちち違わい!つぅか何で判った!」
「この一冊だけ逆さまになっていりゃあ、誰だって気が付くわ。――っておい『ALEXANDER THE GREAT』って……こりゃ余の伝記ではないか」
勘付かれた瞬間、まるで青春のバイブルを母にでも発掘されたかのような気恥ずかしさを覚えた。
「おかしな奴だなぁ。そんな真偽もわからん本なんぞアテにせんでも、当の本人が目の前にいるんだから、何なりと訊けば良いではないか」
「ああ訊いてやる!訊いてやるよ!」
こうなったらヤケだと言わんばかりにウェイバーは叫んだ。
伝記を取り上げ、とあるページを指し示してこんな問いを投げる。
「オマエ、歴史だとすっげぇチビだったってことになってるぞ」
「余が矮躯とな?そりゃどうして?」
「見ろよコレ!オマエがペルシアの宮殿を落としてダレイオス王の玉座に座った時、足が床に届かなくてテーブルを踏み台代わりにしたって書いてある!」
「ああ、ダレイオスか!そりゃ仕方ねぇわ。あの偉丈夫と比べたらのでは是非もない。――かの帝王はなぁ、その器量のみならず体躯もまた壮大であった。まっこと強壮たるペルシアを統べるに相応しい逸れ者であったよ」
身長2m50pのイスカンダルさえも認める巨漢。それは最早3mに匹敵する大巨漢でなくてはならない。
神代の偉人というのは様々な意味で現代人に喧嘩を売っている奴が多い―――そう思えてしかないウェイバーであった。
「……やはり何処の誰とも知れん奴が書き留めたもんなぞ、アテにならんものだな」
と言ってライダーが豪快に笑い飛ばした。
「違ってるなら違ってるで、怒らないのかよ?」
「ん?別に、気にすることでもないが―――変か?」
「いつの時代でも、権力者ってのは、自分の名前を後世に遺そうと躍起になるもんだろ」
そういわれると、ライダーは珍しく顎に手を添えてこう言いだす。
「そりゃまあ、史実に名を遺すというのもある種の不死性ではあろうがな、そんな風に本の中だけで2000年も永らえるぐらいなら、せめてその100分の1でいい。現身の寿命が欲しかったわい」
「……じゃあ、30そこそこで死んだっていうのは?」
「おう。それは、合っとるな」
今まで自分が想像してきた権威や王者とは全く違う物を魅せるイスカンダルに、ウェイバーは目線を少し反らしながら、何かの考えに更け込んだ。
*****
彼は只々、見つめていた。
肉体を失い、魂を写され、怨霊と成り果てて現世に甦った。
姿の見えぬ霊魂だけとなり、彼は自分の新たな主と旧き主の遣り取りを見据えていた。
とうにそんな理性など消えた筈だというのに、捨て去ったはずだというのに、彼は目の前の光景に何故か貴さを憶えていた。
一見すると笑いを誘う状況ではあるが、そこには戦場では得られない安らぎがあった。
そして何より、この光景が、二人はやはり人間なのだと思い出させてくれる。今となっては吸血鬼と、その使い魔となった筈の二人を、ふとそう思ってしまう。
いや、そもそも自分がこんな風に考え出したのは何時辺りだった
―――そうだ。……それは、あの夢を、あの記憶を見たときからだ。
*****
今から五年ほど前の事。
先代の紅蓮騎士ロキ、聖雷火は死んだ―――享年は25歳。
死因は実に単純で魔戒騎士らしいもの―――即ち戦死である。
強大なるホラーとの戦いの果て、魔物を滅殺した代償が相討ちという結果であった。
その最期は当時18歳だった輪廻に伝えられ、彼女を喪主として聖家と親交のあった騎士や法師たちが葬式に参加した。
そして、全ての葬儀が終了した翌日、回収された魔戒剣と魔導輪が輪廻に引き継がれ、ヴァルンとの契約やロキの称号は輪廻の物となった。
しかし、一つだけ輪廻には引っかかることがあった。
”……鬼怒川……”
”はい。なんでしょうか?輪廻様―――”
姉が死んでからの五年もの間、年に一度の命日に行く墓参りの際には、決まって呟いていた。
”本当に土の中の棺桶に姉さんの亡骸が入っているのか?”
確証も根拠もないが、墓石にはきちんと埋葬されたモノにある独特の雰囲気が無いように思えたのだ。
勿論、他人がそれを聞けば、大抵は姉を喪った悲しみ故の考え、とでも言うだろう。
だが、輪廻の直感はズバり的中していたのである。
聖雷火の遺体は密かに墓穴から掘り出され、南の番犬所の最奥部に運ばれていたのだ。
となると、当然ながらヴァナルが登場しないわけがない。
”鎧と剣は後継者に渡った。だが、彼女が熟す時まで、君にはまだまだ働いて貰いたい”
ヴァナルは物言わぬ死体と化していた雷火にとある秘薬を投与した。
そう、それこそが雷火が人間上がりの吸血鬼―――死徒に変貌させ、蘇らせた物。
こうして、聖雷火は第二の生を賜った。しかも、秘薬の投与から僅か半日で。
甦った彼女は、自らに置かれた状況の全てを神官ヴァナルから聞かされた。
その上で、彼女はこういったのだ。
”新たな鎧と剣を下さい”
それを耳にした瞬間、そうするはずだったヴァナル自身、自分の耳を疑った。
”理由ですか?……そうですね……、例え人でなくなっても、騎士でなくなったわけじゃありませんから”
さらに続けて、女騎士はこう言い放った。
”それに、私は人間であることを捨てても、人間の心と騎士の誇りは捨ててはいません”
これが決定的であった。
まさか、自分の意思とは無関係に人間を辞めさせられ、吸血鬼にされてなお、彼女のプライドは健在だった。
ヴァナルは要望通り、新たな剣と鎧を用意した。
無論、ソウルメタル製であるそれを造るのは魔戒法師と相場は決まっているのだが、使い手も知らさずに造らせたとなれば後々に禍根を残す。
そのため、ヴァナルは手ずから鎧と剣を一から作ることにした。
何を隠そう、ヴァルンを錬金し聖家に齎した彼の腕だ―――超一流の魔戒法師にも引けを取らぬ逸品を仕上げて見せた。さらには、ウロボロスを模した魔導具さえも。
”ありがとうございます”
三つの物を受け取ると、それだけ言って、雷火は番犬所から外へと出て行った。
恐らく、全てを承知した上で。
死人であり、ヴァンパイアである自分にはもう、闇夜しか居場所がないことを。
そして、運命とはどこまでも残酷に、一人の女に「闇」を押し付けた。
番犬所から出た雷火は、出来ることなら直ぐにでも聖邸に戻って輪廻と鬼怒川と再会したかった。
だが今の自分は物の怪の類であり、ホラーと同じく「喰う」ことでしか命を維持できない悍ましき存在だ。
だからこそ、雷火は敢て影の中へと潜って行った。真っ黒な道を往く。
故にこそ、彼女は戦いに身を投じた。
人間だった頃以上に、陰我溢れる地へと赴き、剣を振るい、鎧を纏い、ホラー達と倒し続けた。
しかし、それもまた彼女を深淵に落とす布石だったとしか、今となってはそう思うしかない。
二体の大型ホラーとの戦闘中、不覚にも雷火は鎧の制限時間、99.9秒を超え、100秒ジャストで片割れを倒した。
だが、魔戒騎士の鎧はソウルメタル製―――そしてソウルメタルの原材料はホラーの腕がマグマと融合し凝固した物質『ホラーの牙』だ。
それを解析して造られたとされるソウルメタルの鎧には当然ながら暗黒面があり、魔戒騎士は己が魔導力によってそれを抑え込んでいる。
魔界であれば無制限であるそれも、現世で100秒も纏えば、当然問題が発生する。
――ガギッ!バギッ!ボギッ!ベキッ!――
鎧が嫌な音を立てながら変形と巨大化を引き起こしていく。
全身に駆け巡り精神にまで侵食してくる、絶え間のない衝動。
剣を地に落としてしまった彼女の姿は、
――〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッッ!!――
ただの怪物と成り果てた。
「心滅獣身」―――鎧に籠められた魔界の力が暴走し、凶悪な力を装着者に与える形態。
尤もこの形態への変化は魔戒騎士にとって最も忌むべきものなのだ。なぜなら、この形態で居続けた場合、永遠に鎧を解除できない、つまり人間の姿に戻れなくなる可能性があるのだ。
こうなったら鎧の腹部に取り付けてある紋章を突くことで強制的に鎧を脱がせられるのだが、あの日あの時あの場所にそれができるものはいなかった。
だがしかし、「心滅獣身」の果てにある答えはもう一つある。
それは鎧から解放された闇の力に自らを喰わせ、強靭な意志を持って自力で鎧を強制解除することにある。
――〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッッ!!――
心滅獣身の怪物はその爪牙にてホラーをいとも容易く引き裂き喰らった。
その直後、
”―――ギィィィィィィィガァァァァァァァ!!――
怪物の巨大で恐ろしい姿は絶叫と共に一気に収縮していき、そこには一人の騎士が佇んでいた。
所々にメタリックレッドのアクセントが施され、黒いマントを風邪で棚引かせ、闇に堕ちたとは到底思えない優美な漆黒の鎧姿。
ここに暗黒騎士・鬼狼が誕生の産声をあげたのである。
*****
それが、私が垣間見てしまった彼女の過去。
人外となり闇の騎士となり、以来5年間をホラー喰いに費やしてきた短いようで長い時間。
通常の吸血鬼とは異なり、人間ではなく魔物の血を吸わねば生きていけぬ身体ゆえの宿命。
私の人生は正しい道を選ぼうとしても、どちらも本当に大切だと思うと決断さえも下せず、その結果として破滅を招いた。
こんな裏切りの騎士の新たな主君に、あれほどまでに誇り高い女騎士が現れるとは…………ある意味、これもまた運命の女神の悪戯なのかもしれない。
未だ聖君へと未練を捨て切れぬ狂獣の身ではあるが、せめて少しの間でも、聖雷火の為に仮初の命を捧げよう。
*****
時刻は過ぎ、黄昏時となった冬木。
燃えたぎるように赤々と光を放つ夕陽を背にしながら、何者かが未遠川にいた。
決して、川原にいただの、橋にいただの、ボートの上のいただの、というチンケなものではない。
何の道具も装備なく、水面に足を着けて佇む者がいたのだ。
『ん〜〜…………いい歪みだ』
まるで警察や軍隊における特殊部隊のような身形で全身を固めた男は、此の世ならざる者の声で言葉を発する。
『俺様の出番が漸く回ってきた。この戦場の空気を思う存分に楽しもう』
ホラーの足元からは真っ黒な波動が放出され、川に水紋を作りだす。
『今宵は寝ても覚めても忘れることのない宴になりそうだ』
人語で独り言を綴っていくそれは、戦火の匂いに心を震わせ、そして狂喜していた。
*****
時は少し過ぎ、まだ明るい夕焼けは黄昏に変わりつつあった。
薄ら暗くなった坂道を上る二人の外国人(肌の色と髪の色と背の大きさにかなり差異がある)が、帰路についていた。
ライダーもウェイバーも、本屋から出てきて以来ろくに会話を交わしていない。
というか、ウェイバーの方が一方的に口を閉ざしている状態と言えよう。
そろそろマッケンジー宅に到着しようという頃、好い加減ライダーが口を開こうとした、
その時だった。
「ほう。まさか、真昼間から出歩いていたのか?」
聞き覚えのある青年の声がした。
瞬間的に振り向くと、そこにはやはり、あの魔戒騎士の一人、デューク・ブレイブが佇んでいた。
「…………何の用だよ?」
「用って程のことじゃねぇさ。単にその辺をぶらりと散策してただけだ」
と、あっさりと言い放つデューク。
いざ考えてみると、この男もライダーほどではないが豪放磊落に生きている。
そう思うとなんだか今まで以上に話しづらくなる。
「というか、随分とまぁ時化た面構えだな」
「そうであろう。こやつ、本屋を出てからずっとこうなのだ。一体、何が不満だというのだ?」
すると、
「別に。オマエのこと、つまらない奴だと思っただけだ」
「なんだ。やはり退屈しとったのではないか。だったら無理をせずゲームをだな―――」
「いや、小僧の意見は別のベクトルに向いてるみたいだぜ」
その通りだ、とウェイバーは思った。
「そうだよ。こいつみたいな買って当然のサーヴァントに聖杯を獲らせたって……ボクには何の自慢にもならない!いっそアサシンとでも契約してたほうが、まだ遣り甲斐があったんてもんだ!」
「おいおい。小僧、お前が陰気くさい戦術をとるタイプじゃないってのは、既にいろんな奴が判ってることだぜ?自殺願望もいいところじゃないか」
「いいんだよ!ボクがボクの闘いで死ぬんなら文句ない!そう思ってボクは聖杯戦争に参加したんだ!」
つまり、ウェイバーから言わせれば、例え勝ち残ってもそれはイスカンダルの勝利であって自分の勝利ではない。
自分が主役になれない―――満足のいく勝ち方ができないことが逆に歯痒く感じた、ということになる。
「おい、ウェイバー・ベルベット」
「なんだよ?」
次の瞬間、
――バンッ!――
「ぐぅっ!!」
騎士の拳が、少年の身体を跳ね飛ばした。
「甘えるな」
殴り飛ばしたウェイバーを見下ろしながら、デュークは至極冷めた口調で言い切った。
「ベルベット。お前は知っている筈だ。俺たち魔戒騎士の生業――ホラー狩りを。あれは一戦一戦が命を懸けたものであり、決して負けてはならないものだ」
胸ぐらを掴まれ、怯えるウェイバーに構いもせず、デュークは言い続ける。
「いくら鎧があろうと制限時間に追われ、どれだけゲートを潰しても必ずホラーが現れ、零れていく涙がある。――それに比べてお前はどうだ?強大な英霊に守られ、安全を約束され、戦略次第では高確率で勝利を狙える」
「そ、それは……」
「何という贅沢、何という傲慢……まるで子供向けのテレビゲームだな」
「っっ!!?」
度重なる言葉の鞭。
抵抗を許さぬ言葉の中で、ウェイバーの怒りに火を着けるものがあった。
よりにもよって、自分が人生で初めて命を懸ける神聖な儀式を、テレビゲーム呼ばわりされたのだ。
嚇怒の眼差しを向けるも、しょせんは子供の僅かな反抗。100体以上のホラーを斬って来たデュークから言わせれば微温湯もいいいところだ。
「オマエに……オマエなんかに何がわかるんだよ!?力も素質も実績もあるオマエなんかに!これはボクが初めて自分の持てるモノを認めさせられるチャンスなんだぞ!」
「それが甘えなんだ。俺は長年の修行の末に魔戒騎士となり、ホラーを狩って来た。初めから完璧な奴なんていない。宝石は原石を磨かなきゃ輝かない。今お前が為すことはこの戦いの中で、自分が切り開く道を探す事なんじゃないか?」
「自分が、切り開く……?」
「それになベルベット。この第四次聖杯戦争がお前にとって、最後にして最大の正念場ってわけじゃない。クライマックスってのは派手である必要はない。肝心なのは、自分がそれを本当に大切だと思うことだ」
いつの間にか、胸ぐらを掴んでいた手は肩に置かれていた。
口調もどこか刺が抜けていき優しく諭していくものに変わっている。
「確かにな」
そこへライダーが頷き、会話に加わった。
「おい、坊主」
「ん?――って、ちょ!」
ライダーは突然、ウェイバーが背負っているバッグを開け、中から世界地図帳を取り出してページを開いた。
「見よ、余が立ち向かおうとする敵の姿を」
敵――それは紙に描かれた平面上の世界地図。
「ここに、余と貴様の姿を描いてみよ。余と貴様と二人で比べられるように」
「そんなの―――」
「無理であろう?どんな細筆でも無理だ。針の先ですらなお太い。描きようがないのだ―――これより立ち向かう敵の前では、生きとし生ける者は全て極小の点でしかない」
暗にライダーは言っている。世界全体の視点で言えば、個人個人の特徴の比べ合いなど、何の意味も持たないと。
「だからこそ、余は滾る。至弱、極小、大いに結構。この芥子粒にも劣る身で以て、いつか世界を凌駕せんと大望を抱く。この胸の高鳴り……これこそが征服王たる心臓の鼓動よ」
「――つまり、マスターは誰でもいいってことか。ボクがどれだけ弱かろうと、オマエには関係ないんだな」
「なんでそうなるんだオイ」
ライダーは相も変わらず能天気そうな声を出しつつ、ウェイバーの背中をビシっと叩いた。
「貴様のそういう卑屈さこそが、即ち覇道の兆しなのだぞ。貴様は四の五の言いつつも、結局は自分の小ささをわかっておる。それでなお、分を弁えぬ高みを目指そうとしているのだぞ」
「それ、褒めてないぞ。バカにしてるぞ」
「そうとも。坊主、貴様は筋金入りのバカだ。貴様の欲望は己の埒外を向いている。『彼方にこそ栄え在り』といってな、余の生きた時代ではな、それが人生の基本則だったのだ」
「だからバカみたいに只管東に遠征を続けたのかよ?」
「ああ、そうだ。この目で『最果ての海』を観たくてな。だが結局、夢を叶わなかったわい」
その言葉を聞いてウェイバーは気づいた。今朝がたに見た夢の意味を。
目指すべき場所を遂に征したかのようなあの風景は、イスカンダルの記憶ではなく、イスカンダルの願いそのものだったのだ。
他者にも夢として印象付けるほどの強烈な祈りであり望みでもあったのだ。
「いいんじゃないの、別に叶わなくてもさ」
と、ここでデュークが口を挟んできた。
「夢って奴はさ、そんな簡単に叶っていいものか?子供の頃の俺の夢は、一人前の魔戒騎士になることだった。そして、今それは叶っている。じゃあ、俺の夢はここで終わりか?いや、終わってなんかいない。これからまた始まる」
闇色へと近づいていく空を見上げながら、デュークは坂道に着けられているガードレールに歩み寄っていく。
「イスカンダルみたいにデカすぎる夢を俺は持てない。だから、俺は夢から夢へと飛び移る。今の俺の夢は、少しでもいいから誰かの笑顔を守って、それを影で見ることだ」
デュークはガードレールの上へと乗り、両手を大きく広げて眼前に広がる街並みを見渡していく。
「そして、俺が守ったものはこんなに価値があるんだって、それを誰かに知ってもらうことだ」
そう語るデュークの瞳には一切の邪心はなく、幼い子供のような無邪気さと純粋さだけが映っていた。
その瞳に宿る光を見て、ウェイバーもイスカンダルも、デュークの持つ夢を―――引いてはデューク・ブレイブの本質に触れた気がした。
「だからベルベット、イスカンダル程とは言わないが。デカすぎる夢を持て。夢こそが、魂を腐食させない一番の薬だと思うからよ。……それに―――」
デュークはバランスを保ったまま器用に後ろに振り向き、ニヒルな笑顔で告げた。
「お前らさ、意外と名コンビに見えるしな」
そこには嫌味も皮肉もなく、ただ単純な感想があった。
それ故に、ライダーも自然とニンマリとした表情になった。
「ははは。全くだ。坊主もバカ、余もまたバカ。なればこそ、この契約がまっこと心地好い」
「…………」
自分とは全く違う価値観で物を言う二人の男。
だがウェイバーの耳には、こいつらの言葉には飾り気のない、ありのままの気持ちが現れており、だからこそ魅力的にも聞こえた。
『―――ロック』
唐突に、これまで黙っていたはずのルビネが角と顎を揺らして話しかけてきた。
「うッ……!?」
ウェイバーも励起させていない筈の魔術回路が疼くのを感じた。
ライダーも、街に漂う異様な空気に勘付いたようだ。
「大気のマナが乱れてるようだな。おい、ルビネ。邪気の元手はどこにあるか、わかるか?」
『はい。この街の中央に流れる河川からです』
「河、か……」
*****
冬木市の中央に跨る未遠川。冬木大橋なしでは容易に新都と深山町との行き来をできなくするほどの大きな川で、その大きさはちょっとした船が航行できるほどである。
既に日が沈みきった頃、かつては龍神にも例えられた河の中央で、何者かが大量の邪気を垂れ流しにしていた。
無論、垂れ流しにしているだけあって隠匿などは一切行われていない。当然ながら神秘に関わる者なら嫌でも察知できるほどの邪気が河に蔓延している。
――ギュリリリィィィィィ!!――
そこへ白銀の高級スポーツカーのメルセデスを荒々しくも完璧な騎乗スキルで乗りこなし、ドリフトを決めながら停車してみせたのはセイバー陣営の二人。
一番乗りした剣の英霊と銀髪の貴婦人は急いで車から降り、土手の坂を上って河の様子を目にした。
「あれって、やっぱり……」
アイリスフィールは水面にて直立している者を見て、戦慄にも似た感情を乗せた声を出す。
「えぇ。奴もまたホラーに違いありません。しかもこの夥しい程の邪気―――確実に大がかりな仕掛けを打つ気です」
二人が会話していると、軍部や警察の特殊部隊のような格好で全身を固めたホラーが視線を二人に向けた。
『ほほぉ。女騎士が来るかと思えば、英霊様のご到着か。――ま、女騎士であることに変わりないか』
「魔物め、今夜は何をしでかすつもりだ!?」
セイバーはすぐに声を荒げてホラーに問い質した。
問われたホラーは邪気の流れを止め、安っぽい演技のような動きで頭を下げてからこう名乗って見せた。
『俺様の名はレライハ。この地に我が同胞を招待することが、この俺様が仰せつかった仕事』
「なんだと!」
『まあ、邪気は溜まったことだし、今宵の宴の主役に登場してもらうとしようか』
レライハは殆どセイバーのことなど眼中にないようで、彼女の言葉を半ば聞き流している。
彼の足元は既に邪気でドス黒く染まり果て、そんじょそこいらの映画など太刀打ちできないほどに恐ろしい光景を醸し出している。
そして、遂にそれはレライハの背後から巨大な水飛沫をあげながら出現した。
『It's a Showtime!!』
レライハが両手を大きく夜空へと伸ばしたと同時に、それの姿が露わになった。
「「―――――ッッ!!?」」
それは大きく見上げねば全体を見渡す事さえできない程の巨人。
6本もの屈強な腕を備えた闘いの神・阿修羅の如き姿。しかし、その形相は阿修羅というより魔王といっても差支えない程の恐ろしさがあり、胴体に至っては髑髏のような顔型が浮かんでいる。
『さあ、ヘカトンケイル!お客人方を持て成してやろうぜ!』
ギリシャ神話において「百の手」と異名された巨人の名を冠した超大型ホラー。
レライハがこれを呼び出すために垂れ流した邪気が濃霧のような状態となってくれなかったら、確実に市井の目にホラーの姿が触れ、神秘の秘匿どころではなくなるだろう。
実際、濃霧では遮ること叶わない距離にいたであろう一般人たちに混乱に満ちた悲鳴が鼓膜を揺さぶってくる。
『〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!』
人間語でも魔界語でもない、ケダモノそのものな絶叫を上げ、ヘカトンケイルは全身に力を漲らせていく。
その様子をレライハは満足そうに見上げると、
『では、俺様はここで一旦退場だ』
「待て貴様!ここで逃がすとでも―――!」
セイバーがダークスーツから鎧姿に早変わりしたと同時に、レライハは闇の中へと姿を消していった。
みすみす敵を取り逃がしてしまったセイバーは思わず舌打ちしたくなる気持ちを抑えつつ、今できる最善を考慮する。
だが、考えても考えても、手持ちのカードの中でヘカトンケイルを打倒しえる手段が見つからない。
「奴らを侮っていました……まさかこれほどの怪物が出張ってくるとは!」
「これが、悪魔や妖怪の伝承を残した、ホラーという存在なのね……」
セイバーもアイリスフィールも、声音に隠しようもない畏怖を露わにする。
そこへ、
「あら、一番乗りはあんた達だったみたいね」
『マスター。少しは緊張感を持ってくれ』
「右に同じだ」
聞き覚えのある声が三つ。
「魔戒騎士、キャスター」
「こんばんわ、騎士王。ちょっと目を離した隙に、連中随分と好き勝手にやらかしてるようね」
いつも通りの長い黒髪と両の横髪を縛る紅い紐、黒い浴衣型の魔法衣、手に持った日本刀型の黒い魔戒剣。
外見的には何一つとして変わっていない彼女だが、今の聖輪廻の雰囲気は昼間とは明らかに違うものがあった。
『マスター、お喋りしている暇なぞ無いぞ。直ぐにでも奴は活動を開始し、人間たちを喰らおうとするだろう』
「わかってるわよ。そんなこと、絶対にさせない」
そこには意地があった、信念があった、矜持があった。
例え見返りも賛辞もなくとも、自分で歩むと決めた道を突っ走る。
魔を戒める―――守りし者として。
「キャスター。今夜はたっぷり働いて貰うわよ」
「言われずともわかっている。寧ろ、漸くサーヴァントとしての職務を全うできそうだ」
今まではパシリやサポートに徹されていた分、色々と鬱憤にも似た何かが溜まっていたのだろう。
赤い外套をはためかせ、キャスターがその身に力を入れていく。
そんな中へさらに、
――ビリビリビリ!――
二頭の牡牛の引かれて爆走する戦車。
それを駆るのは当然ながら、
「よぉ、騎士王に魔戒騎士。良い夜だ、と言いたいところだが、どうやら気取った挨拶を交わしておる場合じゃなさそうだな」
「征服王……貴様またしても性懲りもなく、戯言を垂らしに来たか?」
「おいおい、セイバー。流石のこいつでも、この空気が読めないわけじゃないぞ」
ライダーに敵意をむき出しにするセイバーに、共に御車台に乗っていたデュークがそれとなく宥めた。
「それに、あんなデッカイのがいたとなれば、尚更だろ」
「全くその通りだ。さっきから、あ奴をどうにかするために方々で呼びかけをしている。ランサーは承諾した。じきに追いつくだろう」
「ふーん。で、姉さんの方は?」
「おう、それなら―――」
「便乗させてもらっています」
と、気品に満ちた女性の声がすると同時に、その姿を御車台から現した。
黄鉛色の瞳、黒い袖なしハイネック、黒いロングスリットスカート、黒い絹の手袋、ソウルメタルの首飾りをした黒くて長いポニーテールの美女。
「バジルが邪気を感じて飛び出したところをライダーと鉢合せしましてね」
『一番最初にお誘いしてもらったってわけだ。因みに、ランサーんとこの常時イケてない奴、こんな時にまで教え子をイビろうとしたんだぜ?ホント、恰好悪いよな』
「余計な御世話だ!」
バジルの余計なお世話とやらを聞いて顔を真っ赤にしたウェイバーが怒鳴り声を上げる。
「おい、今はこんな言い争いしてる場合じゃないだろ」
そんな緊張感もへったくれもないタイミングでもう一人の便乗者が御車台から顔を見せた。
「貴方、もしかして、間桐雁夜?」
「……あぁ。そうだよ」
戦争直前の際にアインツベルンの城にいたとき、切嗣が使っていたファックスによって送られたマスターの資料の中には雁夜のことも載っていた。
写真で見た際は黒髪で肌も黄色人種らしかったが、今は髪も肌も真っ白で人間味が薄れている。
「……姉さん、まさか……」
「察しが良いですね、輪廻。流石です」
輪廻は勘付いた。魔術使いと魔戒法師の素養を併せ持つ彼女は、一目見ただけで雁夜の状態を見抜いた。
というとり、聖雷火がバーサーカーの令呪を所持していることが何よりの証だ。
『よもや、その男を使い魔にしたのか?』
『おうよ。きちんと取引をした上で―――合意の上でな』
魔導輪と魔導具の会話を聞き、一同は少しだけ沈黙した。
生きた人間を使い魔として扱う、それはどう考えても外道の行いである。
特にセイバーやキャスターあたりは厳しい視線を雷火に向けている。
「こいつを責めないでやってくれ。俺は、俺の望みを叶えてくれたこいつの条件を飲んだだけだ。だから、これでいいんだ」
当の雁夜がそう言うと、セイバーとキャスターは視線の鋭さを少し削ったように目付きを変える。
「というか、今は全員が協力してデカブツを倒さなくちゃいけないだろう。何か策はないのか?」
そう雁夜が話題を振って今ある現実に皆の目を向けさせる。
確かに今はヘカトンケイルを倒すことを最大の目標に設定すべきだ。
このまま野放しにしたら、確実に聖杯戦争は瓦解してしまう。そうなっては全てがアウトだ。
「そうねぇ……兎にも角にも、総員で奴を速攻で倒して絶対に川岸にあげないこと。そうでなきゃ、あいつは無遠慮に食事を楽しむわ」
「そうだ。決して奴を野放しにしてはならない」
輪廻の言葉が途切れた直後に、爽やかな男の声がした。
「ランサー」
「我がマスターは今回の共闘に許可を下さった。魔物どもが如何な思惑を抱くのかは知る由もない。だが、罪のない民を喰らう真似は是が非でも阻止する」
二槍を手にしながら、その美貌に微笑を浮かべる。
そこへさらに、
「頼もしいことだぜ。じゃあまず先鋒は、俺たち魔戒騎士、それから騎士王と征服王って感じでいいか?」
「構わんが……余の戦車に道を要らんから良いとして、貴様らとセイバーはどうする?」
デュークがそういうと、ライダーが至極真っ当なことを言う。
「心配するな。俺たちの道は雁夜って奴に作ってもらう。ここに来るまでの間、こいつが今なにが出来るか、ちょっくら聞いといたからな」
「…………」
雁夜はその言葉で自分に大きな期待がかかっていることを自覚し、無意識に表情が引き締まっていく。
「それに私も湖の乙女より加護を授かっている。何尋の水であれ、我が歩みを阻むことはない」
「ほう、それはまた稀有な奴……ますます我が幕下に加えたくなったのぅ」
『ライダー。勧誘なら後にしてください。今はまず、あの化け物を倒すことに集中してください』
「ハハ、然り!ならば一番槍は頂くぞ!」
ルビネにそう諭されると、ライダーは豪笑と共に牡牛に鞭をやり、雷鳴高らかに空へ、そして魔獣へと駆けていった。
まだ心の準備が出来ていなかったウェイバーの悲鳴にも似た声が聞こえはしたが、今は無視しよう。
「…………それじゃ、行くぞ」
それを見た雁夜は、すぐさま己の役割を果たすべく、懐から魔導筆を取り出して手に取り、念を込めながら呪文を詠唱する。
「サヤヲ、リナソトソゾレ、ビョルザオゾコシニキコアメ!」
魔界語を呪文の詠唱とし、魔力を魔導筆に籠めると、まるで素振りでもするかのように穂先を水面に向けて振るった。
ブン、という風を切る音が聞こえた直後、
――バキバキバキバキバキッ!!――
未遠川の水面が瞬く間に凍って行った。
その様子はまさに氷の道―――長野にある諏訪湖が冬の時期に見せる御神渡りを連想させる光景である。
「…………すご」
もっとも、この状況を造り出したご本人は、このような感想を漏らしていたが。
どうやら今の自分の実力がつい此間のそれを遥かに上回ったことに感銘を受けているのかもしれない。
「さて、これで道はできた。あとは突っ込んでいくだけだ」
デュークはコートから二つの魔戒銃剣を取り出した。
その表情はこれから始まる闘争に向けて実に生き生きとしている。
「そうね。偶にはドデカく派手な花火を打ち上げましょうか」
輪廻も鮮やかな手つきで黒鞘から魔戒剣を抜刀して見せる。
「雁夜さん。別名があるまで、バーサーカーと一緒に待機していてください」
「……あぁ」
「…………」
首飾りを手に取り口づけをして魔力を灯す雷火。
短い返事をする雁夜と、実体化しても暴れることなく沈黙したままのバーサーカー。
そして、剣、銃剣、首飾りの三つが、頭上に門を描く。
境界より溢れる神秘の光―――それと共に三種の鎧が召喚され、三人は真の魔戒騎士となる。
さらに狼功は狼銃剣を、狼姫は断罪剣を、鬼狼は煉獄剣を振るう。
横線を二本、縦線を一本引くと、中央に横線が伸びた。切っ先は下から横へ、横から上へ、上から横へ、横から下へと一回転し、四本の線を円を囲む。
そうやって出来たのは門のような紋章。それを開くかのように三つの刃が振り下ろされた。
門から溢れ出る神々しい光。
それが治まった時、一同は新たな神秘を見た。
『『『ヒヒィィィン!!』』』
ロキ、ロック、ギロはそれぞれ馬に跨っていた。
メタリックレッドの装甲で全身を覆い、青い鬣と尻尾を生やし、頭にはユニコーンのような一本角がある馬・響赫。
紫色の機械的な装甲で全身を覆い尽くしたメカニカルな姿をした馬・紫電。
漆黒の装甲で馬体を包み込み、バイコーンのような二本角を生やした馬・叢雲。
これらは獣の亡骸にホラーを封印して造り出された魔戒獣。
その中でも100体のホラーを倒した者だけが受けられる試練をクリアして初めて得られる力。
心の魔界より生まれし力―――魔導馬である!
「行くぞ!狼煙を、上げるわよ!」
次回予告
ヴァナル
『大きな戦いの影には小さな戦いがある。
例え、どれ程ちっぽけな戦いであろうと、男は拳を握りしめる。
次回”射手”―――この戦いに本当の勝ち負けはあるのだろうか?』
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