篁 唯依という名の少女が居る。
彼女自身は知らぬ事だが、実は結構、職場である帝国軍技術廠内では人気が高い少女だった。
頭脳明晰にして容姿端麗。
礼儀正しく、やや堅苦しくはあるものの生真面目なその性格も又、周囲の好意を集める要因となっていた。
その家柄も含めて、高嶺の花として見られていた少女――篁 唯依。
そんな彼女に隠れファンとでも言うべき集団が付いたのは、ある意味、必然であったのかもしれない。
とはいえである。
彼らファンの望みはと言えば……
――お近づきになりたいとか。
――何とかお嫁さんにしたいとか。
――或いは、お姉さまと呼ばせて欲しいとか。
――更に重ねて、叔父さまと呼んで欲しいとか。
……といった俗っぽい欲望塗れのものではない。
まあ、ごく一部、そういった思いを胸に秘めている不届き者が居た可能性は否定しきれないが、全体として見るなら、ホンの一部に留まるだろう。
彼等にして見れば、あくまでも、あくまでも直接手出しするのは控えつつ、日々、一生懸命頑張っている少女にエールを送り、その頑張りを愛でていたいだけだったのだ。
そんな思いを抱く者達が、類は友を呼ぶの諺どおり自然発生的に集まり出し、群れを成していったのも又、ある意味、必然だったのだろう。
こうして技術廠内にて、紳士・淑女の集団たる『篁 少尉を愛でる会』が産声をあげたのだった。
彼ら『愛でる会』の望みは唯一つ。
篁唯依を陰ながら見守りつつ、愛でる事。
ただソレのみである。
そんな彼ら『愛でる会』にして見れば、明星作戦において出された唯依へのKIAは、まさに驚天動地の出来事であった。
多くの者達が、慌てふためきつつも、非情な宣告を出した軍部に批難と抗議を寄せていく中、ひょっこりとばかりに帰ってきた少女に、皆が皆、ホッと胸を撫で下ろし、安堵の吐息を漏らした事は、彼等の記憶にも新しい。
そして、その直後に起きた新たな災厄――殿下直属という触れ込みの下、唐突に現れた先進技術開発集団『
その際は、巌谷・雨宮の必死の説得に加え、他の者達も、色々と陰に日向にと動く事で、技術廠内にも席を残すという妥協案を引き出す事に成功はしたものの結局は掛け持ちといった不十分な形に至ってしまった事は、一同にとって痛恨の極みとなる。
日々、技術廠の方へ顔を出す時間が減っていく唯依。
その姿に、強い不満を溜め込みつつあった一同。
それでも稀少な日々の徒然に、微かな飢えを覚えつつも、それなりに満足していた彼等の耳元に聞き逃し難い噂が届いたのは、ここ数日の事。
事実とすれば受け入れ難いその噂の真偽を確かめるべく、今日この日、この時に、『生き証人』を招いた臨時会合が開かれていたのである。
「……いえまあ、事の経緯は分かりました」
どこかどんよりとした口調で雨宮が呟く。
この少女には珍しい微妙に疲れた表情を浮かべながら、尋ねる言葉が艶やかな唇から零れ落ちた。
「つまり、篁隊長に男が出来たという噂は、事実なのかを訊きたい訳ですね?」
と、そこで一旦言葉を切った雨宮は、周囲をザッと見回した。
老若男女の集団が、真剣そのものの眼差しで自身を見ている。
今にも喰らいついて来そうなその目付きに、雨宮の背を冷たい汗が流れ落ちた。
唯依に劣らぬ豊穣さを示す胸の奥で、何ともいえぬ気分が湧き起こるのを感じつつ、雨宮は溜息混じりに言葉を続ける。
「……事実です」
室内に稲妻が走った。
一瞬の静寂の後、阿鼻叫喚の混沌が、その場に現出する。
「う、嘘だぁっ!」
「ありえない!
ありえない!
ありえないぃぃぃぃ!」
「ああ……唯依お姉さま……男に穢されてしまったなんて……」
「せめて……せめて、巌谷の様に叔父様と呼んで貰いたかった……」
思い思いに、その心中の驚愕を言葉に変えて叫ぶ一同。
そんな彼等を、じっとりとした生暖かい眼で眺めていた雨宮は、声なき声で呟いた。
『人のふり見て、我がふり直せ――嗚呼、至言だな』
過日の祝宴の事を思い出した彼女の口元に苦く淡い笑みが浮かぶ。
思い出されるのは、初めて眼にした女としての唯依の貌。
恥じらいと艶めかしさを宿したソレを、脳裏に描きつつ、少女は再び胸中で愚痴る。
『ううっ……私だって、私だって……恋の一つもしてみたいのに。
ズルイです。ズルイですよ隊長!
日々、任務任務に明け暮れていたクセに、いつの間に男を作ったんですか?』
自分よりも遥かに仕事に打ち込んでいたにも関わらず、ちゃっかりと男を作ってキスまで済ませていたという唯依。
それに引き換え、自身はと言えば……
『……ああ、何で私は彼氏いない暦=年齢なんだろ?
確かに、隊長ほど綺麗ではないが、顔はそれなりだし、プロポーションもそこそこだと思うんだが……』
チラリと視線が下を向く。
年齢に比して充分過ぎる程に豊かな膨らみが、堅苦しい帝国陸軍の制服に包まれているのが見えた。
『やはり家柄か、それともそこはかとなく漂う気品か?』
――女としての魅力において、勝っているとは言わないが、それでもそれ程の差は無いのでは?
等と、自問自答する雨宮。
猥談ネタなどを振り、小隊内のムードメーカーを勤めてはいるが、その実、男と付き合うどころか、同年代の異性とはロクに口も利いた事のないバリバリの乙女であった彼女は、唯依と自分の男運の差を秘かに嘆く。
『……ああ、私も死ぬ前に、一度くらいは燃え立つような恋がしてみたい』
このご時勢、いつなんどき死ぬかも分からぬ軍人の身の上。
女として生まれた以上、一度くらいはと望む耳年増な乙女であったが、そこで不意に背筋に走った悪寒にその身を震わせた。
思わず上がった目線が、複数のギラつく視線と衝突する。
「――ヴッ!?」
可憐な乙女には似つかわしくない潰れた呻き声が、雨宮の喉奥から迸った。
周囲から注がれる視線の粘つきに、無意識に危険を感じてわずかに後ずさる。
そんな少女の反応を一顧だにする事なく、愛でる会の面々はズイッとばかりに雨宮へとにじり寄った。
「雨宮少尉、いや、『篁 少尉を愛でる会』名誉会員第二号!」
少女の目が丸くなった。
聞き覚えの無い番号で呼ばれた事に、思わず抗議の声が飛び出す。
「い、いつの間に、そんな事にっ!」
「『愛でる会』創設時からよ」
「なっ!?」
打てば響く様に返る答え。
思わず絶句し固まる少女へと、別の会員が言葉の槍を突き付ける。
「そんな瑣事はどうでもいい」
「いや、瑣事じゃないでしょう! 瑣事じゃ!」
自分の意思も都合も、完全に無視してくれる相手に、思わず迸る怒りの叫び。
だがそれも、無意味。
何故なら――
「名誉会員第二号としての責務を果たしてもらいたい」
雨宮の肩が、ガックリと落ちる。
完全に、こちらの抗議を聞く気が無いことが分かったからだ。
強烈な虚脱感を覚えつつ、のろのろと首を上げる少女を他所に、昂ぶりまくった一同は、彼等の要求を一方的に突き付ける。
「篁少尉を誑かした憎むべき輩の正体を、突き止めて欲しいのだよ」
――雨宮の双眸に鈍い光が宿った。
「突き止めて、そしてどうします?」
微かに滲む罪悪感と、それを塗りつぶして余りある期待感が、少女の声に宿っていた。
一座の者達の視線が、一瞬交錯し、そして別れる。
彼等にとっては、それで充分だった。
握り締められた拳が、怒りと共に、天へと突き上げられる。
「「「「「人誅を!」」」」」
唱和する声が、完璧なまでに重なる。
今この場に居る者の心が、完全に一つとなった証だった。
――雨宮も含めて。
上がる気勢と奇声。
興奮の坩堝と化したその中で、雨宮の唇が小さく動いた。
「……ええ……ええ、独り者の妬みです。
彼氏いない暦=年齢な寂しい乙女のささやかな意趣返しですよ」
キレイな微笑みが、雨宮の美貌に浮かび上がる。
「その位は許されますよね?
……男が出来た篁隊長」
とてもとてもイイ笑顔を浮かべて、雨宮が小さく呟くと、心の中で強く誓う。
『絶対に、絶対に、隊長の男を突き止めて……そして……』
握る拳に力が篭った。
『……そして、どうやって捕まえたのかを聞き出してみせるっ!』
絶叫が豊かな胸の奥で木霊し、乙女の誓約は為される。
――こうして処女探偵・雨宮による唯依の恋人探しは、幕を開けたのだった。
後書き
はい、お粗末さまでした。
しかし、何故か比重が多くなってきた雨宮。
この人は原作では冒頭でチョロッとしか出てこない人ですが……
このまま雨宮だけでいけるかな?
名前の設定とか分かれば良いんですけどね。
アニメ化にあたり微妙に期待していて、当てが外れたねむり猫Mk3でした。
ちなみに、『愛でる会』名誉会員第一号は、巌谷さんですので。
ではでは。