ユリアンのイゼルローン日記
〜番外編〜
(銀河英雄伝説)
──○月×日──
僕が紅茶を運んで行くと、ヤン提督はデスクで昼寝をしている最中だった。
さきほど事務総監室に立ち寄ったばかりだから、僕は知っている。キャゼルヌ少将が、ヤン提督よりずっと忙しいのだということを。
デスクの上に両足を投げ出し、心地よく睡眠をむさぼっている提督を前にして、さてこの紅茶からブランデーの成分だけ抜き取ることができないかなと、ちょっと意地悪な想像をしていたら、グリーンヒル大尉がやって来た。
グリーンヒル大尉は、僕と視線を合わせて悪戯っぽく笑った。僕もつられて笑いかえす。そして大尉はわざとらしく咳ばらいして、ヤン提督を惰眠の淵から引っ張り揚げた。
顔に乗せていたベレー帽を落っことしそうになったヤン提督だったけど、なんとか平静を装ってイスに座りなおす。
「なにかな、大尉」
なるべく重々しく聞こえるように言うあたり、少しはバツの悪い思いをしているのかな?
グリーンヒル大尉は平然と、
「首都ハイネセンより、通信文が届いておりますわ」
そう言って、一枚の紙切れを提督に差し出した。
内容に目を通した提督は、さして興味をそそられた様子もなく「なんだ、この間も似たようなことをやったじゃないか」と呟く。
似たようなこと、が何のことなのか分からなかったので、提督に尋ねてみた。
「フライングボールの試合だよ。良かったな、ユリアン。またみんなからひっぱりだこだぞ」
提督はまんざらでもなさそうな顔をしているが、僕は当時の様子を思い出し、苦笑いになってしまった。
イゼルローン要塞に赴任した(僕はヤン提督にくっついてやって来た)ばかりのころ、各部局対抗のフライングボールの試合が行われた。いくつか賞をもらって活躍することができたし、とても楽しかったのだけど、けっこうエネルギーを消費する行事だったことは確かだ。
グリーンヒル大尉が笑顔で、「そうね、ユリアンはきっとまた大活躍ね」と言ってくれたから、体温が急に上昇した錯覚に襲われた。僕の所属していたチームは優勝したわけじゃなかったから、そんな風な評価は大それたことだと思うんだけど、でもやっぱり嬉しい。
大尉は、提督のほうへ向きなおり、
「閣下のご活躍も、期待しておりますわ」
と付け加えた。
きょとん、とした表情でまばたきするヤン提督。
「大尉、私はそんなものに出場する予定はないよ。私が出場したってケガするだけだし、第一に誰も喜ばない」
そうかな。アッテンボロー提督あたりが、大喜びで冷やかしそうな気もするけど……。
「このたびは、チームを自由に編成できるようです。参加資格が付与されるのは、将兵だけでなく、その家族も含まれるそうですから、以前よりずっと気軽にご参加いただけると思いますよ。お仕事がお忙しいようでしたら、そうも言っていられませんけれど」
グリーンヒル大尉の説明によると、将兵とその家族が好きにチームを作り、それでトーナメント戦を行うのだそうだ。家族も参加できるというのが、よりアットホームな雰囲気を作れていいかもしれない。なにより、ヤン提督と同じチームでプレイできるなら、僕にとってはとても嬉しいことだ。
でも提督は素直に参加するつもりはないようで、
「特に忙しいわけじゃないけどね。でもやっぱり、私は遠慮しておくよ」
穏やかに断言する提督の声を聞きながら、あぁやっぱりダメかと、僕はちょっと落ち込んだ。
ところが、グリーンヒル大尉は弾んだ調子で、
「まぁ、それでしたら、提督もぜひ、参加なさってくださいね。ユリアンといっしょにプレイできる機会なんて、そうそうありませんわよ」
ヤン提督を圧倒している。
「いや、あの、大尉……」
もごもごと反論しようとする提督より早く、グリーンヒル大尉は先ほどの通信文を掲げた。
「今度の大会は福利厚生の一環ですから、任務に差し障りのない将兵は全員参加するように、となっていますわ。今のところ大きな軍事演習などの予定もありませんし、提督も特にご予定がないとおっしゃるのであれば、じゅうぶんに参加資格は満たしていらっしゃいますわね。おめでとうございます」
ここで、再びグリーンヒル大尉と視線が交わった。どうやら、最初のあの笑みは、僕に援護射撃を要請するために向けられたもののようだ。
僕としても、提督の運動不足解消についていいアイデアが浮かばず困っていたところだったので、
「すごく楽しみですね、提督。大丈夫です、ケガなんてしないように、僕がおそばについていますから!」
グリーンヒル大尉といっしょになって、提督の参加をプッシュした。
提督は、なにも反論を思いつかなかったようで、意味もなくベレー帽をかぶりなおして、スクリーンに映る星の海を眺めていた。
「通信文を見たときにね、これだって思ったの。私は、どんなに忙しくても一日一度はトレーニングルームを使うようにしているのだけど、提督が運動していらっしゃるところを見たことがなかったから。やっぱり、健康のためには、適度な運動が大切だと思わない?」
司令室を後にして、ラウンジでお茶をしていると、グリーンヒル大尉が打ち明けてくれた。
「えぇ、そうですね。家の中でも、提督の運動している姿なんて見かけないし。ほんとうに、いい機会ですよね」
僕が同意すると、
「ありがとう、ユリアン」
大尉は、とても嬉しそうにほほ笑んだ。
ちょっと忘れられないくらいに印象的な、きれいな笑顔だった。
それから僕は、大尉に頼まれて、ほかの人たちにも試合のことを伝えることになった。
まず立ち寄ったのは、事務総監室。先ほども訪ねたばかりだったけれど、キャゼルヌ少将はこころよく僕を迎え入れてくれた。キャゼルヌ少将の決済を待っている書類の山から、嫉妬の視線を感じた気はしたけれど。
とにかく僕は、通信文の内容と、ヤン提督とのやりとりを伝えた。
キャゼルヌ少将は、意地悪そうだけれど温かさを秘めた声音で、
「ヤンの頭脳を以ってしても、ユリアンとグリーンヒル大尉にはかなわんようだな」
と僕たちの勇戦をからかった。
ただ少将自身は忙しくて、とても試合に出られる状況ではないそうだ。
まぁ、分厚い書類の山が所狭しと並んでいるデスクを見たら、納得するしかないけどね。
事務総監室を出てしばらく歩くと、偶然アッテンボロー提督に出会った。
僕が先ほどの話を繰り返すと、提督は人懐こい笑みを浮かべ、
「いいね。このところ面白い行事も事件もなくて、退屈していたところだったんだ。俺は喜んで参加させてもらうよ。ところで、チーム名も好きに決めていいのか?」
と意欲を示した。
僕が「構わないみたいですよ」と答えると、まるで運動会を目前に控えた子供のように表情を輝かせて、
「それじゃ『伊達と酔狂』で決まりだな!」
早速、チーム名を命名した。
チームメイトが揃う前から、名前だけ決めちゃっていいのかな。でもきっとこのチーム名が気に入った人が、アッテンボロー提督のチームに参加することになるのだろう。
はしゃいでいた提督だが、ふと、まじめな表情になって言った。
「ヤン先輩がフライングボールねぇ。ルールぐらいは知っていそうな気がするけど、頭で分かっていたって、体がついてこないんじゃどうしようもないからなぁ」
ヤン提督には、このことは黙っておいたほうがいいだろう。
シェーンコップ准将は、部下の人たちを相手にポーカーをしていた。
僕を見つけた准将は、
「じゃあな、諸君。俺はこれから、新人を鍛えるという重大かつ崇高な任務をこなさなくてはならないのでな」
などと言いながら席を抜けた。ほかのメンバーから「勝ち逃げはズルイですよ!」と抗議が上がっているが、准将が気に留める様子はない。
僕らは場所を移動し、そして僕は改めてフライングボール大会の話を切り出した。
准将は、ハイネセンの方角を向いて、不遜な笑みを浮かべる。
「連中、おおかた会計年度中に予算を使い切りたいんだろう。それで、『暇なやつは全員参加』なんてつまらんことを思いついたのさ」
なるほど。年末の無意味な道路工事と似たようなものか。
僕が妙に納得していると、
「ユリアン。そういう話は俺じゃなく、イゼルローンで一番暇を持て余している奴に持って行くんだな」
と、准将に肩を叩かれた。
「ヤン提督は、参加なさいますよ。グリーンヒル大尉の猛攻をかわしきれなかったから、仕方なく」
僕が言うと、准将は面白そうに声をあげて笑った。
「ふむ、確かにイゼルローンで一番暇なのはヤン提督と言えるかもしれん。しかしあの人の場合は、暇そうに見えたって頭の中で働いていることもあるだろうさ。俺が言ったのは、別のお調子者のことだよ、ユリアン」
そこまで言われると、僕にもはっきり、准将が誰のことを言いたいのか分かった。
「そうですね。じゃあ早速、ポプラン少佐にも大会のことを知らせてきますね」
そうして僕は、シェーンコップ准将と別れて、空戦隊の訓練所へと向かった。
まじめに訓練しているかどうか確信はなかったのだけれど、幸いポプラン少佐はそこにいた。
僕に気付くと、少佐は身軽にシミュレーションマシンから飛び降りて、ヘルメットを脱ぐ。
「よぉ、ユリアン! いい女を見つけたか?」
僕が苦笑ぎみに、
「残念ながら」
と答えると、少佐は本当に残念そうな顔をして「お前さんは、生まれ持ったものを活かす技術を磨かなくちゃな」と呟いた。
女性関係の才能で、ポプラン少佐やシェーンコップ准将にかないっこないと思うのだけど、それはともかくとして、僕はこれまでと同じ話を繰り返した。
「その話、乗った!」
ポプラン少佐の瞳が輝いている。
「なぁ、ユリアン。今回は好きにチームを組んでいいんだろ? だったら組もうぜ。十代と二十代の若者だけで構成された、フレッシュなチームにするのさ。シェーンコップの不良中年に、大きな顔させるわけにはいかないからな」
フレッシュなチームという構想はいいのだけど、ヤン提督がいる時点で実現しない気がするなぁ。
僕が何を考えているのか、少佐にはすぐ分かってしまったらしい。
「提督の二十代最後の日々を、若々しく飾ってやろうじゃないか。え?」
少佐の陽気な緑の瞳を見ていると、僕まで楽しくなってくるから不思議だ。
「約束だぜ、ユリアン」
少佐は魅力的なウィンクをひとつ残すと、階下を歩く女性オペレータたちの後を追って走り去った。
ポプラン少佐と同じチーム、ということは、当然あの人も同じチームになるのだろう。
優秀な人材をゲットできたという意味で、ヤン提督にとってはプラス材料になるのかしら。
──○月×日──
ヤン提督は、フライングボール大会の実行委員長に、アッテンボロー少将を任命した。これはもう、やけくその人事じゃないだろうか。
──○月×日──
アッテンボロー実行委員長は張り切っている。
実行委員のほかのメンバーは、アッテンボロー少将の艦隊の数名のほか、ポプラン少佐とコーネフ少佐とグリーンヒル大尉、そして僕。
トーナメントは、一般の部・女性の部・少年の部を設け、それぞれをポプラン少佐と、グリーンヒル大尉と、僕が担当する。
僕やポプラン少佐はともかく、グリーンヒル大尉は司令部の事務処理で忙しいはずなのに、こんなことまで引き受けてしまって大丈夫だろうか。でもおかげで、委員会内部に大きな混乱は起きていない。
大会まで忙しい日が続きそうな予感だけど、こういう予定なら大歓迎かな。
──○月×日──
本当なら休日なのだけど、フライングボール実行委員会に休みはない。大会の日にちが迫っているからだ。
「むちゃなスケジュール振ってくるんだもんな、ハイネセンの連中」
アッテンボロー少将はぼやいているが、顔がにやけているので、あまり深刻そうには見えない。
詳細な計画表を、グリーンヒル大尉があっという間に作成し、ヤン提督経由で(提督はサインしただけ)、ハイネセンからの承認も得た。
あとは、実行あるのみだ。
──○月×日──
大急ぎで作成したポスターを、イゼルローンのあちこちに貼ってまわる。
ポスターは二種類あって、大会を告知するものと、参加チームを募集するものだ。
青い告知ポスターと、黄色の募集ポスターを公園の掲示板に貼りつけて、僕は改めてそれらを眺めた。
リンツ少佐がデザインしてくれたポスターは、素人の僕の目から見ても、内容が分かりやすくて、スタイリッシュだ。
なるべくたくさんの人が参加して、大会が盛り上がるといいな。
──○月×日──
チーム申請の受付開始。
申し込み一番乗りは、アッテンボロー提督の「伊達と酔狂」チームだ。どうやら、委員会活動と並行して、チームメイト集めも行っていたらしい。チーム一覧に記載して、受付完了。
そういえば、ヤン提督率いる(?)チーム名はどうしようか。
僕が手を止めて考え込んでいると、
「やぁ、ミンツ君。コーヒーで一休みしないかい?」
コーネフ少佐が紙コップに注いだコーヒーを差し入れしてくれた。
お言葉に甘えて、コーヒーを飲みながら、実行委員会本部を出る。
ちなみにこの本部は、普段あまり使わない会議室を乗っ取って設置されている。司令部の近くなので、グリーンヒル大尉などは日に何度か、司令部と委員会本部を往復しているみたいだ。
三階分をぶち抜いたフロアの端にあるベンチに腰掛けて、コーネフ少佐と僕は、少しおしゃべりをした。そのときに、ポプラン少佐が考えているというチーム名を教えてもらったのだが、
「オリビエ・ポプランと引き立て役の男たち」
というので、僕は笑ってしまった。
「間違っていない気はしますけど、ポプラン少佐以外の男の人はどう思うでしょう。引き立て役じゃ、あまりいい気はしないんじゃないでしょうか」
コーネフ少佐は頷き、次善の案(これもポプラン少佐考案)もろくでもないものだと言って苦笑いする。
「なんです、次善の案って?」
「一輪の花に群がる蜜蜂たち」
だそうだ。一輪の花っていうのは、グリーンヒル大尉のことなのかな、やっぱり。
「あいつに任せておくと、とんでもないチーム名になること請け合いだよ。ヤン司令官と話し合って、いいのを考えてくれると助かるね」
コーネフ少佐がそういうので、
「少佐も、同じチームで参加なさるんでしょう? なにかいい案はありませんか?」
僕は訪ねてみた。
コーネフ少佐は声を立てずに笑い、
「俺はポプランの案をことごとく却下するのに忙しいから、そっちはミンツ君に任せるよ」
訓練に出るからと言って、立ち去った。
一人になり、吹き抜けのフロアを見上げて考えたけれど、特に何も思い浮かばなかった。
帰って、ヤン提督に相談してみよう。
──○月×日──
提督の命名により、わがチーム名は「紅茶党」に決定した。
「先輩らしいな」
アッテンボロー少将が、チーム一覧に「紅茶党」の名前を加える。これで正式に参加チームとして登録された。
一覧を覗き込むと、すでにいくつかのチームが参加申請を済ませていた。「薔薇の騎士連隊」というチームもある。きっとシェーンコップ准将の名前もあるだろうと軽い気持ちでメンバーリストを見たら、チーム主将はリンツ中佐になっていて、准将の名前は見当たらなかった。
その後数時間、委員会活動を手伝って本部を出ると、エレベータホールでシェーンコップ准将と出会った。
僕があいさつすると、准将は軽く手を挙げてそれに応え、ふたりでエレベータに乗り込んだ。
気になっていたので、僕はどうしてフライングボール大会に出場しないのか尋ねてみた。
准将いわく、
「他人が汗水たらして働いているのを、ワインを味わいながら見下ろすのが人生の楽しみというものだ」
ということになるらしい。
僕が同意しかねていると、
「ま、司令官が参加するんじゃ、万一有事のあった際に、防御指揮官ぐらいは臨戦態勢を整えておかなくてはな」
と事情を語ってくれた。
准将と僕の目的地は違ったので、別れのあいさつをすると、僕は一足先にエレベータを降りた。
僕は自分の生活と、提督の身の回りとに気を遣っていればよいだけだけれど、大人になるともっと広い範囲の中で思考しなければならないんだなと、改めてイゼルローンで働く人々のことを思った。
──○月×日──
登録チーム数は、順調に伸びているそうだ。
「これなら、立派なトーナメント戦が行えそうね」
グリーンヒル大尉が、嬉しそうに語った。
大会は2日間にわたって行われるので、あまりにも参加チーム数が少ないと、間をつなぐのが大変だと危惧していたそうなのだ。確かに、フライングボールの一試合時間はそんなに長いものではないから、これは喜ぶべきことだろう。
──○月×日──
大会前夜。
日程の関係で、なんだかバタバタした毎日だったのだけれど、久しぶりに落ち着いて食後のお茶が飲める。
ヤン提督と、自分の分の紅茶を準備して、リビングへ運ぶ。
「あぁ、ありがとう、ユリアン」
ブランデーを数滴垂らした紅いお茶を、提督は満足げに啜った。
僕はストレートティーを飲みながら、ふと思いついて、提督に尋ねてみた。
「ヤン提督。明日のフライングボール大会は、やっぱりお嫌ですか?」
提督は紅茶の湯気をあごに当てながら、
「大会そのものは、嫌じゃないよ。でもやっぱり、私が選手なんて、ガラじゃないなぁ」
気の進まない様子で話してくれた。
僕は、無理やり誘ってしまった罪悪感をちょっぴり感じながら、
「大丈夫ですよ。無重力状態でプレイするんですから、運動神経の良し悪しだけで結果が決まるわけじゃありませんし」
慰めにもならないことを言ってみる。
提督は黒い瞳を和ませて「だといいんだけどね」と微笑み、ブランデー入り紅茶を飲み干した。
──○月×日──
大会当日。
競技場には、予想外の観客が押し寄せている。僕たちはいま選手の控室にいるのだが、ここまで歓声が聞こえてくる。こんなとき、人間の持つパワーというか、エネルギーに驚かされる。
ポプラン少佐とコーネフ少佐のほか、空戦隊と司令部の混成チームは、テキパキとユニフォームに着替え、ストレッチをしたり談笑したりして和気あいあいと過ごしていた。
ところが、われらが大将ときたら、ユニフォームを着る段階でもたついている。
「ほら、提督。早く着替えてください。あと試合前に、ちゃんと水分を取っておいてくださいね」
「わかってるよ。あれ、この靴はどうやって履くんだ?」
こんな具合にバタバタやっていると、ポプラン少佐がにやにやしながらこちらを見ているのと、視線が合った。少佐は仕草で「頑張れよ」とエールを送ると、コーネフ少佐に寄り添って、何やら作戦会議らしきことをやっていた。
「提督、急がないと、ストレッチする時間もなくなっちゃいますよ」
「あぁ、一日が二十五時間あったらなぁ……」
「あっても、試合の開始時間は変わりません! さぁ、急いで!」
急かした甲斐あって、どうにか選手入場までに一通りの支度を終えることができた。競技場に出ると、重力の支配から解放されて、自然に体が宙に浮かぶ。
みんなが整然と舞い上がる中、提督はバタバタと手足を動かして、ぎこちなく空中を泳いでいた。
(軽く地面を蹴るだけで、ちゃんと浮くんだけどなぁ)
僕が困っていると、ポプラン少佐とコーネフ少佐が提督の両脇に寄り添って、行進の軌道から外れないようにサポートしてくれた。そのまま競技場の中央へ進み、対戦相手の選手と平行に並んで、審判の試合開始の合図を待つ。
ホイッスル! 試合開始だ。
相手ボールから始まったこの試合、僕は真っ先に飛び出して、カットインする。そのままゴールへ突っ切り、先制点をゲットした。
近くにいたチームメイトたちが、バンバンと景気よく背中を叩いて勇戦を讃えてくれる。
提督のほうを見ると、少佐たちに囲まれて、僕に拍手を送ってくれていた。それはとても嬉しいのだけど、できれば応援じゃなく、プレイで活躍してほしいなぁ。
序盤からテンポよく、僕はボールをカットしたり、味方にパスを回したりして、年間得点王としての実力を発揮できたように思う。相手チームもよく戦っているけれど、地上の勇者も、空中での動きはぎこちない。その隙を突いて、僕らは前半だけで、相手チームの倍の点数を稼いだ。
ヤン提督は……競技場の端っこのほうでなぜかくるくる回っている。コーネフ少佐に腕を取られて、ようやく止まった。
(まぁ、いいか。提督には後半戦で活躍してもらおう)
僕は手の甲で軽く汗をぬぐい、陣地へ戻った。
後半戦開始。
合図と同時に、二つの影が飛び出した。ポプラン少佐と、コーネフ少佐だ。
ボールを持ったプレイヤーに、コーネフ少佐が肉薄する。相手に触れない、ぎりぎりのところで止まっている。さすが、空中での体幹のコントロールは見事だ。
動揺した相手プレイヤーは、コーネフ少佐をよけて、横へ回り込もうとする。
するとその軌道上に、突然ポプラン少佐が現れた!
相手プレイヤーにはそう見えただろう。遠くから見ていた僕には、ポプラン少佐が、コーネフ少佐の陰に隠れ、相手プレイヤーの視角から飛び出したシーンが、はっきりと見えていた。
あっさりスティールを成功させたポプラン少佐はそのままゴールを決め、僕にウィンクを寄越す。
「ミンツ君にばかり、かっこいい役はさせないってさ」
いつの間にか近くに来ていたコーネフ少佐が、そう語った。
「これが作戦会議の成果ですか、速攻でしたね。割り込む余地がありませんでした」
僕はそう答え、ヤン提督にも今のプレイの感想を聞こうと、姿を探した。
……僕らの斜め後ろで、背泳のような動きでもがいている。たぶん、姿勢を垂直に戻したいのだろう。
僕と少佐は提督に手を貸して、競技場の真ん中付近へ連れて行ってあげた。
「ヤン提督、このあたりにいてくださったら、今度は僕がパスを渡しますから」
「あぁ、ユリアン。私のことは放っておいてくれていいから、たくさん活躍してくるといい」
僕は提督にもプレイに参加してほしいのだけど、提督はやや投げやりになっている。提督の活躍する姿を見たら、きっとグリーンヒル大尉も喜ぶと思うんだけどな。
行っておいで、とコーネフ少佐にも言われたので、僕はとりあえずその場を後にした。
すでに点差は開いていたけれど、僕は「紅茶党」の勝利を完全なものにしたかったので、チャンスは確実に生かして、点数を重ねていった。
ゴールまで飛べるときは突っ込み、手詰まりになると、パスできそうな相手を探す。そのときもちろん、提督の姿を一番に探したのだけど、提督はフィールドの端っこギリギリを漂っていたり、相手チームのプレイヤーにぶつかって助けてもらっていたりと、パスできそうなタイミングがなかった。その間にも、ポプラン少佐とコーネフ少佐の意外な(?)コンビプレイが、次々に得点を決めていく。
試合も残り1分。点差は三倍にまで開いていたから、もうここから逆転されることはないだろう。
敵も戦意を喪失しているようで、動きが緩慢だ。今なら、ヤン提督だってゴールできるかもしれない。
そんなことを考えていたら、ちょうどパスが飛んできた。いいタイミングだ。このボールを、提督にパスできれば……! 提督は確か、僕の斜め上くらいに浮かんでいたはず。
「ヤン提督、チャンスボールですよ!」
叫び、僕は絶句した。
ヤン提督は、遠く天井付近でもぞもぞ動いていた。まるで、何か別の生き物みたいに。
コーネフ少佐が救出に向かう様子を視界の端に捉えながら、僕は自分で、ゴールへと切り込んだ。
そして、試合終了の合図が響く。
僕はこの一試合だけで、チームの得点の約半数を上げた。残る半数のほとんどがポプラン少佐&コーネフ少佐のコンビ。そのほかのいくつかが、チームメイトの得点だ。ヤン提督について書く必要があるとは思えないけど……提督の得点数は、ゼロ。
控室に戻ると、提督は疲れ切った顔でこう言った。
「フライングボールというのは、けっこう大変な競技なんだな」
空中を泳いでいただけの人が言う台詞じゃないと思うなぁ。
──○月×日──
大会二日目。
前日の試合で危なげなく勝ち進んだ「紅茶党」は、決勝戦で「薔薇の騎士連隊」と当たった。
提督の様子は相変わらずだったので、試合の内容すべてを書くのは空しいかな。
簡潔にまとめると、両チームの実力は拮抗し、抜きつ抜かれつの試合展開が繰り返された。そして、あと一ゴールを決めたほうが勝つ、という大切な局面でゴールを決めたのは、彗星のように飛び込んだポプラン少佐だった。アシストパスを決めたのは、コーネフ少佐。ポプラン少佐は得意げに、コーネフ少佐は澄ました顔で、拍手の雨を全身に浴びていた。ポプラン少佐にとっては、前回の雪辱を晴らしたことになるのかな。
そのころ。ヤン提督はなぜか前転しながら、空中をくるくる昇っていた……。
とにかく、われらが「紅茶党」は、一般の部において華々しく優勝を飾った。
ほかの各部門の優勝チームは、女性の部が、グリーンヒル大尉とキャゼルヌ夫人の属する「白い魔女の会」。少年の部が、「トゥールハンマー」という結果になった。
優勝チームには、トロフィーがひとつと人数分のメダルが授与された。副賞は、イゼルローンの広域で使えるギフト券。アッテンボロー提督は、ちゃんと使えるものを手配してくれたようで、これはすごくありがたい。
僕がもらったばかりのメダルを首から下げて歩いていると、紙吹雪をヘイゼルの髪に絡ませたグリーンヒル大尉と出会った。
僕らは互いにおめでとうを言い合い、そして僕は大尉の髪に付いた紙吹雪を取り除いてあげた。
「ありがとう、ユリアン。試合の時間が重なってしまって、応援に行けなくてごめんなさいね」
大尉にそんな風に言われると、僕は恐縮してしまう。でも正直に言うと、ちょっとだけでもいいから、僕の活躍を見てほしかったなぁ。
「ヤン提督も、きっと少しくらいご活躍なさったのでしょう? いいわね、私も見に行きたかった」
という大尉の台詞を聞いて、我に返った。
これで良かったのだ。大尉が応援に来てくれていたら、ヤン提督のよく分からない行動まで見ることになってしまう。夢を壊してしまうのは、あまりに気の毒だ。
だから僕は、
「こればっかりは、仕方がないですよ。僕も、大尉のご活躍を見ることができなくて、残念です」
そう締めくくって、この話題を終わりにした。
その夜。
ヤン提督自身はちっとも活躍できなかったわけだけど、本人はそんな期待はしていなかったわけで、とにもかくにもチームが優勝して僕が活躍したということで、提督は上機嫌だった。
ふたりで民間経営のレストランへ行き、ささやかな祝勝会を上げ、僕は満ち足りた気持ちで眠りについたのだった。
──○月×日──
朝から、提督は筋肉痛に悩まされていた。僕は全然なんともないから、これは普段体を動かしていない、れっきとした証拠になる。
「提督、これからは毎日少しずつでも、運動なさったらいかがです? 例の公園で昼寝するときに、周囲をぶらっと歩いてみるとか」
「ヤだね。運動なんて、二度とごめんだ」
と、提督はまるで子供みたいな駄々をこねた。
それから慌ただしく朝の支度をして、提督を定例会議に送り出す。
一時間ほどして会議室から出てきた提督の機嫌は、余計に悪くなっていた。どうやら昨日の試合を見ていたシェーンコップ准将やアッテンボロー少将などに、さんざんにからかわれたらしい。
「ユリアン。私はもう二度とあんな大会には出ないぞ。翌日に残るのは、不名誉と筋肉痛だけ。いいことなんてなにもない」
提督の運動不足解消になればと思ったんだけど、やっぱり無謀な計画だったのかなぁ。。
けれど、宇宙空間で、大艦隊を巧みに操る提督の姿は、何度見ても堂々としていて立派だ。その事実だけは、誰がなんと言おうと変わらない。
たとえ、フライングボールの試合でちっとも活躍できなかったとしても、ね。
──END──
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
<あとがき>
はじめましてorこんにちは。
イゼルローン日記の番外編として、フライングボール大会の様子を書かせていただきました。ユリアンの日記の書き方を模倣していますので人物描写などは大幅に省いているのですが、悪しからず。
原作のほうでも試合が行われていましたが、あれとは別物だと思ってください。「ヤン提督がフライングボールをプレイしたらどうなるのか」が、本作品のテーマでございます(笑)
イゼルローンって面白い人たちが多いなぁ、と思っていただけたら、もっけの幸いです。
最後までご覧いただき、どうもありがとうございました!
2012年3月27日 ──路地猫みのる──
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