空の境界
──変わりゆく日常──
「みんなとフィッシング/両儀式編」
ガンッ!!
「痛っ!」
私は思わず目を覚ました。何かに頭をぶつけたことはもちろん、さっきからベッドの感触がおかしいと思ったからだ。
とりあえず半身を起こしす。違和感がありまくりだった。
「オレはどこで寝ているんだ?」
妙な自問だが、半分うつつ状態の意識が徐々に明確になるにつれ、私はとんでもない状況を理解した。
「くるまぁ!? オレは車に乗っているのか?」
伝わる鼓動と閉鎖的な空間は車内だ。私は後部座席に横になっていたらしい、毛布が掛けられていた。ふと右側の車窓を見ると外は暗く、しかもけっこうなスピードを出しているのか目に映る光景が過ぎ去るのが早い。
「やあ、式。目が覚めたようだね」
前から声がした。車内が暗いから顔がよく見えないが、その平和そうな口調は私がよく知っている黒桐幹也という詩人みたいな名前をもつ青年だろう。
私は幹也に問う。
「どうしてオレはこんなところにいるんだ?」
「どうしてって言われてもなぁ」
瞬時の返答は幹也のものではなかった。運転席に座る男からの声だ。それも聞き覚えがありすぎるくらい、私はよく知っている。
トンネルに入った。照明が時折車内を露にし、私に振り向いている幹也とバックミラーに映る男の様子を伝える。が、赤みがかかった頭髪が見えただけだ。
「幹也、式さんはどうやら状況が飲み込めていないみたいだから軽く説明してあげたほうがいいかもね」
車がトンネルを抜けた直後に男はそう言った。
「状況がどうのこうのって理解できるはずがない。おい、御上真、いったいどういうことだ?」
私や幹也とは元同級生の男はすぐに答えない。フロントガラスに反射する表情でははっきりせず、こいつの様子は後ろからでは伺えない。
「あのね、式……」
説明を始めたのは幹也だった。黒ブチの眼鏡をかけているからもっと顔が暗く見える。
「クリスマスパーティーをしたとき、みんなで今日出かけようって約束したの憶えていないの?」
「なに?」
私は記憶の河を遡った。おとといのクリスマスパーティーの時だってぇ? そんな約束した憶えは……したかもしれないが、はっきりと憶えていない。
「たぶん、いい加減に返事したんでしょ」
御上の指摘が聞こえた。腹の立つ言われようだが、まったくその通りかもしれないので私は小さく舌打ちするしかない。掛けられていた毛布をどかし、座席に深々と座った。
「オレが約束した、それはまあよしとしよう。だが夜の散歩から帰ってベッドに倒れこんだのが、たしか午前2時頃だ。そして今は車の中に居る……どうやってオレを車に乗せたんだ?」
回答したのは御上だった。
「そりゃあ、寝ている式さんをそっと車に運んだんですよ」
さも当たり前という感じだが……
「ねているオレを運んだだと?」
それって本人のアパートに勝手に上がった挙句、承諾もなしに運んだということだろ? 犯罪だと思うんだけど。
「式さんに犯罪者扱いを決め込まれてもねぇ……」
開き直りやがった。しかも、まるで私が悪いといわんばかりじゃないか?
「黒桐が念のために留守録入れておいたんですが、やっぱり聞いていなかったようですね」
そうなのか? 幹也に確認したら頷かれてしまった。全然気がつかなかった。私はそれほど深く眠っていたというのだろうか?
御上の声がした。
「式さんの寝顔は素敵でしたよ。寝ていれば美少女なんだけどなぁ……わりと隙だらけだし」
私は、この男を殴る権利くらいはあると思う。
後方から強い光がした。車がパッシングというやつをしたらしい。
「おい、なんか後ろの車がうざいぞ。この車、遅いんじゃないのか?」
私は忠告したが、幹也は否定した。
「あれは橙子さんの車だよ」
「はぁ?」
私は驚いた。この3名だけじゃなかったのか?
いや、まて。そういえば「みんな」と幹也は言っていなかったか。それってパーティーにいたメンバー全員ということなのか?
「そうだけど」
幹也の返事はしごく当然という感じだ。とすれば車を運転しているのは橙子だとして、あの時パーティーにいた面子といえば、
「鮮花に浅上か!」
私の声は上ずった。幹也の妹である鮮花は許せるとして、私と殺し合いをした浅上藤乃がまた加わるのか?
「式、そんな言い方は藤乃ちゃんがかわいそうだよ。もう彼女とは伽藍の堂で何度か顔を合わせているんだから、いまさら毛嫌いしてもねぇ」
「毛嫌いなんかしていない、あの女は痛すぎるだけだ。いろいろな意味でまだあぶない。歪曲の能力が完全に使えなくなったわけじゃない。狂気が復活してもオレは責任を取らないからな」
「「そんなことにはならないよ」」
と幹也と御上が異口同音だった。あとに続いたのは御上だ。
「問題ありませんよ。彼女の精神もだいぶ落ち着いてきました。俺や幹也や鮮花ちゃんもいることですしね。今彼女に必要なのは世間との関わり合いなんですよ。浅上さんの本当の意味での社会復帰に協力してください、式さん」
「たのむよ、式」
ちっ! 好きにしろ、と私は二人に答えた。幹也にしろ御上にしろ、本当にあきれるくらいお人好しだ。もう拘わる必要もないのに、大きな罪を犯した浅上を本気で立ち直らせたいとおせっかいを焼くんだからな!
機嫌が悪くなったので、ふと窓の向うを見た。高速道路を走っているし、まだ外は暗いからなんの面白みもない風景が続いている。
(やれやれ、6人でどこに行くんだか……)
「あっ!」
私は思い出して幹也に尋ねた。よくよく考えれば私は今日の目的地を知らない。別にどうでもいいことだが、なんせメンバーがメンバーだ。知っておいて損はないだろう。まあ、こんな早朝からだから、よほど遠くへ行くんだということくらいは想像がつく。
「釣りだよ」
幹也の回答はさわやかすぎた。
私は、もういちど聞き返した。
「今日は釣りに行くんだよ」
「…………」
私は、腰帯にあるはずのナイフをまさぐったが感触がない。左の義手に忍ばせたナイフもない。
くそっ! 私がこういう行動をとることを事前に予測して抜いたな!
ある意味、今日の内容を知った私が強硬手段に出ることも予測し、きっと御上辺りがナイフを抜き取っていたに違いない。この男なら、そのくらいの想像や予測は簡単だ。
「ったく、マジかよ」
私は、あきれたようにうめいた。
何をしに行くのかと思ったら「釣り」ときた。このくそ真冬の早朝にまさか釣りに行かなければならないなんて!
こいつらどうかしている。
「釣り人の朝は一番早いんですよ」
御上が私の心中を見透かしたように声を上げた。実際、この男は本当に私の心を読んだのかもしれない。それが御上真の魔眼の能力の一つでもある。
とりあえず、私は言い返す気力もないので黙っていた。「やっぱりなぁ」という二人の声が聞こえてきた。二人とも私の反応はだいたい予測がついていたらしい。
それはそれで癪にさわる。
幹也が私に言った。
「式はきっと不満を言うと思ったけど、やっぱりこういうイベントはみんなで行かないと楽しくないでしょう?」
どうやら幹也は楽しみにしているようだ。あの気まぐれ魔術師もついてくるくらいだから、それなりに意味があるというのだろうか。
「鮮花や藤乃ちゃんは張り切っていたしね」
ふーん、と私は素っ気なく呟いた。そうなると私だけ否定派じゃん。
幹也が短く笑う声がした。
「式らしいね、釣りがくだらないなんて。釣りは自然や魚と対話できるすばらしいスポーツだよ。式の言いかたは他人の嗜好や美徳を侮辱するものだよ。言いすぎだよ」
後半のほうは説教じみて声がきつめだ。幹也はやや本気で怒っているのだろう。私はおもわずそっぽを向いてしまった。
「まあ、殺し合いが嗜好の和服美少女に言われたかありませんけどね」
御上が私を小ばかにしたように言う。大きなお世話だが反論はやめた。この二人に連合されると私一人ではとうてい敵わないからだ。
とりあえず、どこに行くくらいは知っておこうと思った。
「淡水の管理釣り場ですよ。海もありですが、なにかと海のほうが用意とか必要ですし、今回は無料招待券を持っているんで、みんなで管理釣り場に行くことにしたんですよ」
「ふーん」
べ、べつに興味があるわけじゃない!
「そこは今年の春にオープンしたばかりの新しい管理釣り場なんです。俺はそこの常連でしてね。設備も整っていて最近の釣りブームを背景に女性や家族連れにも人気のスポットになっているんですよ」
どうせなら海のほうがよかった。冬の川を眺めるより、浜辺を歩く方がいいことくらい私だって想像できる。んんっ! 海なら私は文句なかったって事じゃん?
「で、あとどのくらいかかるんだ」
「えーと、総合で50分くらいですかね。途中でSAで休憩します」
「なんだ、まだけっこうな時間があるじゃん」
「おや? 興味が湧いてきましたか」
「ちがう。くだらない時間がどのくらいで始まるのか知っておきたかっただけだ」
「ほほう」
ちっ! 幹也も御上もなんだよその疑った顔は!
私は外を見た。相変わらず代わり映えのない照明と防音壁だけの風景だ。腕時計を見るとまだ5時くらいだ。夜が明けるにはまだ2時間くらいはかかるだろう。
「はい、式。コーヒー飲む?」
幹也が差し出した紙コップを黙って受け取った。熱いコーヒーをふうふうと冷まして一口つける。やや苦めだがこの後に残らない味は幹也のものだった。
「ふう……」
私は一息ついた。ついてしまった。コーヒーを受け取ってしまう前はこのまま寝てやろうと決意していたが、わりとあっさり眠気覚ましのコーヒーを飲んでしまい、言動とはうらはらに起きようとしている。
「SAまであと5分くらいだね。式、もうすこしだよ」
幹也の声に私は無意識的に頷いていた。頷いてしまった。いつかと同じように意思に反して肯定してしまっていた。私も心の中では今日を楽しみにしているというのか?
まあ、いいだろう。どうせすることもないし、幹也が楽しみというなら少しくらいは付き合ってやろう。面子的にはつまらないことにはならないだろう。むしろ何か起こしてくれる期待感がある。
「だめじゃん、オレ……」
SAの標識が見えてきた。車は本線を離れ、SAの入り口に進入していた。
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あとがき
空乃涼です。久々に最新話です。複数のSSを書いていると、同時進行ってむずかしいなとつくづく思います。
今回の話は、事務所を飛び出しました。彼らが本編でも行かないような舞台で果たしてどんな一面を見せてくれるか、それをコンセプトに書いていきます。
一応、登場人数分の話数を予定です。内容によってはいくつかダブるかもです。
この作品を投稿した時点で、空の境界第七章(最終章)の上映が決まっています。8月8日からです。一年以上を経て、ようやく七部作が完結します。最終章は100分くらいの大作みたいです。第五章と七章はさすがに一時間枠に収めることはしなかったようです。
それにしても、第七章の前売り券は最速で売り切れました。販売が6月20日で、その四日後には売り切れです。油断しないで翌日に買っておいて正解でした。
それでは、バトルはありませんが、楽しんでいただければ幸いです。
2009年7月19──涼──
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