第18話『始源の地』
―――早朝、炎の里グラム。
里の守護者として、代々この地を守り続けてきたディアス家の朝は早い。
ディアス家夫人、イスカ・ディアスは洗顔と歯磨きを終え、自室で服装を整えると台所に向かっていた。
「さて、朝食は何を作ろうかしら……あら?」
何やらいい匂いがして、鼻をスンスンと鳴らす。
明らかに何らかの料理の匂い。
「はて、何で料理の匂いがするのかしらねぇ?」
ディアス邸はなかなか広いが、家政婦の類は雇っていない。
家事全般はイスカがしている為、他に料理を作る人間など居ない筈だ。
匂いの元は食事を摂る広間からしており、扉を開けて中に入ると―――。
広間のテーブルには料理が置かれていた。何時も、自分が作っている料理とは明らかに異なる。
具沢山の炊き込みご飯に、卵焼きと焼き魚、味噌汁に漬物といった品々、大陸から東に浮かぶ極東諸島の料理だ。
テーブルには、ふたりの若者がテーブルに着いて料理を食べている。
ひとりは良く知る顔、というか知っていて当然の顔だ。お腹を痛めて生んだ我が子アヴェル。
もうひとりは白いロングコートを纏う赤髪の青年、過去のディアス家当主だったというシオン。
彼等はテーブルの上の食事を黙々と口にしている。
チラッと息子が視線を向けてきた。
「おはよう、母さん。ご飯出来てるよ」
「イスカさんの分もある、冷めない内に食べてくれ」
「ええ、いただきます」
彼女はテーブルに着くと、まずは味噌汁に口を付ける。
―――美味しい、と驚きの表情に変わる。
極東料理もある程度作れる自信があるイスカだが、今食べている料理は明らかに自分が作る物よりも美味い。
炊き込みご飯、卵焼きと焼き魚も絶品、食べ終えた彼女はほうと満足気な表情に変わる。
シオンが緑茶を湯呑みに注ぎ、イスカに差し出す。
湯呑みを受け取った彼女は、ずずっと食後のお茶を堪能する。
「ふう、御馳走さまでした。さぁ、食器を片付け―――じゃないでしょうが!ちょ、何時帰って来たのよ!?」
テーブルが大きいので、流石にちゃぶ台返しのツッコミはしないイスカさん(笑)。
まぁ、ビックリするだろう。何せ、息子が予告無しにいきなり帰省するのだから、驚かない方が無理というもの。
息子は紅茶を啜って一息、至極自然体のまま、母に視線を向ける。
「母さん、朝から大声出さないでよ」
「質問に答えなさいぃぃぃ!というか、何故にシオンさんまで?」
「用事があってな。ところで、俺が作った朝食は気に入って頂けたか?」
「え?ええ、とっても美味し―――って、ええ!?さっき食べた朝食作ったのってシオンさん!?」
「うん、ぼくも驚いたよ。まさか、シオンさんがこんな美味しい極東料理を作れるなんて」
ディアス邸に到着するなり、彼が向かったのは屋敷ので炊事場であった。
何故、と目を点にしながら後に続いたアヴェルが目撃したものは、洗練された手つきで料理する元当主の姿であった。
包丁捌き、料理の仕込み等々……一流の料理人の仕事ではないかと思わせた。
「お袋が極東諸島の血筋だったからな、子供の頃に教えて貰った」
「え!?シオンさんの母親って極東諸島の出身なんですか?」
「母方の祖父が極東諸島の出身だ。お袋は大陸の人間との間に生まれたと聞いた」
意外な事実に驚く、まさかディアス一族に極東諸島の人間の血が流れていたとは。
シオンがやたらと緑茶を愛飲しているのは、母方の血筋の影響なのか。
ハッと話が逸れたことに気付くイスカ。今聞きたいのはそんなことではない。
このふたりが、どうしてディアス邸を訪れたのかだ。
疑問に答えたのは元当主だった。
「イスカさん、突然の来訪に驚かせてしまって申し訳ない。実は、アヴェルに修行を施す為にこの里に来たんだ」
「修行?ああ、お義父様に稽古をつけて貰いに―――」
「いや、そうじゃない。俺とアヴェルは、これから“始源の地”に行くつもりだ」
「“始源の地”……?」
「ディアス家当主のみが、口伝で伝えられている秘されし修行場だ。アヴェルと共にそこに行く」
「なるほどな」
突然聞こえてきた声に、アヴェルとイスカが反応し、声の主に視線を向けた。
広間の扉が開き、入って来たのは先代当主にして当主代行を務めるアヴェルの祖父、ウェイン・ディアスその人だった。
シオンは、彼が来るであろうことは半ば予期していたのか、さほど驚いた様子はない。
「当主だった君ならば、やはりあの場所を知っていたか」
「ああ、無論。ウェインさんは行ったことがあるか?」
「若い頃に何度か行ったことがある。しかし、少しばかり性急過ぎないかね?」
「これから先のことを考えると、アヴェルが意刃を扱う必要性は高くなる」
「確かに……アヴェル、覚悟しておくことだ」
アヴェルは息を呑む―――“始源の地”、これから行くことになる秘されし修行場とは如何なる場所なのか。
ディアス邸の裏山、アヴェルはシオンと共にここを訪れていた。
後方にはウェインとイスカの姿もある。
この裏山は、幼い頃から剣の修行を行っていた思い出深い場所。父も祖父も、歴代の当主の誰もが幼少期をこの場所で過ごした記憶があるという。
「変わらんな、この場所は。どれだけ月日が流れても、この場所だけは昔のままだ」
感慨深げに呟くシオンの横顔をアヴェルは見つめる。この元当主も幼き日をこの裏山で過ごしたのだろうか?
やがて、一行はある場所へと辿り着く。その場所には大きな石があった。
大きさは5メートルほど、明らかに自然に出来たものとは思えない不思議な石。
アヴェルもこの石のことは知っていた。幼い頃から何度も目にしているからだ。
この石が何時頃から存在するのかは誰も知らない。里の記録をいくら遡っても、この石に関する記録は無いのだ。
石の前でシオンが呟いた。
「“始源石”」
「え?」
「この石の名は“始源石”という。遥か昔、我々の始祖はこれを発見したことで“力”を得たという」
「“始源石”……?この石から“力”を得たですって?」
「そうだ」
シオンの手に意力が集約される。集約された意力は鍔の無い剣―――意刃に具現化する。
刀身の中心、炎の刻印をアヴェルに見せる。
「始祖は発現させたのだ。この世で初めて刻印が刻まれた意刃をな」
「この石から刻印の意刃を……?」
「意力を発して、この石に触れてみろ」
「え?は、はい」
言われた通り、身体から意力を発し、肉体に意力を纏ったまま石に触れる。
すると、どうだろうか。何と、手が石にすっと入っていくではないか。
例えるなら、水面に入っていくような感覚だろうか。
驚きの表情をシオンに向けるが、彼は石の方に指を差す。このまま進め、という意味だろう。
不安を感じながらも頷き、彼は石の中へと入っていく。シオンもその後に続いていった。
石の中に消えていったふたり、残されたイスカとウェインは石を見つめる。
「大丈夫でしょうか……」
「アヴェルを信じるのだ、それにシオンくんも一緒に居る」
さて、家族のふたりがアヴェルの身を案じている頃。当のアヴェルは目の前の光景に困惑していた。
―――石の中、その先は不可思議な世界が広がっていた。
現実と同じように青空が広がっており、地面には草木などの植物も生えている。それだけならば特に驚かないだろう。
彼が驚いたのは、空中を浮遊する物―――それは島だった。小説などの空想の物語に登場する、空中を浮遊する島である。
ひとつではない、視界には少なくとも複数の浮遊島が確認出来る。
唖然とした表情のまま、シオンに尋ねる。
「な、何ですか、ここは……?」
「―――ここが“始源の地”と呼ばれる場所だ」
「……これ、夢じゃないですよね?」
「まぁ、信じられんのも無理はない、俺も初めてここを訪れた時は我が目を疑った」
「島が空を浮いてるなんて、小説か漫画の世界にでも迷い込んだ気分ですよ……」
「さて、それはそうと―――そろそろ気付いたか?俺達の世界と、この世界の大きな違いを」
「―――!」
指摘され、アヴェルは周囲を見回す。彼が着目しているのは浮遊する島ではない。
彼が感じ取ったものは意力だった。大気中に漂う意力の濃度。自分達の住む世界の大気にも意力は含まれているが、この世界の大気に含まれる意力の濃度は桁違いだ。
それに、妙な感覚が身体の芯から湧いてくる。自分の意力が活性化している……?
「この世界の大気に含まれる意力は非常に濃度が高い、俺達の意力を活性化させるほどにだ」
「なるほど……意力の鍛錬、修行には持ってこいの場所ですね」
「それだけではない。ふむ、来たな」
「は?」
シオンが上に視線を向け、つられる様にアヴェルも上に視線を向ける。
浮遊島のひとつが、自分達の頭上に停止。降下してくるではないか。
「え、ちょちょちょちょ!?」
「少し離れろ―――島が形を変えるぞ」
「は?形を変え―――?」
島が降下してくるだけでも困惑しているというのに、更にアヴェルを困惑させる事態が発生する。
降下する浮遊島が発光、次第に形状を変えていくではないか。唖然とする次期当主の少年と、その光景を当然とばかりに見つめる元当主。
ズン、と大きな轟音を立てて、島だったものはシオンとアヴェルの眼前に降り立つ。
それは巨大な扉だった。島は扉へと形状を変えたのだ。眼前で起きた出来事に目を丸くしながらも、扉の前に赴く。
「これは―――」
「アヴェル、この扉の先で何らかの試練が待ち構えている。覚悟があるのなら、扉を開けてみろ」
「……」
流れる汗を拭うことが出来ない。眼前に聳える巨大な扉からは、底知れない“何か”を感じる。
死ぬかもしれない、と本能で理解する。心臓の鼓動が早まる。
“今のお前の力では、俺は止められない”
あの時、ジスが自分に向けて放った念話が脳裏に蘇った。
立ち止まってなどいられない。あの人を止めるには少しでも強くならなければいけないのだ。
意を決して、扉を開いて足を踏み入れる。扉の先に広がっていたのは石造りの広間だった。
常識が麻痺しそうな心境だ。この世界が自分達の住む世界とは根本的に異なるということを思い知らされる。
目を凝らすと、広間の中央には何やら鎧らしきものが鎮座している。黒い鎧と黒い兜、見るからに怪しげだ。
「―――!」
鎧から意力を感じ取り、即座に腰の剣を抜いた。その反応は正しかったといえる。
鎮座していた鎧が立ち上がる。鎧の右手には長剣が握られている。明らかに自分に対して、攻撃する意思を見せている。
人……いや、どうだろうか。ここは現実とは異なる世界。鎧の中が人かブレイカーかは分からない。
ただ、鎧からは黒い意力は感じられない。奴はブレイカーではないのだろうか?
ふと、あることに気が付く。目の前の鎧の剣の構え。何時の間にやら構えているが、その構えをよく知っている。
「(……ぼくと、同じ構え?)」
そう、鎧の剣の構えは自分の構えと酷似、いや、全く同じだった。一体、何故?
鎧が動き出し、緊張が走る―――奴は長剣を振りかざしてきた。
かなりの速度だったが、躱せないほどの速さではない。打ち込まれてくる剣撃を捌き、相手の隙を窺う。
一撃、二撃、と剣を激突させる両名。石造りの広間に響く金属音、飛び散る火花。
だが、鎧と戦闘を続ける内に次第に疑念は強まっていく。
剣の構え、動き、攻撃に反応する時の癖……鎧の戦闘スタイルは完全に自分と同じだった。
奴は戦う敵の戦闘スタイルをトレースすることが出来るのだろうか?
幾度かの剣戟の末、隙を見出して兜を弾き飛ばした。
後退する鎧、追撃せずに距離を取って様子を窺う。
黒い兜の下には顔があった。人間の顔、それは良く知る顔―――自分の顔だった。
「ぼくが、もうひとり……?」
黒い兜の下の顔は、自分と同じ顔。だが、目は虚ろで陰鬱な雰囲気を纏っている。
先程、シオンは扉の先には何らかの試練が待ち構えていると言ったが―――。
「―――っ!?」
ハッと、眼前に刃が迫ることに気付き、自分の剣で受け止める。
けたたましい金属音が響き、後方へと弾き飛ばされる。
腕にビリビリとした震動が走る。重い、兜を被っていた時は比べ物にならない重さに瞠目する。
先程までは手を抜いていたというのか?剣速も段違いに速くなり、徐々に傷だらけになっていく。
「―――お前は、何故本気を出さない」
「……え!?」
「何故、本気を出さない?」
虚ろな瞳をしたもうひとりの自分が話し掛けてきた。
……本気を出さない?一体、何を言っている?
「本気を出しているつもりで、肝心な時に力をセーブしている。それが、今のお前だ」
「!!」
「心の何処かで感じているんじゃないのか、自分が本気を出しても何も守れない、と」
何も守れない―――その言葉を耳にしたことで、7年前の記憶がフラッシュバックされる。
7年前のあの日、父が昏睡、祖父をはじめとした腕利きのセイバー達が負傷した姿を見て、幼かった自分の手は震えた。
―――怖い、あんなに強い父達が手も足も出せない相手が存在することへの恐怖。
何よりも、自分の心を締め付けた出来事は、アンリが浄歌の反動で高熱を出して寝込んでしまったことだ。
熱は1週間過ぎても下がらず、苦しむ彼女の姿を見て、心に黒い感情が広がっていく。
自分の力では、何も守れないんじゃないのか―――?
7年が過ぎた今でも、あの時の感情が足を引っ張っている。
もうひとりの自分が言う通り、本気を出し切れていない。自分で限界点を決めてしまっている。
それが、自分が持つ迷い。シオンにも指摘されたのはそれだ。
迫りくる剣を受け止めるが、徐々に追い込まれていく。
流血も夥しく、剣を握る力も弱まる。
重い一撃が襲い掛かり、遂に自分の剣が弾き飛ばされる。
膝をつき、もうひとりの自分を見つめる。
もうひとりの自分は無表情に、剣を高く振り上げる。
―――これまでか、これが自分の限界なのか。自分は、ここまでしか来れない男だったのか……?
『諦めるな』
「!?」
『セイバーが諦めるのは、心臓の鼓動が止まった時だけだと言った筈だ』
誰かの声が聞こえた。男の声、シオンの声ではない。
懐かしい声だった。自分が良く知る男の声。
「(……父、さん―――?)」
『お前が居なくなれば、悲しむ人間が居る筈だ』
アヴェルの脳裏に、ふたりの少女の姿が浮かぶ。
『アル』
『アヴェル』
アンリとカノン、子供の頃からずっと一緒の、何よりも大切なふたり。
ここで自分が死ねば、彼女達にはもう会えない。
―――嫌だ、そんなのは。
「絶対に、嫌だ……っ!」
眼前に迫る剣を素手で受け止める。両手を意力で強化しているが、相手の剣に込められた意力は完全には相殺出来ず、血が噴き出る。
嫌だ、死にたくない―――死んで堪るか!
獣の様な咆哮が轟いた。アヴェルはもうひとりの自分の剣に渾身の意力を込めた。
受け止めていた剣が罅割れ、砕け散る。
後退するもうひとりの自分の顔面に、思い切り拳を叩き込んだ。
「ああ、そうだ。お前の言う通りだよ。ぼくは、ここ一番で本気を出し切れない間抜けだった」
一撃、二撃、三撃、と叩き込まれる拳。皮が破け、血が噴き出しているが、止める気配はない。
「だけど―――そんなぼくだけど、守りたいものがある。アンリとカノンを守りたい、何よりも大切なふたりを守りたい!!」
右手に変化が現れた、光り輝く棒状の様なものが形成されていく。それは、徐々に剣の形へと変わる。
鍔の無い長剣が、彼の右手には握られていた。
「お前がぼくの“迷い”ならば、負けるワケにはいかないっ!!」
一閃、出現した長剣でもうひとりの自分を真っ二つに斬り裂いた。
真っ二つにされたもうひとりの自分は、無表情な顔から何処か満足気な表情を浮かべると、粒子状の意力となって霧散した。
息を荒げながら、アヴェルは漸く己の手に握られた剣の存在に気付いた。
何時も、自分が使用している実体剣ではない。
「これって……まさか」
「そうだ、アヴェル。それがお前の意刃。迷いは晴れたようだな」
何時の間にやら、隣にシオンが来ていた。
じっと、アヴェルの持つ意刃に視線を送る。
細部は異なるが、刀身の中心に赤い炎の刻印が見られ、シオン自身が持つ意刃と酷似していた。
「ひとつ、壁を乗り越えたな」
「……ぼくだけの力じゃありません。聞こえたんです、父さんの声が」
「お前の父親の声が、か?」
「はい、セイバーが諦めるのは、心臓の鼓動が止まった時だけだと。お前が居なくなれば、悲しむ人間が居る筈だ、と―――」
「ふむ……」
昏睡しているアヴェルの父の声が聞こえた。
彼の父は、精神すら封じるほどの封縛に縛られている筈だが……。
「奇跡などというものが起こるとはな。さて、ボロボロのところ悪いが―――アヴェル、これから数日は俺が相手だ」
「……え゛?」
「何を間抜けな顔をしている?意刃を発現出来たら修行は終わりとは言っていない」
よく見ると、元当主の手には自分と同じく意刃が握られていた。
これから、意刃による実戦形式の試合を行うという意思表示に他ならない。
かくして、後に地獄の1週間として記憶される修行が施されることとなる。
始源の地からは、アヴェルの悲鳴が途切れることは無かった。まぁ、別世界なので誰にも聞こえないが(笑)。
そうして、瞬く間に時間が過ぎた。
1週間後、集い荘。
アンリとカノンは、気が気でない雰囲気を纏い、ウロウロしていた。
ソラスとザッシュは、何か声を掛けようかとも思ったが、凄まじく声を掛けにくい状況だ。
彼女達が気掛かりなのはアヴェルのことだった。
1週間前、彼がシオンと共に何の連絡も無しにいきなり姿を消して今日に至るのだから。
ソラスがザッシュを小突く。
「(おい、ザッシュ。何か場を和ませる言葉は無ぇのか?)」
「(そうしたいのは山々なんだけど……不評を買って、あの子達にボコられたりしたらどうすんの?)」
「(うーむ……)」
今の彼女達を下手に刺激したら、間違いなく彼女達は牙を剥くだろう。触らぬ神に祟りなし。
「あーもうっ!もう待てないよ、こうなったらアルが行きそうなところに片っ端から突撃しよ!」
「そう、ですね……。いくら何でも何の連絡もないのはおかしいです」
ふたりの少女は、幼馴染の少年の姿を求めて、集い荘の外へ出ようと扉を開く。
ドン、と扉の先にあるものにぶつかり、バランスを崩しそうになるも、何とか踏み留まった。
何事か、とふたりは扉の先にあるものを見つめる―――そこにはシオンが立っていた。
「大丈夫か?」
「シオンさん!1週間も何処に行ってたの!?」
「あの、アヴェルは!?」
「ん」
シオンが親指を立て、後ろを指す。彼の後ろにはボロボロになったアヴェルの姿が。
何やら虚ろな瞳で、ブツブツと呟いている。
うわぁ、とソラスとザッシュは後ずさる。何があったかは知らないが、尋常ではない有様。
ふたりがシオンを押しのけ、アヴェルに駆け寄る。
「アル―――」
「アヴェル―――」
今まで何処に行っていたのか、自分達に連絡もしないで心配を掛けて。
文句のひとつでも言おうとした彼女達であったが―――。
幼馴染の少年は、ふたりを抱き寄せた。温もりを求めるかの如く。
「ふにゃっ!?ア、ル……?」
「い、いきなり、何を……!?」
アヴェルの突然の行動に、真っ赤になって口をパクパクさせるふたり。
彼女達とて、年頃の乙女。幼い頃からよく知る間柄とはいえ、男に抱き寄せられて混乱しないワケがない。
彼は心から安心した様な表情を浮かべ―――。
「ただいま」
と、帰還の言葉を呟いた後、糸の切れた人形のように動かなくなった。
彼はふたりの少女を抱き寄せたまま、深い深い眠りの世界へと落ちたのだ。
やれやれ、とシオンは溜息交じりに頭を掻く。
「言いたいことがあるとは思うが……暫く、そいつを寝かせてやってくれ。何せ、俺が直々に修行を施したからな」
「なるへそ、シオンくん直々の修行じゃボロボロになるわけだよ」
「修行するなら連絡くらい寄越せよ」
「無理だ、別の世界に行っていたから連絡なんぞ出来ん」
「「はい?別の世界??」」
始源の地のことを知らないソラス達は、何のことかサッパリ理解出来ない。
一方、未だに真っ赤になっているアンリとカノンにシオンが声を掛ける。
「そいつが目を覚ました時の為に、何か御馳走でも用意してやってくれ―――新しいアドバンスドの誕生祝いだ」
「ふえ?」
「アドバンスドって、それじゃ……」
「そういうことだ。ソラス、ザッシュ、気を付けろよ。うかうかしていたら、あっという間に追い抜かれるやもしれんぞ?」
うっ、と言葉を詰まらせる大人組のふたり。
この化け物染みた男が、直々に稽古をつけたのだ。後輩の少年が自分達を追い抜く可能性は高い。
シオンは不敵な笑みを浮かべた。
「まぁ、安心しろ。お前達用の修行は考えている―――乞うご期待♪」
「「っ!?」」
ゾクッと、背筋に寒気を感じる。赤髪の元当主の見せる黒い笑みに慄く。
ああ、これはヤバイ。この男のことだから、途轍もない地獄を見せるやもしれない。
大人組ふたりが真っ青になっている中、眠るアヴェルを支える幼馴染ふたり。
まるで、遊び疲れて眠る子供のような彼の顔を見て、ふたりは呆れながらも笑みを浮かべた。
「「おかえりなさい」」
ディアス邸、グレン・ディアスの自室。
現当主グレン・ディアスは、7年前から昏睡。覚めない眠りに就いている。
身体には生命維持装置が取り付けられ、所謂植物人間の状態。
妻イスカは、最愛の夫の身の回りを掃除している。
ふと、何気に眠る夫に目を配り、思わず声が出そうになった。
眠る夫が笑みを浮かべている。目を擦ってもう一度見るが、表情に変化は無かった。
「(見間違い……?ううん、きっと―――)」
修行から帰って来た息子が、夫の声が聞こえたと言っていた。
きっと、この人が息子を助けたのだろう。
「(あなた、待っていますからね)」
掃除を終え、静かに部屋の扉を閉める。
グレン・ディアス、彼が目覚める日はいつの日か―――。
・2023年2月19日:文章を修正しました。
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