「イゼルローンの日常」

〜銀河英雄伝説<短編>




 宇宙歴七九七年末。

 自由惑星同盟において発生したクーデターは第十三艦隊によって鎮圧され、混乱は収束し、日常を取り戻しつつあった。時を同じくして銀河帝国の内乱も決着し、宇宙は束の間の平和にひたっているように見える。

 第十三艦隊司令官のヤン・ウェンリーは、クーデターの事後処理を済ませると、さっさと最前線であるイゼルローン要塞に引き揚げてしまった。

 ヤンファミリーを受け入れたイゼルローン要塞は、今日も活気と喧噪につつまれている……。




 午後三時から始まった会議は、一時間ほどで終了した。

 散会が告げられると、ヤン艦隊の幕僚たちは三々五々に会議室をあとにした。事務総監キャゼルヌは事務総監室へ、参謀長ムライと副参謀長パトリチェフは作戦参謀室へ、分艦隊司令官フィッシャーは宇宙港の管制室へ。

 要塞防御指揮官ワルター・フォン・シェーンコップも、資料を片手に引き揚げようとした。灰褐色の髪と瞳、洗練された容姿を持つ彼は同盟軍が誇る最高の陸戦部隊「薔薇の騎士連隊」の前代隊長を務めた男で、現在でも頻繁に陸戦の訓練を監督し、あるいは自ら実演していた。彼はこの後も、新兵の訓練に首を突っ込む気でいたのだが、会議室を出ようとしたとき、ふと司令官の様子が気に留まった。

 ヤンしきりになにかを探しているようだった。席から立ってデスクを見渡してみたり、(かが)みこんで机の下に潜ってみたり。シェーンコップ同様気になったのだろう、副官のフレデリカ・グリーンヒル大尉が声をかけた。

 「閣下、どうなさいました?」

 「あぁ、いや、大尉。なんでもないよ」

 悪戯を見つかった子供のような表情で、ヘイゼルの瞳を持つ美しい部下にそう弁明したヤンだが、どう見ても「なんでもない」ようには見えない。

 シェーンコップも興味をそそられ、入口に背を持たせかけながら意地悪く口を出してみた。

 「どうしました、司令官。財布でも落とされましたか」

 するとヤンは、きょとんと黒い瞳をまたたき、

 「なんで知ってるんだ、シェーンコップ?」

 と心底不思議そうに聞き返してきた。

 シェーンコップは驚きと呆れに目を見開いた。彼は冗談のつもりだった。司令官の行動が自分の想像の上を行くのはいつものことだが、今回は賞賛すべき点を見出せそうもない。

 まだ部屋に残っていて、やりとりを聞いていたダスティ・アッテンボローが「本当ですか、先輩?」と大きな声を上げる。

 もつれた毛糸のような灰色の髪を持つ彼はヤンの士官学校の後輩で、当時の名残から親しみを込めてヤンを「先輩」と呼ぶことがある。今回も無意識に、呼びなれた呼称が飛び出したようだ。

 ヤンは観念したようにうなずき、

 「さっきから探してるんだけど、見つからないんだ。大ごとにするつもりじゃなかったんだけど」

 とぼやきながら、おさまりの悪い黒髪をかき回す。

 シェーンコップの傍らに控えていた「薔薇の騎士連隊」隊長のカスパー・リンツ大佐が、心当たりを探してみましょうかと申し出た。ヤンが「実は会議が始まるまで、森林公園で昼寝をしていたんだ」と申告したのでリンツは公園を捜索すると言い、無駄のない動作で身を翻し歩み去った。

 その背をぼんやりと見送る司令官に、シェーンコップはいささか情けない気持ちで、注意を喚起せねばならなかった。

 「ヤン提督、財布に入っていたのは、現金だけですか。まさかとは思いますが、カード類も入っていたのではないでしょうな」

 シェーンコップの言葉に、当然と言いたげにヤンは点頭し、無邪気とも取れる口調で答えた。

 「預金カードなんて別々にしまうとどこへやったか分からなくなるから、全部まとめて財布にいれてあるよ」

 実際に行動は起こさなかったが、シェーンコップは心中で頭を抱えた。智将の誉れ高いこの人の頭脳だが、日常レベルではずさんとしか言いようがない。

 似たり寄ったりの感想を抱いたのだろう、アッテンボローも、ヤンに絶大の信頼を置くグリーンヒル大尉でさえも苦笑に似た表情を浮かべて視線を交わしあった。

 シェーンコップは声に険がこもらないよう意識しながら、上官に告げる。

 「ではのんきに構えている場合ではありません。取引のある銀行に連絡して、すぐにカードを止めてもらわないと……」

 「いや、そいつはやめとこう」

 ヤンは、シェーンコップの提案をあっさり却下した。

 「カードを停止したら、大量の書類を送りつけてきて、やれ署名だ、捺印だってうるさいからな」

 ヤンは以前に預金カードを紛失した際の事務手続きの煩わしさを思い出し、うんざりしていたのである。もちろん、紛失しなければ煩雑な手続きをする必要もないのだが、本人に自戒の色は見えない。

 「しかし、現金は使い切ったらそれでしまいですが、カードは残高のある限りいくらでも引き出せます。悪くすれば、勝手にローンを組むことだってできるのだから、面倒だからといって放っておくわけにもいかんでしょう」

 「でも、今は銀行の連絡先が分からないし……」

 「こちらが主な金融機関とカード会社の代表番号ですわ、閣下」

 援護射撃はグリーンヒル大尉だ。頼りにならない上官に代わって、素早く検索したらしい。

 大尉の示した画面を覗き込みながら、「あぁ、ありがとう大尉」と黒髪をかき回すヤン。しかたなさそうにTV電話に手を伸ばすのを見て、これで一安心とシェーンコップが思ったのも束の間、司令官がとんでもないことを言い出した。

 「あれ。給料の入っている銀行は分かるが、ほかはどうだったかな……?」

 どうやら、メインバンク以外の銀行を思い出せないようである。

 シェーンコップは今度こそ本当に頭を抱えた。ヤンの被保護者であるユリアン・ミンツ少年の苦労がしのばれる。

 「坊やなら知っているでしょう。ユリアンを呼んで来ますよ」

 盛大な溜息をひとつ残して、アッテンボローは走り去った。

 ヤンの手が空中で停止しているのを見て、シェーンコップはついに上官を叱咤した。

 「まずは銀行に連絡なさい。今すぐに!」

 部下が突然大きな声を出したことに驚いたらしいヤンだったが、今度は素直に、首都ハイネセンに本店を置く大銀行へ電話をかけ始めた。

 それからほどなく、アッテンボローがユリアンを連れて戻ってきた。そして、亜麻色の髪をした少年の右手には、個性のない黒皮の財布が握られていた。ユリアンは呆れを全身で表現し、アッテンボローのそばかすだらけの顔にも、隠しきれない笑みがにじんでいた。

 まさか、とシェーンコップは独白した。

 「提督! デスクの上に財布をお忘れです。肌身離さず持っていてくださいと、いつも言っているでしょう!」

 「やぁ、そういえばそうだった。すまないな、ユリアン」

 「無事戻って、よかったですわね、閣下」

 グリーンヒル大尉は笑顔でそう言ったが、シェーンコップの内面では、疲労感の嵐が吹き荒れていた。彼は瞳を閉ざしてその嵐をやりすごすと、おもむろに司令官の財布を奪った。

 全員のいぶかしげな視線が、シェーンコップの長身に集中する。

 「本日のディナーは、司令官閣下のおごりだそうだ」

 シェーンコップはせいぜい重々しく宣言した。

 ヤンは忙しくまばたきを繰り返したが、やがて黒い瞳に理解と諦めの色が広がり、小さく肩を竦めることでシェーンコップの言葉を肯定した。

 「やった! じゃ遠慮なくごちそうになります、先輩」

 はばかりなく喜ぶアッテンボローの隣で、グリーンヒルが公園へ捜索に出かけたリンツに連絡を取っている。リンツたちがことの顛末を知ったら、驚くだろうか、それとも呆れるだろうか。「両方だろうな」とシェーンコップは思う。

 視線を感じて振り向くと、黒髪の若い司令官が、和解を求めるような笑顔でベレー帽を握って立っていた。

 「どこかいい店を知ってるかな、少将」

 シェーンコップは笑って請け負った。

 「安くて美味い、ついでに酒の種類も豊富な店をご紹介しますよ、提督」
 その笑顔は、彼にしては珍しいことに、穏やかで毒気の少ないものになった。



 宇宙歴七九七年は、ささいな事件のいくつかを静かに包み込んで幕を閉じる。

 しかしそれは来る年の平和を保障するものではなく、イゼルローン回廊の胃袋は年が明けるとすぐに、多くの生命を飲みほすことになる……。



END

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

〜あとがき〜

 読んでくださってありがとうございました。

 何のことはない、イゼルローンの幸福なひとコマを書いてみたかっただけです。面倒見のいい(?)部下たちに囲まれて、ヤン提督は幸せですねw

 少し遅れましたが、5月14日はヤン艦隊がイゼルローン奪取に成功した日です。記念として、拙作を捧げたいと思います。「それがどうした!」ってツッコミはなしでお願いします……。

 それでは。

2012年 5月20日 ──路地猫みのる──

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



押して頂けると作者の励みになりますm(__)m


<<前話 目次 次話>>

作品を投稿する感想掲示板トップページに戻る

Copyright(c)2004 SILUFENIA All rights reserved.