空の境界

──変わりゆく日常──




─蒼崎橙子の章──


 
 私こと、蒼崎橙子は再び満足していた。私専用の薔薇の絵がはいったティーカップを満たす明るい紅色の飲み物は疲労にあった各神経系等を和らげ、気力を戻 し、身体には心地よい目覚めの効果をもたらしてくれた。
 
 「うん、こだわりを飲むというのは実によい」
 
 思えば、御上がはじめて事務所を訪れた晩に彼をつかまえておくべきだったかな? そうすればもう少し早く、この美味しい温かい飲み物を楽しめただろうに。
  
 つい半年前まで、私は飲み物に関し、さほどこだわりを持っていたわけではない。
  
 しかし、今年の6月に黒桐幹也という物好きを私の事務所で雇ってから、そんな代わり映えのない日常に変化がやってくる。
  
 私は、黒髪の新入社員に出勤後の最初の仕事として、美味しいコーヒーを求めた。残念ながら満足の出来には遠い始まりとなったが、日々努力を重ねたのか、 単なる回数の蓄積か、彼の淹れるコーヒーは徐々に満足の度合いを増していき、今では「黒桐のコーヒーを飲まないと一日が始まった気がしない」と思えるレベ ルに到達するまでになっていた。

 それから半年後、蒼崎橙子は休息時にもう一つの楽しみを手に入れることになった。

 私は、私の机の正面に設けられた応接のソファーにすわり、会話を楽しむ? 三人の若者を視認する。なかなかどうして、年齢は近いが普通に話しているのが意 外と言えば意外ではある。一人は地味だけれどまっすぐな男、黒桐幹也。普段着が一重の紬という装いで男口調の少女、両儀式。
 
 
 そしてもう一人の青年、つい一週間前に私の事務所でアルバイトをしたいと駆け込んできた、御上真という長身の好青年。
 
 いや、正確には12月の上旬に一度この事務所を訪れている。
 
 それは、「連続猟奇切り裂き魔事件」の4人目の犠牲者が出た翌日の夜のことだった。

 最初の印象は「黒桐とは対極」だった。地味な容姿といえる黒桐と比べると、まず身長で勝ち、やや赤みがかかり、背中にかかる癖のある頭髪、目じりと口元 に力強さのある端正な顔立ち。何よりも目を引くのは、左の耳を飾る碧玉色のイヤリングが驚くほど似合うことだった。私と事件について語る彼の態度も口調も 好感が持て、何一つ隠さず、何一つ偽ることなく、私が射すくめることを言っても動揺することもなく、しばしのやり取りを行ったのだ。
 
 話が終わり、彼が事務所を去ったとき、私は妙に不機嫌になったものだった。
 
  「もう少し話をしていたかったな」
 
 ふと、そんな気持ちが浮かび、柄にもなく顔を赤くしてしまったが……
 
 しかし、
 
 「私は彼が気にいったのだ」
  
 と素直に認めることした。
 
 事件終結後、幸運なことに彼が事務所にやってきて「アルバイトに雇ってほしい」と駆け込んできたとき、私は初恋の相手を待っていた少女のようにとても顔 をほころばせたのだ。
 
 
 もっとも、私の心は決まっていたのだが、どうも悪い癖が出たのか「どうして?」と問うてみたら、
 
 「皆さんと一緒だと嬉しいからです」
  
 と、この上なく真剣で鮮烈な理由が返ってきたのだった。
  
 青年には悪いと思ったのだが、徐々に私は笑いがこみ上げてきてしまい、ずいぶん久しぶりに喜び笑いをしてしまった。黒桐や式が奇異の目で見ていたくらい だから、よほど笑っていたのだろう。黒桐の咳き込みで我に返った私は、唖然とする背の高い青年に謝罪しつつ、もう一つ質問をした。
 
 「もし私がOKといったら、君はここでまず何をしてくれるのかな?」
  
 われながら意地悪な質問だと思ったが、青年は「迷う」ということをどこかに置き忘れたように背筋を伸ばして即答した。
 
 「少なくとも、ここに来た日は美味しい紅茶を淹れて差し上げます」
 
 それからもう一つの私の楽しみが始まったのだった。
 
◆◆ 
 
 翌日、さっそく御上真はティーセットの詰まったダンボールを二つも事務所横の台所に持ち込み、約束通り私たちに紅茶を淹れてくれた。白磁器 のティーカップに美しく満たされた明るい紅色の飲み物から漂う香気にうっとりしつつ一口のみ、私は見てしまったのだ。
 
 私が目にした奇跡は「私」だった。突然、視界が暖かな光に包まれたかと思うと、「私」がひょっこりと目の前に現れ、「楽しそうだね」と信じられないよう な無邪気な笑顔をうかべて言ったのだ。

 そこから風景が流れ、現実に引き戻された私は、状況を見守る青年に両手を挙げて降参するしかなかったのだった。
 
 「よし!」
 
 とガッツポーズで嬉しそうに喜ぶ青年は、きっと黒桐幹也が「日常の変革」をもたらしたのなら、御上真は「日常のやすらぎ」を届けるために私たちの前に現 れたのだろう。
 
 それは、これからもずっと続くという嬉しい事実に他ならない。
 
◆◆◆
 
 そこで、御上真の役割と価値とは何かを考えてみたい。
 
 最初に、私が彼を雇った理由は三つあった。
  
 一、彼の人為(ひととなり)
 
 二、彼の能力
 
 三、彼のレアな魔眼
  
 まず、「一」に関しては今さら語る必要もないと思うが、御上真という青年はとにかくすがすがしく楽しい存在なのだ。彼の行動、言動にはいやみがない。 もしそんなことが含まれていたとしても許してしまうだろう。もう何年も親友であるという錯覚を起こしてしまうくらいに。
 
 黒桐幹也が周囲を和ませる存在だとしたら、御上真は周囲を高揚し、癒す存在ともいえるだろう。事実、私も黒桐も鮮花も、きっと両儀式も彼が居ると楽しい気分になっているのだから。私は公言こそしないが、自分の気分が変化していることを認めざるを得ない。それはまだ、はっとする程度に気が付くレベルなのだ が、そのうち自覚するようになるだろう。
 
 
 「二」は「三」と内容を等しくするように思えるが、「人として有する能力」と「人として有する人外の能力」とはもちろん分けて考える。
 
 私が黒桐幹也を雇った理由は、「人間には二系統二属性があり、創る者と探る者、使う者と壊す者に分かれる」という持論の中で、彼が“探る者”として優れているからだ。その能力は私も舌を巻くほどだ。本気で「探偵をやれ」と勧めているのだが、本人は冗談と受け取っているようだ。それが冗談ではなく、にわかに現実じみてきたのは御上真という強力な機動戦力が加わったことだろう。
 
 その「御上真」は、有する魔眼の能力とともに才能も異質だった。彼は「創る者と壊す者」の相反する二つの優れた素質をもっているのだ。

 「創る者とは?」  生み出す力、組み立てる力、育てる力を有する者を言う。
 

 
 「壊す者とは?」  命を絶ち切る力、物質を砕く力、精神を崩壊させる力を有する者を言う。

 
 御上真は、「一系統一属性」の異才だ。それも相反する才能が実にバランスよく機能している貴重な存在といってもよい。人外の能力を有するものは等しく日 常の生活や人間性に不均等が生じることが多いが、彼の場合は私生活も精神面も正常と呼べる。

  これは生家である「千利家」の驚くべき事情によるものだが、それゆえに御上真は両儀式や浅上藤乃のようなトラウマがなく、葛藤や脱線こそあったものの、 当たり前の存在としてまっとうに育つことができたのだ。

 それは、「魔眼の所有者同士は相容れない」という私のもう一つの持論も打ち砕いてしまったように、彼はその力さえ行使しなければ、黒桐幹也と変わらない 「日常側の人間」でいられるのだ。
 
 次に「三」であるが、まさか両儀式に匹敵する稀有な魔眼の所有者に出会うとは、ほんの数週間前まで想像すらしていなかった。

  式の「直死の魔眼」は、相手を睨むだけでその死が視えるというレアな逸品だ。御上真の魔眼も彼女の魔眼と同じか、それ以上の価値がある。すなわち、

  「真眼」(しんがん)
 
 それは、北欧の神か全知全能の神のみに許された「眼」であり、まさに万物に対し睨むだけでその「真実」が視えてしまうという代物だ。「真」という文字に は様々な意味が含まれている。人間や動物の「心」を読むことは当然として、通常、偽装や罠の類は彼には通用しない。思念を読み取る能力も備えているから、 これ以上の能力は存在しないだろう。彼の所有する魔眼は、その分野では最高位であり、備える能力も範囲が広い。

 両儀式が、
 
 「神が生きているなら、殺してみせる」
 
 と豪語したように、御上真も、

 「神が存在するなら、そのすべてを暴いてみせる」

 と豪語するのもまた然りというわけだ。

 
 2週間ほど前に御上真と初めて会話を交わしたとき、彼の話す内容から大よそ能力を察することができたのだが、事件後にあらためてその能力を確かめて身の 震える思いがした。彼の魔眼はいまだ未完成であり「真実」をも通り越そうとしていたからである。

 浅上藤乃のような直接的破壊力のある魔眼ではないが、彼の武術と陰陽道の破壊力を考慮すれば、それは未来視能力と連動した「最強の間接的魔眼」と言っても 過言ではない。

 それゆえに

 「殺し合いたい相手」

 と、両儀式にまっさきに挙げられる男である。それだけ彼女の殺人衝動を刺激する実力の持ち主なのだ。彼には災難であろうが──

◆◆

 
 ──以上が、彼を雇った「表向きの理由」である。
  

 そうなると「裏の理由」とは何か?
 
 単純明快に述べると、「戦力」としての使い魔を失った私に「協力」してもらうということだ。
  
 両儀式が私に協力するのは、両者の利益の一致に他ならないが、御上真の場合はやや趣を異なるものにする。

 もともと私自身は戦闘に不向きなため、そのときは「使い魔」を行使するわけだが、ある事情でその大半を失ってしまい、身を守ることも含めて大いに苦慮し ていたところ、黒桐幹也という青年と関わることで両儀式という「龍」を得た。それだけで十分満足していたのだが、2人につながる御上真という「虎」をも手 にすることになるとは、これは完全に想像も予感もしていなかった。

 
 まさに「棚からぼたもち」とはこのことだ。おかげで失った使い魔をはるかに凌ぐ戦力を得ることになった。私に害を成す者、依頼や事件の中身によっては2 人に集中して事にあたらせることも、それぞれに別の担当を割り振り、複数の依頼をこなすことも可能になったのだ。

 
 では、御上真が私に協力する理由とは何か?

  両儀式の場合は、『私に協力させる』代わりに魔眼の使い方を教え、彼女の望み(殺人衝動)を満たすことにあった。御上真の場合は「彼の望みを満たす」と いう点が私に協力する理由となるだろう。すなわち、

 「私たちの力になりたい」
 
 という強い意志だ。

 その根本的なきっかけは幾度か述べたように、御上真が両儀式、黒桐幹也と少なからずの繋がりがあったということだ。なんとも因果な繋がりというべきだ が、「直接に二人と関わったことは今までなかった」にもかかわらず、というのが驚くべき点であろう。

 しかし、御上真は二人を強く意識していたと語った。意識することは無関心でいることよりも強い情を生み出すことが多い。遠くから見守ることしかできな かった彼は、その能力と連動することにより「限りなく直接的に近い間接的な想い」だけで長く2人と繋がっていたのだ。

 その想いは、荒耶宗蓮の呪縛により一層強固になり、荒耶の消滅後、御上真は私たちの側の日常へ進むことになるのだ。
 
 もちろん、この国の魔術師集団と深い関わりのある青年の扱いには注意を払わねばならない。が、それゆえ、かつて所属していた「魔術師協会」から身を隠し ている私にとってはこの上ない味方になるのだ。
 
 私が察するに、御上真という青年はようやく本来のスタートラインに立ったといえるだろう。長い長い葛藤の期間を経て、彼の望む一歩を踏み出し、今後、ど ういった開始の合図を鳴らすのか、そして何を求めてゴールに辿り着くのか、その先で何を知り、何を得ようとするのか、その間には無限の選択肢が存在してお り、魔術師蒼崎橙子には大変興味が尽きないのである。


 蒼崎橙子の章 ──END──


──黒桐幹也の章に続く──


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 あとがき

 空乃涼です。
 今回からは本編の主要人物の視点に入ります。蒼崎橙子さんが「御上真」という新しい仲間をどう見ているのか、彼女の視点で語られます。もともと本編でも 「語り部」として難しい話をする女性です。会話が少ないのは彼女の独演だからです。

 「御上真」というオリキャラを立てたのは、第三者視点で彼女たちの日常に入り込んだ場合、御上に読者代表を演じてもらうことで本編の人物たちの心や私生 活の変化、本編での空白期間やなぞの部分などを追及してもらう役割を意図してみたかったのです。

 それは成功したのか?
 今の段階ではまったくわかりません。まだ未完ですから。


 2008年4月13日 ──涼──

 投稿から一年が過ぎ、いろいろ修正しました。

 2009年11月11日──涼──


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