私たち「ナデシコ独立部隊」は
 民間企業ネルガル重工が建造した
 最新鋭戦艦ND-001ナデシコを駆り
      
 ふがいない地球連合宇宙軍に代わって
 地球に侵攻する木星蜥蜴を次々に撃破!
       
       火星で戦争の源といえる古代火星遺跡の
 「演算ユニット」を回収したのはいいけれど
       木星艦隊の優人部隊に包囲されて大ピンチ!
       
    そこはそう、遺跡の演算ユニットの力を利用して
       ナデシコごと「ボソンジャンプで脱出!」
      
       したまではよかったのだけれど
 目を覚ませば、どうも信じられないことになっていたのです……
      
                 
            ──ホシノ・ルリ
 ──
 Going your day, Grow up!
      
     
     
     
     
     
     
     
           
      
      
      
      
      
     
     
           
      
      
      
      
     
     
T
     
       星々を纏う深淵の虚空に、突然、空間をゆがめて姿を現した白い戦闘艦があった。静まり返ったその艦橋では、一人の少女が中枢コンピューターが伝える様々な状況を淡々と読み上げていた。
      
       「ナデシコ、通常空間に復帰、ボソンジャンプ成功。相転移エンジン微速航行中。機関および各推進装置、Yユニット武器管制、重力制御装置に異常なし。
  ディストーションフィールド正常展開。生命異常にある乗員なし。そのほかすべてオールグリーン」
      
       少女は言い終わると、回路の模様が浮かぶディスプレイに両手をかざし、一斉に通信スクリーンを開いて小さく深呼吸をする。その白く肌理の細かい両手の甲には円形の模様が光を帯びて輝いていた。
      
       「みなさーん、起きてくださーい。ジャンプに成功しました。起きてくださーい。おーい、起きろー」
      
       少女は、まるで台詞を棒読みするかのように呼びかけるが、しばらく待っても誰からも応答がない。
      
       (以前にも同じことがあったような……)
      
       少女は心の中で素っ気無くつぶやきながら、黄金色に輝く大きな瞳を動かして周囲を見回す。どんな状態であれ、艦橋の乗員は彼女を除いて気を失ったまま
  だった。
      
      
     
      
       (まあ、いいか。誰も怪我をしていなし、皆さんそれぞれで目を覚ましてもらうしかないかな? それよりも艦長には早く伝えないと)
      
       誰も、少女の冷静な表情からはとてもその動揺を読み取れなかっただろう。彼女自身、実は今の状況がにわかには信じられず、どう感情に表せばよいのか解からないでいた。
      
       少女は、戦闘艦「ナデシコ」を統制する中枢コンピューター、通称「オモイカネ」と直結するディスプレイ型コンソールに再び両手をかざし、彼女の乗る戦艦の艦長を呼び出す。二次元通信スクリーンが捉えたのは、まるで「眠れる森の美女よろしく気を失った」若い女性の姿だった。
      
       「艦長、起きてください。艦長、おきてください。ボソンジャンプに成功しましたが、至急にお伝えしたい事項があります。艦長、ミスマル艦長、起・き・て・く・だ・
   さ・い」
      
       少女の呼びかけに、
      
       『……う、う〜ん』
      
       と、かわいいうめき声を漏らしながら「起きた」ように見えた艦長ことミスマル・ユリカは、少女の期待をコンマ単位で裏切った。
      
       『だめったらアキト、こんなところで……』
      
       「!!!」
      
       ブチッという音を聞いた者は存在しない。ただ、見事に寝ぼけている麗しき艦長に向け、静かに「怒」スイッチの入ったメインオペレーターのホシノ・ルリは、一瞬の思案の末、とっておきの方法で目を覚ましてもらうことにした。
      
       ルリはささやく
      
       「艦長、艦長、アキトさんがイネスさんとキ……キスしています」
      
       やや赤面しつつ言ったものの、ルリの想像を超えるほどバカみたいに効果は覿面だった。
      
       『だめー! アキトは、アキトは私の大切な人だからイネスさんとキスなんか絶対にダメッー!! どこどこ? アキトはどこー!?』
      
       ミスマル・ユリカは、ルリもあきれるほど飛び起き、両手両足をバタつかせてダダをこねる子供のように無駄に騒ぐが、直後にすぐ後ろで怒声を聞いた。
      
      
     
      
       『うおい! なんだよ一体、どいてくれ!』
      
       大声を張り上げ、したたかに被害を被った右の頬をいたわるようにして起き上がったのは、逆立った褐色の髪と、どこか顔に幼さの残る青年だった。
      
       名を、テンカワ・アキトと言う。
      
       『あっ、アキトはっけーん!』
      
       『じゃない! 狭いコクピット内で騒ぐな』
      
       『えー、だって脱出成功だよ。二人の愛の力で脱出したんだよ。アキトは嬉しくないの?』
      
       と言って、ユリカは青年に抱きつく。
      
       『う、嬉しいけど、エステバリスのコクピット内でバカみたいに騒ぐなと言うんだ。オレが何回ユリカにぶたれたと思っているんだ』
       
       『そうなの?』
      
        と、膝の上に乗る美女は大きな瞳でテンカワを見つめ返す。その反則的にかわいいおどけた表情と、あまりにも能天気な態度に怒気も飛んでしまい、計らずも降参のため息をもらしてしまう。
      
       
「おーい、二人ともこっち向け」
      
       不意の重い声に二人ははっとし、通信スクリーンから冷ややかな視線を浴びせる妖精のような少女の存在にようやく気が付いた。
      
       『ご、ごめんルリちゃん』
      
       『ごめんなさい、ルリちゃん』
      
       アキトとユリカは謝罪すると、少女の透き通るような白い肌がいつにも増して白いことに気がついた。
      
       『どうかしたのルリちゃん、何かあったの?』
      
       ユリカが心配そう尋ねると、ルリはうなづいて説明を始めた。
      
       「ナデシコおよび乗員全員に異常や問題はありません。ですが、今の私たちがいる場所には大きな問題があります」
      
       『えっ、問題?』
      
       とっさにそれが何であるか、アキトにもユリカにも思い浮かばない。スクリーンの向こうの少女が口を開く。
      
       「状況を解かっていただきます。艦長とアキトさんが乗るエステバリスは左舷Yユニットの付け根部分にいるはずです。そこから前方の宇宙に何が見えます
   か?」
      
       そりゃあ、火星が後ろだから宇宙だろう、と顔を上げて確認した青年は、信じられない光景に目を疑った。
      
       『えっ? えっ? ……』
      
       言葉にならず、アキトはコクピットから身を乗り出す。ユリカも事の重大さに気づいたのかスクリーンに向き直った。彼らの見る前方にはあるはずのない惑星が複数存在し、静かに深い漆黒の風景が無機質的にあざ笑うかのごとく広がっていたのだった。
      
       『ど、どうして? ジャンプは成功したはずなのに……』
      
       二人には、同時に困惑が広がっていた。火星から脱出するイメージはしっかりできていた。イメージして、二人の唇が重なった瞬間、ジャンプフィールドがナデシコを包み込み、確かに跳躍をしたはずなのだ。何か余計なイメージを思い描いてしまったのだろうか?
      
       「いや、そんなはずはない……」
      
       声に震えがあった。現実ではないという否定と夢であって欲しいという肯定。
      
       もしかしたら逆にジャンプ? という見当はずれな思い込みは、後ろを確認した瞬間に吹き飛んでいた。
      
       「艦長、アキトさん、すぐ艦橋に戻ってきてください。それも含めて緊急にお話ししたいことがあります」
      
       ルリが表面上は冷静に伝える。メインオペレーターである少女も、まだ今の状況が飲み込めていないのだ。いや、彼女の優秀な頭脳をもってしても何が起きたのか推測すらできないのだ。オモイカネによる座標確認がエラーになった時点で不審と不安と戸惑いが神経を揺さぶってしまったのだから。
      
       なぜなら、ミスマル・ユリカ、テンカワ・アキト、イネス・フレサンジュという火星生まれのボソンジャンプ能力者による艦ごとのジャンプフィールド形成とジャンプは、あの瞬簡に成功していたのだから。
      
       成功して、誰よりも早く次に目覚めるまで、ホシノ・ルリも気を失っていたのである。不安は増大するしかなかった。
      
       「艦長、アキトさん、聞こえていますか?」
      
       ルリの呼びかけがなければ、二人はいつまでも呆然と宇宙を眺めていたに違いない。
      
       『ルリちゃん、今、そっちに行くから……』
      
       アキトがかろうじて声を絞り出し、彼らの乗る人型機動兵器を始動させようとしたそのとき、
      
       「おいおいっ! それと関係があるのかわからねぇがよ」
      
       突然、怒鳴るような声とともに三人の間に通信スクリーンが割って入る。そこには薄汚れたツナギを身に付け、四角い眼鏡を掛けた三十代前後の男が息使いも荒く、スクリーンからはみ出さんばかりに映っていた。
      
       『ウリバタケさん、そんなに慌ててどうしたんですか?』
      
       アキトが尋ねる。ナデシコの整備班長を務めるウリバタケ・セイヤは、浅黒い肌をした顔をさらにスクリーンに近づける。
      
       『どうしたも、こうしたもあるかよ! 気がついたらあれがねぇんだよ、
アレが!』
      
       『あれって?』
      
       艦長の緊張感のない発言に、キレ気味にウリバタケは再び怒鳴った。
      
       「
ばかやろう! あれったらアレだよ、遺跡だよ。火星の演算ユニットだよ。これを見ろ!」
      
      
       ウリバタケはスクリーンから離れ、それがあったはずの方向をまっすぐに指し示す。そこには、演算ユニットとシステムを直結させていた特殊なケーブルと、その周辺にたむろする整備員の姿だけが映っていた。ウリバタケは悪質ないたずらをしたわけではなかった。目が覚めてからの状況を艦長に伝える。もちろん、回線を開いたのは艦長宛のみであり、その場にいるアキトを除けば、彼の通信は他の人物には伝わっていないはず。
      
       ユリカもアキトも、次々に明らかになる事実に状況の整理がつきかねている様子だった。
      
       『わかりました。ウリバタケさん、私もアキトもすぐに艦橋に戻ります。艦橋で待っていてください……ルリちゃん』
      
       ユリカは、最後に黄金色の瞳のオペレーターに呼びかける。
      
       『他のみんなはどうしているの?』
      
       「はい。ほとんどの皆さんはちょうど目を覚ましていますが、ジュンさんが気絶したままです」
      
       ルリは冷静に答える。ジュン君、気絶したままなんだ、とユリカはつぶやき、今の状況を最も説明できるであろう女性の安否を尋ねた。
      
       『やっほー、艦長。何があったか知らないけれど、イネスさんならついさっき通信があったわよ。ナデシコの展望ルームから艦橋に向かっているわ』
      
       と、ルリの代わりに答えたのは、ナデシコの超一流の操舵士ハルカ・ミナトだった。彼女は魅惑的な唇に微笑をこめ、スクリーンの向こうで二人きりのユリカ
   とアキトに何か言いたげだったが……
      
       「艦長、アキトさん、早く戻ってきてください。私、何か嫌な予感がするんです。早く状況に対応したほうがよいような気がします」
      
       ルリがミナトの顔を押しのけ、とても真剣な(と二人には見分けられる)表情で訴える。ユリカとアキトは、そんな少女の姿を見て状況の深刻さをひしひしと受け止めた。
      
       『うん、わかったわ、ルリちゃん。皆を艦橋に集めておいてね、すぐに向かうから』
      
       ユリカが励ますように答える。黙ってうなずくルリを確かめた二人は通信を切り、アキトがエステバリスを始動させる。格納庫へ向かう途上に見た光景は、彼らが意図した場所とはまるで違っていた。
      
       「一体、俺たちは何処へ飛んだんだ?」
      
       不安げにつぶやくアキトをユリカは安心させるように強く抱きしめたのだった。
      
      
      
      
      
     
     
     
U
     
       艦橋に戻ったユリカとアキトは、床に埋め込まれた作戦用戦術スクリーンの周囲に集まる、いつものメンバーの出迎えを受けた。
      
       「艦長、アキトくん、おそいよぉ。もう、みんな集まっているよ」
      
       と危機感のかけらもない高音の効いた声を二人に掛けたのは、「ナデシコの萌え担当」、「天真爛漫な眼鏡っ娘」などと呼ばれるエステバリスパイロットの
   アマノ・ヒカルだった。彼女はトレードマークである大きな丸い眼鏡を哲学者のようなしぐさで整える。
      
       「ところで、二人とも……」
      
       「艦長、テンカワくん、早くして。始められないわ」
      
       ヒカルの声は、医者か学者が身につける白衣が驚くほど似合う金髪の美女によって遮られた。金髪美女は二次元大型スクリーンの左横に立ち、今か今かと手ぐすねひいたような表情でユリカとアキトを「やさしく」にらみつける。
      
       「「すみません、イネスさん」」
       
       二人は恐縮するように言うと、みんなが並ぶ戦術スクリーンの周りに立つ。その途上、幾人かにひやかしの視線をあびせられて苦笑いをしたが、これは冷やかされからではなく、現在の状況を深刻に考えていない仲間にややあきれたからに他ならない。
      
       「それでは皆さん、今の状況を説明したいと思います」
      
       イネス・フレサンジュは、凛とした姿勢のまま集まった一同を見渡す。想えば、火星でナデシコに乗艦してからほとんど変わらない顔が目の前に集っている。
   最初、イネスは個々に対する感情や感傷など持ち合わせてはいなかったのだが、反発、協力、和解、融和を繰り返し、幾多の戦いをともにくぐり抜けていくうちに、いつしかナデシコとその仲間たちの中に自分の存在意義を見出していたのだ。一時、ナデシコから離れることになっても結局はナデシコでの日々を忘れられ
  ないイネスを含めたほとんどの乗員たちは、それぞれの絆を確かめるように火星への最後の航海にほぼ全員戻ってきたのだった。
      
       だからこそ、何が起ころうとも彼らを信じられるという確信が金髪の科学者にはあった。
      
       イネスは、自分自身にむかって小さくうなずく。
      
       「いいですか? 私たちは火星にて遺跡の中枢たる演算ユニットを回収し、その力を
      利用することで火星圏外にボソンアウトする予定でした。ジャンプは確かに成功しました」
      
       イネスはクルーを見る。この段階では特に誰も表情を変えるものはいない。全員、彼女の方を落ち着いたまなざしで見ている。やれやれ、楽天家集団でよかったというのか悪かったというのか。
      
       「ですが、ルリちゃんの分析によるとボソンジャンプに成功はしたものの、後方、または前方に見えるはずの火星が見当たりません。そればかりか、みなさんブリッジから見てご存知かと思いますが、スキャンの結果、1つの恒星と約8個の大惑星、衛星が20余り、4個の中規模惑星、200ないし300あまりの小惑星が最低数確認されています」
      
       「それって、つまりどういうことでしょうか?」
      
       メグミ・レイナードがよく通った声で控えめな質問をした。彼女は元声優という異色の経歴を持ち、ナデシコの通信士を務めている。長い黒髪を三つ編みにして背中に束ね、ファッションの一環か、縁起担ぎなのか黄色いスカーフを肩からクロスさせて身につけている。
       
       一同の視線が集まる中、イネスは事実を口にした。
      
       「そうね、回りくどいことはやめましょう。私たちは迷子になっているということよ」
      
       落ち着いていたクルーの表情が急にこわばった。
      
       「ナデシコにある全データーを照合しても私たちがいる座標と宙域を特定できなかったの。そうよね、ルリちゃん?」
      
       オペレーター席の少女は黙ってうなずいた。
      
       さすがの楽天家集団も状況が飲み込めてきたらしい。不安げに隣人と会話を交わすものもいる。それぞれの通信モニターで見ている他の乗員も同じ気持ちに違
   いない。
      
       「それって別に問題ないんじゃない。もう一回、ボソンジャンプすればいいだけの話でしょう?」
      
       ロン毛で長身の青年アカツキ・ナガレが演出の効いた口調で懸念を振り払う。その印象は人気抜群の歌って踊れるアイドルを連想させた。
      
       「なーんだ、驚いて損したぁ。イネスさんもルリちゃんも脅かしっ子なしだよ。艦長とアキトくんとイネスさんとでまたジャンプすればいいんだよね」
      
       「それは演算ユニットがあればの話だけどな」
      
       ウリバタケがヒカルの楽観論を瞬殺する。彼は重々しく目を閉じて腕組みをした。この事実が何を意味するのか考えたくもなかった。考えたくもなかったので、深刻な表情にならないよう目を閉じて考えているフリをすることにしたのである。
      
       「演算ユニットが消えたというのですか?」
      
       ゴート・ホーリーが呆然とする一同の中、いち早く状況を整理したのか低くつぶやく。元軍人の大柄な男は背広を身につけたまま、いかつい表情を変えもせず魔神のように直立したまま艦長を顧みた。
      
       「事実なのでしょうか、艦長?」
      
       落ち着いた口調ながら、わずかな感情の乱れがあった。
      
       「はい事実です。ジャンプ成功直後にウリバタケさんより報告がありました。演算ユニットが忽然と消えてしまっていたそうです」
      
       ボソンジャンプを実現する演算ユニットが行方不明でも、実際ジャンプは可能かもしれないが、ナデシコごととなるとフィールドの形成は遺跡の力が必要だった。最も重大なのは、遺跡が戦争の根源であるだけに、適切な処理をしないまま行方不明で済ませるわけにもいかないことだ。それでは何のために今まで戦ってきたのか、多くの犠牲の下にようやく訪れるはずの平和への可能性を不透明にしかねない。
       
       ユリカが肩を落とす。艦長である自分が誰よりも毅然としていなければいけないはずなのに、自分がこんな状態では……せめて、この場にフクベ提督がいらしてくれれば、私たちに有益な助言をしてくれただろうに……
      
       今、その提督はいない。亡くなったのではなく、自室にいるのである。
      
       「私のような老体はいまさら必要ないだろう。私は一度死んだ身だ。今後のことは若い力が決断し、行動してゆくものだ。実際、君たちはミスマル艦長の下、
   木星蜥蜴との戦争を戦い抜いてきたではないかね。私がどうこう言う必要はないはずだがね。
       ──私の司令官としての役割は、あの火星の件で終わったのだよ。今ここにいるのは現役を引退した老い先短いじじいなのだよ。だから好きにさせてくれんかね」
      
       とシビアに言い放ち、一切をユリカに任せてしまっていた。
      
       「
じょ、冗談じゃないわよ! 早い話がボソンジャンプに失敗した挙句、演算ユニットを紛失したということでしょう! ユニットの力がなければナデシコごとのジャンプフィールドは形成できないんでしょう? どうするの艦長!」
      
      
       激発したのは、ナデシコの副操縦士エリナ・キンジョン・ウオンだった。ナデシコを建造したネルガル重工の元会長秘書であり、短く切った黒髪が行動的な印象を与える美人キャリアウーマンだが、その役職にふさわしく気が強く、言いたいことははっきりと言う。
      
       「やめたまえエリナ君。ジャンプは失敗したわけではないし、演算ユニットは不明であって消失したわけではない。これは想定外の出来事だ。艦長を非難するなど筋違いだよ」
      
       「ですがアカツキ会長!」
      
       エリナが食い下がる。が、アカツキに射すくめられ、こぶしを握り締めて黙り込む。彼女としては木星蜥蜴との戦争が終わればネルガルに復帰して重職を担おうと意図していただけに、わけのわからない場所にジャンプアウトされたとあっては怒りの一つも吐き出さずにはいられなかったのだろう。
      
       アカツキは、傍らでうつむく部下の気持ちを汲みつつ、チラリと周囲を見回す。どうも浮かない顔ばかりだ。確かにあのジャンプのあと、予定では演算ユニッ
   トをナデシコごと宇宙空間に放逐するはずだった。(自分は反対だけど)そうすれば戦争をする意味が薄れ、一息つけたかもしれないのだから仕方がないといえば仕方がないのだが、陽気と前向きが取柄の連中ばかりなのに翳っているというのはどうもなぁ……
      
       そういうアカツキも内心では衝撃を(別の意味で)受けたのだが、大企業の会長をしている経験か、それとも彼らに関わってからの怒涛のような出来事に免疫ができてしまったのか、とにかく心臓に毛でも生えたように動揺はごくわずかだった。
      
       「まあ、諸君。暗くなるのは止めよう。確かに演算ユニットは行方不明だけど、何処にあるかは明らかだ。先刻も言ったけれど、この状況を打開するにはもう
   一度ボソンジャンプすればいいだけのこと。ユニットがなければここに運んでくればいいだけのことでしょう?」
      
       アカツキがは励ますように言うと、すぐに幾人かはその意味を理解したのか明るい表情になる。しばらく状況を見守っていたイネス・フレサンジュも「あら、
   なぜ気がつかなかったのかしら?」とぶっきらぼうにつぶやき、説明の続きをしようと口を開きかけた瞬間だった。
       
       「「!!!」」
      
       突然、警報アラームがけたたましく響き渡り、同時に艦橋のいたるところに警報表示が出現する。一同の視線が一斉にオペレーター席の少女に集まった。
      
       「5時方向に艦影確認。数3、距離1.2光秒。艦艇データーに該当なし。艦型および諸元不明です。ですが質量からの推定によるとナデシコ級を上回るものと思われます。不明艦3隻、ほぼ同速でナデシコに接近。接触時間までおよそ4分です」
 
「!!!!!!」
 かなり速い。ほとんどのクルーが唖然としてしまった
      
       しかし、ルリの迅速な報告を受け、ユリカが叫んだ。
      
       「皆さん、すぐに持ち場についてください。第一級警戒態勢発令。相転移エンジン出力UP。ディストーションフィールド強化展開しつつ正面の大規模惑星に向けて前進してください。エステバリス隊は発進準備を整え、全員コクピット内で待機してください」
      
       ユリカの指示を受け、艦橋に集まるクルーが一斉に持ち場に向かう。
      
       「まさか、木連の部隊が僕たちを見つけて追ってきたのでしょうか?」
      
       アオイ・ジュンが副長席に座りつつ疑問を述べる。ユリカ同様、地球連合大学を優秀な成績で卒業し、ユリカを追ってナデシコに乗り込んだ仕官候補生だっ
  た。少女のような顔立ちの美形なのだが、いい人属性が強いのか、個性的な人材の集まるナデシコ艦橋にあって「まとも」すぎるのか、モテ度はいまいちという可愛そうな男である。
      
       「いや、それはおかしいですね。この辺りは見たかぎりでは火星圏はおろか太陽系外の可能性が高い。いくら木連がチューリップを有しているとはいえ、チューリップを介さずボソンジャンプしたナデシコを追跡するのは不可能でしょう」
      
       と、鋭いまなざしで見解を述べたのは、ユリカの右側後方で参謀のごとく立つプロスペクターと呼ばれる人物だった。ナデシコには監査・経理係りとしてネルガルより出向の形で乗り込んだのだが、有事の際には会社の意向を裏切ってまでナデシコクルーを助けるという、独自の信念に基づいて行動できる謎多き男だ。
      
       彼は、愛用の黄色い縁の眼鏡を右の指で引き起こし、ネクタイの緩みを整えて両手を後ろ手に組みメインスクリーンを見つめる。その方向には大規模惑星と中規模惑星の他、確認されているだけで数百に上る小惑星が深淵の世界に広がっているのだ。
      
       「みなさん、とりあえずいろいろ疑問とか見解とかあると思いますが、まだ状況がつかめません。今は逃げの一手です」
      
       「そのとおりですな、艦長」
      
       「不明艦、スクリーンに映像はいります」
      
       ルリの声で一同が一斉にスクリーンを見る。「あっ」という軽い驚きが漏れる中、スクリーンに映し出されたのは銀灰色に塗装された明らかな軍艦だった。長く直線的に伸びた艦首、その後方の付け根には箱型の機関が長方体を形作るかのように四つ均等に配置されていた。艦首正面には砲門と見られる穴が6つ確認できたが、砲身とおぼしきものは船体には見当たらない。
      
    「何処の戦艦だ?」
      
       その疑問の渦中、通信士のメグミがユリカにあわてて報告する。
      
       「艦長、不明艦からの通信波をキャッチしました。どうしますか?」
      
       メグミの表情は不安げだ。連合宇宙軍でもなく、木連の戦艦でもないのなら、あれは一体? 未知との遭遇だとしたら不明艦に乗るのはもしかして……
      
       「メグミさん、不明艦の通信のみ開いてください。こちらの様子を知られたくありません」
      
       ユリカの指示に従い、メグミが切り替えを行う。その瞬間、先ほどよりも大きなどよめきが艦橋を駆け巡る。安心とも不安とも言えない。
      
       通信スクリーンに映ったのは、明らかに「人間」だった。黒色と灰色の布地に銀色のラインの入った軍服を身につけ、金髪を短く刈り整えた眼光も鋭い30代くらいの男がスクリーンの向こうにいたのだ。
      
    「何か言っていますね。これって何語?」
      
       メグミが男から目を離さずに首を傾ける。
      
       「ドイツ語……じゃないかしら」
      
       数十ヶ国語を操るエリナが答える。彼女はまだ納得していないのか、艦長席の後ろの壁に寄りかかり、少しふてくされていた。
      
       「言語照合一致。自動翻訳します」
      
       ルリがパネルに手をかざすと音声が切り替わった。一同は通信スクリーンを直視し、その言葉に耳を傾ける。
      
       「……小官は銀河帝国軍イゼルローン要塞駐留艦隊ゼークト艦隊所属、第107哨戒任務部隊隊長ベルトマン中佐である。白い不明艦に告ぐ。直ちに機関を停止し投降せよ。機関を停止して投降せざる場合は攻撃する。繰り返す、停船せよ、しからざれば攻撃す」
      
       通信が終わり、鋭いまなざしから繰り出された高圧的な態度に、ナデシコのクルーたちは少なからず不快感を抱いたようであった。
      
       「なんか覚えにくい名前だし、不明艦に不明艦扱いされるなんておかしいよね」
      
       と、ミナトが皮肉交じりにつぶやく。
      
       「まあ、向こうにとって私たちはたぶんよそ者でしょうから仕方のないことでしょう。艦長はいかがなさいますかな?」
      
       プロスペクターに問われるまでもなく、ユリカの方針は決まっていた。
      
       「もちろん、勧告には従いません。こちらには停船する意志も停船する理由もありません。ルリちゃん、惑星帯に突入するまでの時間的距離は?」
      
       「はい、あと1分40秒です。」
      
       ユリカはうなずき、戦術スクリーンの展開図に表示された追尾してくる不明艦3隻とナデシコとの距離・相対速度・惑星帯への突入角度と突入時間をすばやく確認する。
      
       「相転移エンジン最大戦速! 念のため惑星帯で振り切れない場合は小惑星帯で追尾を振り切ります。ナデシコそのまま直進。まず目の前にある大規模惑星に向かって突進してください」
      
       ユリカは、少し笑ってナデシコの色香漂う操縦士に依頼した。
      
       「ミナトさん、お願いしますね」
      
       「まっかせなさーい! UFOだろうがゲキガンガーだろうが振り切ってやるわよ」
      
       ミナトは、勢いよくVサインをして応じる。その明るい姿に艦橋がにわかに笑いを取り戻した。
      
       「正面の大規模惑星突入まであと120秒」
       
       ルリの報告が艦橋に伝わる。その声はいつものとおり素っ気無く、実に抑制のきいた発音だった。それゆえにナデシコのクルーには妙な安心感を与えるのか、先刻までの不安も消し飛び、それぞれの職務に精励した。
      
      
       「突入まで60秒……」
      
      
       ミスマル・ユリカは、メインスクリーンから目を離さない。スクリーンの向こうには未知とも呼べる漆黒の虚空が続いている。センサー類を総動員して対応しているとはいえ、まだここが何処なのかさえ判然としていない。彼女には時間が必要だった。原因と状況を調べる時間が必要だった。だから、今は正体不明の戦艦に関わっているわけにはいかない。私は艦長として、みんなを無事に地球へ帰す義務があるんだ。
      
       「いくわよ」
      
       その決意の独語は、ルリのカウントダウンに重なって消えていた。
       
       白い船体の戦艦が虚空を貫いて疾走する。その先には彼らの運命を決める惑星帯と小惑星の群れが、まるで「華」でもあるかのように深く、暗く、妖しく広がっている。
       
      
 一瞬、その美しさにナデシコのクルー達は目を奪われていた。
      
      
      
      
      
      
     
     
     
V
     
     
    『ねえ、アカツキさん、一体なにがどうなっているんですか?』
   
      
       『そうだね、ヒカルくん。なんだか妙なことになってきたと思わないかい?』
      
       『おい、ロン毛! 楽しそうに言うな。シャレになってねえぞこの状況は!』
      
       『なにがどうしたとたずねたら、ナニーがどうしたと尋ね返された……ふふふ』
      
       ナデシコの格納庫では、待機を命じられた人型機動兵器「エステバリス」のパイロット達が、それぞれのコクピット内でスクリーンに映し出された不明艦をめぐって議論ともコントとも言えない応酬を繰り返していた。
      
       「しかし、明らかに連合宇宙軍でも木連の戦艦でもないね。なんか、もっとこう兵器として洗練されているというか、軍艦らしいというのか、ぜひ、あれに乗ってみたいものだね」
      
       アカツキが銀灰色の不明艦に対し、軍需産業を手がけるネルガル重工の会長らしい感想を口にする。単純に興味だけではなかった。火星の古代文明跡より発見したオーバーテクノロジーの粋を集めて建造したナデシコの四つの相転移エンジンの加速にも劣らない速度でずっと追尾してくるのである。あの不明艦が有するテクノロジーも、軍需産業の占有を狙うネルガルの会長ならば知っておいて損のないものに思えるのだ。
      
       『まあ、残念だけど拿捕できるわけでもないし、今回は諦めるしかないね』
      
       『
アホか、ロン毛! ナデシコよりでかい軍艦を一隻でもどうにかできるかってんだ。向こうに先手を打たれているっていうのによ』
      
       エステバリスパイロットの一人、スバル・リョーコが通信スクリーン越しに怒鳴った。彼女は、やや長めのショートカットを緑色に染めた男勝りな性格だ。
   パイロットとしての腕は一流であり、エステバリス隊の切り込み隊長的な役割を担っている。だからなのか、アカツキがネルガル重工の会長だろうと容赦がない。
      
       『アカツキさん、オレたちは本当に何処にいるんでしょうか?』
      
       そのやや暗い質問の主はテンカワ・アキトだった。自分のエステバリスのコクピット内で、今までの様子を食い入るようにずっと見たまま、彼らしくもなくふさぎ込んでいた。
      
       『さあね。何処に飛んだかなんてわからないよ。原因を突き止めようにもユニット自体が不明だからね。まあ、理論通りなら過去か未来かのどちらかだろう。
   どちらかというと後者の可能性が高い気がするがね』
      
       アキトは黙ったままだ。
      
       『テンカワくん、まだ責任を感じているのかい? 君らしくないね。先刻も言ったろう、君はおろか艦長もフレサンジュ女史にも責任はないよ。これは想定外の出来事だよ。だから自分を責めるのはやめたまえ。嘆いたって何も解決しないよ。今は目の前の有事に集中するんだ。ユリカ君はしっかり責務を果たしているじゃないか、なあ?』
      
       『そうスけど……』
      
      力なく答えるアキトの目の前にリョーコの顔が映る。
      
       『テンカワ、いつまでも落ち込んでんじゃないぜ。だれもおまえらのせいだなんて思っていないよ。だから元気だせ』
      
      『リョーコさん……』
      
      『そうそう、アキトくん。いつも通りにいこうよ。ファイトファイトぉー』
      
       『ま、災い転じて福となす、てね……なすって茄子じゃないよ……ふふふ』
      
       『ありがとう、ヒカルちゃん……イズミさん』
      
     
    『みなさん、 メインスクリーンを見て! いますぐよ』
   
      
      
       突然、大声を張り上げて通信に割り込んだのはエステバリスパイロットの一人、イツキ・カザマだった。ダイゴウジ・ガイ──もといヤマダ・ジロウの殉職を受け、その代わりに補充された女性パイロットである。切り揃えられた前髪と長い黒髪が優雅な雰囲気さえ漂わせ、一見しただけではどこかの令嬢としか思われないだろう。
      
       アカツキ達は、急いでメインスクリーンに切り替え、視線を戻して驚きを隠せないようだった。そこには黒と銀色の色調の優れた軍服を着た肩幅の広い男が映っていたのだから。
      
       『明らかに人間だよね? これって木連の優人部隊?』
      
       『しっ! だまってヒカルさん。何か言っているわ』
      
       イツキに怒られ、ヒカルは痛そうに顔をしかめ再び映像を見る。しばらく軍服を着た男の勧告を聞いていたパイロットたちは、通信が切れると一斉に眉をそびやかした。
      
       『降伏か投降しろっていうことらしいな』
      
       リョーコが不機嫌につぶやく。通信スクリーンの向こうでヒカルが苦笑いした。
      
       『まあ、3対1だしねぇ。相手はナデシコより大きいし』
      
       『停船せよ、しからざれば攻撃す……ふふふ、言ってみたい台詞だねぇ、くっくっく……』
      
       ささやかに真面目な議論に水をさしたのはエステバリスパイロットの一人、マキ・イズミだ。すらりとした体型の美人で、リョーコやヒカルとは同僚であ
  り、パイロットの腕のみならず射撃にも長じているが、くだらないジョークや不気味な独り言、意味不明な歌曲をところかまわず披露する性分だった。長い付き合いをしている二人でさえ、その性格をつかめずにいる。
      
       『どうやら艦長は停船する気はないようだね。まず正面の大規模惑星に進路をとっている。たぶん、そこでだめなら最終的には小惑星帯で追尾を振り切るつも
   りだろう』
      
       冷静に情報を分析していたアカツキが知らせる。パイロットたちは程度の差こそあれ納得してうなずいていた。
      
       ちょうどそこへ、ゴート・ホーリーから引き続き待機指示が艦内スピーカーから響いた。
      
       『ねえ、この調子だと出番はないみたいだよね』
      
       『いや、そうとは限らないぜ、ヒカル』
      
       『リョーコさんの言う通りですね。このまま惑星帯で振り切れれば出番はないけれど、それでも振り切れなければ私たちの出番はありますわよ』
      
       くすっと、イツキは不敵に微笑する。
      
       『いい顔だ、イツキくん。優秀なパイロットは強気じゃないとね』
      
       アカツキにからかわれ、イツキは頬を紅らめる。
      
       『まあ、真面目な話、目の前の惑星帯で振り切れなければ小惑星帯で決着をつけるだろう。狭い宙域では多少なりとも追尾速度は落ちるはずだから、その機会を見計らって我われは発進することになるだろう。狭い場所ならエステの方が有利だからね。艦長はナデシコを囮にしてエステに攻撃させるだろうさ』
      
       アカツキの戦術予想にリョーコたちは同意してうなずく。が、一人浮かない顔をしている青年がいた。
      
       『攻撃ってことは、撃沈するっていうことですよね』
      
       アキトの気持ちを察したのか、やはりアカツキが口を開く。
      
       『テンカワ君、攻撃といっても必ず破壊すればいいとは限らない。ルリちゃんの解析だと、不明艦も防御シールドの類を展開しているようだが、ディストーションフィールドのような空間を歪曲させるものとは違うらしい。実体弾で機関部を狙って航行不能にする事だってできるんだよ』
      
       『そうスね』
      
       『もっとも、撃沈するよりむずかしいぞ。確かな腕と集中力が必要だからね』
      
       『それでも、オレやります。まだ彼らが敵と決まったわけじゃないし、できれば無駄な血は流したくない』
      
       アキトは、こぶしを握り締めて決意する。そんな彼を見て、「まったく甘ちゃんなんだから」とアカツキたちは言いたげだ。
      
    『艦長の手腕に期待しよう。そうすれば出撃せずに済むよ』
      
       アカツキはつぶやくと、リョーコの非難など気にも留めず一眠りとばかりに瞳を静かに閉じたのだった。
      
       ユリカもアカツキも、ナデシコのクルーたちも、まだ「ある事実」を知らないでいた。
      
      
      
      
      
      
     
     
W
    
       「ベルトマン中佐、依然不明艦より応答ありません。艦さらに加速。正面のヴァンフリート6に突入する模様です」
      
       銀河帝国軍高速巡航艦
《イアリ》のオペレーターが報告する。その報告にだまってうなずいたヴェルター・エアハルト・ベルトマンは一段高い艦橋に姿勢正
   しく直立したまま、メインスクリーンに映る逃走する不明艦を凝視していた。
      
       イゼルローン要塞よりヴァンフリート星系に向けて哨戒任務の命を受けた第107哨戒任務部隊が、ヴァンフリート星系外緑においてその異常を最初に感知したのは、帝国歴486年標準暦10月1日、宇宙標準時14時25分。今から1時間前であった。
      
       先月の9月には第四次ティアマト会戦が星系を二つ隔てて交わされたばかりであり、まだ交戦の熱湯が冷めたわけではなかった。叛乱勢力への侵攻作戦は、一
   応の成功をみたといってよかったが、叛乱軍が周辺星系に潜んでいるという未確認の情報がもたらされ、哨戒部隊としても実績のあるベルトマンらの部隊が偵察任務に選ばれたのだった。
      
       「艦長、ヴァンフリート星系内にて質量の増大を感知。大きさは巡航艦クラスと思われます」
      
       オペレーターの報告を受け、ベルトマンは質量を感知した場所の宙域図を出すように命じる。
      
       「ふむ、ここからだと時間的距離で40分くらいか。ほぼヴァンフリート6の手前だな」
      
       「いかがなさいますか、艦長?」
      
       副長のウーデット少佐が尋ねる。細身の洗練された容姿を持つ男であり、ベルトマンと比べると眼光も柔らかいが、その印象を強烈なものにしているのは左のこめかみから頬にかけて斜めに走った戦傷だろう。
      
       この不可解な感知をいかに判断すべきか、29歳になる中佐は右手をあごに当てて考え込んだ。
      
       不可解な、というのは、大惑星や中規模惑星、数百にも上る小惑星の只中に、たった一隻でワープアウトする艦艇などあるだろうか? しかもヴァンフリート星系は、過去4度の激戦が続くティアマト星系に近いこともあり、イゼルローン要塞からの偵察も今回のように頻繁に行われているのである。もちろん、味方がこの宙域で作戦に従事しているという情報はない。
      
       「まさか、また基地でも設営するつもりか?」
      
       前年の3月、この宙域で初の会戦が交わされたとき、ヴァンフリート4=2の南半球に叛乱勢力の後方基地が発見され、グリンメルスハウゼン艦隊の地上部隊がこれを破壊している。
      
       もともと、叛乱勢力側に位置しているヴァンフリート星系は恒星ヴァンフリートが不安定であり、惑星だけはばかみたいに存在するが、どれも不毛の土地のため入植そのものは行われていない。
 そう、戦略的には無価値なのである。
      
       ヴァンフリート4=2も極寒の惑星であり、帝国軍の基地破壊後、再建されたという情報はない。
      
        しかし──
      
       「我々の目的は情報の正否の確認だ。もしも叛乱軍が何らかの形で蠢動しているのであればこれを見逃すことはできない」
      
       ワープアウトしたものが何なのか気になっていた。
      
       「それでは予定通り参りますか?」
      
       ウーデット少佐がうやうやしく尋ねる。
      
       「うむ。我々は任務を全うする。感知したものも確かめねばならない」
      
       ベルトマンは青紫色の瞳をメインスクリーンに移す。
      
       「後衛の僚艦に連絡。質量感知宙域に座標を設定し80万キロまで接近。その後、微速航行にて周辺宙域を指向スキャンする」
      
       ベルトマンは副長に指示し、ただちにウーデットは目標宙域への加速を機関オペレーターに命じる。メインスクリーンに映る星々が瞬き、それが加速によって流星のように見えるまで数秒を要しなかった。何百、何千と繰り返してきた宇宙航行。それでも漆黒の世界に映える星々は壮観だった。
      
       ベルトマンは一瞬、自分が軍人になった理由を思い出していた。
      
      
      
       そして、80万キロまで接近したとき、3隻の巡航艦は白い不明艦を映像に捉えていたのだが、40分前にも増して彼らは首をひねるしかなかった。見たこともない艦型をした艦が何をするでもなく漂っていたのである。帝国軍、叛乱軍の艦艇データーを照合しても合致するものはなかった。
      
       「どう思う、副長?」
      
       「民間船でないことは確かです。宇宙海賊の艦船の可能性もありますが、この宙域に出没するのはあまりにも不自然です。叛乱軍の新型艦と見るべきではないでしょうか」
      
       「うむ、貴官の言をよしとする。仮に叛乱軍の新型艦とすれば、いろいろと説明がつく。もっとも可能性があるとすれば、試験航行の際にエンジントラブルかシステムトラブルを起こして立ち往生していると見るべき……だろう?」
       
       ベルトマンらはそう判断した。主観というよりは情報を統合してそれらを消去していった結果、ごく客観的に導き出された結論であった。語尾に疑問符が付いたのは、
   新型艦というわりにその艦型が四百年ほどさかのぼったデザインに似ているという事実を艦艇マニアの部下から得たのだ。
      
       「とにかく拿捕なりしてみればよいことだ。ある意味、もたらされた情報は正しかったことになる」
      
       こうしてベルトマンは、他の僚艦2隻とともに不明艦に向けて前進するよう命じたのだった。
      
      
      
      
◆◆◆
      
       さらに現在、ベルトマンが指揮する3隻の高速巡航艦は、勧告を無視してヴァンフリート6に突き進む白いH型の不明艦を追尾している。
      
       「オペレーター、その後応答はあったか?」
      
       「いえ、最初の勧告以降、不明艦からの応答ありません」
      
       通信オペレーターが歯切れよく報告する。ベルトマンは頷きつつ、青紫色の瞳に作戦行動の決意をみなぎらせた。
      
       「諸君、これより不明艦の拿捕に移行する。なお、不明艦は未確認ながら軍艦と思われ、武器を搭載している可能性大である。作戦行動は慎重を喫しつつ、速やかなる対応を心がける」
      
       ベルトマンの指令に艦橋全体の空気がひきしまる。職務に精励する姿から、彼らの艦長に対する信頼がみてとれた。
      
       「オペレーター、僚艦2隻に連絡。これより不明艦の拿捕作戦に移る。小官の作戦指示に従って行動するよう伝えてほしい」
      
       「はい、ただちに」
      
       ベルトマンは満足げに頷くと、ヴァンフリート6にまっすぐ進路をとる白い不明艦を凝視し、その後姿に向かって一人冗談めかして独語した。
      
       「さて、白い艦に乗っているのは叛乱軍かな、それとも未知か想像を超える招かれざる者たちかな?」
      
      
       帝国歴486年10月1日、宇宙標準時15時45分。ヴァンフリート星系にて最初の接触が果たされようとしている。それは、歴史的に見ればほんのささやかな事象の一部に過ぎなかったが、双方の思惑が交差する中、やがて、それが想像を超えた長い戦いと謎の出発点になるという事実を、まだ誰も予測できる者はいなかった。
      
      
     
       ……TO BE CONTINUED
     
      □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
      
       あとがき
      
       空乃涼です。ようやく「ナデシコ」を基にした二次SSを完成させることができました。シルフェニアさんに投稿し始めて、「ナデシコで何か一作」と考えて
   はいたのですが、「空境」をがんばっていたので、ずいぶん後になってしまいました。ただ、ナデシコはTV放送時に2回か3回ほど見たことしかなかったの
 で、まずDVDをみたり情報を集めたりすることからはじめました。
       感想としては、「おっ、いい感じの物語じゃん」です。やはり、ルリちゃんやユリカがいいですね。個人的にはアカツキも気に入りました。ネルガルの会長と
   して、友情と企業利潤にはさまれて自分を押し殺しているところが、クールでかっこいい。
      
       世界観がわかってきたところで、どういった内容にするか? を悩んだわけですが、他の作家さんの作品を読み、なるべく重ならない内容の「組み合わせ」を
   したつもりですし、物語にしようかと考えています。(つづけばいいけどね)
      
       設定に関しては、ナデシコファンの方なら「一読瞭然」かと思いますが、変更が加わっています。
      例として挙げるなら、「イツキ・カザマ」が生きてます。
      
    今後の作品の中にも設定変更や味付けは出てくるかと思いますが、その辺りは読者の寛容な胸の内にしまっておいてください。
      
       感想をお待ちしています。
      
       2008年6月8日 ──涼──
      
     
 
以下、修正履歴
 どうも涼です。今回、話数もそれなりに進みましたので段落ミス、誤字や固有名詞のおかしな部分を修正いたしました。(2008年7月9日)
   
    2009年7月12日──涼──
    いろいろ気になる部分を修正しました。   
 こっそりと修正しました。読みやすくなったと思います。
 2012年6月17日 ──涼──
     
     
     ◆◆◆◆◆◆◆
なにそれ?ナデシコのコーナー◆◆◆◆◆◆◆
     
 イネスです。ここでは私が中心になって、たまに補足説明をしたいと思います。
 では、栄えある第1回目のお題ですが、「ヴァンフリート4=2」てどういう意味? とお考えになった読者さんがいると思いますので、これを説明するわね。
       
     ではいいかしら……そこのあなた、今説明するから逃げるのはおよしなさい!
    
     本文中には二つの名詞が出てきているわね。
     
     @ ヴァンフリート4=2
     A ヴァンフリート6
     
      なぜこんな表記なのかというと、文中にもあるとおり、ヴァンフリート星系はその過酷な環境のために入植は行われていない、いわば無人の恒星なので、いちいち個々の名前をあたえられなかったのよね。戦略的に無価値というのも響いたことでしょう。
 だから、「ヴァンフリート4=2」は
「ヴァンフリート星系第四惑星の第二衛星」を指すわけです。「ヴァンフリート6」は
「ヴァンフリート星系第六惑星」となるわけね。
     
      どう、頭の霧が晴れるとよいものでしょう? 意味がわかったところで読むとまた違った光景が頭に浮かぶかもしれないわよ。
 じゃあ、今回はここまでかしら。次回も、何か説明事項があれば、私、イネス・フレサンジュが責任をもって皆さんに熱い説明をするわね!
     
      □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
      
      
  押して頂けると作者の励みになりますm(__)m
  
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