―ギッコギッコと荷馬車は進む―
―ギッコギッコと荒れた道―
―ギッコギッコと進んだ先は―
―ギッコギッコと軋む音―
―古ぼけた始祖の終わりの始まり―
Trinicore
#4
ガリアの首都リュティスへ向かう一台の荷馬車。出稼ぎの農夫が手綱を繰るその荷台の上では、何とも微妙な沈黙が広がっていた。
「……」
「……」
「……」
上から、アシュレー、マリアベル、頭巾の男である。今日の朝方に頭巾の男が乗り込んで来てから、会話らしい会話がかなり途切れ気味だった。
もともと、アシュレーは場を無理矢理に盛り上げるのは、某トカゲ×2が居る時以外はあまり得意とは言えないし、マリアベルはマリアベルで目の前の男から漂ってくる魔力の香りに少なからず警戒心を煽られていた。対する男の方も、若干ながら二人の事を警戒しているらしく、結果として、この場の二人と一人の間には目に見えない距離の様なものが出来ていた。唯一まともにしたらしい会話と言えば、
『僕、アシュレーって言います。ちょっとの間ですけど、よろしく』
『マリアベル・アーミティッジじゃ。よろしく頼むの』
『……ビダーシャルだ』
『ビダーシャルさんは、どうしてリュティスへ?』
『仕事だ』
『へえ』
『わらわ達は人探しじゃ』
『そうか……』
『……』
『……』
という自己紹介?ともつかない会話だけだった。
そうこうしているうちに日も沈み、辺りは徐々に暗くなって来ていた。恐らく、これ以上の移動は無理だと判断したのだろう。手綱を握っていた農夫が、クルリと後ろを振り返る。
「あー、お前さんがた、今日は見ての通りこれ以上進むのは無理だからな、野宿になるが構わんかね?」
質問ではあったが、特に不満も無ければ他に選択肢がある訳でも無い。アシュレーとマリアベルの二人、及び、ビダーシャルと名乗った男は全員一致で頷いた。
さて、馬車を止めたはいいのだが、ただそのまま「はい、野宿」と言う訳にはいかない。寝床の準備は馬車で済むとして、火の番や食事の準備をしなくてはならない。アシュレーとマリアベルの二人は、共に食事は必要とはしていないのだが、だからと言って食事を取らないでずっと過ごしていれば、この世界で言う所の吸血鬼の様な通常の生物とは違う食事を行う、人間にとって敵性の亜人だと勘違いされかねない。そうならない為にも、二人は人前ではなるべく規則正しい食事を取るようにしていた。
「じゃあ、火の番をお願いします。僕達は食料の調達をしてくるので」
「ああ、頼んだよ」
頷いた農夫と、無言でこちらを見つめる頭巾の男。微妙に警戒された視線を背中に受けながら、アシュレーは隣に立つマリアベルに声を掛ける。
「じゃ、行こっか」
「うむ」
二人は夜の森へと一歩踏み出す。
小動物やフクロウの鳴き声が僅かに響く夜の森。
馬車から離れた二人は森の茂みに向かいながら、今日二人が乗っていた馬車に乗って来た男の事を考える。
「のうアシュレー、あの男、ビダーシャルはトリステインからの刺客じゃろうか?」
サクサクと草を掻き分けながら進むマリアベルが、疑問を口にする。
「ちょっと、判断がつかないな。足運びとか腰の据わりは、あまり良いとは言えなかったしね。でも、何て言うのかな、殺気とも違うんだけどオーラ?そんなものはあったように思うよ」
アシュレーの言葉に、マリアベルは「ふむ……」と頷く。
「わらわの方は、魔力の様なものは見えたが……これでは判断がつかんの」
そう言って、面倒臭そうに頭を掻くマリアベル。その言葉に、アシュレーも頷く。
「そうだね。トリステインからの刺客なら、精鋭を送ってくるはずだけど」
「魔法衛士隊ならもう少し体術に関しても、精通しているはずじゃしの」
「うん。あの国は魔法使いの質が軍事力の最大の基盤だから、魔法衛士隊以外の魔法使いの可能性も無い訳じゃないけれど……」
伝聞や文書、記録で特に目を引くのは、やはり魔法衛士隊。その中でも『烈風』のカリンが目立って記述が多い。そこから端を発して、基本的に記述が多いのは魔法衛士隊所属の魔法使いだ。つまり、トリステインの魔法使いの中でもエリートと呼ばれる部類のメイジは、決して体術を疎かにしていないのだ。そうなると、あの男がいったいどの様な身分なのかが、やはり引っ掛かってくる。ただの行きずりなら問題は無いが、確固たる理由を持った人選による刺客だとしたら、かなり厄介な事になる。
シュンッ
サイレンサーの付いたバイアネットの銃口から煙が上がる。数メートル先の茂みから、頭の砕け散った三匹の野兎がガサリと零れ落ちた。
「取り敢えず、戻ってから考えようか」
「後手に回る事にはなるが、仕方無いの」
頷いたマリアベルの前で、アシュレーが野兎を手に取った。
二人が戻ると、農夫と頭巾の男がパチパチと音を立てる焚き火を囲んでいた。
「おお、いつもいつもすまねな」
「気にしないでください。僕達もすごく安く乗せてもらっているので」
差し出された野兎に礼を言う農夫に笑うアシュレー。マリアベルが隣で見ていたビダーシャルに声を掛ける。
「そちらも一緒にどうかの?」
「む……」
突然話を振られて、一瞬困惑した頭巾の男だったが、すぐに「礼を言う」とだけ呟いて、軽く頭を下げたのだった。
◆
夜もすっかり更け、ホーホーと梟の静かな鳴き声のみが響く中、アシュレーとマリアベル、そしてビダーシャルは何となく、揃って火を囲んでいた。アシュレーは見張りが理由だったが、マリアベルの方はただ単にあまり眠気が来なかったので、それに付き合っている形だった。そして、起きている二人につられたのかは分からないが、火を挟んで二人と反対側に座るビダーシャル。その視線からは、何を考えているのかは判断がつかない。が、対面にいながら話をしないというのも居心地があまり良くない為、マリアベルが話を振る。
「ときに、ビダーシャルじゃったかの?」
「む?」
「お主の方は、リュティスには何用があるのじゃ?」
「……仕事だ」
「そうか……」
「ああ……」
「……」
再び会話が途切れる。どうも、目前のフードの男は、あまり会話には積極的では無いのだろうか。
「そちらは……」
「む?」
「リュティスには出稼ぎか何かか?」
「いや……」
向こうから会話が切り出された事に少々意外な気がしたが、マリアベルは首を横に振る。
「人捜し……かの?」
「人捜しって言うよりは、エルフ捜しじゃないかな?」
そう言って首を傾げるアシュレーと、その隣で喝々と哄笑するマリアベル。が、この場には、その二人以上に大きな反応をしている者がいた。
「エルフ……だと?」
愕然。そんな表現がピタリと当てはまる様子でビダーシャルが絶句する。
「どうかしたんですか?」
「いや……」
首を横に振ったビダーシャルだったが、その声は上擦っており、どこと無く動揺が感じられた。首を傾げるマリアベルと、それに倣うアシュレー。と、
「……」
ふと、その動きを止めるアシュレー。
「ひゃっ!?」
そして、隣に座るマリアベルを膝の上に乗せて抱き抱えるアシュレー。小さく悲鳴を上げて、真っ赤になるマリアベル。
「な、な、ななな!?」
「しっ……」
「ひぅ!?」
パニックになるマリアベルの耳元に口を寄せ、小さく息を吐くアシュレー。が、それがくすぐったかったのか、マリアベルは変な声を出してしまった。
「……」
その様子を、ポカンと口を広げて見るビダーシャル。しかし、当のアシュレーはどこまでも真剣な声で、マリアベルに囁く。
「マリアベル」
「な、何じゃ?」
「敵だ」
アシュレーの短く的確な言葉に、マリアベルの表情も又、一瞬で真剣な戦士の其れになる。
「遠いの……」
直ぐに自身も相手の気配を探り、そう感想を洩らすマリアベルだったが、油断せずバッグからアカとアオを取り出す。
「二時の方向はわらわが引き受けよう。アシュレーは反対側を頼む」
「ああ、任せてくれ」
自身も武器に弾丸を装填しながら、力強く頷くアシュレー。が、二人の会話から何があったのか理解出来ない者が一人。
「突然どうしたのだ?」
怪訝そうな声を出すフード姿のビダーシャルに、一瞬顔を見合わせた二人が同じ言葉を吐く。
「「敵」」
短く吐いて、すぐさま立ち上がる二人に、慌てた様にビダーシャルは声を掛ける。
「ちょ、一寸待ってくれ。いきなり敵とはどういう事だ?そも、『大いなる意志』は、」
「『大いなる意志』?」
「あ、いや……」
耳慣れない単語に首を傾げるアシュレー。対してその仕草に一瞬詰まったビダーシャルだったが、一つ咳払いをして居住まいを正す。
「今の言葉は忘れてくれ」
「え、ええ、構わないですけど」
真剣な様子に、思わず頷くアシュレーだったが、その袖をマリアベルがクイックイッと引っ張る。
「会話も良いが、どうやらそろそろの様じゃぞ」
「ああ……」
静かに銃剣を構える。敵は幾秒もしないうちに現れた。
馬の蹄が砂利を踏み締める音と共に、彼等は現れた。衣服はボロボロ、手に持つ武器は傷だらけ。しかも、そのどれもが統一感が無く、彼等が正規の軍人等では断じて無い事を雄弁に物語っている。その集団の先頭にいた隻眼の男がスッと片手を挙げると、集団は一斉に銘々武器を取り馬から降りる。
「「……」」
無言で睨み付けるアシュレーとマリアベルの前に進み出た男は、ニヤニヤとした笑みを浮かべて、懐から二枚の紙を取り出して見せる。
「四百万エキューの賞金首、アシュレー・ウィンチェスターと、六百万エキューの賞金首、マリアベル・アーミティッジだな」
「違う……と言って聞くわけでも無いでしょう?」
「確かにな……」
そう言って、男は「ククク」と喉を鳴らす。
「今日は運が良い。何せ、二人合わせて一千万エキューの賞金首が網に掛かった上に……」
ゆっくりとなぶる様に視線をマリアベルに向ける。舌舐めずりする山賊の頭の表情に、俯いて何の反応もしないマリアベル。怯えても見えるその様子に嗜虐心を刺激されたのか、一層その感情に下卑た色を乗せる男。
「金以外にも色々と楽しめそうじゃねえか」
ドッと笑う山賊達。その表情はどれもこれも頭と瓜二つで、中には既に捕り物の上がりを考えてニヤニヤと蝦蟇のような笑みを浮かべている者も居る。
「命が惜しけりゃあ黙って従うと良い。断頭台に行くまで位は寿命が延びるだろうよ」
「ガキの方は下が良けりゃ、少しは長く使ってやってもいいぜ!」
「ギャハハハハ!」と笑う山賊達に、マリアベルが呆れた様に溜め息を吐く。
「お主等、何故わらわ達がこの外見でその様な高額の賞金を賭けられたのか……思い浮かばぬのか?」
マリアベルの言葉を、山賊の頭は鼻で笑う。
「わらわは立派なメイジ様ってか!?んなアホ臭え理由で怯む腰抜けが居るとでも思ったのか?高々メイジの一人や二人、珍しくも何とも無いぜ。そもそも、俺だってそのメイジなんだぜ」
そう言って、ベルトに挿された杖をチラリと見せる男。その後ろにいる数名も、手に手に杖を持って見せる。集団で居る為の優位性からか、はたまた単騎での戦力の拮抗を確信したからか、男達は全員が既に一仕事終えた後の事に頭を巡らせている様であった。
「さ、とっとと縄巻かれてくれや。なに、直ぐに気を失って、目が覚めりゃあ全て終わっているからな。怖がる必要はねえからよ」
そう言いながらも、視線は油断無く、二人の手元を注視する男。
男の判断は間違ってはいなかった。少なくとも、嘲笑を浮かべていても油断しなかった点は、評価出来るだろう。手下達も、最前列に居る者達は油断はしていなかった。ならば、一体何が悪かったのだろうか?答えは、割と単純だった。
「そうか……」
近付いて来る男が最後に聞いた言葉だった。
「な……」
一瞬絶句する男達。しかし、直ぐに怒声を上げて武器を振りかぶり襲い掛かって来る。が、そんな彼等よりも、遥に怒り狂っている者が居た事に山賊達は気が付かなかった。
「黙れ」
そう、
「口を開くな、息をするな」
彼等は彼女の地雷を纏めて踏み抜いたのだ。
「貴様等には生存すら許さぬ!!!!!」
逆鱗に触れた者の末路は、一つしか無かった。
「ハアァッ!!!!」
真っ先に敵の直中に突っ込んだマリアベルの内心は、暴風よりも荒く、噴火よりも激しく荒れ狂っていた。
(賞金首?断頭台?誰が?アシュレーが?何故?)
答えは、目前にある。
(そうか、貴様等か。貴様等がわらわから最後の『仲間』を、アシュレーを奪おうとしておるのかッッッ!!!!)
激情に駆られた瞳が、獲物を捉えて爛々と輝く。血の様に紅い目の色と、煽られて俄に勢いを増した炎のグラデーション。凄惨な赤に彩られながら、マリアベルの右手が『屑共』の先頭に噛み付いた。
「サクリ……ファイス!」
「なっ!?」
山賊達の中の誰が洩らした声だっただろうか。視線の先、そこで行われる奇妙で、そして何よりもおぞましい行為。
「が……」
静か過ぎる断末魔。掠れて零れたその声を最後に、山賊が崩れ落ちる。その体は水分を失い、カサカサの干物の様であった。
ドサリと打ち捨てられたそれには目もくれず、怯える獲物にニヤリと、牙を剥いて捕食者の威嚇の笑みを向ける。その乱杭歯を見て、誰かが「吸血鬼……」と呟いた。
(クカカ……)
内心で嘲笑うマリアベルは、一歩、また一歩と十把一絡げの肉塊達へと向かって行く。
(どうしたのじゃ?今更臆したのか?高々この程度で?こんな羽虫共がわらわから、ノーブルレッドの王たるわらわからアシュレーを奪うつもりじゃったのかッッッ!?)
荒れ狂う憤怒と憎悪の手綱を手放し鞭を振るう。猛る激情で、マリアベルは頭がおかしくなりそうだった。自分の大切な、何よりも何よりも大切な、最後の最後に隣に立って居てくれる『仲間』を奪おうとした虫けら共。彼奴等の、肉から皮膚を、骨から肉を引き剥がして、骨に付いている肉片も全てこそげ落としてもまだ殺意は治まりそうになかった。
「う、うわぁぁぁぁ!!」
マリアベルの、ノーブルレッドの王の放つプレッシャーに押し潰されそうになったのか、山賊の一人が悲鳴に似た叫びを上げながら、遮二無二に突っ込んだ。が、その男にマリアベルは無言で右手を突き出す。
「なっ!?」
放たれた蒼白い幽体。それと体が交叉した瞬間、男はバシャリと骨肉片入りのジュースとなって地面に降り注ぐ。
一瞬で造り上げられた光景に、奇妙な沈黙が降りる。それは、戦慄であり、驚嘆であり、忌避であり、そして何より……恐怖であった。
不意に沈黙が破られる。『捕食者』の眼が、『肉』を捉えたのだ。そこから先は語るまでも無い。
「死ね……」
殺戮が始まった。
雷、竜巻、氷刃、火炎。大凡、自然界で同時にお目に掛かることの無い現象が場を蹂躙し、山賊達を混沌の渦の中に叩き落とす。
「ぎゃぁぁぁぁ!?」
「ひ、ひぃぃぃ!?」
悲鳴を上げて山賊達が逃げ惑う。燃えた外套の火を消そうと地面を転げ回る者、斬り飛ばされた腕を抱えてのたうち回る者、撃ち込まれた氷片を押さえてただただ立ち尽くす者、そして、逃走すら許されずに消し炭となる者。地獄の様な混乱の中、アシュレーも又剣を振るう。だがそれ以上に、隣で暴勇を振るうマリアベルに心配そうに視線を送る。
「!」
「がぁ!?」
薙ぎ倒された死体の中、マリアベルににじり寄っていた比較的軽傷だった男の脳漿がまき散らされる。又一つ、物言わぬ躯が増えたのだった。
目前の光景に意識が飛ばされたのは、何も襲ってきた山賊達ばかりでは無かった。アシュレー達と同じく、無粋な襲撃者と相対していたビダーシャルも又、数メイル先で繰り広げられる天変地異にも似た光景にただただ呆然としていた。マリアベルが作り出した世界は、エルフが使う精霊の力でも無ければ、彼等が蛮人と蔑むメイジの魔法とも似ても似付かない未知のものであり、それでいて威力は強力無比。恐らく、ビダーシャルの精霊魔法でも単純な力比べならば、ほぼ間違いなく押し切られるだろう。しかし、本当の意味で恐ろしいのは其処では無い。ビダーシャルが何よりも愕然としたもの、それは、それだけ強力な魔法の力の源泉を自らの内に置きながら、未だ平然として魔法を行使し続けるマリアベルという存在そのものだった。
「馬鹿な……」
ビダーシャルはそう呟かずにはいられなかった。というのも、ビダーシャルはマリアベルの種族を吸血鬼だと予想していた。根拠は単純で、食事をした時に幾度と無く目にした犬歯と、ピタリと寄り添ったアシュレーをグールだと考えたためだった。
しかし、その予想は大きく外れていた。目前の光景が、その事実を如実に物語っている。
吸血鬼では無い。エルフでも無い。ましてや人間などではある訳も無く、その力は自分達ですら到底及ぶものでは無い。
「くらえっ!?」
背後から忍び寄っていた山賊が、大鉈を振りかぶった。しかし、その錆びた刃はビダーシャルに届くことは無く、砕け散り、反射された一撃のみが敵に向かい、その脳天を真っ二つにかち割る。しかし、そんなものは今のビダーシャルの頭の中では木葉一片程の重みも無かった。
敵の直中で蹂躙を繰り返すマリアベルを見ながら、アシュレーは漠然とした不安を感じていた。突撃をするマリアベル。彼女が、先日自分が傷付いて以来、かなり不安定な精神状態であったことに、アシュレーは薄々気が付いていた。旅をする間、決してアシュレーの前に出ようとしない。常に何かを警戒するように辺りにキョロキョロと巡らせていた視線。アシュレーが見張りに立っていてもなかなか眠りにつかなかった。ピタリとアシュレーの側から離れようとせず、常に其れだけの気を張り続けていたのだ。其れは全て、アシュレーを護る為。アシュレーの命を脅かす存在を討ち滅ぼすため。だから、目前に現れた敵に噛みつくのは一瞬だった。
「……っ」
だが、そうやって牙を振るった時の苦痛を、アシュレーは誰よりも理解していた。その力は、護りたい者、失いたくない者、大切な者を傷付けてしまいかねないのだ。プロトブレイザー、ナイトブレイザーを内に宿し、仲間を傷付けた経験があるアシュレーだからこそ、其れが分かった。
(いけない!このままじゃあ……)
最後の一人の前に立つマリアベルに向かって駆け出すアシュレー。
しかし、その手は一歩遅かった。アシュレーの腕がマリアベルの小さな体躯を苦しみから護る様に優しく抱き締めるのとほぼ同時に、振り下ろされたアカとアオが、鮮血で赤黒く染まったのだった。
最後の一人をほふっても、マリアベルの暴走に近い激情は収まる気配が無かった。腕の中で暴れるマリアベルを抱き寄せながら、アシュレーはなんとか彼女を宥めようとする。
「マリアベル!」
「ゴミがゴミがゴミがゴミがゴミがゴミがゴミがゴミがゴミがゴミがゴミがゴミがゴミがゴミがゴミがゴミがゴミがゴミがゴミがゴミが!!」
が、マリアベルの憤怒は留まることを知らなかった。アシュレーの腕の中にありながら、砕け散り、原型が怪しくなった頭蓋骨を何度も何度も踏みにじる。一瞬、反射した斬撃で割れた頭が視界に入ったが、そんな事よりも、目前のパートナーが問題だった。
「マリアベル!僕を見て!」
強く肩を引き、顔を無理矢理自分の方に向けさせる。
「放っ」
「マリアベル!!」
もう一度、強く揺さぶると、マリアベルは「え?あ……」と言葉にならない声を吐き出して顔面を蒼白にする。
「落ち着いた?」
「う……む」
アシュレーに聞かれ、親に叱られた幼子の様にシュンと肩を落として、マリアベルは「すまぬ……」と小声で謝った。
「僕は何ともないから」
そう言って、ポンポンと頭を撫でるアシュレーに、マリアベルは益々罪悪感を刺激されたのか傍目からも分かるほどに力を無くすマリアベル。少し困った表情のアシュレーが何かを言おうとしたが、其れよりは早く気を取り直してマリアベルが顔を上げる。
「もう大丈夫じゃ。……心配掛けたの」
恥ずかしそうに視線を逸らすマリアベルに苦笑したアシュレーだったが、直ぐにある事を思い出して後ろを振り返る。
「ビダーシャルさん」
呼ばれた青年?、二人の後ろに立っていたビダーシャルの肩がピクリと跳ねる。
「……なんだ?」
たっぷりと時間を使って吐き出された反応には、警戒心という名の硬質の棘が多分に含まれていた。
その声に少し迷ったアシュレーだったが、すぐに意を決した様にビダーシャルを見据え、決定的な質問をする。
「ビダーシャルさんは……エルフですね?」
確信を込めたアシュレーの質問。放たれた瞬間から、しばし沈黙の影を落とす。だが、その返答は意外とアッサリとしていた。
「ああ、その通りだ」
アシュレーの質問に、ビダーシャルが首肯する。
「……」
「どうかしたのか?」
「いえ、意外とアッサリ認めるんですね」
「ああ」
アシュレーの他意の無い感想に、ビダーシャルは納得したように頷く。
「元々、確信しているようだしな。それに、私も決定的な魔法を見られてしまった事くらいは理解している」
そう言いつつも、ビダーシャルは深々と溜息を吐いたのだった。道中、フードを外さず、常にどこか警戒した様子であった事も、これで合点が行った。
「……」
「……」
「……」
無言で近付くアシュレーとマリアベル。そして、黙ってその様子を見ているビダーシャル。足下に転がった死体の衣服から、アシュレー達が乗っていた馬車の持ち主である農夫も又、先程の山賊の一味であった事が分かる。が、それも今となっては些細な事だった。
「……」
「……」
「……」
何も言わず相対する三人。うっすらとだが、目に見えない緊張感が疾る。一歩足を引いたビダーシャルの前でアシュレーがバイアネットを地面に突き刺した。
「?」
訝しげに見詰めるビダーシャル。一方のアシュレーは気にせず一つ頭を下げた。
「改めて、自己紹介です。僕はアシュレー・ウィンチェスター。不死では無いですが、不老の人間です」
エルフは人間を嫌うもの。その前知識もあり、今度の自己紹介では包み隠さず自分が普通の人間では無い事を告げる。隣に立っていたマリアベルも、それに倣って胸を張る。
「ファルガイアの支配者にして伝説のイモータル。ノーブルレッドの王、マリアベル・アーミティッジじゃ」
自己紹介が終わって返答を待つが、一向に反応が返ってこない。首を傾げて二人はビダーシャルを見る。
「……」
当然と言えば当然だった。当のビダーシャルはといえば、ただただ呆然として口をポカンと開けているだけだったのだから。
エルフの魔法の中には、相対する相手の嘘を見抜くモノがある。ビダーシャルは、この得体の知れない二人組にその魔法を行使していたのだ。そして、結果は見ての通りだった。精霊が、大いなる意志が、そして、何よりも自分自身が先程目にした光景が、二人の言葉が決して偽りや張ったり等では無い事を告げている。そして、その二人が自分達エルフとコンタクトを取りたがっている。
余りの事態に、一瞬目眩がしたビダーシャルだったが、気を取り直して自己紹介をする。あの異常な手練れ二人の心証を無駄に悪くする必要はない。
「ネフテスの老評議会議員、ビダーシャルだ」
改めての身分を伝えながら、フードを外す。其処にあったのは、金色の長髪と白磁の美貌。そして、エルフの最も分かり易い特徴の一つ、端の尖った耳があった。
「やっぱり……」
納得した様に呟いたアシュレーの前で、ビダーシャルは幾らかつっけんどんな感じのする口調で先を促す。
「ああ。確かに私はエルフだ。それで、お前達はいったい何の用があってエルフとコンタクトを取りたがっていたん……」
「ふぁ〜……ふみゅ」
真剣な表情のビダーシャルと、改めて畏まるアシュレーの間で、マリアベルがなんとも可愛らしい欠伸を洩らした。
「……」
「……」
コシコシと目を擦るマリアベルを挟んで、揃って脱力するアシュレーとビダーシャル。
「取り敢えず、話は明日にせぬか?」
目元に涙を溜めたマリアベルの提案に、二人は気が抜けた表情で同意するのだった。
◆
翌日。アシュレーが繰る馬車に乗り、三人はガリアの首都リュティスへとやって来ていた。
「大きいの……」
「そうだね……」
ハルケギニア最大の都市を目にしてのアシュレーとマリアベルの第一声はまさに其れだった。二人は、ガリアの首都の持つ、圧倒的な威風にただただ魅せられていた。
ファルガイアは元々荒野の惑星である。その為、纏まった自然というものが乏しく、実りは各地に点在するオアシスとも言うべき小振りの森林地帯のみだった。自然、人も又、そのような場所に集まり、コロニーを形成していく。その課程で王国が発生していった。そういった王国は国境を寸断する広大な荒れ地によって守られていた為、外圧というものが無かったが、代わりに多くの人口を維持する事が出来る程の収穫も無く、トリスタニア程度の都市ならば心当たりがあったが、リュティス程の大都市というモノが存在しなかった。故に二人共、壮大な城や意匠を凝らした豪邸には縁はあったが、ここまで巨大な都市を目にするのは生まれて初めての事だった。
「どうした、入らないのか?」
隣で訝しげにしていたビダーシャルの声に、漸く二人はハッとなり、巨大な門を潜る。その先の光景は、外側から見たよりも一層リアルで、其れでいて空想じみていると二人は感じた。
リュティスに入ると、二人はビダーシャルに案内されて、彼が普段利用する宿へとやって来ていた。
裏路地にある、年代物の店ではあったが、手入れは行き届いており、質の高い接客が期待出来る事が伺える。そして、その独特の造りは、見た限りではリュティスでも珍しく、類の無い物だった。強いて言うならば、タルブの村にあった祠が近いと言えなくも無かった。
「話は中でしよう」
そう言って、宿屋の扉を押し開けたビダーシャルの後ろで、アシュレーとマリアベルは店に架かった朱に金抜きの看板に目をやっていた。其処には、
「空の……」
「贈り物亭?」
ハッキリとそう書かれていた。
一頻り首を傾げた二人だったが、其れを止めると、ごそごそと探られるマリアベルのポケットに目を遣った。
「む……」
出て来たのは一枚の紙切れ。タルブの村でシエスタから手渡されたメモ書きだった。そこには、
「「『空の贈り物亭』……」」
しっかりと、その宿の名前が書いてあった。
「世間て……」
「狭いのじゃ……」
二人はどちらとも無しに、そう呟いたのだった。
店に入ると早速、席に向かう。先に店内に入り、カウンターに陣取っていたビダーシャルの隣にアシュレー、マリアベルの順番で座る。
「そうだな、ロウメンにチャアシュウを多目にしてくれ」
「へい、かしこまりました」
メニューを開き、慣れた様子で注文をするビダーシャルの隣でアシュレーとマリアベルは額を突き合わせて、揃って困った顔をする。何せ、その店のメニューにあった料理のどれもこれもが二人には耳慣れないものであり、ハルケギニアに来てから一度も食べた事の無い物のオンパレードだったのだ。
「えっと、このハシュドライスを一つ」
「わらわはナポリタパスタじゃ」
結局、アシュレーは名前からライスが付いてくることだけは予想出来る物を頼み、マリアベルはマリアベルで少なくとも口にした事のあるパスタと書かれた料理を恐々と頼んだのだった。
「南無三……」
「……」
「……そんなに嫌か?」
思わず呟くアシュレーと、無言で十字を切るマリアベル。その隣で、ビダーシャルは冷や汗を流すのだった。
――十分後
「へい、お待ち!」
そう言って、ビダーシャルの前に店主が出したのは、縮れたパスタの様な物が多目のスープに入り、その上に蓋をする様に分厚くスライスした肉が乗せられた料理だった。
「へぇ……」
「ふむ……」
立ち込める湯気に混ざったスープの薫りが、アシュレーとマリアベルの食欲を刺激する。
「どうぞ!」
続いて、アシュレーとマリアベルの前にも料理が並べられる。その料理を見た二人は……
「カレーはもう嫌だ。カレーはもう嫌だ。カレーはもう嫌だ。カレーはもう嫌だ。カレーはもう嫌だ……」
嘗ての本拠地、ヴァレリアシャトーで発症したカレーノイローゼを再発させたり、
「な、何じゃ、この奇々怪々且つ面妖なパスタは!?」
一応、パスタに似た姿をしているにも拘わらず、最初から麺が真っ赤に染まっており、具材が同様に余り馴染みの無い物ばかりな事に警戒感も露わにフシャー!と毛を逆立てている。
「どうした、食べないのか?」
そんな二人を後目に、ビダーシャルは二本の細い棒を使って器用に麺を啜っていく。その様子に、顔を見合わせた二人だったが、やがて観念した様子でそれぞれスプーンとフォークを手に取る。そして、
「「!?!?」」
その味に、二人は目を見開いた。
(カ、カレーじゃ無い。いや、完全に別物で……それ以上に美味しい!)
(ば、馬鹿な。こんな奇っ怪極まりない外観の料理のくせにここまで美味じゃと!?)
混乱と共に失礼な感想を抱きつつ、目を丸くする二人の隣で、苦笑しながらビダーシャルがチャアシュウを口に運ぶ。
「どうだ、旨いだろ?」
「ええ、とっても」
「見た目に反して」
未だに何かを引き抜かれた表情の二人の前で、ビダーシャルが少しだけ得意気な顔になる。
「そうだろう。ここの店主はガリアの東出身で、私達エルフの料理と味付けがよく似ているんだ」
密かに故郷の味を自慢に思っていたらしいビダーシャルは食事の間、終始御機嫌なのだった。
「ふぅ、御馳走様でした」
そう言って、満足そうに皿をカウンターに戻すアシュレー。その隣では、先に食べ終えたマリアベルが至福の表情で自分のお腹をさすっている。そんな二人を見ながら、食後のお茶を飲んでいたビダーシャルが、水を向けた。
「それで本題だが、お前達は我々とコンタクトを取って、一体何をしようと考えていたんだ?」
俄に空気が張り詰めたものに変わる。周囲の喧騒が意識から弾き出され、今、この場の、ビダーシャルへと神経が向けられる。
「単刀直入に聞きます。『シャイターン』と、それに付随する『門』、もしくはそれに似た物について、何か御存知では無いですか?」
「……」
アシュレーの口から出た質問。其れを聞いたビダーシャルは何も言わなかった。しかし、その眉間にはくっきりと皺が寄っており、眼光は最大限の警戒に彩られていた。
「何故……そんな事を?」
最初に返ってきた返事は、質問の形のそれだった。
対するアシュレーは、ビダーシャルの警戒を見て取り、視線だけでマリアベルと素早く打ち合わせる。
(どうしよう、このまま話を続けても、警戒されるだけだ)
(じゃが、話をせなんだら、一向に事態は進まぬ。ここは、多少の軋轢があろうとも、真っ直ぐ行くべきじゃろう)
(分かった。それと、さっきのビダーシャルさんの反応を見る限り、『シャイターン』が、今でもエルフの地にあることは間違い無いみたいだ)
(最悪、強行突破をすれば良い……じゃな)
(ああ)
ビダーシャルに返答するまでの僅か数秒で、其処まで打ち合わせた二人が、くるりと彼の方を向き直り、要件を包み隠さず伝える。
「僕達には、目的があります」
「その、目的とは?」
「……」
もう一度、マリアベルと視線を交わす。マリアベルは、無言で一つ頷いて見せた。アシュレーも、意を決してビダーシャルに向き直った。
「『シャイターン』に……会う為です」
「なんだとっ!?」
ガシャン、と、テーブルに乗っていたグラスが木製の床に当たって砕け散る。が、ビダーシャルはそんな事はお構い無しに、いや、そんな余裕も無しに、血走った目でアシュレーとマリアベルを睨みつける。
「どういうことだ!『シャイターンの門』を開くという事か!?」
激昂したビダーシャルに対して変わらぬ態度で、しかし、今度は順序立てて説明をする事にする。
「順を追って話をします。少しだけ、聞いてもらえませんか?」
「……」
暫くの間、アシュレーを睨みつけていたビダーシャルだったが、「わらわからも頼む」とマリアベルからまで頭を下げられてしまった。
元々、ビダーシャルは昨晩の戦いで、二人の人外らしい部分とはかなり密に触れていた。その意識が、知らず知らずのうちに、蛮人と見下す人間に対しては思い浮かぶ事の無い畏敬の念をビダーシャルに抱かせていた。
「……」
しばし逡巡したビダーシャルだったが、やがて不機嫌そうに椅子に座り直し、カップに少しだけ残った茶を飲み干して、無言のまま、視線で先を促した。
そのサインを受け取ったアシュレーも、小さく頷いて話し始めた。
「今、この世界、『ハルケギニア』には、未曽有の危機が迫っています。その事については、何か御存知ですか?」
「……今年に入ってから、『シャイターンの門』の活動がやたらと活発になってきたが、其れが何か関係があるのか?」
ビダーシャルの質問に、アシュレーは「『シャイターンの門』の活動?」と、首を傾げた。
「ああ、そうだ。我々が『シャイターンの門』と呼ぶあの門は、数週間のサイクルで、放出による破壊と吸収による破壊を繰り返しているんだ。……知らなかったのか?」
「ええ。……その、すみませんでした」
ビダーシャルが何故あそこまで激昂したのか理解して、アシュレーは頭を下げた。
「いや、此方も少々大人気なかった」
そう言って手を振るビダーシャルの方は、先の事はあまり気にしていないようだった。
「ただ、今言った現象がある以上、『シャイターンの門』は、開けさせる訳にはいかない」
ビダーシャルの静かな、しかし、はっきりとした拒絶に、手詰まりになるアシュレー。が、ここで隣のマリアベルから、別の合いの手が入った。
「ビダーシャルの話と文献を考えると、ハルケギニアのコアは『風』に属するのではないかの?」
「コア?」
が、其処に反応したのは、話し掛けたアシュレーでは無く、その前で腕を組んでいたビダーシャルだった。
「コアとはどういう事だ?いや、それ以前に、お前達は『シャイターンの門』の中の物が何か知っているのか?」
ビダーシャルの急な反応に、思わず仰け反るアシュレー。その様子を「はぁ、落ち着かんか」と、呆れた表情で制止するマリアベル。マリアベルの言葉に我に返ったビダーシャルは、恥ずかしそうに咳払いを一つして席に着いた。
「さっきの話を聞く限り、お前達は『シャイターンの門』の奥に何があるのか、確として知っているようだが?」
「大凡ですが。一度、似たようなモノと対峙したことがあったので」
「何っ!?」
アシュレーの言葉に、ビダーシャルは再び驚愕した。但し、今度は自制したらしく、アシュレーが仰け反る程に身を乗り出して来る事は無かった。
着席したビダーシャルを後目に、マリアベルがアシュレーに話し掛ける。
(のう、アシュレー)
(何?)
(そろそろ、全て話しても良いのではないかの?)
(良いのかな?変に思われるのはまだいいとして、余計に疑われる可能性もあるよ)
(其れは考えたが、結局全てを話さねば何も進まぬ。仕方ないじゃろ)
(ふぅ……それもそうか)
諦めた様子で溜息を吐いたアシュレーが、スッと顔を上げた。
「全てを伝える前に、一つ、言っておかなければいけないことがあります」
「何だ?」
「それは……僕達がこの世界、ハルケギニアの住人では無いという事です」
「……は?」
予想していた事ではあったが、ビダーシャルの返事は何とも間抜けなものだった。
「何を言っているんだ、コイツ?」といった表情の彼を前に、アシュレーは淡々と話を続ける。
「もう、数百年前になります。僕達は元居た世界、ファルガイアを守る為に世界の本質とも言うべきものと触れました」
「『グラブ・ル・ガブル』全ての生命の根源にして、始まり。『泥』のガーディアンじゃ」
「……」
アシュレーとマリアベルの話に、ビダーシャルはジッと耳を傾ける。どうやら、頭から否定に掛かっていたが、「ガーディアン」という言葉に、符合するものが思い浮かんだらしく、暫くは話を聞く事にしたようだった。
「世界の中心には、全ての根源となる存在がいます。僕達は、『シャイターン』も又、そういったモノの一つだと考えています」
「全ての根源……『大いなる意志』」
ビダーシャルの言葉に疑問を感じたが、構わず話を続ける。
「僕達の世界の根源は『土』でしたが、この世界の根源は『風』だと考えています。理由は、この世界の魔法使いの中で最強の属性が『風』である事と、」
「お主の先程の言葉、『シャイターンの門』の活動が、明らかに『風』に属するモノであるからじゃ」
「ふむ……ちょ、ちょっと待ってくれ、という事は何か、『シャイターンの門』の奥には『大いなる意志』そのものがあるという事なのか!?」
「そういう事です」
ビダーシャルの、驚愕と悲鳴が綯い交ぜになった声に、アシュレーはあっさりと頷いて見せたのだった。
暫しの沈黙。降って湧いた自身の信仰の根幹に触れる事実に、唯呆然とするビダーシャルの前で、アシュレーが話を続ける。
「僕達が『シャイターンの門』を開きたいと言った理由は、その根源にあります」
「……」
「実は今、シャイターンとグラブ・ル・ガブルの激突が起きようとしているんです」
「わらわ達は、其れを止める為にハルケギニアにやって来たのじゃ」
「シャイターンに会いたいと言ったのも、其れが理由です」
そう言って、二人は話を締めくくったのだった。
話が終わって、たっぷり十数分後、ビダーシャルが頭を抱えながら、疲れた様に大きく溜め息を吐き出した。
「俄には……信じ難い事だ」
それが彼の第一声だった。
「わらわ達を、ペテン師と思うか?」
マリアベルの言葉に、ビダーシャルは力無く首を横に振った。
「我々エルフの魔法には、他者の言葉の真偽を確かめる魔法がある。お前達二人が嘘を吐いていない事は分かっている。だが、だからと言って、その事を直ぐに信じる事が出来ないのだ」
深く深く溜息を吐いたビダーシャルは、「いっそ、お前達が狂していてくれたら、こちらも一笑に付す事が出来たのだが」と、呟く。
「結論から言おう。今の話をそのまま伝えたところで、老評議会の許可を得ることは出来ないだろう。私も、取り次ぐ訳にはいかない」
「……」
ジッと耳を傾けるアシュレーの瞳に宿った小さな決意の光に、マリアベルも呼応する様に、小さく頷いた。
「だから」
が、ビダーシャルの言葉はまだ続いていた。
「証拠を何か出してくれないか?」
「証拠ですか?」
「ああ」
ビダーシャルが首肯する。
「先の話は、確かに突拍子の無いモノだったが、私は少なくともお前達の言葉がある程度真実である事を知ってしまっている上に、話自体も無視した場合のリスクが大き過ぎる」
「でも、証拠かぁ……」
「……」
黙り込んだアシュレーと、考え込むマリアベル。と、
「あ、そういえばアレがあったのじゃ」
そう言って、マリアベルがポンと手を打った。
「何か思い付いたの?」と訝しむアシュレーに、「まあ、見てるのじゃ」と言って、ゴソゴソと、エプロンのポケットを探る。
「……?」
「お?有ったのじゃ♪」
そう言ってマリアベルが取り出したのは、何かの魔法陣が描かれた小さなアミュレットだった。
「それ……まさかガーディアン召喚の為のアミュレット?」
アシュレーの言葉に、マリアベルは「うむ!」と頷いた。
「はっきり言って、今のわらわ達では、証拠なぞ用意出来ぬ」
「まあ……ねえ」
「そこでじゃ!」
ピッと人差し指を一本、アシュレーの前で立てて見せる。
「わらわ達だけでは説得力が無いのであれば、説得力のある者が来ればよい」
「でも、肝心のガーディアン召喚は僕達以外にもう一人必要だって」
「『ダン・ダイラム』はの。じゃが、もう一柱、この件に関わっているガーディアンが居ったじゃろ?」
「あ……」
アシュレーも、思い当たった様子で、ポンと手を打った。
「そうか。『ダン・ダイラム』は無理でも『リグドブライト』なら……」
「恐らく、わらわ達だけの力でも可能じゃろ」
マリアベルの言葉に、アシュレーも納得した様に頷いた。
「と、いう事なんですがビダーシャルさん」
「何だ?」
「証拠……になりそうなモノを見せたいんですけど、この近くでどこか、ある程度開けた所で、人目に付き難い場所って、心当たり無いですか?」
「そうだな……それなら、この裏通りを更に奥に進んで抜けた所に、開発に遅れて、ゴーストタウン化した場所があったはずだが」
「そこなら十分ですね。『リグドブライト』を召喚しても問題無いかな。ビダーシャルさん、付いて来てくれますか?」
「分かった。同行しよう」
ビダーシャルが頷いたのを確認して、アシュレーはマリアベルの方を向き直る。
「マリアベルも構わないな?」
「うむ、万事問題無いのじゃ」
頷いて了承の意を伝えたマリアベルは、その場でほくそ笑んだ。
「大体、他人をこき使って、自分は高みの見物というのが気に食わん。コアの破壊が廃案になってしまえば、既に暇なだけじゃろうがあのエビは。少しくらい、わらわ達の様に苦労をすればいいのじゃ」
「……!?」
「くかか」と邪笑うマリアベルの背中とお尻からそれぞれ、黒い羽と尖った尻尾が生えたような幻視をしたアシュレーだった。
「どうしたのじゃ?サッサと行くぞアシュレー」
「あ、ああ」
どことなく機嫌良さそうに鼻歌(やはり音痴)を歌うマリアベルの後ろで、これからほぼ確定的に色々不幸な目に遭うであろう『星』のガーディアンに対して、アシュレーは内心で静かに黙祷を捧げたのだった。
先導するビダーシャルに連れられて着いた先は、ほんの少し開けた、人気の無い空き地だった。
「着いたぞ。これくらいの場所で大丈夫か?」
「ええ、これだけの広さなら十分です」
頷いたアシュレーの隣で、マリアベルが改めてアミュレットを取り出す。
視線を合わせ、コクリと頷くマリアベル。アシュレーもまた頷いて、自分の手をアミュレットの上から、マリアベルの手と重ね合わせた。
意識を集中する二人。静謐な風が、似合わない幽霊街を吹き抜ける。まるで、一瞬前とは全く別の場所へとワープしたような錯覚を、ビダーシャルは覚えた。
その間にも意識を集中する二人は、ジッと物言わず手を重ねる。
元々、ファルガイアとハルケギニアという隔絶した世界で、遠距離にいるガーディアンを呼び寄せるのは、大変な労力が要る事だった。それを僅か二人でやる以上、それ相応の労力が必要となる。
((我らは呼ぶ、原始の支配者にして異世界の眷属たる一柱を))
―汝等の声、未だ届かず―
((心より呼ぶ、『星』を司りし太古の王))
―我、未だ馳参じる事能わず―
((ただひたすらに望む、旧支配者の顕現を))
―汝等の声、まだ僅かばか「御託はいいからさっさっ来んか!それとも、エビフライにされたいかぁっ!!」は、はいぃぃぃぃ!?―
あまりの煩雑さと回りくどさに、マリアベルがキレた。
「タ、タダ今到着シマシタ」
ポコンとアシュレーの頭くらいの高さに現れた穴から、リグドブライトが顔を出す。プカプカと浮いたように見せた姿は、本来のサイズよりかなり小さいモノだったが、アシュレーやマリアベルの異質性を一目で見破ったビダーシャルならば、仮にリグドブライトがこのサイズだったとしても、その本質を見誤ったりはしないだろうと二人は思っていた。そう、一応そう思っていた……
「ア、アレ?」
飛び出そうとしたリグドブライトが、不意に間抜けな声を上げた。
「……なあマリアベル」
「何じゃ?アシュレー」
「あれ、ガーディアンだよね?」
「……」
リグドブライトには、これからビダーシャルの説得をしてもらわなければいけないのだが、その為にはある程度の威風が必要だった。そして、その威風が今のリグドブライトに備わっているかと言えば、
「……」
「……」
頭を抱える二人が答えだった。
「ア、アノあしゅれーサン、まりあべるサン、チョット頼ミタイコトガ」
「何じゃ?」
「引ッカカッチャッタミタイデ。抜クノ、手伝ッテモラエマセンカ?」
「……」
「……」
無言で近付くマリアベル。その後ろに立つアシュレー。取り敢えず、マリアベルがリグドブライトの前に立ち、ゴツゴツした体に両手をかける。
「全く、世話の焼けるガーディアン(笑)じゃの!」
「ス、スミマ……ッテ、(笑)ッテ何デスカ!?」
「何じゃ?何か文句あるのかの?ガーディアン(仮)」
「イヤ、ダカラ!」
「ごちゃごちゃ五月蝿いガーディアン(過去)じゃのぅ」
「ウ、ウゥゥ」
散々苦労を掛けた上に、威厳が大事な場面でカリスマをかなぐり捨ててきたガーディアンで、ストレス解消がてら嬉々として遊ぶマリアベル。表情が完全にいじめっ子のそれである。
「ま、それは置いておいて、サッサと引っこ抜くかの」
言いながら真顔に戻ると、マリアベルはリグドブライトに手をかけたまま、その場で両足を踏ん張った。
「ふぬっ!……ふぬっ!……ダ、ダメじゃ。抜けぬ」
どうやら空間の奥でリグドブライトの足と尻尾が引っ掛かっているらしく、なかなか抜くことが出来ない。
「アシュレー。わらわを後ろから引っ張ってくれぬか?」
「分かった」
マリアベルの言葉に頷いて、腕捲りをしながら彼女の後ろに立つアシュレー。
「って、アアアアシュレー!どこを触っておるのじゃ!?」
「ご、ごめん!!」
掴み易い所にあったマリアベルの胸元。何の気無しにマリアベルを引っ張ろうとして触れてしまった柔らかい感触に赤面し、慌てて手を離すアシュレーと、真っ赤になってパニクるマリアベルという、御約束の一幕があったりしたのだった。、
「よ、よし、準備オーケーじゃ」
漸く落ち着いた二人が、今度こそリグドブライトに手を掛ける。
「ゆくぞ。ふむっ!」
「ふっ!」
「……」
暫くの間、空き地に無言の気合いが入ったが、その拮抗は思いの外早く破られた。
「ぬおっ!?」
「うわっ!?」
スッポーンとリグドブライトが引っこ抜け、勢い余ったマリアベルが、アシュレーの上に倒れ込む。
「む、す、すまぬの」
「いや、僕は平気だけど、マリアベルは?」
「わ、わらわも大事無い」
寧ろ、倒れ込んだ際に、アシュレーの胸に抱かれる形となり、ちゃっかりと幸せを甘受していたりした。
「イヤァァァ!」
「ふぎゃ!?」
但し、その甘い一時は、上から降ってきたエビ味ガーディアンによって、アッサリと打ち砕かれてしまったが。
どうにも要領の悪いリグドブライトに、言いたいことはあったが、其れよりも優先すべき事があったので、土を叩きながらアシュレーとマリアベルは立ち上がる。リグドブライトの方は、背中に言い様の無いプレッシャーを感じて、人知れず冷や汗を流したりしていたが。
「エ、エット、改めまして、リグドブライトト言イマス。ふぁるがいあノ『星』ノがーでぃあんヲヤッテイマス」
「……」
「ア、アレ?」
「……」
「エ、エット……」
自分の前で無言で立ち尽くすビダーシャルに、混乱するリグドブライト。しかし、いくら彼に声を掛けても、反応らしい反応は返ってこなかった。が、
「ア、アノ」
それは、
「あしゅれーサン?」
彼の、
「まりあべるサン?」
大きな間違いだった。
頭上に?マークを浮かべて振り返ったリグドブライトが最後に見たのは、引きつった表情で冷や汗を垂らすアシュレーと、白いレースのハンカチをヒラヒラと振りながら涙(但し、反対の手には目薬が握られている)を流すマリアベルだった。
「……エ?」
ただただ疑問しか浮かばないリグドブライトを突如として衝撃が襲う。
「ナ、ナナナァ!?」
後ろを振り返る事の出来ないリグドブライトがアシュレーとマリアベルに助けを求めようとするが、間髪入れずに視界が奪われ、身動きどころか尻尾すら動かせなくなる。
「さ、話が終わるまで僕達は宿探しでもしてようか?長期滞在になる可能性もあるし、準備はしておかないと」
「うむ、そうじゃの」
そんなガーディアンを、アシュレーとマリアベルの二人はアッサリと見捨てたのだった。
「お、『大いなる意志』よぉぉぉ!!」
「イヤァァァ!?!?!?」
午後のガリアの首都リュティスに、エビ味のガーディアン(笑)の悲鳴が木霊したのだった。
「すまない、少々取り乱した」
話し合いは、ビダーシャルの謝罪から始まった。
「いえ、気にしないで下さい」
「うむ、幼少の頃より夢見ていたのじゃろう?なら仕方ないというものじゃ!」
「直接ノ被害者ハ、ボクナンデスケド!」
「それよりも、話を早く進めないと」
「そうじゃな、こうしている間にも、世界の衝突は刻一刻と迫っておるのじゃからの」
「ヒドイデスヨッ!?」
リグドブライトの主張を無視して話を促す二人に、さめざめと涙を流しながらビダーシャルの前に立つリグドブライト。
「デハマズ、コチラノ事情ヲ話シマス」
「御願いいたします」
そう言って、慇懃に頭を下げるビダーシャルに、リグドブライトは久しく忘れていた安穏を感じていた。例え、彼がリグドブライトを見た瞬間、黒い影となって襲い掛かり、舐めしゃぶる程の親愛の情を見せたのだとしても。
「感動しているところ悪いのじゃが、本題に入らぬのか?」
少なくとも、アレに蹴っ飛ばされるよりは。
数分後、全ての話が終わったリグドブライトが、ぽっかりと開いた空間の穴から、ファルガイアへと帰ってゆく。ビダーシャルへの説明は無事滞り無く済み、彼も又、現在のハルケギニアの危機を認識するに至った。
帰還するリグドブライトを見送ったビダーシャルが、クルリとアシュレーとマリアベルの方を振り返る。
「まずは礼を言わせてくれ。私の悲願の一つであった『大いなる意志』との会合の機会を与えてくれた事、心より感謝する」
「いえ、僕達は何も」
「うむ。気にせずとも良い。寧ろ、あんなガーディアンで、此方が申し訳無いくらいじゃ」
「ハ、ハハ」
マリアベルの言葉に、若干乾いた笑い声を上げるアシュレー。ビダーシャル曰わく、「エルフはノーブルレッドの様な強大な力は持たないが、代わりに、『大いなる意志』とのコンタクトに関する能力に優れる」との事だったから良かったようなモノの、そうで無ければ、とてもでは無いが説得をする事は出来なかっただろう。内心安堵の溜息を吐くアシュレーとマリアベルに、ビダーシャルが今後の話を進める。
「先程言った証拠の事だが、コレなら十分だ。少なくとも、評議会の上層部の説得は可能だろう。『大いなる意志』は、再度呼び出せるのだろう?」
「うむ。その後にお主に力を貸してもらわねばならぬがのう」
「そちらも含め、任せてくれ。必ず、私が話を纏めて来よう。ただ……」
ここで、ビダーシャルが僅かに表情を曇らせた。
「ただ?」
「ただ、かねてよりの問題が最近表面化してきてな、私も現在手が離しにくい状態なのだ」
俄にビダーシャルの表情が真剣なものとなる。
「ブリミル教の亡霊だ」
「ああ……」
「ふむ……」
その一言で、アシュレーとマリアベルの二人は、何が問題なのか察した。
「元々、ロマリアは聖地と呼ぶ我らの地にしばしば食指を動かして来た。それが、近年活動を活発化させていた。現に、ここ最近のロマリアからの間者は両手の数ではとても効かない」
「原因は分かっているんですか?」
「ああ」
アシュレーの質問にビダーシャルは頷いて見せた。
「ガリアとロマリアの国境に山脈が有るのは知っているな?」
「確か、国境問題になっている山ですよね?」
「そうだ。そして、その中には大量の風石の鉱脈がある」
「しかし、それが理由になるとは思えぬのじゃが」
「その通りだ。が、その鉱脈が大陸全土に埋蔵されているとすれば?」
マリアベルの疑問に、ビダーシャルがそんな疑問符で返す。そして、それが何を意味するのか。ハルケギニアならばどの様な現象が起こり得るのか。二人は直ぐに察した。
「浮く……か」
呟きはどちらが洩らしたものだったのか。
「原因は恐らく『シャイターン』の暴走じゃろうが、ロマリアはどうやって暴走を止めるつもりなのじゃ?聖地を目指しているという事は、『シャイターンの門』の内側から何かするつもりなのじゃろうが」
「でも、どうにかするって言っても、彼等の魔法に風石制御が可能なものは確か無かったはずだけど」
アシュレーの再度の疑問にマリアベルも「確かにそうじゃの」と呟く。いくら大陸隆起の原因が分かったところで、それを止める事が出来なければ、意味が無いと言わざるを得ない。
「我等を武力で屈伏させ、『大いなる意志』を管理させる腹積もりらしい」
ビダーシャルが皮肉気に笑った。
「その事を察知した我等は、蛮人との決戦を余儀なくされた。が、正面からの戦いでは分が悪い。幾ら我等が質で優っていようとも、圧倒的な数を揃えられてはいずれ押し負けてしまう」
「ロマリアと数……」
「なるほど、聖戦か」
「そうだ。そこで我等は協力者を求めることにした」
「それが、ガリアですか?」
「その通りだ」
「しかし解せぬの。ガリアはゲルマニアと違い、始祖の血を引く、ハルケギニアでも最大の大国じゃろ?何故その国に協力を求めたのじゃ?」
マリアベルの疑問も尤もだ。はっきり言って、ガリアにはエルフに協力するメリットは一切無いと言っていい。
「それについては事情があってな」
ビダーシャルが声を潜める。
「元々は、蛮人の協力者にはゲルマニアが候補として挙げられていた。ロマリアを基とする軍隊に対抗するには強大な国力が必須だからな。ついでに言えば、ブリミル教への忠誠心も薄く、都合が良かった。唯、ゲルマニアの皇帝の人と形、国風を見たとき、仮に今の聖戦を避ける事が出来たとしても、いずれあの国は我等の地へ手を伸ばしてくるだろうと判断された」
「王の人と形でガリアが選ばれたという事かの?」
「そういう事だ。ゲルマニアの皇帝を野心家とするならば、ガリアの王は狂人だ。未知数の危険さは有るが、確定した破滅よりはまだ良い」
ビダーシャルの言葉が終わると同時にアシュレーが溜息を吐く。
「もし、ハルケギニアの人を滅ぼすつもりだったら全力で止めたんですけどね」
「ま、そうはならなかったからの、脇に一旦置いておくとしてじゃ、そこまで話したという事は、他に何か言いたい事が有るのじゃろ?」
「まあ、そうだ」
ビダーシャルが肯定した。
「今回の計画の一貫として、私はガリア王ジョゼフの下でしばらく働く事になってしまってな」
「え?それじゃあ」
「いや、お前達の話の重要度は更に高い。が、私が戻っている間代理で動いてもらえる者が必要だ」
「それを、わらわ達に頼みたいと?」
「ああ」
ビダーシャルは頷いた。
アシュレーとマリアベルは少しの間視線を交錯させたが、腹は既に決まっていた。
「話は分かりました。その件、引き受けさせてください」
「そうか」
ここで漸く緊張から解放されたのか、ビダーシャルが僅かに息を吐く。
「頭脳労働は無理じゃぞ?わらわ達は此方の文化にも歴史にも政治にも不案内なのじゃからの」
「心配しなくて良い。私も期待されていない」
場に笑いが広がった。
◆
話が終わった後、ビダーシャルは最近の王からの依頼を置き、直ぐにエルフの地へと出発した。一方の二人は、ある程度長期に渡りそうな依頼の為に、宿を決めるところからスタートしていた。
「お邪魔しまーす……」
何となく宣言しながら、アシュレーはその部屋の引き戸を開けた。途端にやって来る濛々の湯気。そう、そこはこの宿、『空の贈り物亭』の浴場だった。
ビダーシャルと分かれたすぐ後に、宿を探すことになった二人だったが、その宿探しの為に、思いの外時間を喰っていた。理由はいくつかあり、原因は二人の事情とマリアベルの希望だった。
まず第一に、トリステインの賞金首であるため、あまり表通りに面した宿を取れなかった事がある。まだ二人の情報が流れて来てはいないようだったが、油断は出来なかった。
第二に、マリアベルの希望(という名の我が儘?)が理由だった。元々、食事が必要無い上に、長い旅のせいもあって大概の物は文句を言わず口にする二人は、料理への拘りはあまり無かった。また、同様の理由で寝床にもそれ程意見を挟む事は無かったが、それはそれ、女性としての嗜みか、それともノーブルレッドとしてのプライドか、
『こんな街中でサウナ風呂を何日も使うなぞ、わらわをボロ雑巾にでもするつもりか!?』
と、プチキレた為である。但し、アシュレーどころか本人も気付いていなかったが、その本心は、
『ア、アアア、アシュレーの前に臭い体で立つじゃと!?わらわには耐えきれぬ!!』
というモノだったりする。
それはさておき、これらの理由により、二人は裏通りにあり、浴場が整った宿を探すことにしたのだった。しかし、裏通りにある宿というのは、必然的にその質も低く、浴場なぞ望むべくも無い。かと言って、表通りの宿を利用して賞金稼ぎに目を付けられてしまっては、元も子もない。結果、裏通りと浴場完備という矛盾した宿を探し、半日程リュティスを歩き回る事となった。そして、いい加減面倒くさくなってきた二人が見つけたのがここだった。何の事は無い、ビダーシャルに案内された店、『空の贈り物亭』は、浴場完備の宿屋でもあったのである。
閑話休題
『空の贈り物亭』でチェックインした二人は、それぞれ、ヨシェナベとエビティリに舌鼓を打った後、早速、熱い湯が一杯に張られた風呂を楽しむ事にした。が、ここでマリアベルが急に「先にアシュレーが入るのじゃ」と言いだしたのだった。
元々、浴場完備の宿に宿泊したいと言っていたのはマリアベルの方だったので、アシュレーは首を傾げたのだが、マリアベルの妙に強い勧めと、アシュレー自身も一番風呂がそれなりに好きな質だったので、内心少し喜びながら、浴室の扉を開けたのだった。
浴室に入ったアシュレーは、まず浴槽から湯を汲み、備え付けらた鏡の前に腰を下ろす。そして、泡立てた石鹸からシャボンが膨らむのを見ながら、体を洗ってゆく。
「……」
たった一人、無言の時間が流れる。マリナと結婚してからは、殆ど間を於かずに子供が産まれ、一人で風呂を楽しむ機会は無かった。旅にでた後は野宿が多かった為、風呂を楽しむ機会そのものが無かった。だが、そんな毎日が不幸かと聞かれれば、そんな事は無かった。失意の旅路での風呂は、夜盗やモンスターを警戒したもので、余計な事を考える様なものでは無く、町を訪れた際は、共同浴場が殆どで、人々との交流が寂しさを忘れさせてくれた。タウンメリアでの入浴は言わずもがな。喧噪まみれの騒がしい時間だったが、そこには確かに家族の団欒の一時があった。少なくとも、今この瞬間よりは何倍も……。
「……」
何となく、しんみりとした気持ちになったアシュレーは、無言で頭から熱湯を被った。バシャッ!と流れ落ちた熱を潜り、気持ちを切り替えたつもりだったが、鏡の先にいる自分は、相変わらず何か言いたげな様子でアシュレー自身を見つめてくる。
『それっ!』
『わぷっ!?やったなアルテイシア!えいっ!』
『きゃっ!?もうっ!鼻に入っちゃったじゃない!』
『こらこら、喧嘩はそれくらいで』
「!?」
フラッシュバックしてきた光景に、懐かしさや寂しさと同様に、恐怖を覚えた。
アシュレーにとって、タウンメリアでの別れは苦痛以外の何物でも無かった。別れる間際、子供達の将来を心配し、マリナには気持ちに気付いてやれなかった事への罪悪感を感じていた。だが、それならばアシュレーは?
アシュレーも又、自身の体へ起きた異変に戸惑いと、それ以上の苦痛を感じていた。が、それでも彼は家族を受け止めようとしていた。自身の事を省みず、ただただ家族の事を想っていた。だが、彼も又人間なのだ。少なくとも心は……。
カラリ……
不意に、浴室を音が満たした。小さな音だったにも関わらず、やけに響いたその音は、ついさっきアシュレーが立てた音とまるっきり同じもので、それでいて、その人の素の性格や今の心理状態を妙にハッキリと反映させてくるものだった。
「え……?」
パシャリ、パシャリと水音が聞こえてくる浴室の外で、マリアベルは一人、悶々と煩悶していた。
(どうしよう……)
そんな言葉が、自分の胸の内に浮かんでは消えるのがマリアベルには良く分かった。
アシュレーが浴室の方へと消えてから、マリアベルは、『空の贈り物亭』のロビーで少々忙しなくアシュレーを待つのを見かねてか、それともただ単に連れ合いらしき男女ならば二人一緒に浴室を利用してもらって薪を節約しようと考えたのかは知らないが、宿の店主からアシュレーと一緒の入浴を勧められた。最初は気恥ずかしさもあって渋っていたマリアベルだったが、後ろから出てきた恰幅の良い女将らしき女性から、半ば強制的にここ迄連れて来られていた。そして、冒頭に戻る。
「む〜……」
マリアベルがロビーで煩悶していたのは、昨夜の自身の暴走が理由だった。
『貴様等には生存すら許さぬ!!!!!』
ただ敵に憎悪した。
『ゴミがゴミがゴミが……』
目の前に居る者を殺す事しか考えられなかった。それ程迄に、マリアベルはアシュレーを愛していた。が、だからこそマリアベルはあの時の事を心の底から恥じていた。思い出すだけでも、あの時の自分を殴り倒したい気持ちになる。
あの時、マリアベルは敵に、どうしようも無い程の殺意を覚えた。アシュレーと引き剥がされてしまうかもしれない、そう考えると、恐怖と殺意が綯い交ぜになった、どうしようも無く黒く、変えようの無いドロドロとした物が、心の奥底より、後から後から湧き出てくるのを、抑える事が出来なかった。その根源は、痛みである。アシュレーと、嘗ての仲間達と離れ離れになった時の、逃れられぬ痛みが、マリアベルを狂わせた。アシュレーと離れたくなかったのだ。そして、だからこそ、マリアベルは己を恥じていた。
あの暴発の時、マリアベルはアシュレーが止めた時に、すぐに止まることが出来無かった。たった其れだけの事、そう考える人はいるかもしれない。だが、マリアベルにとっては、『其れだけの事』で済ませられる様な事では無かった。
あの時のマリアベルはアシュレーよりも、自分が誰よりも大切に思っているアシュレーの制止よりも、目の前の山賊を殺す事を優先してしまっていたのだ。
大切な人よりも、自身の欲望を優先してしまった。マリアベルにとって、其れは到底耐えきれる様なものでは無かった。アシュレーに謝りたかった。謝って、自身がどれだけアシュレーの事を想っているのか、胸の内を全て余す所無くさらけ出したかった。だがここで、マリアベルに待ったをかけるものがあった。それは、自身の中にいるもう一人の自分が囁く声だった。
―わらわは、あの時欲望で動いた。ならば、何故今は欲望で無いと言える?―
―それは、わらわが心の底から……―
―心の底から?かかか、噴飯物じゃの―
―な、なんじゃと!?―
―アシュレーを欲した。ただその一点で、わらわは薄汚い欲望の徒という事じゃ―
―……―
ここしばらくの間、毎日のように感じていた事だった。
マリアベル・アーミティッジはアシュレー・ウィンチェスターに恋している。これはもう、疑いようが無かった。だが、愛しているのかと言われると、すぐに頷く自信が無かった。自分ではアシュレーを愛しているつもりで、アシュレーに全てを上げてしまいたいと思うが、同時に、狂おしい程にアシュレーが欲しいのも、認めざるを得ない、マリアベルの偽らざる本心なのだった。
全てを奪いたいという想いが『恋』、全てを捧げたいという想いが『愛』。
これはいったい誰の言葉であっただろうか……。だが、どちらも真実で、確かにマリアベルの本心だった。
マリアベルは、矛盾を抱えた自身の心の浅ましさを感じずには居られなかった。だが……
「……」
無言のまま、マリアベルは身に纏っていたマントを脱ぎ捨てた。ゴーグルを外し、帽子から自慢の金髪をさらけ出す。
「わらわは、アシュレーを護りたい……これは、わらわの想いが『恋』でも『愛』でも変わらぬ本心じゃ」
そっと呟いて、スッと顔を上げる。
本当に、妙なタイミングで開けてしまったパンドラの箱だった。いつも気付いていながら目を背けていた。
だが今、偶然にもその蓋が開いてしまっていた。否、本当は自分でも待っていたのかもしれない。
アシュレーを振り払おうとした時、下手をすれば、アシュレーの事を傷付けてしまっていた可能性もあった。
自分で自分を許せなかった。逃げ場はとっくに無くなっていた。だから……
アシュレーに自分を、マリアベル・アーミティッジを見てもらおうと思った。
振り返るまでの時間は、何時もと変わらなかった。が、理解が追いつかなかった。視線の先、そこにいたのは……
「せ、背中を流しに来たのじゃ」
髪をタオルで纏め、その小さな体躯をバスタオルで隠しながらも、恥ずかしげに頬を赤く染めて僅かに俯くマリアベルだった。
一瞬、本当に頭が真っ白になったアシュレー。馬鹿になったみたいにただただポカンと口を開ける中、マリアベルが羞恥心に耐えきれなくなったのか、怒った様な表情で顔を真っ赤にして、ズンズンと浴室内へと入ってくる。
「マ、マママ、マリアベル!?」
そこで漸く再起動したアシュレーが、どもりながらも何とかそれだけを絞り出す。
「な、何しに来たの!?」
「背中を流す為と言ったじゃろ!」
「イヤ、聞いたけど何で突然!?」
「わらわがしたいからじゃ!」
「何その理由!?」
「文句あるか!?」
「逆ギレ!?」
双方が暴走気味に叫ぶ間にも、マリアベルは行動を止めようとしなかった。パニックになるアシュレーの手からスポンジを取り上げ、その広い背中の前で膝立ちになる。
「や、本当に何でいきなり!あんな理由じゃ納得出来無いよ!?」
「ええい、お主も男じゃろ!覚悟を決めぬかっ!」
「男とか女とか、この場合関係無いよね!?」
「な、ならアレじゃ!わらわがアシュレーの背中を洗う代わりに、アシュレーはわらわの髪を洗うのじゃ!!」
「いきなり交換条件!?」
「う、うむ!これで文句無いじゃろ!?」
「文句以前に状況が理解出来無いんだけど!?」
「よし、洗い終わったのじゃ!」
「話すらする前に!?」
ザパンッ!と掛けられた湯に「熱っ!?」と思わず飛び上がりそうになり、流石に抗議の声を上げようとして、眉を顰めながら後ろを振り返り、
「ちょ、マリアベ……ル……」
その勢いは、直ぐに萎えてしまった。
アシュレーの視線の先にいたマリアベルは赤面しながら仁王立ちし、うっすらと涙を浮かべていた。
「えっと……」
一瞬言葉に詰まるアシュレーに対し、マリアベルは羞恥心の壁に真っ向から特攻しながら突っ走って行く。
「さ、さて!酌をされれば返杯、恩には義理を。お主の背中を流したのじゃ、アシュレーにはわらわの髪を洗ってもらうぞ!」
「やっぱりちょっと待った!?」
叫ばずにはいられなかった。
「ここまで来て怖じ気づいたのか!?」
「怖じ気づく以前に、状況が処理出来無いんだけど!?」
思わず、アシュレーは後ろを振り返った。そう、思わずだった。
「え……?」
風呂の中に、やけにその音は響いた。
アシュレーが振り返った瞬間、殆どアシュレーに密着する様な体勢で後ろに居たマリアベルなバスタオルに手が当たってしまった。元々、そこまでしっかりと縛り付けられている様な物では無かった為、マリアベルの肢体を包み隠していた薄布は、ハラリと呆気無く床へと零れ落ちてしまっていた。
純白。意味もなくそう感じた。自身を夜の眷属と称し、夜の王たるイモータルと銘打つ彼女は、その名乗りに恥じる事無く、常に堂々としていて凛々しく、黒や暗色を好んで身に着ける。そして、時折見せる達観した様子やシニカルな笑みは、独特の刺激をもたらすミントの様でもある。しかし、その中心、彼女の本質とも言うべき部分は、友を想い、弱い者を包み込み、ファルガイアを愛する心は、ひたすらに優しく、無垢な程に温かく、ただただ純白だ。マリアベルの乳白色の肌は、そんな彼女の本質をよく表しているように思えた。
ピチョンと水滴が湯船を叩く。見惚れるという表現よりは強く、心奪われるという表現よりは優しく、しかし、ハッキリと彼女の姿に視線が釘付けになったアシュレーの前で、硬直していたマリアベルが漸く覚醒した。
「にゃあぁぁぁぁぁぁ!?」
第一声は悲鳴だった。顔を真っ赤にしてガバッと身体を細腕で隠したマリアベルは、悲鳴通りの猫さながらの跳躍で風呂に飛び込み、そのままザブンと頭の先まで熱い湯に全身を沈める。その光景を見て、やっと魔法が解かれたアシュレーは……
「ご、ごめんっ!」
その場でガバッと土下座をした。
「……」
「……」
浴室内がシンと静まり返る。聞こえてくるのは、時折落ちる湯気の雫だけだった。
「えっと……」
「のう、アシュレー」
長い沈黙に耐えきれなくなったアシュレーが声を掛けようとしたのを見計らったかの様に、マリアベルが口を開いた。
「顔を上げて、わらわを見てくれぬか?」
それは、とても真剣な声音だった。
「う、うん」
真剣なその声に思わず気圧されたアシュレーは顔を上げた。その先には、透き通った水面から一条伸びた光のように佇むマリアベルがいた。当然、アシュレーは呆気にとられた。
「マ、マママ、マ、マリアベル!?」
どもってパニックになるアシュレーに向かって、マリアベルは一歩、また一歩と近付いて行く。一瞬、扉の方にチラリとアシュレーが目をやった事に気付いたマリアベルが「逃げるなっ!!」と叫んだ。
「頼む、逃げんでくれ。もし今アシュレーに逃げられてしまえば、わらわの心は永遠に行き場を無くしてしまう。本当に、本当に少しでいいのじゃ。わらわに時間をくれぬか?」
ジッと、真剣な眼差しでアシュレーの目を見つめるマリアベル。その視線は、普段の悪戯っぽい色やからかいの色は一切無かった。が、その代わりに映し出されていた光は……
(マリアベルは……怯えている?)
微かに震える瞳と共に、どうしようも無い程にマリアベル・アーミティッジという女性の中の怯えを表へと顕現させていた。だが、彼女は勇敢だった。勇敢で、それ以上に譲れない大切な想いをその小さな胸の内に抱えていた。
暫くの間、逡巡していたマリアベルだったが、やがて静かに顔を上げて、アシュレーに「目を……閉じていて欲しいのじゃ」と告げた。鈴の鳴るような澄んだ、マリアベルの声がそっとアシュレーの耳朶を打つ。目のやり場に困っていたこともあり、アシュレーは促されるままに目を閉じた。
「いきなりすまぬの。……驚いたじゃろ?」
マリアベルがまず、そう声を掛けた。
「いや、その……まあ……」
少し迷ったアシュレーだったが、最後には申し訳無さそうに頷いた。
「悪いとは思ったのじゃがの、どうしても話しておかねばならなかったのじゃ。こうやって、ゆっくりと話が出来る日が、この世界にいる内に何度有るか……。ファルガイアに帰還してから伝えることも出来ると言えばその通りじゃが、もし、そこまで時間を開けてしまえば……否、もし、扉の奥でアシュレーが出て来るのを待っておったら、わらわは、未来永劫この想いを伝えることが出来ぬような気がしたのじゃ」
「すまぬ……」と、マリアベルが消え入りそうな声で、自分に向かって謝った詩が、アシュレーに聞こえた。
「……」
「……」
目を閉じたまま、ジッとマリアベルの言葉を待つアシュレー。対するマリアベルは、その前で、二度三度と呼吸を整えていた。そして、意を決したように、キッとアシュレーを見上げた。
「アシュレー」
「うん……」
「その……」
「うん」
「すまぬっ!!!!」
そう言って、マリアベルがその場で頭を下げた。
「へ?」
なんとも、間抜けな声がアシュレーの口からこぼれた。
無言で、しかし真剣な表情で頭を下げるマリアベルに、アシュレーは思わず瞑っていた目を開けてしまう。
「『何故……』、お主はそう思っているじゃろうな」
顔を上げてフッと笑ったマリアベルの瞳は、どこか覚悟を決めた悲しげなものだった。
「昨日の夜の事じゃ」
「昨日の夜?」
「うむ」
マリアベルが首肯した。
「昨日の夜が、どうかしたの?」
しかし、アシュレーはよく分からないようだった。首を傾げるしかない彼に、マリアベルは核心を告げた。
「昨日の夜、アシュレーはわらわを止めようとしたじゃろ?」
「そういえば、そうだったね」
「だから……じゃよ」
「は?」
本気で訳が分からなくなるアシュレー。そのアシュレーを前に、マリアベルはあの時の自身の心の内を正直に打ち明ける。
「あの時、わらわはアシュレーの制止を振り切って、賊め等を殺そうとした……」
「え?」
「そんな事?」というのがアシュレーの正直な感想だった。マリアベルも其れを察し、少し困った様に頷いた。
「そう、たった其れだけじゃ。じゃが、わらわにとっては、重い……とても重い事なのじゃ」
アシュレーは、その真剣な紅い眼差しに魅せられていた。
「なんで……そこまで……」
呪縛の中でやっと絞り出したのが、その言葉だった。
「……分からぬか?」
「うん……」
アシュレーは嘘をついた。
アシュレーは、確かに察しの良い方では無い。特に男女の機敏に関しては。だが、伊達に既婚者だった訳でも無かった。少なくとも、十年程の結婚生活で、それなりに女性を観察する機会というものがあった。その経験が……否。事ここに至っては、マリアベルが自分にどんな想いを寄せているのか、分からない訳が無かった。
が、だからアシュレーは逃げを打った。別にマリアベルが嫌いだった訳では無い。では、マリナに未だ執着しているのかといえば、其れも少し違っていた。
マリアベルに対して嘘を吐いたアシュレーは、言い表し様の無い嫌悪を感じていた。それも、他ならぬ自分自身に対してだ。
アシュレーは、自分自身の心の変化に戸惑っていた。
アシュレー・ウィンチェスターはマリナ・アイリントンを愛していた。彼女との間に生まれた二人の子供の事も。彼がタウンメリアを放れ、放浪の旅に出てからも、その一事だけは決して変わらなかった。例え、その別れが、アシュレーの心を重く縫いつける楔となっていたとしても……。
タウンメリアを放れてからのアシュレーの心は、ぽっかりと穴が空いた様にがらんどうだった。その空洞は、時折家族を思い出すことで埋めることが出来た。だが、その『家族との思い出』自体が、アシュレーの心を孤独感や寂寥感よりも苛む時があった。
(それが……何時からかな?)
マリアベルと再会してから、アシュレーの心は嘗て無い程に安らぎと安堵を感じていた。
幼子の様な無上の信頼。その先には何時も……
(マリアベルがいた……)
もう、隠すことは出来無かった。アシュレー・ウィンチェスターはマリアベル・アーミティッジに惹かれていた。が、其れが何を意味するか……其れも又、アシュレーはよく分かっていた。
マリアベルに惹かれる事、彼女を選ぶという事は、イコールでマリナを裏切るという事に繋がる。アシュレーには、それはあってはいけない事だった。
マリアベルに惹かれるうちに、マリアベルの事をよく目で追うようになった。マリアベルの事をよく考えるようになった。マリアベルの心を推し量るようになった。それ故、マリアベルが、少なからず自分と同じ気持ちである事は……理解していた。
が、だからこそマリアベルの気持ちに気付かない振りをした。マリアベルとの仲の進展、それはアシュレーにとって、マリナへの裏切りを意味していたから……。子供達や、タウンメリアでの日々への冒涜になってしまいそうな気がして怖かったのだ。
だが、その返答が、マリアベルの行動を決定してしまった。アシュレーはマリアベルの気持ちを察していた。だが、それが彼女にとって、抑え難いものになっている事までは、分かっていなかった。
「そうか……」
マリアベルが大きく息を吸い込む。
「ならば言おう。わらわが何故、アシュレーが些細と思う様な事で懊悩したか」
ジッと見つめてくるマリアベルの瞳の魔力に、アシュレーは金縛りにあったかの様に動けなくなる。この言葉を聞いてしまえば、自分はもう元には戻れなくなってしまう。確信に近い不安とも期待ともつかない思いがアシュレーの胸の内で渦巻いていた。
永遠とも思える刹那が二人の間を流れた。そして……
「わらわは……マリアベル・アーミティッジは、アシュレー・ウィンチェスターのことを仲間では無く、一人の女として……慕って……おる……」
静かに、そう告げた……
再び沈黙が影を落とす。告白の言葉を告げると、直ぐに俯いてしまったマリアベルと、そのマリアベルに声を掛けようにも言葉が見つからず内心で右往左往するのみのアシュレー。内心での混乱が解けぬまま、アシュレーが何とか声を絞り出した。
「何で……僕?」
出て来たのはそんな疑問だった。
マリアベルにとって、アシュレーの制止を振り切ってまで攻撃を加えようとした事が心痛める程の重荷であるならば、アシュレーにとってはその疑問こそが心の底で燻ぶる火種だった。
「そういえば、言った事が無かったの……」
フッと小さく笑みを浮かべて、懐かしげな表情となるマリアベル。
「初めて会った時、正直に言えば少々頼りなく見えた。ファルガイアの国々の屈強な精鋭達が次々と倒れ伏す姿を見て来たわらわには、どうしてもそう思えた」
そう、静かに少女は語り始めた。
「それから、アナスタシアがロードブレイザーを封印して一人になったわらわは、自然とお主の事を考えていた。このファルガイアに一人残ってしまったわらわにとって、いずれ出会う事が出来るアシュレーが、たった一つの光に思えた」
どこか苦しそうに、しかし同時に懐かしそうな表情も浮かべている。
「ノーブルレッド城で時を待つわらわは、寂しさと悲しさで引き裂かれそうになる度にアシュレーの事を思い出した。何度も、何度も……その都度、わらわはお主の言葉に救われておった。いずれ出会う事が出来る嘗ての仲間との再会。これほど心躍るものは無かったわ……」
ふと柔らかくなった視線。アシュレーとの再会に思いをはせた日々は、彼女にとっては苦しくも絶望の日々では無かったのだろう。
「再会した時、隣に立つブラッドとリルカには嫉妬したものじゃ。そこはわらわの場所じゃと勝手に憤ったりもした」
自身の未熟さに苦笑する姿は、無邪気な少女の様であった。
「マリナの存在を知った時、わらわはこの想いを胸の内の奥深くへと沈めることに決めた。このような事、告げられてもアシュレーは迷惑するだけじゃろうと思った。わらわの身勝手な想いで、アシュレーが苦しむ姿は見たくなかった」
「例え、横恋慕をしただけのわらわを振っただけだとしても、優しいお主は苦しんだじゃろうからの……」そう言って、大きく溜息を吐いた。
「浅ましい……じゃろう?」
「え……?」
マリアベルの口からそんな言葉が零れ出た。ギュッと握られた彼女の小さな手が微かに震えていた。
「アシュレーをどうしたいのか、結論の出ぬこの身の何と浅ましい事か!!!!!!!」
マリアベルが叫んだ。
「アシュレーを想っておった。想っておったのじゃ!それなのに!わらわの欲望は!」
ギリッと歯が鳴る。
「一瞬ごとにアシュレーに全てを上げてしまいたくなるのに!その一瞬ごとにアシュレーが欲しくてたまらなくなる!」
口の端が牙で傷つき、ツーッと深紅の鮮血が流れる。
「もっと早く!再会してすぐ、まだ記憶を取り戻す前に伝えれば、否、マリナが隣に居る時に伝えておれば、お主は傷つかずに済んだ!なのに!」
バッと上げた顔の表情は、今にも泣きそうな、悲痛な思いに彩られていた。
「それなのに、それが出来なかった!」
顔を掻き毟るように、その爪を突き立てながら、マリアベルはその場に崩れ落ちた。
「諦める?胸の内に秘める?ははっ!お笑い草じゃ!最後の最後に、口にしてしまえば、そんなもの同じじゃろうに!」
マリアベルの慟哭は、留まる所を知らなかった。ぐしゃぐしゃになった顔で、しゃくりあげながらもなんとかアシュレーを見上げる。
「『愛してる』と言いたかった!言う資格など無かった!欺瞞に満ちた声で『愛』などと叫びたくなった!」
それは、懺悔だった。マリアベル・アーミティッジの、ファルガイア最後のノーブルレッドの、無花果の葉さえ無い姿だった。
「『恋してる』と言いたくなかった!全て欲しいなどと、わらわの思いが妄執だけでは無いと傲慢にも思っていた!」
どうしても、口にしたく無かった。彼から奪うだけには、本当になりたくなかったのだ。
「じゃから、わらわは逃げた!どっちつかずのまま!想いを告げようとした!エゴとエゴの間で卑怯にも逃げた言葉しか言えず、告げぬ方が遥かに良い心を口にせずにおられなんだ!」
胸の内はただ一つ。
「わらわは、アシュレーを!!!!!」
その瞬間、アシュレーはマリアベルの事を抱きしめていた。両の腕で、強く、強く……。そこから先を、口にさせる訳にはいかなかった。そんな事をすれば、
(マリアベルが……壊れる……)
そう思った。
(本当に、僕は鈍感だ)
「ごめん、マリアベル」
そんな言葉が、口を突いて出た。
「ふぇ?」
「マリアベルの気持ちに気付けなくて、マリアベルを傷付けて……」
「ち、違、わら」
「そうじゃないよ」
マリアベルの言葉を遮って、アシュレーは強く言った。
「ねえマリアベル、一つだけ、聞いてもらってもいいかな?」
「な、何じゃ?」
彼女が小さく震えているのが伝わる。こんなに小さな体で、こんなに脅えながら自分に全てを曝け出したのだと、アシュレーは身に積まされる思いがした。
「いくよ?」
「う、うむ」
コクリと小さくマリアベルが頷いたのを感じ取り、スッと身体を離す。その瞬間、「あ……」と寂しそうな声を上げたマリアベルに苦笑するが、今は我慢していて貰わないといけない。
緊張した面持ちで、アシュレーの視線を受け止めるマリアベルの頭を優しく撫でてやる。すると、少しだけ安心した様に身体の力を抜いたマリアベルだったが、不安そうな、何かに脅える視線だけは変わらなかった。彼女に、そんな視線をさせてしまったのは、他でもないアシュレー自身だった。その責任は、とらなければいけない。いや、本当はそんな事ではない。アシュレーは、彼女にそんな辛そうな顔をしていて欲しく無いのだ。
何故?
そんな疑問が、欠片も湧き上がらない程、アシュレーは既にマリアベルに囚われてしまっていたのかもしれなかった……。
「僕も……マリアベルが好きだ。仲間としてだけでなく、一人の女性として」
「え……?」
マリアベルからそんな言葉が漏れた。何が起きたのか分からない様子で、ただただアシュレーを見つめるしか出来ないでいる。いつもの達観した様子からは考えられない程、初心な彼女の表情に、アシュレーは更に愛おしさを感じる。だから、話をここで終わらせる訳にはいけなかった。嘘や欺瞞が……何よりも彼女を傷つけてしまう事くらいはアシュレーも分かっていたから。
「でも、もう一つ謝らなくちゃいけない事がある」
「……」
「僕は、マリナの事も今でも大切だ」
「……」
アシュレーの真剣な表情に、マリアベルは聞き入る様に視線を向ける。アシュレーが本当の想いを、真剣に自分に伝えようとしている事を理解したから。
「馬鹿者……」
口にしながら、マリアベルはアシュレーに抱きついた。
「そんな言い方、卑怯ではないか……」
「うん。分かってる」
マリアベルには、アシュレーを責めることは出来なかった。嘗て愛していた人を、あっさりと忘れる事が出来る様な人間を、好きになった覚えは無かった。
そして、そんな卑怯な事をしてまでアシュレーが本心を伝えたのは……自分の、マリアベルの為であった事も、ハッキリと伝わっていた。
「そこはもっとこう、気の効いた言葉で心の傷を鮮やかに癒す所じゃろうに。それをよりにもよって、わらわと同じくらいダメな所を曝け出して、わらわに何も言えなくするなぞ、自爆特攻もいい所じゃろうが」
矛盾する自分を否定しにかかってしまったら、アシュレーの事も否定することになってしまう。マリアベルはマリアベルで、アシュレーはアシュレー。自分が生きた訳でも無い者の人生を否定するなぞ、マリアベルには出来なかった。
それに、自分の醜い姿を晒すというのは、本当に勇気がいることだ。ほんの少し前の自分の様に、勢いに任せでもしなければ、とてもではないが耐えきれない。それなのに、アシュレーはすぐにマリアベルに応えてくれた。欠片の躊躇も無く、ありのままの自分を見せてくれた。それが……無性に嬉しかった……。
「ごめん。僕は、英雄でも無ければ救世主でも無いから。……幻滅した?」
「そんな言い方、ずるいじゃろうが。わらわとて、昔本気で愛した人間を直ぐに忘れられるような薄情者は好きにはなれぬ」
そう言って、口を尖らせながらも、入って来た時とは違い悲壮感も何も無い、いつもの明るい彼女の表情に戻っていた。
「しかし何じゃな……」
少し身体を離して、アシュレーの顔を撫でつけながらマリアベルがひとりごちる。
「本当に一世一代、わらわ初の愛の告白だったのじゃが、なんともかんとも締まらぬのぉ」
「嫌だった?」
「そんな訳無かろう」
悪戯っぽく笑うアシュレーに、マリアベルもニヤッと笑って見せた。
「数百年越しの思いが伝わったのじゃぞ?しかもこの超が頭に四つ付く位の朴念仁に」
「超が四つって」
「当然じゃろ?わらわの想いに、直前まで気付いておらなんだじゃろ?」
「う……」
図星を突かれて、ばつが悪そうにするアシュレーを見て、漸く安心したのか「カカカ!」といつも通りの機嫌良さそうな笑い声を上げ、ビシッとアシュレーを指差す。
「マリアベル・アーミティッジより、アシュレー・ウィンチェスターに宣言する。わらわ達二人は、たった今より、仲間以上恋人以下の関係じゃ!」
「以下って……」
「未満では無い所だけは間違ってはならぬぞ!仮にも互いに愛し合っている者同士なのじゃからな!」
「いや、まあその通りだけど」
「そこでじゃ!今現在の中途半端な関係は、目一杯二人で楽しむと同時に、きちんと過去のものにしなければならぬ。わらわとアシュレーの関係の進展の意味ももちろん含んでおる」
「まあ、そうなるかな?」
「『かな?』ではなく、そうするのじゃ!」
「ていっ!」とアシュレーにチョップをして、話を続けるマリアベル。叩かれた所をさすりながら、何となく正座になってしまうアシュレー。その前で、胸を反らしながら、滔々と語るマリアベル。
「その為にも、まずはお互いこれからの目標を掲げる事じゃ!」
「何かノリが○○○を目指す○○部の○○生になってない?」
「シャラーップ!!!」
ピッと人差し指を一本伸ばした手を掲げ、マリアベルは宣言する。
「マリアベル・アーミティッジはアシュレー・ウィンチェスターに宣言する!わらわはいつか絶対に、アシュレーがマリナよりもわらわを選んでしまう位メロメロになる様、精進を怠らず、何よりも、アシュレーを愛し続けると!!!」
彼女らしい、愛の宣言だった。ならば、アシュレーがすることも決まっている。
「アシュレー・ウィンチェスターも宣言する。マリアベル・アーミティッジを今以上好きに成るために、真剣に、真直ぐ、何よりも、一切自分の心を隠すことなくマリアベルと向き合う事を。……あと、少しくらいマリアベルの好みに合う男に成る様にも努力するよ。確か、『うっとりメロメロ級のナイスミドル』だったっけ?道のりは遠そうだけど」
そう言って、苦笑するアシュレーに、マリアベルもニヤッと笑って「期待しておるぞ♪」と囁く。
「では」
「うん?」
「こういう宣言の後は、誓いのキスと相場が決まっておるじゃろうが」
「何を今更」という表情で口を尖らせるマリアベルだったが、直ぐに気を取り直すとグワシッとアシュレーの顔を両手でしっかりと固定する。
「ちょ、マ、マリアベル?」
余りにも色気が無い(宣言の間も無かったが)、誓いのキスに、流石に抗議ともつかない声を上げるアシュレー。しかし、マリアベルは止まる気は無かった。
「では、行くのじゃ!」
「う、うん」
思わず頷いてしまったアシュレーの前で、マリアベルが目を閉じる。
「……では、行くのじゃ」
「ど、どうぞ……」
「……」
「……?」
目を閉じた後、そのまま一向に顔を近づけてこようとしないマリアベルに、アシュレーが首を傾げる。しかし、彼女は一向に顔を近付けてくる気配が無い。
「あの、マリアベル?」
「なんじゃ?」
「えっと、キスは?」
「い、今、しようとしているところじゃ」
「その割にさっきから全然近づいて来てないみたいだけど……」
「……」
アシュレーから指摘されるのとほぼ同時に、マリアベルの顔がポンッと音を立てて赤くなる。そして、
「し、仕方ないじゃろうが!!!!!」
唐突にキレた。
「だ、大体、わらわはこれが初恋なのじゃぞ?父上や母上以外とキスだって、これが初めてなのじゃぞ?」
「ちょ、マリアベル!?」
顔を真っ赤にしてポカポカと頭を叩いて来る姿は、とても先程まで堂々とした態度で交際宣言をしていた者とは思えない姿だった。
「恥ずかしいに決まっておるじゃろうが!それに、家族とでは無く男女間のキスの仕方なぞ、知っている訳が無いじゃろうが!教本に載る様なのは、閨の術ばかりなのじゃぞ!」
「ス、ストップ!分かった!分かったから!僕が悪かった!だから落ち着いて!」
唐突に暴露されたマリアベルの性知識の出所に、思わず赤面するアシュレー。というか、ここまで盛大に自爆されると、最早何と声を掛ければいいのか。流石の元ARMS隊長兼既婚者であっても、完全にお手上げだった。目の前で「ふえぇぇん!」と泣くマリアベルは、どこに出しても恥ずかしく無い(むしろ恥ずかしい?)へなちょこレディだった。
「ほ、ほら、マリアベル!落ち着いて!」
「う゛ぅ゛〜あしゅれ〜」
赤ん坊をあやす様にマリアベルの背中を撫でさするアシュレーを、マリアベルは顔をぐしゅぐしゅにしながら見上げてくる。
「ああもう、大丈夫、大丈夫だから。誰でも最初はそうだよ」
「でも゛〜」
「ほら、今度は僕がするから。だからマリアベルも泣き止んで」
「う゛ん……」
コクリと頷いて、鼻を啜るマリアベルの頭を撫でながら、静かに呼吸を整えるアシュレー。マリアベルより慣れてるとはいっても、アシュレー自身そこまで経験が豊富な訳ではないのだ。
「アシュレー……」
顔を上げ、恥ずかしそうに目を閉じたマリアベル。彼女との生活が始まった時点で、こうなる事は既に決まっていたのかもしれない。少なくとも、自分はマリアベルとの関係がこうなる事を、すんなりと受け入れる事が出来ていた。そして、恐らくマリアベルも……。なら、思う事は決まっていた。
頬を赤く染めて、ジッと自分を待つマリアベルを見て、大きく一回息を吸う。そして、吐き出すと、改めて腹を決める。
「マリアベル……ずっと……一緒に居ようね」
「……」
マリアベルは小さく、だけど確かに頷いた。
アシュレーは、そっと自身とマリアベルの唇を重ね合わせた。
◆
―翌朝―
「ん……?」
アシュレーは頬に触れる何か温かなもので目を覚ました。昨日は結局、あのまま二人で風呂に入り直すと、そのままの勢いで同じベッドに二人は潜り込んだ。別に、勢いのまま最後の一線を越えてしまった訳では無かったのだが、心の距離が近くなった分、自然と身を寄せ合う事にも抵抗が無くなっていた為だった。
手の感触から、パートナーである彼女は既にベッドから抜け出している事が分かる。
「ん」
うっすらと瞼を開くと、視界の端に、透き通る様な金髪が目に映る。
「起きたかの?」
顔を向けてみれば、そこにはやはり、ほんのりと頬を染めたマリアベルが、少しだけ恥ずかしそうに笑っていた。
「うん。目は覚めた」
軽く伸びをしながら、上体を起こすと、お気に入りの白いネグリジェのまま、ベッドの上に座っていたマリアベルに軽く微笑む。
「おはよう、マリアベル」
「うむ、おはようじゃ」
コクリと頷いたマリアベルの頬に、軽くキスをして、ベッドから立ち上がる。
「今、何時くらいかな?」
「丁度、下で食事が始まった時分じゃ。七時から八時の間頃じゃろ」
ピョンッとベッドから飛び降りたマリアベルに、「そういえば」とアシュレーは首を傾げる。
「今日はいつもより早いんだね」
「む、わらわはネボスケではないぞ」
そう言って、プクッと頬を膨らませるマリアベルだったが、直ぐにそれを止めて、俄かに真剣な表情になる。
「今朝早く、店主がこれを持って来てくれての」
そう言って、マリアベルがピッと差し出したのは、一枚の飾り気の無い、白い便箋だった。
「これは?」
「ビダーシャルに来た命令じゃ」
マリアベルの言葉を聞きながら、便箋を裏に返してみると、そこには確かにガリア王家の紋章で封印がされていた。
「じゃあ、これが」
「わらわ達の最初の任務とういう事になる」
一瞬、視線を交錯させて、二人は互いに頷く。アシュレーが直ぐに開封すると、簡素ながらもこの世界では明らかに上質な紙に綴られた、一枚の命令書が出て来た。
「読むよ」
「うむ」
「えっと『地下水を討て』……」
「……それだけかの?」
「うん」
「他に、何か書かれてはおらぬのか?もしくは暗号とか」
「いや、そういった余計なものは全然書いてない。飾りすら無いから」
「炙り出しとかは?」
「そういったものも無いみたい。触った感触ではだけど。一応火で炙ってみる?」
「いや、アシュレーがそう言うのなら、そこまでする必要は無いじゃろ。しかし何とも、念の入った事じゃのう」
いささか以上に呆れた表情で、ポリポリと頭を掻くマリアベル。明らかに、今回の任務から臭って来る、命令『以外』の部分の面倒事を感じ取って、今からその始末を考え思わずその表情になったのだろう。その様子に、自身も同じ感想を抱いている為、アシュレーの方も苦笑しか出てこない。
「場合によっては、その『地下水』とやらの方も、わらわ達を殺す様に依頼を受けている可能性があるの」
「そうだね。下手をすると、その後に更に何戦も重ねないといけなくなるかも」
二人揃って、肩を竦める。
久方ぶりに、本気で掛る必要がありそうだった。相手は此方の命を明確に狙ってくるのだから。
が、特に気負う必要も無い。この程度の戦場ならば、二人とも既に数え飽きる程の回数を潜り抜けて来たのだから。
「それじゃあ」
「うむ」
「「出発!!」」
「「……の、前に朝ご飯」」
「だね」
「じゃな」
ひとまず二人は、昨日食べた美味しい食事を記憶から呼び起こしながら、二人仲良く朝の食事に想いを馳せるのだった。
どうもこんばんわ!もしかしたらおはようございますorこんにちわ。ノヴィツキーです。
まずはここまで読んで下さったことに感謝をば<(_ _)>
此処までこれたのも、移籍組の自分の作品の掲載を許可して下さった黒い鳩様や感想をくださった皆様のおかげです。
ありがとうございます。いろいろと至らない点の多い作者ですが、これからもがんばって執筆して行こうという決意を新たにする次第です。
此処から下、少し長くなります。
アンケートの件、ありがとうございます。参考に成りました。あとがきはこれからもこの形式で行こうと思います。
で、早速なんですが、いただいた拍手のコメントの返事です。溜まってたぶん一気に。
※二度感想を下さったセブン様とえびうま様の分はそれぞれ二回に分けてに成ります。
や。様
感想ありがとうございます。
いえいえ、むしろ途中で逃げ出した自分もかなりダメダメでした。書き直しが四度目くらいに成っていてつい心がぽっきりと(苦笑)
此方で感想を書いて下さった事に感謝を。
剣ファイブ様
感想ありがとうございます。
マイナーなカップリングですが、そう言って下さる方が他にもいるとシンパシーと共に嬉しさが
ニヤニヤは心の潤いですねw
セブン様
感想&誤字報告ありがとうございます。
正直、とっても助かります。なんだか誤字探しって時間かかるんですよね(遠い目)
普段はアシュレーを振り回しているけれど肝心な時は乙女!それが良い!!
以上、ダメ人間の主張でしたw
えびうま様
感想ありがとうございます。
自分も、「ワイルドアームズ2のssが少ない」→「なら自分で作ればいいじゃない!!」という動機で書き始めたんですよねw
アシュレー&マリアベルだけでなく、周辺キャラも疎かにしないで頑張りたいと思います<(_ _)>
tagi様
感想ありがとうございます
ナイトブレイザーは原作的に無理があったので廃案にしてしまいました。自分もナイトブレイザー大好きなんですけどねw
ロンバルディアは確かに居たらとってもチートですねw
今作に関しては、異次元の長距離航行が出来るか?という疑問があったのでナシにしました。話の展開的にもバランス的にも丁度いい様な気もします(チート増え過ぎると、自分の腕では収拾が……)
>>6様
感想ありがとうございます
まりべーはこれからもハルケギニアを縦横無尽に走り回りますw
セブン様
二度目の感想&アンケートありがとうございます。
あとがきはこっちの形でやる事にしました。
アンリエッタは、まあアホリエッタ化する理由も分からないでは無いんですけどね(苦笑)
アルビオンとの戦争なんかはタルブ戦はともかく侵攻が最善手だったかは正直疑問符が付きますしね。
個人的には天才だと思うんですよね。私情で戦争の引き金引いているのに、一番負荷が掛る筈の平民がメインの支持基盤とかチート過ぎw
まさる様
感想&アンケートありがとうございます。
シンプルに行く事に決めましたw
まりべーだって、まりべーだって頑張れば色気出せるよ!……たぶん。
ファンタジーにはラッキースケベ。全面的に賛同します。
ゼロ魔好き様
感想ありがとうございます
これからも頑張って更新していきたいと思います。
えびうま様
二度目の感想&アンケートありがとうございます。
あとがきはこのままで行く事に決めました。
バランスは自分でも配合を良く分かっていないので、何度も手直しに四苦八苦する有様ですw
アンリエッタはたぶん敵に回すといつのまにか自分が世界最悪の犯罪者になっている感じですマジチート(;一_一)
>正直、世界の命運より……
書いている本人も世界の命運よりも二人のやり取りの方が楽し(ry
沢山の感想ありがとうございます
おかげで脳内麻薬ドバドバで執筆出来ました。
これからの事なのですが、一週間のスケジュールの問題で更新を日曜日にする事にしました。
インターバルが少し変わりますが、よろしくお願いします<(_ _)>
P.S.
今から扉絵の申請をしてきまふ(ドキドキ)
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