わたしは、目を開けた。
でも、なぜ何も見えないの?
わたしは、暗い世界の中にいた。
ここはどこ? 暗いのはなぜ?
なぜ何も見えないの?
──ああ、きっとここは地獄、きっとそう、だって……
「──クター、ドクター、浅上さんの意識──戻りました。至急、207号室まで来てください」
わたしは、ハッとした。ほとんど目の前から女性の声。話の内容、独特なにおいと電子音、口の周りになにか違和感がある。これは呼吸音? ここは病院? わたしはベッドの上……なの?
どういうこと?
人の声が複数になった。内容はきっと私を気遣うこと。
私はおぼろげにただ頷くだけ
だけどその現実は決して幻聴ではない。こだましてはいるけど、決して非現実ではない。
ああ、わたしは生きている!
生を実感したとき、何も見えなかったけれど、私はあふれ出る涙を止めることができなかった。止まらない嗚咽……
鋭利な白刃が振り下ろされたあのとき、わたしは、その先の未来を全てあきらめた
生きていたい、感じていたい、想っていたい。全てを失って、わたしは何の生きた証も実感も遺すことなく、ただ血と埃にまみれ、このまま後悔したまま一生を終えるのだと。
覚悟をしていただけに、生きているという現実がとても不思議で、とても切なくて、とても嬉しくて……
私は、上半身を起こそうとする。
けれど体は動かない。痛い、体も右足も左の腕もとても痛む。
えっ? イ・タ・イ?
ああ、きっと私は取り戻したんだ。あれは夢ではなかった。
私は、力を振り絞って再び上半身を起こそうとする。でも誰かに支えられた瞬間、意識は遠くなっていた。
空の境界
──変わりゆく日常──
『浅上藤乃のスタートライン』
◆◆◆
次に意識が戻ったとき、傍らには母がいた。数ヶ月ぶりの再会だった。まさか会えるとは思っていなかったから、私の心は大きく揺れる。
でも私の手は自然に母のぬくもりを求めた。
母は私の手を握り、か細い声で「ごめんね、藤乃」と何度も何度もつぶやいて泣き崩れてしまった。
私は、何を言えばよいのか解らず、ただ母の手を握り返し見えないにもかかわらず、ずっと母の方を「見つめて」いた。
母は、私の犯した罪をどこまで知っているのだろう? 知らないのかもしれない。
呪われた「浅神」の血に生まれた、わたし。
母は、私の力を知ったとき、ただ泣き崩れていたとおもう。今、私の罪を知ったら、きっと母は自分自身を責めるにちがいない。
「母さま……」
私は、母の手を握りながら、ずっとずっと泣いていた。ずっとずっと、夕闇が迫る時間になっても……
あれから一週間がたった。
傷は少しずつ癒えてきている。担当になったお医者さんの話だと、私はけっこうな重症らしい。肋骨三本と左腕と右足を骨折して、さらに多数の打撲を負っているというのだ。
痛むのは当然。体も思うように動かない。左の腕も力が入らない。
けれど、私の「目」は見えないまま。
不自由だけど、私は今、とても嬉しい。幻覚じゃない、夢じゃない、錯覚でもない。
痛いのだ。
体が痛む、腕が痛む、頭が痛む、痛む、痛む!
私は、「痛み」を手に入れていた。ずっとずっとあこがれていた感覚。
生きる実感を得られず、長い間、それが何であるのかさえ、ほんの二週間前まで知ることもなかった。
不良たちに凌辱され、脅され、罵られ、おなかを刺され、私に甦った痛み!
私は復讐した。
私の持つ能力を行使して、彼らを捻り殺した!
凶れ、凶れ、凶れ!
私は繰り返した。
凶れ、凶れ、凶れ!
凶れ!
肉体がねじ切れる都度、血しぶきが舞い、絶叫が壁に反芻する。哀れなうめき声は徐々に細く、そして血溜まりの中で痙攣しながら途絶える。
私は、本当は人殺しなどしたくなかったのだ。鮮血が足元を伝う光景の中、わたしは頷く。
「仕方がない」
復讐しなければならない。わたしを凌辱し、私のおなかを刺した不良少年たち。逃げたもう一人。
とてもとても嫌だけれど、殺さないと私の罪を知られてしまう。口を封じないと、ずっとずっと日常に戻れない。
「そうでもないよ、おまえは」
ハッとした。私の前に立ちはだかる一人の少女、
両儀式!
漆黒の髪は死神の衣のよう、白純の肌は天女のよう、底なしの瞳は宇宙のよう。
「おまえは、わたしと同類だよ。浅上藤乃」
ふざけないでください、わたしはまともです。あからさまなあなたとは違います!
「違う? 違うわけないだろう。おまえもオレも同じ殺人鬼だよ。他人の死に何の同情も感傷も持ち合わせていないのさ。そこに転がっている肉塊のようにな」
この女性はなんと酷いことを言うのだろう。この死体を肉塊だなんて!
やめてください。これは立派な死体です。人間の死体です。肉塊だなんて、どうしてそんな無神経に言えるんですか? 私は違います。人の死はとても悲しいし、とても心が痛みます。肉塊だなんてモノのように扱うのはやめてください。
「じゃあ、なぜおまえはわらっていられるんだ?」
えっ?
「どうして、おまえの口元はそんなに愉しそうに吊り上っているんだ?」
私は息を呑む。
この女性は何を言っているの? 私が人殺しを愉しんでいる?
そんなことは決してない。
私は、嫌なのだ。心の奥底から、人を傷つけなくてはならない自分が嫌なのだ。
自分が痛まないから、他人を傷つけないと生きている楽しみを得られない自分自身に?
私は、ぞくりとした。とても身体が寒い。
今、私はなんと思ったの?
私は、恐る恐る口元に手を当てた。
わらっている……
私は、血だまりのなかにたたずみながら、わらっている。とてもとても酷い惨状の真ん中で「浅上藤乃」は両儀式の告発を否定しつつ、愉しそうに口元を吊り上げていた。
背筋が凍り、悪寒が体中を支配する。その震えに耐えられず「がくん」とひざをつく。息が荒い。自分の周りに空気がないのではと思うくらい、呼吸をしても呼吸をしても息苦しさが治らない。
「そら、みたことか。自分を押さえつけているからそんな様になるんだよ。認めろよ、浅上藤乃、おまえはオレと似たもの同士。オレが殺人を嗜好する者なら、おまえは殺人に快楽する異常なる者なのさ」
私を俯瞰する両儀式。
私を冷笑する漆黒の髪の少女。反論できないわたし……
息苦しさはどんどん増していき、体の重さは上から押さえつけられるように比重を高くする。
私は、ついにその重さに耐えられず、ばたんと地面にひれ伏してしまう。直後に、ひどい痛みとともに、体の奥底から赤く、熱い液体を吐き出した。
「苦しいか? 浅上藤乃」
その問いに私は答えられない。声を出したくても出せないくらい、苦しくて痛い。
自分の血溜まりに視線を移す。その顔はわらっている。
いやぁー!
声になっていなかった。
私は、苦しさと身体の不自由さと痛みに耐え、少女の死神に腕を伸ばす。でも届かない。
「痛いのか、浅上藤乃」
二度目の問い。私は、意地になって言ってやるんものかと心に決めていた。
普通の生活をしたいとあこがれつつ、感覚のない空虚な日常を生きてきた、わたし。
義父に嫌われたくなくて、母のために優等生を演じ続けてきた、わたし。
嫌われたくないから優等生になろうとしたのだ。
私は普通の生活を夢見て、結局、そんなものは望むべくもないのだと罪を重ねていくうちに気付かされる。
それでも、私は戻りたいと切に願い、切に願い!口封じのために人を殺め続けた。
ごふっ……
再び苦しさと痛みがこみ上げ、のどの奥から真っ赤な血を吐き出した。
私は、不自由な体を何とか仰向けにする。その、かすみ始めた視界には、あの両儀式が片手にナイフを構えて私を見下ろしていた。
「おまえ、素直じゃないよ。本当は痛いんだろう、本当は苦しいんだろう。なぜおまえは訴えなかったんだ。痛い、と一言、どうして訴えられなかったんだ」
そんなの知らない。知らなかった。感じなかった。ずっとずっと今まで……
「浅上藤乃、おまえはあいつの言葉を忘れたのか? 体育祭の日のアイツの言葉を!」
私は、自分を覆い隠したくなった。目を閉じれば想い出せる、あの三年前の夕暮れ時、足をくじいて歩けないでいたわたしに、あの人はそっと声をかけてくれて言ったのだ。
「馬鹿だな、君は。いいかい、傷は耐えるものじゃない。痛みは訴えるものなんだよ、藤乃ちゃん」
ああ、そうだ。 私は、しまい込んでしまったのだ。一人の淡い想いとともに、先輩の大事な言葉をココロにしまい込んでしまったのだ。
三年後、あの雨の夜、わたしは先輩に偶然逢うことができた。先輩は藤乃を忘れているようだったけれど、私は忘れない。
忘れられない
それでも、あの人はわき腹を抱えてうずくまる私に優しく声をかけてくれた。
「お腹、痛む?」
私は、なんと応えただろうか?
ああ、そうだ
「はい、とてもとても痛いです。わたし泣いてしまいそうで……泣いて、いいですか」
私は訴えたんだ。訴えることが出来ていたんだ。
あのときのココロのまま日常を生きていたら、私は痛まなくても、私は感じなくても、生きていると実感できていたのだろうか? 間違った道を進まずに、後悔しないで生きていたのだろうか?
「ごふっ!」
のどの奥から、激痛とともに血を吐き出す。もう体に残っていないのではないと思うくらい、たくさんのたくさんの血を流す。
これが私の犯した罪の正体
私は、ぼんやりとする視界の中で涙を流した。
犯した罪、戻れない昨日、消えてしまう明日
それでも私は強く願った。
──もっと生きていたい
──もっと感じていたい
──もっと話していたい
──もっと現世にいたい
私は遺したい。自分の生きた証を
私は知りたい。本当の痛みとは何なのかを
私の生きたいという渇望は声になった。
「わたし、痛いです。まだ生きていたい。式さん、わたし、とても痛いです。とてもとても生きていたいです」
薄れゆく意識の中、わたしの耳には彼女の言葉だけが救いの手のように残留していた。
「言えるじゃないか、浅上藤乃。手遅れだとおもったけど、おまえはまだ引き返せるよ」
気がつくと私は浅い眠りから目覚めていた。
今のは夢? ──そうだけど、あのときの対峙をずっと夢に見ていたのだ。あの忘れえぬ出来事をずっと、ずっと。
私は、ゆっくりと上半身を起こす。まだ肋骨の辺りと左腕はとても痛んでいた。右の足は動かすことさえできない。
私は、生きていることと、痛みを取り戻した。
けれど、一つだけ取り戻していないことがある。
それは視力。
私の視線の先は暗いまま。二週間がたっても視力の回復は兆しすらない。
「外傷性ショックに因る一時的な視力の喪失」
と担当のお医者さんは言うけれど、何かが違う気がする。
だとしても、今のわたしは待つしかない。見えることを信じて待つしかない。
私の怪我は全治三ヶ月。傷が癒える頃にはきっと視力は回復しているはず。
そして、わたしは戻るのだ。
あたらしい日常へと……
──1ヶ月後──
体の傷、体の痛みはだいぶ癒えてきた。順調に回復している。体中にあった打撲も腫れが引き、痕がなくなってきているのに……
そう、他の痛んだところは癒えてきているのに、目はいまだにみえないまま。目を開ける都度にわたしの視界を染めるのは黒いヴェールばかり……
ちょっとちがう。光は少し感じるけれど、ただそれだけ。
このまま見えなかったら?
それはだめ! そんなのいやっ! ひどすぎる!
言いようのない不安と隔離されたような孤独が襲う。
せっかく生きているのに、せっかく痛みを取り戻したのに、ふみしめる感覚を、触れる感触がうれしくて仕方がないのに、何も見えないなんて!
見えないことは、私の犯した常識を逸脱した行為に対する罰なのでしょうか。七人の人間をむごたらしく捻り殺し、人を傷つけることでしか生の実感を得られなかった「浅上藤乃」という境界を踏み外した少女に対する罰だというのでしょうか。死よりもつらい漆黒に閉ざされ、このまま何も見えず、何も為すべきことをできず、私は日常に戻れず、日のあたらない場所で一生を終えてしまうのだろうか?
「罰というなら、受け容れるしかない」
嘘だ。わたしは嘘をついた。犯した罪を覆しても、わたしは戻りたいのだ。
私は、還りたい。私のいるべき場所へ、絶対に……
◆◆◆
さらに2週間が過ぎた。わたしの目は今日も見えない。
どうして、どうして、どうして、どうして!
見たい、見たい、見たい!
青空がみたい、街が見たい、緑がみたい、人がみたい
流れゆく風景、果てなく続く人の連なり、幸せそうな人たち、おしゃれなウインドウショッピング、いままで見たいとも思わなかった当たり前の風景を、
みたい、みたい、みたい、みたい
みたい!
えっ? 少しだけ見えた。
でも、見えているものがちがう。絶対に病室からみえるはずのない屋上からの俯瞰の風景──夜の町並み、強く、弱々しく光る灯火、駆け抜ける車のヘッドライト?
これは何?
私は憶えている。両儀式と戦い、敗北の直前に自らブロードブリッジを破壊したときに視た光景と同じ感覚だった。脳裏に浮かんだ海峡の全景。
両儀式に押さえつけられていた、あのときの私には絶対に視ることのできない嵐の夜の全景!
どういうこと?
私は、あのとき見た光景と同じ感覚が何であるのか、すぐにはわからなかった。
それでも嬉しかったのは、きっと日常に戻ることができるという希望、このまま視えていれば日常に戻ることが出来るという事実。
わたしは、また穏やかな日常に戻れる。
──また一週間が過ぎた。
私は、たしかに「みえる」ようになった。でも、これは違う。見ているんじゃない、視えているだけ。視たいと願ったものが視えているだけなのだ。目を開けただけではみることができない。
これは普通の視界じゃない。私が見たいのは「わたし」の目が捉える日常の風景。私の視界に映る、私が目を開ければ、ごく当たり前に見えるその光景そのも!
ちがうものが視えることじゃない!
それに、頭が痛い。とても重くなる。気が遠くなる。長く視続けていると、あたまが煮えたぎって視界もかすんでくる。
これではだめ。これは見ていない。みていない、見ていない!
苛立ち!
私は、例えようのない苛立ちに襲われる。あのときと同じだ。狂暴になったあの時と同じだ。だめ、いけない! 藤乃 それを使ってはだめ!
止まらない。
私は苛立ちをぶつけるように小さく呟いた。
凶れ
さらに一週間が過ぎた。
あれは失敗だった。つい感情的になって力を使ってしまったけれど、どうもいけない。しばらく見えなくなってしまった。私は今、最初と同じようにしばらく暗闇の中に入た。
でも夜になって、私は物音をみとめて意識を呼び起こした。
もうすでに深夜のはずだ。今の私には同じことだけれど、深く静まり返った病院の廊下は音が不気味によく伝わる。
ほんのかすかな足音は、私の病室の前で止まり、誰かが入ってきた。
「わるいね、邪魔をするよ」
女性の声だ。声に凛々しさがある。もちろん、担当の看護婦さんじゃない。私は上半身を起こして身構えた。右足はまだ動かせない。身体も痛む。それに今は何も見えないのだ。
また、視える様になったのが二日前。私は今日、どのくらい視続けていられるのか試してみたけれど、結局、連続して視続けることができたのは数時間くらいだった。それが限界らしい。
だから、今は頭がひどく重い。吐き気もする。視ることはできない、わたしは侵入者に対してまったくの無力だった。
「おっと、コールボタンを押すのは止めてくれ。わたしは君に危害を加えるつもりは毛頭ないよ、浅上藤乃」
意外だ。あなたはだれ? なぜわたしを知っているの?
「わたしは蒼崎橙子だよ。そうだな、両儀式の雇い主といったらわかるかな?」
えっ、あの式さんの?
私は驚いた。まさか、再び彼女の名を耳にするとは思ってもいなかったのだ。
あの嵐の夜、わたしをすべての意味で敗北に追い込んだ和服姿の少女。
あの激しい戦いの夜、わたしは殺人鬼だと認識させた白純の少女。
あの崩壊した瓦礫の中で、わたしを助けてくれた漆黒の髪の少女。
「うっ……」
私は頭を抱えた。日中の無理がたたり、頭痛が重い。
「どうやら、今は視えないようだな。正常な視力も元に戻らないんだろう?」
私はうなずいた。懸念していたとおり、正常な視力が回復する兆しがない。
「当然だな。君は式と戦ったときにデタラメな力で橋を丸ごと破壊したんだからね。そのときに脳にかかる負担が限度を越えてしまったんだよ。視力を失うだけで済んだのが奇跡と呼べるくらいだ。
ただ、最近また視えるようになったと思うが、それは放出しすぎた能力が回復し始め、君の認識に反応しているからだ。あくまでも能力の行使によって『透視』しているに過ぎない。デリケートになった脳のまま『透視』し続けると、いつか頭が壊れるぞ」
蒼崎さんは、わたしに注意喚起か説教でもしにきたのですか?
「はは、あまり好戦的にならないでくれ。さっきも言ったが、わたしは君に危害を加えることはしないよ」
蒼崎さんは、ベッドのそばまで寄ってきた。気配でわかる
「今夜、参上したのは、君の父上から依頼を受けたからなんだ。だから安心してれ」
えっ、父に?
意外な言葉にわたしは驚く。聞けば、蒼崎さんは少なからず浅上と縁があるとのことだった。一体、父は何をこの女性に依頼したのだろうか?
「実はね、君の視力が正常に回復せず、また暴走するかもしれないので何とかならないか、とね。実際、ここに来る途中、君が破壊した個室を見たが、イラ立つのもわかるがあまり感心しないね。お父上が君を無痛症にしていたことを知って、歩み寄りを見せているのに、ここでまた問題を起こしたらそれこそ君は救われないぞ」
私はそっぽを向いた。父が病室を見舞ったことはない。歩み寄りを見せた? 違うと思う。罪を犯し、両儀式と戦い、それでも生きていた鬼子のわたしを自分の社会的地位のために隠しておきたいのだ。
きっとそうだ。ずっとそうだった。
「まあ、いろいろ思うところはあるだろう。いずれ時間が解決してくれる。だがな浅上藤乃、君から拒絶することはないぞ。せっかく拾った命だ。せいぜい独立するために父上を利用してやったらどうだ?」
蒼崎さんは笑っているようだった。それが父に向けられたものか、わたしに向けられたものかは判らない。すくなくとも「侮辱」の類ではなさそうだった。
「すまんな、話が逸れてしまった。本題に入ろう」
はい、なんでしょうか?
「君の通常の視力は回復していないんだな」
ええ、そうです。私の目は普通にみえるようになるのですか?
「だめだな。というのも視力の喪失は君が無事でいることの一つの代償だと思ってくれ」
今さらだが、突きつけられた事実にくやしさでベッドをこぶしで叩いた。
「しかし、君は見えてはいないが、視ることはできるはずだ。一時的に失った魔眼の力は戻ってきたからね。あのとき、君は土壇場で見えるはずのない景色を脳裏に映し出し、橋を破壊した。透視を発現しただろう?」
透視というのですか? ええ、そうです。私は認めた。そして視力を失ってから一ヵ月後くらいに、みれないものが視えるようになった。けれど……
「しかし、実際に視つづけることができるのは数時間が限界なんだろう?」
どうやら、蒼崎さんは何でもお見通しらしい。わたしは皮肉っぽくわらった。
そうです。連続では二時間ほどです。
「まあ、そうだろうな。先刻も言ったが、君の脳はリミットを越えてしまったためにデリケートになっている。特別な能力を行使すれば、その力は脳と直結するから負担がかかるのは当然なんだよ。透視そのものは単純でも、透視することは高レベルな技術だ。歪曲はもとより、透視もそのまま続ければ脳に障害を及ぼすことは保障するよ。もちろん、それは寿命にも直結する事実だ」
じゃあ、どうすればいいというのだろう。このまま、ろくに見えないまま一生を過ごせというのだろうか? 何も成せず、罪を背負うことだけで生きていけと言うのだろうか。身勝手といわれようと、わたしは耐えられない。
「そこでわたしの出番というわけさ。浅上藤乃、日常の生活に戻りたいか?」
思いがけない言葉だった。
もちろん、どんな方法でもいいから戻りたいと訴えた。
「そうか、それならばよし。本当は君の異常を治せる人物をひとり知っているのだがね。何処にいるのか見当がつかないし、君を式と戦わせた張本人だからね。今となってはもう君の前に姿を現すことはないだろう」
なんとなく、私はその人物が、私の背中の痛みを直してくれたあの夜の男の人だというのがわかった。
ベッドの前でカタンと音がした。どうやら蒼崎さんは椅子に座ったらしい。
「じゃあ、今から話すことをしっかり聞くんだ。内容的には難しくないよ」
蒼崎さんは説明する。
医学的にいう「視力」そのものは失ったかもしれないが、君の「魔眼」はもちろん健在だ。目をつぶしたり、失ったくらいで無くなる力ではないからさ。その強力な力の源を生体的に機能しなくなった「視力」へ「転換」するんだ。歪曲や透視として特別な能力を行使する力に使うのではなく、通常の視力──視界を一時的に確保するために使うということだ。
君の訓練の度合いにも依るが「透視」で視るよりもはるかに長く、はるかに負担がすくなく『正常な視力と視界』を確保できるはずだ。それができれば、君は再び日常へと戻ることができるだろう。
ちょっと微妙な部分がある。一時的にとはどういうことだろうか?
「ああ、勘違いをしないでほしい。再生ではなく、力を注いでいる間だけ視力を確保するということだ。君の目は医学的に説明することも診断することも困難な状態だ。つまり、医学的に診て、みることの機能に問題はなくても脳そのものは君がペナルティーを犯したために生体的な「視力」を受け付けようとしないのさ。これを認めさせるにはそのラインを一時的に緩和させることが重要なのさ」
ぺナルティーを緩和する?
私は、怪訝な顔をしたと思う。言わんとしていることはなんとなく理解することができたけれど、言うほど簡単ではないのではないか?
「その通りだよ、浅上藤乃。実行するより実現するのが困難なんだ。もっと簡単に述べると、これは正常な視界のみを得るためのいわば力のコントロールだ。この力のコントロールは、君が歪曲や透視を行使する制御方法とは明らかにちがう。しかし、これができなければ、君は一生まともに見えることができずに日常を過ごすことになるだろう」
逆に、それが実現できれば日常に戻れるということ。普通に見ることができるということ。
「その通りだ。だが一つ注意しておこう。特別な能力を行使した場合、脳に不必要な負担がかかるのは無論のこと、その力のさじ加減によっては君の目はしばらく見えなくなるだろう。事実、君はそれを現実に実感しているはずだ。正常に見えていた時と同じように生活がしたいのなら、二度と能力の行使はしないことだ。そのほうがいい。痛みを取り戻した今、もう余分な力など必要ないはずだからな、すこしでも長く生きて君の望んでいた証を残したほうがいいだろう。できるか?」
私は、「決意」を蒼崎さんに伝えた。
「そうか、それならばよし。じゃあ、がんばってくれ、わたしはこれで失礼するよ。邪魔したね」
あのう、と私は蒼崎さんを呼び止めた。
「どうした。何か質問か?」
ありがとうございます。
「ん? ああ、じゃあな」
扉が音も立てずに閉まる。けれど、三秒もしないうちに再び開いた。
「すまん、ひとつ伝え忘れたことがあったよ」
なんでしょうか?
「黒桐鮮花は君の親友でいいかな?」
思いがけない名前を告げられて、わたしは思わず体を震わせる。
「黒桐鮮花」
私の凛々しい親友。私を心配してくれる優しい親友。私に気兼ねなく接してくれる面倒見のよい優等生。
私が意識を回復してまもなく、彼女はお見舞いに来てくれたけれど、気分が優れないことを理由に面会を断ってしまった。その後も何かと理由をつけて会っていない。
私は、鮮花にどんな態度をとればいいのかわからないでいた。とても面等むかって顔を合わせられる自信も神経の太さも持ち合わせていなかった。
だから、親友の「手紙」もいまだに読んでいない。読めない。
「鮮花とは少なからずの縁があってね。今日も本当は引っ張って来ようかと考えたんだが、今の君の状態を考慮してやめて正解だったな」
私は、自分の震えを抑えるために右手だけで肩を抱いた。私は怖い。鮮花に会うことがとても怖い。会ってしまったら、きっとあのまっすぐな目にわたしは負けてしまい、自分の犯した罪を話してしまうから。彼女に嫌われてしまったら……
本当に怖いのだ。私はどうにかなってしまいそう。あともうすこし、自分を抑えることができるまで、あの子とは会いたくなかった。
「鮮花はね、君の事をとても心配している。君の異常に気がつかなかった自分を責めていたよ」
声が出ない。蒼崎さんはなんと言ったの? 突きつけられた事実に私は愕然としてしまった。鮮花は、彼女は知っているというの?
「その通りだ、浅上藤乃。鮮花は頭も勘もいい子だからね。君が入院してから、起こった出来事を整理し、君に降りかかった事実をほぼ正確に洞察していたんだよ。本人はもちろん黙っていることにしたんだろうが、それでも把握しきれなかった部分を知りたくなったんだろう、真相を知っているわたしにすごい剣幕で聞いてきてね。話を逸らせることができなかったよ」
その中身を理解したとき、私のココロは急激に押さえつけられた。鮮花に、最も信頼する同級生に罪を知られてしまったのだ。いつか話すことになったとしても、今の状態で知られたくはなかった。
私の身体がガクガクと震えた。
「心配するな。鮮花は覚悟ができていた。自分で情報を集め、それを整理し、無駄な部分をそぎ落とし、真実の一端をつかんだ時点で覚悟していたんだ。君の犯した罪を許しはしないだろう。しかし、君を嫌ってはいないよ。罪を憎んで人を憎まずだ。
鮮花は、きみが追い込まれた状況と置かれた立場を十分理解しているよ。逆に自分自身を許せないとも思っている。君の力になれなかった不甲斐ない自分を責めているんだ」
黒桐さんが自分を責めているだなんて、そんな……
「だから浅上藤乃、鮮花を安心させてやってくれないか。君にとって、社会に復帰したとしてもつらい日々は続くかもしれない。けれど、毎日気丈に振舞って君の帰りを待っている少女の気持ちは考慮してほしいんだよ」
直後に、今度は扉がわずかな音をたてて閉まる。二度と扉が開くことはなかった。
残された私は、声を出して泣いた。
悲しかったわけではなく、とても嬉しかったから。私を待っている人がいるということ。私の罪を知って、なお受け入れてくれる人が在るということ。私の犯した罪を自分ごとのように共有しようとココロを痛めてくれる人がいるということ。
私は窓の方向を向いた。今日は確か満月。夜の天候も快晴。柔らかく光る月が暗闇の下にあるすべてのものに安らぎを与えているに違いない。そして、光が届かない場所などないように、きっとその力を隅々にいきわたらせていると思う。
見えないけれど、きっと……
私は、再び決意する。わたしがわたしらしく生きれる場所への帰還。
私の生活のある礼園の寮へ。
私は笑いたい。わたしを迎えてくれる友達のいる学びの場へ
私は会いたい。長い黒髪をさっそうとなびかせる親友の少女に
私は、いつか本当のお礼が言いたい。やさしくわたしを受け止めてくれた先輩に
そして、あのときも今も変わらないわたしの気持ちをあなたに伝えたい。
近い未来で
──了──
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
あとがき(少々長いです)
空乃涼です。この作品は私がシルフェニアさんにお世話になる初期の頃に投稿したものです。それを(文章的に未熟さも満載だったので)改訂して投稿しました。非常に段落分けが難しい内容というorz
前投稿において作品上、「ふじのん三部作」だったのですが、二兎どころか三兎状態だったので、ろくに続編が書けず、らっきょSSは一本化するということで、更新が難しい「心情交差」を削除しました。
変わりゆく、の方に再投稿できればと考えていたら、えらい期間が経ってしまった。←(今ここ)
──ということです(汗
空の境界を読んだ、または劇場版を鑑賞した方は、浅上藤乃という少女の「痛さ」というのをご存知だと思います。あとヤンデレです。
前作より「痛さ」を和らげたつもりですが、彼女の抱える「闇」を感じてもらおうと、やっぱり「痛い」部分が多いです(笑
彼女の心をどう表現しようかえらい紆余曲折&推敲しました(汗
原作と劇場版第5章の段階では、彼女がその後目が見えるようになったのか、そうでないのか曖昧でしたが、その後出版された「未来福音」では、「やっぱり見えてなさそうだ」という描かれ方をされてました。
この作品では、原作が曖昧な描かれだったために、当時、私なりの解釈を加えて「ふじのん視力復活」とかにしてますw
結局、アンソロコミックでは、見えているしw ネタ的に見えてないとダメなんでしょうけど。私もそちらを支持しました!(オイ
じゃないと彼女を本編に出せないしなw (すでに出てますけど)
マイナーすぎる作品を読んでいただけた方、お疲れ様でした。そしてありがとうございます。
2012年4月4日 ──涼──
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
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