第32話『心を映す鏡(後編)』


 訓練室内に凄まじい発光が起きた。何事か―――と、周囲は身構える。

発光現象が収まり、光が晴れた時、そこにあった光景は……。

「あれは……!」

逸早く変化に気付いたのはアヴェルだった。罅割れていたジスの意刃は、傷一つない状態にまで再構成されていた。

否、単純に元の形状に再構成されたのではない。今までの禍々しい歪な形状から、シンプルでありながらも清廉さを感じさせる形状の籠手に変化していた。

ジスは変化した籠手の掌を前に突き出す。掌から光弾が発射される。

さっきまでの意刃は変形させて光弾を放っていたが、再構成された新たな意刃は変形させる必要がないようだ。

向かってくる光弾を防ごうとするシオンだが、その瞳が大きく見開く。

光弾が突如変化して、巨大な光る掌に変わった。その大きな掌でシオンの身体を掴んで壁際まで叩きつける。

「光弾が大きな掌に変化した……!?」

「へぇ、便利なもんだね。敵を攻撃する時は光弾、捕まえる時は掌に変化させる。戦いの幅が広がるね」

これまで使っていたジスの意刃より、明らかに使い勝手が増している。

おそらくは、あれこそがジスが本来発現させるべき意刃なのだろう。今までの意刃は、彼の精神面の不安定さゆえに本来の能力を発揮出来ていなかったに違いない。

壁に叩きつけられたシオンは、光る掌に押さえつけられたままだ。

しかし、ジスは瞬時に光る掌による拘束を解いてその場にしゃがんだ。

ジスの背後から回し蹴りが繰り出される。あと少ししゃがむのが遅ければ、回し蹴りは彼に直撃していた。

背後にはシオンが立っていた。同時に、拘束されていたシオンの姿が煙のように消えた。

リューが驚きの表情に変わる。

「実体分身……!一体、何時入れ替わったって言うの……!?」

光る掌に拘束されていたシオンは意力で作り出した実体分身だった。本物のシオンは、実体分身を囮にして背後に回り込んでいたのだ。

リューには見えなかったようだが、他の面々には辛うじて見えていた。

あの光る掌に掴まれる瞬間にシオンは実体分身を作り出し、本体は空間転移でその場から逃れたのだ。

しかし、同時に彼等は理解していた。これは、あくまで試合でしかないということを。

試合は、命のやり取りを行う実戦ではない。アヴェル達がシオンが分身と入れ替わったのを見破ることが出来たのは、彼が本気で出していないからだ。

―――やはり、彼は掛け値なしの怪物だ。マスター級のジスを相手にして、実力の一端しか見せていない。

距離を取って相対する両名。構えを崩さないジスと構えを取らず自然体のシオン。

シオンはジスの籠手型の意刃に視線を向ける。

「迷いは晴れたようだな。今のお前の意刃には恐れの感情は微塵も無い」

それは間違いではなかった。先程までの歪な意刃とは比較にならない程の力を感じる。

シオンは微笑を浮かべて、拳を構える――さぁ、全力を以て来いという合図だ。

それを察したジスもまた、静かに笑みを浮かべて前に出た。

同時刻、総本部内医療区画―――ゼルディの病室。

アンリ、カノン、レオ、アリスの4人は病室の扉を開く。巡回を終えて、ゼルディの見舞いに来たのだ。

1ヶ月が過ぎようとしているのに、ベッドの上で眠る彼が目を覚ます気配は無い。

心配するアンリ達だが、彼が命を取り留めて、こうしてここで眠っていることが本来ならばあり得ないのだ。

何せ、一度は心臓を貫かれているのだ。普通ならば、その時点で命は無い。

机に置いてある花瓶に見舞いの花を挿し、4人はそれぞれ椅子に腰掛ける。

「カノちゃん……ゼルおじさん、起きるよね……?」

「アンリ……」

「このまま起きなかったら、ジスお兄ちゃんが可哀想だよ……」

俯くアンリ。他の3人も掛ける言葉が見つからず無言になってしまう。

沈黙が支配する病室内。何とか場の空気を変えようと、レオが口を開こうとした正にその瞬間だった。

総本部内に凄まじい揺れが襲う。困惑する4人は椅子から立ち上がる。

「え?えっ!?」

「じ、地震!!?」

「た、大変!避難しなきゃ―――」

「いや、違う―――これは、意力の激突によるものか!?」

これが地震などの自然現象ではないと、誰よりも早く気付いたのはレオだった。

強い意力が激突することによって生じるエネルギーが、振動となって総本部に大きな揺れを齎している。

精神を集中し、意力を感知する。激突の発生源となる意力を。そして、その正体を悟る。

「これは―――シオンさんとジスさんか!ふたりが戦っている!」

「ど、どうしてふたりが!?」

「お兄ちゃん、場所は?」

「訓練室みたいだ。一体、何が―――」

突然の事態に戸惑う4人だが、更なる展開が。

呻き声のようなものが聞こえてきた。ハッとなり、視線を声の主の方に向ける。

声の主はゼルディだ。彼の口から確かに呻き声が聞こえている。

「……う」

重い瞼を開き、ゼルディの瞳が天井を捉えた。

「ゼルおじさん!」

「ゼルディさん―――よかった!」

「君達か……ここは、総本部か?」

涙目でゼルディの傍に駆け寄るアンリとカノン。アリスは既に号泣している。

レオも安堵した表情に変わる。

「そうです。総本部内の医療区画にある病室です。1ヶ月も目を覚まさないから心配したんですよ」

「1ヶ月もか……我ながら、よく無事だったものだ」

「あ、そうだった!何か知らないけど、シオンさんとジスお兄ちゃんが戦ってるみたいなの!」

「あの彼とジスがか……?場所は?」

「訓練室のようなんですけど……」

「レオ、すまないが肩を貸してくれるか?訓練室まで連れて行ってくれ」

「ゼルディさん、まだ休んでいた方が―――」

「頼む」

真剣な眼差しで懇願されれば、断ることは出来ない。ゼルディは上半身を起こし、ゆっくりと立ち上がった。

その身体をレオが肩を貸して支える。病室から出ると、外はざわついていた。

無理も無いだろう。総本部を揺らすほどの振動が襲っているのだから。

訓練室に辿り着くと、そこには流れる汗を拭うことなく目の前の戦いを見つめるアヴェル達の姿があった。

結界が張り巡らされた訓練室内では、シオンとジスが拳を交えていた。ジスは意刃から光弾を放った。

光弾を意力で強化した裏拳で弾き飛ばし、シオンは拳を放つ。ジスはその拳を受け流し、シオンの懐に潜り込む。

シオンは即座に拳を引き戻し、掌底を放つ。掌底はジスの顔面を捉えるが、彼は怯まず掌打を打ち返す。

両者共に一歩も引かず、激しい攻防を繰り広げている。

「これは……」

「レオさん?何時の間に―――ゼルおじさん!」

漸く、レオ達の来訪に気付く。彼に支えられたゼルディを見て、駆け寄る。

「よかった、目を覚ましたんですね!」

「ああ、心配を掛けてしまったな……。しかし、これはまた、凄いものを見せてくれるものだ」

「は、はい……正直、やり過ぎな気がするんですけど……」

戦いを続けるシオンとジスに視線を向ける。

彼等は互いに距離を詰め、至近距離での打撃戦を繰り広げる。

拳同士がぶつかり合う度に衝撃波が発生し、総本部内が大きく揺れる。

一見すると互角に見えるが、僅かにジスの方が押されているように見える。

だが、押されているにも関わらず、当の本人は何処か楽しそうに見えた。

「(何年振りだろうか―――ジスのあんな表情を見るのは)」

ここ数年、炎の里を襲った異形を斃すことばかり考えていた。

それゆえか、息子のあんな楽しそうな表情を見ることなど無かった。

今更ながら、ゼルディの胸中には後悔の念が渦巻いていた。やはり、息子は炎の里に預けるべきだったのではないだろうか、と。

グレンやカールの仇討ちに固執するのは、自分ひとりだけで十分だったのではないか。

葛藤する彼の肩を叩く者がひとり、総長レイジだった。

「ゼルディ、あまり思い詰めるな。ジスくんは後悔などしていないさ」

「総長……」

「今はこの試合だ。息子の成長を見守ることが父親としての務めではないか」

「……はい!」

結界が張られた訓練室内、シオンとジスの攻防は続いていた。

攻撃の手を一切緩めず、シオンが拳を振るう。それを紙一重で避け、カウンターを仕掛けるジス。

シオンはそれを片手で受け止める。

―――駄目だ、全て見切られている。対峙する赤髪の男に、自身の攻撃は全く当たらない。

当たっても全てが受け止められてしまい、決定打にならない。

ジスは一度距離を取り、呼吸を整える。意を決し、意力を練り上げる。

戦闘開始から相当の時間が過ぎている。目の前の男の猛攻で意力をかなり消耗している。

残る意力を全て込めた渾身の一撃。これに全てを賭けるしかない。

新生した意刃に全ての意力を集約していく。凄まじい圧力は結界の外にまで伝わり、結界に僅かだが罅割れが生じる。

結界に罅割れが生じるなど尋常ではない。あれで攻撃されれば、マスター級のセイバーですら重傷は免れないだろう。

だが、眼前に立つ男は次元が違う。その一撃が通用するかも疑わしい。

――それでも構わない。全身全霊、持てる全てを込めた拳を繰り出せばいい。

“いざ―――”

「勝負」

ふたりは同時に地面を蹴った。互いの拳が激突し、その日一番の振動が総本部内を襲った。










総本部内、医療区画―――空いていた病室のベッドの上にジスは居た。

腕には包帯が巻かれている。当然だろう、シオンの乱打を受けた際のダメージがあるのだから。

試合の結果はシオンの完勝。意力を使い切ったジスはそのまま気絶したようだ。

意識を取り戻した時は、既に夜だった。

ちなみに、訓練室はふたりの激闘の末にボロボロ。リューが頭を抱えたのは言うまでもあるまい。

今、病室内にはジスとアンリ、ソラスの3人が居た。

「しかし、まぁ……えらく派手にやられちまったもんだな」

鼻歌交じりにリンゴを剥くソラス。皿の上にリンゴを置く、それを食べるのはアンリ。

「ジスお兄ちゃん、大丈夫?シオンさん、容赦ないから(シャリシャリ)」

「……いや、嬢ちゃん。一応、それそいつ用に剥いたんだがよ」

呆れた表情でアンリを見つめるソラス。彼女はリスのように頬を膨らませながらリンゴを食べ続ける。

その様子を見たジスは思わず笑みを零す―――こんな風に笑うのは何時以来だろうか。

ふと、扉が開かれる。入ってきたのは父ゼルディだった。

意識が戻ったと聞いていたが、本来ならまだ安静にしているべきだ。

だが、彼は父として息子に語り合いたかった。

「ジス、大丈夫か?」

“問題ない。父さんの方こそ大丈夫なのか?まだ、休んでいた方が―――”

「まだ本調子ではないが、これくらい平気だ。ああ、君達も居てくれ」

親子の会話の邪魔をしてはいけないと思って、病室から出ようとしていたアンリとソラスは引き止められる。

ゼルディはふたりに頭を下げた。

「アンリ、7年前はすまなかった。君には命を救われたというのに、礼も告げずに姿を消したことを許してくれ」

「ううん、気にしてないよ。ゼルおじさんとジスお兄ちゃんが無事でよかった」

「アルフォードくん、君にも迷惑を掛けて申し訳なかった」

「ソラスでいいっスよ。それよか、アンタはこれからどうするんですか?」

「うむ……総長から頼まれてな。監視付きだが、これからセイバーやガーディアンに協力することになりそうだ」

この7年の間、ゼルディは様々なコネクションを築き上げていた。

これからは、それらの人脈や繋がりを使って、ブレイカーの討伐や犯罪組織の検挙に協力することを要請された。

極刑、よくても牢獄行きを覚悟していたので、これは予想外の展開だった。

民間人に危害は加えていないが、それでも違法行為を行っていたのは事実だ。

そう簡単に許されるとは思っていない。だが、罪を清算する機会を与えられたのだ。

ならば、それを無駄にするわけにはいかない。

ガタンと音が聞こえた。椅子に座っていたソラスが立ち上がっていた。

彼は、そのまま病室から出て行こうとする。病室の扉の前で、ピタリと止まると顔を向けずに一言発する。

「ジス。オレは、まだテメェを心から認めたワケじゃねぇ。信用を得たいなら、これからの態度で示しな」

“ああ、そのつもりだ”

ソラスは無言のまま、病室から出て行く。

病室から出ると、ザッシュが腕を組んで壁を背に立っていた。

「やれやれ、君も素直になれない男だねぇ」

「一度は敵対した野郎だ、そう簡単に信用出来るかよ」

「でも、根性は認めてるんじゃない?」

「少しはな。シオンとあそこまで戦える奴はそうそういねぇ」

試合とはいえ、シオンに諦めることなく立ち向かったことは称賛に値する。

自分やザッシュなら、開始3分でギブアップしてしまうだろう。

「ああ、それからジスくんには一応監視が付くよ。僕、シオンくん、ソラスくんの誰かひとりと常に行動するようにって」

「マジかよ……」

ジスの人柄からして、問題行動を起こすことは無いだろう。それでも監視役は必要だ。

相応の実力の持ち主が選ばれると思っていた。まさか、自分が監視役のひとりに選ばれるとは。

溜息交じりに天を仰ぐ。これから色んな意味で忙しくなりそうだ。

―――暫くして、病室内にはジスとアンリのふたりだけになっていた。

ゼルディは病み上がりだからと、心配したアンリによって彼が眠っていた病室に帰らされた。今頃、ベッドの上で眠っているに違いない。

“アンリ”

ジスの念話が頭浮かび、視線を彼の方に向ける。

“改めて、礼を言わせてくれ。7年前は本当にありがとう―――君の浄歌が無ければ、父さん達はあの異形に殺されていたかもしれない”

「わたしがしたことなんて、歌を歌ったくらいだけだよ。ジスお兄ちゃんには大怪我させて、声まで……」

アンリは、7年前に自分の歌った"浄歌"を思い出す。あれは、今でも鮮明に覚えている。

無我夢中だった。慕っていた“お姉さん”に頼まれて、必死に浄歌を歌った。

あの謎の異形を退けることは出来た。けれど、グレン達を本当の意味で救うことは出来なかった。

その上、自分を庇ってジスは喉が潰されて声が出せなくなってしまった。

もっと早く、自分が浄歌を歌っていれば―――後悔の念に表情を曇らせる彼女の肩にジスが手を置く。

“俺が声を失ったのは君の責任じゃない。7年前のあの日、君は俺に勇気を与えてくれた”

「勇気……?」

“炎の里を襲ったあの異形を目の当たりにして、俺は戦意を砕かれた。父さんやグレンさん達ですらどうにも出来ない怪物を前に、恐怖で体が動かなかった。だけど、そんな時に君の歌声が聴こえたんだ。まるで、暗闇に差し込む一筋の光のようだった。君の歌が、俺の心に勇気をくれたんだ”

自分の、こんな自分の歌が彼の心に勇気を与えた。その事実に胸が熱くなる。

心のつかえが取れたような気持ちになり、涙が溢れてきた。

グスッと鼻を鳴らす彼女に、ジスは穏やかな笑みを浮かべながら念話で伝える。

“監視付きだが、俺はセイバーに復帰する。これから、よろしくな”

「……うん!」

アンリは満面の笑みで返事をした。

こうして、セイバーにジスは復帰することとなった。

周囲とのわだかまりを解くには、まだまだ時間が掛かるだろう。

全てはこれからの行動で示していくしかない。セイバー―――救う者の誇りにかけて。




・2023年04月17日/文章を修正しました。



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