8話 拳と水と逃げる言葉
「おもしれー力使うな、お前。いっちょ俺様ともやってみようぜ」
殴り飛ばされ、吹っ飛んで行ったナギから視線を外し、ナギを殴り飛ばしてそう言った、彼の仲間だろう金髪褐色肌の大男――何と言うか、雰囲気的に暑苦しそうな男だと感じる――に昴は水の膜に籠ったまま目をやる。
頭に紅いバンダナを巻き、上半身裸に袖部分に金属環を付けた薄手のジャケットを直接羽織った筋骨隆々としたその男は、ナギを殴り飛ばしたことに何とも思っていないらしい。ただ興味深そうな、面白い物を見つけたという表情で昴を見ている。
「貴方は……?」
そんな男に、昴は訝しげな視線を向けて問いかける。自分はナギのストレス発散の為のケンカ(全然発散にはならず、寧ろ逆に増加させていたが)に対していたのだが、この男はそのナギを殴り飛ばして乱入してきたのだ。気にもなるだろう。
ついでに言えば、殴り飛ばされたナギも少々心配だ。自分の見間違いでなければ、先の一撃は彼の脳を揺らす様に綺麗に入っていた。
チラリと、目線だけをナギが飛ばされた方へ向ける。視界の端に映った彼は頬を摩りながら、自分とラカンに恨めしげな視線を向けていた。綺麗に入ったあの一撃で気絶すらしていないとは、呆れた頑丈さだ。
「俺かい? 俺はジャック・ラカン。南じゃ滅法有名な無敵の傭兵剣士さ。ま、ジャックでもラカンでも好きなように呼んでくれや」
「ジャック・ラカンですね……はい、覚えました。では、好きなように呼んでいいのでしたらジャックと呼ばせて頂きますね。
あぁ、申し遅れましたが私は……」
「昴ってんだろ、ナギ達から聞いてるぜ? 黒竜と一緒に戦場にやってきて変な自己紹介して、何か妙な力を使って姫子ちゃんの傷を癒してそれ以外特に何をするでもなく去って行った妙な奴ってな」
ナギ達の時と同じ様に数度名前を呟き、覚えた所で自己紹介しようとした昴に対し、褐色肌の男――ラカンは事前に聞いていた事を話す。
それを聞いて、昴は一度きょとんとした顔をし、すぐに苦笑した。一ヶ月前の戦場でした、自分で自分を貶す自己紹介を思い出しているのだろう。今更ながらに恥ずかしく思っている様だ。
姫子ちゃんと言う単語は気になったが、そのあとに続いた「癒した」という言葉ですぐに誰かに思い至った。自分があの時癒したのは唯一人、アスナだけである。おそらくは彼女の事を指しているのだろう。
「いや、あの自己紹介を耳に入れていましたか。我ながら恥ずかしい事です。しかし失礼ですが、ナギにも言いましたが、自分で最強だの無敵だの名乗るのは恥ずかしくないのですか?」
かつての自分の自己紹介に苦笑し、昴はあの時ナギにしたのと同じ問いをラカンに投げる。この問いでナギは赤面し、怒ったのだが、ラカンの反応はそれとは別の物だった。
「ハッ、別に恥ずかしがる理由なんてねえよ。何せ事実だからな」
「ふふ、凄まじいまでの自信ですね。ですが、それに見合うだけの実力はある、と言う事ですか。それで、やり合おうとは……どう言う事ですか?」
ラカンの言葉に、昴は素直に感嘆の意を表しそう言う。穏やかに相手を見るその目はしかし、かなりの警戒を孕み、一挙手一投足を見逃さぬように観察していた。
基本、争い事が嫌いとは言え、昴も武術――槍術や格闘術を修めた身である。妹の様に才能はなかったが、負けた事は数える程度だ。その為、目の前に居る男がかなりの力量を持っている事は勘付いていた。
飄々としていて隙だらけの様に見えるが、観察していてハッキリと分かる。隙が殆ど見つからない。これでは不意打ちで倒す事も出来ない。
自分もかなりの修練を積み、そうそう負けない実力は身に付けた。真言もあり、それを使えば確実に勝てるだろうが、純粋な武力と言う点では自分よりも上を行くだろう。おそらくだが、ナギも、アルビレオも、詠春も、そしてまだ名前も知らない白髪の少年も同じか、やや彼よりも上か下の実力と言う所か。
随分と実力者が集まった集団だと、そう思った。
「んなもん決まってんだろ? コレだよ、コレ。俺とお前、どっちのが強えーか試して見ようってんだ」
言って、ラカンは昴に向けて腕を見せつけるように拳を突き出す。その顔には非常に好戦的な、獰猛な笑みが浮かんでいた。
また面倒な相手に目を付けられてしまった物だと、そう思いながら昴はどうにかして戦闘回避の手段を考える。
元々はそのつもりは無かったとは言え、ナギのストレス発散の為にこの場に留まったのだ。ナギ相手ならともかく、ラカンを相手に戦う理由も、戦いに応じる義務も自分には無い。ナギ相手にもこちらから攻撃は出さなかったが。
しかし目の前のこの男も、ナギと同じ様な印象を受ける。つまり、馬鹿でしつこそうと言う事だ。逃げようものなら、戦いに応じるまで何処までも追って来そうな感じがする。
(ストーカーもビックリですね……なんてイヤな経験でしょうか)
実に経験したくなかった経験である。
そう思い、内心で深い溜息を突いて昴は水の膜に意識を向けて真言を発動し、防御膜を解除した。逃げ出す方法を考えてまだ十数秒しか経っていないが、早々に逃げることを諦めたのだ。
『万物は流転する』
紡いだ言葉は、記録には残されておらず、後世の人々の創作ではないかと言われているが、エフェソスの哲学者ヘラクレイトスが言ったとされている言葉。全ての存在は時間とともに移り変わると言う、移ろいの言葉。昴はそれを、時間経過ではなく形状・性質の変化の意味を込めて紡いだ。
パシャリと音を立てて、水が弾けて昴の周囲に浮く。それに全員が訝しげな、しかし興味深そうな目を向けた。
「お? 防御消して大丈夫なのかよ? あった方が良いんじゃね?」
「元々、今の防御は対電撃用に作った限定的な物ですからね。ナギよりも肉弾戦に特化しているだろう貴方にはおそらく、意味を為し得ないでしょう。それと、別に防御を消した訳ではありませんよ。ただ、その形と特性を変えただけです」
昴がそう言った直後、浮いていた水が一斉に動き、高速で距離を詰めて殴りかかろうとしていたナギの腕に絡みつき、その動きを止めた。何時の間に動き出していたのか分からないが、ダメージの様な者は余り見受けられない。
止められたナギは悔しそうに顔を歪めるが、すぐに慌てた風に暴れ出す。喋らないのは「冒頭へ戻る(ダ・カーポ)」により終わる事が出来ない詠唱以外口に出せないからだろう。
直後、彼は彼を捕まえた水によって詠春達の居る場所に投げ飛ばされた。
「何だ、気付いてたのか?」
「一応、これでも気配を読める程度には鍛えられていますので。ここまで速く移動するとは正直、予想外でしたが……彼、20mくらい飛ばされた筈なんですけどね、貴方に。それもクリーンヒットして」
「……ふん、一定範囲内の攻撃を自動で防御・迎撃するってとこか。初めて見るもんだが、よくそんな事が出来るもんだぜ」
止められたナギと止めた水を見てそう言ったラカンに、昴は目を僅かにだが開いて驚きを表現する。
超純水としての特性は保ったまま昴が水に乗せたイメージは三つあるが、その内の二つ、一定範囲内の攻撃に対する自動防御と迎撃を、ナギの一撃を水が防いだだけでこの男は見抜いたのだ。
実力はまだ分からないが、かなり高い事は明らか。さらに高い観察眼も持っている。おそらく、このバカっぽく見せている行動も相手の攻撃を誘う為か何かなのだろう。かなりの技巧者だ。言っては何だが、感情に任せて突き進む印象を持つナギとは大違いだ。
だが、これで余計に逃げることが難しくなった。自分が相手を観察している様に、相手も自分の動作を観察しているだろうからだ。
「私としては、貴方と戦う理由がないので遠慮願いたいのですが……」
「つれねぇ事言うなよ。こっちは面白そうな奴を見つけてうずうずしてんだから……よっ!」
昴の言葉にそう返し、ラカンは勢いよく拳を繰り出す。
するとナギを投げ飛ばし、昴の周囲を浮遊していた水球群が彼の前面に集まり、壁の様にも見える盾を形成し――パァンッ! と甲高い音を立てて弾け、飛沫となって飛び散った。
が、すぐに集まり水球の形を取り戻し、再び昴の周囲に滞空する。
「あー、やっぱ再生するか。めんどくせえ防御だな、それ」
何事も無かったように復元する水球群に、ラカンは本気でめんどうくさそうにそう言う。
ある程度は再生する事を予想していたようだが、こうも予想通りだと嫌になるだろう。
水故に、物理的な攻撃はほぼ意味を為さないのだ。
「……戦う気は無いと言ったのに、攻撃してくるとは。どうやら貴方も、ナギと似たような性格の様ですね」
人の話しや都合を考えない様な所とか。
そう言って昴は顔を顰め、ラカンを睨むように見る。ナギとも、そしてラカンとも、数える程度しか会話していないが、それでもある程度は性格等を読み取っていた。
二人とも基本的に人の話を聞かず、聞いたとしても自分の都合や考えを押し通す為に力を振るう傍若無人な暴力系。ラカンは若干違う感じもするが、若い年齢の為かナギはその傾向が特に顕著に見られる。
仲間や友人と言った、気心が知れた相手や心の広い相手ならそれでもまぁ良いかもしれないが、其処まで親しい間柄に無い相手には不快感しか与えない性格だ。現に今、雷を前にした時程とは言わない物の、自分は不快に感じている。
「お、やっとやる気になったか? んじゃま、さっさと戦ろうぜ!」
昴のその表情をやる気と取ったか、ラカンは拳を構え、突っ込んで来た。その速度はナギと同等で非常に速い。
しかし昴との距離が15mほどになった所で水の防御が発動し、ラカンは先程のナギと同じ様に絡め取られる――事は無く、四方八方から自分を捕まえようとする水を回避、或いは拳圧で弾きながら昴に接近する。
だが昴も黙って近付いて来るのを見ている訳ではない。今空中に存在している水だけでは防御・迎撃共に不可能と判断したか、さらに真言を紡ぐ。
『水は空気の死により生じる』
そう言った直後、昴の周囲に巨大な水球が三つ出現した。それらは無数に弾け、最初に発生していた水球と同じ程度の大きさになるとある程度の数を残してすぐさま、水自体に意思が有るかのようにラカンに襲いかかりはじめた。
その数、およそ70。
「おっ、よっ、とっ、ふぬあっ!? あぶねっ! おわっとぉっ!?」
倍以上に増え、全方位から捕えようとする水をラカンは避け、迎撃し、進もうとするがしかし、進み切れずに後退する。
「お、おいおいちょっと多すぎじゃねってむおっ!? とあたっ!? おひょうっ!」
襲いかかる水の多さに文句を零すが、それで水の襲撃が止む訳ではない。寧ろ、その攻勢を上げてラカンを捕まえようとする。
しかしラカンは70の水の攻勢、その全てを回避し、距離を取った。流石に馬鹿正直に突っ込んで行っても昴まで辿りつけないと理解したのだろう。
しかしそんなラカンを見て、昴は感嘆の溜息を吐く。
「……よくもまぁ、その巨体で70の水を回避できるものですね」
「おーい、70っていくらなんでも多すぎだろ。もちっと少なくしてくんね? 流石にキツイぜ」
「余裕がない振りをして、簡単に回避しておきながら何を言いますか。現に貴方は息一つ乱していないでしょう。普通の人なら簡単に捕まると言うのに……冗談は程々にしてください」
軽い感じのラカンの言葉に、呆れた風に昴が返す。ラカンが水を避けるのを観察していた昴は、彼が水に捕まらないギリギリの距離で、ある程度の余裕を持って回避している事に気付いていた。
「はぁ……これでは水を全て貴方に向けても回避されそうですね。……200くらいに増やしましょうか」
「させるか、よっ!」
ぼそりとそう言った昴に、そうはさせんとラカンは拳に気を込め打ち出す。当然、昴の周囲を漂う水の全てが防御の為に動き出し、分厚い盾を形成する。
しかし。
「なっ!?」
昴が驚きを露にする。昴を守るべく盾の形を取った水は、ラカンに打ち出された光弾に触れると同時に爆音を立てて弾け飛んだ。
「くうっ!?」
殺しきれなかった衝撃が昴の体を打ち、僅かに後ろに飛ばされる。弾け飛んだ水が再生しながら飛ばされた昴を追うが、同時にラカンも突っ込んで来ていた。その速度は、昴を追う水よりも速い。
「オラァッ!!」
「っく!?」
ラカンを捕えようと水が動くが、彼はそれよりも早く昴に接近し殴りつける。
昴もそれには気付いていたが、水で殺しきれなかった衝撃の強さによってか体勢を崩しており、一撃目は何とか回避できたが無理矢理に動いたせいか、脚に負担がかかる。
それを見抜いてか、ラカンはすぐさま拳を握り込む。そのまま叩き込むつもりだ。
「げっ!」
しかしその瞬間、追い付いて来た水がラカンの体と腕に絡みつき、動きを阻害する。体のあらゆる場所を拘束され、ラカンは呻く。
だがラカンはそんな事関係ないとでも言うかのように拳を繰り出した。このまま止まれば回避されると確信しているからだ。
昴は回避しようとするが、無理に動いて体勢をさらに崩した事と足への負担からまともに動けない。
回避は不可能。そう判断した昴は打撃点を予測し、防御の為に腕を構えた。直後、腕を構えていた場所に打撃が叩きこまれた。それは水によって動きを阻害され減速していたにも関わらず重く、鋭かった。
ビキッと、腕の骨に衝撃が奔る。
「ぐっあ!」
拳の余りの衝撃に昴は殴り飛ばされ、勢いよく地面を転がる。勢いが弱まるとすぐさま起き上がり、さらに距離を取ろうとするが、足と打撃された腕の痛みで顔を顰め、その場にしゃがみこんだ。腕を見ると、青黒く腫れている。
『傷も痛みも苦しみも、全ては夢幻と消える』
すぐさま癒しの真言を紡ぎ、自分の体を治療する。最も馴染んでいる為か、発動した直後に痛みは全て消え去り、腫れていた腕も元に戻った。
完全に体が癒えた事を確認し、昴はラカンを見る。彼は顔を除いた体全体を水に拘束されていた。
「ふぬっ! くっ! ぬうあっ! ふんぬう!! くっは、どうなってやがるこの水! 動けねえどころか力が全然入らねえ!!」
そんな事を言いながら、ラカンは何とか水の拘束から逃げようとしているが、言葉の通りに体が動いておらず、さらに力も入っていないようで拘束から逃げられない。その理由は、昴が水に付与した三つ目の特性だ。
三つ目の特性は捕獲した存在のあらゆる「力」を抑えつけ、強制的にゼロにするという、戦う物にとっては理不尽極まる物だ。それによって体全体を拘束されたラカンの力はゼロにまで引き落とされたのだ。
「オイテメエ!! 一体この水何だ!? 全然力が入らねえぞ!!」
「教える訳がないでしょう」
水の拘束から逃れようともがきながらしかし動けず、首だけ器用に昴に向けてラカンは問う。
しかし昴はそれに答えず、真言を紡いで距離を取る。一撃だけしか貰っていないが、それでも昴はラカンの攻撃の危険度を最上位レベルにした。
こんな攻撃を何度も受けていたら身がもたない。そう思い、昴は逃げる為に真言を使う。
『風は無くなり、しかしこの身は風を纏う』
発動する真言は風を起こし、その風を自信に纏う物。これは自分にのみ風を発生させ、移動速度や跳躍力を上げる真言だ。
しかしそれだけではなく、さらに真言を紡ぐ。
『風の無い所では何も動かない』
そう言った直後、昴以外の全ての動きが停止した。停止したと言っても、それは体の動きだけで声を出したり、目を動かしたりは出来るのだが、それ以外の体の動きが全て停止した。
「こ、これは一体……!?」
「声を出す事は出来ますが、体が動きませんね」
「ふむ、興味深いの」
昴の発動した真言で、ラカンとの戦いを見ていた詠春達まで動けなくなる。確実に逃げる為に仲間の彼等も対象にしたのだ。彼等にして見ればいい迷惑である。
当然ながら、ナギもその中に入っている。
「貴方と戦うと危険と判断しました。申し訳ありませんが、逃げさせていただきます」
「んなっ……待てコラ!」
昴の言葉にラカンが文句を言うが、それを聞かずに昴はノワールの元に走り去る。
それを見て、水球に捕われ首だけを出しているラカンが叫ぶ。
「オイコラ! コレ解除しやがれコノヤロー!!」
『1km以上離れれば解除されます』
ラカンの叫びに真言でそう返し、昴は離れ、ノワールに乗って何処かに去って行った。
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