Muv-Luv Alternative The end of the idle


【断章】


〜 西暦一九九三年十一月 白山吹 〜






―― 西暦一九九三年 十一月二十日 帝都・枢木邸 ――



 中々に高そうな封筒を皮肉気な表情で弄びながら、ルルーシュはつまらなそうに鼻を鳴らした。

「……これで五度目か、随分と熱心な事だ」

 彼の良く通る声に毒気が混じる。
 手にした封筒をクルリと裏返すと、そこに書かれている差出人の名が彼の眼に映り、視線の温度を更に三度ばかり低くした。

 差出人は、日本帝国・城内省。そして……

「……年内に、入学手続きを終える様に、か」

 ……そして、その内容は城内省管轄下の斯衛軍訓練校への入学案内であった。

 パサリと封筒がテーブルの上に投げ出される。
 皮肉と呆れの入り混じった苦笑が彼の肩をわずかに揺らし、先方の透けて見える思惑に、彼の対面に陣取った腹心達から二種の感情が迸った。

「あっれ〜〜いつから強制になったんでしたっけ?」
「ロイド、白々しい事を言うな!
 訓練校への入学は強制ではなく、飽くまでも志願の筈。
 ルルーシュ様、相手にする必要はございません」

 皮肉たっぷりな口調であて擦るロイドの言葉に、怒りを抑えたジェレミアの苦言と忠言が重なった。

 武家の嫡子が斯衛に入るのは当然の事――ではあるが、それは飽くまでも暗黙の了解により行われる事であり、不文法という訳ではない。
 また成文法では、未だ彼は徴兵対象外の年齢である以上、法改正でもしない限り、現時点で入学を強制する事など誰にも出来はしないのだ。

 無視したにも関わらず、既に数度、諦め悪く送られて来る入学案内の形を取った圧力においても、上辺だけは当人の自由意思による入学を勧めると言う形式を取っているのもその所為である。
 まあ所々に、暗に斯衛に入らぬなら武家の地位を返上しろと匂わす文言もあり、相手も相当に焦れてきている事が察せられた。
 ルルーシュは、もう一度、城内省からの案内――を装った通達を流し読みながら、片頬を皮肉気に釣り上げ呟く。

「文面からすれば、武家ならば入って当然。
 入らないなら武家に非ずと言いたい様だがな」

 さほど気にした様子も見せず、そう言い切った少年に、ロイドはヘラヘラと笑いを浮かべ、ジェレミアは険しい表情で頷いだ。

 過去に、看過しえない不祥事を起こした武家に対し、その地位を剥奪するという処置が取られた例はある。
 だが今回の場合、そこまで持って行くのは難しいだろうというのがルルーシュの読みであり、それらは既に彼等にも伝えてあった。
 実際の所、武家の出身者が百%斯衛に属すると言う訳でもない。
 個人の資質による向き不向きというものが厳然として存在する以上、それはある意味、当然ですらあったのだ。

 またそれに加えて、原因不明の奇病により病床にある母に代わり、彼が実質的には当主の座にある事も、城内省の主張の正当性を弱める事に一役買っている。
 家を残すという責務のある当主に対しは、望めば任官が免除されるのは通例だ。
 無論、亡き篁中佐の様に、当主であろうと自身から望んで軍務に着く者が大半ではあるが、それも飽くまでも志願であって強制ではない。
 直系の後継者が居ない家などでは、当主が後継者を作るまでは、軍務に着かせないか、ついても後方任務に着ける様に配慮を求めるケースも少なくはなかった。

 そういった意味においても、彼に斯衛軍への入営を強制するのは難しい筈なのだが……

「……或いは、連中には珍しく慣例破りも辞さないつもりかもしれんな」

 母が病を得て後、何度か出された家督相続願いを、なんやかやと理由を付けては有耶無耶にしていたのには、そういった目論見もあったのだろう。
 当主に任官を強制する事は他家への兼ね合いもあり困難だが、嫡子の立場ならハードルはグッと下がるという訳だ。
 その上で、こちらが拒否の姿勢を崩さないなら、或いはという事も有り得るだろう。

 ――と、そこまで思考を進めた所で、やや白けた感じの口調でロイドがボソリと呟いた。

「もう辞めちゃえば良いんじゃないですかねぇ〜」
「………」
「ロイド!」

 筆で刷いた様な形良い眉が寄り、同時にジェレミアが叱責した。
 対して、煙たそうにジェレミアから目線を逸らしたロイドは、冷めた口調で再度問いを重ねる。

「……だって、必要だと思ってないですよね?」

 ――武家としての立場なんてものは?

 言外に続いた言葉を、脳裏で付け足したルルーシュは、苦笑混じりに頷いた。

「まあな……オレには必要ない。だが……」

 そこで一旦言葉を濁し、何かを、誰かを案ずる様な表情を浮かべた主君に、忠義の騎士が尋ねる。

「唯依様のお立場の問題ですな?」

 苦みの混じった貌で、ルルーシュは静かに頷いた。

 既に、彼の中では、武家である事に未練など無い。
 彼個人に関して言えば、今日、この日、この場で投げ捨てたとて、なんら惜しむべきものではなかった。

 だがそれを、彼の周囲にまで押し広げるなら、自ずと別の事情も浮かび上がって来る。
 具体的に言ってしまうなら、彼の可愛い妹分であり、先年、許嫁という肩書が追加になった篁唯依の立場を慮ると、躊躇うものが無い訳でもなかったのだ。

「そうでなくても、なにかと親族連が喧しいらしいからな。
 オレが武家の地位を返上すれば、それ見た事かと騒ぎ立てるだろう」

 後見人として巌谷が眼を光らせているので、今のところ支障は無いようだが、これで枢木が武家でなくなったりすれば、不満を抱え込んでいる篁の親族が暴発する可能性もある。
 歳に似合わぬ聡明さを持つとはいえ、愛しい妹に余計な苦労を掛けたくは無いというのが彼の偽らざる本音でもあった。

 ――さて、どうしたものか?

 内心で、そう呟きながら貌を顰めたルルーシュに同調する様に、こちらも渋い表情になったロイド達が思い思いに意見を口にする。

「困ったもんですねぇ」
「……とはいえ、訓練校に入る訳にも参りますまい。
 全寮制でもありますし、一旦入ってしまえばルルーシュ様の身の安全を図れなくなる可能性が高い」
「後催眠暗示とかも、大っぴらに掛けられるしね。
 中身を都合良く書き変えようとする可能性は大きいかなぁ?」

 遠回しに暗殺、洗脳の危険性を指摘し危惧を表明する二人。
 それを有り得ないと否定できない程度には、自身が充分以上に遺恨を集めている事を自覚していたルルーシュは、うんざりしつつも軽く肩を竦めて見せた。

「まあ、売るほど恨みを買っているのは確かだ。
 まかり間違って入校すれば、さぞ歓待してくれる事だろうな」

 そう答えつつも、恨みだけではあるまいがなと内心で付け足す。

 良くも悪くも、枢木の中枢は自身の手の中にあるのだ。
 即ち、何らかの手段――違法・合法を問わずに――自身を手の内に納める事が出来たなら、その者は、そのまま枢木が築き上げた全てを手に入れる事も叶うだろう。
 そんな自身が、外部から手を出し難い場所に自分から進んで入り込むなど、鴨が葱どころか鍋とコンロを背負って猟師の前に出ていくに等しかった。

 怨恨と欲得、いずれの面から見ても警戒してし過ぎる事の無い局面である以上、やはり入校という選択だけは有り得ない。
 だがその選択をしないなら、唯依に要らぬ迷惑を掛ける事になるのも確実だ。

 ――自身の安全と唯依の立場。

 それらを心の天秤に載せたままルルーシュは思考する。
 どちらかを諦めるのではなく、どちらも手に入れる為に、だ。

 そのまま暫し、無言となった室内で、主君の様子を心配そうに伺っていた忠義の騎士は、沈黙に耐え切れなくなったのか躊躇いがちに口火を切った。

「……ルルーシュ様、ここは唯依様には申し訳ありませんが……」
「僕も、そっちの方が無難だと思いますよぉ」

 恐る恐る意見を述べたジェレミアにロイドも同意を示した。
 ルルーシュが入校を拒否し、武家の立場を失ったとしても、致命的な問題という訳ではない。
 確かに、唯依や巌谷に要らぬ苦労を掛ける事にはなるだろうが、入校する事で好き放題にされる危険性を考えるなら、ここはデメリットに眼を瞑っても拒むべき――それが、腹心二名の判断だった。

 至極真っ当であり、妥当な判断。
 だがそれでは、この様な卑小な策を弄してきた相手に凱歌を上げさせる事になるだろう。
 そしてそれを許容出来る程、ルルーシュは寛容ではなかった。

 ――殴りかかられたら、きっちりと殴り返す。
 ――それも三倍返しで。

 良くも悪くも、それが彼のスタンスである以上、腹心達の忠言を採る訳にはいかない。
 意地っ張りな性格が、彼の首を横に振らした。

「男としては、年下の許嫁に迷惑を掛ける訳にも行くまいよ」
「しかし!」

 主君の身の安全を最優先とするジェレミアが、思わず声を大きくし、身を乗り出して来るのを片手を挙げて制す。

「……なに、オレに考えがある」

 既に脳内では、今後の展開のシミュレートは終了した。
 城内省の小策士共にも、きっちりと落とし前をつけてやれるプランは完成している。

 美女ですら恥じらう様な秀麗な美貌に、とてもとても悪い笑顔が浮かんでいった。



■□■□■□■□■□



―― 西暦一九九三年 十一月二十五日 帝都・煌武院邸 ――



 窓の外に見える庭木から静々と落ちていく紅葉を、無言のまま眺めていた少女は、愁いを帯びた溜息を一つ吐くと、先程から控えてた臣下へと向き直った。

「……城内省から、あの方に対して訓練校に入学するよう圧力が掛かっているそうですが、本当ですか?」

 鈴を転がす様な美声には似つかわしくない感情の滲む声で、静かに問い質す。
 脇に控えていたやや年長な眼鏡の美少女が、気まずそうに俯く中、一段低い場に座していた偉丈夫が、重々しい口調で主君からの下問に答えた。

「表だっては単なる入学案内と言っておりますが、既に数回通達が出されているのは事実だそうです」

 この男、紅蓮醍三郎には珍しい淡々とした様子で、ありのままの事実のみを答える。
 それを受け、ホッとした様子になった少女、月詠真耶も重くなっていた口を開いた。

「……我が校でも噂になっております。
 あの枢木の嫡男を、訓練校に入学させようと城内省が躍起になっていると」

 問いを放った側、彼等の主君である少女、煌武院悠陽の眉が不審そうに顰められる。
 彼女は、当の昔に、彼の少年が家督を継いだものとばかり思っていたからだった。

「嫡男?……確か、前当主殿が病を得られた為、家督相続願いが出されていたのではありませんか?」

 生じた疑問のまま、一年ほど前に小耳に挟んだ事を問い返すと、正面に座す紅蓮の顔に苦々しそうな色が浮かんだ。
 数瞬、躊躇った後、諦めが付いたのか、やや困った様な口調で、悠陽の問いに再度答える。

「……その件ですが、真理亜が存命の上、アヤツが、まだ未成年である事を理由に拒否されております」

 もう数度――とまでは言わない。

 未だ幼い主君に、余計な心配事を持たせたくないという配慮だったが、悠陽の不審を納めるには不足だったらしい。
 しばし考え込む表情を見せた悠陽は、躊躇いがちではあったが、城内省の判断に異を唱えた。

「……それはおかしいのでは?
 後見人が居れば、未成年であっても問題は無い筈ですが……」

 事実、彼の人と親しい間柄である篁家の息女は、昨年父を亡くした後、後見人を立てて篁家の家督を継いだ事は彼女の耳にも届いていた。
 自分と同年代の彼女に許されて、彼には許されないというのは、矛盾していると言えよう。
 確かに当主がまだ存命という条件の違いはあれど、病身故に当主としての務めが果たせない以上、後継に家督を譲るというのは別におかしな事ではない筈なのだから……

 そんな彼女の疑問と不審が伝わったのだろう。
 チラリと真耶と視線を合わせた紅蓮は、観念した表情になると年長者としての責務から、あまり言いたくは無かった事を口にした。

「アヤツが当主になれば斯衛軍に出仕する必要性が無くなりますからな」

 悠陽の頬に朱が散った。
 怒りと嫌悪に。

 可憐な唇から、微かに苦みを帯びた呟きが、無意識の内に零れ落ちる。

「……そこまでしますか」

 紅蓮の言葉から、悠陽は事態の裏面を理解する――飽くまでも、一部ではあったが。

 その事を、悠陽の声と表情から読み取った紅蓮だったが、補足を告げる事はしなかった。
 そういった薄汚い部分まで、まだ知る必要は無い(・・・・・・・・・)との大人の配慮故に。

 そして持ち前の正義感から怒りに震える主君を、眩しげに見詰める男の耳に、やや硬い別の少女の声が飛び込んで来る。

「……ですが、城内省の行動にも理はあると愚考します」
「真耶さん?」

 驚きと疑問に揺れる声が、悠陽の口元から漏れる。
 信頼する側近の思わぬ主張に、眼を丸くする主君の前で、真耶は姿勢を正すと改めて自身の主張を口にした。

「いくら逸れ者のアヤツであれ、武家である以上、斯衛軍に出仕するのが筋。
 それを拒むとあらば、武家の地位を返上し、野に下るべきでありましょう」

 武家の息女として、そして斯衛軍への出仕を当然の事としている者として、彼女は彼女の視点からルルーシュの非を鳴らす。
 中途半端な立ち位置を保ち続ける彼の側にも問題はあるのだと。

 ――もし、もしであるが、枢木が武家でさえなければ、ここまで両者の対立が拗れる事は無かったのではないか?

 そんな思いが彼女の内にはあった。
 だからこそ、いい加減、その旗幟を鮮明にすべきと主張している。
 少なくとも、彼女自身の認識としてはそうだった………その筈だった。

 そのまま険しい眼差しで、悠陽を見上げる真耶。
 その眼光に、何かを感じ取ったのか、躊躇う様に僅かに眼を伏せた悠陽は、一つ息を吐くと、ジッと真耶の瞳を見つめ返した。

 ただの少女ではなく、五摂家が一角、煌武院家当主・煌武院悠陽としての声が室内に響く。

「武家であっても、必ずしも斯衛に出仕する必要は無い筈です。
 官僚として立派に身を立て、帝国に貢献されている方も少なくありません」

 そう言って、言い聞かせる様に自身の主張を否定する主に、真耶の頬が微かに蒼褪めた。
 思わず反論の言葉が口をつく。

「しかしアヤツは、官僚にすらならんでしょう!
 このまま企業家として、帝国と距離を置き続けるというなら、それ相応のケジメを付けるべきでありませんか!?」
「それは、あの方に帝国と袂を別てという意味ですか?」

 激する少女に対し、冷静さを失わぬ問いが投げられた。
 言外に、それがどういう意味か分かっているのかと問う声に、真耶は絶句し、そして己が冷静さを欠いていた事を悟る。

 良くも悪くも枢木は、帝国にも強い影響力を及ぼしているのだ。
 決定的な破局は、帝国の政財両面から見ても、巨大な悪影響を産む事は確実であり、それは国の行く末を案じる者にとっては避けるべき事態なのだと理解する。

 血の気の引いた美貌が、羞恥の朱に染まった。
 思わず平伏する真耶の頭上から、変わらぬ穏やかな声が降って来る。

「……武家としてかくあるべしという貴女の考えも分かります。
 ですが、あの方にはあの方なりの考えもあるのでしょう。
 頭からそれを否定するのは、良い事とは思えません」
「……はっ……」

 労わりと窘めが混ざり合った主君の言葉に、恥入る少女は言葉少なく答える事が精一杯だった。
 そして自身が、何故あそこまで感情的になってしまったのかを胸中で自問するが、そちらの答えは容易には出ない。

 そうやって平伏したまま煩悶する真耶の頭越しに、今度は紅蓮が苦い口調で悠陽に告げた。

「とはいえ、このままでは済みますまい。
 城内省は、なんとしてもアヤツを訓練校に入学させ、手の内に取り込むつもりですからな。
 そして当然、アヤツには、そんな思惑など丸見えである以上、拒否の姿勢は崩しますまい」

 城内省にしても、今回の一件をラスト・チャンスとして捉えているのだろう。
 武家社会の秩序を乱す枢木を膝下に押さえ込み、更には枢木の築き上げた巨大な富と権力、そして技術を手にする事すら叶うであろう千載一遇の機会だと。

 そうである以上、面子の面からも、欲の面からも退く事はありえない。
 それは彼等の眼から見ても明らかであった。

 悠陽の幼い美貌に、苦渋の色が濃く滲む。

「止める事は出来ませんか?」

 五摂家の一角を預かる者として、武家社会内での悶着を未発で納めれらないかと問う少女。
 だが、そんな彼女の切なる願いに、偉丈夫は申し訳なさそうに首を振る。

「残念ながら……」

 言外に、何らかの形で両者の衝突は必須であると告げる紅蓮に、悠陽は愁いの籠った小さな溜息を一つだけ零した。



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―― 西暦一九九三年 十一月三十日 帝都・二条城 ――



 帝国の中枢たるこの城の一角。
 文字通り、城内の事を取り仕切る城内省のその奥で、今、一つの会合が持たれていた。

「ぶ、無礼な!
「……山吹如きが増長しおって」
「武家を名乗るのもおこがましい分際で、よくもっ!!」

 待ちわびた枢木からの返答を前に、喧々囂々な城内省の偉い人。
 血圧を上げ、口角泡を飛ばすその姿には、残念ながら威厳の欠片も見受けられなかった。
 一部の口の悪い斯衛や帝国軍人、或いは政治家達が陰口で言う様に、宦官めいた生白い顔の官僚達が、怒りも露わに喚き続けている。

 数度に渡り送られた入学案内に、初めて返された返書は簡潔極まりなく、どう読んでも読み間違いのしようも無いソレが、彼等の怒気を際限無く煽っていた。

 曰く――『訓練校にて学ぶべき事は無い』と。

 堂々と学ぶべき物が何も無いと言い切った上で、それ故に入学する価値が、理由が無いと切り返しているそれに、怒り心頭に達した面々は、生意気過ぎる小僧への罵詈雑言を並べ立て鬱憤を晴らす。
 広く豪華な室内で、一頻り悪口の見本市が開かれた後、息を切らした宦官――もとい官僚達は、冷めた茶で乾いた喉を潤すと、互いに顔を見合わせた。

「……如何にすべきか?」

 少しだけ頭が冷えた次官が、苦虫を噛み潰した表情のまま誰に言うでもなく呟くと、周囲から三々五々に『意見』が上がり出す。

「最早、あちらからの返上を待つまでも無い!
 即刻、武家の地位を召し上げてやりましょう!」
「なんら不始末を犯した訳でもないのにか?」
「この無礼な文面で充分です!
 そもそもあの様な半端者が、武家であった事自体がおかしいのですから!!」

 未だ憤激の収まらぬ者達が過激な意見を述べれば、それなりに理性を取り戻した少数派渋い表情で苦言を呈す。

 再び、混沌へと進みかける室内の空気。
 だがソレを冷やす様に、冷やかな声が投げ込まれた。

「そして虎を野に放つか?
 武家という軛が外れた枢木が、意趣返しに走ったらどうするつもりなのだ?」
「「「―――っ!?」」」

 激論を交わしていた筈の面々が、揃って絶句した。
 どこか薄ら寒そうに首筋を震わせる者も幾人か……

 攻撃に対する報復には、容赦の二文字が無い事を知れ渡っている相手。
 特に、脛に傷のある者にしてみれば、物理的に抹殺される前に、社会的に抹殺されるのが確実である以上、矢面に立ちたくは無いというのが本音だ。
 いま強気に出られるのも、城内省という集団での動きだからであり、個人で喧嘩を売るには恐ろし過ぎる相手である事を、今更ながらに思い出した面々は、やや蒼褪めた表情で互いを見やりつつ沈黙する。
 対して場の鎮静化を図れた事務次官はといえば、内心で安堵しつつも、それを億尾にも出す事無く、場の流れを本題へと向けていった。

「そもそもあの生意気な枢木の小倅を、訓練校に入校させ、きちんと『教育』し直す事が当初の目的だった筈。それを忘れてどうする」
「確かに……」
「嫡男を取り込めれば、枢木の築いた全てを城内省の影響下に置く事も叶いましょう」

 怒りに染まっていた顔に、欲の色が入り混じっていく。

 枢木の築き上げた富と権力、そして国外からも引く手数多な技術。
 それら全てを自分達の影響下に置けるなら、栄耀栄華も思いのままとなる。

「ここは何としても、訓練校に入学させるべく手を打つべきです。
 一旦取り込んでしまえば、いかようにも料理する事が叶うのですから!」
「「「………」」」

 獲らぬ狸の皮算用に、脳内を侵食されていった一同は、如何なる手練手管を弄そうとも訓練校に入校させ、『教育』してしまおうという方向で固まっていく。
 そうなると、武家の地位を剥奪するなどという主張は鳴りを潜めていった。
 そんな事をしてしまえば、訓練校に放り込む理由が喪われてしまう以上、その手は禁じ手との認識が一同の中に広がっていく。

 ――しかし、そうすると。

 ではどうやって、入校させるかという話となる。
 学ぶべき事が無いとする相手の主張をどう引っ繰り返すかという事だ。

 その方向で額を寄せ合い知恵を絞るお歴々達は、やがて一つの結論へと至る。
 そして翌日には、枢木に対し、六度目となる通達が送りつけられたのだった。



■□■□■□■□■□



―― 西暦一九九三年 十二月五日 帝都・斯衛軍衛士養成校 ――



「――チェックメイト」

 ただ一言が、薄暗い室内に響いた。
 同時に真正面に設えられた戦域マップを表示するモニター内では、先程まで拮抗していた筈の赤と青の矢印群の内、青の側――青軍が眼に見えて崩れ出す。

 およそ二日前、青軍の後方拠点を襲撃し補給物資の悉くを焼き払った赤軍別働隊が、そのまま隠密行動を取り続け、最後の駄目押しとして青軍側方より急襲を仕掛けて来たのだった。
 予想外の攻撃に陣形の一角を崩された青軍は、抵抗も虚しく蹂躙されていく。
 物資の補給が途絶した状態で、二日の間、間断の無い戦闘を繰り広げていた青軍には、反抗の為に必要な砲弾も、燃料も、そして何より食料さえもが足りなかった。

 一気に陣形を斬り裂かれ、分断され孤立した部隊が周囲の赤軍から袋叩きにされて、次々に消滅していく。
 だが、それを救出する余力は青軍側には欠片も無く、本隊の消耗を最小限に抑えるだけで精一杯な状況から、最早、戦局の挽回が不可能な事は誰の眼にも明らかだった。

 既に盤面は速やかに撤退を決断し、被害を最小限に抑えるべき局面だったが、青軍は諦め悪く頑強な、だが無駄な抗戦を選択する。

「……当の昔に詰んでいるのだがな」

 戦域マップを俯瞰する少年――枢木ルルーシュは、溜息混じりに呟くと自軍である赤軍の陣形を巧妙に操りながら、青軍をゆっくりと、だが確実に包囲下に置いていく。
 理想的にして無慈悲な包囲殲滅戦が始まり、そして半日後、青軍は文字通り全滅させられたのだった。



 ――シュッ

 という空気の抜ける様な音と共に、開かれたシミュレーターのドアから、上品なスーツに身を固めたルルーシュが、なんら気負いもなさそうな風情で姿を見せる。
 周囲から落胆と怒りのうめき声が湧き起こった。

「……くっ……」
「おのれ……」

 周囲に座して兵棋演習を観戦していた城内省の高官らが、憎々しげな眼差しで睨みつけて来るのを、彼は冷やかな眼差しで一瞥すると対面にある別のシミュレーターへと視線を移した。

 ドアの開かれる気配は無い。
 自身の未熟を恥じてか、或いは、高官らの怒りを恐れての事かは、彼にも判断が付かなかったが、さほど興味を惹かれる程の相手でも無かった事が、彼の関心を薄くしていた。

 そのまま先程までの対戦相手の事を、脳内から消し去ったルルーシュは、城内省や斯衛軍の高官らへと視線を戻すと冷たく言い放つ。

「やはり斯衛軍訓練校にて、私が学ぶべき事は無い様です」

 複数の呻き声と歯軋りが、応じる様に低く響く。
 だが最後の望みを託したシミュレーションを使った兵棋演習において、完敗を喰らった訓練校側に言い返す余地は無かった。

 なにより……

「……異論があるなら、お聞きしますが?」

 ここまでの対戦で、政治、経済、語学、礼法、その他一般教養を始め、体術、剣術はもとより、戦略論、戦術論を含めた士官教育に至るまで、悉く斯衛軍側の教官を上回って見せた彼。
 『学ぶべき事は無い』との主張を、文字通り証明してみせたルルーシュの前では、沈黙するしかない。

 見事としか言い様の無い才覚を見せつけた少年に、強い怒りとそれに等しい感嘆を抱きつつ、この様な厄介事を押し付けて来た城内省の宦官等への憤りを胸の奥に押し込んだ斯衛軍の教官らは、不承不承ながらも頷き、彼の言葉が正しい事を認めた。
 途端に城内省の役人らが騒ぎ出すが、正直、これ以上、傷を広げたくない斯衛側は右から左へと聞き流す戦術に打って出る。

 たちまち喧々囂々たる喧騒に満ちた室内。
 それを呆れた眼差しで眺めていたルルーシュは、内輪もめに興味を失ったのか、冷めた口調で茶番の終わりを告げた。

「……反論も無い様なので、これにて失礼させて頂く」

 そう言い置くと、従者として付いてきていたジェレミアよりコートを受け取って羽織り、そのまま退出しようとする。

 なんとしても手に入れるつもりだった獲物が、サッサと帰ろうとする様に、城内省側が色を失って顔を見合わせ、そして――

「ま、待て!
 まだだ……まだ終わってはおらんっ!!」

 黒いコートの背に向けて、進退極まった者達の叫びが放たれたのだった。



■□■□■□■□■□



―― 西暦一九九三年 十二月七日 式根島・枢木工業研究施設 ――



 広い通路にコツコツと足音が響く。
 先行する白衣の後を追う大小二つの人影が、五つ目の閉鎖隔壁を抜けていく中、クルクルと回る白衣がヒラヒラと宙を舞っていった。

「いやぁ〜〜……ついに、ついに出番が来ましたねぇ〜〜」

 満面に笑みを浮かべながら浮かれ騒ぐロイド。
 ちょっと怪しい踊りを踊りつつ、先頭を切って進む彼に、呆れ混じりの声が掛けられる。

「……はしゃぎ過ぎだぞ、ロイド」
「ジェレミア君はいいだろうさ。色々と活躍してたからねぇ」

 主君の前での道化めいた振舞いに苦言を呈したジェレミアに対し、ジト目になったロイドが不満気に口を尖らせる。
 ロイド自身も充分な功績は上げていたものの、やはり実働部隊を率いて動いているジェレミアの方が目立っていた事を当て擦ると、言われた当人も微妙な表情になった。

 ――永遠の忠誠を捧げた主君の役に立てた事は誇らしく、されど意図しての事では無いとはいえ裏方に徹していた悪友より目立ってしまった事は後ろめたい。

 そんな正負の感情のせめぎ合いが、万事一直線なこの男に珍しい表情を浮かべさせる様を、横目で眺めつつニヤニヤと笑いながら、ロイドが六つ目の隔壁を開放した。

 重々しい音と共に分厚い装甲隔壁が開かれていく様を眺めながら、やや呆れの混じった感心の呟きをルルーシュが漏らす。

「……随分と厳重なモノだな」
「一応、ウチの最高機密の一つですからね。セキュリティも、それなりですよぉ」

 この奥にある『モノ』には、それだけの価値があると力説するロイド。
 そんな彼の反応に、ルルーシュも僅かに口元を綻ばせた。

 ――どうやら余程、鬱憤が溜まっていたらしい。

 胸中でそう呟くと、開かれた扉を潜り抜けながらスキップしそうな勢いで先を急ぐロイドに尋ねた。

「今回の一件は、お前にとっては渡りに船ということか?」
「もっちろんです!
 今回ばかりは、城内省の宦官達に感謝の言葉を贈りたいくらいですよぉ〜」

 満面の笑みで、そう返す。
 心の底から、そう思っているであろう事が、それだけで分かった。

 ルルーシュの苦笑が深まり、同時に、彼の横手に忠犬の如く付き従うジェレミアが、やや渋い表情を浮かべて呟く

「しかし、こんな形でお披露目する事になろうとは……」

 どうやらこちらの腹心は、不満があったらしい。
 眉間に皺を寄せて呟く彼に、ルルーシュは困った様な表情を浮かべた。

 ――もっと相応しい舞台があるのでは?

 『アレ』を使う事を告げた際、控え目にではあるがそう意見されていたのだ。
 ジェレミアとしては、現時点で、『アレ』を使うのは控えるべきとの思いが強かったのだろう。

 ロイドの言を信じるなら、一応は使えるところまで仕上がっているそうだが、まだまだ試作機の領域にあるのは間違いないのだ。
 どんな不具合が出るかも分からない代物を、主君に使わせる事に、彼としては懸念を払拭し切れないのだろう。
 ジェレミア的には、相応に使い込まれ実戦証明も終わっているファントム・ジーク・サイレント(F−4GS)辺りを、適当に偽装して使うべきと主張したのだが、その主張は他ならぬルルーシュ自身によって退けられていた。

 城内省が諦め悪く足掻くかは、彼の計算でも三割程度の確率だったが、足掻くと言うなら徹底的にやってやるのも悪くないとの判断からである。
 確かに『アレ』を出す事で、帝国軍辺りが騒がしくなるだろうが、なにせこちらは入札にすら参加させて貰えなかった身の上だ。
 今更、技術を出せと言われて、ハイそうですかと応えてやる義理など無い以上、無視すれば済む話でもある。
 そして何より、口には出さぬものの城内省に振り回される斯衛軍側へのささやかな気遣いという側面もあった。
 一応、母や紅蓮を筆頭に、彼の周囲には斯衛軍関係者も少なくない。
 城内省には気を使ってやる義理などないが、斯衛軍を含めてとなれば、逃げ道程度は用意してやる気にもなろうというものだった。

 そんな事を、とりとめも無く思い浮かべている彼の横手から、まだ諦めきれぬらしいジェレミアが再考を求めて来る。

「ルルーシュ様の公式な初陣でもありますが、やはりもう少し、信頼性というものを考慮されてもよろしかったのでは?」

 心配性気味な忠臣の苦言に、少年の口元が微かな笑みを刻む。
 視界の片隅でロイドが不満気に唇を尖らせるのを尻目に、ルルーシュは余裕たっぷりな口調で答えた。

「日本帝国が誇る斯衛軍の猛者。
 それも城内省が選りに選んだ精鋭揃い。
 お相手するにも、それなりの対応というものがあろうよ」

 そう言いながら秀麗な貌に皮肉気な笑みを浮かべる少年。
 言葉ではそう言っていようと、本心ではやや疑問符を付けているのが、偽らざる本音と言えるだろう。
 彼と紅蓮の関係から、城内省が『最終試験』に選抜する要員は、紅蓮や母・真理亜の息の掛かっていない面子にならざるを得ない以上、本当の意味において斯衛軍の最精鋭には成り得ない事を見越してのセリフだった。

 そんな返答を受け、主君の意思が硬い事を悟ったジェレミアは一つ小さく溜息を吐くと、諦めた様に口を噤む。
 やむを得ない――と書いてある顔で、了承を示す一礼を返す彼に、ルルーシュも鷹揚な頷きを返し応じた。

 やがて一行は最後の扉へと至る。
 七つ目の隔壁の封印を解いたロイドが、輝かんばかりの笑顔を見せながら、待ち切れないとばかりに開きゆく扉の中へと走り込んでいった。

 主君をおいてきぼりにする不作法に、思わずジェレミアが叱責の叫びを上げかけるが、当の本人が軽く手を上げてそれを制する。
 咎める事に意味は無いと告げながら開放された扉を抜けるルルーシュに、不承不承といった様子で矛を納めたジェレミアが続いた。

 中はちょっとしたホール程度の空間で、中央の壁際には、たった一機の為だけに設えられた整備用ハンガーが設置されている。
 そのハンガーの中、そこに佇む『モノ』を、ルルーシュは懐かし気に見上げた。

 どこか既視感を刺激する白き巨人。
 古代の騎士を想わせる勇壮なフォルムを描く『ソレ』の前では、絶好調なロイドがはしゃぎまくっている。

 数瞬、過去に思いを馳せたルルーシュは、『ソレ』を見上げたまま静かに尋ねた。

「……ロイド、この機体の名は何と言う?」

 『ソレ』の名を問う声に、誇らしげに胸を張ったロイドは、自信満々の笑みを浮かべて答える。

「決まってるじゃないですか!
 この子の名は――――」

 『白き騎士』の名が、機密ハンガー内に高らかに響き渡った。



■□■□■□■□■□



―― 西暦一九九三年 十二月二十四日 帝都郊外・斯衛軍戦術機訓練場場外ホール ――



 式典などにも用いられる訓練場に隣接した大ホールは人の熱気で満ちていた。
 思い思いに交わす言葉が混じり合い、無意味な音の羅列となってホール内の空気を揺らす中、貴賓席を占有した五摂家の面々とその護衛達が、真正面に設えられた大型のプロジェクターを興味深そうに眺めている。

 本来なら、城内省や斯衛軍の一部のみが参加するだけだった筈の今日の『最終試験』。
 だが、どこで聞きつけたのか煌武院家の当主が見学を求めた事を呼び水に、他の五摂家も追随し、今日ここに至っては、最早、天覧試合の様相を呈している。

 有力武家()譜代武家(山吹)は言うに及ばず、外様武家()や帝国軍の将校、果ては首相の座を射止めた榊までもが観戦を希望するに至り、最早、開き直った城内省は、ホールの内外にも臨時でモニターを設置して、この模擬戦を大々的に開催する事を選んだ為であった。

 城内省としては、ここまで大袈裟にしてしまえば、万が一にも言い逃れは出来ないとの思惑もあったのだろう。
 如何に頭が切れようと、剣の腕に秀でるとも、実際の戦術機を使った模擬戦となれば搭乗時間と経験の差がモノを言うのは確実で、敗北の恐れは無いとの読みも、そこには介在していたのだが……

 ――今度こそは!

 そんな意気込みの下、動かせる手駒の中でも手練を選りすぐり、更に公平を期すためと称して、五本勝負のルールを定めたのもその為だ。
 複数回仕合って、勝ち星が多い方の勝ちといえば聞こえはいいが、最悪、一人で五回戦う破目になる側の方が圧倒的に不利と言える。
 このルールを呑ませた際には、秘かに喝采した者も少なくなく、代わりに使う機体は自前で用意するとの申し出にも反対はなかった。
 後ほど、何か小細工をして来る事を懸念する声も上がったが、例え不知火に匹敵するような機体を出して来たとしても、経験の差とルール上の優位で押し切れるとの判断が、それらの意見を弱気なものとさせており、そんな城内省の思惑が各武家にもそれとなく伝わった結果、枢木の存在を疎ましく思っていた武家の観戦数を増やす結果ともなっていたのである。

 そんな枢木にとってはアウェーといえる雰囲気の中、誂えられた貴賓席の一角に座す悠陽は、自身が観戦を望んだ事で思った以上の大事になってしまった事に内心で頭を抱えつつ、心配そうな眼差しで正面に設えられた巨大なプロジェクターを見詰めていた。
 せめて大事にはならぬ様にと胸中で祈る少女を、傍らに侍りながら見守っていた真耶は、ふと何かに気付いた表情になると眼下の一般席に一角へと視線を向ける。

 帝国陸軍の軍服に身を固めた壮年の軍人が、一緒に連れて来たのであろう子供らを空いている席へと座らせていた。
 一人は真耶も良く見知っている武家の娘。
 だが残り二人は彼女も面識の無い相手、それも恐らくは外国人と思しき少年と少女であった。
 真耶の双眸が少しだけ細まり、そのまま身を屈めると悠陽の耳元で軽く耳打ちをする。
 一瞬だけ、儚げな背に緊張が走った。
 だが次の瞬間、それを霧散させた悠陽は視線だけ動かし、真耶が伝えた辺りをソッと見下ろす。
 今にも身を乗り出しそうな程、画面に集中しているその後ろ姿に、微かな罪悪感の混じった吐息が小さく零れ落ちていった。



 一方、そんな視線に気づく事無く、一般席を何とか押さえた唯依は、連れであるレオンやマオと共に固唾を呑んで成り行きを注視する。
 二分されたプロジェクターの片方には、既に待機状態にある五機の瑞鶴が映っていた。
 山吹が二に、白が三、いずれも城内省が選び抜いた腕利きであるという事は、既に引率者である巌谷から聞き及んでいた彼女は、小さな胸を痛めながらジッと見詰める。
 父が心血注いで作り上げた瑞鶴が、今この時、ルルーシュを害そうとしている事がとても心苦しくて堪らなかった。

『父様、兄……ではなく、ルルーシュ様をお守り下さい!』

 今は亡き父に祈る。
 なんとか無事に、事が収まる様にと。

 ――パリ、パリ、パリン。

『兄……もとい、ルルーシュ様も実戦経験が有るとはいえ、やはり五回も戦うのでは不利過ぎるというものです。
 オマケに模擬剣ではなく実剣を使うなど……もう少し条件というものを考えて下されば、これほど心配する事も無かったでしょうに……』

 余りにも分が悪く危険な勝負を受けた事を聞いた際には、思わず卒倒し掛けた事を思い出しながら、懐に抱いた父の形見の懐中時計をギュッと握り締める。

 ――ゴク、ゴク、ゴクン。

『嗚呼……どうか、どうかご無事で。
 父様、何卒、何卒、兄様を―――』

 ――パリ、パリ、パリッ。

「……マオ、少し静かにして下さい」

 胸中の祈りを中断した唯依が、己の左手へと向き直って言い放つ。
 怒りに震える声音が、彼女の隣人を打った。

「……ん?」

 キョトンとした表情となり、こちらを蒼い瞳が見詰めてくる。

 吸い込まれる様な深い蒼。
 生来の美貌を更に際立たせているソレを、真正面から見返した唯依は、暫し後、小さく溜息を吐くと、ポケットからハンカチを取り出した。

「ん」

 条件反射的に口元をこちらへと差し出して来る亜麻色の髪の少女。
 まるで雛鳥が、親に餌を求める様な仕草に、内心で少し萌えながら唯依は差し出された口元をハンカチで拭い、口の周りに付いていたポテトチップスのカスを取ってやる。

 なんというか、怒る気を削がれてしまった少女は、溜息混じりに注意した。

「貴女も淑女として、もう少し恥じらいを覚えるべきです。
 それに、その様なものを食べ過ぎるのも感心しませんよ」

 そう説教をしながら、マオの手元をチラリと見やる唯依。
 大きめのポテトチップスの袋と、脚の間に置かれたコーラの入った紙コップを親の敵の様な眼で見ながら、その様な食物を多量に摂取するのは健康に宜しくないと教え諭すが、これにはマオも小さく首を振って反論してきた。

「良く食べ、良く遊び、良く眠るのが大事」

 それが子供の仕事であると、自信満々に言い返し胸を張った。
 わずかに膨らんだ胸が強調され、マオを挟んで向こう側にいたレオンが顔を赤らめる中、唯依の胸中には敗北感が湧き起こる。

『……くっ……おのれ、肉食人種め!』

 未だささやかな膨らみすらない我が身を省みて、羨望と嫉妬の呪詛を上げながら反論を封じられた唯依に、勝ったと思ったのか、ニッコリと笑ったマオは、手にしたポテトチップスの袋を差し出して来る。

 唯依の視線が行き来した。
 ポテチとマオの胸の間を。

「……くっ……」

 一つ、敗北の吐息を漏らした少女は、恐る恐るそれに手を伸ばす。
 口にしたポテチは、しつこいくらいに脂っこく、そしてしょっぱかった。

「「「―――――」」」

 ザワリと空気が揺らめいた。
 弾かれた様に動いた唯依の視線がプロジェクターに向けられ、そして固まる。

 息を呑んで見つめるその先、二分された画面の片側に、先程まで無かった人型の影が見えた――白い影が。

 白き騎士――そんな言葉を連想させる古代の甲冑の様なフォルムを持つ勇壮な機影。

 だがその色を眼にした周囲の空気が、驚きから侮蔑へと変わっていく。
 どこかの誰かが発した悪意の混じった一声を皮切りに、連なり起こる声がホールを満たした。

 ――『白山吹』と。

 本来纏うべき色――山吹より一段格下の色である白を基調とし金を所々に配した機体。
 自ら山吹に非ずと認めた――と嘲る声が、そこかしこで響く中、小さな胸を痛める悠陽。

「ルルーシュ殿……何故に……」
「………」

 傍らに侍る真耶の双眸が苛立たし気に細められた。
 主君に心痛を齎した事に、そして……

 ……握り締めた掌に爪先が食い込み、微かに血が滲んだ。

 元々良くなかったホール内の空気が急速に劣化していく。
 悪意と敵意が増していくその中で、それでも見るべき物を誤る事無く見る者も居た。

「アレは……戦術機……なのか?」

 F−4、F−5のいずれの系譜にも見えない未知の機体。
 何よりも開発衛士としての豊富な経験とそれに基づく直感が、妙な警告を発しているのを巌谷は感じ取る。
 そしてそんな彼の勘を裏打ちする様に、白き騎士を映し出すプロジェクター下部に一連の英文が表示された。

Knight Giga Frame(ナイト・ギガ・フレーム)………」

 無意識の内に声が漏れる。
 巌谷の眉間に深々と皺が刻まれ、その喉が固まった。

 そして……

「……Lancelot・Zero(ランスロット・ゼロ)

 途切れたその呟きを繋ぐ様に、唯依の口元から小さな声が零れ落ちた。

 あの日、式根島で見た機械仕掛けの巨人。
 その完成形が、今、自身の目の前にある白き騎士である事を悟った彼女は、不意にハッとした表情で己の左を見る。

 相変わらずパリパリとポテチをパクつくマオ。
 どこか無関心にすら見える彼女の様子に、思わず開きかけた唇が虚しく震える。

 逡巡と戸惑いに囚われた唯依の耳朶を、透き通る様な声が撫ぜた。

「……メア・フレームは、元々、『アレ』を産み出す為の基盤として造り出された」
「「「――っ!?」」」

 食べ切ったポテチの袋を畳みながら、どこか茫洋とした眼差しのままマオが呟いた。
 その一言で、周囲の眼を見開かせた事すら興味なさげな少女は、誰に言うでもなく先を続ける。

「ナイト・ギガ・フレームは、メア・フレームの技術蓄積により完成された戦術機とは似て非なるもう一振りの剣」
「……もう一振りの剣」

 不思議と響くその声に、唯依達は思わずプロジェクターへと振り返る。

 画面の中で、五機の瑞鶴と対峙する白き騎士(ランスロット・ゼロ)

 未だ周囲からは、『白山吹』と嘲る声が聞こえたが、全く気にならない。
 数に勝る相手と相対しながら、悠然と佇む姿からは、機械仕掛けの巨人とは思えぬ程の気品と風格すら漂い、逆に対峙している側の瑞鶴の方が気押されている様にすら見えた。

「……兄様……」

 愛しくて恋しい人の許嫁となってから、一生懸命、矯正した筈の昔の呼び名が、無意識の内に艶やかな唇から零れ落ちていった。



■□■□■□■□■□



―― 西暦一九九三年 十二月二十四日 帝都郊外・斯衛軍戦術機訓練場 枢木側CP ――



「あっははぁ〜〜!
 ようやく、ようやくこの日が来たぁ!!」

 光量が落とされたCP内に、ロイドのハイテンションな叫び声が響き渡る。
 同席していたジェレミアが何かを言い掛けて止め、CPオフィサーを務めていたセシルが苦笑混じりに小さく首振った。

 どちらも止めるだけ無駄と分かっていたからだ。
 今のロイドを大人しくさせられる者が居るとするなら、この奇矯な天才が、唯一忠誠を誓った者しかないだろう事も……

 期せずして、三対の視線がCP内のモニターに、そこに映る白き騎士(ランスロット・ゼロ)へと集中する。

 一つはどこまでも熱く、一つは心なし心配そうに、そして最後の一つはどこまでも真剣に。

 彼等の主君が乗る彼等の努力の集大成(ナイト・ギガ・フレーム)へと。

戦域支配戦術機(ラプター)? 世界初の第三世代戦術機(不知火)?……はっ!
 そんなガラクタなんか、僕のランスロットから見れば木偶人形みたいなものだって事を皆に教える時がねぇ〜〜」

 不敵なまでの自信に満ちた声が木霊し、そしてそれに合わせる様に、スピーカーから傲岸不遜な『覇王』の声が響く。

『時間の無駄だ。
 全機纏めて、お相手しよう』

 一瞬の静寂の後、無数の感情が入り混じり沸騰した空気が、仮初の戦場を覆い尽くした。



■□■□■□■□■□



―― 西暦一九九三年 十二月二十四日 帝都郊外・斯衛軍戦術機訓練場 ――



 喧騒の中、怒りに猛る瑞鶴達を、彼は冷たく見据えていた。
 この場を観戦しているホール内でも、罵詈雑言の嵐が吹き荒び、身の程知らずな少年へと向けられている事も承知の上で、彼は静かに笑う。

 初めから馬鹿正直に五回も戦うつもりなど毛頭なかった彼は、場の空気と人々を巧妙に挑発し、操って、なし崩しに一気に勝負を決めてしまう腹だったのだ。

 わざわざ機体の基調色を白としたのも布石の一つ。
 本来の身分より格下の色を纏った相手を、さんざん侮蔑したところでの挑発は、予定通り相手の血圧を上げまくってくれたようだとほくそ笑む。

 ――まあ、山吹を基調にしろといって、あのロイドが素直に従ったかは甚だ疑問ではあったが。

 なにはともあれ、瑞鶴の衛士達はもとより、彼らを選んだ城内省の宦官(官僚)共も、そして大多数の観衆達も冷静さを欠いているのは、スピーカー越しに聞こえる喧騒だけでもはっきりと分かる。

「……さて、どうなるかな?」

 意地悪い笑みを浮かべつつ呟くが、答えは既に見えていた。
 面子と誇りに拘る城内省や武家で有る以上、この挑発を受け流せはしないのだと。

 ――網膜投影される映像の中、五機の瑞鶴が一斉に74式長刀を抜刀するのが見えた。

「ああ、それで良い。
 全ては計算通りだ」

 形良い唇が、ニヤリと歪んだ。

 陽の光を弾いて鈍く輝く長刀は、刃引きもされていなけば、カバーも付いていない。
 当初の約定通り本物の実剣であり、そしてそれを構える者達も殺る気満々である事が見て取れた。
 もはや己の身を押さえ、枢木を手に入れるという皮算用すら忘れている可能性も高いが、こちらにしてみればどうでもいい話である。

 彼の興味はただ一つ。

「これでこちらも遠慮の必要が無い訳だ」

 ……ただそれだけだった。

 セシル謹製の純白の騎士服を身につけたルルーシュは、新たな愛機となる白き騎士(ランスロット・ゼロ)の操縦桿を親しげに撫でながら呟く。

「借りるぞ、スザク」

 今は遠き世界で生きる友へと告げる。
 そしてただそれだけで、身体の奥から力が湧いて来るような気がした。

 ルルーシュの双眸に峻烈な光が宿る。
 主の意を読み取った様に、機体の主機『ユグドラシル・ドライブ』が鋭い唸りを上げ、一気に戦闘出力へと噴き上がっていった。

 ――轟と開戦を告げる号砲が鳴る。仕合の始まりだ。

 五機で変則的な陣形を組み、そのまま主脚走行(ラン)で突っ込んで来る瑞鶴達。
 既存の陣形で言うなら鶴翼に近く、包囲して鱠斬りにする意図が見て取れた。

 即席のフォーメーションにしては良く出来ている言うべきだったろう。
 ぶっつけ本番でそこまで出来る辺り、精鋭との看板に偽り無しとも言えたのだが……

「それでは通じんよ」

 冷たい呟きが管制ユニット内に響く。
 同時に背部に展開されるX翼式のフロート・システムに淡い緑の光が宿り、白き騎士(ランスロット・ゼロ)の巨体をふわりと浮かせた。

 静止状態(ゼロ)から戦闘機動(トップ)へと一気に加速する機影。
 従来の跳躍ユニットでは有り得ない加速に、思わず反応が遅れた瑞鶴の群れのど真ん中を白い閃光が一気に突っ切った。

 砂埃を巻き上げる颶風と共に山吹の首が宙を舞う。
 重々しい音と共に、首を失った山吹の瑞鶴が大地に崩れ落ちていった。

 一瞬の交差で僚機を仕留められ、唖然として固まる残り四機の瑞鶴を前に、抜き打ちで放ったMVSを再び納刀しつつ向き直る白き騎士(ランスロット・ゼロ)
 得物をしまい、隙だらけに見えながらも、瑞鶴達は斬りかかる事が出来なかった。

 想像外の機動とソレを為した乗り手に気を呑まれ、立ち竦む彼等。
 そしてそれは致命の隙となる。

 白き騎士(ランスロット・ゼロ)の腰部から放たれたスラッシュ・ハーケンが二機の白瑞鶴を捕え、その牙が機体に深々と食い込んだ。
 突然の衝撃にシェイクされ、一瞬、状況判断力を喪失した二機を、ハーケンのワイヤーを掴んだ白き騎士(ランスロット・ゼロ)が無造作に引っ張る。
 圧倒的な出力差に、堪える事すら出来ぬまま玩具の様に宙を舞った二機は、ワイヤーに振り回されるまま空中で激突し、破片を撒き散らしながら地に落ちていった。

 火花を散らすスクラップと化した二機を捨て置き、ゆっくりと白き騎士(ランスロット・ゼロ)が歩み出すと、生き残りの山吹と白が思わず後ずさる。
 魔神の如きパワーとスピードを見せつけた白き騎士(ランスロット・ゼロ)に、恐れを知らぬ筈の斯衛が怯んだ瞬間だった。

 まるで人間そのもの、巨人が甲冑を纏って立ち塞がっているかの如き白き騎士(ランスロット・ゼロ)の動きを画面越しに見ていた巌谷が眼を見張り、観戦に来ていた彩峰と榊が揃って感嘆の吐息を漏らす。
 対して『白山吹』と馬鹿にした筈の機体が、途方も無い化け物である事を理解してしまった者達は、息を飲んで成り行きを見守る事しか出来なかった。

 わずか三十数秒、たったそれだけの時間で、全ての者達の認識が書き換えられてしまった。
 最早、斯衛軍側の勝利を信じる者は皆無に等しい。

 そしてそれを誰よりも実感していたのは直接対峙していた彼らだった。
 残された山吹と白の瑞鶴の内、白の瑞鶴の衛士が恐怖に耐えかねて白き騎士(ランスロット・ゼロ)へと突っ込んでいく。

「ああぁぁぁぁああぁっ!!」

 気合いというには音程の狂った奇声と共に、破れかぶれの斬撃を放とうとするが、74式長刀を握った両手が、柄ごと白き騎士(ランスロット・ゼロ)の左手であっさりと押さえ込まれる。
 ビクとも動かなくなった自機の腕に、恐慌状態に陥った白の衛士。
 その頭部を白き騎士(ランスロット・ゼロ)が掴むや、押さえていた瑞鶴の両腕諸共に引き千切った。

 首と両腕をもがれ、鮮血の様な赤い火花を散らしながら倒れ込んでいくその姿に、観戦ホールのあちこちから悲鳴が上がる。
 最早、戦闘ではなく虐殺と化した模擬戦に、会場のあちこちから制止の叫びが上がる中、僚機の末路に覚悟を決めた最後の瑞鶴が74式長刀を構えた。

 勝機無しと悟って尚、せめて一太刀と誓う気迫が滲みでるその姿に、対するランスロットもまた双刀のMVSを抜き放ち迎え撃つ構えを見せる。
 互いの間に満ちる剣気に、恐慌状態に陥り掛かっていたホールの内外も気圧され言葉を無くしていった。

 相手の一挙手一投足に神経を尖らせる両機。

 捨て身の一撃を警戒してか、待ちへと入る白き騎士(ランスロット・ゼロ)に対し、長引けば長引く程、自身が不利になるだけと悟っていた瑞鶴は、乾坤一擲の勝負に出る。
「はぁぁぁぁっ!!」

 渾身の気合と共に斬りかかる瑞鶴。
 静から動へと転ずる白き騎士(ランスロット・ゼロ)
 常識外の加速が白い巨体を閃光を化すが、それも瑞鶴の予測の内だった。

『殺った!』

 突っ込んできた白き騎士(ランスロット・ゼロ)の頭上へと振り下される74式長刀。
 突撃級の装甲殻すら切り裂けると断言できる会心の一撃に、万に一つの勝機を掴んだと確信した瞬間、空を疾る二連の閃光が彼の長刀ごとその確信を斬り裂いた。

 最初の脱落機同様に首を刎ね飛ばされた瑞鶴が、力尽きた様に擱座する。
 その真正面に、半ばから斬り裂かれた74式長刀の刀身が墓標の様に突き立った。

 圧倒、圧巻というべきか?

 完全に呑まれてしまった観衆達が、息を呑み言葉を喪って固まる中、勝者たる白き騎士(ランスロット・ゼロ)が背にMVSを納刀しようする。

 ――だが。

「まだ終わってはおらんぞ!」

 戦場に轟き渡る大音声。
 一同の視線が画面の一角に吸い寄せられた。

 ゆっくりと画面の中に映り込んで来る赤い戦術機。だがそれは――

「……不知火」

 ――帝国軍次期主力戦術機としての採用が確定した第三世代戦術機『不知火』。

 その量産試作型が、その身を真紅に染めて白き騎士の前に立ち塞がる。そして……

「紅蓮閣下……」
「見事であったルルーシュ。
 貴様も、その機体もな……まさか瑞鶴が玩具扱いされるとは思いもよらなんだわ」

 赤い強化装備に身を固めた紅蓮醍三郎・斯衛軍中将が、獰猛な笑みを浮かべて笑っていた。
 ルルーシュの視線がチラリと動き、ホール内の様子を映すモニターを伺うが、事態の変転についていけないのか、狼狽するだけの城内省の宦官達に失望の溜息を漏らす。

 そんな彼の動きに気付いているのかいないのか、笑う紅蓮が片頬を釣り上げた。

「真理亜の剣を受け継いだか……ならば『閃光』の名も受け継げるか否か、ワシが試してくれよう」

 そう告げると、背面の兵装担架から74式長刀を抜き放った。
 先程の瑞鶴の比では無い一分の隙も無い構えと殺気に、不敵な少年の額に冷や汗が滲む。
 彼には珍しい逡巡が、その胸中を掻き回した。
 悠陽に害なせば斬るとまで言われた相手ではあるが、それでも幼き頃から家族の様に付き合って来た身内。
 刃を合わせる事には躊躇いもあった。

 だがそれ以上に……

『……勝てるのか?』

 そんな疑念が彼の脳裏を過る。

 最強の看板に偽り無しという事は、彼自身が身を以って知っていた。
 そして紅蓮の思惑がどうあれ、ここで負ければ城内省は、自分達の勝利と強弁するだろう。
 そうなってしまえば、我が身の破滅となりかねない。
 何より、冷静に考えれば、飛び入りである紅蓮の相手までする義務は無いのだ。
 既に自身の勝利が確定している以上、わざわざミソを付けるなど馬鹿らしいにも程がある。

 ……程があるのだが。

 そこまで考えたところで、ルルーシュは無意識の内に操縦桿を撫ぜている自分に気付く。
 その瞬間、険しかった表情がフッと緩んだ。

「……いいでしょう。
 閣下の最強伝説、今この場にて幕を引いて差し上げましょう」

 紅蓮が最強であるなら、自分『達』も又、最強であると。

 ――友は今この場に居らず。
 ――されど彼の愛機を継ぐ機体は己と共にある。

 ならば――

「ハッ! 吠えたな小僧が」

 紅蓮の浮かべた巨獣の笑みに、傲岸不遜な覇者の笑みで報いる。

 ――オレ達が共にある限り、叶わぬ願いも、敵わぬ敵も無い。

 その確信と共に、少年は再び操縦桿を握り締めた。

 互いに構える両者。
 止めに入ろうとした動きを悠陽が制止する。
 男達の頬が、一瞬だけ緩み、そして再び元に戻った。

 対峙する赤き侍(不知火)白き騎士(ランスロット・ゼロ)

 先程の焼き直しにも見えたが、今度は白き騎士(ランスロット・ゼロ)が先制する。
 フロート・システムの加速力を使い、一瞬で間合いに踏み込んだ白き騎士(ランスロット・ゼロ)から、光の筋にしか見えぬ双刀による連撃が放たれ、対する赤き侍(不知火)は、刃を合わす事無く刀身の横腹を打って弾く。
 わずか数秒で十数合も打ち合った両者は、息を合わせた様に同時に後退し間合いを取った。

「やはりな……ただの長刀ではないか!」

 打ち合わせる度に74式長刀を通じて届く妙な手応えに納得の呟きを漏らす。
 瑞鶴をスーパーカーボン製の刀身ごと、大根の様に斬って捨てた異常な切れ味の秘密に紅蓮は早くも気付いた。

 弾く毎に機体そのものに伝わる痺れる様な感覚。
 電撃にも似た感触だったが、それが超高速の振動波によるものである事を看破した紅蓮は、ニヤリと太い笑みを浮かべた。

「……振動刀とでも言うべきかの?」
「『メーザー・ヴァイブレーション・ソード』――と覚えておいて下さい」

 種明かしを求める紅蓮に、ルルーシュも苦笑混じりに応じる。
 いずれにせよ後々、瑞鶴や長刀の残骸の切断面を解析すればバレる事だ。

 予定の範囲内の情報漏洩なら構いはしないとあっさりと割り切る彼に、紅蓮も冗談交じりに話し掛ける。

「やれやれ厄介な……とはいえ、これが有れば馬鹿っ硬い突撃級すら真正面からぶった切れそうだの」
「申し訳ありませんが試作品でして、当面、販売の予定はありません」
「ふん、ケチ臭い事を申すな。
 止むを得ん……お主を叩きのめして現物を頂くとしよう」
「それはご遠慮させて頂きます」

 軽口を叩き合う両者。
 少し前までは、生身でそうしていた事を思い出し、数瞬だけ過去を懐かしむ。

 だが既に、互いに背負うものを背負って対峙する両者に、過去に思いを馳せる時間は許されなかった。

 裂帛の気合と共に踏み込んで来る一撃を交わし、返礼の斬撃を見舞う。
 甲高い音と共に弾かれるMVSの刀身が泳ぎ、お返しとばかりに豪刀の一閃が白き騎士(ランスロット・ゼロ)の胴を薙ぎ払った。

「くぅっ!?」

 装甲表面を掠めていく一撃に、肝を冷やしつつ距離を取る。
 してやったりとばかりに紅蓮が大笑した。

「はははははっ!
 こうしていると思いだすのぉ。
 お主に剣の稽古を付けていた頃を……」
「……事ある毎に吹っ飛ばされました。
 あの時の借りも、この場で纏めて返しましょう」

 煽られ昔を思い出したルルーシュは、少しばかりムッとしつつも冷静に切り返す。
 その脳内では、彼我の戦力差を精密に計算ながら……

 不知火での慣熟時間は、大してない筈なのに完全に使いこなしている事は理解出来た。
 不知火そのものも、想像以上に良い具合いに仕上がっている事も。

「……RTOSの最新バージョンを卸したのは失敗だったかな?」

 口中で小さく呟き、第三世代機向けの新型OSを早めに卸した事を後悔する。
 後悔したのだが……

「ああ、だがそれでも……」

 双刀を中段に構える白き騎士(ランスロット・ゼロ)
 こちらの意図が伝わったのか、応じる様に赤き侍(不知火)が長刀を真っ向上段で構える。

 一瞬の静寂、互いに互いの呼吸と鼓動を読み、そして……弾ける。

 不知火の反応限界ギリギリの早さで振り下される74式長刀と赤い光を纏ったMVSが交差する。
 だがここで機体本来の差が勝敗を分けた。
 不知火の限界を更に超えた領域へと踏み込んだ白き騎士(ランスロット・ゼロ)の一閃に、刃筋を逸らし損なった74式長刀が、刀身の半ばから斬り裂かれ宙を舞う。

 そして――

「……見事……」

 ――もう一筋の閃光が疾り抜けた。

 頸部を断たれた不知火の頭が、ゆっくりと落ちていく。
 そして首が地に落ちた音と共に、白き騎士(ランスロット・ゼロ)は場外へ向けて歩き出した。

 振り返る事無く去りゆくその機影を、それぞれの思いと共に見送るそれぞれの人々。
 それが正負いずれのモノであれ、彼等の内には一つの共通認識――この一件が、完全に終わったとの思いが根付いていた。



 そしてその認識通り、この日、この出来事を以って、この一件は完全に終息する。
 ルルーシュに対する城内省からの訓練校入校を促す圧力は潰え、以後、表裏共に干渉する事はなかったという。

 但し、この結末が余程腹に据えかねたのか、城内省を始めとする反枢木勢力内では、枢木を指す隠語として『白山吹』が使われる様になり、彼等の溜飲を密やかに下げさせる事となったのだった。



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―― 西暦一九九三年十二月二十四日 帝都・枢木邸 ――



「やれやれ、大分はしゃぎ回ったものだ……」

 膝の上で船を漕ぎ出した唯依を見下ろしながら、ルルーシュがクスリと笑った。

 先程まで続いていたささやかな戦勝祝いの宴も、そろそろ幕引きの頃合いだろう。
 斯衛を相手に圧勝したルルーシュに尊敬の眼差しを向けていたレオンも、黙々とご馳走を平らげていたマオも、そして安堵し甘えていた唯依も、既に夢の世界の住人と化していた。

「それほど嬉しかったんでしょう。
 御三方共、とても心配していらっしゃいましたから」

 そう応じながら咲世子が、畳の上で寝息を立てているレオンを背負い上げる。
 既に父親のクゼ准将には、今日はこちらに泊める旨を連絡し了解を取っていた。
 半ば居候となりつつある少年を起さぬ様に気遣いながら、咲世子が広間を出ていく。

 それを見送ったジェレミアも、軽い一礼と共に退出を告げた。

「それではルルーシュ様、我等もこれにて」

 そう言って許可を求める臣下に、鷹揚に頷くと、いま一度、礼を執ったジェレミアは炬燵に突っ伏している養娘を抱き上げた。
 男親らしい何処かおっかなびっくりといった様子で、マオを抱き上げたジェレミアは、三度礼を執るとそのまま退出していく。

 そうなると後に残るのは、ルルーシュを除けば、眠り姫と化した唯依と、虎となったセシル、そして虎の餌食となっているロイドだけだ。
 なにやら部屋の片隅で騒いでいる両者に生温かい視線を注いだルルーシュは、見て見ぬ振りを決め込んで、そのまま唯依を抱き上げる。

 と、その時、唯依の懐からコロリと転がり出した何かが、炬燵の天板に当たって畳の上に落ちた。

「ん?」

 微かに眉を寄せながら、確認したルルーシュの双眸がスッと細くなる。
 電灯の光を浴びて鈍く光っていたのは、亡き父の形見として唯依が大切にしているアンティークな懐中時計だった。

 篁中佐の没後、何故か時を止めてしまったソレを、唯依が肌身離さず持っていた事は彼も良く知っていた。

 困ったものだ――と、内心で呟きつつ、手を伸ばしたところで彼の動きが止まる。

 落ちた拍子に蓋が開いた時計は、以前と変わらず秒針まで止まったままだ。

 それはいい。それは構わない。
 父と共に生き、そして父と共に逝った時計を蘇らせる事を、唯依は望まず、そしてルルーシュも又それで良いと思っていたからだ。

 微かな困惑をまぶした視線が、役目を終えた文字盤の上、開いた蓋の裏側に注がれる。

「……これは……」

 天板にぶつかった際の衝撃が原因か、開かれた蓋の裏側がわずかにズレて、その後ろに忍ばせてあった物の片鱗が覗いていたのだった。



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―― 西暦一九九三年十二月二十四日 帝都・紅蓮邸前 ――



 やれやれといった風情で肩を回しながら、凍る様な冬の夜空の下、ノッシノッシと擬音が付きそうな様子で巨漢が歩いていた。
 つい少し前まで、模擬戦に乱入した挙句、敗退した事をネチネチと責められていた紅蓮は、この漢には珍しく疲れた表情を浮かべながら夜の帝都をそぞろ歩く。

「……あの玉無し共が、しつこ過ぎるぞ」

 吐き捨てる様に呟く。
 元々、城内省の官僚とは折り合いが悪かったが、流石に数時間も嫌味を言われ続ければ腹も立とうといういうものだ。

『途中、何度ぶった斬ってやろうと思った事か……』

 などと物騒な事を考えつつも耐え抜けたのは、不知火を以ってして尚、白き騎士(ランスロット・ゼロ)にはまったく及ばぬ事を、結果として証明した形となり、斯衛軍衛士の力量不足であったとの非難をかわす事が出来たからであろう。

『……まあ良かろうよ。
 取り敢えず、なんとか丸く収まった訳ではあるしな』

 胸中で、そう独白すると、鬱陶しい宦官共の顔を記憶の中から消していく。
 それと同時に、ブルリと寒気が走った。

「むっ……いかんな」

 どうやら頭を冷やそうと夜道を徒歩で帰って来た所為で、頭と一緒に身体も冷えてしまったらしい。

「酒でも飲んでサッサと寝るか……ぬっ?」

 遠くに見える自宅の門へと視線をやりながら、そう呟いた紅蓮は、門の前に小さな人影が佇んでいる事に気付いた。
 それが誰かに気付いた男の口から、苦笑混じりの溜息が洩れる。

 歩速を早め、距離を詰めるこちらに気付いたのか、あちらも躊躇いがちに近づいてきた。
 人影の輪郭が徐々に鮮明になり、やがて幼い少女の姿を取る。

 まっすぐな眼差しがこちらを見るのを心地良く感じながら、紅蓮はニヤリと太い笑みを浮かべた。

「……師匠」
「どうした冥夜。随分としけた面をしておるのぉ」

 何と言っていいか分からないといった顔で、声を掛けて来た愛弟子に、紅蓮はおどけた調子で話し掛ける。
 愛弟子――御剣冥夜の顔に、労わる様な色が浮かび、紅蓮は自分が愛弟子に誤解されている事を悟った。

 紅蓮は、少しだけ情けない気分になりつつ、師としての矜持から億尾にも出す事無く、誤解を解きに掛かる。

「ふっ……見たであろう?
 あれがそなたの兄弟子……いや、少し違うか。
 ……まあ良いわ。佳き男子であったろう?」

 冥夜の幼い美貌にキョトンとした表情が被った。
 自分を負かした相手を褒める意味が、一瞬、彼女には理解できなかったのだろう。
 少女の面に、不満の色が滲んだ。

「そうは思いませぬ!
 あの様な戦術機を持ち出して、師を弄るなど侍の風上にも置けません!」

 あまりにも圧倒的な性能差のある機体を使い、師とも言える紅蓮を下した事を詰る。
 どこまでも生真面目で堅物な愛弟子の反応に、紅蓮は苦笑を浮かべた。

 とはいえ、笑って済ませて納得する弟子でない事も良く弁えていた彼は、己の推測を口にする。

「そうではない。
 あれはアヤツなりの心遣いというものよ」
「心遣い……ですか?」

 紅蓮の言葉の意味が分からなかったのか、不審げな顔をする冥夜に向かい、紅蓮は笑いながら指摘した。

「お主が、いま言ったではないか?
 機体の性能差で負けた――と言い訳する事が出来るからな」
「――っ!?」

 少女の顔一杯に、驚愕の色が広がる。
 そういった思考は、彼女の中には無かったからだ。
 飽くまでも勝敗、そして師と弟子という関係にのみ意識が向いていた彼女に、紅蓮は切々と語っていく。

「アヤツなら、同じ瑞鶴を使っても、斯衛の連中を下せたであろうよ。
 だが、そんな事になれば、負けた者達がどう言われるかを考えた上での事よ」
「……し、しかし……」

 負けた者の事まで考えていたと言われても、ハイそうですかとは冥夜も納得出来なかった。
 あまりにも無慈悲で凄惨な勝ち方をした白き騎士(ランスロット・ゼロ)の姿が、脳裏に焼き付いてしまっていたからである。

 仁慈の欠片すら感じられぬ戦いぶりを見せた人物が、そこまで気を配っていたとは思えないと反論しようとした少女の機先を紅蓮が制した。

「オマケにワシも負けた。
 不知火を引っ張り出した上でな。
 これで少なくとも、表立って連中が非難される事はあるまいよ」
「……ですが、それでは師匠の面目が丸潰れではありませんか!?」

 だから良いのだと告げる紅蓮に、それでも冥夜は食い下がる。
 百歩譲って、そうであったのだとしても、やはり紅蓮を衆人環視の中、辱めた事だけは認められないと。

 自身への強い敬意と思慕を滲ませる愛弟子に、この男には珍しい優しげな笑みが浮かぶ。

「構わん。
 こんな下らん事で、若い連中の芽を潰す事を思えば余程マシな結果よ」
「ですがっ!」

 尚も食い下がろうとする冥夜。
 もはや依怙地となった彼女の前に、分厚い掌が差し出され、その先を言わせなかった。

「良いと言っておろう?
 何より、ワシは嬉しいのだ」
「えっ?」
「自慢の息子が、今日、ワシを越えた。
 ……これを喜ばずして、何を喜べと言うのだ?」

 男くさい笑みを浮かべながら、どこか気恥しそうにそう告げる紅蓮に、冥夜は続く言葉を喪った。
 心底から、そう思っている事が彼女にも伝わり、これ以上の非難を口にする事を出来なくなってしまったから……

 言葉を喪い、俯く愛弟子の頭の上に、分厚い掌が乗せられた。

「……さて、今日はもう遅い。泊っていくがいい」
「……はい……」

 頭の上に感じる重みと温かさが、落ち込みかけていた冥夜の心を拾い上げる。
 ぎこちない笑みを浮かべる冥夜の頭を、二、三度、グリグリと撫でた紅蓮は、彼女を伴い、自宅の門を潜っていった。






 どうもねむり猫Mk3です。

 う〜ん今回も超難産。
 四月中に出したかったんですけどねぇ。
 五月に食い込んじゃいました。

 さて、断章は、如何でしたでしょうか?

 もう何話か突っ込んでから新章に行きますので今少しお付き合いを。

 しかし、今回は懐中時計ネタをチョロっと。
 まあ、あれだけ意味あり気なアイテムなんだから、
 何か仕込んでいるだろうと信じていたんですが……
 
 TEゲームのPVで色々と意味あり気なシーンも入ってきたので入れ込んでみました。
 まあ、これまでの話でも意味あり気に絡めていたんですけどね。
 直接的には初めてかも。
 さて、この伏線は生きるか死ぬか?
 それはゲーム次第ですね。

 ちなみに、ねむり猫Mk3は、唯依・ユウヤ異母兄妹説を信じているクチです。
 ですので、ゲームでの謎解きに、今から興味津津なのでした。

 では次回もよろしくお願いします。

 ではでは





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