『それじゃあ、マリアベル』
―待って!―
『また来るから』
―置いて行かないで!―
『元気でな』
―私を一人にしないで!!―
Trinicore
#2
「いやっ!」
真夜中、既に就寝時間からもだいぶ経ったトリステイン魔法学院で、マリアベルが悲鳴を上げて、ガバッとベッドの上で起き上がった。
「はぁ、はぁ……」
荒く肩で息をするマリアベル。額にはびっしょりと汗が浮かんでおり、鮮やかな金髪がぺったりと張り付いていた。
「はぁ……はぁ」
薄い胸元が上下する都度に、徐々に落ち着いてゆくマリアベル。そして、漸く呼吸が落ち着いた所で、意識がはっきりとした。
「夢……か……」
ホッと溜息を吐くマリアベル。が、それもつかの間。ブルッと身を震わせると、何かに脅える様に、両手で自身を抱いてベッドの上で蹲る。
「く……はぁぁ……」
ギュッと目を瞑り、まるで必死に何かから目を逸らそうとするマリアベル。
ARMSを解散して数年、マリアベルはそれまでの数百年からは考えられない位に積極的に外界との交流を行った時期があった。一応、カイバーベルトコアを倒したARMSの一員として、VIP待遇を受けることが出来る立場にあったので、外界の者達もノーブルレッドであるマリアベルを拒絶したりはしなかった。
そして、特に強く交流があったのが元少年ARMSのトニーとスコットの二人だった。元ARMSのメンバー達は、それぞれ、バスカーやシエルジェ自治区など、自分達の故郷へと帰って行ったこともあり、比較的近いタウンメリアの二人と交流が増えたのだった。尤も、その理由は後付けで本当の所は、タウンメリアに住む最初の『仲間』の一人と離れ難かったのが理由だった。マリアベル本人に聞けば顔を真っ赤にして否定するだろうが。
トニーとスコットとの交流、それは、マリアベルに取って久方ぶりの緊張感の無い、ごくごく普通の友人関係だった。
数年の月日が流れ、カイバーベルトコアを屠った頃はまだマリアベルよりも小さかったトニーやスコットも少年から青年へと成長していく中でも、マリアベルは幸せを感じていた。嘗ては『よーし、明日はぜったいナイスミドルになってやるッ!!!』等と言った少年も、今ではすっかり大人の一員としてタウンメリアの立派な労働力の一人となっていた。そのことに、内心で彼らの母親や姉としての役割を受け持って来たマリアベルとしては、少なからず満足感を持っていた。そんな毎日が、続くと……勘違いしていた。
「はぁ、何故今になって思い出すのかの」
少年も大人になり、当り前の様に誰かに恋をして愛を育み、やがては誰かの親となる。そんな当り前の日常を守るために、自分は戦ったはずだった。
「結局のところ、無理が来たということなのじゃろうな……」
ノーブルレッドである自分と人間であるトニーやスコットが共にあり続けるなどということは不可能なのだ。マリアベルは内心で死が二人と自分を分かつと思っていた。だが、そんな大層なもので無くとも、別れというものはいろいろな所に転がっているものなのだと、その時に思い知った。
「……」
水でも飲んでくるかと、ベッドから出た時、ソレはマリアベルの目に映った。
同室に寝ているため、存在するのが当然といえば当然のもの。
「……」
マリアベルはコクリと唾を飲み、そして、何かに引き寄せられるかの様にフラフラとアシュレーの眠るベッドの方へと近寄って行く。
「……」
無言で見下ろす先には、実年齢よりも遥かに若く、それでいてあどけない、アシュレー・ウィンチェスターという青年をそのまま映し出した様な、そんな寝顔が転がっている。首が隠れるまで、深く布団に包まったアシュレーの手をどけ、ゆっくりと布団を引きはがす。最初に現れたうなじから、耳、唇、項、頤……順番に露わになるアシュレーを構成するパーツ一つ一つに、マリアベルの心臓が高鳴っていく。そして、
「!!」
露わになった白い首筋。
ソレを視界にとらえた瞬間、マリアベルは全身が泡立つような感覚に陥った。トクントクンと脈打つそれは、まるでマリアベルという蝶を捕えて止まない毒花の色香の様であった。
「はあっ!はあっ!」
知らず知らずのうちに、マリアベルの呼吸が荒くなる。まるで熱病に犯されたかのように、頭が働かなくなる。
―喰ラエ―
不意に、意識の奥底でそんな言葉が響いた。
―喰ラウノダ―
一際強くなる言葉に、マリアベルは必死に抗おうとする。
―何故じゃ?―
しかし、やっとのことで出て来たのは、そんな弱々しい言葉にすぎなかった。
―ソノ雄ガ欲シイノダロウ?―
―う……―
―永遠ヲ共ニシタイノダロウ?二度ト離レタクナイノダロウ?―
―じゃ、じゃが―
―ナラバ何故迷ウ必要ガアル?―
―ア、アシュレーの意志は!?―
―ソノ雄ナラバ笑ッテ許スダロウ。元ヨリ、無限ノ命ヲ持ツ者ダ―
―……―
―ナラバ何故迷ウ必要ガアル?―
―……―
―ソノ男ノ血ハ蜜ヨリ甘イゾ。ソノ男ノ血ハ酒ヨリ熱イゾ―
―う……あ……―
―喰ラエ。ソシテ、二度ト『わらわ』カラ離レラレナクスルノジャ!―
―あ、ああ、ああああぁぁぁぁぁ!!!!!―
亡者が藁へと手を伸ばすかのように突き出される真っ赤な舌先。じっとりと湿ったそれが、荒い息で熱せられ、ふらふらと『アシュレー・ウィンチェスター』という花へと引き寄せられていく。目の前にあるソレを食い散らかさんと、普段の二倍にも伸びた乱杭歯が自己主張を始める。
「ん……ぁ!?」
『甘い』。
ほんの僅かに触れただけの舌先から伝わった情報が、雷の様にマリアベル・アーミティッジという吸血鬼を駆け抜ける。ソレは、今まで味わったどんな果実よりも甘く、今まで嗅いだどんな花よりも香り、今まで口付けたどんな蜜よりも柔らかく、そして、今まで感じたどんな快感よりもマリアベルを絶頂へと持ち上げた。
「ん、くぅ……」
ぴちゃ、ぴちゃぴちゃ
「んはぁ」
ちゅぷ……ぴちゃり
「はっ」
くちゅ
辛うじて残った理性が、その牙を突き立てることだけは何とか押しとどめてはいるものの、マリアベルはセイレーンに魅せられたかの様に。最早碌な思考も出来なくなっていた。
室内には一人の青年と、その首筋を一心不乱に犯す一人の少女だけ。
「ん、くぅ」
くちゅ、くちゅり
何時の間にか、マリアベルは胸元を肌蹴、そこから小さな手を差し込んでいた。もう一方の手も、既に下の方から自分のソコをまさぐっている。
「ア、アシュレぇ」
スンスンとすすり泣く様な声が、マリアベルから漏れる。しかし、そんな彼女の声とは裏腹に、その行為は一層激しさを増し、二人だけの空間に充満した匂いも一層密になる。
「あ……」
不意にそんな声が漏れた。
荒々しく、『仲間』の首筋を舐めしゃぶっていたマリアベル。不意にその牙が僅かに彼の肌と触れてしまったのだ。マリアベルは一瞬小さく声を漏らしたが、反応するよりも先に、先程よりも更に強烈な快感が全身を駆け巡った。
「!!!?」
ビクビクッと痙攣する体を何とか抱え込み、必死に音を漏らさないようにするマリアベル。そして、
「あ。ああ」
全てが終わった時、自分が何をしでかしてしまったのかをようやく理解したマリアベルは、逃げる様にベッドへ飛び込むと、必死に現実から目を逸らす様に全身を覆った布団を握り締めた。ベットリと濡れた小さな手から、未だに甘酸っぱい香りが立ち昇っていた。
◆
翌日、二人はいつもと違い、朝から学院内の図書館へとやって来ていた。
今日、いつもの様に早朝からの見回りを行おうとしていた二人だったが、急な王族の訪問があるとのことで、文化圏の違う二人が気付かずに粗相をしてしまうことを危惧したオスマンによって、この日だけ最初から警備からはずされていた。
「アシュレー、もっと右じゃ」
そんなこんなで、降ってわいた臨時休業に、二人は時間を有意義に使うために『シャイターン』の資料探しをやっている所だった。
「っと、これでいい?」
「行きすぎじゃ。今度は左じゃ」
そんな会話をしながら本を探す二人。シエスタからの個人授業もある程度の日数が経ち、すっかり無駄な本と情報が入っているかもしれない本との区別が付く様になった二人であった。そして、本の選別をしながら、一冊一冊『コア』への情報を探していく。ちなみに、二人は高い所にある本を取るために、肩車をしている所だった。
「っと。取れたのじゃ」
マリアベルがぺしぺしとアシュレーの頭を叩いて合図をすると、頷いて腰を落とす。ピョンッと飛び降りたマリアベルが、胸に抱えた赤い表紙の分厚い本を軽く吹いて埃を飛ばす。
「けほっ。ふぅ、随分と古い本じゃの。埃っぽくなっておるし」
そんな風に感想を漏らすマリアベルだったが、逆にこういう本の方が期待が持てるのも確かだった。それ以上は特に何も言わずに、アシュレーと共に個別のブースへと向かうのだった。
「……」
「……」
無言でページを捲る二人。背中をぴったりと合わせて互いに寄りかかる姿は、親子の様でもあり、仲の良い兄妹の様でもあった。
そもそも、この学院の図書館での捜索は、まだまだ序の口という感覚があった。何せ、探している情報は神話どころか与太話に近いものなのだ。その上、このハルケギニアには『ブリミル教』というものがあり、しかもそれが現在の王権の基盤にもなっているのだ。これでは、『ファルガイア』のガーディアン信仰の様な自然信仰的な宗教は発達する余地が無い。下手をすれば、『シャイターン』に関する記述のある本は残らず禁書指定になっているか、更に悪ければ焚書になっている可能性すらあるのだ。最悪、二人は『ハルケギニア』の宗教国であるロマリアや、トリステインの王城にある蔵書を漁らなければいけない可能性もあった。
「……」
「……」
「……」
「……」
二人が真剣な表情でページを捲っている。一年という期限は、長いようで短いのだ。そういった時間を全力で進むことの意義を、二人は経験から良く知っていた。外では時折生徒達の歓声がわき上がっている。恐らく、王女アンリエッタを見ることが出来た為の歓声なのだろう。が、アシュレーやマリアベルの場合、最も正式な国王との謁見は、対オデッサ会議開催の為のシルヴァラント女王とのそれである。やはり、他の王族と同様にあまり堅苦しい所の無かった女王なので謁見はかなりざっくんばらんなものだった。そう考えると、やはり文化的に『ファルガイア』と『ハルケギニア』との隔たりを感じずにはいられない。二人を警備から外したオスマンの判断は正しいものだったと言える。
「……む?」
マリアベルのそんな声が無人の図書館に響いた。
「ん?どうしたの?」
熱心にページを捲っていたアシュレーが、その声に手を止めて、本から顔を上げる。
「アシュレー、これを……」
「うん?あ……」
マリアベルが指差した先、ボロボロのページと紅い背表紙の本の一ページ。擦り切れて、見ずらくなってはいたが、確かに『シャイターン』の文字があった。
「どうやら、運よく当たりを引くことが出来た様じゃの」
呟いたマリアベルが、指差した所から声を僅かにひそめて本文を読み進める。
「『●月☆日:ついに、私はエルフの聖地『シャイターン』へとたどり着いた。今までの数々の困難を考えると、喜びはこの場に書きつくせない程のものだった。余りの荘厳さに跪く私に、エルフの友人達は苦笑しながらも門に触れることを許してくれた。私は礼を言って門の一端に触れた。頭が沸騰したようだった。まるで、この世の全てが私の頭の中に流れ込んで来た様な。あの一瞬、私は確かに『大いなる意志』と触れあったのだ。残念ながら、元が筆不精な自分では完全に全てを書き記すことは出来ない。だが、この感動をせめて誰かに伝えたいと思っている。何時読み解かれるかは分からない不完全な方法ではあるが、この時の記録をこの場に書き記す。冒険者イヴ・ヴァルトリ』」
顔を上げたマリアベルとアシュレーの視線が合わさる。どうやら、マリアベルが引いたのは、本当の『大当たり』だったようだ。内心の興奮を抑えて、静かに次のページを捲りにかかるマリアベル。その様子を固唾を飲んで見守るアシュレー。
パラリ……
静かに捲られたページの先。そこにあったのは一枚の地図。
二人の間に広がった沈黙を破るように、マリアベルが「ふぅー……」と大きく溜息を吐く。視線の先の大地図。僅かに印刷技術や紙質等の変化が見られるものの、間違いなくそれは、
「聖地……」
「うむ、どうやら『シャイターン』への入り口はエルフの地にある様じゃの」
マリアベルの言葉に、アシュレーが無言で頷く。
「エルフの情報がいるかな?」
「うむ。少数行商人が居ないでは無いらしいからの。案外商人の中には商売相手がいる可能性があるの」
「それと」
「うむ。『ブリミル教』……じゃな」
ハルケギニアのある意味真の支配階層。何故彼らがエルフを毛嫌いするのか。『ハルケギニア』全土を手中に収める程の巨大な宗教体が態々自らの宗教の敵とする程の理由とは何なのか。二人の前には、国境という物理的な壁と宗教という概念的な壁の二つが大きく聳え立っていた。
アシュレーとマリアベルの視線が交叉する。
「決まりだね。まずはエルフの情報を集める。それが終わったら荷物をまとめて、移動の目途とがつき次第」
「『聖地』へと出発する」
二人は同時に力強く頷いた。
さて、いつもとは違う時間を過ごしていた二人だが、今日はそれだけでなく、偶然にもメイドのシエスタも非番であった。その為、いつもの様に午後から出は無く、午前中から二人はシエスタからの文字の授業を受けることになっていた。
「えっと、じゃあマリアベルさん、これを読んでください」
「うむ。『『天敵無き者』生態系において天敵を持たぬ者、それが強き種族の証である。我らがメイジ、天敵足り得る者この地上に存在する訳もない。地に溢れし平民。彼の者天敵無しと語るなかれ。我らが彼の者の天敵と知れ』……え?何これ?」
「それは、平民と貴族との間にある『差』を説いた一説ですから。確か、平民に貴族が自分達の方が偉いんだって言った人の話だったはずです」
「ああ、いや、そういう話では……こんがらがりそうじゃからここまでにしとくかの」
妙に既視感を感じさせる本を、マリアベルがそっと閉じた。
シエスタの授業を受け始めてから数週間。二人は既に殆ど読み書きに関して不自由しなくなっていた。元々、この『ハルケギニア』の言語体系は『ファルガイア』のそれと近く、文字と発音、単語の違いさえ克服してしまえば、文法に関しては殆ど習熟が必要無かったことが原因と言える。加えて、マリアベルは知識や教養という意味では『ファルガイア』全体を通しても五指に入るほど博識であったし、アシュレーもARMSに入隊する時やパン屋を開く際に必要に駆られてある程度しっかりと文字の勉強をしていたことが幸いした。
「じゃあ、今日はここまでですね。それにしても二人ともすごいですね。私が学院に奉公に来る時は二ヶ月くらい勉強にかかったのに」
「シエスタちゃんの教え方が良いからだよ。ありがとう」
「うむ、礼を言うぞ。おかげで露店でぼられずに済むからの」
笑って礼を言うアシュレーと、悪戯っぽくニヤッとするマリアベルに、シエスタが首を横に振る。
「いえ。私は大したことはしていません。私は御二人にお礼がしたかっただけですから」
そう言ってシエスタは微笑んだ。
「これで、授業も全部終わりですね」
「うん?」
「む?」
シエスタの言葉に、アシュレーとマリアベルが首を傾げる。
「私が教えることが出来るのはここまでですし。後は忘れない様に時々字に触れることくらいですから」
シエスタの言葉に、「ふむ」と頷くマリアベル。
「相分かった。シエスタ、今までの事礼を言うぞ」
「うん。ありがとうシエスタちゃん」
礼を云った二人に「いえいえ」と言ってシエスタは微笑む。
「それじゃあ、私はこれから用事がありますので」
そう言って、シエスタは図書館を出ていく。アシュレーとマリアベルの二人も、今日見つけた『シャイターン』の本を持って、図書館を後にするのだった。
昼。あの後、部屋の片付けなどをしていた二人は、それが全部終わり、昼食をとるために学院の厨房まで来ていた。
「マルトーさんこんにちは」
「ん?ああ、お前達か」
チラッと顔を上げたマルトーが、「ま、座れ」と開いている椅子二つを指差す。その仕草に二人は奇妙なものを感じる。厨房内も、どこか空気が重苦しく、皆沈んだ表情をしている。流石に疑問に思ったアシュレーが、マリアベルにヒソヒソと声を掛ける。
(どうしたんだろう、マリアベル。皆何か、)
(うむ……)
頷いたマリアベルが、ふとあることに気が付いて、キョロキョロと周囲を見回す。
「ぬ?のう、マルトー。シエスタは一体どこへ行ったのじゃ?何時もなら、もう食事を取っている頃じゃろう?」
マリアベルのその何気ない一言に、場の空気が一気に重くなる。
「シエスタは……実はもういないんだ……」
ポツリと。
沈黙が下りた厨房でマルトーがそう呟いた。周囲にいる料理人の表情も一層暗くなり、メイドの中には耐えきれずに涙を流している者もいる。
「え?それは何で……」
「先日、王宮からの勅使出来ていたモット伯っつう貴族に見染められてな。今日の昼前に、迎えの馬車で行っちまったんだ」
アシュレーの質問に、マルトーも涙を堪えながら答えた。「まさか」といった表情で、周囲を見回すアシュレー。同じくそれが何を意味するかピンと来たマリアベルが、短い言葉を発する。
「下種か?」
その、短い言葉にマルトーは無言で頷いた。
「元々、あのモット伯っていう貴族は良い噂を聞かねえ。今回のシエスタみたいに気に入った娘を次々召し抱えているらしいんだ」
マルトーの言葉少なな説明に、マリアベルが真剣な表情頷く。
バンッ!!!!!
室内に大きな音が響いた。周囲にいた使用人は瞠目し、唖然とする。その中心、片手でダイニングテーブルを叩き割ったアシュレーが静かに顔を上げる。
「そんな、そんなことが!!」
言葉にならない怒りを発するアシュレー。そのオーラが狭い厨房を押し潰そうとしているようにすら映る。
「落ち着くのじゃアシュレー。ここでお主が怒っても、何の解決にもならん」
そう言って窘めるマリアベル。その言葉に、少しの間沈黙したアシュレーだったが、大きく深呼吸をして腰を下ろす。それとほぼ同時に、今まで感じた事の無いプレッシャーからようやく解放される使用人達。
「すみません」
誰へともなしにアシュレーが小さく言う。その言葉に、冷や汗を流したマルトーが、コクコクと頷いた。
「全く、何をやっておるのじゃ。お主が叩き割ったテーブルの手配をするのはここの者達なんじゃぞ?」
「弁償するのはわらわ達じゃがの」と呆れた様に言うマリアベルに、アシュレーはばつが悪そうな表情をする。そんなアシュレーにやれやれと肩をすくめ、再びマルトーに視線を向けるマリアベル。
「それで?」
「あ?」
マリアベルの言葉に首を捻るマルトー。マリアベルの言葉の意図が分からなかったらしく、ただただ首を捻るばかりだ。
「『あ?』ではないわ。それで、お主らは何をしたのじゃ?シエスタに手を出さぬよう頼まんかったのか?」
マリアベルの言葉に、マルトーが悲しげな表情を浮かべたまま、力無く首を振る。
「そんなこと出来るか。結局平民は貴族の言いなりになるしかねえのさ……」
痛い程の沈黙。そのどれもこれもが、悲しみしか発していなかった。
「……」
その中で、アシュレーが無言で立ち上がる。強張ったその表情に、使用人達は皆一様に気圧されて、思わず道を開けてしまう。
「ふぅ……」
無言で出て行ったアシュレーとマルトー達を二度三度見比べ、マリアベルは諦めた様に小さく溜息を洩らすと、何も言わずにアシュレーの後を追うのだった。
「待つのじゃアシュレー!」
厨房を出て、何かを決意したような表情で歩を進めるアシュレーを追って、マリアベルが軽い駆け足で近付く。
「マリアベル……」
声を掛けられて、漸く気が付いたと言った風なアシュレーが、後ろのマリアベルを見下ろす。
「どうしたんだい、一体?」
息を切らすマリアベルに、首を傾げるアシュレー。対するマリアベルは、息を整えてから顔を上げる。
「どうしたもこうしたもないわ。アシュレー、モット伯の所へ行くつもりじゃな?」
確信した様なマリアベルの声に、一瞬迷ったアシュレーだったが、すぐにコクリと頷いた。その視線には既に迷いは無くなっていた。
「ま、お主はそうじゃろうな」
若干呆れを含んだ声で、マリアベルが呟く。対するアシュレーは困った様しながらも、正直な気持ちを吐露する。
「ごめん。マリアベルには迷惑を掛けることになるかもしれないけど、僕はやっぱり彼女を助けたいんだ」
「……」
無言で先を促す彼女に、アシュレーは考えをまとめる様に少し考えながら、言葉を紡いでいく。
「僕は、この世界の人間じゃない。だから、この世界の常識にも疎いし、平民と貴族の関係も良く分かっているとは言えない」
「……」
「本当なら、僕が動くのは間違っているのかもしれないし、僕が動く事で他の人だけでなくシエスタ自身にも迷惑を掛けてしまうかもしれない」
「……」
「でも、それでも……」
そう言って、口を噤んだアシュレーに、マリアベルは真剣な表情で言葉を投げかける。
「お主がそこまで覚悟を決めたのは良いのじゃがの、はっきり言って碌なことにならぬ公算が強いのじゃ」
マリアベルが、先程の食堂の様子を思い出しながら語る。
「あやつら、一人としてシエスタを助けようとは思っておらんかった。一人残らず諦めておったのじゃ」
「……」
「あやつら、皆悲しんでおったじゃろ?暗い顔をして、お通夜の様じゃった。まるでシエスタの事を思っているようじゃったがの、そうでは無い」
「……」
「悲しむというのは、既に諦めた後の行為じゃ」
「……」
「誰一人として、助ける事を考えておらぬ。どうにかしようと諦めておらぬ者はゼロじゃった」
「それは……」
マリアベルの辛辣な物言いに、流石に窘めようとしたアシュレーだったが、マリアベルは構わずに続けた。
「わらわ達が力を持っていると言えばそれまでじゃが……、本来あやつらも力を持っているはずなのじゃ。わらわ達とはまた違う、『数』の力じゃ」
「『数』の……力?」
「うむ。少し前にあったじゃろ?シエスタが貴族にちょっかいを掛けられた時に、誰一人として助けんかったじゃろ。戦うという意味ではなく、誰一人として共に謝ろうとは思わんかった。使用人全てに出られれば、貴族の小僧とて強くは出られん。シエスタもどんなに心強かったか」
「うん……」
「結局己が身が可愛いだけの集団じゃ。自由を勝ち取る資格など無い」
マリアベルの切り捨てる様な言葉に、アシュレーが困った様な表情になる。マリアベルの言葉は至極尤もなのだが、それではシエスタは彼らの生贄にされた様なものではないか。
「今回の事もオスマンに全員で行けば流石に無下には出来んかったじゃろ。オスマンは見た所それなりに平民と言うものに理解がある様じゃったからの。じゃが、それをせんかった」
「……」
「アシュレー、メリアブール王やシルヴァラント女王を覚えておるかの?」
「え?うん、覚えているけど」
首を傾げるアシュレーに、マリアベルは諭すように告げる。
「あの者達はの、王族としては信じられぬほどに単純で清廉潔白じゃ」
「……」
「善悪に、利益を絡ませぬ判断を単純に出来る。そんな王じゃ。そして、そんな王族は、本当にごくごく稀にしか存在せん。シエスタの事も、どうにもならんじゃろ」
「……」
「それでもまだ行く気かの?」
マリアベルの品定めする様な視線に、思わずたじろぐ。これはあくまでアシュレーの独り善がりで、シエスタを助けても皆幸せになれるとは限らないのだ。だが、
「……うん」
「……」
「それでも、僕はシエスタを助けたい。助けなくちゃいけないんだ」
アシュレーは揺るがなかった。
「そうか……」
それに応えるマリアベルも頷いた。
「では、行くぞ。夜まではまだ時間がある。準備を整えるくらいの暇はあるじゃろ」
「……うん」
結局のところ、マリアベルもまたアシュレーと同じように、ごくごく単純な存在なのだった。
「意外そうじゃの?」
マリアベルがアシュレーを見上げる。
「え?ああ、マリアベルは僕がシエスタの所へ行くの反対みたいだったから」
「別に反対では無かったが、無理をすれば傷つくのはお主じゃ。場合によってはシエスタからも恨まれるからの」
「うん、でも」
「うむ、お主はそうじゃろ」
全てを見通したように、それでいてその回答を嬉しそうに目を細めるマリアベル。対するアシュレーはちょっとばつが悪そうに頭を掻く。
「お主はそのままで良い。バカじゃからの」
そう言って、マリアベルは「ふふ……」っと優しく笑うのだった。
その日、学院長のオスマンはいつもの様にのんびりと午後の暇を楽しんでいた。尤も、先日の事件で秘書のミス・ロングビルが居なくなってしまい、潤いの無い職場生活にそろそろ次の潤いを求めようか考えている所だったが。
そんな彼の優雅?な昼は、唐突に破られた。
「頼もうっ!!!!」
「っひょ!?」
突然やって来た少女の声に、ビクンと思わずその場で跳ね上がるオスマン。慌てて居住まいを正して向き直ると、そこには金髪の少女、マリアベル・アーミティッジがいた。
「なんじゃなんじゃ、こんな真昼間から腑抜けおって、お主はアレか、女の尻を追っかけとらんと、碌すっぽやることの無い口か?」
本人にそんな気は無いのだろうが、なかなかに明け透けな物言いでまくし立てる。
「で、何の用かの?」
息を整えつつ、オスマンが訪問の理由を尋ねる。
「うん?ああ、実はちと聞きたい事があっての」
「ふむ、聞きたいことじゃと?」
「ああ。エルフについての事なのじゃが」
「エルフじゃと?」
オスマンが殊更に首を傾げる。
「うむ、わらわ達の元いた所へ帰るには、やはりエルフの地を経由するしかない様での」
「ふむ」
「でじゃ、エルフと取り敢えず接触をしたいのじゃが、何か良い手は無いかの?」
「流石にそれは無理じゃろ」
思わずオスマンはそう口にしていた。そもそも、そんなに気安く接触できていたら、エルフとの間にもう少し友好関係が築けていたはずだ。マリアベルの事も、ここまで腫れものの様に扱うことは無かっただろう。
「ふむ、となると、自分でエルフの地まで行くしかないかもしれんの」
「そうなるのう」
「相分かった。手間を掛けさせたの。わらわ達は、もう少しでここを引き払うことになるやもしれん」
「ふむ、元いた所へ帰る目途が立ったのかの?」
「そんな所じゃ」
頷いたマリアベルが、席を立つ。と、入り口のドアを開けた所でクルリと振り返った。
「所でオスマン」
「何じゃな?」
「スリープ」
一瞬、マリアベルの目が赤く光り、前方から青白いガスの様なものが吹き出る。そして、それを浴びたオスマンは、ばたりと気絶した。
「お主にあった『貸し』は、これでチャラにしてもらうぞ」
それだけ言って、マリアベルは部屋を後にしたのだった。
学院裏の馬屋へ行くと、既に荷物を持って身支度を整えたアシュレーが待っていた。
「準備は出来たかの?」
「うん。そっちは?」
「万全じゃ」
既に、学院の総責任者であるオスマンは深い眠りについている。何時アシュレー達が出て行ったかの情報の伝達は大分不確かになるだろう。アシュレーの方も、既に馬屋の管理者を気絶させている。
少々強引な手だったが、彼らに罪がなるべく行かないようにするには、これしか手が無かった。アシュレー達の事がばれれば、管理責任は問われるだろうが、これから行われることの罪には問われないはずだ。
「では、行くかの」
「ああ」
二人は互いに強く頷いた。
◆
夜、モット伯邸の前の森。
「ふむ、どうやらまだ時間はある様じゃの」
その中で、ひっそりと息を潜めていた二人、アシュレーとマリアベルがターゲットの居るアジドを見つめている。延ばされた、望遠鏡の先には、モット伯がシエスタを持て成す為に用意したと思われる部屋。そこに用意された大量の料理は、どれもこれもが相当に意匠の凝った物ばかりで、モット伯と言う人間の地位がどれだけの物であるかと言う事を伝えてくる。そして、それを襲おうとする自分達に降りかかる罪の大きさもまた。
「で、大丈夫なの?」
「ああいった手合いは、既に籠の中に入った鳥を絞めるのに急く様な真似はせんよ。むしろじっくりと時間を掛けて、性欲のみならず虚栄心、支配欲、征服欲を残らず満たしてからゆっくりと味わいたがるものじゃ。腹は減っては戦は出来ぬでは無いがの、欲を満たさんとする時に、満たされてない部分があると我慢できん奴と相場が決まっておる」
事も無げに言いきったマリアベルが「さて」と呟いて腰を上げる。
「では、そろそろ行くかの」
「ああ」
アシュレーもまた頷いた。
「ふぁ〜」
モット伯邸の門番の一人が欠伸を漏らす。
「おい、気の抜きすぎだぞ」
隣にいた兵士が、窘めるが、窘められた側は左程気にせず、ごしごしと瞼を擦る。
「気にしすぎだ。ここはジュール・ド・モット伯邸だぞ?トリステイン有数の貴族の家にわざわざ来るなんて、自殺行為だ」
「その自殺行為がつい最近あったばかりだろ?」
「確かにそうだけどな、あんな奴滅多に来るもんじゃない。それにそいつはもう掴まって牢屋に入れられているはずだろ?大丈夫大丈夫」
「それはそうかもしれんがな」
気の抜けた様子の兵士に、もう一人が困ったような表情をするが、突然その兵士が声も無く倒れた。
「な!?」
驚愕する兵士は、慌ててもう一人に駆け寄ってその体を揺する。
「おい!しっかりしろ」
しかし、気絶した相方は、一向に目を開ける様子が無い。息をしていることから命に別条は無さそうだったが、
「く、一体何が!?」
顔を上げようとした瞬間、首筋に激痛が走る。そして、彼も相方同様に声も無く崩れ落ちたのだった。
「ふぅ……」
その二人のすぐ後ろ、丁度モット伯邸の入り口の真ん前で、アシュレーは息を吐き出した。シューティングスターは背中に背負ったままで、純粋な格闘術だけで兵士二人を気絶させたのだった。
「そっちは済んだかの?」
「ああ、なんとか。そっちは?」
「うむ、問題無いぞ」
後からやって来たマリアベルが頷く。アシュレーと違って、範囲の広いスリープを持つため、マリアベルが屋敷の外周の見回りをしている兵士を気絶させる役割をしていた。
屋敷の前で合流した二人は、その入口を見る。やはり、遠目で見ていた時よりも一段と荘厳に見える。
「これを作るためにどれだけの苦労があったのか……」
皮肉気に笑ったマリアベルの前で、アシュレーが自らの武器を引き抜く。
「ハアッ!」
一刀両断。門の閂はパキンッと音を立てて、紙の様に切り裂かれたのだった。
「ふむ、行くかの」
「ああ」
中に入ると、その意匠は一段と工夫の凝らした物となり、ハルケギニアの貴族文化というものが、一体どれだけの年月を掛けて練り上げられて来たものなのかがよく分かるものだった。
どれもこれも一級品と言える美術品の中、壁一面から床に至るまで一切気を抜いていない作りに、思わず息を飲むアシュレー。勅使という肩書は伊達では無く、王宮での権力争いの武器の一つとしての審美眼は確かなものがある様だった。対するマリアベルは少々ゴテゴテしている為、好みに合わないようだったが。そして、二人の共通意見。それは、
「「臭い……」」
建物全体の酷い悪臭だった。原因は恐らく、カーペット全体に染み込まされているであろう香水と、廊下に所々置かれている色鮮やかな花々だった。
ここまで屋敷全体にこの匂いを充満させている理由は恐らく、
「これではまるで酒池肉林じゃな」
呟いたマリアベルの視線の先にあるものだろう。隣にいるアシュレーの方はというと、表情が一層暗くなり、不安が募っているようだった。
マリアベルの視線の先にいるのは、つい数秒前に気絶させた屋敷の使用人だった。男が一人、女が一人。二人はほぼ全裸と言っていい姿で、屋敷の廊下で、このあられもない姿で嬌声を上げながら激しく腰を使っていた。余りの声の大きさに、驚いたアシュレーとマリアベルがやって来ても、二人は一向に気が付く様子が無く無我夢中で好意に耽っていた。そのあまりの見苦しさに、たまらずマリアベルがスリープを掛けると、その体勢のまま崩れ落ちて、強烈な性臭を漂わせる部位をさらけ出したまま床に横たわるのだった。
「なんで、こんな所でこんなことを」
アシュレーが呟く。アーヴィング達に召集される以前の銃士隊で研修は受けていた。特に、山賊などの略奪を旨とする犯罪者の集団などでは同じような事態が想定されるが決して必要以上に気を取られてはいけないと口を酸っぱくして言う教官がいた事を良く覚えている。だが、ここは貴族屋敷。間違っても山賊のアジドなどでは無い。が、
「似たようなもんじゃろ。貴族という略奪階級のアジドと考えれば。そのまんまじゃ」
マリアベルの言葉はにべも無かった。
但し、マリアベルも考え無しにそんな事を言ったのでは無かった。よく見ると、女性の方は、この屋敷のメイドの一人と思われる身形をしている。そして、良く言えば成熟した、悪く言えば少々結婚の適齢期を過ぎたとも言える年齢の女性だった。対する男性の方は、その衣装を見るに、それなりに身分の高い人間。下級貴族、もしくは地位のある平民といった所だった。そして、腰に差している片手持ち用の剣。その柄は、使い込まれた物のそれであり、無駄に凝った細工も少なく、実践向けの物であることが分かる。この魔法至上社会のトリステインにおいて、ここまで使い込まれた実戦向きの剣を持つ者で、且つこれほどの衣装を身に着ける者はそれほど多くない。王都の魔法衛士隊か、騎士階級の準貴族であるシュヴァリエか、そして、大貴族おかかえの兵士の隊長格か。ただ、前者二つの場合、こんな夜遅くまで屋敷にとどまっているはずも無く、恐らくモット伯お抱えの兵士なのだろう。そして、この女性はモット伯から払い下げられた平民の一人と見ていい。
「成程、人心掌握術としては妥当な所かもしれんの」
呆れたように呟くマリアベル。隣にいるアシュレーは、気分が悪そうに顔を顰めている。耳を澄ませば、屋敷の至る所から先程までこの場にあったような嬌声が聞こえてくる。
「行くぞアシュレー。流石にわらわもこんな屋敷に長く留まりたいとは思わぬからの」
そう言って、マリアベルは歩を進めるのだった。
屋敷の奥へ歩を進めていると、何やら話し声が聞こえてくる部屋があった。
「うん?」
「む?」
顔を見合わせて一つ首を傾げたアシュレーとマリアベル。そして、二人揃って、音を立てない様に注意しながら、そっとドアに耳を当てる。
『そう言えば聞いた?新しい使用人の事』
『ええ、確か魔法学院からスカウトして来たんだとか』
その言葉に、アシュレーとマリアベルはハッとなる。この屋敷の新しいメイドで魔法学院からスカウトして来た。間違いなくシエスタの事だった。
先程よりも更に真剣な表情で聞き耳を立てる二人。場合によってはここでシエスタの居場所が分かるかもしれなかった。
『でも、あの子も不憫よね。こんな屋敷に来ることになっちゃうなんて。まだ若いのに……』
『しっ!誰かに聞かれたらどうするのよ。そんなこと言って、娼館にでも叩き売られたら目も当てられないわよ』
『でも、あの子ここに来てからずっと上の空だったのよ?それと、『サイトさん』って誰かの名前を呟いていたし』
『気持ちは分かるけど、私達にはどうしようもないわよ。それに、そんな話珍しい事じゃないわよ』
『そうやって言われればそうだけど……』
メイド達の話から、シエスタのこの屋敷での様子が分かる。恐らく、自身のこれからの運命を考え、学院でのサイトの事を想い、現実を受け入れることが出来なかったのだろう。
「……」
ドアにあてがわれたアシュレーの手に力がかかる。めりめりっと音を立てているのを聞いて、手を乗っけて窘めるマリアベルだったが、内心は振る舞いほど穏やかではない。むしろ、今すぐこの場で暴れ出したい程なのだ。
『さ、私達も仕事に戻りましょ。あの子が終わったらどうせ私か貴方の番なんだし』
『はあ、そうね……っと、物置き物置きっと』
『あ、見取り図?』
『ええ、ガラス磨きを仕舞ったのがどの物置だったか忘れちゃって』
そう言って、何やらごそごそと動き出す中の二人。そこまで聞いて、漸くアシュレーとマリアベルの二人はドアから耳を離す。
(どうやら、中には屋敷の見取り図があるようじゃの)
(どうする?入る?)
(うむ。ただ、ドアは開けん方がいい。邪魔になるからの。切り落としてもらえるかの?)
(分かった)
小声で相談する二人。考えをすぐに纏めると、アシュレーはシューティングスターを引き抜いてドアの前に立つ。
「行くよ?」
「こっちはOKじゃ」
頷く二人、そして、アシュレーがドアを切り落とした。
気絶した二人のメイドをよそに、二人は室内にある見取り図を手に取る。
「ここが、今いる使用人室。で、ここが風呂場じゃの」
「で、モット伯の寝室が……ここか」
アシュレーが指差した先、屋敷の最深部がそこにあった。
「ふむ、取り敢えずまずはシエスタの身柄の確保が最優先じゃの」
そう言って指差した先、モット伯邸の大浴場へと向かうアシュレーとマリアベルだった。が、
「うん?静かじゃの」
浴場の前で見張りをしていた使用人を殴り倒し、浴場のドアを開けるマリアベル。が、
「……」
そこは既に蛻のからだった。
大理石で造られた、使用人には不釣り合いな浴槽と、金で化粧の施された一面のタイルのみ。使用人の姿はそこには無かった。
「いた?」
後ろで聞こえたアシュレーの声が、浴室で反響する。場所と想定される状況から、中には入って来ていないので、すぐにシエスタが居ない事を伝えなくてはいけない。
「いや、既にお「いやぁぁぁぁぁ!!!!」なっ!?」
「シエスタ!?」
二人は一斉に走り出した。最早一刻の猶予も無い。脇目もふらずに、屋敷の最深部へと直交する。
「まずいぞアシュレー、早すぎる!」
「ああ」
「全く、どいつもこいつも死に急ぎおってからに!」
腹立たしげに歯噛みするマリアベルの頭を軽く撫でるアシュレー。それに気付いた様だが、無言のマリアベル。そして、
「ハアッ!!」
「チェストーーーッ!!!」
屋敷の最深部、モット伯の私室。その魔女の釜の蓋をアシュレーが切り裂いた。
「な、ぶげっ!?」
そして、扉から一直線に跳んだマリアベルのドロップキックが、ベッドの上で今まさにシエスタに己が一物を捻じ込もうとしていた貴族に炸裂する。直撃を喰らった男―恐らくモット伯―は、豚の様な悲鳴を上げて吹っ飛んだ。
「シエスタちゃん!」
「シエスタ!無事か!?」
「ア、アシュレーさん!?マリアベルさんも!?」
ベッドの上では、胸元を肌蹴られたかなり際どい服装のシエスタが、その豊満な肢体を晒していた。
「……」
「って、いつまで見とるか!」
「ぐえっ!?」
「あ、やりすぎたかの」
その艶めかしい光景に、硬直してしまうアシュレーの首を横に捻って視界を遮ろうとするマリアベル。勢い余ってゴキリと鳴った首を押さえるアシュレーを見て「す、すまん」と謝る姿に、シエスタは「相変わらず仲良いなー」などと、呑気にもそんな事を考えていた。
「ななな、何だ貴様らは!」
と、ここで漸く、マリアベルに蹴り飛ばされたモット伯が立ち上がる。不摂生な生活で緩んだ体から、局部を勃ち上がらせている姿は、グロテスクとしか表現のしようが無い。
「ああー、王宮勅使モット伯じゃったかの?わらわはマリアベル・アーミティッジという」
「僕は、アシュレー・ウィンチェスター」
名乗り上げる二人、特に美少女と言っても差し支えない外見をしているマリアベルの方をじっとりと舐める様に見るモット伯。その視線に、大凡どの様な人間であるかを把握したアシュレーとマリアベル。そして、その時点で早々に交渉を諦めた。
「単刀直入に言う。ここにいるシエスタはわらわ達が貰い受ける」
「マリアベルさん!?」
その言葉に、二人が何をしようとしているのかを察したシエスタ。そして、だからこそ悲鳴を上げる。狙われたのは自分なのだ。二人までその責め苦を負う必要など無いと。が、二人はシエスタのそのような声は一切聞き入れない。モット伯を見据えたまま黙殺すると、二人だけが気付くレベルのアイコンタクトを取る。
一方のモット伯はと言えば、内心ではこの状況に旨味を見出していた。
(ふむ、こ奴ら、見た所平民の様だがあの少女……悪く無いな)
正面に立つ二人の身形から、貴族では無い事は確信していたが、マリアベルの佇まいを見て、かなり食指が動かされた。元々、マリアベル自身ノーブルレッドの上流階級出身な上、交流する相手も貴族然とした相手が多かった。必然的に、その振る舞いには気品が滲み出る。対するモット伯は、実は平民をメイドとして雇ってきて犯す行為に、僅かばかりではあるがマンネリを感じていた。こればかりは仕方無い事とも言える。いくら貴族とはいえ、そうそう自分と同じような身分の女性と寝屋を共にすることなど出来ない。出来たとしたら、それはその相手との婚姻が成立しているか、既に確定している時くらいのものだろう。そして、一度貴族の女性とそのような関係を結んでしまえば、使用人といえど、他の女性に手を出すことはかなり難しくなる。それほどまでに、貴族に取っての婚姻というものは厳格で、融通の効かないものなのだ。特に、トリステインの女性貴族というものはプライドが高く、自分以外の女性に夫が見向きするなどということは決して許せないタイプが多い。その辺の事情が、王宮勅使でそれなりに羽振りが良いモット伯を未だに独身たらしめている理由だった。一応、借金漬けで、首の回らない貴族の子弟を狙うというのも手と言えば手だが、そういった子供で見目の良い者はモット伯よりも更に権力のある貴族の愛人となることが多い。伯爵家といえども、他人の領地への融資をしながら愛妾を囲うのはそれなりに大変なことなのだ。
モット伯も貴族ではあるので、いずれは家を残す為に婚姻を考えてはいる。が、少なくともそれは、自身が子種を残すことが出来るかどうかに不安を抱えてからにしようと思っていた。
そして、そんなモット伯の目に、その育ちの良さを感じさせるマリアベルはとても魅力的に映った。この少女の肌を味わうことが出来たら、この少女を手折る事が出来たら、この少女を楽しむことが出来たら、この少女を犯すことが出来たら……どれ程幸福だろうか。
「ゴクリ」と生唾を飲んだモット伯の視線が、自身に絡まった事を感じて、マリアベルは不快気に表情を歪める。
「ふむ、そのメイドが欲しいと?」
その声はいやに落ち着いていた。が、だからこそ、そこに無理矢理に押し留めた醜い欲望が渦巻いている事が見て取れる。
「ああ、そうじゃ」
頷いたマリアベルに、モット伯も「そうか」と頷く。
「よろしい、その少女、返してやらんことも無い」
「ふむ?」
妙に物分かりの良い回答に、不審気な表情を浮かべるマリアベル。対するモット伯は、ジワリジワリと届きそうになる獲物への手に、内心歓喜していた。
「だが、条件がある」
「条件とな?」
「ああ」
モット伯は頷いた。
「して、その条件とは?」
「その条件とは……私が貴様ら二人を味わうことだ!」
叫び声と共に引き抜かれた杖が、一直線にアシュレーに向かう。
「我が二つ名は『波涛』!『波涛』のモットだ!」
「アシュレーさん!?」
湧き上がった水流。それが空中で龍の形を取り、マリアベルの隣に立っていた、護衛とも取れるアシュレーに向かっていく。
「くっ」
シューティングスターで防御するアシュレーだったが、その強烈な勢いに、吹っ飛ばされるアシュレー。
「まだまだっ!」
追撃で放たれる氷の槍。幾重ものそれが、壁にぶつかったアシュレーを巻き込んで邸内の壁をぶち破る。
「いやあぁぁ!!」
悲鳴を上げるシエスタ。その様子を、満足げに見るモット伯。どうやら、この男に取って恐怖を与え心を折る瞬間もまた性欲と同じようにとても好ましいものだったようだ。そして、その視線はシエスタから隣に立つマリアベルという名の最高級の料理へと向かう。
「さて、レディ。何かを得ようと思えば、当然対価は支払わなければならない」
いやに気取った猫なで声でモットは囁く。
「当然、君は拒否したりはしないだろう?」
勝利を確信した下賤な笑み。それは最早貴族どころか人間と定義することも憚られる程に醜悪な欲望で満ち満ちていた。
「はぁ……」
が、その正面で、マリアベルは呆れたように溜息を吐いた。
「どうしたのかな?気分が悪いようなら薬を持ってこさせるが」
「一つ……言っておくことがある」
「?」
マリアベルの言葉に、訝しげに眉をひそめるモット伯。しかし、マリアベルの言葉は止まらない。たった一言。それが全てだった。
「アシュレーを舐め過ぎじゃバカモノ」
「な、ぐぎゃあ!?」
マリアベルの言葉とほぼ同時に吹っ飛んだモット伯その様子に、「え?」と声を漏らすシエスタ。一方、マリアベルはというと、特に気にした様子も無く今までモット伯が立っていた所に目をやる。
「大丈夫かアシュレー?」
「ああ。特に問題は無いよ」
紙から滴り落ちる雫を払いながら、バイアネットを構えるアシュレー。その姿に、マリアベルは「くくく」と余裕の笑みを浮かべる。
「水も滴る良い男じゃな♪」
「ははは」
マリアベルの言葉に、苦笑するしかないアシュレー。恐らく不意打ちを食らってしまったことも含めてからかわれているのだろう。まあ、彼女に一瞬でもいらぬ心配をさせてしまった以上、甘んじて受けることにした。
「さてと……まだ続けますか?」
そう言って、床に這いつくばるモット伯に近付くアシュレー。その様子を見ながら、自身もシエスタとの間にさり気無く割り込むマリアベル。
「な、な、ななな」
狼狽して、呂律も回らなくなって来た様子だったが、辛うじて言葉を捻りだす。
「何故貴様は無事だ、私の攻撃を喰らって!」
それに対する答えは、ごくごく簡潔だった。
「あの程度の攻撃で、アシュレーを倒せるつもりだったのか?」
腕を組んでモット伯を睨んでいたマリアベルの目配せに頷くと、アシュレーはバイアネットを振りかぶる。
「ま、待ってくれ!い、命だけは!その娘は返す!金もやる!何だったらシュヴァリエの申請をしてもいい!」
悲鳴を上げるモット伯。が、アシュレーもマリアベルも、その言葉を聞きいれる程馬鹿では無い。
「「断る」」
そう短く言って、戦いの終わりを振り下ろしたのだった。
額の雫を拭いながら、アシュレーが自らの武器を背中に収める姿を見て、口元に手を当てていたシエスタが「死んだんですか……?」と不安そうに首を傾げる。その質問に、マリアベルは「いや」と首を横に振った。
「気絶させただけじゃ。間違っても殺してはおらんよ」
「そうですか……」
そのマリアベルの答えに、複雑そうにするシエスタ。彼女としては、自分を犯そうとした男でもあるので、喜べばいいのか悲しめばいいのか分からないのだろう。一方、
「こんな、こんな貴族が!」
マリアベルがちらりと隣を見やると、怒りで顔を真っ赤に染めたアシュレーがやり場のないそれで身を震わせていた。
「止めるのじゃアシュレー」
気持ちは分かるが、今はそれよりもしなければいけない事がある。そう言って窘めるが、まだ納得してはいない表情だった。
「権力があるのが問題なのではない。種族差、個人差がある以上、上下がある事はごく当然の事じゃ。むしろ、それが無ければ歪みが生じることになる。横暴も……個人の自由と言えば自由じゃ。好き勝手振舞うのもの。問題なのは、人の痛みを知らぬ事じゃな。他人の痛みを知らぬからどこまでも横暴になれる。悲しみを知らぬから優しくなれぬ。じゃがの、わらわ達もこの者の痛みは知らぬ」
マリアベルの言葉に、言い返したいのに言い返す事が出来ない。確かに目の前の男の事を自分は知っている訳ではないが。
「ま、要はアレじゃ、この男は大概下種じゃが、だからと言って貴族を丸ごと否定する事も無いという事じゃ」
そう言って締めくくったマリアベルが、シエスタを振り返る。
「さ、シエスタ。すぐに準備をするのじゃ」
「え?」
マリアベルから掛けられた声に、思わず首を傾げる。その様子に、マリアベルは苦笑しながら事情を説明する。
「帰るのじゃ。学院に」
「え、あ……」
その答えに、漸く自分が二人に助けられたことに気がつき、ハッとなるシエスタ。
「う、ひっく、ひっく」
「もう安心じゃからの。今は好きなだけ泣くが良い」
「う、うええ〜ん!」
「よしよし」
ベッドの上に登って来たマリアベルに縋りつき、肩を震わせて号泣するシエスタ。恐怖と緊張の糸が切れて、一気に涙腺が崩壊したらしい。縋り付くシエスタと、その頭を撫でてやるマリアベル。二人を見るアシュレーも、助けられて良かったと胸を撫で下ろしていた。
数分後、思いっ切り涙を流して落ち着いた様子のシエスタに、マリアベルが自分のエプロンでその顔を拭ってやる。
「あの……」
「うん?」
「どうしたんだい?」
アシュレーとマリアベルを見て、気まずそうにするシエスタ。その様子に、首を傾げる二人。
「すみませんでした」
「「?」」
そう言って、頭を下げる。二人にはますます分からなくなる。
「こんな事してもらって……」
すまなそうにするシエスタに、二人は一瞬顔を見合わせる。
「気にしなくてもいいよ。僕達が好きでやっただけだし」
「そうじゃそうじゃ。こんな事でいちいち謝るでない」
「でも……」
特に気にした素振りも無いアシュレーとマリアベルに、シエスタは逆に気が咎めた様だった。
「こんな事をしてしまって……下手をすれば、いえ、御二人は犯罪者にされてしまうかもしれないんですよ!?」
そう言って、再び顔を俯けるシエスタ。が、アシュレーとマリアベルにしてみれば、大した事では無い。
「気にすること無いよ」
「そうじゃの。どうせ、わらわ達はいずれこのハルケギニアから居なくなる身じゃ。誰かの為に二三前科を作る位、大した事ではないわい」
そう言って、笑う二人だったが、いい加減、この屋敷から逃げる算段を付けなければいけない。
「む、何じゃこれは?」
と、マリアベルが、ベッドの上で小さな小瓶を見つけた。透明なそれは、中に緑色の液体が入っていた。その瓶に気が付いたシエスタが、「ああ、それは」と説明する。
「モット伯様が私に使おうとしていたポーションです」
「ふむ、媚薬かなんかかの?」
この状況で最も可能性の高い薬品を想像したが、シエスタは首を横に振る。
「いえ、モット伯様がおっしゃるには、女性の肌に擦り込むと、周囲に治癒効果を発生させるポーションだとか」
「医療用かの?しかし何故こんな所に?」
「その……膜を一瞬で再生させることで女性の破瓜を何度も味わいながら、自身の感覚を鋭敏にするためだとか。反抗してきた女性がいても、これがあれば痛くも痒くも無いとか」
言いにくそうにするシエスタに、マリアベルは溜息しか漏れない。物は医療にも転用できるのだろうが、使用方法が悪趣味すぎる。
「はー、なんともまあ、呆れてものが言えんのじゃ」
頭を掻くマリアベルは、適当にポケットに突っ込むと、壁に立てかけてあった剣を取る。
「え?」
首を傾げるシエスタだったが、それには返事をせず、マリアベルは二度三度とソレで素振りをする。
「剣をどうするんだ、マリアベル?」
疑問に思ったアシュレーが聞くと、顔を上げてピッと人差し指を立ててみせる。
「アシュレー。貴族に取って、大切な物とは何か分かるかの?」
「え?えっと、誇り……かな?」
突然の質問に、何となく嘗ての仲間の事を思い出してそんな事を口にするアシュレーだったが、マリアベルは「外れじゃ」と首を横に振る。
「確かに、アーヴィング達ならそうじゃろうがの、この場合の貴族とは腐った貴族の事じゃ」
「えっと、欲望ですか?」
自身が実際にその欲望を満たす為の生贄となりかけたシエスタが、そう言って首を傾げる。
「惜しいの。ギリギリで外れじゃ」
「外れですか」
そう言って、再び首を傾げるシエスタ。どうやら、アシュレーも答えが思いつかないようだった。
「答えはの、その性欲、物欲、支配欲などなど様々な『欲望』を満たす根幹となる物。ズバリ『権力』じゃ」
マリアベルの言葉に納得しつつ、耳を傾けるアシュレーとシエスタ。
「逆に言えば、『権力』が失われる可能性のある行動は、腐った貴族は基本的に一切取らん」
そう言って、マリアベルが仰向けで伸びているモット伯に近付く。
「さて、貴族の『権力』を支えている物は権力や財力いくつもあるが、その中でそもそもの元になるのは生まれた『家』そのものじゃ。血こそが貴族の証明じゃからの。だからこそ、貴族はお家断絶を何よりも恐れておる」
そう言って、広げられたモット伯の足の間に立つマリアベル。
「つまり、家を断絶される可能性のある者には、一切関わりたがらぬ」
そこまでマリアベルが言った所で、アシュレーが何かに気が付いた様に「まさか……」と顔を青くする。その表情に、マリアベルはニヤリと悪い笑みを浮かべる。
「家が断絶する可能性はいくつもある。事業の失敗、多額の借金、宮廷での不始末や権力闘争での敗北。そして……嫡子の不在」
その言葉に、シエスタもマリアベルが何をしようとしているのか察し、ポンッと手を打つ。ここら辺の差は、痛みを実感できる男性と女性の差だろうか?
「えっと、マリアベル?」
アシュレーの強張った表情を気にも留めず、マリアベルは最後の審判を下す。
「子種を残せぬ、断絶すると分かっている人間を権力者と見做す者も、いずれ散る存在に権力を与える者もおらぬ。じゃからの、自身が種なしなどと宣伝するバカはおらぬ訳じゃな」
そう言って、今回の騒動の元の元を見る。
「わらわ達と出会った不運と、シエスタに手を出した不運を呪うがいい」
手に持った剣を振りかぶる。
「天誅じゃ!」
夜のトリステインの空に、汚い男の切ない悲鳴が上がったのだった。
外に出ると、まだ、夜は更けたまま、これからが本番だろうといった空模様だった。
星の散りばめられたそれを見上げて、「良い夜ではあるの」と呟くマリアベルに、アシュレーも同意の首肯をする。
「お待たせしました」
屋敷の門の前で振り返ると、すっかり身形整えたシエスタが走って来るところだった。
「すみません、お待たせして」
そう言って息を切らすシエスタに、二人は「気にするな」と手を振る。
「さてと、これで全部じゃの?」
屋敷を見返せば、既に明かりも全て消え、活気とはかなり程遠い姿を見せている。
「ではシエスタ、達者での」
「それじゃあ。シエスタちゃん。僕達が乗ってきた馬は学院に返しておいてね」
「え?あ、あの!」
「「?」」
言い置いて、さっさと歩きだす二人に、慌ててシエスタは声を掛ける。首を傾げて振り返った二人に、シエスタはこれからどうするのかを尋ねた。
「わらわ達か?これから聖地を目指すつもりじゃが、少なくともトリステインからは出るつもりじゃ」
「ああ。ちょっと手持ちは心もとないけどね」
「じゃ、じゃあ、御二人ともタルブの村に来ませんか?」
そう言って、苦笑するアシュレーとマリアベルの二人に、シエスタはそう申し出る。顔を見合わせる二人だったが、すぐに首を横に振った。
「悪いけど、ごめん」
「流石にそれはの」
今回の件で、二人は指名手配犯になる事だけはほとんど確定していると言っていい。モット伯自身の名誉のために、本来の物とは違った形ではあるだろうが、王宮勅使にまでなった人間だ。そもそもの機能を失った以上、シエスタに手を伸ばすことはもう無いだろうが、たかがあの程度でアシュレー達への復讐を止めるとも思えなかった。
もし仮に、シエスタがそれなりに権力のある身分であれば、少しの間厄介になる位はしただろう。だが、平民の彼女では、アシュレー達に降りかかった火の粉のおこぼれでも払えない可能性がある。その事を考えて断った二人だったが、シエスタの方も案外強情だった。
「このまま御二人を行かせたら、私が両親に顔向けできません!」
そう言って、二人の前に立つと、梃子でも動かない構えだった。
「それに、御二人ともそんな軽装で。召喚された時に持っていた物もほとんど持っていないんでしょう?」
「「……」」
痛い所をつかれた表情になるアシュレーとマリアベル。シエスタの指摘は正にその通りで、馬がそもそも学院の物であることもあって、二人は最低限の物しか持ってきていなかった。
「だったらなおさら御二人をこのまま行かせる訳にはいきません!」
そう言って、胸を張るシエスタ。
「それに、私の祖父は、村でも結構力を持っていたんですよ?今はもういないですけど、自分に降りかかる火の粉くらいは払えます!」
どうやら、心に決めてしまったらしい。
現在の状況を考えると、モット伯がシエスタに手を出すことは無い以上、復讐相手である自分達が常に的になれば、ある程度は身を守れるのだろう。それに、実際手持ちの情報だけでは少々心もとないのは事実だ。少し考えた二人だったが、最終的には二人でシエスタの家にお邪魔することにしたのだった。
「それじゃあ」
「しばらく厄介になるとするかの」
「はい!」
頷くシエスタの表情に、朝の様な暗い影はすっかり無くなっていた。
◆
「せいっ!」
ぎしっ!
「「「「「「おお〜!」」」」」」
周囲から歓声が鳴る。ここは、タルブの村にあるブドウ園だった。
先日のモット伯の一件が原因で、アシュレーとマリアベルの二人はシエスタの生まれた村であるタルブへと来ていた。最初、アシュレーとマリアベルの二人を見て不審そうなシエスタの両親だったが、事情を聞くとすぐに笑顔になり、温かくアシュレーとマリアベルの二人を受け入れた。むしろ、あまりにも低姿勢だったので、逆にこちらが恐縮してしまう程だった。
最初の内はシエスタの恩人であるということもあって、ただ客人として持て成されていた二人だったが、流石に穀潰しでいるのは気が引けた。丁度村全体で農繁期でもあったため、二人はその手伝いに出ることにしたのだった。
そして始めに戻る。
「よっと」
「「「「「「おお〜」」」」」」
村人の視線の先には、荷車とそれを引くアシュレーがいた。ただそれだけならここまで驚く様なものではないのだが、問題はその積荷だ。荷車の上にうず高く積まれた農具は、とてもではないが、本来一人で運べるような量では無い。が、『剣の英雄』を内に宿しているだけあって、アシュレーの膂力は普通の人間とは比べ物にならない程強力なものだった。
「いや〜すごいなアシュレーは」
「そうだな、馬が体調が悪いって聞いた時はどうしたもんかと思ったが」
そんな感想を口々に言う村人達。元がパン屋で、あまり農作業には役立てないアシュレーではあったが、単純に力が強いというのは、それだけで農家にとっては宝とも言える。
「こりゃ、家に婿にでも来て欲し!?」
何の気なしにそんな言葉を口にした村人が、片足の脛を押さえてピョンピョンとその場でとび跳ねる。その様子に、一部の人間は気の毒そうな顔をするが、殆どの村人が「お前が悪い」といった表情をしている。
「ほれ、今日中に摘蕾を終わらせるのじゃろ?無駄話しとる場合じゃなかろう」
その犯人である金髪の少女が、無表情でそんな言葉を口にする。それに反応した村人たちは頷いて、三々五々、自分達の果樹園へと向かって行くのだった。
「ふぅ……」
「アシュレー、お疲れ様じゃ」
「あ、ありがとう」
差し出された水筒を受け取り、水を飲むアシュレー。その様子を見上げて、満足そうに笑うマリアベルだったが、ふと見ると、遠目からアシュレーを窺っている村の娘達に気がつき、途端にぷぅっと頬を膨らませて不機嫌になる。
「マリアベルも飲む?」
「貰うのじゃ」
水筒を受け取って、口を付けるマリアベル。若干の優越感らしきものを持って村娘を見やるが、彼女達の視線はむしろ微笑ましいものとなっている。
「……」
その事に気が付いたマリアベルは、再び機嫌を悪くするのだった。
タルブの村に来て数日。ここ最近のマリアベルの機嫌の悪さの原因は、一言で言ってしまえばアシュレーにあった。最初、シエスタに連れられてタルブの村に来た時、シエスタからの話を聞いた村娘達は、皆揃ってアシュレーとシエスタの仲を羨ましがった。が、よくよく様子を観察してみると、どうも様子が違う。そして分かった事だが、アシュレーとシエスタはあくまでも友人同士であって、シエスタの思い人は魔法学院にいるらしいという事だった。その時点で、大分株が上がっていたアシュレーだったが、それから数日後にシエスタが学院に一旦帰った時の農作業の手伝いの様子を見て、本格的にアシュレーを手に入れようとする村娘が一気に増えたのだ。元々、アシュレー自身は少々線が細くて、押しが弱そうではあるが、逆に言えば優しげとも取れるし、見た目は悪く無い。そして、線は細いが見た目だけで、中身は百戦錬磨の戦士の肉体だ。結果、村の娘の中でも自分の容姿に少し自信のある者達が、こぞってアシュレーを落とそうと言い寄って来るのだ。本来、流れ者相手ならば止めに入るであろう親達も、シエスタの件を聞く限り人柄は問題が無く、労働力としても折り紙つきなアシュレーへのアプローチを止めようとはしなかった。そして、マリアベルにはそれが面白く無かった。
本来ならば、淑女協定というものがある。少なくとも、番がいる男性に手を出す様な不調法な事はすべきでは無いし、したらしたで報復を覚悟しなければならない。にも拘らず、村娘達はひっきりなしにアシュレーを狙ってシエスタの家へと足繁く通っている者が沢山いる。理由は二つ考えられる。一つは、アシュレーが番がいたとしても狙いたくなる程に良い男であること。まあ、これは無いだろう。いや、マリアベルは、アシュレーを十分魅力的な男性だとも思っているし、例え番がいたとしても食指が動いてしまうような相手だとは思っている。が、それはあくまでもアシュレー・ウィンチェスターという人間の中身に触れ、その本当の優しさや美しさだけでなく、醜さや弱さその全てに触れた上での感想であり、例えば、街中で一目見ただけだとか、友人から紹介されただけとかの付き合いであそこまで夢中になるような相手かと言えば、それは無いだろう。比較対象としてはアレかもしれないが、アーヴィングクラスの容姿を持って初めて為せるような状況と言っていい。以上の事から、最初の可能性はほぼ無いと言っていい。では、そうなると、残る可能性はあと一つ。それは、アシュレーには番が居ないと思われている……
「……」
(ば、ばかな!?ふ、普通そんな結論に至るものか!?アシュレーの隣には、何時もわらわがいるのじゃぞ!?朝起きてから、夜床に入るまで、ほとんどの時間を二人で過ごしておるのじゃぞ!?そんなわらわを指して、番はいないじゃと!?あ、いや、わらわは確かに番では無い。番では無いが、こう、ここまで親しげな女が傍に居れば、『アレは番か?』位の勘違いはするモノじゃろ!?そうでなくとも、手を出す事を少しは躊躇う筈じゃろ!?)
懊悩するマリアベル。結局その懊悩の結論は出ることは無かったが、それ以前に、彼女自身その懊悩が一体どんな意味を持つのかということには全く気が付かないのだった。シエスタの父親に頼んだ、エルフと接点のある商人の情報が届くまでどれだけの時間がかかるか……
(そ、それまでの辛抱じゃ。うぅ……)
マリアベルの心は早くも折れそうだった。
数日後、アシュレーとマリアベルの二人は、タルブの奥の森へと来ていた。
一度学院に戻ったシエスタが帰って来て数日。何故か人数が増えていた。しかもその増えていた相手が、アシュレーとマリアベルを召喚した少女を始めとした学院の生徒達だったのだ。シエスタと親しげな様子から、アシュレー達の事を知っても、そうそう役所へ突き出したり密告したりはしないだろうが、彼らがうっかり口を滑らせて、シエスタの家に迷惑がかからないとも限らない。様々な事情を考慮した結果、二人は学院の生徒がタルブを出るまで、しばらく森のオーク退治に精を出すことにした。
初めの内は渋っていたシエスタの父も、事情を聞いて納得し、森の中にある今は使われていない物置小屋の事を教えてくれたので、二人はここ一週間程そこで寝泊まりをしていた。既に生徒達は去った後だが、森のオーク退治自体がもう少しで一区切りついて、タルブの村人がある程度安心して山菜とりを出来る所までやってしまおうということになった。
「ハアッ!!」
「プギィ!?」
アシュレーの振り抜いたシューティングスターが、オーク鬼の腹を容易く切り裂く。
「フゴォォ!!」
「チッ!」
「グギャアァ!?」
大きく泳いだ体に勝機を見出したのか、群れの一匹が棍棒を振りかざして遮二無二に突っ込んでくる。軽く舌打ちをしたアシュレーは、剣先だけを敵に向け、ショットウェポンを発射する。
砕け散った頭蓋骨、しかしオーク鬼の群れはその程度では止まらない。並の騎士では十人もかかるというその巨体を武器に、アシュレーへ向けての突撃を再度行う。が、
「甘い!」
後衛で控えていたマリアベルに、むざむざその無防備な身体を晒すことになる。
「バスター、コレダー!」
「ブゲェェェ!?!?!?」
強烈な雷の一撃、直撃したそれで全身丸焦げになり悪臭を放つオークの肢体を蹴り捨て、マリアベルは足場を確保する。
「アシュレー!左じゃ!!」
「セイッ!」
マリアベルの声に反応し、アシュレーが奇襲をしかけて来たオークを切り捨てる。
「……」
「ふふ……」
一瞬目が合い、そして互いに獰猛な笑みを漏らす。アシュレーもマリアベルも、普段の優しげな笑みや悪戯っぽい笑みがどこかへ行ってしまったかの様だ。
(やはり、悪く無い……)
マリアベルは内心で呟いた。戦いの無い平和な日々を愛してはいる。そういった日々の為に戦っても来た。だが、
(これもまた、わらわ達の居場所)
長年戦いの中へ身を投じて来た。誰よりも長く、誰よりも濃密に。匹敵するのは唯一、アシュレーくらいのものだ。
チリチリと焼けつく様な熱が、マリアベルの首筋を焦がす。アシュレーもマリアベルもまだまだ全力とはほど遠いが、それでも一端は感じられる。
(ここにいられるのは、わらわだけじゃ……)
胸の奥深くで、本人も気付かない程の優越感が、村娘の視線から湧き立つイライラを焼き尽くしていく。
(最後まで付いて行けるのは、わらわだけ)
そう、例えARMSのメンバーであろうとも、越えられない境界線がある。その最大の線引きは、『ファルガイア』を襲った焔の災厄だろうか。
あの場で戦ったのは、アシュレー一人だった。他の者達では、足手まといにしかならなかっただろう。
皆で掴んだ明日。その事を否定するつもりもないし、皆が戦っていたのも事実だ。でも、それでもなお、あの場に行けばARMSのメンバーとて満足に戦うことは出来なかっただろう。ただ一人、嘗て、焔の災厄と対峙した経験を持つマリアベル・アーミティッジを除いて。
戦いたい訳では無い。戦闘狂などでも断じて無い。だが、アシュレーについて行ける自信は、アシュレーと共に居れるという優越感は……とても甘美だった。
「プギャア!」
また一匹、オークが飛び出す。
「甘いわ!!」
再度のバスターコレダーが敵を再び消炭に変えた。
「アシュレーさーん、マリアベルさーん!」
「うん?」
「む?」
オーク鬼の退治が終わった二人が切り株の上で休憩を取っていると、村の方からシエスタが走って来た。
「ハァ、ハァ……」
「おお、どうしたのじゃシエスタ?そんなに慌てて」
二人の前で肩で息を吐くシエスタに、マリアベルがハンカチを差し出す。礼を言ってそれを受け取ったシエスタが、呼吸を整えて、一枚の紙を差し出した。
「うん?」
首を傾げるアシュレーとマリアベル。その前で、シエスタが、事情を説明する。
「やっと見つかったんです!」
「見つかった……」
「何がじゃ?」
再び疑問符を浮かべる二人に、シエスタが怒った様に腰に手を当てる。
「もう、二人とも忘れちゃったんですか?エルフですよ、エ・ル・フ!」
「「あ、そういえば」」
ポンと手を打つ二人。どうやらタルブでの長閑な暮らしのせいで、その辺の事をすっかり忘れてしまっていたようだった。
「ありがとうシエスタちゃん。本当に助かったよ」
「うむ、礼を言うぞシエスタ。わらわ達ではこういった情報収集は出来んかったからの」
そう言って、メモを受け取る二人。中には、黒くハッキリとした字で『空の贈り物亭』と書かれていた。
「これは?」
書かれていた場所をマリアベルが尋ねる。
「うちの村で毎年ワインを買ってくれる行商人の方なのですが、そのお店で何度かエルフを見た事があると言っていました」
「ほう?」
その言葉に興味をそそられた様に、メモに視線をやる。
「なんでも、時々やって来ては、うちの村のワインを頼んで飲んでいたらしいです。それでよく覚えていたとか」
「それで、ここの場所は?」
シエスタの説明に、「ふむ」と頷くマリアベル。横から覗いていたアシュレーが尋ねると、シエスタが確信を伝える。
「リュティスだそうです」
「リュティスじゃと?」
「それって、確かガリアの?」
「はい」
頷いたシエスタの言葉に、アシュレーとマリアベルは腕組みをする。
(ガリアのリュティスって……)
(十中八九首都リュティスの事じゃろうな)
応えるマリアベルだったが、その表情は思わしく無い。質問をしたアシュレーの方も表情は似た様なものだった。
ガリアの首都リュティス。人口約三十万人の、自他共に認めるハルケギニア最大の首都。が、だからこそ、エルフの存在は異様だった。
ブリミル教が貴族の権力の土台である事は、ある程度の教養を持った人間ならば、誰もが知っていることだ。その性質は、ロマリアの様な宗教国になる程当然顕著で、逆に新興国であるゲルマニアではあまりそういった性質は強く無い。
さて、ガリアの場合はどうかと言えば、間違いなく最大の宗教国であると言っていい。経済や権力的な意味でも、ハルケギニア最大の国家の称号は伊達では無い。が、だからこそおかしい。ブリミル教の最大の国であるということは、それだけ教義における敵であるエルフを排除する力が強いということだ。そうであるにも拘らず、一体どうしてエルフがガリアの首都なんかに……
「ふむ、話は分かった。改めて礼を言うぞシエスタ」
「ああ。ありがとうシエスタちゃん」
そう言って頭を下げる二人に、慌てるシエスタだったが、「じゃ、お昼は準備しておきますから終わったら食べに来て下さいね」
とだけ言い置いて、村の方へ帰って行った。その後ろ姿をしばらくの間見つめていた二人だったが、その姿が見えなくなると、アシュレーが疑念を持った視線をマリアベルへと向ける。
「マリアベル」
「……言いたいことは分かる」
その視線を合わせずにマリアベルは口を開く。
「何ぞきな臭いが、わらわ達は行かねばならぬ」
「うん」
マリアベルの強い言葉に、アシュレーも頷いた。
「余計な戦いは避けたいんじゃがのぅ……」
そう、ポツリと漏らしたマリアベルだった。
が……
「ん?なんだありゃ」
その願いは
「せ、せせ」
届かなかった
「戦艦だぁぁぁぁ!!!!!」
望むと望まざるとに関わらず、二人同士の『仲間』もまた、ハルケギニアの戦火の中へと巻き込まれていくのだった。
―ソレは突然現れた―
「ん?なんだ、ありゃ?」
―青く澄んだタルブの空―
「あー、どうした、フランク」
―一点見える黒い点―
「いや、あそこを飛んでるのは何だろうなって」
―徐々に大きくなっていくソレに―
「あん?」
―まず村人達が気が付いた―
「に、逃げろぉぉぉぉ!!!!」
まさに青天の霹靂だった。今日もいつも通り、農作業に精を出そうとしていたタルブの村人達が農場へ出向くと、突然空から戦艦や龍騎士の大群が襲って来たのだ。
「みんな!早くこっちに!」
村の子供達も又悲鳴を上げながら逃げ惑う。村の中では年長組に当たるシエスタが誘導するが、パニックになった子供達の足は覚束無く、途中で転んで泣きだす者もいる。
「ほら、泣かないで」
そう言って、その子供を抱き上げると、必死に走りだすシエスタ。
(なんで、何でこんなことが……)
タルブの村へ向かってくる戦艦や軍隊の様子は、森にいたアシュレーやマリアベルの場所からもはっきりと見る事が出来た。
「ぬ?何じゃあれは?」
「え?……戦艦?」
『ファルガイア』では馴染みの無い、帆船型の飛行船。しかし、そこに備え付けられた大量の砲門に、それが紛れも無く兵器であると事を如実に表している。と、見ているそばから、戦艦よりパッと何かが散った。目を凝らして見ると、それは全て竜に乗った騎士だった。
「マリアベル!」
「全く!割に合わん仕事ばかり回って来るの!」
叫びながら、一斉に駆け出すアシュレーとマリアベル。
「乗って!」
「!了解!」
アシュレーの声に、マリアベルがその背中にピョンッと飛乗る。その重みを感じ取ったアシュレーは、すぐさま両の足に力を込める。
「ッアクセラレイタァァァァ!!!!!」
ソニックブームが起こるのではないかと思えるほどの強烈な加速。一歩、また一歩と進むうちにみるみる村への距離を詰めていく。
「うひゃあ!?」
背中に捕まるマリアベルは既に体が宙に浮き、腕で何とか掴まっている状況だった。普段ならば文句の一つも言っただろうが、彼女の頭は既に戦闘に切り替えられている。
「ここじゃ!スカイツイスター!!!」
マリアベルの詠唱。迸る魔力に空が逆巻き、巨大な竜巻が敵の竜を騎士ごと飲み込んでいく。
「シエスタちゃん!」
その間に、逃げる村人の最後尾でへたり込んでいるシエスタを見つけて走り寄るアシュレー。
「あ、アシュレーさん……きゃっ!?」
息も絶え絶えに、顔を上げる彼女の腰を掴み、手に抱いていた子供を逆の手で持ち上げる。
「舌を噛まないように!」
「え?うひゃあ!?」
「ふえぇぇぇん!!!」
急速に掛ったGに、思わず悲鳴を上げるシエスタと泣きだす村の子供。それを無視してアシュレーは再び加速する。いくらマリアベルとはいえ、こんな僅かの間に稼げる時間は限られているのだ。
「あそこか……」
村に来てすぐの時にシエスタに紹介された、シエスタの祖父が作ったと言われる御神体置き場。戦場の中にあっても確かに分かる人の気配があった。が、
「そ、そんな」
アシュレーの腕の中で、シエスタが口元を押さえる。
「え、えええ「スリープ」
反対の手で泣き出しそうになっている子供に、マリアベルがすかさずスリープを掛ける。
アシュレー達の視線の先、そこには村人達が避難したであろう建物と、それを包囲する竜騎士達の姿があった。
「……」
周囲を囲む木々の中でへたり込むシエスタ。当然だ。あの中には、シエスタの家族達もいるのだから。
「……」
「……」
その隣で、無言でバイアネットを引き抜くアシュレーとリミテッドゴーグルを引き下ろすマリアベル。建物の周囲には、数名ではあるが傭兵らしき人物達が居る。まだギリギリ、ほんの僅かではあるが、戦場は危うい拮抗を保っていた。
「行こっか」
「うむ」
二人は頷き合った。
タルブの村の木造の祭壇の前で、傭兵のアニエスは内心で舌打ちをした。
(くそ、数が多すぎる!)
片手持ちの剣を振り回し、竜の頭へ斬撃を見舞うが、その一撃は虚しく空を切る。
タルブでの異変が起きた時、丁度この近くで宿を取っていたアニエスは、戦艦の襲来を耳にするなり装備を整えて真っ先にこの村へやって来た。
アニエスには、如何しても叶えたい、叶えなければならない目的があった。その為には何よりも地位が必要だった。傭兵としてそれなりに名の売れた存在ではあるが、それでもまだまだ足りなかった。そんな時に降って湧いた戦争の一端。願ってもいない好機だった。ここで名を売ることが出来れば、あるいは自身の『目的』へと大きく近付く事が出来たかも知れなかった。が、
「ぐあっ!」
現実は非常だった。空より距離を取ってヒットアンドアウェイを取る竜騎士達に、アニエスやその仲間達はいい様に翻弄された。竜達の一撃は重く、騎士の放つ魔法は強烈。そして、そのコンビネーションは、
「ウィンディアイシクル」
「ギャオォォォォォ!!」
「がはっ!?」
間断の無さで、傭兵達を軽く上回っていた。
「どうした平民!その程度か!?」
竜の上で、貴族然とした衣装の男が嘲笑する。が、その中であっても、油断なくアニエスを見下ろす姿には一部の隙も無かった。
(くそっ!)
アニエスが再び内心で毒を吐く。虎の子のマスケットも、こうも数が多くては一人を狩るのが精一杯だ。しかも、距離が離れすぎている。マスケットの射程距離と有効照準距離はそれ程広くは無いのだ。そして唯一、アニエスが自信を持っていたもの、一口に言ってしまえば実践経験。型に填まった剣術しか出来ない貴族などに、近接戦闘では負けることは無いと思っていた。が、それすらも、幻想に終わった。
「どうした!その程度か平民!」
「ちぃっ!」
竜の上からレイピアの刺突が突き出される。それを辛うじて避けるアニエスだったが、頬が浅く切り裂かれ、赤い血が流れ出た。
(甘かった……)
アニエスはそれを痛感していた。
アニエスは確かに傭兵として鳴らして来た。修羅場をくぐった事も、一度や二度では無い。だが、その相手というのはギルドで依頼されるもの、つまり、盗賊退治やモンスター狩りに限られていた。大規模な戦争が唯一あったアルビオンであったが、トリステインでの地位を望むアニエスにはそこまで行く金銭も時間も無駄にしか映らなかったのだ。対する相手は、神聖アルビオン帝国の人間。貴族は貴族でも、ここ数年の間に何度となく実戦を繰り返して来た精鋭だ。しかも、アニエスの様な盗賊や傭兵崩れ相手では無く、はっきりと実践を積んだ本物の敵を相手にした実践だ。
結果、アニエスと竜騎士との間の戦力差はどの視点から見ても埋めがたいものとなっていた。
「これで終わりだ!!」
「しまっ!?」
竜騎士の一撃に、アニエスの剣が弾き飛ばされる。長時間の戦い、その時間が技能だけでは埋めがたい体力筋力の差となって現れていた。
(みんな……ごめん……)
アニエスの頭の中で、走馬燈が過ぎる。ダングルテールの家族達、そして沢山の友達たち……
「はあっ!!!」
目を閉じたアニエスの瞼の外で、そんな声が聞こえた。
「ギャオォォォォォ!?!?」
「え……?」
不快な咆哮。が、先程アニエスが戦っていた時とは違う悲鳴の様なそれに、思わず目を開ける。
「なっ!?」
その光景に、アニエスは一瞬目を疑った。
アニエスの前で油断なく大剣を構える青い髪の青年。そして、その前には、片翼を失って悶えるドラゴンがいた。
呆然とその光景を見ていたアニエスだったが、直ぐにハッとなる。
「逃げろ!お前達では太刀打ちできない「やかましいわ!」っ〜〜〜〜!」
目の前の青年の線の細さに、逃げるように叫んだアニエスだったが、不意に訪れた衝撃に堪らず頭を押さえる。
「少し黙っとれ」
そう言った隣の少女が、一歩前に踏み出す。
「さて……大掃除じゃ!」
木造りの建物の前で戦う傭兵の内の一人が弾き飛ばされた瞬間、アクセラレイターで距離を詰めていたアシュレーの銃剣が鈍色の光を放ち、竜の翼を切り落とした。
「なっ!?」
突如バランスを失い、一瞬うろたえた騎士だったが、すぐさま手綱を離すと、飛び上がってフライを唱える。
「ふん、また平民風情が……」
大剣を構えるアシュレーを見て、そう呟いた騎士だったが、油断無く剣を構える。口では平民などと蔑んでいるが、その力を甘く見ている訳では無い様だった。
「我が二つ名は『氷槍』!『氷槍』のリチャードだ!」
叫んだ騎士の前に、突如巨大な氷の槍が現れる。そして、間髪入れずにアシュレーへと向けて放たれた。
(防御、回避、どちらを選択してもこのサイズの氷の槍ならば体勢は崩すはず。その後はエア・スピアーで止めを刺す!)
心の内でそう算段を付けた敵。が、アシュレーの前ではそれは無意味だった。
「ふぅ……ハアァ!」
「な!?」
目を疑った。いくら大剣とはいえ、見るからに線の細い青年、恐らくスピードを武器とするタイプだろうと当たりを付けていた相手が、その一撃で目の前の氷の槍を両断したのだ。
「しまっ!?」
防御姿勢を取るがもう遅い。目前に迫ったアシュレーの一撃が、深々と男を切り裂いた。
「馬鹿……な……」
男が最後に見たのは、宙を舞う己の相棒の頭だった。
「バスターコレダーじゃ!」
マリアベルの声を耳に聞きながら、空間に降り注いだ雷の間を縫ってアシュレーが敵に追いすがる。
「シッ!」
短く気合を入れて放たれる斬撃が、僅かに高度を落とした竜の足を凪ぐ。
「ギャンッ!!」
悲鳴を上げる竜と体勢を崩した騎士。返す刀で切っ先を主人へと向け……発砲。
「ガッ!?」
一定のリズムを刻む、作業の様な戦い。圧倒的とも言える戦闘力を有する二人の戦いは、殆ど死角が無かった。
「バスターコレダーじゃ!」
再び叫ぶマリアベル。他人を狙うには他人を狙うにはやや斑が多く、竜を狙うには十分に密なそのレッドパワーは、マリアベルを中心にある種のテリトリーを作りだしていた。そして、そのテリトリーの中を唯一自在に走り回れるアシュレーの一撃は、雷に捕えられた竜騎士達では回避のしようが無かった。騎士達は必死に距離を取って魔法を撃つが、
「バリバリキャンセラーじゃ!」
「くそっ!またあの呪文か!」
見たことも無いマリアベルの呪文に、碌に手を出す事が出来ない。
「ははっ」
「ふふふ」
一瞬の視線の交叉。
「スカイツイスターじゃ!」
マリアベルが放った呪文が、直線状にいた騎士を無理矢理地上へと引きずり下ろす。
「な!?ながっ!!!?!?」
一瞬で距離を詰めたアシュレーの一撃が、兜ごとその頭を叩き割る。そして、すり抜け際に一閃。竜の首が宙に舞った。
(身体が……熱い……)
戦闘という、一種非日常的な空間に、全身の細胞が生き延びるためだけに泡立つ感覚。
(マリアベル……)
そして感じる、圧倒的なシンパシーとカタルシス。
どんな戦いであろうとも、決して立ち止まることの無い、決して振り返らないで居られる、そんな安心感。こんな感覚は、忘れてからもうどれくらい経っただろうか。しかし、その忘れていた感覚が、今ここに確かに存在していた。これが、これが『仲間』か!
(いける!)
漲った力が、溢れ出さんばかりの激情が、アシュレーの全身を駆け巡る。
「アクセラレイタァァァァ!!」
更なる加速を持って。
獅子奮迅の活躍を持って戦場を駆け回るアシュレーの後ろ、マリアベルはアシュレーとは逆に、冷静に戦況を分析していた。僅かに紅潮した頬と、しとどに濡れた額から、彼女もまた激情を必死に抑えている事が分かる。ただそれでも、役割は見失っていない。前衛で駆けまわるアシュレーが、自身へ戦況への判断を全て任せてくれた期待には応えなければいけない。
「むむ!」
建物の後ろ、そこから任務だけでもこなそうと考えたのかはたまた人質を取ろうとしたのか、気配を殺して近寄る騎士の姿。
「アシュレー!」
その声に、すぐさま反応したアシュレーだった。が、
カチン
その音が、戦場に妙に響いた。それは間違い無く、アシュレーのバイアネットの撃鉄の音。
「弾切れ!」
にわかに竜騎士達が活気づく。どうやら、アシュレーの武器の不調に、漸く勝機を見出したらしかった。
「くそっ」
小さく吐き捨てるマリアベルだったが、チラリと目を向けたアシュレーが頷いたのを見て、すぐさま詠唱をする。
「グレートブースター!」
光がアシュレーを包み、その戦闘能力を一瞬で大きく引き上げる。
「よしっ!」
一閃。
身体を大きく捻って、投擲姿勢に入るアシュレーその姿に、滑稽さを感じたのか、勝利と嘲りの笑みを浮かべる騎士達。だが、それはあまりにも不用意だった。
「い」
アシュレー・ウィンチェスターという人間を相手取るには、
「けえぇっ!!!!!!!!」
あまりにも不用意だった。
一条、伸びた鈍色の光の槍。そうとしか表現のしようの無い一撃が、タルブの空を舞って行く。それは宛ら、殺意を持った蛇の様でもあった。
―あり得ない―
騎士達の胸の内に最後に去来したものはこれだろう。投擲を行っただけの、ただ一人の人間の一撃が、空を裂き、仲間を貫き、そして自分目掛けて襲ってくるのだ。
「くそ……」
それを呟くのが、やっとだった。
投擲を終えたアシュレーが、「ふぅ……」と息を吐きながら額の汗を拭う。隣に寄って来たマリアベルも、既に戦気は霧散している。
「終わったの……」
差し出されたハンカチを礼を言って受け取ると、額の汗を拭いて折り畳んで返すアシュレー。
「うん、軍隊は少しずつ来ている様だし……後はアレか」
「うむ」
そう言って二人が見上げた先、そこには、一気の飛行物体があった。その飛行物体は、竜などとは比べ物にならないスピードでその間を縫い、時折聞こえる発砲音から、銃器でそれらを撃ち落としている事が分かる。
「竜騎士では、あのスピードの相手は難しいじゃろ」
そう呟いたマリアベル。が、それだけではどうしようもない相手がいるのもまた確かだった。
「あれは……」
ソレに気が付いたアシュレーは絶句する。まるで、その空に覆いを被せようとしているかの様な威圧感。その一艘だけが、まるで規格外。
「あれが旗艦じゃの」
マリアベルの断定に、アシュレーも頷くしかない。
「でも、あれは流石にあの飛行船じゃ」
そう言って、心配そうに見上げるアシュレー。確かに、今の今まで竜騎士達をきりきり舞いさせていたはずの飛行機が、攻めあぐねている。数度接近して発砲している様だったが、あまり効果は見られない様だった。
その様子を観察していたマリアベルだったが、王都がある方角から徐々に集まって来る兵士たちを見て、「ふむ」と頷いた。
「アシュレー。アークインパルスは?」
マリアベルの言葉に、ふと顔を上げて周囲を見回す。辺りにいるのはタルブの村人やトリステインの兵士達、中には先程戦っていた傭兵達の姿もある。そして、その瞳には僅かながらも希望の光が見て取れた。
それは、小さく弱い、縋る様な光だった。だが、それでも……
「少しだけ、希望を持っている……一発ならいけるはずだ」
「よし、竜骨を狙うぞ」
マリアベルの言葉に、アシュレーが頷いた。
タルブの草原には、小高い丘があった。広々としたタルブの草原。普段なら青葉の香りと共に長閑で勇壮な景色を胸に刻んでくれるその場所は、今は硝煙と噎せ返る様な血の臭いしかしない。
その草原の中心、恐らく旗艦と思われる巨大な船が唯一着艦できる場所その中心に、二人は立っていた。
「角度十プラス!」
ゴーグルを嵌めたマリアベルが叫ぶ隣で、アシュレーが静かに目を閉じる。
―どこ?―
進むは、内なる宇宙
―どれ?―
探すは、未来への剣
―だれ?―
掴むは、皆の心
―なぜ?―
見据えるは、明日への希望
―どうして?―
ただそこに……帰りたいから。
草原の中心に突如現れた強い光。
後にその光を見たものは、こう語る。
―希望の様であった―
と。
「射程距離まであと十!」
隣に立つ少女の声に耳を傾けるその姿、青の長髪、白の衣装。それは……『剣の英雄』!
「あと五!」
目を閉じ、感じ取る
「四!」
皆の希望を
「三!」
明日を生きたいという願いを
「二!」
大丈夫
「一!」
彼らは
「今じゃ!!」
「アークインパルスッ!!!!!」
ちゃんと戦っているから。
キラキラと、放たれた光。その光が真直ぐに、強大な敵へと伸びる。それは狙い違わずその急所を貫き、真直ぐに伸びていく。そして……爆砕した。
「は?」
「む?」
草原の中心で、アシュレーとマリアベルの二人は、そんな間抜けな声を上げた。アシュレーの『アークインパルス』は、あくまで個を狙う為の技だ。いくらロードブレイザーが巨大とはいえ、大量破壊兵器の様な爆破は必要ない。その上、現在集める事が出来た『希望』は、限りがあった。絶望的な状況下で僅かに見えた希望。それを無駄なく放つ為に、その弾筋を、かなり収束させていた。つまり、間違ってもあんな大爆発は起きないのだ。
「……」
「……」
「「今のはなんだったんだろう」」
視線を合わせた二人が出した最初の一声はそれだった。
しばらく固まっていた二人だったが、ふと見ると、下りて来た飛行機が祠の前に止まり、中から一人の少年が飛び出してくるのが分かる。そして、その姿を見て祠から同じく飛び出してくる黒い髪の少女、見間違うことは無い。シエスタだった。
駆け寄った二人が何かを叫び、互いにしっかりと抱き合う。その姿に、後からやって来た桃色の髪の少女が何やら叫んで少年を引っ叩く。何やら戦場にはそぐわない様な光景ではあるが、それは戦場よりも遥かに素敵な姿だった。
「ま、何か締まらぬが」
「一件落着……かな?」
そう言って、二人もまた盛大に笑うのだった。
◆
タルブ草原の戦争が起きて数日。村は今、再建の真っ最中だった。
戦争で焼かれた家々や、竜等の幻獣が着地した為に壊れた水路など、直さなければいけない物は、山積みだった。
「よいしょっと」
「「「「「「おお〜〜〜〜!!」」」」」」
その中心で、戦争前と同じような光景が広がっていた。本来なら家畜を使って持ち運ぶほどの量の木材を、一人で担ぎ上げるアシュレー。そして、その力に改めて感嘆の声を上げる村人達。更にその遠くには、明らかに戦争前よりも熱の籠った視線を送る村の娘達。そして、
「うぎぎぎぎ……」
その様子を、人が殺せそうな視線で睨むマリアベル。
仕方無いと言えば仕方無いのかもしれない。何せ、村の復興という力仕事の場となれば、必然的にアシュレーの独壇場だ。しかも、先の戦争で村人達が逃げ込んだ祠をたった一人で守り抜いたのだ。その上、貴族を相手に剣技と銃器という平民の武器のみでだ。その姿に、心を奪われるなと言う方が難しい。マリアベルの方も、周囲の人々の前で盛大に魔法を使ってしまったものの、命の恩人であることや流れ者である事もあってそこまで深くは突っ込まれなかった。
(ううう、アシュレーのニブチンがッ!)
内心で呟いては見るものの、彼女の懊悩は、まだしばらくは続きそうだった。
「こんな所にいたのか……相変わらずだなお前達は」
「アニエスか……」
マリアベルの後ろから、剣を持った短髪の女性がやって来た。先の戦争でアシュレーが危うい所を救った傭兵のアニエスだった。
先の戦争で、名を上げるために参戦したものの、実戦経験を積んだ竜騎士に手も足も出なかった彼女は、それを軽々と退けて見せたアシュレーとマリアベルに何かを感じ取ったらしく、しきりに二人に稽古を頼んで来た。村々の事もあって断っていたが、一番の理由は、その目の中に微かに感じ取れる凶の字だった。
どことなく、嘗てのカイーナと同じ臭いを感じ取った二人は、固辞して決して剣を抜かなかったが、それでも彼女は何かしら理由を付けては二人の元を訪れる様になった。
「今度はなんじゃ?」
振りかえらずに尋ねたマリアベルに、アニエスは無言で一つの封筒を放って来た。
「む?」
それを受け取ったマリアベルが首を傾げる。裏を返してみても、差出人の名前は書いていない。
「今度、王城で『銃士隊』という女王陛下直属の部隊が新設されることになった」
「……」
「性別は基本女性。皆平民の中から選ばれる」
「ふむ」
漸く振り返ったマリアベルに、「私も応募するつもりだ」とアニエスは告げる。
「好きにすればよかろ?」
「わらわ達には関係無い事じゃ」と付け足すマリアベルに、アニエスは首を横に振る。
「そうもいかん。私の様な木っ端傭兵ならともかく、お前達二人は絶対に必要とされるだろう」
「アシュレーは男じゃぞ?」
「だから『基本』と付けただろ?」
アニエスの言葉に、「ふぅ」と面倒臭そうにマリアベルは溜息を吐く。
「ま、こっちも事情があるからの。すっぽかせばいいだけじゃ」
そう言って肩をすくめたマリアベルに、アニエスはニヤリと笑みを浮かべる。
「残念だが、そうもいかん」
「む?」
その言葉に眉尻を上げるが、アニエスは一向に気にした様子は無い。
「便箋の中身を見てみろ」
そう言って、手の中にあるそれを指差す。
「……」
中にあるそれを開いてみると、丁寧な文体ではあるが『アルビオンと戦争をする。自分の部下になれ』といった内容の事が書いてあった。
「女王陛下直々の招聘だ。流石にすっぽかす訳にはいかないだろう」
そう言って、どこか満足げなアニエスから視線を外し、皆の中心で木材を担ぐアシュレーを見やる。遠くから、村人達の歓声が再び響く。その姿を目に、マリアベルはそっと便箋で口元を隠す。
(何やら、戦の臭いがする……)
安寧は遠く、争い事が並び立つ姿を幻視した。
ハイルマリアベル!←挨拶
作者のノヴィツキーです。いかがお過ごしでしょうか?
作者の方はぼちぼちと執筆頑張っております。
これも、主に燃料(感想)をくださった方々とオイル(拍手)を下さった方々のおかげです。本当にありがとうございます。
何度も読み返して脳汁ダクダク出しながら執筆しております。
連載週一ペース崩さないで五話までいけたら表紙を描いてもらうんだ(決意?)
セブンさん。誤字報告ありがとうございますm(_ _)m気を付けてはいるのですが、気付いた方に言っていただけると本当に助かります。
最近寒くなっていますが、皆さんも風邪などひかない様に気を付けて頑張ってください。
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