空の境界
──変わりゆく日常──
「みんなとフィッシング/蒼崎橙子編」
私の華麗かつ完璧なドラテクによって、愛車の「アストンマーティン」は実に優美に一発で駐車場の一角に納まった。この蒼崎橙子(あおざき とうこ)にかかれば朝飯前というやつだ。
SAの駐車場は建物の前を中心に意外と多くの車が停まっている。年末だし、帰郷する者や年末年始を行楽地で過ごす者もいることだろう。やや離れた大型車専用駐車場にも高速バスやトラックが数台停まっている。
「よし、お前たち到着したぞ」
私は、後部座席に座る少女二人に告げた。一人は私の弟子であり、凛とした容姿の黒桐鮮花(こくとう あざか)、今一人は鮮花の親友で浅上建設の令嬢である浅上藤乃(あさがみ ふじの)だ。どちらも美少女である。
「うん? どうしたお前ら、SAに着いたぞ」
後ろを振り向くと二人がぐったりしている。ああ、お前らはしゃぎすぎなんだよ、と言ったら、
「橙子師の運転が荒くて気持ち悪くなった」
などと失礼なことを言われてしまった。
「うわあ、寒い!」
外に出た二人の感想だ。ま、師走の下旬の早朝となれば寒くて当然だ。体感的には氷点下だろう。もう少し時間が進めば放射冷却によってさらに気温が下がるにちがいない。
鮮花の声がした。
「橙子さん、私たちおトイレに行ってきますね」
「ああ、そうか。二人とも朝食をここで採るから済ませたら建物の中にある食堂に来い」
「はい、橙子さん」
「はい、蒼崎さん」
同時に返事してはしゃぎながら二人は歩き出した。車内でもなにかとうるさかったが、テンションが揚がりっぱなしらしい。本番前にはしゃぎ疲れしなければいいが……
「さて、私は一服させてもらおう」
車内では少女たちに遠慮して好きなタバコは吸っていない。愛煙するタバコをコートのポケットから一本取り出し、おもむろにライターで火をつける。
深く吸い込んで吐き出した。
ふむ、真冬の早朝、しかもSAの喫煙所で吸うタバコも悪くない。肺に入る冷気も悪くない。星空が輝き、闇が支配する寂寥感の情緒にあふれているといえるだろう。
喫煙所には私を含めて三名いた。いずれもスキー客らしき若者であるが、寒さに耐えられないのか早々に切り上げていく。
今は私一人だけ──ちょっと独占欲──
「だがむなしいな」
私も一本吸ったところで食堂に向うことにした。ちょうど建物の入り口で鮮花と浅上に会ったが、いくら初めてのSA体験だからって記念写真を撮るのは勘弁してくれ。
なにはともあれ、少女たちと一緒に建物に入る。さすがにこの時間帯だけあり、たくさんあるコーナーのほとんどは閉まっているが、SAの食堂は営業している。
意外にも人は多い。家族連れよりはグループやカップルが目立つ。私も仕事の関係で高速は使うからSAを利用したことも一度きりではないが、時間帯や利用目的が違うだけでずいぶん新鮮に映るものだと思う。
「橙子さーん、みんなこっちこっち」
御上がやや大きな声で手招きしている。おい、注目を浴びまくりだ。ただでさえ君は黒桐と違って背が高くてハンサムなんだから少しは自重してくれ。
「場所、確保しておきましたよ」
「おお、わるいな」
人が多いといっても普段の早朝と比べてということだから、座る場所には事欠かないのだが、彼は食堂に近い場所を確保してくれたようだ。
私はとりあえずコートを脱いだ。建物の内部はよく暖房が効いている。
ふと、正面に座る、この空間には似つかわしくない一重の上に赤いブルゾンを羽織る変わったファッションの少女と目が合った。あいかわらず仏頂面だ。
「やあ、式おはよう。ちゃんと起きているじゃないか」
「ふん、うるさい」
反応はいつもの両儀式(りょうぎ しき)だ。見たところしっかり目は覚めているらしい。
私は人の悪い笑みを浮かべた。
「黒桐と御上に感謝しろ。鮮花は約束を忘れた式なんか置いていけばいいじゃない、なんて言っていたからな」
「どうせならそのまま置いていってくれてよかったよ」
「あらあら、この娘ったら心にもないこと言っちゃって。もしそうなったらどうやって一日を過ごすのかしら」
「くっ……」
不利と悟ったのか、式は黒桐が運んできたお茶を受け取り、私からそっぽを向いた状態でお茶に口をつける。
「熱いから充分冷まして飲んでね」
と一言そえる黒桐幹也に頬を紅くしたりする。ふう、相変わらずそっちには弱いな。
「はい橙子さん、お茶です」
私の前にもお茶が置かれた。もってきたのは鮮花だが、どういわけかご機嫌がいい。式の隣に座る御上が手を挙げた。
「鮮花ちゃん、俺には玄米茶ね」
「はい、すぐにお持ちしますね」
なんだか嬉しそうに歩いていく。が、どうやら給水器でお茶を汲みたかったらしい。よくみると浅上藤乃が一緒に給水器の前にいて二人ではしゃいでいる。お前ら名門礼園女学院の生徒とは思えんぞ。まるっきりど田舎の子供じゃないか!
言いたいことは山ほどあったが、とりあえず全員食券を買って注文は終えた。またまた鮮花と浅上がフィーバーしたが、黒桐と御上のナイスフォローで事なきを得る。注文の内容は私と鮮花、浅上藤乃はコーヒーとサンドウイッチのモーニングセット。黒桐は玉掛けそば、御上は山菜そば、式は……東京ラーメン?
「おいおい、朝っぱらから飛ばしているじゃないか。というより一人でひねくれた内容だな」
式は、特に感情を刺激されなかったのか素っ気ない態度だ。
「ふん、オレが何を頼もうがオレの勝手だし、昨夜も食っていないんだ。腹は減ってる」
「夜通し歩いていれば当然だな」
私は意地悪く言い返した。とたんに少女の頬が膨れるが、絶妙なタイミングで話に割って入った人物がいた。
「ここの東京ラーメンを頼むなんていい勘してますねー」
御上真だ。身長が190もあるので黒桐幹也と比べると座っていても頭一つ分ぬき出ている。
「連続猟奇切り裂き魔事件」以前は全く縁のなかった青年だが、実は黒桐や式とは同じ学校の同級生だったという男だ。しかも式に匹敵する「真眼」というレアな魔眼をもっている。
そして、今では私の事務所でアルバイトをしているという黒桐以上に物好きな青年だった。
「いい勘ってどういうことだ?」
式は、黒桐とはまたちがった親しみの響きで青年に尋ねる。両儀式という複雑な内部を有した少女から「親しみをこめられる」ことはそう簡単なことではない。
その御上は笑って説明した。
「ラーメンに限ってですが、ここは本格的に修行した職人さんが麺を手打ちで作っているんですよ。最近はSAでもそれぞれで特色を出していますからね」
「ほう」
という感心に近い呟きは私と式と両方のものだ。
「何度かこのSAを利用した際に東京ラーメンを食べましてね。そのときに麺のコシが違いに気がついて店員さんに尋ねたんですよ」
「ふーん、それって確実なのか?」
「そりゃあ、百聞は一見というか食してみればわかりますよ。式さんなら違いがわかるでしょう」
なるほど。意地悪なようでナイスな回答だ。着かず離れずという関わりあい方は好きだ。時に素っ気なく、時に注意深く、時に感情的に、時に熱い会話運びができる青年の話術に拍手を送ろう。
食堂の方からマイクを通した声がした。
「07番の東京ラーメンのかた、お待たせしました」
式が食券を見て「オレだ」と言って立ち上がった。意外に早い出来上がりだ。美人を優先したんじゃね? と御上が冗談を飛ばしていたが、やや不発に終わったのは「私たちはちがうんだ?」とつっこんでやったからだろう。
「式、僕がもってこようか?」
黒桐のヤツが式を呼び止めた。なぜだ? と問い返す少女に苦しい理由をこじつけていたが、最終的には「いちいち幹也に頼むほどじゃない」と式の一言に一蹴された。黒桐らしいおせっかいといえるだろう。
式と同じような事を御上も言っていたが、どうやらトレイをもってラーメンを運ぶ式を見たかっただけらしい。にへら顔の彼はなんとも情けない。向かいの浅上藤乃がそんな彼の顔を見て怒り顔だったが、さて、該当者が気づいたかどうかは怪しいところだ。
ふと、私は席順に注目した。片側に四人座れる長い机と板状のイスを組み合わせた席が隣に二つ並ぶ格好で配置されている。
私たちが座っているのは建物の内側だ。内側から右側に向っての席順は私・浅上・鮮花であり、向かいの席の席順は式・御上・黒桐である。これは人間関係(相関図)的にいうと決して最善ではあっても最適ではない。
本来なら、【私・浅上・鮮花】なら、向かいは【御上・式・黒桐】だろう。私が席に着こうというとき、すでに黒桐たちの席順は決まっていた。私がイスに腰掛けようとしたとき、式の向かい側が私用に空けられていた。
これは単なる偶然か?
もちろん、この配置を演出した人物がいるのだ。その人物は式と黒桐の間に座る青年だ。
「ふむふむ、なかなか巧妙な配置ではないか」
式と黒桐はたぶん両想いだ。黒桐は表明している。式は意思こそはっきりしないが、その行動は見え透いている。黒桐鮮花はブラコンである。目下のライバルは式だ。浅上藤乃は鮮花の親友であり、黒桐幹也に想いを抱いていたが、最近では御上真に心が動いている。
そしてこの配置を演出した青年は黒桐と式の友人であり、かつては式に憧れていた経緯がある。
そう考えると、【御上・式・黒桐】、または【黒桐・式・御上】でよいはずだが、それだとそちら側だけの都合のよい配置になり、鮮花や浅上が不満に思うことになる。
そうではなく、こちら側の人間関係も加えて全体を考慮しつつ、各人の心理を把握した上で巧緻にして疎外感を与えないようベターな配置にしているのだ。最善というのは御上が式と黒桐の間に座っていることだ。こういとき式は黒桐を意識しない。黒桐の隣になれなかったことをいちいちグチる少女ではない。黒桐はというと多少は残念に思ってはいるが、彼は優しい男だ。親友と妹に「偶然」はさまれた状態に口を差し挟む道理などない。
もし、御上が黒桐と式、鮮花両者に配慮した配置にしたら、きっといざこざになっていただろう。黒桐が式とばかり話せば鮮花が怒り、その逆になれば式の機嫌が害われ、周りが被害を受けただろう。ならばと、鮮花より冷静な式を最初から遠ざけ、喧嘩になりがちな事態を事前に収めたといえるだろう。
そこで、この配置は誰にもっとも配慮したものかと考えると、それはブラコンの黒桐鮮花に他ならない。鮮花がさっきから機嫌がいいのはそのためだ。
黒桐幹也が式を気にして話しかけようとも、その間には御上がいる。うまく話しかけられて会話が始まったとしても、式はクールだ。この大人数の中でやたらと会話をする少女ではない。せいぜい一言か二言だ。黒桐も式と隣ならそれなりにちょっかいを出せるが、一人分の距離がある。式にむげに会話を切られれば、それ以上の追及はありえない。そこで会話が終了するわけだ。
御上は、黒桐と鮮花の会話が上手く言っているときは私や浅上に話題を振って式の興味を引く。タイミングを見計らって式を上手く会話に引き込み、式が参加するようになると鮮花たちの様子を見つつ、軽く相槌を打ってすかさず私たちの会話に戻るという、なかなかの振る舞いだ。
狡猾というべきは私に彼の意図をわざと悟らせ、無言の協力を求めてくることだろう。面白いことが好きな私の嗜好を充分計算に入れた上で興味をあおり、協力するように仕向けているのだ。
ただでさえ、今回の催しの私の参加は御上の情報に乗ったかっこうなのだ。彼には借りがある。
「やれやれ、おそろしい男だな」
私でさえ、知っていて乗せられてしまうのだから、無垢な黒桐たちならイチコロだろう。
いやいや、訂正しよう。食堂を去り際、御上と鮮花が密かにアイコンタクトを取る瞬間を目撃してしまった。
「ははーん、どうやら最初から鮮花も一枚からんでいるな」
これは確信だ。今日一日、面白いことになりそうだというワクワク感。そこに私の目的が達成されれば、実に有意義な真冬の一日となることだろう。
「ふ、ふふふふふ……」
「橙子さん、どうかしましたか?」
「んんっ? いやなんでもないよ、鮮花」
いかんいかん。思わず笑ってしまった。高みの見物を決め込むにはあくまでも第三者のフリをしなくてはならない。
「よし、二人とも準備はいいか」
「はい」
私はキーを捻り、車のエンジンをスタートさせた。ふむ、よい音だ。
御上のレガシーに続き、華麗なハンドルさばきでSAを後にする。
「さて、おおいに楽しませてもらおうか」
なぜか少女二人の抗議が聞こえたが、私の関心は今日の経過に集中していた。
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あとがき
涼です。蒼崎橙子さん編です。この女性は魔術師なんですが、本当の年齢はいくつなんだろうと思います。なぜなら、ファンの方は知っていると思いますが、彼女は自分と寸分たがわぬ「自分」を作り出すことができるからです。荒耶に殺されたとき、作品中では初めて二体目が動き出したような印象を受けますが、それ以前に台詞の中で「私もいつ本体と入れ替わったのか憶えていないんだ」とか言ってます。
でもまあ、礼園女学園に在籍していたことを考えると、やはり荒耶に殺されたのが「本体」と考えるべきなんでしょうね? じゃないと時間的に矛盾が生じるんですよねぇ……
でなければ、本体の橙子さんは事故や事件で死んでいたということになり、少なくともそれは何体か続いていることになるのではないか?
そうだと短い時間にえらい亡くなっているんですがw
2009年7月28日──涼──
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