―手伝い請負始末人―

―此処の手猫の手赤子の手―

―王族狙う暗殺者―

―地下に潜む水の様―

―さてさてどうやって捕まえましょう―









Trinicore
#5










 朝食を終えたアシュレーとマリアベルは、『空の贈り物亭』を出ると、店主に教えてもらった、噂の裏の通りへ向かう事にした。

―――
――


『暗殺者ぁ?』

『はい。もしくはそれに準ずる、汚れ仕事を請け負う人が集まる様な所でいいんですが』

『あんたら、仇持ちかね?』

不審気な視線を向け、「面倒事は困る」というオーラを放つ店主に「いえ」と首を横に振って見せる。

『仇討を考えてはいませんし、そういう相手も居ません』

『店主に迷惑は掛けぬぞ?』

『そう言う奴は大抵迷惑を掛けるもんなんだがな……』

ぼりぼりと頭を掻きながら、困った様に顔を顰める店主だったが、しばらくアシュレーとマリアベルの表情を窺っているうちに、少なくとも二人の方は進んで面倒事を起こす気は無いという事が分かったのか、軽く溜息を吐いて、何やら記憶を引っ張り出す様に顎に手を当てる。

『リュティスはな、一応ハルケギニア最大の都市ってことにはなっている』

『ええ、それは肌で実感しています』

『ま、だろうな』

アシュレーの言葉に頷いた店主だったが、本題は別にあるらしく、『だがよ、』と続けた。

『光が大きけりゃあ、影も大きくなる。リュティスの裏社会のでかさは、やっぱりハルケギニア一なんだよな』

『ふむ』

『でだ、普通の奴は絶対にこの裏社会に触れる事は出来ねえんだが、それでも、何がしかの理由でそっち側に接触しようと思った場合の窓口がある。誰も口にしようとは考えんけどな』

『む?』

首を傾げるマリアベルに、店主は『考えてもみろ』と言う。

『そんな奴らと接触すりゃあ、王宮から目を付けられるかそいつらから骨の髄までしゃぶられるかのどっちかだ』

『少なくとも、二度と表通りで店を構える事は出来んね』と言って、店主は肩をすくめた。

『その場所は?』

『……』

アシュレーの質問に、店主は首を横に振る。

『正確な場所は分からねえ。色街なんかはやくざ者が仕切ってる場所だから、あまり深みに入りたくは無いんだが、奥の方には脛に傷を持った奴ばかりが集まる酒場があるっていう噂だがよ』

そう言って、店主は再び肩をすくめるのだった。


――
―――

「アシュレー」

「うん?」

店を出るのを待っていたマリアベルが、後ろで引き戸を閉めたアシュレーに手を差し出す。

「えっと」

「その、じゃな」

「うん……」

言い淀むマリアベルに、アシュレーも俄かに真剣な表情に成る。

「えっと、じゃな」

「うん」

「何というかの」

「うん」

なかなか言い出さないマリアベルに、アシュレーは首を傾げる。が、こういう時は無理に事を進めない方が良いという事くらいはアシュレーも知っていた。但し、それも時によりけりである。

「手を……繋がぬか?」

「うん。……うん?」

頷いた後に「あれ?」と首を傾げるアシュレー。対するマリアベルの方は、頬を赤く染めて顔を背けていたが、その返事を聞いた瞬間に、ポンッと音を立てて湯気を上げる。

「でででででわ、いいのじゃな!?」

「わっ!?」

言いながら、照れも入ってか少々乱暴にアシュレーの手を掴むマリアベル。だが、直ぐにハッとなって手の力を緩めた。

「その、痛く無いかの?」

「あはは、ちょっとびっくりはしたけど、それぐらいでどうにかなる程僕は柔じゃないよ」

「そ、そうか」

アシュレーの言葉に、ホッと胸を撫で下ろすマリアベル。

「じゃあ、そろそろ行こうか?」

「うむ、そうじゃの」

頷いて歩き出す二人。その手はしっかりと繋がっていた。




     ◆




 表の通りに出て数分、アシュレーは猛烈に羞恥心を覚えていた。原因は、

「む?あそこの衣服店、ちょっと見て見ぬか?」

既に任務の事等遠く彼方に忘れた感のある隣のマリアベル……ではなく、

―あら、あそこの二人―

―あらあら、微笑ましいわね―

その間にある、固く固く結ばれた手と、それを眺めて微笑ましげに話をする周囲の目だった。

(うう、恥ずかしい……)

アシュレー自身は、小さな女の子と手を繋いで街を歩く事は別に不慣れでは無かった。というか、娘がいたのだからそんな光景は日常茶飯事だった。が、ハッキリ言ってこの場合とは少々事情が違う。
 第一に、アシュレーとマリアベルの容姿の違いである。娘であったアルテイシアは、マリナ似ではあったものの、二人並んで見ればアシュレーの娘であるとすぐ分かる雰囲気をしていた。対するマリアベルはそれが無い。まあ、事実血縁的な意味では文字通り赤の他人であるため、その感想を抱かれないのは当然と言えば当然なのだが。但しその為に、手を繋いで歩いている様子を周囲から思いっきり注目されることになるのだ。ハッキリ言って、アシュレーの羞恥心はいろんな意味で限界だった。
 しかし、これはまだ良かった。いや、アシュレー的には割と一杯一杯だったのだが、もう一つの理由よりは許容出来た。
 アシュレーの羞恥心が、暴発しそうになった原因。それは、

―お?あそこに居る二人仲良いな。夫婦かね?―

―そうじゃないかしら。全く、妬けちゃうわね―

ハルケギニアとファルガイアの文化の違いからくる結婚適齢期の違いだった。
 ファルガイアの結婚適齢期は二十歳前後、大体アシュレーの外見くらいの年齢である。事実、アシュレーとマリナはそれくらいの年齢で結婚式を挙げていた。
 しかし、ここはファルガイアでは無く、異世界のハルケギニアなのである。食事も違えば衣服も違う。魔法も違えば科学も違い、言うまでも無く文化は全くの別物。そして、当然ながら結婚適齢期もファルガイアとは違っていた。
 フェルガイアに比べて、ハルケギニアは女性の結婚適齢期とされる年齢が全体的に早い。これは、政略結婚的な意味が多分に含まれているからであり、上は貴族の政治的な繋がりから、下は平民の労働力、もしくは奴隷や娼婦として売り出す為の種となる。また、戦乱が多い国や時代というものは、基本的に戦場に出る事となる男性優位の社会が出来上がる。ハルケギニアもその例に洩れず、男性優位社会。そして、女性の結婚適齢期が早かった。その結果、容姿はかなり別物である二人の男女が手を繋いで歩いていれば夫婦と取られ、年齢を言い訳にしようにもそれが出来ない状況が出来上がるのだ。
 マリアベルの事を憎からず思っており、また、少なからず彼女を女性として受け止める様になったはなったのだが、それはつい昨日の事である。ハッキリ言って、そんな直ぐに人は慣れる生き物では無い。

「ねえ、マリアベル」

「む?なんじゃ?」

アシュレーは、隣を歩くマリアベルに声を掛けた。返事をしたマリアベルは、首を傾げてアシュレーを見上げる。

「その」

「うむ」

「マリアベルは、恥ずかしく無い?」

困った様に零れ出たアシュレーの質問に、マリアベルは一瞬虚をつかれたような表情になったが、直ぐにクスリと笑みを零し、アシュレーの前に立ってその顔を覗き込むようにしながらちょっとだけ腰を折る。

「可笑しな事を言うのアシュレー」

「そんなに可笑しな事かな?」

困った様に首を傾げるアシュレーの様子に、再びクスリと笑みを零したマリアベルは、ほんのりと頬を桜色に染めながら笑う。まるで、小さな蕾がその花を精一杯に広げる瞬間の様な笑顔だった。

「恥ずかしいに決まっておるじゃろ。じゃが、それ以上にこうやってアシュレーと手を繋いだり、一緒に街を歩いたり……キスをしたり。それが嬉しくてたまらぬのじゃ!」

「!!」

少しだけ恥ずかしそうに、そして、それ以上に無邪気な喜びを見せるマリアベルの表情に一瞬魅入りそうになるアシュレー。

「じゃからの、ちょっとくらい恥ずかしい方が良い。その方が、いっぱい、いっぱいアシュレーといろんな事が出来じゃろ?」

そう言って、マリアベルは照れながらも元気良く微笑む。

「……」

そして、その返事を聞いて無言で困った様に頭を掻くアシュレーの顔もまた真っ赤になるのだった。ちなみに、

「「「「「おおー」」」」」

周囲の住人達は、何故かその二人を囲みながら感嘆の声を上げて拍手を贈ったりしている。最早任務どころでは無い事に二人が気付くのはその十数分後、二人だけの世界から帰還してからの事であった。




 しばらくして、漸く二人だけの世界から現実に返ってきた二人は、自分達が周囲の注目を一身に集めてしまっている事に気が付くと……逃げ出した。ちなみに、その際にアシュレーがアクセラレイターを使った為、ガリアの首都リュティスには『早朝の街を疾駆する双子の幽霊』という都市伝説が出来たトカ出来なかったトカ……

「さ、次はあそこの露天商を見てみるのじゃ」

「あはは」

 走りに走って数十分後、漸く人のあまりいない所まで逃げて来たばっかりであるにも拘らず、すぐに次の行動を取ろうとするマリアベルのバイタリティに苦笑するアシュレー。

(タウンメリアにいた頃のアーヴィングとアルテイシアを思い出……)

「ごめん、マリアベル、痛い痛い」

アシュレーから何かの気配を感じ取ったのだろう。ムスッと頬を膨らませてアシュレーの手の甲を抓るマリアベルに、アシュレーは直ぐに謝る。内心、幾度となく経験した女の勘の鋭さに冷や汗を垂らすアシュレー。対するマリアベルは、アシュレーの謝罪に直ぐに機嫌を戻し、ニコッと笑ってその手を引きながら露天商の方へと向かったのだった。

「御免!」

露天商の前に並べられた金属細工に、しゃがみ込んだマリアベルは機嫌良さそうに目をやる。

「いらっしゃい……」

無愛想な髭面の男性に「どうも」と小さく頭を下げるアシュレー。一方のマリアベルはというと、やはり彼女も一般的な女性同様に、こういった物には興味があるらしく、一つ一つ注意深く品定めをしている。
 店主の方は、客としてやってきた二人を兄妹として接客するべきか恋人同士として接客するべきか少し迷っている様子だった。

「のう、アシュレー。これなんて似合わぬか?」

そう言って、マリアベルが持ちあげたのは、透通る様な薄らと色付いたピンク色の石の填め込まれたイヤリングだった。

「うん、良く似合っていると思うけど。珍しいね、マリアベルってもっとハッキリした色が好きだと思ってた」

「それでいいの?」と尋ねるアシュレーに「うむ!」と嬉しそうに頷いたマリアベル。それを見て、アシュレーは懐から財布を取り出した。

「すみません、そのイヤリングいくらですか?」

「それなら、一つ1エキューと50スゥだよ」

「それじゃあ、ペアでください」

そう言いながら、アシュレーが4エキューを出す。チップ分を含めての金額を受け取った店主は、無言で、イヤリングを二つ包装し、アシュレーに差し出す。

「ああ、それともう一ついいですか?」

「何か?」

包装されたイヤリングを受け取りながら指を一本立てたアシュレーに、店主が不審げな表情を向ける。

「殺し屋を雇えるのはこの奥ですか?」

アシュレーの言葉に、一瞬沈黙する店主。対するマリアベルは何かに気が付いた様に頷いて緩やかに、しかし隙を見せずに立ち上がる。

「……」

「どうなんですか?」

ピンと張りつめた空気。周囲の喧騒から切り離された状況で、店主が口を開こうとする。

「あんたらにゃ……!?」

一瞬、拒否の言葉を吐こうとした店主だった。が、チラリと目に入ったアシュレーの足元をジッと見るうちに、その表情を驚愕に変える。慌ただしくアシュレーとマリアベルを見比べた店主だったが、直ぐに懐から出した紙に何やら書きつけると何も言わずにアシュレーに押し付ける様にして渡した。

「まいど!」

少しだけ、声を張り上げた店主に背を向け、直ぐ隣にある小路へとアシュレーとマリアベルの二人は入って行った。

「さっきの店主じゃが、やはり手かの?」

「うん」

小路を進みながらの、マリアベルの質問に、アシュレーは頷いた。
 先程の露天商の店主は、いわゆる裏社会と言われる者達の溜まり場への水先案内人であった。アシュレーがそれを一目で見破ったのは、他でも無い、その手である。
 分厚く所々豆を潰した様な手は、彫金師の手では無く、戦士の手だった。それに、

「香水の臭いも強かったしね」

「ふむ、色街帰りで朝からあの仕事をしておったのかの?ご苦労な事じゃのぅ……」

理由を口にするアシュレーと呆れたように呟くマリアベル。そして、二人が道を曲がった瞬間、そこにはまるで別世界とも言える空間が広がっていた。




 不夜城。眠らぬ場所をそう呼ぶらしいが、では朝に眠る街を何というのだろうか?彼らに無いのはむしろ朝ではないか?
 色街の方に入ると、そこには表通りとはまた違った微かな朝露の臭いと、それ以上にむわっと漂ってくる化粧や香水の臭い、そして、その中に紛れてやって来る淫靡な性臭がアシュレーとマリアベルの鼻を突いた。娼館と思しき店の前ではまだ子供の、見習いと思われる少女達が三々五々、打水や掃き掃除、拭き掃除等を行っていた。

「まあ、予想通りの光景というかの……」

ポリポリと頭を掻いて呟くマリアベル。どの様な世界にも裏と表があり、どの様な社会にも光と影がある。それは当然ファルガイアにも当てはまる事だし、娼婦や男娼もまた需要と供給が成り立っている以上は社会的に価値があるとも言えるのだが、だからと言って、積極的にその蓋を開けたいかと言えば、それはまた別問題だ。
 ふと見ると、店先で指示を出していた初老の女性がアシュレーを目に止めてチラリとスカートを僅かにたくし上げて見せる。一見、ただの管理人かとも思える年頃の女性だが、彼女もまた現役の娼婦だ。その他にも、数人のあぶれた女性達が興味ありげにアシュレーを見てヒソヒソと話をしている。

「むぅぅぅ」

その様子を見たマリアベルは、プクーッと頬を膨らませて、少々乱暴にアシュレーの手を取る。

「ほれ、アシュレー!さっさと行くのじゃ!!」

「うわっ、マリアベル!?」

「大体!」

ずんずんと裏路地を進むマリアベルに、戸惑った様に声を上げるアシュレー。そのアシュレーに、マリアベルが怒った様に声を荒げる。

「アシュレーは鈍感過ぎるのじゃ!」

「え、ええ!?」

寝耳に水。急に出てきた言葉に、アシュレーは困惑せざるを得ない。が、その反応はこの場合マリアベルの怒りの火に油を注ぐ効果しか無かった。

「気付いておらなんだかもしれぬがの!タルブの村ではお主は常に貞操を狙われておったのじゃぞ!」

「は?」

「ムキー!」と怒るマリアベルの言葉に、アシュレーは馬鹿みたいにポカンとするしか出来ない。

「いやいやいや、それは無いよ。僕はいっつも畑仕事を手伝っていただけだし」

「それこそ勘違いも甚だしいのじゃ!!」

 マリアベルとしては、漸く想いを遂げた大好きなアシュレーが、散々モテる事に気が付かず、いつ貞操を奪われるのか分からない現状に、気が気で無かった。

「17回じゃ」

「うん?」

マリアベルが急に取り出した数字に、心当たりの無いアシュレーは首を傾げた。

「お主がタルブに居る間に、寝室に村の女子が忍びこんで来た回数じゃ」

「……は?」

ポカンとするアシュレーに対し、「やはり気付いておらなんだか……」と溜息を吐くマリアベル。

「そも、ああいった農村地帯では、力が強いというのは単純にステータスじゃ。生物の本能としても、金銭面など打算的な意味でも女子は少なからず興味を示すじゃろう」

「まあ、そういうものなのかな?」

「第二に」

首を傾げるアシュレーをジトッとした目で見つめて、マリアベルは二本指を立てて見せる。

「あのタルブでの戦争じゃ」

「?あのタルブでの戦争がどうかしたの?」

良く分かっていない様子で再び首を傾げるアシュレーに、マリアベルは内心で、鳶に油揚げを掻っ攫われる前にこういった話をキチンとしておく機会があってよかったとホッとしていた。

「あのタルブの戦争で、お主は単騎でタルブの村を救った」

「いや、あの時はトリステインの軍隊もいたし、戦闘機もあったよ?それに、マリアベルも僕と一緒に戦ったじゃないか」

「確かにそうじゃがの」

アシュレーの言葉に首肯しつつも、マリアベルは否を出した。

「ああいった戦いの場に限らず、人が一番注目するのはやはり目の前で起きた事じゃ。そして、真にその身に迫る様に感じるのものう」

「ま、あの場合は特に己の命運が尽きそうな事を感じ取るからの」とマリアベルは付け足す。

「そして、言ってしまえば女子は男に、男は女子に目が行くのは、ごくごく自然な事じゃ。命の危険が迫れば生物は種を残そうとして、自然とそうなる」

「うーん、理屈は分かったけど、それってタルブの戦争の間だけの事じゃないの?」

やはり、自分が周囲から注目されるという感覚に慣れないアシュレーは、マリアベルの話にどこかまだピンと来ない様だった。

「普通ならの。じゃが、お主は最初の理由で元々あの村からある程度受け入れられておった。となれば、村の娘達にとっても、その親兄弟にとっても、お主を狙わぬ手は無いからの」

「うーん、『そんな理由で』って言うのは人それぞれだから変なんだろうけど。でも、そんな会ったばかりに近い相手を、そこまで好きになれるものなのかな?」

嘗ての妻が幼馴染のマリナで、現在の交際相手がやはり数百年前からの仲間であるマリアベルなアシュレーは、どうもその辺がまだ納得できていなかったようだった。

「ええい、お主は昔から時々頑固になるの」

アシュレーと向かい合ったマリアベルが、ピシッと人差し指をアシュレーに突き付ける。

「言ってしまえば幻想じゃ。月並みじゃが、お伽噺に出てくる、颯爽とした白馬の王子。しかも、ただの白馬の王子では無く、しっかりと実態を持っておる。女というものは、種を残す為に幻想を持ちつつも打算を忘れぬ。虚構を満たす像と、現実を満たす体を持つお主ならば、狙わぬ訳が無いじゃろうが」

マリアベルの、ハッキリした物言いに、困惑した様なアシュレー。

「幻想と打算の積み重ねも又、人の人たる所以じゃ。いや、女の女たる所以かの?」

対するマリアベルは、若干ではあるが警戒心を持った様子のアシュレーに、漸く安堵の溜息を吐いてそう締めくくったのだった。




 そうこうしているうちに、二人は裏通りの色街の突き当たり、汚れている上に外観もかなり古くなった酒場に来ていた。

「ここじゃの」

「酒場、『昏き理』……。うん、間違いなくここだね」

くすんだ看板を親指で擦りながらアシュレーが中を覗くと、そこでは外観に似合わない活気と熱気、そして、微かに漂う殺気があった。

「入ろうか」

「うむ」

俄かに真剣な表情になったアシュレーの言葉に、マリアベルも又頷いた。




 ドアを開けると、カランカランと軽いカウベルの鳴る音と共に、室内からムワッと異臭が漂ってくる。衣服に染みついた汚れと汗の臭い、かっ食らう焼けた肉と酒の臭い、煙くゆらす煙草と麻薬の臭い、そして、それらに混ざって漂う微かな血と性臭。ならず者の集まる場所というのは、こういう場所の事を言うのだろう。若干眉をひそめながら、アシュレーとマリアベルは店のカウンターに居る店主と思しき中年の小太りの男性の方に向かおうとする。

「「「「「……」」」」」

その様子をジッと見つめる男達、皆先程までの喧騒が嘘の様に口を噤む。
 その中心を歩くアシュレーとマリアベルを見てはいるが、男達は動こうとしなかった。否、正確には動こうとしている者達もいた。当然と言えば当然だろう。このような荒場は、ハッキリ言ってアシュレーの様な人の良さそうな青年や、マリアベルの様な身分が高そうな上に子供のしかも女が来るような場所では無い。仮に少しでも姿を見せれば、男は殺され、少女ならば身代金を強請られた後、楽しむかして売り飛ばされるのが落ちだろう。事実、入口付近に居る割と店内では年若い者達数名が食指を動かされた様に、アシュレー達にちょっかいを掛けようと席を立ち上がろうとしていた。が、そうは成らなかった。
 店内を改めて見渡すと気付くことだが、酒場の入り口付近には比較的新入りと見られる者が座っており、反対に奥になればなるほど、年嵩の者が増えていっていた。そして、実力もその席順にある程度比例しているらしい。カウンターに座っていた者達は、チラリと視界に入った二人を見て、電撃に打たれたかのように瞠目し、すぐさま銘々の武器を床に、あるいは壁に置き、戦闘の意志は無い事を無言で示して見せる。中ほどに居る者は、その様子に倣いつつも、どこか疑問を感じる視線でアシュレーを観察している。そして、入口付近の者は、皆一様に不満そうに一人の男に視線を送っていた。恐らく、年若のならず者達のまとめ役なのだろう。アシュレーが見る限り、その男だけはカウンター席の者達とほぼ同等の実力を持っているようだった。

(なんだか、物凄く警戒されているね……)

小声で溜息を吐くアシュレーに、マリアベルも互いにしか気付かない程度に肩をすくめてみせる。

(仕方無いじゃろ。いくらこの世界の荒くれ者達とはいえ、流石にアシュレーやわらわ相手ではこの人数でも十分は持たぬじゃろうからの)

(それに気付いている人がいたのがいいのか悪いのか……)

(厄介事を避ける事が出来たのじゃ。僥倖と思っておくぞ。でないと、四六時中気が沈む事になるからの)

ファルガイアにいた時も、二人とも何度か経験した事のある独特の居心地の悪さに揃って内心で溜息を吐くアシュレーとマリアベルだった。が、二人の軽い懊悩は、杞憂だった。

「おい」

いや、ある意味、不安の的中と言ってもいいのかもしれなかった。
 入口付近で、まとめ役と思われる男性に止められていた男達の中から一人、いかにもガラの悪そうな、鼻と唇にそれぞれリング状のピアスをした痩せた男が、噛み煙草をペッと床に吐き捨てながら挑む様な目でアシュレーを睨みつけていた。

「……えっと、何ですか?」

困った様に尋ね返すアシュレーに、男はせせら笑う様な表情を向けて立ち上がる。

「『何ですか?』だぁ?随分腑抜けてんじゃねーか。此処がどういう場所なのか、分かってんだろ?」

「はあ……」

曖昧に、というか、かなり困った様子で頷くアシュレーを、男の方は萎縮したと判断したのか、グッと意外に逞しい胸板を張り、威圧するようにニヤリと笑う。

「だったら話は早ええな。てめーみてえな腑抜けはさっさと置くもん置いて、尻尾を巻いて帰るこった!」

「ギャハハ!」と、品の無い哄笑をする男の前で、佇むアシュレー。そして、隣に立つマリアベルの額からは、ツツーッと冷や汗が流れた。
 ジッと黙ったままうんともすんとも言わないアシュレーに、男が不審に思いガンをくれながらズイッと顔を寄せる。

「どうした?怖くて動けなくなったか?」

「……」

「おいおい、こいつ大した事ねえじゃねえか!震えてやがんぜ!?」

見せしめにするかの様に、男がアシュレーを指差して酒場全体にぐるりと視線を向ける。入口に居る者は皆一様にその男と良く似た人の心に泥を塗る様な厭らしい笑みを浮かべ、中程に居る者は若干の不信感を持ってアシュレーと奥に居る者を見比べている。そして、奥に居る者達は、全員が呆れた様に溜息を吐いていた。

「えっと、もういいですか?」

スッと顔を上げたアシュレーが、微笑みながら首を傾げる。

「あ?」

男が、嘲笑を止めてアシュレーを見る。

「いえ、話は終わったのかなと思って聞いたんです」

一瞬、アシュレーが何を言ったのか分からなかった様子の男であったが、直ぐに表情を憤怒に歪めると、舌打ちをしてアシュレーの胸倉を掴みあげる。

「舐めてんのかテメェ!」

酒場内に緊張が走る。すわ荒事かと全員がチラリと自身の武器を確認するあたりは、ある意味、らしい光景であった。

「身ぐるみとそのガキ置いて失せろっつったんだよ!」

「……」

ジッと男を見つめるアシュレーに、とうとう丈夫で無い堪忍袋の緒が切れたのか、腰に差した血でくすんだナイフを引き抜き、アシュレーに突き付ける。

「ハッ、残念だな。テメーは俺を怒らせた。もう、許してやんねえ」

「……」

「おら!何か言ってみやがれっ!小便漏らしながら命乞いをしてみやがれっ!!!」

男の視界が暗転した。
 マリアベル・アーミティッジが知る限り、アシュレー・ウィンチェスターという青年は、基本的には一際善良且つ無害な人間である。恐らく、彼に触れた事のある人間の内、百人に尋ねれば九十九人くらいは同意するだろう。しかし、それは彼の本質の中の一部でしかないと言った時、理解出来る者が一体何人いるだろうか?恐らく、あまり多くは無いだろう。少なくとも、マリアベルが考える限り、同意する可能性がある人間はカノンだけだ。
 そう、アシュレーは、ただ無条件に優しいだけの善良な人間からは程遠い。むしろ、ただひたすらに優しい人間とは対極に位置するタイプの人間と言っていいとすら、マリアベルは思っている。

(駄目じゃの、あの男、完全にアシュレーを怒らせおった)

店の奥に居る者達と同じ様に溜息を吐きながら、マリアベルはやれやれと首を横に振った。マリアベルが考える限り、目の前に居る男の運命は大体決まっていた。

(冥福を祈ってやるとするかのぅ……)

諦めた様に肩をすくめるマリアベル。その視線の先で、一瞬、パンッと乾いた様な音が響いた。
 それは、一瞬の出来事だった。空気が破裂する様な音と共に、一瞬前までダラリと下に下げてあったアシュレーの効き腕が高々と上がっていた。

「……え?」

それは、一体誰の呟きだっただろうか?アシュレーの拳の一閃は、マリアベルの目にも刹那の光としてしか映らず、恐らく店内に居る者には、一瞬で絵が差し変わったかの様にしか見えなかっただろう。

「……」

ぐにゃりと折れた膝から、腰砕けに崩れ落ちる男。横倒しにドサリと頭が床に落ちると、その衝撃で口から赤い鮮血と白い歯が零れ落ちた。恐らく、あの一瞬の間に顎の骨が砕かれたのだろう。有り得ない形状に歪んだ下顎は、見る見る間に鬱血し、紫色に変色して行く。時折ビクンビクンと痙攣する男の眼は、焦点の定まらぬままアシュレーの足元をゆらゆらと眺めていた。

(これじゃ……)

男を厳しい表情で見つめるアシュレー。が、表情以上にその視線は厳しいなどと言う言葉では語れない程に燃え上がっているのが分かる。その視線、正に焔としか言い様の無いそれを見て、マリアベルは若干の恐怖と、それ以上の歓喜を感じていた。
 アシュレーの本質を簡単に言えば、『優しさと激情』である。『優しさ』については言うまでも無い。普段のアシュレーが大体マリアベル達に見せている姿なのだから。
 問題は、もう一つの本質、『激情』の方だった。
 アシュレーには、とある才能があった。それは、世界の破壊者にも救世主にもなれる才能である。
 強力な意志、断固とした決意、それらに隠れて普段は見えない『激情』は、複数名いた旧ARMSの結成の式典において、ロードブレイザーの依り代として選び抜かれる一因となった。そして、その意志は『欲望』のガーディアン・ルシエドに認められ、激発により、オーバーナイトブレイザーを覚醒するに至る。


そして、その全てが、ただ一人の女性、マリナ・アイリントンの為にだけ発せられたものだった……今までは。


マリアベルが内心で歓喜を感じていた理由はそれだった。
 アシュレーは『優しい』。だから、仲間が傷つけば悲しむし、敵によるものなら当然怒りも見せた。だが、『激情』だけは別だった。

―ヴィンスフェルトと―

―カイバーベルトコアと―

―あるいは、ロードブレイザーと―

この全ての時、アシュレーは怒り、悲しみ、戦った。しかし、そのどれもが『激情』に至る事は無かった。


―全ては、マリナの為に―


―それが、アシュレーの不文律だ―


―否、アシュレーの不文律“だった”―


自分がアシュレーを『激情』に奔らせる事が出来るという事に、アシュレーにとってそこまで大切な存在に成れたという事に、マリアベルは口では表せない歓喜を密かに感じていた。

「そういえば……」

と、そこでマリアベルはある事に気が付く。

「アシュレー、怒りを内に留められるようになったのじゃな」

彼と別れて数百年、自分しか知らないアシュレーの僅かな成長に、少しだけ優越感を感じたマリアベルだった。




 崩れ落ちた男の前で、ハッと我に返ったアシュレーは誰へともなしに「すみません」と頭を下げる。そこで漸く呪縛から解かれたゴロツキ達が、口々に「いや、気にしないでくれ」と言いながら、男を回収して行った。そして、直ぐに人の壁で見えなくなる。

「すまなかったな」

カウンターに座っていた、片目に傷のある壮年の男性がアシュレーに笑いかける。無駄に警戒した様子も無いが、かと言って気を許した様子も無かった。

「いえ、気になさらないでください。むしろ、こちらが謝らなければいけない位で」

『ぐえっ』

困った様に頭を下げるアシュレーに、傭兵団のリーダーらしき男性は首を横に振る。

「いや、そういう訳にもいかん。あいつは俺の傭兵団の新入りでな」

『ごほっ』

「はあ……」

『ぎゃっ』

「まあ、そちらのお嬢ちゃんにも悪い事をした」

『ぐふっ』

そう言いながら、マリアベルの方を向く男性。

「あいつには、しっかりと再教育しておくから、此処は矛を収めてもらえねぇか?」

『げはっ』

そう言って、リーダーは頭を下げた。その様子に、一度顔を見合わせたアシュレーとマリアベルだったが、直ぐに向き直ると二人ともコクリと頷いた。

「ええ、僕は特に何か言う事はありません」

『ぐぅ』

「わらわも、異存は無いのじゃ」

『おえぇぇ』

「そうか、そいつは良かった」

『ごへっ』

「ええ、ですから……」

「じゃからの……」

「「そろそろアレを……」」

 傭兵や殺し屋の様な裏稼業は、結束と規律は軍隊並みに厳しい。否、体罰的には軍隊以上かもしれない。その事実を垣間見て、流石に気分が悪くなったアシュレーとマリアベルが、若干顔を青くして先程の男を指差す。

「ん、そうかい?あんたらがそう言うなら。オイッ!そいつは摘まみ出しておけ!!」

「「「へいっ!」」」

入口付近にいた数名の男達によって担ぎ出された先程の男は、放り投げる様にして店から投げ捨てられ、そのまま、シンと静かになった。

「「……」」

唖然とする二人に、傭兵団のリーダーが隣にいた側近らしい二人の男に、さり気無く目配せをする。それに無言で頷いた二人が、スッと立ち上がって二人分の席を開けた。

「侘びと言っちゃあなんだが、此処は一杯おごらせてくれ」

「え、いや、そこまでして貰う訳には」

躊躇するアシュレーに、男性はニヤッと笑って見せる。

「これを受け取ってもらえんと、俺達は『まだ許されていないか』と思う事に成るんだがな?」

「……」

「……」

男の言葉に、顔を見合わせるアシュレーとマリアベル。

(どうしようか。このままいなくなると流石に悪い気がするし)

(恐らく、わらわ達の目的が聞きたいのじゃろう。先程、アシュレーが派手に暴れたからのぅ)

(それは言わないで……)

(うはははは)

先程の事を若干後悔しているのか、アシュレーが呻く様に頭を抱える。

(ま、あまり気にしなくてもいいじゃろ。聞いて来るのは、わらわ達の目的が関の山じゃろうし、仮に罠でもこれ位の相手ならば、本気を出せば五分は掛らんからの)

(はぁー……仕方無いか)

一瞬の間に会話を済ませた二人は、男性に向き直って同時に頷いた。

「それじゃあ」

「一杯馳走になるのじゃ」

そう言って、二人は席に座る。

「さ、好きなもんを頼んでくれ」

そう言ってメニューを差し出しながら、店主らしき気の弱そうな小太りの男性に「この二人に一杯ずつ、俺のおごりで」と声を掛ける。その言葉を聞きながしながら、メニューを見ていた二人は、同時に顔を上げて注文をする。

「カルーア・ミルクで」

「キッス・オブ・ファイアじゃ」

「「「「「ちょい待ち」」」」」

全員が突っ込んだ。

「?どうかしたんですか?」

「なんじゃ?騒々しいのぅ」

首を傾げるアシュレーと、せっかくの注文に横槍を入れられて不満そうな顔をするマリアベル。

「いや、あんた仮にもメイジ殺しだろ?よりにもよって何で女子供が飲む様な甘ったるいのから行くんだ?」

「他のカクテルがどんなものか分からなかったので」

「お嬢ちゃんも、いきなりそんな強い酒を飲んだら、成長が悪くなるぜ?」

「余計な御世話じゃ!!」

周囲の男を思いっ切り脱力させているアシュレーと、スッパコーン!と男の一人の頭を叩いたマリアベルの前に、店主がそれぞれのカクテルをコースターに乗せて置く。

「あ、それじゃあマリアベル」

「うむ」

「「乾杯っ!」」

カチンとグラスを合わせて、二人は同じ動作でカクテルに口を付けるのだった。

「なあ」

「あん?」

「人は見掛けによらねえな」

「だから馬鹿が一人騙されたんだろ」

そんな会話が後ろから聞こえてきたが、二人の耳には生憎と入らなかったようだった。




「一つ、聞きたい事があるんだが良いか?」

 アシュレーとマリアベルの二人の前にあるグラスが空に成りかけた頃、見計らったかのように傭兵団の団長が口を開いた。

「ふむ、何じゃ?ある程度の事までならば答えるぞ?」

それを予想していたマリアベルが、クルリとそちらを向いて腕と脚を組んで見下ろす様に団長を見る。その堂々たる威圧感に、若干冷や汗を垂らしながらも、団長は探りを入れる為に口を開いた。

「き、聞きたいのはな、あんたらが一体どんな目的を持ってこんな所へやって来たのかって事なんだ」

「ふむ?」

「言っちゃあなんだが、此処は裏通りにある酒場だ。当然集まる奴の中に真っ当な奴なんざいねぇ」

「じゃろうな」

頷いたマリアベルをペシッとアシュレーが叩いて窘める。頭をちょっと押さえながら口を尖らせるマリアベルを視線で押さえて、団長に続きを促した。

「あ、ああ。それでな、あんたらは明らかに俺達と違う」

「?そんなに違いますか?」

首を傾げるアシュレーに、団長は苦笑する。

「まあ……な。あんた等は見るからに身形が良いし、小奇麗だ。しかも、一目で分かる位、俺らと隔絶した実力を持っている」

「ほぅ、それ位は判断が付く様じゃの」

「そういう判断が付かねえ奴から死んでいく世界だからな」

団長の言葉に、少し感心した様な声を上げるマリアベル。対するアシュレーも、若干驚いている様子だった。この団長、先程までアシュレーとマリアベルに脅えた様子を見せていたが、既に肝が据わっているようだった。

「でだ」

団長が一息入れて、アシュレーとマリアベルをヒタと見据える。

「そこまでの腕を持っていて、且つ身形が良い。となるとあんた等は十中八九、騎士団に属している筈だが、そんなエリートがわざわざこんな裏通りに来る訳ゃあ無え。だとすると答えは一つ」

ピッと指を立てながら、団長が確信を込めた目で笑う。

「あんたら、噂に聞く『北花壇騎士団』なんじゃねえのか?」

「……」

「……」

「「何それ?」」

「……」

格好良く決めた筈の団長の後ろで、何故か空っ風が吹き抜けて行く様を幻視をした。
 「ごちそうさま」と言いながら、グラスを返すアシュレーに、団員の一人が近寄って来る。因みに、団長は先程の事がショックだったのか、足を抱えて壁に向かって何やらブツブツと呟いている。

「先程は失礼しました」

「いえ」

「それで、ですね」

「やはり気になるのかの?」

小首を傾げるマリアベルに、困った様にしながらも団員は頷いた。

「見ても分かる通り、この酒場は私達の仕事の受注場所も兼ねています。もし仮に、王家の手が入ったとなれば、拠点を変えなければいけません」

「ふむ」

「厄介事なら首を突っ込まない方がいいんでしょうが、組織としては知っておかない訳にはいかないんですよ」

肩をすくめた団員の前で、アシュレーとマリアベルの二人は、互いに互いの身形を確認する。

「むぅ、わらわ達の装備は、そんなに異質かの?」

「うーん、僕はそんな事無いと思うんだけどなぁ」

向かい合って首を傾げる二人に、団員は苦笑するしかない。

「身形服装は、まあ関係無いですよ。私達傭兵なんて、基本的に統一された装備は持っていないですしね」

そう説明した。団員はアシュレーとマリアベルを交互に指差しておどけるように笑う。

「変っているのは、そのオーラと言うか、雰囲気ですよ」

「「雰囲気?」」

やはり良く分かっていない二人に、団員は首肯して見せる。

「何と言いますか、御二方とも、明らかに堅気では無い。ですが、私達の様なはみ出し者とも違う。むしろ品の良い貴婦人の様とすら思えます」

「だから、あそこまで警戒したんですよ」と言って、団員は話を締めくくった。

「それでですね、先程の話を」

「やっぱりそれですか」

流石にこのやり取りにはアシュレーも苦笑せざるを得ない。

「まあ、どの道ここで聞く筈だったし。良いよね?マリアベル」

「わらわは構わんぞ」

マリアベルに確認を取ったアシュレーは、団員に向き直る。

「『地下水』という名をご存知ですか?」

「『地下水』ですか?それでしたら、噂を耳にした事くらいは」

「僕達の用事は、その『地下水』を拿捕する事です」

アシュレーの言葉に、室内が一気にざわつき出す。皆、『地下水』とやらが一体何をしたのかとヒソヒソと話し合っていた。

「静かに!」

目の前の団員が声を上げて、客達の会話を止める。そして、俄かに真剣な表情となって、アシュレーを見つめ返してくる。

「一つ、聞いてもよろしいですか?」

「ええ、構わないですけど」

「『地下水』は、一体何をやらかしたのですか?」

「その口調では、『地下水』とやらの事を知っているようじゃの」

団員の言葉にすぐさま反応したマリアベルに、その男は顔を顰めたが、渋々と言った感じで頷いた。

「ええ、暗殺者『地下水』とは既知の間柄です。何度か依頼を共にした事もありますよ」

頷いた団員が、不審気な視線を向けてくる。一方のマリアベルは、内心で「やはり暗殺者か……」と呟いていた。

「で、『地下水』は貴方達に一体何をしたのですか?」

警戒を全力で向けてくる相手に、マリアベルは肩をすくめる。

「何も」

「何も?」

「そう、何もじゃ」

「では一体、何故」

「僕達にも良く分からないんです」

アシュレーが引き継いだ。

「元々、この依頼は僕達の知り合いが受けたものだったんですが、その知り合いに、僕達もちょっと頼みごとをしたんです」

「要はダブルブッキングじゃな。わらわ達が『地下水』を追っているのは、いわば代理という事じゃ」

そう言って、締めくくったマリアベルを前に、黙考していた団員だったが、諦めた様に溜息を吐く。

「その友人が北花壇騎士団である可能性は?」

「お主も団長の様に考えておるのかの?」

「茶化さないでください」

少し怒った様子の団員に「ふむ……」と考え込むマリアベル。但し、答えはすぐに出た様で、二秒もしないうちに再び顔を上げる。

「北花壇騎士団とやらは寡聞にして知らぬが、わらわ達に依頼をした者は、ある程度そちらとも繋がっておるじゃろうな」

「そうですか」

頷いて、少し考えた団員は、数秒後、スッと顔を上げて口を開いた。

「私が知る限り『地下水』は、女性の暗殺者でした」

そして、そんな事を口にした。
 団員の言葉に、再びざわめく店内だったが、それを置いておいてアシュレーとマリアベルは話を続ける。

「何故、そんな事を?」

「一度だけ、彼女が依頼を受ける所を見た事があるんです」

酒で口を湿らせながら、彼はそんな言葉を漏らした。

「いつもフードを被っていたので、容姿に関しては分かりませんが」

「確かですか?」

アシュレーの確認に、「ええ、確かです」と男は頷いた。その様子をじっと観察していたマリアベルに、アシュレーはそっと目配せをする。

(どう思う?)

(恐らく、嘘は吐いておらんじゃろう)

(さっきの葛藤は?)

(恐らくじゃが、傭兵団とならず者としての掟を天秤に掛けたのじゃろうな。その上で、話すと決めたのじゃ。嘘とは思えぬ)

マリアベルの言葉に、頷いたアシュレーは男の方を向き直って礼を言う。

「ありがとうございました。参考に成りました」

「いえ……」

首を横に振る男に、アシュレーの後ろからマリアベルが声を掛ける。

「ところでじゃ、もう一つ良いかの?」

「?まだ何か……?」

「そう警戒するで無い。別にお主らを取って喰おうなどとは考えておらぬのじゃ」

「はあ……」

「うははは」と笑うマリアベルに、どう反応を返すべきなのか困った様子の男であったが、不審そうにしながらも落ち着いてマリアベルを見返す。

「この国にも、裏の情報屋の様なものがあるじゃろう?」

「そりゃあ、まあ」

「お主らが知っておる情報屋、出来る限り教えてもらえぬかの?」

「それは……」

再び顔を顰める男性。当然と言えば当然だ。裏稼業では、情報を握られたらイコールで命を握られたと同じ意味だ。

「何、別にお主らの傭兵団の胆となる様な情報屋まで教えろとは言わん。むしろ、質よりも数じゃ。二流三流でも良い。駆け出しでも構わん。とにかく数を教えて欲しい」

「良いんですか?」

流石に意図が読めなくなったのか首を傾げるが、マリアベルは「構わぬよ」と頷いて見せる。

「それでしたら……」

漸く納得したのか、傭兵団の男達は、質は悪目ではあるが、数多くの情報屋の名前を上げたのだった。




「ふむ、これで全てかの?」

 メモ帳に、男達から聞いた情報屋の名前を纏め上げたマリアベルが、コツコツとペンの尻で米神を押さえながらメモを仕舞う。

「助かりました。礼を言います」

「いえ、私達は良いんですが……」

団員が首を傾げる。

「ですが良かったんですか?言ってはなんですが、今名前を上げた情報屋はどれもこれも、余り腕が良いとは言えませんよ?」

「構わん構わん。むしろ十分過ぎる位じゃ」

そう言いながら、ピョンッと席を立つマリアベル。

「それでは貰って行くぞ」

「どうもありがとうございました」

礼を言うアシュレーに「いえいえ」と手を振る団員達を背に、二人は店を出たのだった。
 店を出るとすぐ、アシュレーはマリアベルに声を掛ける。

「それで?」

「む?」

「実際の所、役に立ちそうなのかなって」

「ふむ……」

アシュレーの言葉に、少し考え込むマリアベル。

「情報屋としては、恐らく役に立たないじゃろうな」

「じゃあ、それ以外では?」

「そちらも五分五分じゃろう」

取り出したメモ書きを、上から順番になぞっていくマリアベル。

「まあ、これだけの範囲で喧伝すれば、どれか一つくらいは『地下水』の耳にも入るじゃろう」

「囮ってわけか」

「うむ、そして同時に蜘蛛の糸でもある」

ニヤッとあくどい笑みを浮かべるマリアベルに苦笑しつつも、アシュレーは納得した様に頷いた。

「姿を見せぬ暗殺者……ならばその姿を見える様にすれば良い」

「成程」

頷いたアシュレーと二人、並んで歩きだした。




「くそっ!!」

 ガシャンと音が鳴り、裏路地に金属がぶつかる様な耳障りな音が鳴り響く。打ち捨てられたのであろう錆びた金属食器を蹴り飛ばしたのは、先刻酒場『昏き理』から追い出された年の若いゴロツキだった。

「くそっ!くそっくそっくそっ!畜生!!」

「ワンッワンッ!」

「うるせぇっ!!!」

「キャインッ!?」

腰に差していたナイフを引き抜き、吠えかかって来る野良犬に向かって振り下ろす。腹を切りつけられた犬は、悲鳴を一つ上げると血を撒き散らしながら逃げて行った。
 その光景を見て若干溜飲が下がった男は、ナイフを鞘に収めながらボソリと呟く。

「あいつら、絶対に殺してやる……」

そこまで言って、ふと気付いて考え直す。

「いや、ガキの方は味見してからの方がいいな」

殺すのはその後でも構わない。滅多に味わえないであろう貴族風。それも、そんじょそこらの貴族よりも遥かに美しい容姿。普段虐げられている自分達の恨み辛みを思い知らせてやる良い機会だとばかりに征服欲と性欲を滾らせて、ニタリと笑って舌なめずりをする男。と、

「ほう、なら手伝ってやろうか?」

「あん?」

後ろから、女の声が掛けられた。
 男が振り返った先にいたのは、襤褸切れのフードを目深に被った人間だった。

「誰だテメェ!」

声から女だと分かるものの、顔を窺うことすら出来ない相手に、苛立ったような声を上げる男。

「私は『地下水』。まあ、一応あんたとは同業者さ」

「『地下水』だと?」

男がピタリと動きを止める。新入りではあったが、男も又『地下水』の名は耳にした事があったのだ。

「……その地下水様が何の用だ?」

不審気に相手を見ながら腰を落とし、いつでも尻に帆を掛けて逃げられるように準備する。

「何、あんたにちょっと手を貸してあげようと思ってねぇ」

「何?」

その言葉に、男が若干警戒を解く。

「二人に復讐をしたいんだろう?」

女の言葉に、気を引かれたのか「ああ」と男は頷く。

「だが、何でそんな事知ってやがる」

「あの騒ぎの時、私も酒場のすぐ外に居てねぇ」

その言葉に一旦納得した様に男は頷く。

「だが、一つだけ教えてくれ。あんた、何で手を貸そうだなんて」

そして、それだけが気になって首を傾げた。

「何、私みたいな暗殺者にとって、周りを嗅ぎ回る犬程鬱陶しいものは無いからねぇ。それに……」

女は言いながらスッと男との間合いを詰めた。

「あんた、なかなか良い男じゃないか。一肌脱いでやりたくなる位に」

「お、おお」

耳元でボソリと囁かれ、その甘い臭いに鼻の下を伸ばす男。その顔をチラリと視界に捉えながら、女は男の袖を引く。

「どうだい?」

「……いいじゃねぇか」

男は即断した。

「ふふ、決まりだねぇ。そうだ、ちょっと早いが、色街へとしけこもうじゃないか」

「へへっ、ついてねぇと思ったが、なかなか良い役が回って来たな」

表情の窺えない女と、ニヤケ面の男は、腕を組んで色街へと向かって行った。




―夜―
 リュティスにある、余り金のかからない情報屋を粗方回りつくした二人は、今日の所は捜査を打ち切って、『空の贈り物亭』へと向かっていた。

「手掛かりらしい手掛かりは無かったね」

「ま、始めからそちらはあまり期待してはおらぬがの。ふぁ〜……ふみゅ」

「大丈夫?」

「む、実は昨日、ちょっと寝付けなくての」

可愛らしく欠伸を漏らすマリアベルに、アシュレーが首を傾げる。

「……」

マリアベルが何を意図してその言葉を口にしたのか気が付いて、思わず赤面するアシュレー。その様子を見て、マリアベルは機嫌良さそうに「むほほ」と笑みを漏らした。

「のう、アシュレー」

「……何?」

ニヤーッと猫の様な笑みを浮かべるマリアベルに、何となく嫌な予感を感じるアシュレー。しかし、だからと言って、マリアベルが行動を止めてくれる訳も無い。

「どうじゃ、今日は一緒に風呂に入らぬか?」

出てきた言葉に、頭を抱えるアシュレー。しかし、その顔は既に耳まで真っ赤だった。

「嫌か?」

品を作って涙目になるマリアベル。普段ならば、素直に可愛いと思うだろうが、その片方の手にはしっかりと眼薬が握られていた。しかも、明らかに目が笑っている。但し、どっちが擬態かは別だった。

「そうだね」

「うにゃ!?」

急に頭に手を乗せられた事で、ポンッと湯気を立てるマリアベル。

「今日は一緒にお風呂に入ろうか」

「……」

「……どうしたの?」

何も言わないマリアベルに、首を傾げるアシュレー。対するマリアベルは、完全に茹蛸状態だった。

「……アシュレーはずるいのじゃ」

「ん〜?何が〜?」

すっとぼけるアシュレーに、マリアベルは悔しそうに頬を膨らます。

「うう〜、今に見ておれ」

そうは言ったが、その瞳はどこまでも嬉しそうに笑っていたのだった。

「!?」

 それは一瞬だった。ボウッという発火音と共に、人の上半身程のサイズの火球が一直線にアシュレーとマリアベルに向かって放たれた。
 瞬間的に反応したアシュレーが、咄嗟の判断でマリアベルを押し倒す。同時に、マリアベルも地面に倒れ込みながら、ロックゲイザーを放った。

「……」

「……逃がしたか」

瞬間的に衝撃音などはしたものの、直ぐにしんと静まり返った通りを見て、マリアベルが呟く。意識を向けて探ってみたものの、敵の気配は既に無かった。緊張した体を緩ませて、溜息を吐くマリアベル。

「どうやら、向こうからはわらわ達が良く見えているらしいの……」

「そうだね」

マリアベルの呟きに、同意するアシュレー。

「っと、マリアベル、大丈夫?」

「大丈夫じゃ。アシュレーが助けてくれたからの」

そう言って微笑むマリアベル。が、直ぐに恥ずかしそうに、モジモジと顔を赤らめる。

「?どうしたの?」

マリアベルの反応に首を傾げるアシュレー。

「その……」

「うん」

「いい加減、この体勢は恥ずかしいのじゃが……」

「……あ」

さっきの襲撃の際にマリアベルを押し倒したまま、ずっと彼女に覆いかぶさる様な体勢だった。漸く、マリアベルの反応の原因に気が付いたアシュレーは、慌ててマリアベルの上から飛び退いた。

「ご、ごめん!」

その場で土下座を決めるアシュレーの前で、マリアベルはペタペタと体を触って身形を整える。

「いや、別にそこまで怒ってはおらぬが……」

そろそろと顔を上げたアシュレーに、マリアベルはちょっと照れたような表情ではにかんで見せる。

「まだ、ドキドキは止まっておらぬがの」

「……ぷっ」

思わず、どちらとも無く笑い出したアシュレーとマリアベル。笑いやんだ頃にはすっかり夜も更けていて、慌てて二人で『空の贈り物亭』へと駆け込むのだった。




     ◆




 翌朝、アシュレーとマリアベルの二人は、昨日と同じ『昏き理』へとやって来ていた。無論、酒を楽しむためなどでは無い。

「たのもーう!!!!」

「……何してるの?」

「む?何じゃ何じゃ、乗りが悪いぞアシュレー」

呆れたように、ジトッとした目で見てくるアシュレーに、口を尖らすマリアベル。その正面では、昨日の傭兵団の人間が、固まったままアシュレーとマリアベルを見ていた。
 数分後、漸く復活した傭兵達の中から、昨日の団員と、一日時間をおいて復活した団長が出て来た。

「御二方とも、今日はどうしたのですか?」

そう切り出した団員は、あまり警戒はしていない風だった。

「昨日、恐らく件の『地下水』に襲撃されての」

但し、マリアベルのこの言葉を聞くまでである。
 マリアベルの言葉を聞いた瞬間の室内の反応は凄まじかった。絶句するに者に留まらず、息を飲む者、悲鳴を漏らす者、はたまた武器を取って逃げ出そうとする者もいた。

「待って下さい!僕達は皆さんに危害を加える気はありません!」

混乱の中でアシュレーが叫んだ。その言葉に、ピタリと全員が動きを止める。
 その様子を目で追っていたマリアベルは、アシュレーから視線を外して、改めて団長と向き直る。

「それで、一体何の用だ?」

「話が早くて助かるの」

疲れた様に尋ねる団長に、マリアベルは「ふむ」と一つ呟いて口を開く。

「簡潔に言う。逃げ足が速い者を一人借り受けたい」

「それで何をするんだ?」

「リュティスにある昨日の情報屋を回ってもらいます」

アシュレーの言葉に、団長と団員がそれぞれ顔を見合わせる。

「昨日、あんた等はリュティスにある情報屋を回ったんだろ?」

「それで情報が出てこないなら、流石にそのレベルの情報屋だけでは情報は手に入らないと思いますが」

「知っています。ですが、目的はそっちではありません」

首を傾げる団員と団長の言葉を、アシュレーは否定する様に首を振る。

「ふむぅ……?」

「金は、これだけ準備した」

マリアベルがドサリとテーブルの上に置いた麻袋一杯から零れ落ちた金貨に、場は一瞬にして熱を帯びる。が、それは明らかに下っ端だけで、幹部と思われる人間は逆に警戒心を強めた様だった。

「何故、此処まで金を出す気になる?相手はたかが暗殺者一人だぜ?」

「凄腕の、と前に付くじゃろ?」

「それでもさ」

団長は重ねて言った。

「凄腕だろうと暗殺者一人。そんなものの為に此処まで大量の金を出すとはどうしても思えねぇ」

「……」

同意する様に頷く部下。その様子を見て、諦めた様にアシュレーとマリアベルは肩をすくめる。

「そうですか。残念です」

「悪いな」

「今回は縁が無かったという事で」

頭を下げる部下を後ろに、アシュレーとマリアベルは店を後にしたのだった。




 店を出た二人は、しばらくの間考え込む様に無言で色街を抜けて行った。

「断られちゃったね」

「うむ」

案の定、二人の表情は思わしく無かった。
 今日の依頼で、二人は傭兵団の人間に、囮を頼むつもりだった。
 昨日の今日で、二人の依頼を受けてもらえるかは五分五分であったが、アシュレーとマリアベルが回った情報屋を回る者が、昨日の傭兵団の中から出れば、ほぼ確実に『地下水』は自分達と関連付ける筈だった。

「仕方ないの。やはりわらわ達の足で虱潰しに探すしかないか」

「しょうがないね」

が、それも出来なくなった今、結局方法はそれしか残っていなかった。

「まあ、特に期日が決まった依頼では無かったからの」

「あの〜」

「「ん?」」

「どうも、へへへ」

「「……」」

話している最中に急に声を掛けられた為、二人が振り返った先にいたのは、先日アシュレーがのした傭兵団の男だった。その男が、露骨に媚を売ったニヤケ笑いを浮かべて揉み手をしている。

「……」

「……」

「へへへ……」

「……何か用事ですか?」

あからさまに嫌な顔をしたにも拘らず、一向にどこかへ行く気配の無い男に、不審に思いつつもアシュレーは声を掛けた。

「いえね、実は、昨日の事を謝ろうと思いまして」

「……」

胡散臭い男の言葉に、不機嫌そうな表情を隠そうとしないで、マリアベルが睨みつける。

「昨日の今日で、それは流石にちょっと……」

難色を示すアシュレーに、男は大げさな身振りで首を横に振る。

「昨日の事は明らかに私が悪うございました。酔った勢いだったとはいえ、御二人には不快な思いをさせてしまいました。許してくれとは言いません。ですが、誠意だけは見て欲しいと思いまして。この通り」

そう言って、男はガバッとその場で土下座をしてみせた。その様子に、流石に慌てるアシュレーとマリアベル。何せ此処は裏通りなどでは無く、リュティスの表通りなのだ。そんな所で土下座などされては、悪目立ちしてしまうことこの上ない。二人共ただでさえ、トリステインでは指名手配犯になってしまっているのだ。その事に後悔など無いが、かと言って本来の目的の妨げになるような事態は避けたいというのも本音であった。

「か、顔を上げてください!」

アシュレーが慌てて声を掛けるが、相手の男はお構いなしに土下座を続けている。
 しばらくの間そうしてまごついていると、徐々に衆目を集めるようになってしまっていた。

「ええい、分かった分かった!お主の謝罪を受け入れよう!」

流石にまずいと感じたマリアベルが、叫ぶ様にして男の謝罪を受け入れる。

「だから、顔を上げるのじゃ!」

マリアベルの言葉に、男はゆっくりと顔を上げ、

「じゃあ、さっきの酒場での依頼、俺にやらせてもらえませんか?」

ニヤリと笑いながら開口一番、そう口にした。

「「!?」」

その一言を聞いた瞬間、アシュレーとマリアベルはピタリと固まった。そして、

「分かりました」

「その話、乗ろう」

何事も無かったかの様に、首肯したのだった。




 それが、今朝あった出来事だった。その後、男と報酬の話をした二人は、直ぐに依頼に取りかかってもらうことにした。

「まあ、十中八九罠じゃろうがの……」

ポツリと呟いたマリアベルに、アシュレーも無言で首肯した。視線の先には先程の男がおり、周囲を警戒する素振りで人気の無い裏通りを歩いていた。
 男と契約をしてから既に半日以上。日はとうに落ち、辺りはすっかり暗くなっていた。そして、前を行く男をジッと見る二人は、静かに獲物を待つ狩人の様な表情で敵の腹に潜り込むのを待っている。
 男が今回の依頼を受けると言って来た瞬間、二人はほぼ同時に、何故男が自分達に改めて謝罪をして来たのか、何故自分達の前に出て来たのかを察した。

「しかし、待たせる事半日以上か……『地下水』はまだ近くに居ないみたいだし、長期戦を覚悟しておいた方がいいのかな?」

二人が付けた予想。それは、何らかの方法でアシュレーとマリアベルの事を知った『地下水』が、あの男に接触、もしくは洗脳を施し、二人に対する撒餌としたというものだった。始めの男のあからさまな態度から、若干判断に迷ったものの、その時はその時。どちらにしても、リュティスで自分に関する情報を掻き集めている者が現れれば、暗殺者である『地下水』が放置しておく筈が無かった。

「と、思わせておいて、わらわ達の気が緩むのを待っているのかもしれん。どちらにしても油断は禁物じゃ」

「うん」

真剣な表情で、そう口にするマリアベルに、アシュレーも同意の首肯を返した。
 数分後、アシュレー達が昨日の傭兵団から聞いた最後の情報屋を男が後にした。その間、外から男を待っていたが、何かしらの行動を起こす気配も、『地下水』が襲ってくる気配も無かった。

「くちゅん」

「……今日は、仕掛けてこないのかな?」

アシュレーがそっと自分のマントでマリアベルを包み込む。アシュレーの臭いに包まれたマリアベルは赤面しながらも真剣な目で先を行く男の背中を見詰めた。
 相手が暗殺者である事を考えれば、仕掛けてこないという事は無い筈だが、アシュレー達の持つ大金を見て、絞り取れるだけ絞り取ろうという算段の可能性もあった。

「ふむ……!?」

同じ考えを抱いたマリアベルが首肯した瞬間、それは突然に訪れた。闇の中をスタスタと歩く男の背のみが動くその場に、粘つく様な濃密な殺気が二人に絡みついたのだ。

「どうやら、いつでも良い様じゃの……」

「うん……」

言いながら、ダラリと両手を下げてマントから出るマリアベル。その重心は先程よりも幾分低く、僅かな距離ではあるが、一瞬で移動が出来る体勢を取る。アシュレーはアシュレーで一つ息を吐くと、体をリラックスさせて無造作にシューティングスターのグリップを握る。レッドキャップの様に先を行く男の背を注視する二人は、一歩、また一歩と歩を進めるごとにその神経を鋭くとがらせ、歩みを小さく、疾く、鋭くしていく。そして、

「消えた!」

男が、通りの角で裏道へと逸れた。それに反応した二人は、すぐさま距離を詰める為に走り出す。
 じっとりと纏わり付く殺気は、一層その粘つきを増している。いつ、どこでどう来るのか一瞬一瞬に気を張りながら、アシュレーとマリアベルは裏路地への角を曲がる。

「ウル・カーノ!」

二人が見たのは、自分達に向かって放たれた人半身程の火球だった。

「ぎゃはは!やってやったぜ!!」

「シッ!」

「!?」

不意打ちの成功を確信した男の哄笑が響き渡る。が、その虚栄は一瞬の事だった。短く放たれた裂帛の気合と、間を置かずに訪れた金属同士がぶつかり合う高い音。次の瞬間、男の炎は嘘のように掻き消え、後に残ったのは焼けた鉄の上を歩いている様なひり付く殺気だけだった。




 男の炎が放たれた瞬間、マリアベルの目に自分とアシュレーの間に落ちるもう一つの影が映った。

「アシュレー!」

ゴウッという発火音に邪魔されながらも、その声はアシュレーの耳にしっかり届いていた。

「シッ」

刹那、斬り上げたアシュレーのバイアネットが捕えたのは、上からアシュレーの首を狙うマントの人影だった。

キンッ

通り、金属音が響き渡る。振り抜かれたアシュレーの斬撃をナイフで受け止めた影だったが、火球を凪いだ風で吹き消す程の一撃に危険を感じたのか、着地すると同時に舌打ちをして、逃げの一手を打とうとする。

「させぬっ!」

だが、そうはいかなかった。
 影が裏路地から出ようとするよりも一瞬早く放たれたマリアベルのレッドパワー。その一撃が、一瞬だけ影の行動を阻害する。

「アシュレー!」

「ハァッ!!」

後ろから走り寄っていたアシュレーが跳躍する。肩に担ぎ上げる様にして構えたバイアネットを、跳躍と共に前方に回転しながら叩きつける。その一撃は辛うじて受け止めた影だったが、人一人分の回転の衝撃に、弾かれる様に後ろへと飛び退る。そして、

「!?」

影は、漸く自分が相手の腹に収められてしまった事に気が付いた。前方に立つアシュレー、後方に立つマリアベル。鼠どころか霞すら付け入る隙は無かった。
 慌ただしく周囲を見回す影。

「逃げられぬぞ?」

その動きを油断無く注視しながら、マリアベルはアカとアオを浮かべる。

「お主が『地下水』じゃな?」

「フン……」

マリアベルの確認を鼻で笑う影。しかし、その反応から見るにどうやら当たりだったようだ。

「お主が逃げようとしてもわらわが捕える。先程、逃げられぬ事は理解したじゃろう?」

マリアベルの言葉に、影は笑みを消して、すかさず呪文を唱える

「イル・フル・デラ・ソル・ウィンデ」

呪文を唱え終わると同時に、影の身体がフワリと浮き上がる。その声は若い女のもので、どこか粗野な感じを抱かせる発音だった。チラリと目に入ったルージュの引かれた紅い唇が、挑発する様に歪められるのが月明かりに映る。しかし、

「無駄じゃ」

「!?」

マリアベルが言い放った瞬間、影は突然自身を覆った影に咄嗟にナイフを振るう。
 ガキン!と鈍い音がして、影は再び地面に叩きつけられる。女の魔力を超える物理力で叩きつけられた一撃。その一撃を放った張本人、アシュレーは着地するとすぐさま間合いを切り、油断無くバイアネットを抱え込む様にして中段に構え直す。一瞬、間合いを切る直前にアシュレーの足があった場所を銀色の光が凪ぐ。しかし、捕えられなかった事を知った女は、また舌打ちをしながら立ち上がると、大きく息を吐き出しながらナイフを構えて、ジッと隙を窺う様に姿勢を低くした。

「……」

ナイフを脇に構え、一瞬で間合いを詰める体勢の影を見て、アシュレーは向けていた剣先を逸らし、スッと自身の脇に落とし込む。さながら、敵を必殺の間合いに入れた狼の尾が一直線に伸び、その牙を今にも獲物の首筋に突き立てようとしている様であった。

「……」

「……」

耳が痛くなる様な無言の中、両者は申し合せた様に、ジワリ、ジワリと数センチ、数ミリと間合いを詰める。

(後、10センチ……)

ジッと相手の目を見ながら意識を相手の足に集中させる。

(5……4……)

まだ、僅かに遠い。

(3……2……)

敵もまた、一瞬が近い事に気が付いたのだろう。粘り付く様な体勢を更に低いものへとしていき、地面に蹲る様な一種異様な体勢でアシュレーを見ている。

(1……)

「痴れ者がっ!!!」

「!!」

響き渡った爆音、それに反応した二人は、弾かれた様に互いの間合いを詰めた。
 影の繰り出すナイフは一筋の閃光とも見紛う尾を伸ばしながらアシュレーの心臓に喰らい付かんと肉薄する。しかし、

「!?」

『異常』。そんな言葉がピタリと当てはまるだろう。最短距離を一直線に突き進んだ銀色の蛇に対し、振り抜かれた狼の尾は遥かに大回りをしていた。だが、そんな事は些細な事だったのかもしれない。少なくとも、

「シイィッ!!!!!」

「があっ!?」

アシュレー・ウィンチェスターにとっては……。
 ボキリと鈍い音が響き渡る。峰で殴り付けたため、切り落とされる事は無かったが、女の腕は最早使い物にならない筈だった。が、

「それが、欲しかったのさ!」

アシュレーのバイアネットが下から斬り上げる様に叩きつけられた瞬間、女はその質量に吹き飛ばされる反動に合わせて、バイアネットを蹴りつける様にして大きく跳躍した。

「残念だったね!だが、私の勝ちだっ!」

捨て科白。挑発する様にそれを吐いた女は勝利を確信した会心の笑みを浮かべていた。


但し、少し早すぎたが……


パンッという軽い破裂音が路地内に鳴り響く。そして、一瞬間を置いて、女がドサリと墜落した。

ガチャン

「……」

無言で、廃莢したアシュレーのバイアネットの剣先からは、ユラユラと硝煙が立ち昇っていた。
 カランという軽い音と共に、女が握っていたナイフが地面に落ちる。そのまま武器も取らないでいる様子に、漸くアシュレーは大きく息を吐き出した。

「……」

そして、安全を確かめる為に一歩一歩慎重に気絶した女に近付いて行く。
 投げ出された女の白い手が、一部紫色に変色しているのが目に入る。交叉した一瞬、アシュレーが咄嗟に狙ったのはナイフの握られた女の手だった。

「……」

腹と地面の間に足を差し入れて、無理矢理ひっくり返す。力無く裏返った女の顔は、鼻がへし折れている上に額が割れ、見るも無残な有様だった。

「アシュレー!」

「ん?」

しゃがみ込んで意識を確認しようとした所で、後ろにいたマリアベルに声を掛けられた。

「終わったかの?」

「うん。意識を失ったフリじゃ無いみたい」

マリアベルの言葉に頷いて返しながら、アシュレーも立ち上がる。と、そこである事を思い出してマリアベルに尋ねる。

「そう言えばマリアベル」

「ん?」

「さっきの爆発音、一体何だったの?」

「ああ、それはホレ、アレじゃアレ」

そう言って、親指で後方を指して見せたマリアベルの手の先にいたのは……股間を押さえて蹲るさっきの男だった。

「……何があったの?」

その姿勢に、ツツーッと冷や汗を垂らしながら、アシュレーは何とか必死に笑顔を作ろうとする。但し、

「あの痴れ者が二度とたわけた事を考えん様に、一物を爆破してやったわ!!」

その努力は無情にも打ち砕かれたのだった。
 マリアベルの言葉が終わるか終らないかで、思わず自分の股間を押さえたアシュレーに、マリアベルは嬉々として股間爆発への経緯を説明する。

「アシュレーとあの女が戦い始めてからの、最初あの男もジッと見ておったのじゃが、どうにも劣勢と見るや、この場からさっさと逃げ出そうとしたらしくての」

腕を組んで、神妙な顔で話し始めるマリアベル。しかし、その瞳は楽しげで、アシュレーのげんなりとした表情とは対照的だった。

「行きがけの駄賃にと、わらわを誘拐する気だったらしく、汚らしい物をおっ立てて迫って来たから返り討ちにしてやったわ!!」

傲然とペッタンコな胸を張るマリアベルに、アシュレーは思わず脱力する。一方、そんな事はお構いなしのマリアベルは、足取りも軽くアシュレーの手を握る。

「さ、そろそろ帰るのじゃ!」

「うん……」

と、そこでアシュレーは妙な事に気が付いた。

「……」

気になったのは女の手。甲からひしゃげたその手は既に見る影もないが、その掌にある違和感。

「?」

しゃがみ込んで、手を取ったアシュレーは、そっと、その手を開いてみる。だが、そこにあるのはごくごく普通の女性の手だった。

「アシュレー!まだかー?」

そんな、呑気なマリアベルの声に、首を傾げつつも、やはり気のせいだったかと思い直し、アシュレーも立ち上がる。

「ほれ、役場にこやつらを届けないとの」

「!?」

「?どうかしたのかの?」

唐突に、アシュレーは気が付いた。視線の先にあるのは、先程女が握っていたナイフ。このナイフが違和感の正体だった。
 女の繰るナイフは凄まじい物だった。命の危機を感じる程かと聞かれればそこまででは無いと首を横に振っただろうが、少なくとも素人の域を完全に超えていた。


にも拘らず、女の手は使い込まれた痕が無かったのだ。


タコも無ければ、マメも無い。それらを潰した痕も無いどころか、むしろその手は白く、皮も薄く、とてもでは無いが、あれ程までの斬撃を見せた者の手とは思えなかった。ならば、

「マリアベル!ナイフを!」

暗殺者『地下水』の本体は、女では無く、

「!?」


ナイフそのものだった事になる。


 咄嗟の声にも拘らず、直ぐにナイフを投げ捨てようとしたマリアベル。しかし、一瞬反応が遅れた。いや、最初から持っている時間が長すぎたのかもしれない。

「ぎゃはははは!やったぜおい!」

アシュレーの顔がサッと青褪めた。




 先程の男のものとも、ましてや女のものとも違う声が裏路地に響き渡る。

「寝首掻いてやったぜ!今どんな気分だ!?」

「くっ……」

バイアネットを握ったのはいいが、アシュレーはどうする事も出来ないでいる。

「はっ!どうだ!テメェの女盾にされたら手出し出来ねぇよな!?」

ナイフ、『地下水』が叫ぶと、切っ先がゆっくりと持ち上がり、マリアベルの喉元にあてがわれる。

「マリアベルッ!!」

「無駄だ、無駄!この女の意識は既に俺のモンだ!」

勝利を確信した地下水の声に、アシュレーは強烈な怒りに爆発しそうになるが、人質に取られているマリアベルがいる為、それも出来ずにいる。

「オラ!さっさと道開けろや!」

「くっ……」

今ここで取り逃がしてしまうと、マリアベルがどんな目に遭うか分からない。だが、かと言って無理に手を出してしまえば、人質となったマリアベルがどうなるか分からない。八方塞だった。

「よーし、いいぞ」

マリアベルの事を案じながら、苦痛の表情で道を開けるアシュレー。

「そのまま、さっきの武器で自分の頭を撃ち抜「かんでもよいぞ」ガビョッ!?」

「!?」

アシュレーが地下水の言葉に従おうとした瞬間、唐突に聞き慣れた声が耳に入った。それは、

「マリアベル!?」

「うむ!」

聞き慣れたマリアベルの声だった。
 地下水の言葉を遮る様に地面にナイフを叩きつけたマリアベルは、その場で足を上げるとストンピングを開始した。

「がっ!てめっ!ちょっ!まっ!」

何事か意味の通らない言葉をぶつ切りの音を並べる地下水にもお構いなしに、ガッシガッシと踏みつけを敢行する。

「あのー、マリアベル?」

「む?」

アシュレーの言葉に、マリアベルが足を止めて振り向く。

「どうかしたのか?」

「いや、さっきの洗脳は……」

「ああ」

アシュレーの心配そうな顔に、合点が行った様に頷くマリアベル。

「あの程度なら問題無くレジスト出来るぞ」

「……」

その言葉を聞きながらも、髪を撫でる様にして心配そうに覗き込んでくるアシュレーに、マリアベルは思わず赤面した。

「そ、それにじゃな!」

気恥かしくなったのか、その手を払ったマリアベルは、その場で胸を張って見せる。

「わらわに命令できるのは、このわらわ、マリアベル・アーミティッジだけなのじゃ!」

「なんて傲慢な女だ!」

「ま、まあアシュレーの命令ならば時々聞いても良いというか、ちょっと、命令してもらいたい気も」

「その上Mだと!?」

「ええい、喧しいわ!」

一瞬、マリアベルの新たな一面が開拓されそうになった気がしたが、アシュレーは聞かなかった事にすると決めた。……決めたのだ。
 再度十六ビートでストンピングを開始するマリアベルにとうとう耐えかねたのか、地下水が叫び声を上げる。

「おいコラ!いい加減にしねえと、お前の記憶を暴露すんぞ!」

恐喝の言葉だったが、声は既に悲鳴と言ってよかった。しかし、

「ふん!やれるものならやってみるが良い!アシュレーならわらわを全て受け入れてくれるから問題無いわ!」

ノーブルレッドの少女にそんな姑息な脅しが通じる訳も無く、それ以前に、今までの生で、少なくともアシュレーにいえない様な後ろ暗い事は特に無かった為、マリアベルは平然と言い放つ。

「ホントに良いんだな!?言うぞ!?言っちゃうぞ!?」

「やれるものならやってみるのじゃ!」

売り言葉に買い言葉、既に互いに収まりがつかない所まで来てしまっていた。

「なら言うぜ!」

「来いっ!」

「マリアベル・アーミティッジが!」

「おお!」

「オネショをしていたの「それは言うなぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」

マリアベルの弾丸シュートが炸裂した。そして、

「え?」

「む?」

「は?」

地下水は綺麗な放物線の弾道を描いて……


ポチャン!


通りの先にあった河に着水した。

「ギャアァァァァァァ!さ、錆びるぅぅぅぅぅぅぅ!!!」

夜の通りに、断末魔が響き渡る。

「……」

「……」

そして数秒後、声など無かったかのように通りはしんと静まり返った。そして、

「わらわは知ーらない!」

「僕もっ!」

二人は全てを見なかった事にしたのだった。




     ◆




 カチン、カチン、シュシュッカチン、キリキリ、……キュ。
 室内に、金属が擦れる無機質な音が響き渡る。宿屋『空の贈り物亭』の一室で、風呂から上がったアシュレーがシューティングスターのメンテナンスをしていた。

「……」

カキン、ガチッ、キンキンキン。

「……」

その様子を、ぼんやりと眺めるマリアベルの手元では、先にメンテナンスを終えたアカとアオがグースカといびきをかいている。

ガチャン!

「よし……」

どうやら、納得がいくメンテナンスが出来たらしく、アシュレーは機嫌良さそうに武骨な自身の武器の刀身を眺める。そして、最後の仕上げにとボロ布一枚、それから、艶消しと錆止めを兼ねたオイルを取り出す。

「のう、アシュレー」

「ん〜?」

「耳掃除をさせて貰えぬか?」

「うん?」

マリアベルの言葉にアシュレーが刀身をボロ布で撫でていた手を止めて彼女を振り返る。

「どうしたの?急に」

「む……」

物珍しげに見つめるアシュレーの目に、若干気恥かしかったのかマリアベルはプイッと目を逸らす。

「いや、ただの思い付きじゃが……嫌か?」

不安そうに見つめるマリアベルに苦笑しながらアシュレーは首を横に振る。

「そんな事は全然無いし、マリアベルが僕に気を配ってくれるのは嬉しいけど、急だったからさ」

そう言いながら、アシュレーはバイアネットを壁に立てかけて、マリアベルの方を向く。

「じゃあ、お願いできる?」

「う、うむ!」

若干照れた様子笑うアシュレーに、マリアベルも頬を赤くして頷いたのだった。
 救急箱から耳かき棒を取り出して正座するマリアベルの太腿に、アシュレーが頭を乗せる。

「コホン……、その、何分初めての事で、力の加減が上手くいかぬかもしれぬが、その時は直ぐに言って欲しいのじゃ」

「うん、分かった」

もぞもぞと頷くアシュレーの温かさに、温もりと気恥かしさを感じて頬を染めながら、マリアベルはアシュレーの髪を撫でつける様にして頭を押さえ、初仕事に取りかかった。

「ん……」

「……どうじゃ?痛く無いかの?」

「大丈夫、丁度いい力加減だよ」

「そうか……」

心配そうなマリアベルに、アシュレーは笑って答える。

「しかし、意外と汚れておらぬの。普段あれだけ走り回っておるのに」

耳の穴を覗き込みながら、マリアベルがそんな感想を漏らす。

「そう?」

「うむ。後方で戦うわらわと同じ位かの。自分のは見た事は無いが」

頷くマリアベルに、少し考える様にアシュレーがもぞもぞと膝の上で首を傾げる。

「うーん、自分では意識した事無いけど、不老になったからかな?」

「ふ、ふむ……」

その感触に、更に赤くなりながらも、マリアベルは耳の掃除を続行する。

「フーッとするぞ」

「うん」

アシュレーが頷いたのを確認して、マリアベルはフーッと息をアシュレーの耳に吹きかける。

「さ、今度は反対側じゃ」

「うん」

頷いて、反対側を向くアシュレー。それを黙って見ていたマリアベル。二人の動きに何ら変な所は無かったし、耳掃除をしていれば当然起こりうる動きだった。しかしそれは、

(ここここ、この体勢は!?)

(……ど、どうしよう?)

少なくとも、二人を硬直させるには十分だった。
 膝に頭を置いたまま、自分の方を向くアシュレーに、マリアベルは軽くパニックを起こす。なにせ、アシュレーが息をする度に、吐息が薄いネグリジェを通り越して肌にその熱を伝えてくるのだ。恐慌状態にならない方がおかしいというものだった。
 一方のアシュレーも混乱の真っただ中にいた。先程はマリアベルとは逆の方を向いていた為にあまり気が付かなかったが、今の体勢になった瞬間、甘いミルクの様なマリアベルの匂いが誘惑する様にアシュレーの鼻孔を擽るのだ。

「ご、ごめん!」

悲鳴を上げる様にして、身体の位置を変える為に立ち上がろうとするアシュレー。しかし、起こそうとしたその頭をガシッとマリアベルの細い腕が掴んで押し留めた。

「マ、マリアベル!?」

思わず見上げると、行動を起こした本人が何をしたのか分かっていない表情で目を見開いていた。

「ねえ、マリアベル!」

「あ、う、うむ」

再度呼びかけると、漸くハッとした様子で自分が何をしたのか理解した様子のマリアベルは手を離す。

「あ……」

アシュレーが起き上がろうとした瞬間、そんな声が漏れる。他ならぬマリアベルの口からだ。その事に一瞬停止したアシュレーは、硬直したまま宙ぶらりんな状態で困った様に眉尻を落とす。

「えっと……」

「う……」

再度起き上がろうとすると、またマリアベルが声を漏らす。その音が、どこか寂し気でありもどかし気であり、どう行動すべきか困ったアシュレーも、停止せざるを得ない。

「……」

「……」

「じゃ、じゃあ」

「う、うむ」

しばし見詰め合った後に、アシュレーが焦りつつも妥協案を見つける。

「僕は体をこっちに移すから」

「う、うむ」

そう言いながら移動するアシュレーの言葉に、漸く納得したのか、マリアベルも同意を返す。

「……」

「……」

((き、気まずい……!!))

部屋に広がる何とも言えない気恥かしさに、悶々とする二人。

「「あの……」」

そして、ぶつかってしまう言葉に、再び俯くマリアベル。しかし、その視線の先にはアシュレーの顔があり、逃避は逃避になっていなかった。

「……アシュレーから言って欲しいのじゃ」

「分かった……」

思わず、逃げてしまったマリアベルの表情を見て、アシュレーが覚悟を決めた様に頷いた。

「マリアベル」

「うむ……」

いつに無く真剣な表情。激昂した時の激しさとも、普段のどこか柔らかい温かさとも違う、ただただ真直ぐで真剣な表情。戦いの時とも日常とも違うその表情に、マリアベルは思わず魅入った。
 トクン、トクンと、高鳴る胸を抑え頷くと、深呼吸をしたアシュレーがゆっくりと言葉を紡ぎ出した。

「僕は……」

「……うむ」

「僕は、君と、マリアベルとずっと一緒に居たい」

「……」

「今も、これからも、この戦いが終わってファルガイアに帰ってからも……ずっと」

「うむ」

「マリアベルの事を……愛しているから」

「……うむ」

マリアベルの返事は、決まっていた。

「わらわも、そう思っているのじゃ」




二人の影が重なった……




     ◆




 数週間後の早朝、涼やかな空気が流れる中、ガリアの首都リュティスを一人の人影が歩いていた。

「……」

徐々に朝の早い町人達が起き始め、せかせかと釜を開ける準備をしている音がする。そんな静かな喧騒を歩く影、ビダーシャルは普段の彼に比べると幾分軽い足取りで、機嫌良さそうに歩を進め、裏通りへと入って行く。
 目的地は、人にあらざる客人の二人、アシュレーとマリアベルの宿泊する馴染みの宿、『空の贈り物亭』だ。
 先日、ひょんな事から縁を持つ事になった二人から齎された驚愕の真実。その真実をエルフの集落に伝えたビダーシャルはなんとか話し合いを纏め上げ、その報告をしに二人に会い来ている所だった。

コンコン!

 いつものように、軽くノックをしてドアを開く。何の気無しの当たり前の行動で、いつもと変わらぬ動作だった。しかし、

「はい、マリアベル、あーん」

「あーんじゃ」

飛び込んできた光景は、大凡裏通りの寂れた宿屋には似つかわしく無い光景だった。

「……」

ふと見ると、カウンターの奥ではウンザリした様子の主人が同じくウンザリとした表情の数名の客と共に朝から酒を飲んで恨めしげに二人を見ていた。
 と、主人がビダーシャルに気が付き、チョイチョイと手招きをする。何となく嫌な予感がしたビダーシャルだったが、常連としてここを利用する立場であり、これからも利用する予定のある身としては、無視する訳にもいかなかった。

「……」

仕方無しに寄って来たビダーシャルに、店主はそっと話し掛ける。

(なあ、ビダーシャル)

(なんだ、店主)

(あの二人なんとかしてくれ)

(……)

やはり、聞かなければ良かったと後悔した。

(あの二人が、どうかしたのか?)

取り敢えずすっ呆けてみるビダーシャル。しかし、店主は逃がさないとばかりにガシッと肩を組んで耳打ちをする。

(あの光景を見て何とも思わねえのか?)

(ふむ……)

言われてから、改めてアシュレーとマリアベルに目をやる。見るからに大変仲がよさそうだった。「丸いテーブルが何のためにあるのかなぞ知らん」と言わんばかりにぴったりと寄り添って座る姿はテーブルの面積的に効率悪い事この上ない。と、感じるくらいには二人の距離は近い。

(随分仲が良さそうだな。私が最後に会った時よりも仲が良くなっているんじゃないか?)

一先ず第一印象を告げてみる。少なくとも、これは本音に違いなかったし、実際に二人を見た人間が真っ先に感じるのはそれだっただろう

(仲が良いなんてもんじゃ無ぇよ!!)

店主が小声でキレた。

(店主、怒り過ぎは、あまり体に良いとは言えないと思うが?)

(怒らせている原因はあの二人で、あの二つの砂糖で出来た番鳥をここに持って来たのは間違いなくお前だ!)

そう言われると、ビダーシャルとしては黙るしかない。というか、普通に殺気立つ店主の顔が怖かった。

(あの二人が昨日一日どう過ごしていたか教えてやろうか?)

(いや、結構(聞け)分かった……)

諦めて話を聞こうとするビダーシャルに、店主は漸く少し腕の力を緩める。

(お前が出行ったあと、二日くらいは良かった。宿には殆ど居なかったからな)

(ならば別に構わないだろう)

(問題はその後だ)

(……)

(お前が一旦出て行ってから三日目。大雨が降って、二人は出かけなかった)

(ふむ)

(そしたら、何があったと思う?)

(分からんな)

ビダーシャルは白々しい科白を吐き出す。

(答えを知りたいか?)

(いや、別に)

(知りたいだろ?)

(特には)

(知りたいよな?)

(……ああ、ぜひ聞かせてくれ)

ビダーシャルは根気負けした。これで、僅か数分の間に蛮人に二度も敗北した事になる。なかなか珍しい経験かもしれないとビダーシャルは現実逃避した。

(朝、起きてきたら大体あんな感じになってた)

(あんな感じ?)

視線の先には、照れた様子でアシュレーが差し出したスプーンを口にするマリアベルがいた。

(……)

ビダーシャルはなんだか口の中が甘くなった気がした。

(そのまま部屋に戻るかと思ったら、その日は部屋に戻らなくてな)

(ああ)

(ロビーに何冊か本が置いてあるだろ?客用の)

(そういえば置いてあったな)

普段、自分があまり利用しない物な為、少し考える素振りを見せたが、直ぐに思い出して頷くビダーシャル。

(それがどうかしたのか?)

(二人でその本を読み始めたんだ)

(別に珍しくも無いだろう?)

(お嬢ちゃんを膝に乗っけてな)

(……)

オチが付いた。ビダーシャルは猛烈に苦いコーヒーを飲みたくなった。

(それからな)

(いや、もういい)

耐えかねて、ビダーシャルが店主の言葉を遮った。良い所で止められたという表情の店主が、首を傾げる。

(いいのか?これからクライマックスの風呂の外に聞こえてくる言葉を(本当に聞きたくないぞ!?)

どうやら、だだ甘な二人の生活は、まだまだ話半分だったようだ。

(それで?)

(ん?)

(そんな嫌がらせみたいな話を聞かせる為だけに私を呼んだ訳ではあるまい?)

(いや、半分以上それが目的だが?)

(……)

(あ、痛っ!痛っ!)

無言で拳を振るうビダーシャルを、誰も責める事は出来ないだろう。

(で、本当の理由はなんだ?)

(さっきのも割と本当(何か言ったか?)い、いいえ、何も)

ギラリと光る拳に、店主は慌てて首を横に振った。

(頼みがあってな)

(頼み?)

(ああ)

首を傾げるビダーシャルに、店主は首肯した。

(それで、頼みとは何だ?)

(あの二人を止めてくれ)

(……帰る)

(ま、待ってくれ!)

クルリと回れ右をしたビダーシャルの肩を、店主がガシッと掴んだ。

(離せ!私はアレに関わりたくない!)

(そんなのは俺もだ!でもな、そういう訳にはいかないんだよ!)

店主がビシッとある方向を指差した。視線の先には、二人の男が酒を持ったままカウンターに突っ伏していた。その周囲には白い粉が散乱しており、甘い香りが強烈に漂って来る。

(……なんだ、アレは?)

冷や汗を垂らすビダーシャル。男の内の一人が血文字で書いた『バカップル』という字が目に痛い。

(あの二人にあてられた被害者)

(なおさら行きたくないわ!)

此処まで来るとテロと変わらない。フードテロならぬ砂糖テロ。もしくはバカップルテロ。
 やいのやいのと言い合う二人だったが、とうとう店主が切り札を切った。

(ビダーシャル)

(なんだ?)

(出禁くらいたいか?)

(く……!)

それをされては困る。元々、割と繊細な質のビダーシャルにとって、ガリアという環境の変化は正直きついものがある。それをなんとか我慢できたのは一重に『空の贈り物亭』の食事のおかげなのだ。ハッキリ言って、他にこの店と同じレベルの料理が出てきそうな場所には心当たりが無い。よって、ビダーシャルに出来る事はただ一つ。

(卑怯だ……)

(卑怯は褒め言葉だ)

悔しそうに捨て台詞を吐きながら、互いにスプーンで食事を食べさせ合うバカップル二人の行動を止める事だけだった。

「ほれ、あーんじゃ!」

「あはは、照れるね……あーん」

「ゴホンッ!!!」

「「ひゃっ!?」」

「話をしても良いか?いや、良いよな?というか、確認では無いからな?いいから話を聞け」

「「は、はい……」」

突然我に返って、目の前に現れたビダーシャルの剣幕にタジタジとなる二人。そんな二人を威嚇しながら、ビダーシャルは徐に口を開いた。

「一つだけ言っておく」

「「……」」

「そういう事は部屋でやれ」

ロビーにいる客の切実な総意だった。




 ビダーシャルの説教(という名の八つ当たり?)が終わり、二人にエルフの地での交渉の経過を報告している所だった。

「取り敢えず喜んでくれ、交渉自体は大体成功だ」

「そうか!」

「良かった……」

喜色を上げるマリアベルと、ホッと安堵のため息を吐くアシュレー。対照的な二人の様子に苦笑しながら、「ただ……」とビダーシャルは言葉を繋げた。

「やはり、どこにでも右派、保守派というものは居てな」

「何か問題でもあったんですか?」

「ああ……。一つ確認がしたいんだが良いか?」

「何ですか?」

ビダーシャルの言葉に、アシュレーが首を傾げる。マリアベルも、何か問題が起きたのかと姿勢を正した。

「先日の『大いなる意志』の事だが」

「ええ」

「あの方をもう一度召喚する事は出来るか?」

「ええ、それ位でしたら。大丈夫だよね?」

「うむ、問題無かった筈じゃが?」

「そうか、よかった」

ビダーシャルが安堵したように息を大きく吐き出した。その様子に、アシュレーとマリアベルは一度顔を見合わせる。

「何か、あったんですか?」

アシュレーの質問にビダーシャルが「まあな」と答えた。

「どんな所にでもいるものだが、極右と極左というものがある」

「ああ、そういう事か」

「そういう事だ」

マリアベルの納得に、ビダーシャルは頷いた。

「ただ、『大いなる意志』の話は流石に無視出来なかったらしくてな」

「あ、僕達は他所者だけど『大いなる意志』は……」

「極右団体的には無視出来ん要素じゃからのぅ……」

アシュレーとマリアベルの言葉に、ビダーシャルは首肯したのだった。

「そこで、お前達にはもう一度『大いなる意志』を呼び出して欲しい」

「場所はどこですか?」

「ガリアの東端。我らの地との丁度境目にあるアーハンブラ領の廃村で行ってもらう」

「ふむ……いつになる?」

「それがだな……」

マリアベルの質問に、ビダーシャルが困った様に頭を掻く。

「私の方も、所用があってだな。出発は今しばらくかかりそうなのだ」

「その間、僕達は待っていればいいですか?それとも、やっておくことが?」

「度々で心苦しいのだがな、時間短縮の為に二人には私の代わりに任務をもう一つ受けてもらいたい」

「依頼者は前回と同じかの?」

「ああ」

ビダーシャルが首肯する。

「ジョセフ・ド・ガリアからの正式な依頼状だ」

手渡されたのはガリアの王室紋章が入った金で細工が施された白い封筒だった。
 封筒を受け取ったマリアベルがペーパーナイフを探しに席を立ったのを見送って、アシュレーは、ふとある事が気になってビダーシャルの方を向いた。

「あの、ビダーシャルさん、一つ聞きたい事があるんですけど、良いですか?」

「?どうかしたのか?」

特にその事を気にも留めず、ビダーシャルは聞き返す。

「何故、ジョセフ王はこんな依頼を?」

「む?」

「確かに、妙じゃのぅ……」

アシュレーの質問に、店主からペーパーナイフを受け取って来たマリアベルも同意する様に頷いた。

「前の、『地下水』の依頼ですが、明らかに変でした」

「変とは?」

良く分からないとビダーシャルが首を傾げる。

「何故、『地下水』を秘密裏に処理させようとしたのでしょうか?」

「わらわ達に依頼が来たという事は情報が既に握られておったのじゃろ?衛兵を使った方が、微々とはいえ売名になるにも拘らず、それをせなんだ」

二人の言葉に、ビダーシャルがハッとなる。

「確かに、妙と言えば妙だ……」

「あのジョセフ王とは、そういう落ち度をする様な輩かの?」

「狂人ではあるが、間違ってもそれだけは無い」

「だとすれば、何かしらの意図があったか……」

「もしくは、欠片も意図が無かったか……か」

室内に嫌な沈黙が広がる。

「前々から気になっておったのじゃが、ジョゼフ王が何故狂ったのか心当たりは無いのかの?」

マリアベルの言葉に、ビダーシャルは少し考える様な素振りを見せたが、ふとある事に思い至ったのか、パチンと指を鳴らした。

「ジョゼフ王が即位してからかなり後の事なのだが」

「ええ」

「ジョゼフ王が弟のシャルル皇太子を暗殺するという事件があった」

「ふむ」

「その際になのだが、『嫉妬に駆られたジョセフ王が弟のシャルル皇太子を暗殺した』という噂が実しやかに囁かれた事があった」

「噂の中身は確かな事なんですか?」

「当事者ではないので何とも言えんが」

ビダーシャルはそう前置きをする。

「権力者の移り変わりというのは、その国の政治方針に大きく関わって来る。当然、敵対する私達もその時々でかなり気を配る事になる」

「ふむ」

「ジョゼフ王が即位した時期にガリアに潜入していた仲間が言うには、リュティスを中心にそんな噂が流れたらしい」

「情報の確度は?」

「直接その場に居合わせたという貴族が吹聴しているのを確かに確認したそうだ」

間を置かず尋ねたアシュレーの言葉に、ビダーシャルはそう答えた。

「その者がシャルル皇太子についていた可能性は?」

「低くは無い。が、ジョゼフ派の貴族も否定しなかったからな」

「ふむ……」

「そうですか……」

少し考える素振りを見せる二人をよそに、ビダーシャルは話を続けていく。

「ジョセフ王が狂ったという噂が出たのはそのしばらく後だったな」

「シャルル皇太子の人となりはどんなだったのじゃ?」

「シャルル皇太子か……」

マリアベルの質問に、ビダーシャルが首を捻る。

「どうかしたんですか?」

「ああ……」

少し考え込んだビダーシャルに、アシュレーとマリアベルの二人は疑問符を浮かべる。

「シャルル皇太子の評価なんだが、実はよく分からないのだ」

「良く分からないとな?」

「ああ」

ビダーシャルは顎から手を外して首肯した。

「『人品卑しからぬ、実力のある下級貴族と分け隔てなく登用する、魔法の達人』というのが、周囲からの評判だった」

そう言って、肩をすくめたビダーシャルの言葉に、アシュレーとマリアベルは若干脱力するしかない。

「それ、王としての評価には殆どならないですよね」

「じゃな。貴族受けは悪くは無いという点では、王には成りやすいじゃろうが、政治力に関する評価が一切無いの」

アシュレーとマリアベルの言葉に、ビダーシャルはただ苦笑して頷くしかない。エルフの老評議会の一員である彼には、二人の言う事が良く分かるからだ。

「人品卑しからずっていうのは、恐らく平民に無暗に手を出したりしないって事も含まれているんでしょうけど、そもそも王族が平民と接する機会なんて基本的に無いですし」

「実力のある下級貴族を登用するというのも、実際の所は自派閥強化との差は無いじゃろうしの」

アシュレーとマリアベルは顔を見合わせて議論するが、結論らしい結論はそれしか出てこなかった。

「シャルル皇太子の名君という評は、どうも魔法の才能に引っ張られて独り歩きしている感があるね」

「じゃのぅ……。そもそも、そこまでの名君ならば、何故王として選ばれなかったのか……」

考え込む二人だったが、ある事を思い付いて、顔を見合わせた。

「……マリアベルも同じことを考えていた?」

「という事は、アシュレーもじゃの?」

そして、二人は同時に、ビダーシャルの方を振り返った。

「ビダーシャルさん」

「どうかしたか?」

「わらわ達をシャルル皇太子の家に連れて行って欲しいのじゃ」

「シャルル皇太子の家に?」

聞き返すビダーシャルの言葉に二人は頷く。

「正直言って、このままジョゼフ王を何もせずに見ていたら、何が起きるか分かりません」

「最悪、ほんの気まぐれでエルフの地に軍を指し向けかねんからのぅ」

二人の言葉には、ビダーシャルも頷かざるを得ない。ジョゼフ王に交換条件的に譲歩を引き出したとはいえ、破談にされてしまう可能性が常に頭の奥でちらついていた。

「……」

エルフの使者は、しばしの間黙考した。そして、

「分かった」

ゆっくりと顔を上げて頷いた。

「お前達二人をシャルル元皇太子邸に連れて行こう」

その言葉に、二人も黙って頷いたのだった。




ハイルマリアベル!
どうも、ノヴィツキーです。

今話は、アシュレーとマリアベルの任務編でした。
が、少し解説の様なものを。
今作「Trinicore」は、原作にアシュレーとマリアベルが入る二次創作なのですが、この二人の場合、不必要に異世界に触れようとはしないだろうという考えもあって、かなり原作沿い?(原作における主人公組の行動に基本的に変化は無い)という方向です。
その為、オリジナリティが出にくいのが悩みどころでした。そこで、試しにストーリーのキャラクターを把握した後、ストーリーを完全に自分勝手に作ってみる方向で動きました。取り敢えず明日タバサの冒険立ち読みしてきます。

これからの方針なのですが、二人の任務編は此処で一旦おしまいです。理由は、これ以上詰め込み過ぎると、今度は本編の方がダレてしまう可能性があるからです。ですので、此処で一旦切って少し時間を飛ばします。
ただ、タバサの冒険のストーリーの中で書きたいストーリーはいくつかあるので、それは後日外伝としてやりたいなと思っています。

以下感想返し

まさるさん
二度目の感想ありがとうございます。
こうやってリピートして下さる方がいるのが分かると、連載書く身としてはホッとします。
>回復役の3人目が欲しい所
確かに……ワイルドアームズだと無いですけど、物理無効の敵とか魔法無効の敵とかの為に物理アタッカー魔法アタッカー+回復役って感じになりますもんねRPGだと。


今回は若干箸休め的な部分がありましたが、次回は一気にストーリーが進みます。
二人がこの世界に関わる事で変った事、変らなかった事。いろいろあると思いますが、ガリア編のラストに成ります。
全体としてもスパートが掛って来た所です。
残りが少しずつ少なくなってきましたが、お付き合いのほどよろしくお願いいたします<(_ _)>



押して頂けると作者の励みになりますm(__)m


<<前話 目次 次話>>

作品を投稿する感想掲示板トップページに戻る

Copyright(c)2004 SILUFENIA All rights reserved.