○西暦一九九七年三月一日
冬の寒さも和らいで……
……と言いたくなる季節の筈なのに未だ厳冬の様な寒さ厳しい帝都です。
あまりの寒さに達磨さんの様に着膨れるのは、乙女としてどうかと思うのですが、さりとて薄着をしていれば風邪を引いて寝込んでしまいますし……
本当に、夏と言い、冬と言い、何故にこんな過ごし難い地に帝都を置いたのかと、毎回疑問を抱いてしまいます。
とはいえ、昔はこれほど寒くは無かった筈。
これも憎むべき
帝都の……いえ、帝国全土がヒシヒシと迫り来るその脅威を、今更ながらに実感しているのでしょう。
そして何より、それを身近に感じさせるのが、昨年帝国議会にて可決された修正兵役法でした。
この法案の可決により帝国は全面的な学徒動員体制に移行――すなわち完全な総力戦体制に移ったのです。
また、近い将来には女子の徴兵対象年齢も十八歳から十六歳まで引き下げる事が既に決まりつつある事も公然の秘密として囁かれる様になってきました。
そしてその様な世の動きを受け、好む好まざるを問う事無く、我が身の境遇も変転せざるを得なくなりました。
民の範たるべき武家の面々は、率先して従軍すべしとの風潮の下、兵役法修正以前から、唯依と同い年の武家の男子の方々は、ごく一部の例外を除き、
無論、男子同様に飽くまでも自主的な志願という形をとっての事ですが、武を重んじ、名誉を尊び、誇りに殉じるべき武家にしてみれば、この流れに乗らぬと言う事は有り得ない事でもありました。
……まあ、極一部の例外――はっきり言ってしまえばルルーシュ様は冷笑混じりに鼻先でせせら嗤っていましたが、殆どの家々にはそんな真似は出来ません。
武家としての死活問題でもありますし、当然、それは唯依にも当て嵌まるのです。
本当にあの心臓の強さは、流石あの叔母様譲りな事だと呆れるやら、感心するやらでした。
まあ四年前の一件で、ぐうの音も出ない程やり込められた城内省も、さすがに懲りたのか、今回の法改正に関しても気味が悪くなるほど静かで、枢木の方には書類一枚送って来なかったとか。
……その意趣返しという訳でもないでしょうが、篁の家には可決の翌日には、帝国斯衛軍付属・山百合女子衛士訓練学校への入学案内と必要書類一式がきっちりと送り付けられたりもしましたが。
大変、不本意ではありますが、唯依がこういった点でルルーシュ様の弱点になっているというのは事実な様です。
正面から攻めてもダメなら搦め手からという訳ですね。
透けて見える思惑には、かなり不愉快な思いを抱きましたが、それでも唯依が篁家の当主であるという事実は変わりません。
その立場に恥じぬ選択と行動を取らねばならぬ以上、危地と承知の上で、敢えて踏み込む勇気も必要だったのです。
無論、この件について、ルルーシュ様は余り良い顔をされてはいませんでしたが、唯依の立場というモノも充分に御理解いただいているのも確かで、幾つかの注意を受けると共に、休暇で戻って来た時には、必ず精密検査を受ける事を条件に承諾して頂きました。
正直、そこまでとは思わないでも無かったのですが、万が一を考えてとの主張には首を縦に振らざるを得なかったのです。
……け、決して、耳元で『お前がお前のままで居て欲しい』などと甘い口調で囁かれたからではないですよ!
ゆ、ゆ、唯依は、そんな安い女ではないのですから!!
……コホンッ
ま、まあ何はともあれ、兎にも角にもそういう事で、唯依も他の武家の息女達と一緒に衛士訓練学校へと志願し、この度めでたく編入が決まったのでした。
先月をもってようやく通い慣れ始めた中学を去り、翌月からは、衛士訓練校生に成る訳です。
政治的な問題で思う事も無い訳ではないですが、それは一旦横に置いておき、今は誇りある斯衛軍の一翼を担う衛士になるべく、様々な事を学ぶべきと考える今日この頃でした。
○西暦一九九七年三月三日
今日は三月三日。
言わずと知れたひな祭りです。
女の子のお祭りと言う事で、今日は篁の家でささやかな宴をば。
ルルーシュ様は例年通り枢木の家でと言われたのですが、当のご本人は折悪くお仕事で海外に、本来の主である真理亜叔母様も、病気療養の為に気候の良い神根島に移っておられる中、やはり遠慮すべきとの思いも強く、実家にて中学時代の友人を招き、ごく内々に執り行わせて頂いたのでした。
唯依自身が腕を振るった少々のお料理と主役である白酒と雛あられと菱餅の三点セットを雛段の前に設え、志摩子を初めとした親しい友人達と歓談するのも楽しいものでしたが、少しだけ、本当に少しだけ気に障る事も。
志摩子、何をそわそわしているのですか?
それに妙にめかし込んでいる気もするのですが……
安芸も安芸で、珍しく髪飾りなどを付けていますし。
いつもと違う友人二人に、それを横目に忍び笑いしているもう一人の友人。
なんとなく落ち着かない雰囲気に、首を傾げていた唯依でしたが、苦しそうにお腹を押さえながら、息を整え涙目になったまま和泉の一言で、その謎も解けました。
ルルーシュ様は来られないのか……ですか?
今日は、お仕事で海外に行かれているので、こちらには来られないのですが……
……志摩子、なにを落胆しているのですか?
安芸、いきなり足を投げ出すなどはしたないですよ!
……って、貴女達、まさか?
バツ悪そうに目を逸らす二人と、人の悪い笑みを浮かべる和泉。
くっ……謎は全て解けました!
ここ暫く月詠真耶が姿を見せないので、ようやくルルーシュ様の事を諦めたのかと安堵していたというのに、こんな所に新たな敵が居ようとは……
……良いでしょう。
受けて立とうではないですか!
そう心に誓い、闘志を奮い立たせながら友人達を見据えた瞬間、眼に見えて彼女らの様子が変わりました。
こう、ガラリッと。
フフッ……どうしたのですか志摩子、安芸?
急に顔色が悪くなりましたよ。
ちょっと白酒に酔った?
それはいけないですね。
気分が悪くなったと言うなら、直ぐに床を用意させましょう。
ああ心配は要らないですよ。
家の方には、今日はこちらに泊ると伝えさせますから。
そう今日はひな祭り。
女の子の……いえ、女の子
今宵一晩、いえいえ明日の朝日が昇るまで、ゆっくりじっくり語り合いましょう?
……あと、こそこそと逃げ出そうとしている和泉。
貴女も一緒ですからね?
ええ、そうです。
そうしてルルーシュ様の妻が誰なのかを、きっちりと貴女達にも教え込んで差し上げますっ!!
○西暦一九九七年三月八日
今日、ふらりとマオがやってきました。
事前の連絡も無しに、いきなりの事だったので、どうしたのかと尋ねると、ただ単に時間が出来て、気が向いたからとの返事。
なんと言うか、本当に名前通りの
まあ幸いと言うべきか、中学中退から衛士訓練学校への入学までの合間と言う事で、唯依の方にも時間があります。
丁度良いかと思い、いずれ引き合わせようと思っていた志摩子や和泉にも声を掛けて、少し早い花見というか梅見に繰り出す事にしました。
場所は、帝都でも指折りの梅の名所・北野天満宮。
千五百本以上の梅が今を盛りと咲き誇る中、マオと共に待っていると連れ立った三人が現れ……
……ど、どうしたのですか?
三人とも固まってしまって。
こちらに気付き、手を振ろうと瞬間、凍りついた様に固まる和泉達。
がっちりと固定された三対の視線は、私を通り越し、その背後へと……
……嗚呼、そう言う事ですか。
分かります。
分かりたくは無いですが、分かりますよ、その気持ち。
彼女達の視線の先、焼き焦がさんばかりに集中するソレらを悠然と見下す様に存在する『アレ』は、さぞや彼女達にはショックだったのでしょう。
……特に、安芸や和泉にとっては。
もう数年の付き合いで、慣れた筈の唯依ですら、意識的に視線を逸らしていないとダメなのですから、初対面の彼女達には少々きつ過ぎたのかもしれません。
何故なら、『アレ』は毒。
そう猛毒なのです。
私達の様な年代の乙女にとっては特に。
……ですからねマオ。
そんな不思議そうな顔で、首を傾げないで下さい。
そんな事をすれば、貴女の胸部にくっ付いている『アレ』が揺れるじゃないですか。
ユサリと、とても重たそうに……
……メロンでも突っ込んでるんじゃないかという感じの二房の膨らみが。
あれですか?
自慢ですか?
富める者から貧する者への優越感の誇示ですかっ!?
……コホン。失礼しました。
ですが、少しは自覚して欲しいのですよ。
安芸などもう涙目になってますし、和泉は和泉で羨望の視線全開ですし……
本当に、自分と言うモノを自覚していない困った
――と、そんな思いを胸中に抱きながら、こちらを見て固まったままの友人達へと声を掛ける唯依なのでした。
○西暦一九九七年三月十三日
三月十三日。
言わずと知れた、
……唯依の誕生日なのですよ。
それなのに。
それなのに。
はぁ……何故にルルーシュ様は、来て下さらないのでしょう?
これが所謂、『釣った魚に餌はやらない』というものなのでしょうか?
地味に落ち込みます。
とても落ち込みます。
落ち込んでるんです。
だから和泉や安芸も、横で騒がないで欲しいのですよ!
……なんですって?
許婚に構って貰えない寂しい友人を慰めに来た、と。
…………
………
……
…
余計なお世話ですっ!!
……まったくもう。
分かりました。
分かりましたから。
マオも、そんなションボリした顔をしないで下さい。
ルルーシュ様のメッセージを持って来た貴女が悪い訳ではないのですから。
急なお仕事で、どうしても時間が取れなくなったルルーシュ様の事も怒っていません。
帝国男子たる者、私事よりも公務を優先するのは当然ですし、それを支えるのが妻たる者の務めだと言う事も重々承知しています。
だから怒っていませんよ。
えっ?
なんですかソレは?
ルルーシュ様からの誕生日プレゼント?
……って、そんな大切な物を、どこから取り出しているんですか!?
……えっ?
ロイドさんが、プレゼントは胸の谷間から取り出すのがエチケットだと?
……まったくあの人は、なんて嘘を吹きこむんですか!
後で、セシルさんに告げ口してあげますからね!
ええ嘘です。
真っ赤なウソですよ。
そもそもそんな真似、マオ位ないと出来ないでしょう?
……って、そこでなんで周囲を見渡すんですかぁっ?!
志摩子も胸を隠さないで下さい。
安芸は泣かないで。
和泉は……何をブツブツ言ってるんですか?
彼氏に揉んで貰うとか……は、はしたないですよ!
全くもう……しかし、これは一体?
手にした薄く長細い箱の様な物を、掌の上で転がしながら首を傾げると、外した胸元のボタンを嵌め直したマオが、ソレことルルーシュ様からのプレゼントの正体について簡潔に説明してくれました。
……つまりアレですか?
これはルルーシュ様直通の携帯型通信機だと?
はしたなくも、思わず唾を呑みこんでしまいました。
これがアレば、何時でも何処でも、あの方と会話を交わせるのです。
そう思った瞬間、矢も楯もたまらなくなりました。
勢い込んでマオから操作方法を聞き出すと、震える指先で回線を繋ぎます。そして――
『唯依か?』
――そして押し当てた耳から、ルルーシュ様の声が聞こえた瞬間、唯依の理性は消えてしまったのです。
そう消えてしまったのです。
そうでなければ、周囲に友人達が居るというのにあの様な醜態を晒す筈も無し……全く不覚と言う以外に言い様が無い失態でした。
ようやく話を終え、満足して通話を切った唯依を出迎えたのは周囲を取り囲む三人の友人達と、ご馳走を平らげて満足したのか、コテンと横になり、健やかな寝息を立てているマオ。
くっ……唯依に味方は居ないのですか!?
思わず胸中でそう叫びながら、逃げ道を探したのですが、周囲は完全に『敵』の包囲下にあり逃げる事など叶わず、もはや絶望的な抗戦あるのみ。
そしてその結末も、言うまでも無い事でした。
和泉に声真似をされて、自身の会話を再現された時など、顔から火が出るかと思いましたよ。
まったく……散々な、でも忘れ得ぬ誕生日の一日でした。
そして今日から唯依も十三歳。
あと少し、もう少しで、名実共にあの方の……つ……っ……妻に成れるのです!
その日が来る事を夢みながら、今日も安らかに床へと就いたのでした。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
【オ・マ・ケ】
マオの日記
●西暦一九九七年三月十三日
篁邸の一角にある客間で、黙々と筆を走らせていたマオ・ゴットバルドは、静かに筆を置き、貰ったばかりの真新しい日記帳を読み直す。
誕生日の宴もたけなわとなった頃、散々からかわれて茹でダコの様になっていた唯依が、いずれ渡そうと思っていたと言いながらくれた物だった。
彼女としては今一つピンと来ないところがあったのだが、日々の記録を残し、時折振り返って見るのは良い事だという唯依の主張に従い、筆を取って見たのであるが、やはり今少し良く分からない。
――もう少し、記録が増えれば変わるのだろうか?
そんな事を考えながら、今日一日の記録を読み返すその貌に、普段は余り見せない柔らかな表情が覗いている事には、彼女自身は気付いていなかった。
やがて一通り読み直し終えたマオは、服を脱ぎ、用意されていた浴衣に着替える。
普段着なれているパジャマとは、全く異なる日本独特の寝巻であるが、マオはこれはこれで気に入っていたりした。
特に胸が苦しくならないのが良いと言うと、唯依が何故か微妙な表情を浮かべていたのは、今もって謎だったが……
そしてそのまま片膝を着き、
「我は剣なり」
凛とした声が、室内に広がっていく。
「この身この魂を刃金と為し、王の往くべき道を切り開く一振りの刃」
自らの有り様を、己自身で定める誓いの言葉が――
「たとえ天墜ち、地砕けるとも、我が忠義揺らぐ事無し」
――今はこの場に居ない主へと律儀に捧げられていった。
そうやって普段の日課を終えたマオは、敷かれていた布団に包まり、明かりを落とす。
シンと静まる闇の中、マオはふと先程の誓いを初めて捧げた時の事を思い返した。
主としては不本意だったのだろう。
当時のあの方にとって自分は、飽くまでも忠臣の義娘という認識であり、庇護すべき対象だったのだから。
だからこそ、そんな娘が
自ら戦いの場へ飛び込む決意を示した自分に対し、あの方と養父は当初困惑し、次いで説得を試み、そして最後になってようやく折れた。
経緯を知った他の面々が、半ば呆れ、半ば感心したほど長い長い口論の末に彼女は自身の意志を貫き通したのである。
その後は、渋々といった形であれ、養父もあの方も、彼女自身の道を開く為の手筈を整え、何の気まぐれかあの方の母君の眼に止まり、その弟子となった事で、それは更に加速され、そして今に至る。
今の自分は、あの方の剣たる『キャメロット』の一員。
それも最重要任務に携わる者の一人である。
あの日の誓いは、現在進行形で果たされつつあると言えるだろう。
「ふぅ……」
微かな吐息が漏れた。
闇の中、密やかに忍び寄る睡魔に侵されながら、鈍る思考をゆっくりと動かす。
――受けた恩の一端なりと返せただろうか、と。
自分が自分に成る前の自分を助けてくれたのは養父上。
そしてそんな自分に名を与え、『マオ』という存在を確立してくれたのはあの方。
単なる生体部品でしかなかった存在を、人間にしてくれたのは、紛れも無くあの二人なのだから。
それを恩と自覚出来る様になった時、既に更に多くのモノを自分はあの方から貰っていた。
――単なる気紛れだ。
あの方はあの時、そう言った。
自分の姉妹達をアヴァロンへと連れて来た時も。
いつもと同じ風を装いながら、どこか気恥しそうな様子で。
――友となるかどうかはお前達の決める事だ。
唯依と引き合わせてくれた時もそうだった。
優しい声で、柔らかな表情でそう言ってくれたのを、今も覚えている。
名付け親、姉妹の恩人、そして……
「……そして偉大なる我が王」
胸奥に灯る暖かい何かを感じながら、最後にそう呟くと、少女はゆっくりと眠りの国へと落ちていったのだった。
どうもねむり猫Mk3です。
やれやれお待たせしておりますかな?
本編がまだなので、幕間の方で時間稼ぎをば。
まあ本編に繋がるネタも幾つか仕込んでるんですけどね。
嵐の時代の到来たる本編・創嵐編。
ですが未だ乙女達はソレを知らず、最後の日常を楽しむ日々。
ここからどうもって行くか!
それは次回のお楽しみと言う事で。
なんとかまあ、五月中にはね。
と言う事で、次回もよろしくお願いいたします。