アスターテの戦場から戻った私たち
       それぞれに決意と葛藤を抱きながら
       また、新しい日常が始まるのだ
       今までとは違った日常の始まり
      
      みんなの目の色が違う
       艦長もアキトさんもウリバタケさんも
       何かを掴むために日々の任務に励んでいる
       
      それは、私も同じ
      
       あの戦いが、絶対に深入りする気がなかった
       私たちの意識を変えたのは確かなこと
       変わらなかったら冷酷だと思う
       悔しいと思わなかったら感情がないと思う
       
       私たちが目指そうとしている道筋
       私たちが望む力と願い
       単にそれは自己満足なのかもしれない
       それでも私たちは立ち止まりたくない
       
       じっとしていられないのが私たち
       
       やっぱりねえ……
       ウランフ提督の言った通りになった 
       さて、せいぜい転ばないように気をつけないと……
      
       ねえ、艦長?
      
      
 
  ──ホシノ・ルリ──
      
      
      
      
      
           
闇が深くなる夜明けの前に
      
      
           
機動戦艦ナデシコ×銀河英雄伝説
         
      
      
      
      
      
      
      
      
           
 第四章(後編・其のニ)
         
      
      
           
『嵐を呼ぶ勝利の中で』
      
           
  
      
      
      
      
           
T
      
      
       その通信を拾ったのは、メグミ・レイナードだった。黄色いスカーフを肩に巻いた玲瓏な声の持ち主は平文で打たれていたそれをメモ用紙にたやすく書きとめ、すぐに
「マクスウェル少将」に手渡した。
      
       「穏やかな黒熊」の異名を持つ基地司令官の全身がワナワナと震え、次に彼は咆哮してベレー帽を天井に向って高々と放り投げた。
      
       
「やったぞ! ついにイゼルローン要塞が我が軍の手に落ちたぞ!」
      
       その事実を司令室の全員が理解したとき、どよめきは凄まじいものだった。
      
       「やったぞ、同盟軍万歳!」
      
       「ヤン・ウェンリー万歳!」
      
       「ついに専制政治の悪の砦を奪ったぞ!」
      
       歓喜とともに、メグミを除く全員がベレー帽を次々と天井に向って放り投げた。そのはしゃぎように彼女はちょと理解しがたい表情で首を捻っていた。
      
       それもそのはずで、通信士のメグミにとってイゼルローン要塞は関心の薄いものなので特に資料を見たこともなく、実際の破壊力を体験したこともなかったからだ。それはナデシコクルー全般に言えることだった。
      
       だから、
      
      
  「えっ? イゼルローン要塞を奪取した?」
      
       と報を受けたユリカも半分他人事だった。それでもイゼルローン要塞の堅牢さと「トゥール・ハンマー」の破壊力は資料をめくったことがあり、よくわかっていた。その難攻不落の要塞を落としたのがヤン少将率いる第13艦隊だと知ったとき、そっちの方が驚いたのだった。
      
       「そうかぁ、あの時見た艦隊は実は攻略部隊だったのね」
      
       ヤン率いる第13艦隊がやや遠回りをしつつ、イゼルローン回廊に進入する前日、ナデシコは周辺航路の巡視に出ていたのだが、その近くで7000隻近い艦隊を目撃したのだった。
      
       しかし、イゼルローン要塞への作戦自体が秘匿されており、第13艦隊の行動は事前に軍事訓練と通達されていたため、ユリカたちも特に疑問に思わなかった。ナデシコ艦長は何をするのか興味が湧いたようで尾行しようとしていたようだが、跳躍能力を持たないナデシコでは追いつくのは不可能だったので、あきらめたのである。
      
       もし尾行などしていたら、運が悪ければ要塞駐留艦隊と鉢合せになっていたかもしれない。そのときはまさにナデシコは宇宙の塵と化していただろう。いや、オーベルシュタインやベルトマン大佐がナデシコを拿捕しにかかったに違いない。
      
       いずれにせよ、ジョーカーを引いていたかもしれないのだ。まことに幸運というべきだった。
      
       そして、ユリカがもっと驚いたのが、同盟側に一人の犠牲者も出ていないという事実だった。
      
       「ヤン少将は、いったいどうやってイゼルローン要塞を攻略したのですか?」
      
       司令室に飛んできたユリカはマクスウェル少将に問うたが、流石にまだ知らないようだった。
      
       「まあまあ、
ミスマル准将、落ち着いて落ち着いて」
      
       「落ち着いてなんかいられません! 難攻不落のイゼルローン要塞を味方に一人の犠牲者もださずに落としたなんて、とても凄いことですよね」
      
       「ああ、まさに魔術だよ、奇蹟といってもいい。さすがはアスターテの英雄だね。どんな策を用いたかは、あと数日もすれば判明すると思いますよ」
      
       「そうですか?」
      
       と答えつつ、ユリカはハッとした。それを待つより、ヤン少将がどうやってイゼルローンを攻略したのか自分なりに考えるべきではないのか?
      
       「うん、そうよそうよ。ヤン提督に少しでも近づくために自分で考えないとね」
      
       
おー! とユリカは威勢よく右手を高々と挙げ、目を点にするマクスウェルを尻目に、シミュレーションルームに向って走り出していた。
      
      
       ミスマル・ユリカは、イゼルローン要塞攻略前の5月11日付けで
「准将」に昇進を果していた。半年間で二階級昇進である。帝国軍との戦闘による武勲ではないが、不思議と昇進のための事件やら任務やらには縁があるようだった。
      
       また、マクスウェルも「少将」に昇進した。人事上の問題と思われがちだが、彼が基地運営で果した役割は大きく、ユリカ達をはじめとした「謎の新参者」と基地将兵との交流が上手くいった背景は彼の手腕がいかんなく発揮された結果である。マクスウェルは運営と統制全般的な手腕を評価されたというわけだ。
      
       今回のユリカの准将昇進は、アスターテの残兵救出と、4月中旬から下旬にかけてナデシコが追ったサイオキシン麻薬密売組織の摘発、その黒幕の逮捕の功績によるものだった。ユリカは実感が湧かないようだが、非公式ながら『同盟史上最年少の閣下』であり、女性初の将官昇進なのだ。そのがんばりの源はアスターテ会戦での出来事に他ならないだろう。
      
       この事件ではアキトも活躍し、准尉から少尉に昇進している。青年の成長を垣間見えるかのような勇敢な活躍ぶりだった。
      
       その
アキトは、食堂の手伝いが一段落した休憩中にイゼルローン要塞奪取の報を聞いた。基地内スピーカーからマクスウェルの興奮した声が流れると、食堂に集った多くの将兵達の喜びようにあっけにとられつつ、この歴史的勝利がもたらした転機を肌で感じたのである。その隣では、おとなしく絵本を読んでいたラピス・ラズリが、きょとんとした愛らしい表情で馬鹿騒ぎに変わりつつある食堂の喧騒を眺めていた。
      
       「やれやれ、まるで何かの打ち上げパーティーだね」
      
       ホウメイやホウメイガールズたちは、さらに実感がなかったかもしれない。兵士たちが一斉にベレー帽を放り投げたとき、それが食べ物の上に落ちやしないかと眉を細めたものだった。
      
       とにかく、イゼルローン要塞が同盟の手に落ちたことにより、両勢力の力関係に影響を与えることは明白だった。ユリカたちが最も望むのは、帝国との外交折衝による講和かそれに近い和平条約の締結だった。そうすれば太陽系にナデシコごと行けるかもしれないのだ。これは自分たちではどうにもならないので、政治家たちに健全な判断と手腕を期待するしかなかった。
      
       さらにイゼルローンの陥落によって変わるものがある。言うまでもなく、前線監視基地としてのハーミット・パープル基地の今後だった。要塞の攻略で一応は役目を終えたといえるだろう。そうなると次にどうなるのか、不安というより期待のようなものがあった。マクスウェル准将がうっかり口にしたことから考えると、軍上層部(シトレ元帥)はナデシコの活躍を知り、その優れた情報処理能力とエステバリスを本気で戦力として生かしたいと検討しているようだ、というのである。意識転換をしたユリカたちには願ったり叶ったりだった。
      
       それらが成就しなかった場合でも、彼らは前向きだった。アスターテがもたらした全ナデシコ乗員の意識転換は、今後の活動と展開に少なからざる指標を示すことになるからだ。
      
       もう一つ、ユリカとアキトが気にしていることがあった。ジャン・ロベール・ラップ少佐の遺言をどうやって元婚約者に伝えるかだ。今のところハイネセンを訪れる予定は皆無である。実はアカツキとエリナが首都星に旅立っているのだが、タイミングの悪いことにアスターテの前だった。
      
       もちろん、二人に罪はない。ともすれば定期連絡時に内容を伝え、アカツキに託す事も可能なはずだが、ユリカはそうしようとしなかった。
      
       「私が直接伝えたい」
      
       ジェシカ・エドワーズに会って直接伝えたかったのだ。そして謝罪したい。あのとき、自分の力不足のためにラップ少佐と多くの将兵たちを犠牲にしてしまった不徳を詫びたい…いろいろ伝えたいことがある。遺言だけでなく、ラップ少佐がいかにして戦ったのかということ、無駄死にをさないためにいかにして上官に立ち向かったかということ…それを話して、彼女に伝えたいのだ。あなたの婚約者は私たちを変えたのです、と。
      
       「行けるかな、ハイネセンに……」
      
       ユリカの思いは募る一方だった。はるか数千光年の彼方にある首都星ハイネセン。ジェシカの住む町はハイネセンの第二の都市と呼ばれていたが、ユリカ達の扱い上の問題と跳躍能力のない「ナデシコ」では実現する可能性は薄い。
      
       それでもユリカは悲観しなかった。私たちは何かを変えるために日々を努力しているのだ。きっとこの思いは軍上層部に伝わるはず、だから今は一歩一歩進むしかない。
      
       ユリカの部屋の窓からは、無数の星々が無垢にきらめいているのが見えていた。
      
           
  「ラップ少佐、絶対にあなたの遺言はジェシカさんに伝えます」
      
                
  ユリカの願いは、そう遠くない未来に現実になるのである。
      
      
      
      
      
           
U
      
              
        ──標準暦5月20日──
        
      
       ハイネセンの軍事宇宙港に降り立つヤン・ウェンリーの姿が基地食堂に設置された大型立体TVに映し出され、それがズームアップされたとき、ナデシコクルーは揃って感想を口にした。
      
       「この人がヤン・ウェンリーさん?」
      
       「ふーん、まあまあじゃん」
      
       「変わった人だって言うから、どんな容姿の人なのか気になったけど、なんだかとても平穏そうな人だね」
      
       「誠実で気のよさそうな人じゃない?」
      
       「軍人に見えないって言う噂ですが、たしかにそんな感じですね。ぜんぜん偉ぶってる様子もありませんし、若い学者さんみたいです」
      
       「この平穏そうな人の頭脳は普通じゃないんだよね」
             
 「ヤン提督ですから」
      
      
       とまるで会っているかのようにきっぱりと断言したのはホシノ・ルリだった。いろいろと評論していたクルーたちの間から肯定ともとれる笑いが漏れる。
      
       最初にヤンの存在を知ったのは、当初、基地データーをハッキングしていた妖精のような美少女だった。「エル・ファシル脱出」に関する軍事情報に触れ、民間人300万人を一人も見捨てることなく無事に脱出させた「ヤン」という
『新任の中尉さん』に、不思議と信頼めいたものを抱いていたのだ。
      
       アスターテの戦いでも、ヤンの存在がこの状況を変えてくれるのではないかと、誰よりも早く口にしたのはルリだった。
      
       「ヤン提督かぁ、会いたいなぁ……」
      
       ユリカは、微笑んでポツリとつぶやいた。彼女が思い出すのは、ヤンが指揮権を引き継ぎ、全艦隊に向って話した励ましともとれる通信だった。
      
      
  「負けはしない。我々は現在のところ負けてはいるが、要は最後の瞬間に勝っていればいいのだ」
       
       ユリカは、あの時のヤンの言葉をTVに映る青年提督を重ねて反芻した。どんな飾り立てられた力強い言葉よりも、素朴でありながら希望と期待を感じさせる落ち着いた言葉は他にないだろう。
      
       ユリカにも届いたヤン・ウェンリーという青年を表す言葉。彼は見事に将兵とユリカたちの期待に応えたのだった。彼女にも、おそらくローエングラム伯にも考え付かなかった発想で一方的な敗北を免れたのだ。
      
       アスターテで示されたヤンの非凡な用兵センスは、イゼルローン要塞攻略でも十二分に発揮され、21歳のうら若い女性准将閣下にアキトとはまた違う確固たる信頼を植えつけることになっていた。また、それまで「個」単位の作戦しか運用したことのなかった彼女に「組織単位」での作戦運用を意識改革させることにも繋がっていた。
      
       ユリカは、イゼルローン要塞攻略の報せがもたらされた日、ヤンがいかにして要塞を攻略したのか彼女なりに考えることにした。
      
       ユリカは、イゼルローン要塞を攻略する上で、三つの脅威が問題であることはすでにわかっていた。
      
       一つ、要塞の防御力
      
       一つ、要塞主砲「雷神の槌」
      
       一つ、機動戦力としての駐留艦隊
      
       ヤンが味方に犠牲を一人も出さなかったという事実は、しごく単純に正面からの攻略は避けたことを推察させることになり、手立ては別として、ヤンが要塞を内部から制圧したという見解を導き出すに至った。
      
       では、手順はどうか?
      
       一つ、駐留艦隊と要塞を引き離す
      
       一つ、要塞内部に何らかの方法で味方を潜りこませる
      
       一つ、内部を制圧し、トゥール・ハンマーを撃たせない
      
       これらは、ヤンが考えていた基本構想と同様だった。要塞内部に味方を潜入させる方法は彼とほぼ同じだったが、艦隊そのものを囮として利用するところがヤンとは違っていた。ユリカの基本構想では最終的に挟み撃ちにするつもりだったのだ。意外に容赦がないが、艦隊を要塞攻略の演出に使ったヤンとは明らかに運用が違っていた。
     
      「なるほど、ヤン提督はやっぱり生命第一に考えているんだなぁ……」
      
       後世において、生まれた環境も育った環境も性別も違うヤン・ウェンリーとミスマル・ユリカの気質に共通性が多く存在した事実は、多くの親近者の証言するところであって、周知されている事だった。それは狭義的な意味において「性格」というものではなく、「感覚」、「感性」、「発想」の三つにおいてである。
      
       ただ、この二人は似ているといっても全く違う「個人」である。同じように遠くを見ていても、その見ている場所が同じとは限らない。
      
       ヤン・ウェンリーとミスマル・ユリカの用兵思考における決定的な違いは、戦術レベルよりも戦略レベルであったと多くの研究者は主張する。事実、ヤンの戦略構想に沿ってユリカは戦術面において行動しており、彼女が自ら作り出したシナリオを掲げたことはない。ただし、決してそうではないという後世の研究者の異論もあり、なお議論の余地を残している。
      
       ヤンが「魔術師ヤン」、「奇蹟のヤン」と異名で呼ばれたように、ミスマル・ユリカにも生涯にわたって主に二つの異名が存在した。一つは彼女の活躍によって、初期に活動の拠点であった基地内でいつの間にか呼ばれるようになった「アイドル准将」だ。これは後に「アイドル提督」に変わっていくが、彼女に親しみを込めたものであり、決してお飾りという意味合いを含んだものではなかった。
      
       そしてもう一つの異名こそ、同盟、帝国双方に最も畏敬と憧憬を込められた呼称であり、「ミスマル・ユリカ」という前半生を謎に包まれた女性の能力と気質が、ヤンとは違うものだと表すことになる。
      
       ただし、後世における批評や話題など、現在の二人は知る由もなく、宇宙暦796年5月時点では無縁な議論だったのである。
      
      
         
◆◆◆
     
      
       ユリカが三杯目の紅茶を飲もうとしたとき、立体TVにはヤンを乗せた地上車が宇宙港を出発する映像が流れていた。その前にはロビーで大勢の市民やマスコミにもみくちゃにされる若い英雄の姿が映し出されていた。困惑したように頭をかく表情が印象的だった。
      
       「ヤン提督はこれで中将昇進は確実ね。ようやく能力にふさわしい地位を得たと言うことかしら。きっと次からは自分の思った采配ができると喜んでいるでしょうね」
      
       その発言の主はハルカ・ミナトだった。頬づえをついて足を組んでいる姿さえ危険なほど絵になる色香ある女性だ。彼女もアスターテでヤンが見せた魔術に感嘆した人物の一人だった。まったく偉ぶったところがない青年提督に好感を抱き、率直に感想を述べている。
      
       もちろん、ヤンが昇進を喜んでいるというのは、まだ
為人(ひととなり)をよく知らないがゆえの「買いかぶり」であり、本人がこれを耳にしていれば、
      
       「私は、本当は軍人を辞めたいんだ。軍人に向かないからね」
      
       と黒髪をかき回し、すまなそうに答えたことだろう。
      
       残念ながらこのときは為人を知りえなかったので、地上車に乗ったヤンが統合作戦本部で辞表を提出し、それをシトレ元帥に却下される一幕があろうとは、さすがに誰一人として想像していなかった。
      
      
      
      
           
V
      
      
       ヤン・ウェンリーの辞表を却下した統合作戦本部長シドニー・シトレ元帥は、夕食までの時間を利用し、ハーミット・パープル基地からの極秘の近況報告書に目を通していた。
      
       「ユリカくんも准将に昇進か。公式的に発表できないのが残念だが、女性初の将官だな」
      
       しかも最年少である。その地位を得るにふさわしい功績を立てたのだから信賞必罰は当然だが、これほどの活躍(宣伝できないが)をするとはシトレにも意外だった。存在上、ひっそりと活動するものだと考えていたのだ。なるほど、ウランフ提督の言ったように、彼らはじっとしているのが苦手なようだ。
      
       (頼もしいと言えば頼もしいがね)
      
       長身の黒人元帥は愉快そうに微笑んだ。ユリカはシトレにとっては孫にあたる年齢だった。実際は彼女の方がはるかに年長であるのだが、時間を超えたであろう存在はシトレの3分の一にも満たない人生経験しかない。
      
       “元の時代”に戻る術が見つからないユリカたちを同盟軍たらんとしたのはシトレの判断だった。失われたテクノロジーと非凡な能力を有する彼らを組織に早々に取り込み、保護するためでもある。ユリカやナデシコクルーに破格の待遇を与えたのもその一環だといってもよい。
      
       ハーミット・パープル基地に落ち着いたナデシコ乗員たちは、しばらくは戸惑った生活をしていたようだった。生活習慣や技術的な戸惑いというよりも、同盟兵士との接触をどのレベルセーブすべきか加減がいまいち掴みづらかったらしい。2週間もすると基地での生活にも慣れ、結局、基地兵士たちとの交流も進み、生活基盤を固めていったのはよいことだった。
      
       ただ、この時期のマクスウェルの報告によると、ナデシコの乗員は「元の時代」(または世界)に戻ることをあきらめてはおらず、同盟軍との間にも微妙な「距離」を開けていたということだった。
      
       「それが最近変化した」
      
       と最新の報告書の一文にあった。アスターテ会戦を境に彼らに意識の変化が起こったらしい。
      
       マクスウェルは記している。
      
       「(中略)……同盟軍の一方的な敗北を前に力になれず、ただ見守ることしかできなかったことが全乗員の意識を変えたようです」
      
       さらにマクスウェル続ける。
      
       「……今、彼らが望んでいるのは
現状の変化です。アスターテで多くの将兵を救うことが出来なかった無力な現実よりの脱却を欲しているように小官には感じられました」
      
       シトレは、報告書のページをめくる手を止めた。ナデシコにアスターテ会戦を記録するように指令を出したのは元帥だった。この世界で起こっている現実の戦闘を知ってもらう狙いがあったのだ。それが予想もしなかった敗北によって彼らの意識をガラリと変えてしまったのだ。幸か不幸かシトレがナデシコを戦力として意識しだした矢先だった。
      
       今、同盟の政治システムは悪化の一途をたどっている。それは軍部も同じだった。対帝国強硬派の国防委員長を中心に軍部全体がおかしなことになっていた。戦争を推進する者が賞賛され、慎重を唱える者が非国民扱いされてしまうのだ。
     
      まだ軍上層部はシトレやグリーンヒル大将といった良識派が固めることで軍部内に潜む暴走は抑えているが、常にシトレたちを引きずり下ろそうと考えているトリューニヒトが存在する現状ではどうなるかわからない。
      
       そんな中で、ヤン・ウェンリーのように良識があり実力もある若い世代の将官は貴重な存在だった。なんとしてもトリューニヒト派の軍人の台頭を抑えるため、シトレは本部長再任を確実にするべく、もと教え子にかけたのだ。
      
       その賭けには勝った。ヤンは難攻不落の要塞を奪取し、彼を起用したシトレは本部長を再任され、当面の危機は脱したかに思える。
      
       しかし、トリューニヒトとその派閥の暗躍は消えることのない懸念材料だった。戦争を賛美し、国民を戦争へと煽動するトリューニヒトの軍上層部への介入は阻止しなければならない。その為にはヤンやウランフ、ビュコック提督のように良識をもった味方が一人でも多く必要だった。
      
       ミスマル・ユリカの活躍を目の当たりにし、マクスウェルやウランフからその為人を耳にしていた元帥は、当然、彼女をその一人として候補に挙げていたが、今までは彼らの意思を尊重し、政略に組み込むことはできなかった。
      
       それが可能になった。彼らの意識転換がなされたのだ。
「変化」を望んでいるのである。
      
       ミスマル・ユリカの階級は「准将」。ヤン・ウェンリーを中将に昇進させ、第13艦隊も正式に一個艦隊として再編がされるだろう。
      
       「これはチャンスではないか?」
      
       同盟はイゼルローンの奪取によって軍事的に優位に立つことになった。帝国は同盟への侵攻の拠点を失ったのだ。前述により、ユリカたちが滞在する基地の戦略的な意味が薄れてくる。
      
       シトレは、帝国との講和を視野に入れていたのだが、彼自身にその権限はないし、同盟を「叛乱軍」と呼称し、貴族社会の帝国が簡単に講和を受け入れる可能性は低いと予想していた。
      
       また、シトレはヤンやプロスペクターの見解と同じように、イゼルローン要塞の奪取によって戦火が遠のき、しばらくは帝国の侵攻を防げると考えていた。その間に疲弊した国家経済とインフレーションの瓦解を立て直すことが可能だろうと。そして危うい状態の軍備も再建できれば、経済と軍事の強大さを目の当たりにした帝国と本当の意味で講和を結べるのではないか?
      
       不可能だったとしても人材を育てる余裕は生じる。新たな戦いの到来に備え、理性と良識と行動力のある軍人を戦力として同盟の柱とすることは重要だった。
      
       「ミスマル・ユリカ」と「戦艦ナデシコ」はまさにそうだった。彼らが意識転換をした今こそ可能なのではないだろうか? 地位や権限が強化されれば、ヤンに期待するものと同じく自然と過剰で利己的な主戦派軍人は排除され、軍隊が本来持つべき「国民を守る軍隊」へと脱却を図れるのではないだろうか。
      
           
  「第13艦隊か、または第10艦隊か……」
      
      
       最善なのは、彼らと縁のある第10艦隊かもしれない、とシトレは考えるのだが、歴史家を志した異才の青年提督に委ねるのも一興ではある。ヤン・ウェンリーなら、彼らの正体を知っても
「頭をかいて終わりにする」のではないか?
      
       (それに、アスターテで接触していたようだからな)
      
       シトレは、苦笑いした。マクスウェルの報告書には、アスターテ会戦におけるナデシコの行動が詳細に書かれていた。第6艦隊と第2艦隊に帝国軍の動向を打電していたのだ。黒人の元帥はヤンがその暗号電文を片手にパエッタ提督を説得にかかった事実を、第10艦隊に転属した「アッテンボロー大佐」から聞いていた。
      
       「あれが通っていれば、けっこうましな展開になったでしょうね」
      
       シトレはイゼルローン攻略前、ヤンに「戦艦ナデシコ」の歴史的な存在の是非について何気なく尋ねていたが、彼は事前に接触していたことなど微塵も感じさせずに、『消された歴史』について淡々と話していたのではなかったか?
      
       「相変わらず本心を隠すのは上手いな、一杯食わされた」
      
       すでに存在を知っているのであれば、ヤンに彼らを任せるのは現実味を帯びてくるであろうし、ヤンとユリカが気質的にやや似通っていることをシトレは感じていた。
      
       (なかなか興味深い組み合わせではないか?)
      
       だが、もう一つの可能性はどうだろうか?
      
       「いや……」
      
       シトレは独語し、理想と可能性の未来図を頭から振り払った。目下のところ、ナデシコを正規軍に編入するには最大の難敵が存在する。
      
       『国防委員長ヨブ・トリューニヒト』
      
       この煽動政治家が何か詮索してくるのは目に見えていた。彼らの存在を静観することなどありえない、と思慮深い元帥は確信できるのだ。
      
       「慌てる必要はない」
      
       シトレは呟き、極秘書類を丁寧に整えて暗証機能のある机の引き出しにしまった。
      
       その直後にドアが開いた。シトレの次席副官であるアレックス・キャゼルヌ少将が、作成されたヤン・ウェンリーの昇進辞令書を届けに来たのだった。
      
      
      
      
           
──宇宙暦796年、帝国暦487年、標準暦5月20日──
        
      
       その日の夕刻、ヤン・ウェンリーは中将への昇進辞令を受けることになる。第13艦隊も一個艦隊として昇格し、再編が着手されることになった。
      
       しかし、シトレやヤンの思惑とは裏腹に同盟は幻想を見てしまう事になる。難攻不落の要塞を味方の犠牲を出さずに奪取したことによって生じた誤った認識は、現実にはありもしない実力を国家に錯覚させてしまう。
      
       シトレとヤンが予想もしなかった事態に発展するまで、なお2ヶ月あまりの時が必要であった。ユリカたちも事態が急変することなど、ヤンの映像が流れる立体TVの前では想像すらしていなかったのである。
      
      
      
       ……TO BE CONTINUED
      
      
      ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
      
       あとがき
      
       涼です。早めの更新です。冬休み中にちょっと進めたので、やや早くなっています。初稿段階だったので、いろいろ見直したり、追加したり、とにかく手直しをしていたという事です(汗)
       
       今回は、前回と違ってオリジナルな場面が多いです。ユリカたちを中心に描写しました。まさに嵐の前の静けさ的な感じです?
       
       シトレ元帥の考えも気になる所ですね。
      
       一応、予定では後編はあと二話なのですが…さてどうなるかな?
      
       あと、ヤンを批評するナデシコクルーの面々は誰が当てはまるかわかりますか?
      
       次回は、飛ばした関係で掲載が遅れると思います(謝)
      
       2009年2月10日──涼──
      
       
新章に突入するにあたり、修正と加筆を行いました。
       2009年5月1日 ──涼──
     
      最終的な修正を行いました。たぶん、誤字とか撲滅したはずです。
      2010年3月8日 ──涼──
 
  黒歴史になりそうな、いい加減にかいた挿絵を削除し、一部、改行を調整しました。
  2012年10月2日 ──涼──
      
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メッセージ返信コーナー◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎
      
       前回の投稿分にもメッセを頂きました。いつもより早かったので、中には「えっ?」と思った方もいるかとw
      
       以下、メッセの返信です。いつもありがとうございます。
      
      
       ◆◆2009年2月6日◆◆
      
       ◇◇11時11分◇◇
      
       
今回も楽しく読ませて頂きました。やはりこの時代にはインターネットは衰退したのでしょうか?
      
      >>>どうも、毎回のメッセをありがとうございます。今回はやや内容が固めだったので、さてどうかな? などと思っています。
      
       インターネットは、より高速な超光速通信網に発展しているようです。星間ネットワークとも言うのでしょう。そのデーター量も通信速度も届く範囲も今とは比べ物にならないみたいですよ。ただし、この通信網は同盟領だけであって、専制政治下の帝国では平民には普及していないようです。理由としてはなんとなくわかっていただけたと思います。
      
      
      以上です。掲示板に書いてくれる方も多くなりました。返信が早いのがよい方が居りましたら、感想掲示板にお願します。もちろん、メッセージも歓迎です。
      
      
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