第6話『眠れる獅子』
アークシティから南に30キロ離れた街道。
一台のバスがアークシティを目指して走っていた。
バス内には運転手と十数名の乗客の姿が。
最も後方の乗車席、そこに老人と黄髪の若者が座っている。
老人は瞳を閉じ、微動だにしない。
対して、青年は落ち着かない様子。
何か焦っているのか、窓の外をしきりに眺めている。
老人は閉じていた瞳を開き、溜息交じりに青年の肩に手を置く。
「レオ、少しは落ち着かぬか」
「ろ、老師……ですが、どうにも」
「アークシティにはまだ着かんぞ。妹のことが心配なのは心中察するが―――」
「ええ、そうです。何せ、顔を合わせたのは1ケ月以上前が最後ですからね」
レオと呼ばれた青年は、ぷるぷると身体を震わせている。
老師と呼ばれた老人は、やれやれと額に手を当てた。
「1ケ月以上ですよ、1ケ月以上……!最愛の妹に会えない僕の気持ちが理解出来ますか!?」
彼のこの世のものとは思えない形相に、老師も少し引く。
周囲の客もやや引いている。
「落ち着かんかい。ま、確かにそれだけ時間が空けば、あの子にも悪い虫の一匹や二匹が近付いとるかもしれんの」
「安心して下さい。そんな悪い虫は社会的に抹殺しますから」
「お主、仮にもそれがセイバーの台詞か……ヌゥ!?」
「老師、これは―――!」
ふたりは察知した。
そう、このふたりはセイバー。
危険を察知したのだ―――即ち、ブレイカーの存在を。
「運転手、バスを停めるんじゃ!ブレイカーじゃ!」
「え……は、はい!」
ブレイカーという言葉に、運転手はバスを急停止する。
バスから飛び出すレオと老師。
進行方向に、20体ほどのブレイカーの姿が。
「バスと乗客に被害を出すワケにはいかぬ。意刃で一気に片付けるぞ」
「はい!」
ふたりの手に意力が集束、意刃へと変換される。
レオの手には上下に刃が付いた剣―――双刃剣が握られている。
上の刃の先端に刻印が刻まれていた。
百獣の王たる獅子の刻印だ。
老師の手には湾曲した剣が握られ、こちらには天空の王者たる鷹の刻印が刻まれている。
ふたりはブレイカーをあっという間に片付けた、ほぼ瞬殺だったと言ってもいい。
意刃を解除するふたり。
「大したことありませんでしたね」
「儂はマスター、お主はアドバンスドじゃからのう。そういえば、お主もそろそろマスター昇格でもよいのではないか?」
「まさか。まだ、単独でドラゴン討伐を成せる自信はありませんよ」
「何を言うか、レイジはお主とそう変わらない頃にはマスターになっとったぞ」
「僕と爺様とでは役者が―――!?」
害意を感じ取った。
ふたりの反応は同時だった。
討伐したブレイカーとは別方向、バスの西の辺りにブレイカーが出現した。
「な……気配を断ったブレイカーがおったのか!?」
「いけない!」
レオが脚力を意力で強化、一気に加速する。
加速中、右手には双刃剣の意刃を展開させた。
レオとブレイカーの距離が縮まる。
と、後方から駆け付けようとしていた老師は疑念を抱く。
「(何じゃ、あのブレイカー?何故、直ぐにバスを攻撃したり逃げようともせずにレオを待っておるのじゃ……?)」
気配を断って出現したブレイカーはどういうワケなのか、レオを待ち構えている様に見えた。
あのままではレオに切り裂かれるのは目に見えている。
何か狙いがあるとしか思えない。
「レオ、気を付けるんじゃ!そやつ、単なるブレイカーでは―――」
「せやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
老師の声が届いていないのか、裂帛の気合を込めた叫びと共にレオは斬撃を繰り出す。
双刃剣がブレイカーを切り裂く、正に寸前であった。
ブレイカーが分裂して、斬撃を避けたのだ。
「なっ!?」
突然の事態に面食らう。
そのほんの僅かな隙を、ブレイカーは見逃さなかった。
分裂した1体が、レオに飛び掛かった。
障壁を張ろうとしたが、間に合わず。
右腕を裂かれる。
掠り傷程度だが、血飛沫が舞う。
「この!」
双刃剣で、ブレイカーの1体を突き刺す。
が、突き刺したというのにブレイカーは四散しない。
双刃剣を伝って、凄まじい速さでレオの右腕へと巻きついていく。
突き刺しても四散しないブレイカーに、老師はある事実に気付いた。
「く……こいつ、一体!?」
「レオ、そいつは体内にコアを持つタイプじゃ!それを破壊せん限りは斃せんぞ!」
ブレイカーの中には、コアと呼ばれる人間でいうところの心臓や脳を持つタイプのものが存在する。
コアを破壊しない限り、そのブレイカーを完全に斃すことは出来ない。
老師は分裂したもう1体に意識を集中する。
ブレイカーの上部―――人間でいう頭の辺りに集束する黒い意力の塊を感知した。
それこそがコアと呼ばれる心臓部。
「そこじゃ!」
老師の右手に意力が集束、手刀でブレイカーの頭部を貫く。
ブレイカーから奇声の様なものが聞こえ、黒い意力が四散する。
その一方で、レオの方は異常事態が―――。
裂かれた右腕の傷口に、ブレイカーが侵入していく。
まるで、これを狙っていたかの如く。
「うわぁぁああああああああ……ッ!」
「レオ!」
駆け寄る老師の言葉も届かず、レオは意識を失った。
アークシティ総本部、訓練室。
息を切らすふたりのセイバーの姿があった。
ひとりは言わずと知れたアヴェル・ディアス。
剣を握る手は勿論、身体中の至るところが傷だらけ。
もうひとりは黄髪の少女。
セイバー総本部総長レイジ・ラングレイの孫娘、アリス・ラングレイだ。
アヴェルとは子供の頃からの知り合いで、セイバー育成機関スクールの先輩にあたる。
彼女の手には獅子の刻印が刻まれた双刃剣が握られている。
アヴェルほどではないが、彼女も切り傷が見られる。
ふたりの眼前には、息切れどころか汗一つ流していない赤髪の男の姿が。
最早説明不要の規格外セイバー―――シオン・ディアスその人である。
彼は右手に剣を握ったまま、ごく自然体でふたりの前に立つ。
呼吸を整えたアヴェルが、踏む込む様な構えを取る。
ディアス流剣術三刃、最大加速で敵を斬る剣“烈風”。
自然体のままのシオンが剣を握る手を上げ、切っ先をアヴェルに向ける。
真っ向から受けるという意思表示。
頬を伝う汗、剣を握るアヴェルの手に力がこもる。
「アリス先輩、ぼくが行ったら直ぐに走って下さい」
「うん、でもあんまり無茶しちゃ駄目だよ」
「無茶しなきゃあの人をあそこから動かすことは出来ませんよ―――いざ!」
一気に加速、シオンの眼前に迫る。
こちらに切っ先を向けるシオンの剣と自分の剣が激突した、正にその瞬間。
「―――!?」
アヴェルの身体は宙に舞った。
何が起きたのか、後方から駆けるアリスは思わず足を止めて見入ってしまう。
彼女には理解出来なかったが、宙を舞っている当人は自分の現状を把握していた。
「(静流か……ッ!)」
ディアス流剣術二刃“静流”、敵の攻撃を柔らかな剣筋で受け流す剣。
シオンは烈風による加速の勢いを静流で受け流し、更にアヴェルまでも弾き飛ばしたのだ。
体勢を整え、着地―――すぐさま距離を詰めて斬撃を放つ。
けたたましい金属音が訓練室に響く。
一撃、二撃、三撃、次々と打ち込まれるアヴェルの剣をシオンは片手だけで軽く受け流していく。
常人から見ればアヴェルの放つ斬撃は決して遅くはない、寧ろ速過ぎて目で追うのがやっとだろう。
だが、生憎と彼らセイバーは常人の類ではない。
必死に剣を振るう赤髪の少年は顔にこそ出してはいないが、心底では悔しい気持ちで一杯だった。
―――この人には、ぼくの剣はまるで届いていないのだと。
同じディアス流の剣術だが、技量の差があまりに大きい。
地面から頂上の見えない山脈を見上げる気分とでも言えばいいのか。
強いことは重々承知していたが、こうまで差が大きいとは。
剣がぶつかる毎に、苦痛に歪む顔。
手が痺れる、受け流されているだけで剣を握る手に疲労が蓄積されていく。
攻撃を受け流すシオンの口が開く。
「残り20秒だ」
「ッ!アリス先輩―――!!」
「いくよー」
「もうちょっとテンション上げてくださいよォ!?」
マイペースなアリスに、思わずツッコミを入れてしまう。
彼女は双刃剣を高く振るい、シオン目掛けて突撃する―――が。
ズシャァァァァァアアアアアという、豪快な音と共にズッコケてしまう。
双刃剣は手元から離れ、彼女は床に倒れ伏す。
「アリス先輩ィィィィィィィィィィィィ!?」
「―――終了だ」
「あ、時間切れ!?」
シオンは剣を鞘に納めた。
アヴェルは溜息をつき、床に膝を落とす。
ズッコケたアリスはというと、うーんと声を上げながら起き上がる。
「惜しかったね」
「全然惜しくないですよ、完敗です。シオンさんをあそこから引きずり出すことすら出来なかったんですから……」
アヴェルが指差すのは、シオンの周囲。
シオンが立つ場所、そこは白い丸枠の中だった。
半径は5メートルほどか。
つまり、彼はその丸枠から外へ出ずに二人を相手にしていたのだ。
事の発端は数時間ほど前に遡る。
アリスが突然、シオンと訓練がしたいと言い出したのだ。
理由を尋ねたところ―――。
「御先祖様の戦友の強さを体験してみたくて」
緊張感のない声でそんな言葉が返ってきた。
もう少し、しっかりして貰えないだろうかと、アヴェルは目の前の先輩を見ながら思う。
子供の頃からの付き合いだが、彼女ほど緊張感の欠片もないセイバーはいないだろう。
彼女の手元から離れている獅子の刻印が刻まれた双刃剣を見て、納得のいかない表情で額に手を当てる。
「どうして、緊張感の欠片もないアリス先輩が意刃を作り出せるんでしょうかね……」
床に転がる双刃剣は金属ではない、意力で構成された刃“意刃”。
彼女は意刃を作り出せる―――即ち、アドバンスドクラスのセイバー。
最高位であるマスターに次ぐ実力を持つ階位に名を連ねているのだ。
実力者なのだから、少しは威厳を持ってほしいものである。
ちなみに今回の訓練内容はシオンを1時間以内に枠の外に出すことで、勝利することではない。
結局、彼を枠から外に出すことすら叶わなかったが。
シオンは何処から出したのか、緑茶が注がれている湯呑みを口に付ける。
「アリスだったな、筋は悪くない。ただ、動きに無駄が多いな。君の先祖は無駄のない最小の動きでブレイカーを仕留める名人だったぞ」
「爺様から聞いたことあります、獅子王って呼ばれてたとか」
「うむ、メルトディスほどその異名が合う男はいないだろうな。最小最速で敵を仕留め、的確な指示で百戦錬磨の猛者達を率いる手腕は正に獅子の王としか言えない」
「へぇ、メルトディス・ラングレイ―――アリス先輩の御先祖様って歴史の本とかでしか知らないけど、凄い人だったんですね」
ディアス家とラングレイ家は太古の昔からの盟友として広く知られている。
シオンは500年前のディアス家当主、アリスの祖先たる当時のラングレイ家当主メルトディスとも当然顔見知りだ。
「強いだけじゃない、彼は知識の泉と言っても決して過言ではない一流の知識人だった。彼からは実に多くのことを教わった―――」
「アリスちゃん!」
訓練室にリューが入ってきた。
何やら大慌ての様子。
「何だ?」
「リューさん、どうしたんですかそんなに慌てて?」
「シオンさんとアヴェルくんもいたの……って、それどころじゃないのよ!アリスちゃん、直ぐに中央病院まで来て!」
「病院に?私、怪我なんてしてませんけど?」
「レオくんが病院に担ぎ込まれたのよ!」
「「!」」
「(レオ……?)」
シオンにとって、初めて聞く名前だがアヴェルとアリスには馴染みのある名前の様だ。
ふたりはリューと一緒に訓練室から飛び出していく。
ここにひとりだけ居ても意味はない。
訓練室から出て行った面々を追うことにした。
アークシティ中央病院。
3階にある病室の扉が開かれ、3人の来訪者が訪れる。
アリス、アヴェル、リューの3人だ。
病室、ベッドには黄髪の青年が眠っていた。
傍の椅子には老人がひとり、腰掛けている。
「老師、レオさんは……」
「お兄ちゃんッ!」
アリスがベッドで眠る青年―――実の兄、レオの傍に駆け寄る。
眠る兄は、妹の呼び掛けに応えない。
「……すまぬ、儂が共に居ながら。生きてはおるが、このままでは……」
「一体、何が―――」
「失礼する」
「お主は……?」
病室に新たな来訪者、シオン・ディアスが現れる。
「俺はシオン・ディアスと―――失礼、御老体。もしや、貴方はロンド家の出身だろうか?」
「いかにも、儂はラウル・ロンド。ロンド家の先代当主を務めていた者じゃ。何故、儂がロンドの者と?」
「知り合いにロンド家の人間が居る―――それよりも」
シオンの視線がベッドで眠るレオに向けられる。
傍まで近寄り、レオの容態を観察する。
彼が昏睡する原因を瞬時に理解した。
「―――憑依型ブレイカー“ナイトメア”が体内に侵入したのか」
「(この若者、今の僅かな観察で見抜いたのか……!?)」
僅かな観察で事態を察した赤髪の青年の眼力に、驚きを隠せない老師。
アヴェルはレオの昏睡の原因にハッとした。
「憑依型ブレイカー!?確か、スクールの授業で聞いたことがあります。人間に憑りついて命を奪う極めて稀なブレイカーだと―――」
「ああ、普通の人間ならものの数時間で死に至る。意力が強いセイバーでも数日が限界だ」
「そんな……何とか出来ないんですか!?」
「方法が無いワケじゃない……“精神干渉”を行い、彼の精神世界に潜入してそこに巣食うブレイカーを討伐すれば助かる筈だ」
精神干渉―――その言葉にアヴェルは聞き覚えがあった。
他人の精神世界に潜入することが出来る唯一の手段だと、スクール時代に授業で習った記憶がある。
憑依型ブレイカーに侵されている人間を救うにはそれしかない。
だが、大きな問題がある。
精神干渉は最高難度の技術と聞く。
扱える人間が居なければ、そもそも話にならない。
「誰か、使える人間が居るんですか?老師はどうなんです?」
老師ラウルは表情を曇らせ、首を横に振る。
「無理じゃ、儂は体得出来なかった。今、病院関係者に扱える人材を手配しておるのじゃが―――」
「俺がやろう」
名乗りを上げたのはシオンだった。
全員の視線が彼に注がれる。
「シオンさん、精神干渉が使えるんですか!?」
「以前にメルトディスに教えて貰った。まさか、使う機会が訪れるとは思わなかったがな」
「(メルトディスじゃと―――確か、500年ほど前のラングレイ家当主の名前だった筈。それに、先ほど聞いたシオン・ディアスというこの若者の名は……)」
「ラウル老師でいいだろうか、貴方に頼みたいことが」
「ん……ああ、すまぬ。儂に頼みとは?」
シオンの言葉で思考を停止する老師ラウル。
「精神干渉を行っている間、この病室全体を範囲障壁で保護して頂きたい。他の人間が不用意に介入すると精神干渉が途切れてしまう可能性がある。リューはこのことを病院関係者に連絡してくれ」
「うむ、承知した」
「わかったわ」
リューは病院関係者に事情を説明する為。病室を後にする。
シオンはアリスとアヴェルに視線を向ける。
「次に彼の精神世界に行くに際してだが―――まず、術者である俺は当然行く。俺の技量だとあとふたり連れていくことが可能だ。そこで、アヴェルとアリスに来てほしい」
「え?アリス先輩はともかく、どうしてぼくも?」
アヴェルは自分が選ばれたことに首を傾げた。
実力が上のアリスやシオンが行くならともかく、どうして自分が?
「お前、アリスの兄とは知り合いなんだろう?」
「ええ、まぁ。子供の頃からの」
「だからこそだ。精神世界は現実で例えるならば自分の家の様なものだ。つまり、他人がずかずかと入って来るのを拒む反応を起こすことがあるんだ。だが、自分のことをよく知る相手には拒否反応を示すことは少ない」
「なるほど……じゃあ、シオンさんだけよりも知り合いであるぼくと家族であるアリス先輩が付いて行った方がいいんですね」
「俺だけでは門前払いされる可能性大だ。アリス、君もいいか?」
「お願いします、お兄ちゃんを助ける為なら」
話は纏まり、精神干渉による眠れる獅子救出作戦が開始される―――。
30分後、老師ラウルが病室全体に範囲障壁を張り巡らせた。
彼の肩にはリューが手を掛けている。
単に肩に手を掛けているワケではなく、自らの意力を送り込んで老師が巡らせている障壁を相乗効果でより強固なものに仕上げているのだ。
これもシオンの提案であり、リューも承諾した。
シオンはレオの額に右手を当てる。
「さて、始めるとしよう。ふたりとも、俺の肩に手を」
「「はい」」
ふたりの手がシオンの肩に、シオンはすっと瞳を閉じる。
肉体全体から意力が発せられる。
やがて、それは右手に集束されていき、眠れる獅子の身体を包んでいく。
と、同時であった―――アヴェルとアリスの眼前が真っ暗になったのは。
肉体が真っ逆さまに落ちていく様な感覚に襲われる。
―――ここは!?
突然の事態に戸惑うふたり。
シオンが困惑するふたりに声を掛ける。
「落ち着け、ここは彼の精神世界へ至るまでの道だ。もうすぐ、入り口が見えてくる筈だ―――下を見ろ」
ふたりが視線を下に落とす。
扉が見えた、大きな扉だ。
あれがレオの精神世界への入り口なのだろう。
「アリス、君が扉に触れてくれ」
「私がですか?」
「ああ、あの扉は単なる扉ではない。君の兄と全く接点の無い俺が触れても、扉が開く可能性は低い。彼と繋がりが深い、妹の君ならば開けられるだろう」
「分かりました」
シオンに言葉に従い、アリスは扉の前へ。
大きく頑丈な扉―――彼女はそっと触れる。
扉が一瞬だけ輝き、大きな音を立てて開いていく。
3人は頷き合い、開かれた扉の先へと進む。
扉を抜けた先、そこは大きな屋敷の玄関だった。
アヴェルとアリスには憶えのある場所。
「ここって、まさか……」
「私の家!?」
「ラングレイ家の邸宅か。俺が知るラングレイ家の屋敷とはかなり違うな……」
眼前に広がるのはラングレイ家の邸宅。
アリスの生家、アヴェルもよく知る場所だ。
シオンが知っているのはこの時代より500年前、盟友だったメルトディス・ラングレイが当主を務めていた頃の屋敷しか記憶にない。
場所は大陸最大の都市フォーゲル、早い話が現代のアークシティに存在した。
元の時代と現代の風景を重ね、シオンはあることに気付いた。
「アリス、俺の時代のラングレイ邸は街の東に建っていたんだが……今は違うのか?」
「今は中央区に建ってますよ」
ということは、少なくとも500年の間に建て替えたということになる。
500年前、この地で大きな戦いが起きてフォーゲルは荒廃したと書物には記されていた。
その時に旧ラングレイ邸も崩壊したと見るべきか。
一体、どれほど強大なブレイカーが襲ったというのか。
現代と同じく、セイバーの総本山が置かれていた街だ。
例えドラゴンが10体以上同時に襲来しても迎撃可能な戦力が揃っていた筈だが―――。
思考を即座に切り替える、今はそれを考えている時ではない。
眠れる獅子を目覚めさせることが目的なのだ。
「レオさんの精神はこの屋敷の中で眠っているんでしょうか?」
「おそらくな、行くとしようか」
「はい」
そう言って、シオンとアリスは屋敷に入ろうとする―――屋敷の窓から。
アヴェルがその場でズッコケたのは言うまでもない。
すぐさま起き上がり、ふたりを制止する。
「待たんかィィィィィィィィィ!アンタら、どっから侵入しようとしてんだァァァァ!?」
「え?だって、正面から行くなんて罠に掛かる様なものじゃない」
「その通りだ、正面から行って罠に掛かったらどうする?」
「いやいや、ぼくら泥棒じゃないんですよ!?」
「忘れたのか、ここは精神世界。しかも、憑依型ブレイカーに憑りつかれている人間のだ」
「あ……!」
「憑依型ブレイカーが侵入者用に罠を仕掛けているのは目に見えている。こうやって侵入した方が手っ取り早い」
そう、冷静に考えれば分かることだ。
ここは現実ではなく、個人の心の中の世界。
しかも、ブレイカーに侵されているのだ。
なら、ブレイカー側が何か妨害を用意していてもおかしくはない。
「よし、行くぞ。ふたりとも、ほっかむりと風呂敷を忘れるなよ」
「結局泥棒じゃねーか!」
ややアヴェルのキャラが崩壊しつつも、屋敷の窓から内部に侵入する。
内部は至って普通、罠らしき物は見当たらない。
だが、油断してはならない。
何時何処から何が襲ってくるか……と思いきや。
「ふむ、質素な内装だな」
「爺様や父様、派手な内装は嫌いですから」
「メルトディスの質素倹約なところは子孫にも受け継がれているな」
屋敷に侵入するや否や、シオンとアリスが何事もない様に屋敷の廊下を歩いていく。
アヴェルのツッコミが入ったのは言うまでもない。
「何普通に会話しながら歩いてんですか!?罠があるとか言ってたのは何処の誰!?」
「いや、あまりにもあっさり侵入出来たからな」
「そうそう、何か拍子抜けしちゃって」
「抜け過ぎでしょ!もうちょっと緊張感を―――」
「む―――そこの角から何か来るな」
「「え!?」」
耳を澄ますと、確かに足音が聞こえてくる。
敵ブレイカーの尖兵か。
迎撃態勢に入る3人。
一気に片付けて、先に進もう。
しかし、廊下の角からやって来たのは3人の想像を超えるものだった。
「早くお兄ちゃんの部屋を掃除しないと」
やって来たのはアリスと瓜二つの顔をした少女、しかもメイド服を身に纏って。
シオンとアヴェルが石化したのは言うまでもない。
何だ、あれは―――もしや、罠の類か?
メイドアリスは3人に気付いていないのか、パタパタと走っていく。
「あれは一体―――」
「もしかして、私の生き別れのお姉ちゃんかな?」
「んなわきゃないでしょ!ここ、レオさんの心の中の世界でしょうが!?」
「とりあえず、あのアリスモドキを追うぞ」
「モドキじゃありません、生き別れのお姉ちゃんかもしれない人です!」
「……はぁ、もうツッコむ気力も無くなってきたよ」
アリスモドキ(命名者シオン)を追う一行。
モドキは2階へ向かい、一行も階段を駆け上っていく。
何処に行くのか、目的地は?
やがて、終点へと到着―――アリスモドキはその部屋に入っていく。
「む?どうやら、あの部屋が目的地か」
「あそこ、お兄ちゃんの部屋!」
「レオさんの部屋……そういえば、あのメイドアリス先輩が部屋を掃除するとか言ってましたね」
「じゃあ、お兄ちゃんはあそこに?」
「可能性は高いな。準備はいいか?ほっかむりと風呂敷は装着済みだろうな?」
「問題ありません!」
「大ありだっつーの!つーか、アンタら何時の間にほっかむりと風呂敷を身に着けてるんですか!?」
「いいか、目当ての品を手に入れたらズラかるぞ」
「ラジャー!」
「了解せんでいいわァァァァァァァァ!というか、目当ての品って何!?」
シオンとアリスはほっかむりと風呂敷を纏い、古典的な泥棒スタイルでレオの部屋への侵入を試みる。
アヴェルは脱力しながらふたりの後に続く。
レオの室内、そこにはソファに腰掛けて読書しながらコーヒーに口をつけるレオの姿。
部屋の中を掃除するアリスモドキの姿もあった。
レオは侵入者に気付き、立ち上がる。
「だ、誰だ!?」
「「泥棒です」」
「違ぁぁぁぁぁぁぁぁぁう!さっさと元の姿に戻らんかい、レオさんの警戒心MAXだろうがァァァァァァァァァ!!」
「「ちぇ、つまんないの」」
「やかましいわ!シオンさんもいい大人なんだから、少しは大人の貫禄って奴を見せて下さい!!」
「アヴェル、俺がディアス家当主を務めていた頃どれだけストレスを溜めていたか理解出来るか?少しくらい自由を満喫させてくれ」
「フリーダム過ぎんだよ!時と場所を選ばんかいィィィィィィ!!」
いそいそと泥棒スタイルを解いていくふたり。
怒涛のツッコミに疲れたのか、流石のアヴェルもぜーはーと息を切らす。
目の前のやり取りに、ポカンと口を開けているレオ。
ふと、泥棒の片割れが妹であることに気付く。
「アリス……!?どうして、アリスはここに―――」
「お兄ちゃん、その人は私じゃないわ!生き別れのお姉ちゃんかもしれない人よ!!」
「な、なんだってー!」
「話をややこしくしないで下さい(怒)。レオさん、ここは現実じゃありません。ここは貴方の精神世界―――心の中です。貴方、憑依型ブレイカーに侵入されて眠っている状態なんですよ!」
「僕の心の中だって―――?」
「そうです、ぼく達は精神干渉でこの世界にやって来て―――」
「騙されちゃダメ!その人達は悪い人よ、お兄ちゃん!」
「え!?」
レオの前に繰り出すメイドアリス。
突然の事態に、アヴェルも言葉が詰まる。
シオンはメイドアリスを観察―――その身体から若干の黒い意力が迸ったのを見逃さなかった。
「アヴェル、そいつが憑依型ブレイカーだ」
「え、このメイドアリス先輩が!?」
「おそらくは彼が最も心許す存在に化けているのだろう」
「何て姑息な真似を―――いや、それはそうとして何故にメイド姿なんでしょうか?」
「……彼の願望だろうな」
「……まぁ、分からなくもないですね。レオさん、シスコンですから」
妹にメイド服を着せたいという彼の願望が、憑依型ブレイカーに反映されたのか。
やや引き気味のシオンとアヴェル。
そりゃ誰だって引きたくなる。
妹への愛が強いのを悪く言う気はないが、少々行き過ぎてる。
「お兄ちゃん、私の言うことが本当のことよ!」
「違うわ、私の言うことが正しいの!」
「え、その……」
「「どっち、お兄ちゃん!?」」
「う、う〜ん……め、メイドの方のアリスの言葉を信じ―――」
どうやら、メイド服の魔力は想像以上に強力な模様。
ブツン、何かが切れる様な音が聞こえた。
あ、何かヤバイかも―――と、寒気を感じるディアス家のふたり。
ふたりは頷き合い、そそくさと部屋に隅に避難する。
本物のアリスの身体から意力が立ち昇る。
心なしか、色が真っ赤に見える様な気もしなくない。
「お兄ちゃんの……バカァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!」
吹き荒れる意力―――メイドアリスが吹き飛ばされる。
レオは何とかその場に踏み止まる。
意力が治まると、彼女は突然服を脱ぎ出した。
「ちょ、アリス先輩……一体、何してるんですか!?」
「メイドさんが何よ!本物の私ならこれくらいするんだから!!」
彼女の姿に絶句する一同。
それは男ならば、誰もが一度は夢見る浪漫―――裸エプロンであった。
「アリス先輩、いくらなんでもはしたないですよ!すぐに服を……」
「待て、アヴェル。彼の様子がおかしいぞ」
「は?レオさんがどうしたんですか―――」
視線をレオに向けた。
彼はプルプルと震えている。
そして、次の瞬間―――。
「フォオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!」
鼓膜が破れそうな雄叫びを上げた。
肉体からは膨大な意力が放出、まるで爆風だ。
耳を塞ぐディアス家のふたり。
吹き飛ばされないのは、ある意味で奇跡か。
一体、彼に何が―――。
「歓喜の雄叫びだな」
「か、歓喜って……」
「メイド服を超える願望が目の前に顕現したことによる歓喜の雄叫びだ」
「……言ってて空しくないですか?」
「少しな―――ん、どうやら俺達が手を下す必要は無いらしいな」
「あ!」
レオの発する膨大な意力に当てられたメイドアリスが苦しみ出す。
当然だ、ブレイカーが間近であんな強い意力を受けたら一溜まりもない。
やがて、化けの皮が剥がれる様にメイドアリスがどす黒い人型へと変貌する。
アレが本来の憑依型ブレイカーの姿なのだろう。
しかし、元の姿に戻ったのも束の間だった。
吹き荒れるレオの意力によって跡形もなく消し飛ぶ。
シスコンパワー恐るべし……戦慄するディアス家のふたり。
憑依型ブレイカーが消し飛んだと同時に、それは起きた。
周囲の景色がグニャグニャと歪む。
「な、何が起きてるんですか!?」
「彼の意識が戻るぞ。そうすれば、俺達も外に弾き出される」
「ちょ、それを先に言って―――うわぁぁあああああああああッ!」
「きゃあああああああああああああ!?」
3人は目に見えない強い力で押し出される。
一瞬の暗転―――はっと目を開くと、そこは元の病室。
老師ラウルとリューが安堵の表情で障壁を解いた。
「見事じゃ」
「お帰りなさい、心配したわよ」
「お兄ちゃんは!?」
アリスがベッドのレオに視線を向ける。
レオは瞼を重そうに開く。
「ここは―――」
「アヴェルくん、お兄ちゃんにココアを!」
「お約束のボケをかまさないで下さい。今日はツッコミの連続で疲れてるんですから……あれ、シオンさん何処に行くんですか?」
「精神干渉の使用で少し疲れた、外の空気に当たってくる」
彼はそう言い残すと、病室から出ていく。
レオは見慣れない赤髪の青年の後ろ姿を見送る。
「今の人は―――?アヴェル、君の縁者かい?」
「ええ、まぁ……信じられないけど、ぼくの御先祖様の兄で500年前のディアス家当主らしいんです」
「やはり、彼がそうじゃというのか……」
「老師?」
老師ラウルは何かを悟った様な顔をしている。
「アヴェルよ、儂の家系―――ロンド家の太刀筋がお主のディアス流とよく似ている部分があるという話は聞いたことがあろう?」
「じいちゃんから聞いてます。何でも、ずっと昔にロンド家の当主がディアス家の当主から剣を学んだと」
「うむ、先祖が遺した日記によるとその時のディアス家当主の名がシオン・ディアスだと」
「それじゃ、シオンさんが老師の御先祖に剣を教えた師匠ってことですか?」
「そうなるの。しかし、何故に500年前の人間がこの時代に生きておるんじゃ?」
「ああ、そういえば経緯を説明していませんでしたね。実は―――」
病院の屋上、備え付けてあるベンチにシオンは腰掛けていた。
ふぅ、と一息つく。
精神干渉による疲労の為か、身体に鉛でも付けられた様な気分だった。
「メルトディス、お前の子孫は無事だ。感謝の言葉のひとつくらいくれよ?」
返事は無い、当然のことだが。
彼の盟友であるラングレイ家の当主は、この時代ではとっくに墓石の下で眠っているのだから。
「500年後の世界……か」
今でも自分の置かれた状況が信じられない。
何が原因でこの時代に来たのか―――記憶を辿っても答えは見つからない。
否、それ以前の問題だ。
欠落している記憶の存在だ、何か大切な記憶が抜け落ちている。
500年前に起きたという戦いが、この時代に来たことと何か関係があるのだろうか。
ビュウと、肌に突き刺さる様な冷たさの風が吹いた。
「風が冷たいな……風邪をひく前に退散するとしようか」
頭を掻きながら病院内へ戻ろうとした時だった。
―――礼を言う。
聞き慣れた友の声が聞こえた様な気がした。
周囲を見回すが、自分以外には誰もいない。
「幻聴か、それともあの世からの感謝の言葉か―――どちらでもいいか」
一瞬だけ微笑を浮かべた後、病院内へと戻っていく。
この後、老師やレオと談笑することになるのだがそれはまた別の話。
・2023年2月17日/文章を修正
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