Muv-Luv Alternative 赤き竜の紋章


【黎明の章】


第二話 〜竜の巣〜






 天を切り裂くように聳え立つ異形の建造物。

 この地が人の手より奪い取った彼等の領土である事を誇示するかの如く屹立するその地表構造物(モニュメント)の下で、無数としか表現しようの無い化け物達が蠢いていた。

 山を削り、地を穿ち、大地の全てを削り取り続ける異形の存在。
 その忌まわしき異星起源種により、現在進行形で犯されつつある佐渡島の上空に、不意に無数の光跡が走った。

 地から天へと放たれた光の筋。
 この地を支配するBETA達の誇る完全無欠の対空戦力である光線属種達が放つ百を超える光線(レーザー)は、海を越えて飛来する侵入者の群れを、これまでと同様に容赦なく貫いていく。

 虚空に白い花が開く。
 次々に、続々と。

 尽きる事無く撃ち込まれる砲弾の豪雨。
 それら全てを打ち払う光の槍が幾たびと無くぶつかり合い、その度に白い煌きが広がっていく中、やがて煌く白い霧は、ゆっくりと佐渡島沖の空を覆い始めた。

 見る見るうちに濃さを増していく輝く白霧。
 それらはジリジリと彼等(BETA)の領土を侵食していく。

 ほぼ無風に近い気象条件の中、風に流されてのものでは有り得なかった。
 さりとて、絶対の命中精度を誇る光槍が外れている訳でもない。

 ただ単に、レーザー照射を受けた筈の砲弾が、融解・爆散する位置がジリジリと前進し続けているだけの事。
 広がり続ける白霧の領域と共に。

 本当にただそれだけの事。
 だがそれは、一連の状況を見詰めている面々にとって、驚くべき事態であったらしい。

「……これが新型の対レーザー兵器『GM弾』か」
「レーザーの減衰率が重金属雲のそれよりも数段上だな」
「これならば……」

 今回の漸減作戦に、特別ゲストとして引き出されてきた連合艦隊第三戦隊所属の戦艦大和のCIC内にて驚嘆の呟きが随所で上がる。
 モニターに映し出されているリアルタイムでの観測結果に殆どの者が目を瞠った。

 航空戦力にとっての天敵。
 完璧にして完全な防空戦力である光線属種の放つ高出力レーザー。
 それらが広がりつつある白霧によって、確実に封じ込められつつある現状を、CICに詰めていた将官・士官の区別無く食い入る様に見詰めていた。

 G弾の様に圧倒的な破壊力を持つ超兵器という訳では無いが、正しく運用されるなら、これが対BETA戦のドクトリンそのものにも影響を及ぼす代物である事を彼等は理解する。
 理解したが故に、その視線は、この成果をもたらした者へと集中する事となった。

 女性らしい曲線を描く優美な肢体を、煌武院家直轄(・・・・・・)の先進技術開発集団『竜の巣(ドラゴンズ・ネスト)』の制服に包んだ女性士官――篁 唯依は、集中する視線に眉一つ動かす事無く淡々とした口調で補足すべき事を告げる。

「電波障害も重金属雲ほど酷くありません。
 このレベルであれば、多少の中継点を置くだけで指揮系統やデータリンクも維持可能でしょう」

 感嘆の声が随所で上がる。
 それは指揮官である彼等にとって、非常に好ましい特性であったからだ。

 これまで対光線属種として必須の手段であった重金属雲には、同時に重度の電波障害を引き起こし、通信系に悪影響を及ぼすというデメリットが不可分の条件として存在している。
 今までは、そのマイナス面を、多量の中継点を確保する事で補い、指揮系統やデータリンクの維持を図ってきた訳だが、当然、ソレ等の維持には少なからぬ戦力を割く必要が存在した。
 その負担が軽減されるというのは、少ない戦力を遣り繰りし、戦線を維持しなければならない彼等にとっては有り難い事なのである。

 気の早い者の内の何人かは、早くもこの新機軸の兵器の活用法を、脳内で検討し始める中、凛然とした少女の声がCIC内に響いた。

「ご承知の通り、今回、我が『竜の巣(ドラゴンズ・ネスト)』が、お披露目させて頂く新兵器は、このGM弾のみではありません」

 朗々と響く声に、それまで以上に強い視線の圧力が彼女へと集中する。

 興味・不審・厚意・反発――様々な感情が入り混じったソレ等を、その細身の身体で一身に受け止めながら、唯依はその豊かな胸を張り、自信に満ちた笑みを浮かべて見せた。
 生のままでも艶やかさを保つ少女の唇が、その自信の程を示す様に滔々と言葉を紡ぐ。

「他の二つについても、皆様のご興味を引ける物と自負しております」

 揺ぎ無い自信を感じさせる彼女の宣言に、視線に混じる負の感情が目に見えて減り、代わって興味のソレが増した。
 そこまで行って尚、反感の色を滲ませる者達の名を脳裏にピンで留めながら、用意がある旨を告げて退室する。

 去り往くその背に注がれる視線。
 ソレ等全てを弾き返しながら、規律正しい軍人の威厳を保ったまま細身の身体がドアの向こうへと消える。

 その背を見送った一同の視線が、唯一の例外を除き、再び戦況を示すモニターへと戻った。
 既に佐渡島のほぼ三分の二を覆い尽くした白い霧。
 GM弾が産み出した超耐熱ガラスの微粒子の霧の中を、艦隊と新潟沿岸に配された地上部隊が放った無数の砲弾が飛んでいく。

 甲21号――佐渡島ハイヴにおける漸減作戦は、今や佳境へと入りつつあった。





『……ああ柄じゃない。
 何故に私がこんなセールスマン染みた真似を……』

 凛々しい女性士官の表情を保ったまま狭い艦内の通路を歩きながら、唯依は胸中で溜息をつく。
 時折すれ違う兵や下士官らに、無意識の反応で敬礼を返しながら、目的地への道を足早に進む少女は、己の性に合わない役割を振られた顛末を思い返していた。





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 浮き立つ空気が座を満たす。
 つい昨日までの消沈振りが嘘の様に、満面の笑みを湛えた雨宮がグラスを片手に立ち上がった。

「それでは不肖の身ではありますが、この雨宮が乾杯の音頭を取らせて頂きます」

 響く声には生気と歓喜が満ちている。
 そしてそれは、他の面々についても同じだった。

 ホワイトファングス小隊+1による内輪だけのささやかな祝宴の幕を上げる一声が、少女の喉から迸る。

「篁隊長の奇蹟の生還を祝い――乾杯!」
「「「「乾杯!」」」」

 雨宮の音頭に唱和し、四つの声が響き、次いで互いのグラスが打ち合わされる澄んだ音が鳴った。
 この場に居る者は、唯一の例外である巌谷を除き、未だ未成年の少女ばかり。
 本来なら飲酒を咎めるべき巌谷であったが、今日ばかりはその気配も無かった。
 そしてそれは、父親譲りの堅物である唯依にとっても同じ事。
 自身の生還を心から喜んでくれる皆の気持ちを思えば、多少の融通は付けようというものだ。

 もっとも、それを自身にまで適用する程には砕けていない彼女は、皆を興ざめさせぬようグラスの中身を舐めつつ、思い思いに話しかけてくる者達の相手をしていく。

 眼に涙を溜めて彼女が生きていた事を喜ぶ部下の少女達。
 さり気なく気配りしつつ、場の雰囲気を盛り上げていく雨宮。
 そしてそれらを、微笑ましそうに眺めている巌谷。

 そんな面々と接し、本当に生きて帰れて良かったと思いながら、暖かな場の雰囲気を唯依は満喫していた。

 杯が重ねられ、明星作戦当時の話を肴に場が盛り上がっていく。
 年頃の少女らしい嬌声が弾け、巌谷の頬には困った様な苦笑いが浮かんでいた。

 やがて宴もたけなわへと近づき、やや呂律の怪しくなってきた雨宮が、ニヤリと何かをたくらむ笑みを浮かべると唯依に話を振ってくる。

「……いやしかし、本当に良かったです。
 万が一、あのまま亡くなられていたら隊長も成仏できなかったでしょう」
「当たり前の事を言うな。
 まだ西日本の解放が、そして佐渡島のハイヴが残っているのだぞ。
 こんな状況で、おいそれと死ねるものか」

 乙女としては問題有りなやや酒臭い息で振られた話題に、憮然とした表情で唯依は応じる。
 未だ国土の半分はBETAに占拠されたまま、そして目と鼻の先にある佐渡島には憎っくき異星起源種の巣が築かれているのだ。
 帝国の防人たるこの身には、こんな状況で死ぬ事など許されない。

 そんな揺ぎ無い使命感と信念の下に返された応え。
 だがそれに対し雨宮は、チッチッチッとばかりに舌打ちしつつ白い指先を二本揃えて振りながら、唯依の『考え違い』を正してみせた。

「はぁ……分かってませんね隊長。
 私が言いたいのは、女として産まれながら、男に抱かれるどころか、キスすら経験せずに死ねないだろうということですよ」

 そう言って何処かニヒルな笑みを浮かべる雨宮の背後で、部下達の嬌声が湧き起こる。
 巌谷はといえば、いきなりの雨宮の猥談に噎せ返って咳き込んでいた。

 ここで、いつもなら顔を赤くしながらも、生真面目振りを発揮して雨宮を叱責するのは唯依の役目。
 雨宮自身も、それを期待しつつ、追い討ちの猥談ネタを振るべく身構えた。

 身構えたのだが……

「……隊長?」

 困惑した視線の先には、首筋から耳朶の先まで真っ赤に染め上げたまま熱に浮かされた様な表情を浮かべる唯依が居た。

 キスの一言で、あの夜の出来事を思い出してしまった彼女。
 連想して思い起こされる甘く熱く衝撃的な記憶が、初心な乙女の精神を一時的に焼き切っていた。
 忘我の中、無意識の動きにより唇に添えられた指先が何かを反芻するように蠢き、時折覗く薄桃色の舌先が艶めかしく指を、唇を、濡らす。

 どこか生々しくセクシャルな唯依の反応に、思わず雨宮も頬に紅の花びらを散らした。
 脳裏に閃く直感が、途方も無い敗北感を彼女にもたらす。
 驚愕に震える声が、白い喉奥から溢れ出した。

「た、隊長……まさか?」

 狼狽し切った呟きが、雨宮の唇から漏れた。
 今まで見た事が無い艶めかしい女の貌を示す唯依に、隊員達も何事かを悟ったのかゴクリと喉を鳴らす。

 対して、親馬鹿な父親はというと――

「唯依ちゃん、誰だ、相手は誰なんだっ!」
「お、叔父様っ?」

 思わずにじり寄った巌谷に肩を掴まれ、あちら側に行っていた唯依も我に返る。
 そんな愛娘に対し、巌谷は鬼気迫る表情で更に詰め寄っていった。

 亡き親友から託された眼に入れても痛くない可愛い娘。
 その娘を傷物にされたとあっては、父親として黙ってはいられない。
 例えどの様なやんどころない出自の者であろうと、必ず責任を取らせてみせる。

 そんな親心と共に、事の次第を問い質す巌谷に対し、自身が茫然自失となった際に見せた無意識の媚態を自覚していない唯依は、眼を白黒させるばかりだった。
 彼女には支離滅裂としか感じられぬ詰問をして来る叔父に、唯依は珍しく怒りを覚える。

「お、叔父様、落ち着いて――とにかく落ち着いて下さいっ!」

 鋭い叱咤が乙女の唇から迸った。
 無形の金槌が、頭に血の昇り切った子煩悩な父を殴打し、正気に戻す。
 自身の醜態に思い至ったのか、巌谷の顔からサッと血の気が退いた。

「す、すまん。
 無様を曝した」

 平身低頭とばかりに謝る巌谷に、唯依は小さく溜息を吐いた。
 わずかに怒りを残した双眸が、発端たる少女へと向けられる。
 唯依の柳眉が微かに寄った。

「う…嘘だ……あの男っ気の欠片も無い嫁き遅れ確実な隊長が、鋼鉄の処女(アイアン・メイデン)・篁 唯依が、私より先に男を作るなんて……」

 どこか虚ろな眼をしたまま何気にひどい事を呟く副官の脳天に、白い拳が容赦なく叩きつけられた。
 眼の奥で星を散らした雨宮は、ジンジンと疼く頭を押さえつつ恐る恐る上を向く。
 自身を見下ろす怒れる瞳を前に、雨宮の背を一筋の汗が流れた。

「貴様という奴は……」

 押し殺した怒りに震える声が、唯依の喉から零れ落ちた。
 思わず腰の退けかけた雨宮であったが、こればかりは有耶無耶にさせぬとばかりに乾坤一擲の反撃を放つ。

「で、ですが隊長。
 まさか隊長の様なお堅い方が、もう男を知っていたなどと言われれば流石に驚くでしょうっ!?」
「なっ!?」

 裏返った声で反論する雨宮の言葉に、唯依は思わず絶句する。
 絶句し固まる少女へと、興味津々な乙女達と狼狽し切った父親が一斉に詰め寄った。

「た、隊長、初めてって、その……やっぱり痛かったですか?」
「お、お、男の人に抱かれるって、どんな感じなんでしょう?」
「唯依ちゃんっ!!」

 殺到する面々に、思わず後ずさる唯依。
 だが大して広くも無い室内。
 瞬く間に壁際に追い詰められた少女は、グルグルと回る思考に振り回されたまま本日最大の失言をしてしまう。

「わ、わ、私は、まだ処女のままだっ!」

 ――ここまではまだ良かった。

「彼とは口付けを交わしぃっ!?」

 勢い余って滑った口を、白く美しい手の平が二重に覆った。
 だが、零れ落ちてしまった言葉は、もう戻らない。

 ――少女達の面に溢れんばかりの好奇心が滲む。
 ――雨宮の美貌にチェシャ猫めいた笑みが浮かんだ。
 ――巌谷の厳つい顔が死刑執行を宣告された囚人の様に蒼くなる。

 一瞬の静寂の後、先ほどのそれに劣らぬ喧騒が、祝宴の場を覆い尽くしていった。





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 空洞内に設置された無数の照明からの光が、壁を薄青く照らし出す。
 巨大な空間全てを覆いつくす蒼い氷壁。
 それらに囲まれた中央には、白亜の巨艦が浮かんでいた。

 固定用のアンカーを四方八方に打ち込み、その巨体を安定させた『プリトウェン』の周囲には、無重力空間作業用の擬体達が蟻の様に群がり、一仕事終えた後の艦体の検査と整備に勤しんでいる。
 ここ数日、太陽系内に蔓延るBETAの処分に奔走していた『プリトウェン』は、当面の作業を終えて、今は仮初の巣でその翼を休めていたのだ。

 太陽系内のBETAを掃討する際、ついでとばかりに天王星から氷塊群を切り出し、融解後、再凍結させて作った即席の拠点。
 最大長二十キロに達する巨大な氷塊をくり貫いた中には、呼吸可能な大気が満たされ、最低限度の生存可能環境は整えられていたが、流石にそこで暮らす気になる程、酔狂な人間は彼等の内には居なかった。
 この拠点も、あくまで艦体の整備や補修の為に設けただけの代物である。
 何も無い宇宙空間で行うよりは、あり合わせとはいえ、数キロの厚みを持つ氷壁で周囲を遮蔽された場所で行う方が、作業効率も上がり、安全性も飛躍的に高まるのだ。
 これは、もはや再生産も、補給も利かぬ高度AI達の損耗を避ける為の処置であり、たった三名の乗員の生活空間は、これまで通り『プリトウェン』艦内に限定されている。

 そして今、当面の作業を終え、『プリトウェン』内のサロンに集まった面々は、今後の方策について互いの存念を交換し合っていた。

「取り合えず、火星と月、そして地球以外の遺物(レリック)共の始末は着いた訳だが――」
「ああダメよ、アル君。
 遺物(レリック)じゃなくBETAって言わなきゃ」

 艦長(正確には提督だが)としての責務から、最初に口火を切ったアルトリウスの機先を、頬を膨らませた軍医殿が遮った。
 軍の秩序からすれば許し難い暴挙であるが、そこはそれ、もはや独立愚連隊化した彼等にしてみれば、目くじらを立てる程の事でもない。

 やや憮然とした表情になりつつも、青年は彼女の主張を受け入れた。
 今後の事も考慮するなら、この世界での呼称に慣れておいた方が良いだろうという実利的な『言い訳』を胸中で唱えつつ、自身の発言を訂正する。

「……分かった。
 この世界では以後、遺物(レリック)共を、コードネーム『BETA』と呼称する」

 そこで一旦言葉を切ったアルトリウスは、やや疲れた顔をしつつ菫色の瞳をした美女を見た。
 困ったものだと言わんばかりの声音が、青年の喉元を通り過ぎる。

「これで良いか、サーヤ?」

 と確認する声に、薄い胸を誇らしげに張ったサーヤは頷いて見せた。

 よく出来ましたと言わんばかりに首を振る年上の幼馴染を前に、青年は淡い苦笑を浮かべた。
 昔から、この幼馴染には良く振り回されていた物だが、それでも不思議と腹がたった事は無い。

 ――これも人徳と言うヤツか?

 胸中でそう呟く彼の鼓膜を、別の声が震わせた。

「……とはいえ、火星と月、そして地球のBETA共を排除しない限り、いずれは元の木阿弥となるでしょう」

 奴等は増殖する。
 際限なく。

 例え、一つの天体上で連中(BETA)を根絶やしにしたとしても、同じ恒星系内に拠点(ハイヴ)が一つでも残っている限り、再び、そこも侵食されるのだ。
 地球連合時代から受け継がれた由緒正しい連中(BETA)の駆除方法はただ一つ。

 ――徹底かつ完全な殲滅戦。

 ただそれ有るのみである。
 それ故の信頼する右腕の指摘に、青年も皮肉気な笑みを浮かべて応じた。

「まあ、雑草を刈る様なものだ。
 人が住んでいる訳でも無いので、遠慮せずに済むのは有り難いがな」

 身も蓋も無い物言いではある。
 だが、正直なところ、それが彼ら『帝国』の軍人の感覚ではあった。
 彼等にとってBETAとは、恐るべき侵略者ではなく、ただ鬱陶しいだけの害獣でしかない。
 しかも飼い馴らす事の出来ない害獣だ。
 厄介な事に放置等すれば臣民にも被害が出る可能性がある以上、見つけ次第、徹底的に叩き潰すしかなく、その費用と手間も馬鹿にならないとなれば忌々しさも募ろうというものである。
 あんな傍迷惑な物を遺して滅んだ(らしい)珪素系生命体は、『帝国』の軍人達にしてみれば腹立たしい限りの存在であった。

 とはいえ、今回のケースに関して言うなら、その辺りも多少はマシな状態と言える。
 手加減無用、且つ、遠慮無用となれば、極めて安上がり、且つ、簡単に済ます手段もある事はあり、彼等も又、その手段を遠慮なく行使していたからだ。

 ――無差別宙対地砲撃。

 環境破壊もなんのそのの荒業、それがその『簡単かつ安上がりな』手段であった。

 何ら奇をてらう事の無い力技。
 だが補給のメドも無い彼等にして見れば、鏡像物質弾を筆頭とするミサイルの類は勿体無くて使えないし、虎の子の陸戦隊は、それ以上に惜しかったのだ。
 さりとて奴等に有効な重力兵器の類は、ハイヴ内に備蓄されているであろうR元素(G元素)の暴走を引き起こす可能性がある為、使えないと来る。
 そうなってしまえば、エネルギーさえあれば幾らでも撃てる副砲(ブラスター)の連打で決めてしまえという結論に達するのにさして時間は掛からなかった。

 かくして、太陽系内のBETA達の頭上には数千万度に達するプラズマの雨が、亜光速で降り注いだ訳である。
 流石に各惑星や衛星のオリジナル・ハイヴを含めた高フェーズ・ハイヴともなれば、一、二発は持ち堪えたものの数十発、数百発と間断無き連打を叩き込まれれば、到底、堪えきれる筈も無かった。
 結果、あの醜悪な有機機械共は、原子レベルまで分解されて、今では星の大気に散ったか、或いは、煮え滾るマグマの一部と化している。

 一部、原初の姿へと還りかけた土星の衛星の姿を眺めながら、老魔術師(マーリン)は、器用に溜息を吐いた。

『少しやり過ぎたのでは?
 アレでは、地表が冷え固まるまでに、数年は掛かりますぞ』

 太陽から遠い外惑星系においてですら、そのレベル。
 内惑星系に到っては、その数倍の時間が必要になるかもしれない。

 そんな惨状を前に、ケイは至極あっさりと割り切って見せた。

「まあ、地球人類が気付くのは、まだ先でしょう。
 それに気付かれたところで、何が出来るという訳でもありません」

 目の前の事に対処するのが精一杯で、遠い外惑星系の事までは気にしている余裕などない人類の現状を、正確に把握していた彼は、気にしても意味のない事と判断している。
 何より、未だ地球人類にとっては人跡未踏の地である以上、彼等が何らかの権利を主張する事自体が間違っているというのが、恒常的に宇宙に生きる『帝国』の人間としての判断でもあった。

 逆に言うなら、何らかの形で人類が足跡を残している月、そして非常に微妙ではあるが火星に対する手出しを敢えて控えたのもその為である。
 今後の展開は、未だ彼等にとっても定かではないが、場合によっては、この世界の人類と公式に接触する可能性も考えた上での配慮だ。

 だが、その配慮も、そこまでで終わり。
 あくまでも、接触し、交渉する破目になった際の為の布石に過ぎない以上、その重要度は決して高かろう筈も無かった。

 そんな瑣末な事よりも、いま最も注意すべき事を、彼は次なる話題として挙げる。

「――我等が気にすべきは、彼女の成否です。
 必要と思われる餌は渡しますが、相手が釣り針に掛かってくれなければどうしようもありません」

 アルトリウスの双眸に、一瞬だけ動揺が過ぎった。
 それに目敏く気付きながらも、見てみぬフリをした敏腕参謀長は、滞る事無く謀議を進める。

「まずは、地球上にて足場を築く事こそが急務。
 彼の地にて、安全を確保した上で、自由に動ける状況を作り出さねば、我等は先に進めません」

 あくまでも自身を含めた三者の安全確保。
 そして可能ならば帰還への道筋を探る事を、ケイは主張する。

 これについては、アルトリウスも異議を唱えるつもりは無かった。
 提督としての彼がまず責任を負うべきは、乗員の安否であり、そして帝国の皇子としては帝国臣民の未来である。
 その為には、何としても安全を確保した上で、帰還への鍵を手にする以外に無いのだ

 唯依と『契約』を交わしたのも、あくまでも彼女の協力を得る為の方便。
 無論、相応の誠意は見せるが、それが最優先になる事はない――と。

 そう胸中で呟きながら、自身に言い聞かせる事で、青年は己の本心を偽る。
 偽らざるを得なかったのだ。
 その背に、肩に、負う責任の重さ故に。

 そして彼は、偽りの仮面を被ったまま決断を下す――

「何としても、『メビウスの鍵」の所在を突き止め奪取する。
 必要とあらば彼女を……篁 唯依を使い潰してでもだ」

 ――そんな自身を、困った様子で見詰める菫色の瞳に気付く事無く。





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 シュルシュルと御簾の上げられる音を、平伏したまま聞きながら、唯依は高まる心臓の鼓動を必死で制御しようと試みる。

 未だ揺れ動きつつある帝国においては、万に一つの失敗も犯せぬこの機会。
 一旦取り逃せば、次に謁見の許可を得られるのが何時になるか、到底予想も付かなかった。
 如何に譜代武家である篁家の当主とはいえ、武家全体から見れば決して高位とは言えない。

 この身は、あくまでも『山吹』。
 有力武家の『赤』や五摂家の『青』と比べれば、どうしても格落ちするのは避けられない。

 この謁見とて、篁の家の力だけでは、もっと時間が掛かった筈。
 巌谷や雨宮の協力があって、ようやく成し遂げられた貴重な機会を逃す事など許されない。

 何よりも、彼等をあまりに長く待たせれば、或いは痺れを切らす可能性もあった。
 如何に、『契約』を交わそうと――

『――っ!』

 俯く唯依の美貌に、再び朱が射した。

 『契約』の事を思い起こす度、あの夜の出来事も思い起こされる。
 産まれてこの方、父親達以外の男の手すら握った事の無かった初心な乙女には、衝撃的過ぎる出来事が――

 鼓動が更に早くなる。
 呼吸も、彼女の意思を裏切った。
 幼少時からの精神修養で鍛え上げられた筈の鋼の精神が、飴細工の如く、ドロドロと融けていくのを感じながら、唯依は己の感情が噴出してくるのを必死で抑える。

『鎮まれ、鎮まれ。
 ……なぜ鎮まらん!』

 奔馬の様に荒れる鼓動と呼吸。
 自身の内心を現すソレの手綱を取ろうとするも、そうする程に、あの夜の全てが鮮明に脳裏に蘇ってくる。

 この身を抱き締め、抗う事すら許さなかった逞しい腕の力強さ。
 彼女の中に侵入し、侵略し、蹂躙していった不埒な舌先の味。
 重ねられた唇の感触、全身を覆いつくした他人の温もり、鼻腔一杯に嗅ぎ取った男の匂い。

 それら全てが渾然一体となって、刹那の情事を想起させた。

『―――っ!?』

 身体が熱かった。
 心臓が弾けてしまいそうな程に激しく鳴り響く。
 熱に浮かされた脳が、蕩けてしまうような錯覚を覚えながら、唯依は触れてはならぬモノに触れようとしている自身を感じていた。

 それは禁断の木の実。
 決して口にしてはならぬ物。
 自身が、『篁 唯依』のままで在り続けようとするのなら。

 そう知っていながら、判っていながら――

「篁っ!」
「――っ!?」

 己を叱責する声が、少女の意識を呼び戻す。
 弾かれた様に顔を上げた彼女の視線と、一段高い座から見下ろす少女の視線が交錯した。

 ――現政威大将軍 煌武院 悠陽殿下。

 彼女が忠節を尽くすべき主君であり、今回謁見を申し込んだ当の本人でもあった。

 一瞬の自失の後、昇っていた血が一気に下がる。
 比喩では無しに、一瞬止まった心臓と呼吸が、今度は乱れたリズムを刻んだ。

「申し訳ありませんでした!」

 自身の失態に気付いた唯依は、再び平伏する。
 畳に額を擦り付けんばかりに畏まる彼女へと、先程と同じ声が苛立たしげに降り注いだ。

「全く無礼な!
 自ら謁見を申し込んでおきながら……
 もう良い、貴様の謁見は、これにて終了とする」
「なっ!?」

 切り捨てる様な口調で告げられた宣告に唯依は思わず絶句した。
 弾ける様に上げられた目線が、発言者へと向けられる。

 将軍殿下のおわす座から、数えて三番目の位置。
 赤の斯衛服を纏っている事からも、有力武家の近侍と思われた。
 やや険のある眼差しで、自身を睨む中年の武家に向けて、唯依は縋るように懇願する。

「しばらく、しばらくお待ちを。
 無礼の程は、心よりお詫び申し上げます!
 何卒、何卒、お許し頂けますよう」
「くどいぞ、下がれ!」

 必死に詫びる彼女に向けて、苛立たしさだけを感じさせる叱責が飛んだ。
 唯依の目の前が、真っ暗になる。

 あまりと言えば、あまりな展開。
 混乱し切った少女の心が折れかける。

 ようやく手にしかけた希望の糸が切れる幻聴(おと)を聞きながら、固く握り締めた手の平に爪が食い込んでいくのも気付かぬままに、唯依はガックリと崩れ落ちた。

 悄然として蹲る様に平伏する事しか出来ない少女。
 それを目障りと感じたのか、先程の近侍が再び声を荒げかけたその瞬間――

「待て!」

 野太い男の声が、言葉の毒矢を圧し折り轟く。

 反射的に上げられた少女の視線が、将軍殿下の左に座す巨漢へと吸い寄せられる様に向けられた。

「「紅蓮閣下!?」」

 歳若い少女の声と中年の男の声が、同じ音を紡ぐ。
 だが、そこに篭められた感情は全く別の物だ。

 一方は、自身の見せ場を取られた事への憤りを、もう一方は、一縷の望みに縋る思いを、それぞれに宿しながら、泰然自若たる風情の偉丈夫を注視した。

 男の分厚い唇が、ゆっくりと動き出す。

「今は流石に血の気も引いておるようだが、先程、チラリと見えた際は、かなり顔が赤らんでおった」

 そこで一旦、言葉を切ると、唯依にだけ見える様に、軽く片目を瞑って見せる。

 ――話を合わせろ。

 そう告げられた様に感じた唯依は、続く言葉に全神経を集中する。
 野太い男の声が、再び、謁見の間に響いた。

「聞けば篁は、先の明星作戦の折、一旦はKIAを受けた上での奇蹟の生還を果たしたばかりとか、多少、体調を崩していたとしても仕方あるまい」

 ――そうであろう?

 と水を向けてくれる紅蓮。
 その厚意が、何に根差すのかは唯依には判らなかったが、これが最後の機会である事には変わりない。
 差し出された救いの手に、少女は躊躇う事無く縋りついた。

「はっ、面目無い次第ですが、今朝方から少し熱が……
 斯衛にあるまじき軟弱さ、本当に恥じ入るばかりです」

 そう言って再び平伏する少女。
 不満気な視線が、注がれるのを感じつつも、ジッと堪えて沙汰を待つ。

 一秒が、一分にも、一時間にも感じられる重苦しい時間。
 それでも必死に耐える彼女の上に、涼やかな声が降って来る。

「斯衛とて人の子、身体を壊す事もあろう」

 威厳を保ちつつも、どこか労わりを感じさせる声音でもたらされた赦しの言葉。
 唯依の肩からも、ホッと力が抜けかける。

 しかし……

「とはいえ、病人が無理に謁見をする事もあるまい。
 また日を改めるがよい」
「なっ!?」

 続いた希望を断ち切る言葉に、唯依は再び絶句する。
 絶句して固まる彼女の上に、三度、涼やかな声が降って来た。

「見たところ、思いの外、加減が悪い様子。
 控えの間を用意させる故、暫し休んでいくがよい」

 細い肩が、微かに震えた。
 恐る恐る上げられた視線と、見下ろす視線が再び混じり合う。

 そこに見えた、否、見えたと感じた真意を信じ、唯依は再び平伏すると殿下のご厚情に感謝の意を言上したのだった。





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 苛立たし気にデスクを叩く指の音が室内に響く。
 手にした文書を破り捨てたい衝動に駆られつつも、自制を聞かせた夕呼は、眉間に浮かんだ皺をもみ消しながら深い溜息を吐いた。

 常に自身に溢れた彼女らしくない態度、その原因がソレ――先日送った上申書に対する回答である。
 『白鯨(モビーディック)』との接触を試みるのを禁じるとの通達は、彼女の期待を大きく損なうものだった。

「やってくれるじゃないのよ」

 深く静かな怒りを帯びた声が、執務室内に広がっていく。
 第五計画派による妨害である事は明らかで、その意図するところも明白だった。

「宇宙に関する優先権は、自分達にある?
 一体、いつそんな事が決まったのよ」

 移民船団の建造もあり、宇宙における国連のリソースの多くは、第五計画派に押さえられているのが現状ではあるが、そんな取り決めが為された事はない。

 無論、向こうもその程度の事は、百も承知だ。
 承知の上で、現状を楯に既得権益化を図る腹なのだろう。

 そして、その中には――

白鯨(モビーディック)との接触の主導権も、なし崩しで手に入れるつもりな訳か」

 夕呼の双眸に冷たい光が宿る。
 鳶に油揚げさらわれて、泣き寝入りする程、香月夕呼という女は甘くないのだ。

 ――まずは、牽制のジャブから。

 そう胸中で呟きながら、白い指先が一枚の写真を取り上げる。
 軌道上を周回する宇宙望遠鏡が撮ったソレには、輪郭のぼやけた黄色い星が写っていた。

 数日前に取られた土星の衛星・タイタンの写真。
 だが、もしこれを一般の天文学者に見せたなら、恐らくはソレを否定するだろう。
 星のあちこちに、今までは無かった筈の斑模様の様な領域が散見できるからだ。

 赤外線解析の結果、これはタイタン地表上に産まれた超高温領域、平たく言えばマグマに相当するものと判別されている。
 未だ人類未踏の領域ではあるが、これまで観測された事の無い現象であり、外惑星系に去ったと思われる白鯨(モビーディック)出現と時を同じくしている以上、両者の間に何らかの因果関係がある事は否定し難い筈だ。

「フフン……舐めた真似してくれた御礼は、きっちりと返させてもらうわよ」

 ルージュの引かれた唇が、照明の光を受けて、濡れた光を放った。





■□■□■□■□■□





『……ううっ……どうしてこうなった?』

 胸中でそう呟きながら、唯依は自身が今現在、置かれている状況へ到った経緯を自問する。

 目の前に並ぶのは、相応以上に手の込んだ料理の数々。
 何より使われている食材全てが、今では貴重品となった天然物だ。
 昨今の帝国の食料事情を考えれば、如何に譜代武家の当主とはいえ、祝い事でもない限り口にする事は無い品々である。
 味付けもまた絶妙、唯依自身、それなりに料理の腕にも自信がある方だが、やはりその道一筋の玄人には及ばない――そう思わせる品だった。

 失礼にならぬ様、音にならぬ溜息を微かに漏らす。
 卓より上げられた視線が、真正面に座す御方へと注がれた。

 楚々たる箸使いで、上品に食事を摂っている少女。
 彼女の主君たる煌武院 悠陽が、不意に視線を上げる。

 唯依の視界の中で、花のような笑みが広がった。

「どうしました篁。
 箸が進んでいない様ですが?」
「あ、いえ、そのような事は……
 大変、美味しく頂いております」

 気遣いの言葉に、恐縮しきりといった風情で、唯依はしどろもどろに応えを返した。
 緊張の所為で、砂でも噛んでいる様な気分だったが、その辺りは上手く誤魔化すと、彼女はもう一度気付かれぬ様、溜息を漏らす。

『本当に、どうしてこうなった……』

 慨嘆が、豊かな胸のその奥で空しく響く。

 思い起こせば、体調不良を理由に、控えの間で休む事を許されたのが事の始まりだった。
 期待と不安に揺れながら、次の沙汰を待っていた彼女の下には、待てど暮らせど訪れる者も無く、刻々と過ぎて行く時間に焦燥は募るばかり。
 やがて日も傾き始め、夜の帳が降りかけると、その胸中には絶望だけが残った。

 取り返しの付かぬ己の失態に悲嘆の嗚咽を噛み殺しながら、辞去しようとしたところにやってきたのは、先程助け舟を出してくれた紅蓮その人である。
 体調の有無を問われた際には、本当に身体の調子が悪いと思われたのかとも思った唯依であったが、何処からか注がれる視線を感じ取って話を合わせると、紅蓮はこの場を訪れた要件を切り出した。

 畏れ多くも、将軍殿下ご自身が、明星作戦から奇蹟の生還を遂げた勇士に、戦場の話をお聞きになられたいとの事。
 体調が回復しているなら、夕餉を一緒にとの話だった。
 武家の一員である身としては、到底、断れるものでもなく、何より目的を果たす絶好の機会でもある。
 二つ返事で了承し、導かれるままに進んだ先にあったのは、意外な事に殿下個人の私室だった。
 差し向かいに設えられた膳に着き、箸を進めながら、時折、問われるままに明星作戦での仔細を話し続けてきたのだが……

『つ、疲れる……』

 紅蓮以外に侍る数人の近侍達の視線が痛かった。

 己よりも下位の者が、殿下と夕餉を共に摂り親しく接する様を見て、妬みを覚えるというのは分からないでもない。
 分からないでもないのだが、望んでの事ではないこの身にすれば、注がれる嫉視は精神的な疲労を、いや増してくれた。

 チラチラと救いを求める眼差しが、殿下の左脇に座す巨漢へと飛ぶのも無理からぬ事だったろう。
 だが当の本人はと言えば面白そうな表情を浮かべたまま、事の成り行きを観察しているだけだ。

 そのまま完全に観客に徹している紅蓮に恨みがましい視線を飛ばしつつ、殿下の相手を務め続けた唯依は、ようやく食事を摂り終えたところでホッと息をつく。
 下げられていく膳を見送りつつ、見えない腕で胸を撫で下ろした少女は、此処に来てようやく自身の目的を思い出した。
 思い出して、そして焦る。

『拙い!
 このままでは……』

 既に、日も完全に落ちきり、夜の時間となっている。
 これ以上、長居をする理由も無く、礼儀に従えば辞去するべきでもあった。
 しかしそれでは、今日、此処に来た理由が全く達成できない事となる。

『どうする?
 どうする篁 唯依っ!?』

 自分で自分を叱咤しながら、束の間、思考を巡らす。
 巡らして、そして出た答は――

「殿下、無礼を承知で申し上げたき儀がございます!」

 正面突破。
 ただそれあるのみであった。

 無策といえば無策。
 だが、短い時間とはいえ間近に接して、感じ取ったその清廉な人柄から、下手な駆け引きを図るよりは、誠心誠意ぶつかるべきとの思いが強くなっていたのだ。

 故に唯依は、己の誠の全てを言葉に乗せて希う。
 この声が、想いが、主君の心に届くと信じて――

 そうして平伏する少女へと複数の視線が突き刺さる。
 厚意、敵意、嫉妬、侮蔑、興味――重なり合う複数の感情を、その背に感じながら、それでも微動だにせぬまま少女は、主君の沙汰を待った。

 昼間と同じく涼やかな声が、彼女の背を撫でる。

「面を上げなさい篁。
 そのままでは、話も出来ないのではないですか?」
「「「殿下っ!?」」」

 唯依の美貌に喜色が走る。
 思わず上げられた双眸には、先程と変わらず微笑む悠陽の姿が映し出された。

 一方、それとは対照的に、身の程知らずの無礼な娘と冷笑や侮蔑を浮かべていた近侍達が一斉に眼を剥いた。
 思いも寄らぬ悠陽の反応に、口々に諌めに走ろうとする中、重々しい一喝が彼等の出鼻を挫く。

「鎮まれ!
 殿下の御意であるぞ」

 発したのは斯衛最強の将にして、赤の名門の当主でもある紅蓮醍三郎その人。
 同じ赤の近侍であっても、やはり風格そのものが違う。
 思わず鼻白らむ面々であったが、抗弁する事など出来はしなかった。
 不承不承といった様子で、矛を収めるのを確認した紅蓮は、目線で唯依に合図を送る。

 白い喉が一度だけ鳴った。

「先ずは、お人払いを、お願い致したく」

 消えかけた火に、油が注がれた。
 不発に終わった激情に火が入る。

「貴様!」
「増長したか篁っ!」
「山吹如きが、無礼であろう!」

 流石に、二度目とあっては我慢出来なかったのか、紅蓮の睨みもなんのそのといった勢いで唯依へと非難の嵐が殺到した。

 叩きつけられる敵意と叱責の矢を、唯依は毅然とした姿勢を崩す事無く受け止め続ける。
 受け止め続けてそして、ただひらすらに主君である悠陽を見詰め続けた。
 ただ何処までも真っ直ぐに、何処までもひたむきに――

 悠陽の双眸に、苦笑が閃き、そして消えた。

「鎮まるがよい」

 室内に凜とした声が響き渡る。

 ――場を満たす喧騒よりも、先程の紅蓮の一喝よりも、遥かに小さく穏やかな声が。
 ――同時に、抗う事を許さぬ威厳を宿した声が。

 文字通り、水を打ったような静寂が、その場に現出した。
 そのまま場を一瞥した悠陽は、唯依へと問い掛ける。

「人払いとは、紅蓮も含めての事か?」

 もの言いた気な視線が、悠陽へと殺到した。
 だが、先程の一喝と、紅蓮の睨みを前に、それが言葉になる事はなかった。

 一方、唯依はと言えば、悠陽の問い掛けにしばし逡巡する。
 可能な限り少数にとは言われていた。
 だが、言われたのはそれだけで、つまり『少数』の範囲の裁定は、唯依に委ねられている事となる。
 数度の躊躇いの後、彼女は主君の問いに答えを返した。

「殿下の御意のままに。
 但し、この場に残られるなら、この後見聞きする全てを墓の下まで持って行く事を、お約束頂きたい」

 部屋の中が、再び、シンと静まり返る。
 身分を弁えぬ不遜な小娘といった嫉視を唯依へと浴びせていた近侍衆も、紅蓮の反応を慮ってか騒ぐ事はなかった。

 胃の痛くなるような重苦しい瞬間、だがそれは、ホンの瞬き三つ程度の時間で終わりを告げる。

「ワハハハハハハッ!!」

 岩石を荒削りした様な厳つい面が破顔し哄笑が轟いた。
 心底、楽しそうに笑う紅蓮を、悠陽は苦笑混じりに、近侍衆は唖然として見守る中、ただ唯依のみは真っ直ぐに前を見据えている。

 哄笑が不意に途絶え、紅蓮の顔に太い笑みが浮かんだ。

「話に聞いた以上に(こわ)い娘よ。
 それでは中々、婿のきてもあるまいて」

 白皙の頬に朱が射した。
 婿の一言で、脳裏に浮かんだ琥珀の瞳を、頭を軽く一振りして弾き飛ばしながら、唯依は紅蓮へと正対する。

「この身命は帝国に捧げしもの。
 無用のお気遣いは、ご遠慮頂けますように」

 ――何よりこの身は、既に我が物にあらず。

 そう心中で付け足した唯依は、無言のまま紅蓮の答えを促した。
 分厚い唇がニヤリと歪む。

「良かろう。
 我が名にかけて約束しよう。
 証人は殿下ご自身、これ以上の保証はあるまい?」
「ハッ!
 ありがとうございます、紅蓮閣下」

 唯依は再び平伏する。
 下げられた頭の上を、悠陽の声が通り抜けていった。

「皆の者、暫し下がるがよい。
 声を掛かけるまで、何者もこの部屋には近づけぬ様に」

 鶴の一声が、再び湧き上がりかけた反抗の芽を未然に摘み取った。
 悠陽と紅蓮、この両者揃っての命に抗う事が出来る者は流石に居ない。
 せめてもの意趣返しとばかりに、平伏する唯依を憎々し気に睨んだ近侍衆は、それを最後に不承不承といった態で退室していった。

 足音が遠ざかり、静寂が舞い戻る。

「さて、それでは場所を移しましょうか?」

 平伏する唯依に向けて悠陽が告げた。
 上げられた面に浮かんだ不審の色は、自身の唇に指を当てた悠陽のジェスチャーにより霧散する。

 静々と立ち上がった悠陽に、当然の如く紅蓮が続いた。
 慌てて後を追う唯依を最後尾に、一行は更に奥に入っていく。

 幾つかの扉を潜ったその先にあったのは、将軍には似つかわしくない八畳程度のこぢんまりとした部屋だ。
 だが室内は綺麗に片付けられ、居心地の良い空間を形作っている。

 恐らくは、こちらが本当の意味での殿下の私室なのだろうと見当を付けた唯依を他所に、設えられたソファへと腰を落ち着けた悠陽は、向かいの席へと彼女を差し招いた。
 恐縮した表情で席に着く唯依の前で、いま一度、悠陽はふわりと微笑を浮かべる。

「ここでなら他の者の耳目を、気にする必要はありません」

 その一言に含まれた意味を、唯依は正確に聞き取った。
 わずかに眉を顰めた彼女の前で、悠陽の美貌にも憂いの影が射す。

「この身は何の実権も持たぬお飾りなれど、それでもその動静が気になって仕方のない者も居るという事です」

 盗聴か、或いは近侍の中に内通者がいるのか?
 いずれにせよ、自身の動きに耳目を尖らせている者達が居る事を認め、その上で、この場は安全であると告げる。
 悠陽の脇に立つ豪傑もまた、太い首を縦に振りながら、主君の言葉を保証した。

「この部屋に立ち入れる者はごく僅か。
 それに今日、お主が来る前に専門家に掃除してもらってある。
 あの狸、性格は悪いが腕は確か、安心してよいぞ」

 ――だから言うべき事を言え。

 と、言外に告げる紅蓮に、唯依も内心で首肯した。
 可能な限りの便宜は図られている以上、これ以上は望むべくも無い。
 ならば、後は自分の為すべき事を為すだけだ。

 そう決心した唯依は、胸元へと手を入れる。
 わずかに反応した紅蓮の動きを、悠陽が片手を翳して制止した。
 そんな主君の配慮に感謝しつつ、疑念を呼び覚まさぬ様、ゆっくりとした動きで差し込んだ手を引き抜いていく。
 その手の平には銀色に輝くペンダントが握られていた。

 興味と不審が合い半ばする視線が、唯依へと注がれる。
 それを意識しつつ、誤解を受けぬ様に注意しながら、取り出したペンダントをソファから少し離れた何も無い床の上に置き二歩下がった唯依。
 その背へと、訝しげな声が掛けられる。

「何のまじないだ、ソレは?」

 理解不能な少女の行動を問い質したのは紅蓮だ。
 旧知の巌谷から是非にと請われて、この場を設える手助けをした以上、悠陽の身の安全を死守する事が自身の使命と理解している紅蓮は、携えた愛刀の柄に手を掛ける。
 わずかに迸った殺気が唯依の背を叩いた。
 サラリと黒髪が揺れ、少女はこちらへと向き直る。

「殿下、この場にいま一人招く事をお許し下さい」

 軽く礼を取り許しを請う。
 紅蓮と悠陽は互いに顔を見合わせた。
 再び、分厚い唇が動きかけ――止まる。

 ペンダントを中心に、唐突に立ち上った光の柱。
 直径一メートルそこそこのソレは、虹色に輝き揺らめく。

「ぬぅ?」
「これは……」

 思わず身構える二人を他所に、唯依はジッと乱舞する光を見据えていた。

 輝きの中に黒い人影が生じ、不意に光が途切れる。
 光の柱が消えたその場には、一人の青年が立っていた。

「何奴っ!?」

 紅蓮の咆哮が轟く。
 一瞬で、青年と悠陽を結ぶ直線上に割って入った偉丈夫は、油断なく身構えながら、抜け目無く相手の仔細を観察した。

 黒い髪は短く整えられ、端整といえる面差しの中央で輝く琥珀の瞳は、強い意志の存在を感じさせる。
 黒と銀で装われた服、恐らくは軍服であろうそれに納められた肉体は、細身ながらも鍛え抜かれている事が見て取れた。

 ――軍人、それも相当の手練。

 一瞥で読み取った情報を元に、紅蓮は更に警戒心を高めた。

 対して警戒されている当人はと言うと、こちらも一瞥した情報から大まかな状況の当りを付けたのか、軽い失望の溜息と共に口を開く。

「篁 唯依、事情を説明していないのか?」

 責める様な、咎める様な口調に、少女の柳眉が寄った。
 憮然とした表情のまま、こちらも溜息混じりに答えを返す。

「こんな奇天烈な話を、言葉だけで説明できるものか。
 実際に、目の前で見て貰った方が余程確実だ」

 ――未来の並行世界からやって来た者達と会談して頂きたい。

 言った瞬間、自身は病院送り。
 篁の家は改易。

 そんな未来が手に取る様に予想できる真似など出来る筈も無い。
 そう言って反論する少女に、青年は苦笑を浮かべた。

 ――言われてみれば確かにその通りかもしれないな等と感心しながら。

 そうやって口論する二人の姿に毒気が抜かれたのか、紅蓮の戦意も目に見えて落ちた。
 その背越しに悠陽の声が、彼等へと届く。

「その方が、いま一人招きたいと言った方ですか?」
「然り」
「――っ!?」

 問い質す声に、唯依が反応するよりも一瞬早く、一歩前に出た青年自身が答える。

 背後からの指示か、分厚い肉の壁が退けられた。
 相対する青年と少女の視線が、中空でぶつかり合う。
 一瞬の緊迫は、青年の側の一声により断ち切られた。

「お初にお目にかかる。
 日本帝国政威大将軍・煌武院 悠陽殿」

 敬礼と共に放たれた儀礼的な挨拶に、悠陽もわずかに身構えた。
 出自定かならぬ相手を前にしては、当然とも言えるその動きを、咎める気にもならなかったのか青年は先を続ける。

「小官は、アルトリウス・ペンドラゴン。
 偉大なる『赤き竜の帝国』にて、軍人の末席を汚す者」

 そこで青年の頬に、皮肉気な笑みが浮かんだ。
 言葉の爆弾がさり気なく投下される。

「もっとも貴女達には、こう言った方が通りが宜しかろう。
 ――貴女達が、白鯨(モビーディック)と呼ぶ艦の艦長を務める者である、と」

 音も無く、光も無く、ましてや爆風など皆無の爆発。
 だがそれは、間違いなく悠陽らに、これ以上は無い程の衝撃を齎す。
 問い質すように注がれる二対の視線を前に、唯依は静かに首を縦に振って見せた。

 悠陽の眼差しに、これまで見せた事の無い鋭い光が宿る。
 一言一句聞き逃すまいとする一同の耳に、再び青年の声が響いた。

「『契約』に従い、貴国に助力を。
 人類の未来を、開いて差し上げよう」

 今の情勢下において抗い難いその誘惑を、余りにも都合の良過ぎる言葉を、悠陽は唖然としながら受け止めた。





■□■□■□■□■□





「かくして、いま現在へと到る、か」

 悩ましいまでに女らしい曲線を、余す事無く描き出す衛士強化装備を身に付けた唯依は、そう呟いて回想を打ち切った。

 あの後、悠陽とアルトリウスの間で、一つの盟約が結ばれ、それに従い自身もいま此処に居る。

 アルトリウスの側にしてみれば、助力するにせよ直接手を出すのは控えたいとの意向があり、現在の世界情勢を見る限り、それが賢明であると悠陽自身も認めていた。

 千年後の未来の超越技術(オーバーテクノロジー)
 その精華たる戦艦と搭載兵器の数々。

 現在の人類にとって、余りにも魅力的過ぎる存在であり、そしてそれ故に危険過ぎる毒でもあった。
 もし万が一、その存在が公になれば、BETAそっちのけで、人類同士が血みどろの奪い合いをする可能性を示唆された時、唯依も紅蓮も否定の言葉を発する事が出来なかったのである。

 故に、彼等の手持ちの技術の内、この世界でも再現が可能で、且つ、対BETA戦に役立つものを流してもらい、それらを帝国が開発した新技術として世界に公開するという迂遠な形での支援に纏まったのだ。
 そうなってくると形だけとはいえ、開発者または開発集団が存在していないと些か拙いとの流れから、煌武院家直轄(・・・・・・)の先進技術開発集団『竜の巣(ドラゴンズ・ネスト)』なる架空の存在がでっち上げられた訳である。

 そして事の発端とでも言うべき唯依自身は、技術廠からの出向として『竜の巣(ドラゴンズ・ネスト)』に属するという名目の下、悠陽−アルトリウス間のパイプとしての役割を負う破目になったのだった。

「まあ、それは良い。
 それは我慢しよう」

 言葉とは裏腹に呟く声に不満が滲む。

 信頼する部下達を置いていくのは辛かったし、父親代わりの巌谷と距離を置かねばならぬのも後ろめたかったが、帝国の為と思えば我慢も出来た。
 実際に齎された技術の有用性はGM弾を見ても明らかで、これからお披露目する技術も又、戦局を変え得る可能性を秘めている。

 何ら不満を抱く要素は無い。
 無い筈だった。

 それなのに……

「彼は、誠実に『契約』を守っている」

 壁に据え付けられた姿見の前で、少し乱れた髪を整える。
 髪を撫で付ける指先は、やがて止まり、姿見に映る自身の姿を、彼女はジッと見詰めた。

 これでも恋文を幾度かもらった事のある身。
 客観的に見ても、顔の造作は、そう酷くないのだろう。

 胸はタップリと豊かで形良く、腰は深いくびれを描きながら、柔らかな丸みを帯びた尻へと繋がっていた。
 決して、他の女性衛士に劣らぬプロポーションであると自負していたのだが、その自信もここしばらくの間に脆くも崩れかけている。

「……私は、『契約』を履行しているのだろうか?」

 思わず溜息が漏れた。

 ――これは契約。
 ――その身、その心、それら全てを対価に、我はそなたの力となろう。

 脳裏に蘇るあの夜の言葉。
 一言一句、違える事無く思い起こせるソレに、わずかに頬を染めながら唯依は眼を伏せた。

 今更、『契約』を反故にする気は無い。
 充分な対価が渡されつつある現状において、そんな不誠実な真似をする気はサラサラ無かった。
 少なくとも、彼女の側には……

 深い溜息が漏れ、誰に言うでもない愚痴も漏れる。

「私は、女としての魅力に欠けるのだろうか?」

 ただの自問自答。
 いや、答えを返せないのだから自問に過ぎなかった筈のソレに、思わぬ方向から返る答えがあった。

「隊長に女の魅力が無いというなら、魅力のある奴なんか居ないでしょ?」
「なっ?」

 背後からの合いの手に、ギョッとして振り返る唯依。
 そこには同じく衛士強化装備に身を固めた雨宮が立っていた。

 実に楽しそうに笑う彼女。
 だがその瞳は、鼠を見つけた猫、或いは小鳥を見つけた猛禽の如く鋭い光を宿していた。

 唯依の美貌が青くなり、赤くなる。
 思わず後ずさった背が、姿見に当って止まった。
 ひどくイイ笑顔を浮かべた雨宮が、追い詰められた唯依の前に立ちはだかる。

「随分とお悩みのご様子。
 察するところ(くだん)のキスのお相手の事でしょうか?」
「し、知らん。
 何のことだ!」

 猫撫で声で掛けられた問いを、唯依は、ブンブンと首を振って否定した。
 とはいえ、その程度で誤魔化せる筈も無し、雨宮は更に踏み込んでくる。

「ふむふむ、つまりキス以上を求められない。
 いや、キスも一回だけで、その後はトンと音沙汰もなしですか?」
「――っ!?」

 首筋も、顔も、耳も、露出している箇所全てが真っ赤に染まった。
 いや、恐らくは強化装備に隠された部位も含め、白い肌全てを紅に染め上げた唯依は、酸欠の金魚の様にパクパクと口を開閉する事しかできない。
 対峙する美少女の顔に、小悪魔めいたニヤリ笑いが浮かんだ。

 ……浮かんだのだが、天運は未だ唯依の側へと傾いていたのである。

『作戦開始前六百秒。
 ホワイトファングス小隊員は、所定の位置にて待機せよ』

 スピーカーから響く無機質な声。
 だが、自身にとっての天恵であるソレに、唯依は躊躇う事無く縋り付く。

「くだらん事を言っている暇など無い。行くぞ雨宮!」

 勢いまかせにそう叫ぶと、そのまま雨宮を押しのけ走り出した。
 一瞬、唖然として固まる彼女を尻目に、素晴らしいスピードで駆け去っていく。

 見る見るうちに遠ざかっていく背中。
 それを見送った雨宮は、一度だけ肩を竦めると、その後を追って駆け出したのだった。





■□■□■□■□■□





 白い軌跡を描き、戦術機母艦から四機の戦術機が飛び立っていく。
 見た目は現帝国軍主力機である撃震に酷似しながら、どこか違和感を感じさせる機体
 本日、二番目のお披露目となるOBLを内装した多機能装甲(MCA)を用いて更新された撃震改である。

 第一世代機である撃震を装甲の交換を主体とした作業で、準第三世代機相当にまで更新できるこの技術が普及すれば、旧式化が否めなかったF−4系の機体を、今後も第一線で利用する事が可能となるのだ。
 ことに昨年のBETA大侵攻により国土の半分を焼かれ、関東以西の主要工業地帯を根こそぎ潰された為、新規の機体調達に四苦八苦している帝国にしてみれば、喉から手が出る程に欲しい技術でもある。
 それ故に、第一世代機とは思えぬ滑らかな機動で空を翔る四機の撃震改に、集まる視線は熱く、真剣でもあった。

 またそれとは別に一部の者達は、撃震改そのものよりも、その左腕にマウントされた巨大な銀色の追加装甲へとより注意を払っている。

 撃震改の機体そのものをも覆い隠せそうな長大な楯。
 銀色に鈍く輝くソレを前面へと掲げた撃震改達が、ゆっくりと高度を上げていく。

 BETAの巣であるハイヴの面前で、本来なら自殺行為に等しい行いをする小隊に、叱責を飛ばす者は無かった。
 ただ固唾を呑んで成り行きを見守る姿のみがCICの中の随所にあり、それらの視線を一身に受けながら、遂にホワイトファングス小隊機達が危険高度を越える。

 途端にCIC内に鳴り響くアラーム。
 今頃は、撃震改の管制ユニット内でも同じ音が鳴っているだろうソレは、光線級による照準照射を告げるモノ。

 恐らくは、佐渡島の地表に存在する殆どの光線級が、彼女等をロックオンしている筈だが、その割に検出される照準照射の数自体はごく僅かだ。
 大半の照準照射自体が、GM弾により形成された超耐熱ガラス粒子によるレーザー撹乱霧により拡散・減衰されているが故だが、逆に言うなら照準照射が減衰されない位置に、光線属種が存在しているという証左にもなる。

 佐渡島沿岸に程近い位置にあるその集団。
 二十体程の光線級で構成されるソレに向けて、進路を変えたホワイトファングス小隊四機は、追加装甲を掲げたまま突進していく。

「最高出力照射来ます!」

 照準照射開始から逆算した本命の到来を告げるオペレーターの警告がCIC内に響くと同時に、撃震改の掲げた追加装甲の表面で光が弾けた。
 白いレーザー撹乱霧の中で、更に白い領域が広がる。

 最高出力照射開始から瞬く間に五秒が過ぎた。

 最新式の対レーザー蒸散膜の耐久限界時間が過ぎる。
 CICの随所で、ゴクリと唾を飲み込む音がした。

「インターバルまで後七秒」

 未だ掲げられた追加装甲は、融け崩れる気配を見せない。
 白銀の装甲表面では、眩い光が乱舞し続けていた。

「三秒」

 期待に満ち満ちた表情が、CIC内の各所に広がっていく。
 そして、カウントダウンが、遂に零を示した。

「目標・光線級集団、インターバルに入ります」

 乱舞していた光が消えた。
 掲げられた白銀の追加装甲――試製99式対レーザー追加装甲が、小揺るぎもせず健在である事を、モニターに映し出される計測値から読み取った一同が、歓喜と感嘆のどよめきを上げる。

 絶対を誇った死神の槍。
 これまで数多の衛士達の生命を貫き、ここに居る将帥達に血の涙を流させてきた異星起源種の矛が、人類の新たな楯の前に砕け散った瞬間が、その目撃者となった事が、彼等を異様なまでの興奮へと誘っていく。

 そしてそれは、モニターの一角に映る美貌の女性衛士の報告を機に、最高潮へと達していくのだった。

「――試製99式対レーザー追加装甲の実運用試験を終了。
 これより試製99式多機能装甲装備による撃震改の実運用試験に移行します」
「うむ、ホワイト・ファングス試験小隊の戦果を期待する」
「ハッ!」

 淡々と告げる言葉に、責任者たる将官の激励が敬礼と共に返された。
 画面の中、凛々しい返礼を返す美少女へと、CIC各所からも期待と激励の言葉が次々に贈られる。

「期待しているぞ、篁少尉!」
「叩き潰してやれ!」
「帝国軍人の底力を、化け物共に見せ付けてやるがいい」

 試験開始前の不審の念が、完全に一掃された光景に、唯依の頬も微かに緩んだ。
 再び敬礼をした唯依の姿が、モニターから消える。
 代わって、先程のお返しとばかりに、獲物となった光線級集団へと殺到していくホワイトファングス小隊を示す光点(フリップ)が映し出された。

 戦場に『死の羽音』――高速で飛来する弾丸や砲弾が生み出す風切り音が響き渡る。

 白い霧を切り裂き殺到した無数の36ミリ砲弾が、インターバルを終える寸前の光線級集団を、文字通りズタズタに引き裂いた。
 赤黒い肉と体液の混合物と化したソレ等が、掘り返された土砂と混じりあい血泥となって堆積する。
 それを踏み躙るかの様に地に降り立った撃震改は、周囲に点在した要撃級や戦車級へと砲撃を撃ち込み、近づいてくる輩を74式近接戦闘長刀で叩き斬っていった。

 各機の計測器から送られてくるデータを元に、CGで再現される撃震改の獅子奮迅の戦いぶりに、CIC内の者達は歓声を上げ続ける。

 不知火のソレに比しても、殆ど遜色の無い俊敏な機動と反応の速さ。
 第一世代機のカテゴリーを完全に逸脱した機体性能に、技術廠から参加していた技官らも眼を瞠るばかりだ。

 更には――

 ――振り回される要撃級の前腕衝角を、空高く飛んでかわした撃震改が、お返しとばかりに放った120ミリ砲弾で要撃級を地に縫い付ける。
 ――必死に喰らいつこうと飛び上がる戦車級の頭上から、36ミリ砲弾のシャワーが降り注いだ。

 時折届く光線級のレーザーを左腕に携えた試製99式対レーザー追加装甲で乱反射させて防ぎ、自在に空を舞う四機の撃震改達は、BETA達にとっては死神以外の何者でもない。

 地を這うだけの化け物共の頭上にて、猛威を振るい続ける鋼の巨人達。
 その様は、来るべき本格的な反攻と、その勝利を軍人達に予感させるには充分過ぎた。

 戦闘中とは思えぬ程、不謹慎なざわめきの満ちる大和のCIC。

 その喧騒から逃れる様に、一つの人影が退出していくのに気付く者は居なかった。





 咥えた煙草から、紫煙がゆっくりと立ち昇っていく。
 肺の奥まで吸い込んだ煙草の煙を、深い吐息と共に巌谷は吐き出した。

 可燃物や危険物の多い戦闘艦の艦内。
 隠れるように設けられた喫煙所内で彼は物思いに耽る。

 思う事は、言わずと知れた唯依の事。
 あの奇蹟の生還を遂げた後から、どこか変わってしまった印象を拭い得ない愛娘の事を案じ、巌谷は小さく嘆息する。
 ずっと近くに居た筈の小さかった愛娘が、不意に大人になって、どこか遠くへ行ってしまった様に思えた。
 胸の内に巣食う寂寥感、それを誤魔化すように男は呟く。

「『竜の巣(ドラゴンズ・ネスト)』……」

 あの日、愛娘の必死の懇願に負けて殿下への謁見に協力した後、唐突に現れた存在。
 殿下ご自身が、『私的』に設けられたという触れ込みの先進技術開発集団。

 当初は殿下の道楽と見做され、軍内部からは殆ど無視に近い状態だった存在に、連絡士官として唯依が出向を希望した際には、驚きと共に止めたものだ。
 親の欲目を抜きにしても、愛娘の才能や技量、戦術機開発に掛ける情熱は、同年代の中でも抜きん出ている。
 このまま技術廠に留まり、ゆくゆくは戦術機開発の中心的存在になってくれるものと期待していた巌谷の説得も、副官である雨宮の懇願も、辛うじて技術廠内にも席を残すという折衷案しか引き出せなかった。

 そんな唯依の意味不明な行動は、当然の如く様々な憶測を生み、少なからぬ中傷も受ける事になる。

 ――明星作戦で死に掛けた事で、臆病風に吹かれ、前線に出る必要の無い任務に逃げた。
 ――悠陽殿下に言葉巧みに取り入って、側近の地位を掠め取った。

 等々。

 その他にも、耳にした瞬間、発言者を殴り倒してやりたい衝動に駆られる様な根も葉もない誹謗中傷も……

 それら心無い陰口を受けながら、それでも黙々と任務に精励していた唯依。
 そんな愛娘の努力が、いま正当な評価を受けようとしているのだ。
 父親代わり、否、父親であればこそ、喜んでやるべき事と巌谷も分かっている。

 ……分かっているのだが。

 紫煙と共に深い溜息が漏れる。

 どうにもやりきれない喪失感。
 愛娘を奪われる父親の気分を味わいながら巌谷は深々と嘆息する。

 ――遠くで、一際大きな歓声が弾けた。





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「――以上だ」

 凜とした張りのある声が、報告を結ぶ。
 束ねられた報告書が、座卓の上に置かれた。

 先日行われた佐渡島ハイヴの漸減作戦。
 その際に便乗して実施された新兵器群のテスト結果、講評等を取り纏めた物を説明し終えた唯依は、喉の渇きを覚えて出された紅茶に手を伸ばす。
 口内に広がる味と鼻腔へ抜ける香りに少女の双眸が丸くなった。

「……美味しい……」

 紅茶などあまり嗜んだ事の無い身だが、この茶葉が尋常の物で無い事くらいは分かった。
 意外な不意打ちに驚く少女に向けて、渡された報告書に眼を落としていた青年が、片頬を吊り上げてみせる。

「それはケイの道楽だ。
 色々と艦内に持ち込んでいたのを、接客用に少し提供して貰った」
「そうか……」

 言葉少なく応ずる唯依。
 もう一口飲んでみるが、やはり美味かった。

 そのままチビリチビリと美味な紅茶を啜りつつ、目立たぬ様に相手の様子を伺う。

 琥珀色の視線は、手に持った報告書に注がれたままだ。
 書かれた字面を追っているのか、右へ左へとゆっくり動く。
 端整な容貌に浮かぶのは真剣そのものの表情で、自身が提供した物に対する結果と評価を慎重に吟味していた。

 己が完全に置物か空気扱いになっている事に、何故か知らぬが微かな苛立ちを感じながら、唯依は自分自身でも結果を振り返ってみる。

 GM弾による対レーザー撹乱霧の効果は、重金属雲のそれを完全に上回る事が、実戦においても証明出来た。
 量産体制を整えるのに、多少の時間が掛かる事が見込まれるものの帝国軍上層部は可能な限り早急な調達を行う事を既に決定している。

 そして他の二つ、撃震改と試製99式対レーザー追加装甲についても想定以上の高評価を博していた。

 試製99式多機能装甲については、光菱、富嶽、河崎に加えて遠田技研にも情報を流し、可能な限り短い時間での必要数調達を目指して動き始めている。
 制御系用の並列処理CPUについても同様だ。

 そして何より光線級吶喊の切り札と目される様になった試製99式対レーザー追加装甲。

 こちらについても揃えられるだけ揃えたいというのが、軍の偽らざる本音であり、唯依自身にもその線で尽力する事が求められていた。

 求められていたのだが……

「アルトリウス殿」

 控えめな呼び掛けが、少女の唇から零れる。
 下げられていた顔が上げられた。
 向けられた視線に、何故か息苦しさを覚えながら、唯依は言い難そうに要件を伝える。

「試製99式対レーザー追加装甲に使う対レーザー合金だが……もう少し提供して貰う訳にはいかないだろうか?」
「無理だな」

 恐る恐るといった風情の要望は、素っ気無い程あっさりと切って捨てられた。
 白い美貌の中で、柳眉がキュッとばかりに寄る。
 続く言葉に、微かに険が篭った。

「……少しは考えて欲しいのだが……」
「提供する時点で充分に考えている。
 あれ以上は、無理と言うものだ」

 唯依のささやかな苦情を、青年は言下に否定する。
 だが、わずかに歪んだその貌に、痛むモノを感じた彼は、足らぬ言葉を補った。

「そもそもあれは、対艦ミサイルの外装に使われていた物だ。
 それを剥がして提供した訳だが、量に限りがあるのは仕方あるまい?」

 彼等の世界では、対空砲としてはポピュラーなレーザー対策として、それなりのレベルのミサイルには、外装に対レーザー合金による加工が施されていたのだが、それを剥がして提供した物を成型した上で、スーパーカーボン製の本体に取り付けた物が試製99式対レーザー追加装甲であった。
 とはいえ製造には地球上に殆ど存在しない稀少元素(レアメタル)を必要とするこの合金は、ほぼ完全にレーザーを反射するという性能と引き換えに、それなりに高価(たかい)のである。
 となると当然、全体の内、使用されているミサイルの比率は低く、当面不要と判断された物から一通り回収はしてみたが、精々、一個大隊分有るかどうかという量しか提供できなかったのだ。

 その辺りを懇切丁寧に解説すると、流石に軍人である彼女にもこちらの状況は理解できたらしい。
 補給も利かぬ状態で、ミサイル関係の兵装が全てダメになると言われてしまえば無理は言えなかった。

 そうやって悄然と肩を落とす少女の姿に、胸中に生じる苦い物を感じながら青年は沈黙を守る。
 本音を言うなら、もう少し出せない事もないのだ。
 更に言うと、対レーザー合金自体の強度はせいぜい鉄程度、本当の意味でのミサイルの外装は別な為、剥がしてしまった分も使用自体に問題はなく、その気になれば全て剥がせない事も無い。

 だが、収集した情報を取りまとめ、これまでの情勢を分析するにつけ、個人はともかく、人類全体を信用する気にならなくなった彼等は、必要以上の助力は手控えるというスタンスで動いている。
 その観点から見たリミットが、提供した量である以上、まだ出せるとは言えなかったのだ。

 そうやって後ろめたさを覚えたアルトリウスは、この場を逃れるべく画策する。
 チラリと屋外に面する障子を見た青年は、いま気付いた様な表情を取り繕って唯依へと告げた。

「そろそろ陽も傾きかけている。
 今日は、この辺りで終わりとしよう」

 さり気なく帰宅を促す言葉に、唯依の顔に複雑な色が浮かんだ。

 ここは人里離れた深山幽谷の中にある彼等の秘密基地――等では無く、れっきとした帝都内の一角にあるこぢんまりとした日本屋敷でしかない。
 ちょっとした小金持ちが持てる程度のこの屋敷は、悠陽から提供された資金によって購った彼等の地上拠点でもあった。

 調達時に連絡の利便性を考えたのか、篁の屋敷からも車で三十分そこそこ。
 電車やバスを乗り継いでも、一時間もかかるまい。
 今から帰れば、日が落ちる前に屋敷に着くのは確実だ。

『……子供扱いする気か!』

 胸中に淀む訳の分からぬ苦しさを、憤りに変えて誤魔化し、そして睨む。
 対して、唯依には完全に興味を失った素振りで紅茶片手に、再び報告書を読み出した青年。
 細く形良い美少女の眉が、不快を表しキリリッと寄った。

「失礼する!」

 辛うじて最低限の礼儀を守りつつも、抑え切れぬ胸中のモヤモヤに押されて憤然と席を立つ。
 彼女には似つかわしくない荒々しい足音と共に去る背を、さりげなく上げられた琥珀の双眸が見送っていた。





 勢いのまま玄関まで突き進んだ唯依は、そこではたと立ち止まった。

 数瞬の躊躇と停滞。

 恐る恐る振り返った視界には、ただガランとした廊下のみが映る。

「――――」

 腹の奥底から何かが競り上がってくる感覚。
 胸の奥が苦しく、熱く、それでいて冷たい何かが差し込まれた様な錯覚を少女は覚えた。

 彼女にしては珍しく紅を引いた唇から薄桃色の舌が覗く。
 十数年ぶりにアカンベーをした唯依は、そのまま踵を返すや玄関から飛び出していった。





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 西暦一九九九年十二月

 日本帝国は、数度の実戦試験を経て性能評価を完全に終えた新型対レーザー防御兵器『GM弾』の実戦データを国連に提出。
 併せて提供されたサンプルは、国連軍内でも実戦評価され、帝国から提供されたデータ通り、従来のAL弾による重金属雲に勝る対レーザー減衰効果が確認された。

 これを受けて日本帝国は、国連に対し『GM弾』の製造技術の提供を打診。
 代償として、翌年、西暦二〇〇〇年中の佐渡島ハイヴ攻略作戦の発起とそれに要する兵力供出を確約させる事に成功する。

 こうして帝国内における反抗の機運と準備は、徐々に現実の物へとなっていった。





 余談ながら、GM弾の製造技術そのものは提供されたものの、それに伴うライセンスはちゃっかりと保持しており、結果、膨大なライセンス料が、『竜の巣(ドラゴンズ・ネスト)』のパトロンである煌武院家に流れ込むことになる。
 これらの富は、悠陽自身の意向で、帝国内の難民救済と自立支援に大半が注ぎ込まれ、結果として帝国再建の一助となると共に、煌武院家と悠陽自身の名声と権威を大きく高めたのだった。






 後書き

 何故か目立つ位置に置かれた唯依姫。
 対して、黒幕ポジの主人公。

 互いの立場や使命から、中々、近づかないなぁ。
 流石は、鋼鉄の処女。

 良いのか、これで?

 まあとりあえず、足場固めですね。

 ちなみに、GM弾の元ネタは、あの作品からですので。
 分かる人にはわかります。

 対レーザー合金は……ブックオフで見つけた古い小説からですね。
 多分、分かる人は居ないでしょう。

 さて、それでは次回もよろしくお願いいたします。





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