―― 西暦一九八六年 春 帝都・帝都城 ――
政威大将軍殿下のお膝元、帝都城内の一室で、一組の男女が向き合っていた。
一方は、巌の様な巨躯に両側に角のようにせり出した特徴的過ぎる髪型を持つ斯衛随一の有名人。
いま一人は、緩いウェーブを描く豊かな黒髪を背に流す美女で、これまた斯衛軍内に知らぬ者の無い人物であった―――悪い意味で、であるが。
「やはり行くのか枢木よ?」
「意外と未練がましかったのですね、紅蓮少将閣下?」
野太い声に慙愧の念を滲ませて問う上官、否、元上官に対して、たった三十分程前に予備役編入となった枢木真理亜予備役少佐は辛辣な物言いで返した。
相変わらずの人をくった口調に、紅蓮醍三郎は疲れた溜息と共に反論する。
「抜かせ。大陸ではBETA共の動きが、ますます活発化しておる。
こんなご時勢に貴様ほどの腕利きが、斯衛軍を辞めると言うのだ、止めぬ訳があるまい」
中国軍・ソ連軍のひく防衛線は、ズルズルと後退しつつあり、大陸東方の戦況は日々悪化の一途を辿っていた。
帝国内においても海外派兵が取り沙汰されるようになり、帝国本土防衛軍の創設等、帝国軍の再編も急ピッチで進められつつある。
その様な風雲急を告げる状況の中、斯衛内で唯一、己に比肩し得る目の前の女傑を失うのは痛過ぎたのだ。
だが、そんな紅蓮の引き留めを、当の枢木自身は鼻先で笑い飛ばす。
「その割りにすんなり辞表が通りましたわ。
上の方々は、よほど目障りだったのでしょうね。
外国の男に股を開いた挙句、私生児を成した恥知らずが『山吹』を纏っている事が」
厳つい顔が苦々しそうに歪む。
真理亜の言うとおり、彼女の出した辞表は異例なほどのスピードで処理され、あれよあれよと言う間に事は決していた。
慣例や面子に固執する城内省の連中には、型破りな彼女が、とことん嫌われているのは知ってはいたが、ここまでとは流石の紅蓮も思ってはいなかった。
現状を全く認識していない城内省の小役人達の顔を、脳裏で踏み躙りながら、彼は柄でないと思いつつも苦言を呈する。
「止せ。それは自分の息子への侮辱にもなるぞ」
「この程度で凹むような柔な子じゃないですわ。私とあの人の子ですもの」
カラカラと笑う美女を前に、紅蓮は頭を抱えた。
虫歯の痛みを堪えるような表情のまま、諦めの溜息と共に吐き捨てる。
「まったく……ブリタニア大佐、いや二階級特進で少将であったな。よくもまあ、こんなジャジャ馬を御し得たものだ」
「嫁の来ての無い閣下には一生理解できないでしょうね。男と女の機微というヤツは」
「……で、これからどうするのだ?
斯衛を止めても、武家としての立場までは無くならんぞ」
ああ言えば、こう言うな展開に、最早打つ手を無くした事を紅蓮は悟った。
そして、相変わらずの天上天下唯我独尊っぷりに、天を仰ぎたくなる心境で投げかけた問いは、更に頭痛の種を増やしてくれる。
「とりあえず商売でも始めようかと。
幸い元手は、それなりにありますから」
紅蓮の頬が引きつった。
「……ますます城内省から睨まれるぞ」
武家に商売はご法度。
明文化されている訳ではないが、暗黙の了解として開国以来続いているソレに真っ向から喧嘩を売る気満々な真理亜に紅蓮は冷や汗を流した。
基本、武家の収入というのは官職(大概が斯衛軍だが)に着いて得る物と元々ある資産を運用して得た利益とに分けられる。
その為、内情は火の車という家も少なからずあるのだが、それでも直接商売に手を出す者は居なかった。
ある意味、伝統と慣習に縛られた武家社会から爪弾きにされる事が確実だったからである。
そんな事は百も承知だろうに、眼前の美女は嫣然と微笑みながら平然と言い切るのだ。
「背に腹は変えられませんもの。仕方ないという事で」
そう言って笑う元部下を前にして、紅蓮はこれ以上は言っても無駄と悟った。
この女は、敢えて乱を求めている。
そして、その先にある何かを望んでいる事も。
だからこそ、それだけは知っておかなくてはならなかった。
万が一、それが帝国の害になるのならば、その時は………
「――最後に問おう。何を考えている真理亜」
それまでとは違う気迫をもって投げられた問い。
紅蓮の本気を悟ったのか、真理亜もおちゃらけた雰囲気を消し居住まいを正す。
真っ直ぐに向けられた瞳は、紅蓮を見ているようで見ていない。
そこを通り過ぎ、それよりも更に先へと向けられた目線のまま彼女は誇らしげに答えた。
「明日を……ただ、明日を求めているだけです。あの子――ルルーシュの為に」
そのまま背を向け立ち去る様を見送った紅蓮は、特注の椅子に背を預けると深々と溜息をこぼした。
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