Muv-Luv Alternative The end of the idle


【創嵐編】


〜 PHASE 15 :少しだけ未来の出来事 〜






―― 西暦一九九八年 八月某日 帝都・西京極 ――



 轟々と燃え盛る炎が渦巻き、立ち上る黒煙が太陽を隠す。

 ほんの少し前までは、この帝都の半ばまでを覆い尽くしてた情景が、今この場にて再現されていた。

 立ち上る陽炎の中、超然と佇む一体の巨人。
 燦然と煌めく白銀の鎧に身を固めた『ソレ』の中で、少女――マオ・ゴットバルドは自らの手で創りだした煉獄の光景を無感動に眺めていた。

 ――何とも呆気ない。

 どこか拍子抜けした様な思いが彼女の胸中を過る。

 決して赦し得ぬ真似を仕出かしてくれた唾棄すべき輩達であった。
 八つ裂きにしても飽き足らない。
 いや、実際に八つ裂きにしても満足には程遠かった。

 騎士服に包まれた豊かな胸の奥で渦巻く怒りの万分の一も叩きつける前に連中は潰え、このままではストレスが溜まる事、溜まる事。

「ほぅ……」

 深い吐息と共に、柔らかそうな唇から胸奥で燻る熱を吐き出すが、そんなモノでは納まりが着きそうになかった。

 ――やはり事の元凶の首を獲って来るべきだろうか?

 不意にそんな思考が脳裏に浮かぶ。
 そしてそれが、とても良い考えに思えた。

 結局のところ、彼女が叩き潰した連中は飽くまでも『手足』に過ぎない。
 この不愉快極まりない事態を引き起こした連中の『頭』は、今も安全な城の奥で多くの兵に護られているのだ。
 それをこのまま放置して、自分達がこの地を去るというのは何とも片手落ちではないかとも思う。

 そして何より――

『責任者は、責任を取る為に居る』

 彼女の主が、良く口にしていた言葉だった。
 そしてその言葉通り、彼女の主は責任を取る事を厭わない。
 ならば連中にも、このふざけた真似の責任をキチンと取って貰うべきだろうと彼女は考えた。

 愛機に劣らぬ見事な銀髪がサラリと揺れ、薄桃色の唇が凄艶な笑みを刻む。
 人形の様に整った容貌の中で輝く蒼の瞳がチラリと動き、網膜に投影されている情報を素早く確認していった。

 幸いにして、まだ少しだけ(・・・・)時間は残っている。
 エナジーの残量も充分だった。

 ――そう、ショーグンとやらが引き篭もる二条城を急襲し、その軍諸共に踏み躙るには充分過ぎる程に残されている。

 白銀の機体が機首を巡らせ東へと向き直った。
 操縦桿を握る手に力が籠り――かけて止まる。

 彼女の網膜に投影される警告表示(アラート)
 見覚えのある機体識別番号まで表示された三つのマーカーが、全周波数で停戦信号を発しながら急速に接近して来る。

「…………」

 筆で刷いた様な形良い眉が微かに寄った。
 少女の唇から意図せぬままに小さな溜息が一つ零れ落ちる。

 再会を望んではいなかった。
 少なくとも今は……

 だが心の何処かでこうなるとも思っていた。
 彼女(・・)がこのまま無様に引き下がる筈も無いと。

「ふぅ……」

 いま一度溜息を零すと、彼女は何かを振り払うかのように小さく首を振る。
 元凶の首を獲る事を諦めた少女は、女らしい曲線を描く伸びやかな肢体から力を抜くと、この地で迎える最後の客を待つ事にしたのだった。



■□■□■□■□■□



―― 西暦一九九八年 八月某日 帝都・西京極 ――



「これは……」

 応急処置を済ませただけの瑞鶴の中で、篁唯依は絶句する。
 周囲に広がる惨状は、既に聞き及んでいた事ではあったが、やはり聞くと見るとは大違いだった。

 ――燃え盛る炎と立ち上る黒煙。
 ――砕かれ、融かされ、切り裂かれて転がる無数のヒトガタの残骸。

 そんな煉獄そのものとも言える光景の中、悠然と佇む『白銀の騎士』の姿は、異様でありながら、どこか似つかわしくも思えたが、それもまた道理と思い直す。

 彼女の乗機である瑞鶴とは出自が異なるとはいえ、『アレ』もまた、戦う為に産み出されし存在――Knight Giga Frame(ナイト・ギガ・フレーム)

 本来なら憎むべき異星起源種(BETA)に対して向けられるべきその力が、人に対して向けられてしまった事に、そうさせてしまった事(・・・・・・・・・・)に、歯軋りしたくなる程の無念さと情けなさを噛み締めながら、唯依が瑞鶴を着陸させると、追随してきた山城上総の瑞鶴と巌谷榮二の駆る不知火もそれに倣った。

 百数十メートルの距離を置き四体の機械仕掛けの巨人達が対峙する。
 戦術機に比して圧倒的な加速力を誇る白銀の騎士(KGF)にとっては、一足一刀の間合いと承知の上で敢えて無防備を示す唯依達に対して、相手もまた攻撃の意思を示す事は無かった。

 ――話を聞いて貰えるのだろうか?

 そんな虫の良い考えが唯依の脳裏を過る。
 甘い期待に突き動かされ、思わず一歩前に出た瑞鶴の足元で、その甘さを嘲笑うかの如く大地が爆ぜた。

「――っ!?」

 いつの間に抜き放ったのか、スーパーヴァリスの砲口がピタリと唯依達に向けられていた。
 胸を掻き毟りたくなる様な想いが胸中に満ち溢れ、呻き声となって唯依の唇を割る中、冷たく凍えた声が電子回路を貫いて彼女の鼓膜を抉る。

『……それ以上、近づく事は認めない。
 後一歩でも近づけば……殺す』

 再びヴァリスが吼え、火柱が列を成す。
 互いを隔てる砲火の壁に、一瞬立ち竦みながらも、唯依の喉元から悲痛な叫びが迸った。

「マオ……私は……私は!」
『貴女の意思も事情も関係無い。
 私は、騎士(王の剣)として、我が主を害するモノ全てを斬り捨てるだけ』

 少女の魂の絶叫を、冷たい拒絶の言葉が阻む。
 無造作にヴァリスをマウントへと戻した白銀の騎士(KGF)は、代わりとばかりに二振りの得物を抜き放った。

 刀身に淡い光が宿り、空気が微かに震える。
 両脇に双刀を下ろして佇むその姿が、かつて見た真理亜のソレと重なり、一瞬、唯依の呼吸と鼓動を止めさせた。

『ねぇ唯依ちゃん。
 唯依ちゃんが、もしいつか、魔王に……いえ魔王になりそうな人に出会ったら、止めてあげてね』

 幼き日、その膝に抱かれながら言われた言葉、否、願いが彼女の脳裏に鮮明に蘇った。
 言葉を忘れた唇と喉が、ヒクヒクと無様に痙攣する。

 ――嗚呼、そう言われたのに、約束したのに、なのに……私は……ナニヲシタ(・・・・・)

 足元が崩れ落ちていく様な錯覚。
 これまで積み上げて来た全てが消えていく心細さに、唯依は思わず蹲りそうになる。
 絶望と言うものをイヤというほど味わったつもりだったが、それはまだまだ序の口だった事を、今この場にて彼女は痛感した。
 自分が何故、何の為に、ここに来たかすら忘れ果て、放り捨て、無様に惨めに逃げ出したくなる。

 羞恥の涙でぼやける視界の中、ただ白銀の輝きのみが残った。
 微塵も揺らぐ素振りを見せず、己の往くべき道を突き進む幼馴染(マオ)の姿を前に、恥じ入る想いのみが募る。

 ただ一歩、たった一歩、前に出る勇気すら失い、思わず後ずさった唯依。
 恐れと怯えに囚われて立ち竦むだけの彼女に興味を失ったのか、白銀の騎士(KGF)が構えを解くが、それが更に彼女を混乱させる。

 ――何か言わなければ。

 そう思う心とは裏腹に声が出なかった。
 頭の中がグチャグチャになり思考が纏まらない。
 何を言えば良いのか分からず、どうすれば良いのかも思い付かなかった。

 ただ呆然と木偶の坊の様に立ち竦むだけの山吹の瑞鶴。
 このまま時が過ぎ去れば、もう取り返しがつかなくなると何処かで分かっていても、それがかえって彼女の思考と行動を縛る悪循環。
 そんな自身では断ち切れぬ自縄自縛に囚われた少女を、強引に叩き起こすかの様な怒声が戦場に響き渡る。

「マオ・ゴットバルドォッ!」

 裂帛の怒声が白の瑞鶴から放たれるや、唯依の機体を押し退ける様に前へと進み出る。
 叩き付けられる怒気が、白銀の鎧に激突し、そして――

『いま一度だけ警告する。
 ……近づけば……斬る』

 ――いともあっさりと受け流された。

 再び持ち上げられた右腕のMVSの刀身が、マオの言葉を裏付ける様に白の瑞鶴――上総の機体へと向けられ、強引にその歩みを止める。

 周囲を埋め尽くす戦術機と装甲騎(KMF)達の残骸の山。
 瑞鶴、撃震、不知火が入り混じったソレ等――帝国軍と斯衛軍から抽出・編成された『討伐軍』、およそ二個師団の殆ど全てを単機で壊滅させたのが、眼の前の白銀の騎士(KGF)である事を今更ながらに思い出し、上総は固唾を呑んで固まる。

 二個師団――通常編成である戦術機二個連隊二百余機とその補助戦力。
 戦力が枯渇しつつあるとはいえ帝国内において、強力な武力集団であった筈のソレ等を、苦も無く打ち破った眼の前の存在がどれ程の脅威であるのかを、肌で感じ取った彼女らが迂闊に動く事すら出来なくなる中、もう一刀が何かを指し示すかの様に動く。

 釣られる様に動く三対の視線。
 その先に転がる残骸を目にした瞬間、誰もがハッと息を呑んだ。

 撃震――ではなく、ファントム、それもジーク・カスタム(F−4GC)と呼ばれる改修機は、帝国軍の物でも無ければ、斯衛軍の物でも無い。
 独特のカラーリングから、その所属が明白に分かるソレを前にし、上総の怒りも、唯依の懇願も意味を喪った。

 既にして戦端は切られ、双方に尋常でない被害も出ている。
 ましてアヴァロン側にしてみれば、これは帝国側の明白な裏切りであり、破約でもあった。

 少なくとも彼等の側にしてみれば、有耶無耶に済ませて終わらせる事など到底出来ないのだと、ジェスチャーで示したマオに、唯依と上総は返す言葉もなく沈黙させられる。

 ――非がどちらに有り、大義がいずれの側の物なのか?

 少なくとも、当事者でもあった彼女等は知っているし、理解している。
 だからこそ、潔癖な年頃でもある彼女等には、それ以上の言葉を紡ぐ事が出来なかったのだ。

 ――故に。

「……恥を承知で、それでもお願いしたい。今一度、もう一度だけ交渉の場を」

 罵倒される事を承知の上で、巌谷が泥を被るべく口を開く。
 こうなる事を予め予想していた男は、何もかも全て自分が引き受ける覚悟で、少女達を庇う様に前に出た。

 恥知らずと言われようが、卑劣漢と謗られようが、それ等を全て甘受してでも、彼等を行かせる訳にはいかない事を巌谷は理解していた。
 そうしなければ、ここで生じた亀裂が決して塞ぐ事が出来なくなると感じていた男は、斬られる覚悟すら決めて更に前に出ようとする。

 ――愛娘の為、そして帝国の為にも、ここで彼等と袂を別つ訳にはいかない。

 そんな悲壮な決意と共に前に出る巌谷の不知火を、当のマオ本人はといえば、ただ無感動に眺めているだけだった。

 何故なら――

「「「――っ!?」」」

 大地が揺れ、大気が震える。

 轟音が地表を舐める様に広がり、押し退けられた空気が焔と黒煙を掻き乱す中、呆然と固まる三機の戦術機のセンサーが『ソレ』を捕えた。

 立ち塞がる白銀の騎士(KGF)の背後、『キャメロット』の駐屯地でもあった西京極運動場跡よりゆっくりと浮かび上がる巨大な黒い影。
 大気を掻き乱しながら飛び立つ漆黒の船体を持つその船の名を、この場にいる誰もが知っていた。

 ――黒き妖精郷(スヴァルトアールブヘイム)

 アヴァロンの象徴ともいえる巨艦が、物理法則に喧嘩を売るかの様に重力の軛を引き千切り飛び立っていく様を、唯依達は唖然として見上げる。
 主の危機を救う為、自沈覚悟で強引に降下してきたとばかり思っていた『宇宙船』が、再び空を舞うなど彼等の想像を絶していたのだ。

 だがそんな彼等の常識を嘲笑うかのように、轟々と音を響かせながら黒い巨艦は本来あるべき場所へと戻るべく高度を上げていく。
 そしてその意味する処を理解した瞬間、唯依は思わず目を見張った。

「――っ!?」

 往ってしまう。手の届かない処へ。あの人が……

 ただそれだけが彼女の全てを満たす中、その視界に翠色の光が射した。

「マオッ!?」

 白銀の機体の背から翠色の光の翼が広がっていく。
 黒い巨艦と同様に、重力の存在を忘れたかの如く、銀色の人型がフワリと浮かび上がった。

「――ッ!!」

 唯依の頭の中から全てが消えた。たった一つを残して。

 飛び立つ漆黒の巨艦(スヴァルトアールブヘイム)に追いすがろうと彼女の瑞鶴の跳躍ユニットが吼えた。
 強烈なGが強化装備の欺瞞機能の限界を越えて華奢な肢体を押し潰そうとするが、それすら無視して更に加速しようとする。

「――――ッッ!!」

 言葉にならぬ絶叫が、管制ユニット内に響く。
 ただひたすらに求める様に、瑞鶴の腕が延ばされて、そして……

『近付けば斬る。
 ……そう言った筈』

 無感情な声が通信機を通して届く。
 同時に、まるで瞬間移動でもしたかの様に、突進する彼女の瑞鶴の前に白銀の機体が立ちはだかった。

「――ハやっ!?」

 余りの速さに驚愕しながらも迎え撃とうとするが、唯依が何かをするよりも遥かに早く全てが決する。
 蒼い瞳の中に、羽ばたく紅い鳥を宿した少女は、神速と呼んでなんら恥じぬ迅さで抜き打ちを放った。

 唯依の眼が辛うじて捕えたのは奔る無数の閃光のみ。
 そして彼女の全ては、容赦無く拒絶された。

「うわぁぁぁぁっ!?」
「唯依ちゃん!?」
「唯依っ!」

 抗うどころか反応すら出来ぬまま四肢を斬り飛ばされ、腰部跳躍ユニットをも斬り裂かれ、地に墜ちる瑞鶴。

 巌谷達の悲鳴が交差する中、輝く翼を背にした白銀の騎士(KGF)は、それらを冷たく見下ろす。

 まるで咎人を裁く無慈悲な天使の如く、辛うじて巌谷達に受け止められた達磨になった瑞鶴を睥睨する白銀の騎士(KGF)より凍える声が降り注いだ。

『これが最後の情け……次は殺す』

 映像の無い、ただ無情なだけの声のみが降って来る中、上総は怒りの眼差しで、巌谷は複雑な思いを抱いて見上げる。そして、唯依は……

「マオ……頼む!
 頼むから、後生だから、兄様に会わせてっ!!」

 ただひたすらに唯依は懇願した。
 これが生身であったなら、地べたに額を擦りつけて願っただろう。

 和解の使者としての使命感も、武家として擦り込まれた忠義も投げ捨てて、一人の少女として声を嗄らして願う。

 ……だがそれは、この場においては逆効果でしかなかった。

『……貴女にその資格は無い!』

 声の端に微かな怒気が籠り、それが鋭い針となって唯依の唇を縫い付ける。
 マオの言わんとしている事を察した彼女は、文字通り言葉を喪い沈黙させられた。

 ――否定する事が出来ない。
 ――会わせる顔も無い。
 ――今更、どの面下げてあの人の前に出れるというのか?

 自身の内で唐突に湧き起こる声に、これまでの行動を否定された唯依は完全に固まってしまう。

 そしてそんな彼女を打ち据えるかの如く、広げられた光翼が煌めく様に見えた次の瞬間、降り注ぐ無数の光の羽が彼等の周囲の大地を穿った。

「「「――っ!?」」」

 雨霰と降り注ぐ無数の光の羽。

 数多の討伐軍を葬ったエナジーウィングからの面制圧射撃が容赦なく降り注ぎ、戦術機や装甲騎(KMF)の残骸を更に撃ち砕いていく。
 反撃する暇などまるで与えぬ程の苛烈な攻撃は、これまで抑えていたマオの怒りの発露だった。
 それでも辛うじて直撃を避けたのは、完全には理性を失っていない証でもあったのだろう。

 そうでなければ、微塵に砕かれ潰えていたであろう彼等。
 そんな唯依達の頭上から怨嗟に満ちた呪詛が降って来る。

『……呪われよ日本帝国。
 我等の奮闘と献身に血の裏切りを以って報いた唾棄すべき卑劣漢共よ。
 我等は貴様等の背信を決して赦しはしない。
 幾星霜の時を重ねるともこの裏切りと非道を忘れる事は無い。
 記憶せよ、今日、この日この時より、貴様等は我等にとって不倶戴天の敵となった』

 全周波数を通じて発せられる感情の欠片も感じられぬ平べったい声。
 それが既知の人物の声である事に、数瞬遅れて気付いた巌谷が苦し気に呻く。

「ジェレミア……」

 あの感情豊かな男とは思えぬソレは、逆に巌谷にジェレミアの怒りの深さを思い知らさせた。
 自分達の見通しが――未だ関係修復がなるなどという考えが、どれ程、甘い物であったかを今更ながらに痛感させられる。
 そして同時に、如何に彼等が強大であれ、帝国内で孤立した状態で脱出も難しいとなれば、譲歩も有り得るとの姑息な打算も、目の前で飛び立ちつつある漆黒の巨艦(スヴァルトアールブヘイム)によって打ち砕かれた今、彼には最早打つべき手段が無かった。

 そうして万策尽きた男が、眉間に皺を寄せ苦渋に満ちた表情で、徐々に遠ざかる巨影を見上げる事しか出来ぬ中、嘲りと怒りを含んだ声が朗々と響き渡る。

『……だが、安心するがいい。
 我等の怒りの鉄槌が貴様等の頭上に落ちる事は無い。
 我等はただ見下すのみ。
 遥か空の彼方から、貴様等がその罪業に相応しい報いを受ける様をな』

 ――この宣言に胸を撫で下ろす奴が居るのだろうか?

 そんな疑問をふと抱きながら、巌谷は黙って首を振る。
 わずかに落とされた視線が、音声とは別に発信されている映像情報をチラリと眺め、苦悶の呻きを上げさせた。

 事の経緯を簡潔に説明する資料。
 帝国側からの一方的な宣告も交えたソレが、暗号化もされぬまま流されていた。
 恐らく一両日中には、この騒動の全貌が帝国内はおろか世界中に知れ渡るだろう。

 無論、帝国政府とて黙ってはいまい。
 何らかのカウンターを仕掛けるのは確実だが、それでも帝国の名誉と信用に少なからぬ傷を受けるのは確実だった。

 今この状況――BETAの侵攻により、多くの国土を焼かれ国が荒廃する中、国際的な信用に泥を塗るなど自殺行為に近い。
 帝国の未来に広がるドス黒い暗雲を想像し、巌谷は頭痛を覚えて額を押さえた。

 そのまま耳を塞いで逃避したくなった巌谷だったが、それは許さぬとばかりに再び呪いが降って来る。

『呪われよ日本帝国。
 そしてその愚劣さに相応しく、化け物(BETA)共に喰い荒らされ、惨めに、無様に、滅び去るがいい』

 それを最後にジェレミアの呪詛が終わる。
 ……終わったが、それに安堵の吐息を漏らした者は皆無だった。

 去りゆく者を留める術を持たぬ巌谷達は、固く強張った表情で、悠々と飛び去る漆黒の巨艦(スヴァルトアールブヘイム)を、ただ地べたから見上げるのみ。

 そんな彼等に向けて、同じく飛び立った白銀の騎士(KGF)から、最後のダメ押しをするかの様に無感情な警告が降って来た。

『我等は裏切り者(帝国)の手に何も残さない。
 この地に在る物は悉く滅却される。
 生命を惜しむなら速やかにこの場を去れ』
「「――っ!?」」

 その一声を最後に、こちらへの興味を完全に失ったのか、機首を翻した白銀の騎士(KGF)は、一直線に漆黒の巨艦(スヴァルトアールブヘイム)へと飛んで行ってしまう。
 対して、数瞬遅れて最後の警告の意味を悟った巌谷達も、慌てて唯依の瑞鶴を抱え直すと跳躍ユニットを全開にして飛び立った。

 此処は、今は放棄されたとはいえ、かなりの期間『キャメロット』が駐屯していた場所である。
 この混乱の最中、全ての資材や兵装を完全に回収出来た訳も無く、遺棄された物も少なからずある筈。
 そしてそれらは、帝国とって垂涎の的である『アヴァロン』の誇る先進技術の塊りである以上、彼等の撤退後、間違いなくこれ幸いとばかりに回収に動くだろう。

 マオの警告は、それに対してのモノであったのだ。

 曰く、『裏切り者(帝国)の手に何も残さない』――とは、この地にあるモノ全てを何らかの手段で完全に破壊するという事。

 それを理解した巌谷と上総は、必死の形相でこの場を離脱しようとする。

 技術の一片たりとも渡す気が無いと言うなら、帝国に介入の暇を与えぬ為にも、彼等が遺したであろう『仕掛け』は間もなく作動する筈。
 ソレに巻き込まれればまず命が無い事を、明確に理解していた者達は、跳躍ユニットが焼き切れても構わぬとばかりに全力全開で避退する。

 生命の瀬戸際に置かれた者の本能として、自分達の生存を最優先にする巌谷達。
 だが、一人だけソレにすら意を向ける事無く、ただ一点を見つめ続ける者が居た。

「……ああ……あぁぁあ……アァァァァァ……」

 意味の無い呻きとも悲鳴ともつかぬ声が、唯依の口元から零れ落ちる。

 ――遠ざかる船、そしてその中に居る『あの人』。

 最早手が届かない事を、理性が理解し、感情が否定する。

「……い…やぁ?……イヤァァぁッ!」
「グッ?」
「唯依っ!?」

 錯乱し、半壊した機体を尚も動かそうとする唯依。
 バランスを崩された両脇の戦術機から、驚きの悲鳴が漏れるが、それすら意識の外に置いた彼女は、拘束を解こうと無茶苦茶に暴れまくる。

「落ち着け、唯依ちゃん!」
「篁さん、落ち着いて!」
「イヤァァァァッッ!!」

 必死に宥める声に、唯依の悲鳴が拒む様に響く。
 暴れ回る唯依の瑞鶴に揺らされて、彼等の速度がガクッと落ちた。

 それと同時に、西の地から一斉に撃ち上げられる数十条の光槍(レーザー)
 未だ神戸以西に残存するBETA群からの対空迎撃が、高度を上げた漆黒の巨艦(スヴァルトアールブヘイム)へと襲いかかるが、彼の艦はソレ等をものともせずに更に高みへと翔け上がっていく。

 既に白銀の騎士(KGF)は、彼等の視界から消え、漆黒の巨艦(スヴァルトアールブヘイム)も、中指大にまで縮んで見えた。
 彼の艦が、ほぼ間違いなく安全圏まで逃れたと見て取った巌谷は、既に猶予が無くなった事を悟るや、唇を噛み締めながら最後の手札を切る。

「……スマン、唯依ちゃん」

 届かぬと承知の上で、詫びの言葉を呟いた巌谷の手が動く。
 ほぼタイムラグ無しで首筋に微かな痛みを感じた唯依は、残されたわずかな理性の囁きから鎮静剤を投与された事を理解した。

 刺すような痛みを中心に、じんわりと広がっていく倦怠感。
 強化装備から射ち込まれた薬は、かなり強力な物だったのか、唯依の意識が急速に薄れていく。

 身じろぐ事すら億劫に感じられ、このまま眠りに落ちてしまいたくなる衝動が全身を支配する中、それに抗う様に震える手が、見る見る内に小さくなっていく影へと必死に差し伸べられた。

 もつれてまともに動かない舌を強引に動かし、開く事すら重荷に感じる唇を必死に抉じ開けた唯依は、渾身の力を振り絞って絶叫する。

「兄様ぁぁぁっ!!」
「「…………」」

 叫んだ口元から一筋の赤い滴が垂れる。
 文字通りの血の滲む叫びから目を逸らした巌谷と上総の視界を白い閃光が焼いた。

 少女の絶叫に重なる様に、巨大な光のドームが湧き起こる。
 マオの警告通り、その地に取り残されたモノ全て消し去る純白の烈光は、全ての汚濁を消し去り、そして同時に唯依の悲痛な叫びすらも掻き消していったのだった。







 どうもねむり猫Mk3です。

 今回は新章開始と言う事で、まずは一発インパクトのあるのをドカンと。

 これは少しだけ未来の出来事。
 何がどうしてこうなったかは、まあ追々書いていきますので。

 実を言うとこれ、本来は創嵐編第一話の序章の筈だったんですが、思ったよりも膨らんだのと第一話を年内に出せるか怪しくなってきたので、まあ分離してみました。
 その分、ちょっとボリュームに欠ける(通常の半分位?)のですが、そこら辺は大目に見て下さい。

 さて今回は唯依姫イジメ……ではなく、マオちゃん無双の回。
 単体戦力としては、ほぼ最強クラスまで成長したマオでした。
 う〜ん、唯依姫ぴ〜んち!

 ……まあ強くなり過ぎて、お嫁の貰い手がいなくなって、ジェレミア・パパが心配してそうですがね。

 さて、次回は一年以上、時計の針が巻き戻り1997年からのスタート。

 年内に出すのは無理っぽいですが、まあ一月中にはなんとか。
 と言う事で、次回もよろしくお願いいたします。





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