その男の部屋は、住人がいないのではないかと思えるほど静かで整然としていた。
  
   いや、整然としすぎていたかもしれない。生活感が全くないというのか
  
   いずれにせよ、その男が行っている作業の内容に比べれば
  
   やはり部屋は整然としすぎていた。
  
  
   検証したデーターは上司にすでに提出済みだが、彼はまだ調べ続けていた。
  
   軍務の間に膨大ともいえるデーターや文献を閲覧し
  
   気の遠くなる作業を毎日続けていたのである。
  
  
   常人ならとっくに投げ出しているか精神に異常をきたしているかのどちらかだが
  
   半白髪の男の顔は血色こそ悪いものの、まったく疲労している様子がなく
  
   至極当たり前のように黙々と照合と照会を繰り返していた。
  
  
   やがて古い文献に記載された記述を発見し
  
   端末を通して再生される映像と比べた男は 
  
   異様な光彩を瞳から放ちつつ確信をこめてつぶやいた。
  
  
   
 「なるほど、これが相転移砲」
     
  
  
  
  
  
  
    
 闇が深くなる夜明けの前に
     
    機動戦艦ナデシコ×銀河英雄伝説
  
   
    
    
    第三章(後編)
  
 
 「ナデシコ出撃!そして『運命の年』が明ける」
   
  
  
  
   
  
   
T
  
   ナデシコ入港からおよそ3週間あまり、基地食堂での光景も見慣れたものとなっていた。深いグリーン色を基調とした軍服と、赤や青といった所属ごとに違う色のカラフルな制服を身に着けた彼らはともに順番待ちをし、テーブルに視線を転じれば料理を囲んで談話する姿も珍しくなくなっていた。
  
   
 ──宇宙暦795年帝国暦486年、10月25日標準時18時32分──
  
   双方の責任者の予想を上回る早さで交流は進み、ナデシコクルーも同盟兵士との間にささやかな友情と連帯感のようなものを築きつつあった。当初の懸念は双方が注意事項をよく守ったため冗談程度で済んでいた。失言とごく小さな衝突は発生したものの、ナデシコ側と基地兵士との交流の妨げとなるものではなかった。
  
   「ホウメイさん、火星丼5つ追加です」
  
   「こっちは焼肉定食宙盛り8つです」
  
   「テンカワさん、火星ラーメン4つと特製塩チャーシュー3つオーダー入ります」
  
   「チャーハンと味噌ラーメンセットを10食オーダーになりました」
  
   ナデシコ料理長のホウメイは、基地食堂の一角にホウメイ食堂を構え、予想を超える連日の大盛況にてんやわんやしていた。
  
   最初はもの珍しさだったのかもしれない。なんと言っても文献でしか普段は見ることのできない、すでに失われた料理と味を再現できるという宣伝もあり、それを聞きつけた同盟軍兵士が殺到し、ホウメイの確かな料理の腕も重なってたちまち大人気になってしまったのである。
  
   基本的に開店は夕食の時間帯のみとして限定200食と決めていたが、あまりの要望に
  時間の延長と100食分を追加することになってしまったほどだった。
  
   この大盛況ぶりのとばっちりを受けたのは言うまでもなくナデシコ乗員であり、これまでホウメイの料理をおいしくいただいてきた乗員にとっては思いがけない事態となった。
  
   しかし、不満や不平はあまり耳にしなかった。なぜなら、彼らは逆に誇らしくさえ感じていたからである。
  
  
  ちなみに食堂は士官と下士官用の区別はない。これは基地司令官マクスウェル准将の考えであり、上下分け隔てなく相互理解を深めさせるための意図である。逆にサロンは士官用と下士官用が存在する。
  
   そして、早くもナデシコの女性クルーは基地独身男性兵士たちの憧れの的になっていた。ハルカ・ミナトなどは、入港から2日目にはどこから持ってきたのか独身兵士から大量の花束を贈られたし、イネス・フレサンジュも連日口説かれていた。
  
   しかし、
  
   「宇宙工学とビックバン理論について話をしていたら、いつの間にかみんないなくなっちゃったのよね」
  
   と余裕だか外したんだかわからない告白をしている。
  
   麗しきエステバリスパイロットのカルテットも独身兵士たちにアタックされる状況だったが、そのたびにリョーコの鉄拳とイズミのさぶいジョークによって撃退されていた。意外だったのがアマノ・ヒカルの人気だった。1000年以上の時を超えて絶滅したはずの「眼鏡っ娘人気」が再び高まっていたのか、眼鏡萌えに狂う同盟兵士たちが続出することとなった。
  
   ホシノ・ルリ、ラピス・ラズリ、シラトリ・ユキナの美少女トリオはもっとも同盟軍に不思議がられた存在であり、かなり驚かれた存在だった。ルリ、ラピスはともに戦艦ナデシコの中枢コンピューターを統轄するメインオペレーターとサブオペレーターであり、ユキナは副通信士であると紹介されていた。当然、最初は信じられないと発言していた同盟兵士たちだったが、ルリの容姿にそぐわないクールかつ明晰な言動と行動は民間から登用されたという「天才的特務部隊員」であることを印象づけることになった。
  
   このように多少の例外を除き、日常において平和的で落ち着いた日々を送っているナデシコクルーだが、決して無為徒食をしていたわけではない。
  
  
   ウリバタケ・セイヤ率いる整備班と機関員は、ほぼ毎日機関部の修理に携わっていたが、作業が落ち着いた時間を利用し、研修と称して同盟軍艦艇の機関部やメカを勉強していたし、エステバリスパイロットたちはスパルタニアンのシミュレーションルームやミーティングに参加し、操縦技術や空戦戦術を学んでいた。テンカワ・アキトは食堂の手伝いの合間を縫い、知り合ったスパルタニアンパイロットとともに操縦技術や空戦戦術を学ぶために度々シミュレーションルームに通う日々を送っていた。
  
   スパルタニアンの操縦はIFSをともなうシステムではなかったが、その方法も兵器システムもエステバリスと異なる戦闘艇に乗ることで、より「直接的」な操縦技術を学ぼうという考えがあったのは明らかだった。
  
   特に己に「成長」の目標を掲げたテンカワ・アキトは、IFSという便利な媒体がなくてもマシーンを操るということに楽しささえ見出しているようだった。
  
   元声優でナデシコの通信士メグミ・レイナードは基地司令部で通信士と基地放送オペレーターの任務を得た。イネス・フレサンジュ率いる医療チームは基地の医療を手伝い、精神的に悩む兵士のカウンセリングなどを行っていた。
  
   ミスマル・ユリカとアオイ・ジュンは、基地にある艦隊戦術シミュレーションルームにて基地艦隊指揮官クレヴァー中佐を講師に艦隊戦術や運用を学んでいた。
  
   それというのも、いまだボソンジャンプ復活のめどが立っていないためであり、今回の不思議なジャンプが引き起こした「なぞ」について明確な判断材料となる資料やデーターを基地では見出せなかったからである。彼らは別のことに集中するより仕方がなかったのだった。
  
  
   
──翌々日、10月27日、標準時9時40分──
  
  
   一通の緊急通信文が基地司令室を緊張の渦に叩き込んだ。
  
   「准将、ヴァンフリートに派遣中の駆逐艦2隻が帝国軍駆逐艦部隊と遭遇し、現在交戦中。至急来援を請うとの要請です」
  
   通信を受け取ったのはメグミだった。すぐにマクスウェルに報告し、その対応を待つが、 「穏やかな黒熊」の異名を持つ司令官の顔は険しい。なぜなら、巡航艦はクレヴァー中佐とともに機関部と指揮管制システムの改装のためにエル・ファシル軍事工廠にあり、もう一隻の駆逐艦は例の任務よりまだ帰還していなかった。
  
   そうなると「ナデシコ」しか残っていないのだが、まだ外壁パネルの取り付けが終わっておらず、エンジンの修理は完了していたが試験航行もしておらず、その状態でもしもの事を憂慮してためらっていた。もちろん、ユリカたちを無事に過去へと帰すため、なるべく危険な目に遭わせたくなかったのだ。
  
   そのまま30分ほどが過ぎ去ったとき、突然、通信スクリーンにユリカが映った。マクスウェルは驚きを隠せない。
  
   「ミスマル艦長、どういうことだ?」
  
   「ごらんの通りです。准将、全乗員配置整っております。どうぞご許可を」
  
   メグミは、敬礼するユリカとアイコンタクトをとった。そう、彼女が駆逐艦の危機を密かに伝えたのだ。ユリカは僚艦の危機を知るとコミュニケで全乗員に号令をかけ、わずか30分ほどで出撃準備を整えてしまったのだった。
  
   「ミスマル艦長、非常に嬉しいがナデシコを動かすにはまだ多数の問題がある。いや、もしものことがあればウランフ中将やシトレ元帥閣下に申し訳が立たない」
  
   「ありがとうございます、准将。ですがお気使い無用です。私たちの出番がなければ出撃しませんが、私たちが必要とされる事態が起っているのです。私たちは私たちのできる義務と責任を果たしたいと思っています。ご心配には及びません。ウリバタケさんや技術士官の方たちの腕を信じています。ナデシコは絶対に飛翔できます。どうぞ出撃許可を!」
  
   マクスウェルは目を閉じた。その判断を司令室のオペレーターたちは固唾を飲んで見守っている。
  
   三瞬ほどでマクスウェルの意は決したようだった。彼の目がカッと開いた。
  
   「よろしい。戦艦ナデシコ、僚艦へ増援のために出撃を許可する」
  
   おー! と司令室から歓声が上がり、オペレーターたちはナデシコの出撃のためにコンソールを素早く操作し始めた。指示やデーターを読み上げる声が飛び交う。
  
   「第2ドックロック解除。ナデシコそのまま第1出撃ゲートに誘導。出撃まで6分」
  
   「基地周辺宙域およびヴァンフリート星系方面に敵らしき艦影なし」
  
   「ナデシコ、第2ゲート通過しました。最終ゲートに向かいます」
  
   モニターされるナデシコは誘導ビームによって確実に進んでいる。
  
   「ナデシコ最終ゲート通過しました。エアロック封鎖開始」
  
   「よーし、封鎖完了次第、第1出撃ゲートを開門せよ」
  
   「はっ、確認次第ゲートロックオフ開始します」
  
   着々と発進準備が整う中、ナデシコの艦橋ではユリカが各部署の責任者が映る通信スクリーンに向かって頭を下げていた。
  
   「みなさん、ご協力いただきありがとうございます。ナデシコはみなさんのおかげで再び宇宙に飛びたてます」
  
   各代表の敬礼を見つつ、ユリカはルリに言った。
  
   「ルリちゃん、相転移エンジン始動してください」
  
   「はい、エンジン始動します」
  
   ルリが端末パネルに手をかざすと、きれいなほどの始動音とともに4基の相転移エンジンがおよそ3週間ぶりに力強く目を覚ました。
  
   「エンジン出力、順調に上昇!60,68,73──88パーセント安定領域に到達。全システムに異常なし」
  
   ちょうど管制室から出撃の「GOサイン」が通知され、出撃ゲートの信号灯が赤から青に変化した。
  
   ユリカの声が艦橋に響き渡った。
  
   
 「ナデシコ発進!」
  
   
    ──宇宙暦795年帝国暦486年、10月27日標準時10時41分──
  
   戦艦ナデシコは、正式に同盟軍に所属して初の出撃を経験する。帝国軍部隊に数で劣る僚艦への増援のため、再びその勇姿を宇宙の大海にあずけ、彼らの伝説がささやかに幕を開けた。
  
  
  
  
   
U
  
   救援に成功し、駆逐艦2隻の後方を行くナデシコのある一室では、プロスペクター、ミスマル・ユリカ、イネス・フレサンジュが不発に終わったボソンジャンプの結果を受けて協議を重ねていた。
  
   「結局、まだ演算ユニットは機能しないままのようですな」
  
   「こうなると当初の予想通り、長い時間の滞在を覚悟しないといけないかもね。ユニットの損傷具合は私が考えているよりもっと計りしれないのかも」
  
   「だめですかぁー」
  
   3名の視線が同時に絡み合うが、建設的な意見を互いに求めるというより、さてどうしたものか、という困った類に近い。
  
   腕を組んで考えこんでいたユリカが先に見解を述べた。
  
   「結果は結果です。だめならだめなりに待ちましょう」
  
   この発言にプロスペクターが同意してうなずいた。
  
   「艦長のおっしゃる通りですな。いまさらジタバタしても仕方ありません。同盟にお世話になりつつ時期を待ちましょう」
  
   「そうね、それしか選択はないわね。ユニットの所在が不明じゃあ、こちらからどうともできないものね」
  
   しかし、現実を突きつけられるというのは痛い。少し前まで抱いていた淡い期待感や希望など形のない約束手形でしかなかったのだ。その「光」が急速にしぼむ中、ユリカたちは彼らの才覚と行動で1400年後の今に目を向けて生きていかなくてはならなくなった。時間的な考えとしてだ。
  
   両手を組み、プロスペクターがもう一つの懸案を述べた。
  
   「ルリちゃんに基地データーをハッキングしていただきデーターを収集してまいりましたが、やはり軍事基地では限界があるようでして、私たちが求める資料はほとんどありませんでした。歴史年表もアーレ・ハイネセン氏の長征一万光年からしかございません。まして地球の極東である地域限定の情報や資料となると全くありません。基地端末を利用して、それこそハイネセンにあるデーターベースをハッキングしたいところですが、タイムラグが大きすぎて危険ということなので何か別の方法を考えねばなりません。」
  
   「それについては僕からいい案があるんだけどなぁ」
  
   不意の声に驚いた3名は、その声の方向にキザな立ち姿で部屋の壁によりかかるロン毛の青年を発見した。
  
   「アカツキさん!?」
  
   「アカツキ会長?」
  
   「やあ、どうも。驚かせてしまったかな?」
  
   アカツキはさわやかに応じて3人の近くまで歩を進め、プロスペクターの前に立った。
  
   「いいかな?」
  
   「どのようなご用件でしょうか、会長」
  
   プロスペクターの声は意外に素っ気ない。アカツキは不敵な笑みで応じた。
  
   「やれやれ、ネルガルのいち中間管理職でしかないあなたが会長である僕をないがしろにするというのはどうかと思うよ」
  
   恫喝に近いがプロスペクターは動じない。ユリカが慌ててとりつくろった。
  
   「誤解です、アカツキさん。プロスペクターさんはアカツキさんをないがしろになんかしていません。私が相談した折、艦長として口止めしたまでです。だから……」
  
   ユリカは言葉を切った。次の言葉が見つからなかったわけではない。アカツキが軽く手を上げて発言を制したのだった。
  
   「いや、いいんだよ、わかっている。なるべく隠したいというのはわかっているよ。でも、そうだね。やはりそんな重大なことはネルガルの会長である僕に真っ先に話してほしかったね」
  
   もちろん、プロスペクターはすぐに理解した。
  
   「なるほど、会長は知ってしまったのですな」
  
   まあね、と応じてアカツキはソファーに座った。ユリカは何のことかぴんとこない。長い脚を組んだ青年は勝者のような表情で3名を見た。
  
   「きっかけは些細なことだったけど、謎に気づくには十分だったよ。もちろん誰にも話していないさ」
  
   「それで、何か掴めたのですかな?」
  
   残念ながら、と答え、アカツキは降参してみせた。
  
   「みんなが話していた通り、前線基地のデーターベースにはほとんどなかったよ。分析と判断材料になる詳細なデーターを得る方法を探さないとね。そこで──」
  
   アカツキは立ち上がりポケットから端末を取り出すと、とあるプランを表示して3人に提示した。
  
   「──さっきも言ったけど、僕にいい案があるんだ。というよりこれしかないと思う。もし資料が手に入り、今回のなぞの裏づけが取れれば、僕らは演算ユニットの新たな可能性を発見することにも繋がる。どうかな?」
  
   プランを確認した3名はもちろん驚いたが、アカツキの言うとおり、それが今考えられる最善のデーター収集方法であることを認めた。
  
   ユリカが言った。
  
   「わかりました、アカツキさん。その計画を協議しましょう。ですが、艦長である私がお願いしただけでは実現できません。基地司令官マクスウェル准将の協力と許可が不可欠です」
  
   「まあ、そのあたりは艦長やプロスペクターに任せるよ。うまく話しておいてよ」
  
   むろん、アカツキは自分の真の意図を悟られてはならなかった。このプランによって得られるのは何も歴史の資料とユニットの可能性の是非だけではない。彼が密かに欲するものが多数混ざる予定なのだ。それは将来、もとの世界に戻ることができれば遺跡の比ではない莫大な富と権力を生み出す原動力となるはずなのだ。
  
   「じゃあ、とりあえず基本プランから説明するよ」
  
  
  
  
   
V
  
   「うおーい、その飾りはそっちじゃねー、もっと左側の照明の方だ」
  
   「ウリバタケさーん、この円形テーブルはどこに置きます?」
  
   「おう、床に印をつけておいたからそれに合わせて置いてくれ──あっ、待て。おーい、テンカワ、テーブルの配置図をこいつらに渡してやってくれ」
  
   「了解!」
  
   「ウリバタケ班長、薬玉取り付け完了です」
  
   「ごくろーさん副長。大丈夫だろうなぁ、本番で割れなかったら恥じかくぞ」
  
   「たぶん、問題ないと思いますよ」
  
   「ウリバタケさーん、ステージの設置完了しました」
  
   「よーし、あとは飾りの取り付けとテーブルの配置がすめば7割は完成ってところだな」
  
   ウリバタケはメガホンで叫んだ。
  
   「いいか、お前ら!新年パーティーまで3日を切った。俺たちが主催を請け負ったからには最高に盛り上げるためにも準備万端にするぞ。気合を入れろ!」
  
 
  「了解、班長!」
  
  
   
──宇宙暦795年帝国暦486年、標準暦12月29日──
  
   今だ基地に滞在するナデシコクルーは、鬱積した気分を吹き飛ばそうとユリカが准将に願い出て、年越し兼新年パーティーの準備を着々と進めていた。
  
   「ミスマル
大佐、今回のパーティー開催はすまないね」
  
   終日、マクスウェルに声をかけられたユリカは呼称にドッキリしながら返答した。
  
   「いえ、私たちが好きで申し出たことですから気になさらないでください。みんな張り切っています。パーティーを盛り上げようとたくさん知恵を絞っていますよ」
  
   「なるほど、それは楽しみなことだ。なにせ前線基地だからパーティーなどけしからんと反対する者もいるかと思ったが、意外に肯定的な者が多くて驚いたよ。それに貴官たちの民族はその昔極東で独特の文化を育んだそうじゃないか。新年パーティーの中身がとても楽しみだよ」
  
   「ええ、お任せください。皆さんに心から楽しんでいただけると思います」
  
   「大いに期待していますぞ、大佐。なにか必要なものがあれば遠慮なく申し出てもらいたい」
  
   ユリカは
『大佐』という呼称につい反応してしまう。
  
   「それではちょっと様子を見てきますので、本日はこれで失礼させていただきます」
  
   ユリカは、敬礼して司令室を退出すると足早にパーティー会場へと向かった。途中、同盟の女性下士官や男性下士官とすれ違い、全員が足を止めて大活躍をするユリカに羨望に近い丁寧な敬礼をした。ユリカは笑顔で応じつつ、プレッシャーのようなものを感じながら速度を上げてパーティー会場に急いだ。
  
  
   ミスマル・ユリカは
『大佐』に昇進していた。当初の待遇は『中佐』だった。それでも弱冠22歳の女性艦長には破格としかいいようがないが、10月の救援とちょうど12月の初頭に起った宇宙海賊の掃討作戦においても功績を挙げ、12月21日付けで大佐に昇進したばかりだった。
  
   「えっへん、大佐さんだぞ」
  
   と最初は冗談ぽく自慢していたが、同盟の兵士の期待を受けるうちに自然と背筋を伸ばすようになったのだった。
  
   しかも、11月21日付けで念願の正規艦隊への転属を命じられたクレヴァー『大佐』の後任として基地艦隊指揮官に任命されていた。その後大事はないものの、ユリカは周辺宙域の察敵や分析、艦隊運用(といっても駆逐艦3隻だけだが)会議と週末ごとの定例会議など意外に多忙な日々を送っていた。
  
   また、この時にナデシコクルーは正式にハーミット・パープル基地所属の辞令を受け、マクスウェル准将の指揮下に入っていた。少し前にはIDカードも正規の物が発効され、制服には階級に沿った階級章と自由惑星同盟の腕章が付き、形式上は完全に『同盟軍』だった。
  
   もちろん他の乗員も忙しい日々を送っていた。何かに打ち込むことで先の見えない現状から逃避しようとした事実は否定できないが、不思議と最初のころに比べるとイネス・フレサンジュのカウンセリングを受ける者は減っていた。乗員たちは乗員たちで新たな生きがいを見つけているようだった。
  
  
   「あっ、ルリちゃん」
  
   ユリカは、パーティー会場に近い通路でナデシコのメインオペレーターとばったり会った。ホシノ・ルリは黄金色の瞳を彼女の艦長に向けた。
  
   「艦長、お疲れ様です。お仕事終わりですか?」
  
   「うん。ルリちゃんもご苦労様……あっ、それって?」
  
   ユリカはルリが抱える箱が気になった。
  
   「ああ、これですか。これは新年パーティー用の飾りです。ウリバタケさんに頼まれた追加分です」
  
   「そっかー、ずいぶん派手に飾るんだね」
  
   「はい。今日中に7割は完成させるそうです」
  
   ルリが答えると、ユリカは何かを決意したのか右手をまっすぐ前方に突き出して号令をかけた。
  
   「よーし、私も手伝わなくちゃ。ルリちゃん、いざパーティー会場へ
GO!」
  
   (うざ……)
  
   「えっ? 何か言った?」
  
   なんでもありません、とルリは答え、ムダにテンションの上がるユリカの後をちょっぴり楽しそうな足取りで追いかけたのだった
  
  
  
  
   
W
  
 
  「さあ、次はホウメイガールズの歌と踊りをどうぞ!」
 
  
   パーティーの総合司会を務めるメグミ・レイナードが次のプログラムを伝えると、会場となっているフロア全体が大歓声で震えた。同盟とナデシコ乗員からなる「親衛隊」がステージのまわりにどっと集合する。
  
   
  ──宇宙暦795年帝国暦486年、標準暦12月31日──
  
   年越し兼新年パーティーは開始からすでに50分が経過していた。
  
   「うーん、ホウメイガールズすごいなぁ……」
  
   パーティー会場のある一角では、大型二次スクリーンに映るステージの映像を見やりながら、テンカワ・アキトがウェイター姿でトレイを片手に飲み物を配っていた。
  
   「やるからには徹底的に行いますよ」
  
   というプロスペクターの計画に従い、ナデシコ乗員の大半は何らかの形でパーティー会場の運営にも深く関わっていた。アキトもその中の一人として会場で飲み物を配るウェイターとして協力していたのだった。
  
   「ふう、これだけの規模のパーティーって初めてだから少し驚いたかな」
  
   盛り上がり方もすごいが熱気もすごい。最前線の監視基地だからこそ、つねに死と隣り合わせの兵士たちは生きている実感を得るために悔いを残さないよう、精一杯の今に熱く燃えているのだろう。
  
   その全力の姿を見て、アキトはこの銀河で起っている出来事が他人事に思えなくなっていた。
  
   「なぜ俺たちはここにいるのか?」
  
   アキトは、その問いを何回──いや何十回と繰り返したであろうか。ウランフ中将と会話を交わし、自分に課した目標と同じく、今ここに存在する意味を問い続けてきた。
  
   
「偶然」
    
  
   それは絶対に違うと青年は断言した。いくらユニットに問題があり計算が狂ったのだとしても、わざわざこれほどの時間と(おそらく)次元を超越する意味があるのだろうか?
  それも二大勢力が銀河規模で戦争をする『時間』などに?
  
   「すべての事象には意味がある」
  
   アキトは先人の言葉を思い出した。まさにそうだ。偶然やたまたま、計算が狂ってなどというあいまいな結果がもたらした事態ではない。ジャンプに意味があるからこそナデシコはここに導かれたのではないのか。何かを成すために!
  
   アキトは、再び繰り返した。
  
   
  「俺たちは、なぜここにいるのか?」
  
  
   
 
  「アキトさん?」
 
  
   うわぁー、と派手に驚いて青年は我に返った。彼の顔を覗き込むように猫の着ぐるみに身を包んだホシノ・ルリがいた。
  
   「ル、ルリちゃん?」
  
   「飲み物あります?」
  
   そう尋ねられてトレイを差し出したが、もう何も残っていない。
  
   「ご、ごめん。猛ダッシュで持ってくるね」
  
   「あと、ホットドックもいいですか?」
  
   「うん、任せてよ。少し待っててね」
  
   そういってアキトはきびすを返し、会場に設置されたカウンターへ猛然と走っていった。
  
   「最近のアキトさんてちょっとシビアだったけど、やっぱりいつものアキトさんね」
  
   ルリはつぶやき、同盟兵士たちが記念写真をねだるのを営業スマイルで応じていた。少女がそうであるようにナデシコクルーの誰もが「自身の変化」を感じ取っているのだろう。理解も肯定も本来なら不可能であるはずの現状を受け容れつつ、みんな前に進もうと努力している。
  
   「それができるのは独りじゃないからかしら?」
  
   ルリは、ぽつりとつぶやき、憮然として横に首を振った。
  
   「新年はすぐだというのに私らしくないわね。それとも少しだけ大人になったのかな?」
  
   コツンと頭を叩いて反省したルリは、その黄金色の大きな瞳にトレイを片手につまずく青年の姿を思わず目撃してしまったのだった。
  
  
   
◆◆◆
  
 
  「ったく、なんで私まで手伝わないといけないのよ」
  
   エリナ・キンジョウ・ウォンは、決して
「メイド服の格好で」という形容を付けずに文句を口にした。彼女も半ば「任務」という形で会場を手伝っていた。艦橋人員の全員が何らかのコスプレをしているのだが、エリナは口では拒否しつつ、メイド服を提示されると「新年パーティー成功のため」という艦長の依頼を「理由」にして念願のメイドさんで参加したのだった。
  
   もちろん、黒髪のちょっとつり目美女のメイドはたちまち人気になり、ウェイトレスとしての任務よりもわらわらと集まる独身兵士たちを蹴散らす方が中心になってしまった。
  
  

  それも一段落し、ようやく本来の「任務」に復帰した直後、エリナは一人の青年に声をかけられた。
  
   「やあ、エリナくん、ごくろうさま」
  
   アカツキだった。彼も会場の運営に携わっているのだが、アキトやジュンと違ってウェイター姿ではなく、ほとんどホストの格好をしている。当然、女性兵士を相手にしてるわけだ。
  その人気は絶大であり、スケコマシの本領発揮というところだった。
  
   「会長、どうかしましたか?」
  
   エリナの声はごく当たり前のように素っ気ない。
  
   「いや、準備のほうはどうかと思ってね」
  
   「問題ありません」
  
   「そう、さすがだね。年明けにハイネセンに向けて出発するからくれぐれも頼むよ」
  
   「ええ、承知しています」
  
   アカツキは、チラリとエリナの横顔を一瞥した。相変わらず目鼻立ちの整った凛とした表情だった。彼女とは一応の仲直りを果たし、プランに同行してもらうことになったのだが、中立的な態度とは別に内心ではまだアカツキに不満を抱いているようだった。
  
   「まあ、怒らせたのは僕のせいだし、しばらくは平身低頭するしかないかもね」
  
   冷たくされていた理由を知ったアカツキは内心で「おやおや」と思いつつ、自分の非を素直に認め謝罪したのだが、多少の気恥ずかしさもあり彼なりの方法で誠意を示したものだった。その甲斐あってかネルガル時代から行動を共にする黒髪の美人はアカツキの軽率な行動を許してくれたのである。
  
   一応は……
  
  
   ちょうど次のプログラムがメグミより紹介された。
  
   「では、フクベ・ジンさんとホウメイさんによるウクレレ演奏です。幻のハワイアンサウンドを存分にお楽しみください」
  
   穏やかなサウンドが流れ始めると、アカツキはエリナに再び声をかけた。
  
   「ま、エリナくん、今後もよろしく」
  
   アカツキが差し出した手をエリナはそっぽを向いたまま、ちょっぴり顔を紅くして握ったのだった。
  
  
   
◆◆◆
    
 
 
 「それではみなさーん、カウントダウンをはじめますよー」
   
  
   振袖姿のユリカがマイクを片手にステージ上から音頭をとると、数千人が集う会場全体が、いや基地全体がまるで水爆ミサイルを打ち込まれたように激しく振動した。これは錯覚なのだが、パーティーに集中していない者が存在していれば帝国軍の攻撃を受けたのではないかと誤解しただろう。
  
   宇宙暦795年はまさに終わろうとしていた。同盟軍にとってはこれといった進展のない年に思えたが、ユリカたちは怒涛のような数ヶ月であった。
  
   「こんな生活がいつまで続くのか」
  
   それはナデシコクルーの誰もがしばらく抱いていた不安であり、ごく当たり前なマイナス感情隆起だったろう。
  
   しかし、彼らは自分たちでも気づかないうちに逆境という茨の道をなんとなく克服してしまっているように見える。また、イネスが分析するところ、その逆であることも完全には否定できないであろう。
  
   「ではカウントはじめまーす。10、9、8、7、6──」
  
   全将兵がステージ上のユリカと一緒にカウントダウンを叫ぶ。会場の左右に設けられた移動式三次元映像出力装置にユリカの振袖姿が出力され、その艶やかな映像にうっとりしつつカウントする者も少なくない。
  
   ついに、
  
   「──わん、
ぜろー!」
  
   瞬間、デジタル立体花火が次々と舞い上がり、ウリバタケたちが苦労して作った巨大な薬玉が計画通りに割れ
「HAPPY NEW YEAR」の垂れ幕がすべるように全容を現した。紙ふぶきが舞う中、シャンパングラスが次々と宙に掲げられ、それは弾け、そして消費されていく。兵士たちは歌い、踊り、互いに祝福しあって無事に新年を迎えられたことを心から喜んだ。もちろんナデシコクルーも同様であり、同盟兵士とともに新年の到来の喜びを分かち合っていた。
  
  
  
   宇宙暦796年の新年はこうして平穏に始まったのである。その到来の瞬間だけは帝国も同盟も公平に訪れたといってもよいだろう。勝者と敗者は同等の秤ではなかったが、双方もそれを糧として互いの陣地を新年初日に侵略する意思を持ち合わせていなかった。
  
   ただ違ったのは、双方の歴史の加速度が飛躍的に高まっていた事実である。
  
  
   そしてこの年2月、ユリカたちは彼らの意識を一変させ、飛翔への扉を開く、二人の名将の対決を滞在するアスターテ星域で直に目撃することになる。
  
  
   銀河帝国側の一人を
ラインハルト・フォン・ローエングラムといい、自由惑星同盟側の一人を
ヤン・ウェンリーといった。
  
  
  
  
   ……TO BE CONTINUED
  
   
 第四章に続く
    
  
  ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
   
   あとがき
  
   涼です。ここまで読んでくれた方、三章で外伝内は終了です。
  ようやく銀英伝本編時間に突入できます。思えば一章分伸びてしまったので、年内に本編時間に入れるかどうか怪しんだものですが、皆さんの応援を持ちまして何とか進むことができました。感謝いたします。
   えーと、僚艦救援の話はいずれ外伝形式でと考えております(汗)
  
   今回の後編で795年が終わったわけですが、内容的には前編同様ナデシコ乗員の生活や想い、年明けまでを描写しました。
   三章は短くまとめようと当初の予定通りに進むことができました。すこし走り抜けた感じです。
   次回は四章に入ります。力の入る章へ突入となったので、多少の時間をいただくかもしれません。もちろん
「アスターテ会戦」です。
  
   ナデシコがどう関わるのかご期待ください。
  
  
   2008年10月25日 ──涼──
  
  
  
 誤字脱字の修正と追記をいたしました。
   なにそれ?ナデシコのコーナー(そのE)を追記しました。
   
   2008年11月25日 ──涼──
  
   2009年1月16日(修正追加) ──涼──
 
 
  各節を明確に区切り、さらに読みやすいよう、段落差などを見直しました。
 
  2010年2月7日 ──涼──
   
  ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
  
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なにそれ?ナデシコのコーナー(そのE)◎◎◎◎◎
  
  イネスです。今回もちょっとだ同盟軍と銀河帝国軍の戦いについて説明するわね。ウランフ提督からいただいた軍事資料を基にお伝えします。
  
  今回は「惑星レグニツァ上空遭遇戦」です。第四次ティアマト会戦の前哨戦といってもよい戦いね。
   戦いの発端は銀河帝国軍の艦隊の一部が、イゼルローン要塞に近い宙域にあるガス状惑星レグニツァに潜んで情報収集をしていた同盟軍第二艦隊と戦闘になったというところね。惑星レニグツァなんだけど、この惑星は氷と水素とヘリウムガスで構成された典型的な恒星系外縁部ガス惑星ね。非常に自然環境が過酷で、名前の通りガスが惑星表面を覆っているため視界が悪く、常に乱気流と雷に見舞われているという状況ね。
  
   この状況下で両軍は相対したわけだけど、前述のような環境だから両軍とも秩序ある整然とした艦隊行動はとれず、しばらくは至近での散発的な戦闘になったようね。そんな中で同盟軍にやや有利に展開していた戦闘も、敵側が惑星表面に放った核融合弾の集中爆発によるヘリウムガスの引火爆発によって同盟軍艦艇が損害を受け、その混乱に乗じた帝国軍の攻撃を受けた同盟軍が最終的には撤退した戦いです。
  
   第二艦隊の損害は数値化されていないけど、その後のティアマト会戦に参加して入るところを見るとたいしたことはなかったようね。まあ、心理的には重大な痛手を被ったかもしれないけどね。それにしても、帝国軍の指揮官は柔軟な発想のできる人みたいね。惑星の特性を十分理解していないと採れない作戦よねー
  
   以上、イネス・フレサンジュがお送りしました。
  
   次回にまたお会いしましょう。
  
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