機動戦艦ナデシコ×銀河英雄伝説
『女優入場/獅子たちの魔女包囲網』
「そうですね、独立商人たちが騒いでいました。それ以外では特に目立った動きはないですね」
紅茶とケーキを楽しみながら会話が交わされていた。
ベンドリングは、さっぱりとした白いチーズケーキの食感を楽しみながら、少女が決して欲求だけでグレーシェル大尉に買いに行かせたのではないことを知った。
「ふうむ……」
マルガレータは早くも二つ目のケーキに手を伸ばしていた。ホワイトチョコとココナッツチョコの二重奏のチョコレートケーキだ。高貴にして聡明な元貴族令嬢も女性のスィーツ好きという呪縛からは逃れられないようだった。
「まあ、それぞれ200万を越える捕虜交換じゃ。独立商人が色めき立つのも無理がなかろう」
「二個艦隊レベルの人数ですからね。ここまで規模の大きな捕虜交換は数十年ぶりじゃないでしょうか」
「フェザーン商人たちも活気づくはずじゃのう」
「ですがお嬢様、商人たちが立ち入る隙などありますか?」
と質問をしたのはベンドリングだった。しばらく2人のやり取りを聞いていたのだが、ことのほかケーキの味に満足したので会話に参加したのだ。
質問された少女はすまし顔で紅茶を飲んでから答えた。
「十分商人たちに儲けの機会はあるじゃろう。単純に200万人をイゼルローンに運ぶだけではないからな」
「仰る通りですね」
「本来なら一ヶ月以上の準備は必要なはずじゃが、ローエングラム候は最短で押し進めるじゃろう。長くなれば長くなるほど貴族たちに隙を与えることになりかねんからのう。そういう意味で商人たちの力も借りることになろう。一組織で経済が回っているわけではないからな」
「なるほど。ローエングラム候の事情を考えればそうするでしょう。ですが同盟側は急ぐでしょうか?」
その疑問に対する少女の返答は「可」であった。
「今年の夏ごろじゃったか? たしか近いうちに同盟では選挙が行われるじゃろ。トリューニヒトの暫定政権が正式な政権に移行するための大切な選挙のはずじゃ。同盟の政治家はそれまでに200万人という有権者を確保したいはずじゃ」
ベンドリングは内心で感嘆していた。この若干14歳という令嬢にわからないことなどないのではないかと。
もし数年早く男子として生を受けて今頃帝国にあったならば、ローエングラム候に匹敵するか、それ以上の存在になりおおせていたのではないかと本気で思う。
もしそうだったならば、男子として成長したヘルクスマイヤー家の後継者はいずれに陣営に在って帝国を二分する戦いに臨んだであろうか?
ベンドリングが少女の予測に納得して頷くと、次にマルガレータの深碧の瞳が向けられたのはグレーシェル大尉だった。長い脚を組んで紅茶を楽しむ姿は良家の貴公子と言ってよく、マルガレータと並ぶと兄妹にしか見えない。
「ところで大尉、最近はどうじゃ?」
工作員の表情は冴えていなかった。
「芳しくありません。なにせ調査対がイゼルローン行ってしまいましたので、同盟の施設で警備員をしていても意味がありませんね」
大尉が肩を落としたのは、恩人だというキルヒアイスに自ら志願して「謎の存在」の調査をすべく危険を犯してまで同盟やフェザーンで活動してきたが、思うような情報が得られていない現状だった。
とはいえ、ベンドリングやマルガレータから見れば、暗中模索するような調査対象をゼロから出発してその名前や所属、司令官の性別やおおよその年齢まで調べ上げた手腕は見事としか評価のしようがなかった。ただし、プライドの問題か彼はかなり不満に思っているようだった。
「例のアカツキというナデシコの乗員だったらしい男との接触はどうなのじゃ?」
大尉の返答は「天を仰ぐ」だった。
「いまやエリオル社の社長ですからね。あの人事があったときは本気で驚きましたが、なかなかどうして、ヘタに近づけないですね」
「ほほう、大尉がそこまで慎重になるとは食えない若造のようじゃのう」
いくらなんでも「若造」という台詞はないとベンドリングは思う。
「正直、攻めあぐねていますよ。それにこのままの状態だと近いうちに私に帰還命令が出るかもしれませんしね」
実に残念そうに大尉は肩を落とした。それが任務継続中断の落胆か、それとも、マルガレータに会えなくなることかは分からない。 いや、たぶん両方なのだろう。
「思い起こせば夏に出遭った美女が、あのミスマル・ユリカだともっと早く気が付いていれば他にやりようはあったんですが……」
同盟が帝国への侵攻作戦を決定した直後、シャンクラリオン通りでベタな遭遇をした美女があの「幸運の戦姫」だと知ったとき、大尉は残念とも悔しいとも逃したとも──とにかく複雑な気持ちで指を鳴らしたものだった。
珍しく意気消沈する貴公子工作員に思わぬ言葉が伝えられた。
「心配するでない。大尉の任務は継続だとキルヒアイス提督からの伝言じゃ」
思わず立ち上がるほど喜んだグレーシェル大尉だったが、かれはすぐに深碧に宿る暗示に気が付いた。
「なにかありそうですね……」
マルガレータは無言で頷いて、美しい顔がシリアスになる。少女の唇の奥から放たれたそれは電撃にも等しかった。
「どうじゃ、イゼルローンに行く気はないか?」
大尉の顔が優秀な工作員のそれに戻っていた。
「……なるほど。ぜひ詳細をお聞かせ願いましょうか、フロイライン」
U
オーディンの大学に通うヒルダことヒルデガルド・フォン・マリーンドルフ伯爵令嬢の日課といえば、講義が終わったあとに邸宅までの帰り道に寄り道しながら市街を散策することだった。
「時代が動きつつある。それも大きく……」
暗くくすんだ色調の金髪が真冬の日差しに当てられて明るく輝き、ブルーグリーンの瞳は知性と躍動感に溢れ、リズミカルな歩調は颯爽とも優美とも映ったことだろう。彼女は伯爵令嬢でありながら身体機能を損なう過度華美な服装は好まず、男性が身につけるような機能的な服を愛用していた。
「まだ静かなものね……」
ヒルダは、政治闘争の影響がまだ表れていない市街の大通りを抜け、小道に折れたところで彼女のお気に入りのカフェ店に足を踏み入れた。
「こんにちは」
ヒルダは、落ち着いた風貌の口ひげを生やした50代くらいの店主に挨拶をすると、店内から通りを眺められる席に身体を沈めた。陽光を取り入れるための大きな窓ガラスからは絶えず人の動きや街の様子を観察することができる。
ヒルダは一冊のノートを開く。思考にふけるとき、彼女の考えをまとめるような一冊だった。
「どうぞ、お嬢さん」
店主が淹れたてのコーヒーを運んで来てくれた。
「どうもありがとう。今日もとてもよい香がしますね」
熟練者としての貫禄がある店主はにっこりと笑った。
「子供の頃から両親の手伝いでコーヒーを淹れてきましたが、いまだ修行する日々です」
「奥が深いのですね」
貴族の令嬢でありながら、ヒルダの口調はよき教師に敬意を払う生徒に近かった。彼女はおよそ貴族の娘らしくなかった。興味があることも大半の令嬢のように装飾品や衣装などではなく、自然科学や政戦略についてだった。物事を読み解く目を養う事こそが20歳になってもヒルダの大いなる嗜好の一つなのだ。
「ではごゆっくり」
店主が静かに身をひるがえすとヒルダはコーヒーカップを手に取り、香ばしい液体を口に含んだ。
ヒルダのすっきりとした表情がコーヒーの美味しさを伝えていた。
一息ついたヒルダはペンを片手に思考に没頭した。店主がさりげなく店の入り口に「準備中」の札をかけたのは常連客に対するたまの配慮だった。
数分の間に彼女のノートには現状の状況と今後の予測のような箇条書きがびっしりと書き込まれていた。
ヒルダの関心ごとは大きく二つある。
(一) 同盟の動向
(二) 帝国の未来
一は、侵攻作戦の痛手からの回復には程遠く、大規模な侵攻こそ不可能と思われるが、何か手を打たない限り大なり小なり同盟が介入してくる可能性が極めて高い。
だからこそローエングラム候は「捕虜交換」というカードを切ったのだろう。
ヒルダにはわかる。彼女がローエングラム候の立場ならきっとそうするからだ。
それが成功した場合(いや、成功させるだろう)同盟軍は長期に渡って国内の騒乱に関わらなければならず、帝国の内戦には介入できなくなるだろう。
そのとき、ヒルダが最も興味をそそられるのはイゼルローン要塞を守備する2人の提督だった。
ヤン・ウェンリーとミスマル・ユリカである。この2人は確実に同盟の内乱で中心的役割を果すにちがいない。
V
ヤン・ウェンリーの行動予測を一通り終えたヒルダが次に注目するのはミスマル・ユリカだった。
ただ、彼女を計るにはあまりにも情報が少なすぎた。
「ミスマル・ユリカ提督……思いもよらない人物が表舞台に登場したものね」
アムリッツァにおいてローエングラム候の精鋭たちと互角に渡り合った20代の女性。自分と同世代と思われる女性が同盟軍初の女性艦隊司令官となって広大な戦場を巡ったのだ。
「アムリッツァの魔女」「叛徒の白き魔女」と今や帝国内ではヤン・ウェンリーと並ぶかそれ以上の有名人だ。
しかし、これだけ有名であるのに、彼女を伝える情報はほとんど入ってこない。
ヒルダが知人から入手した戦いぶりからイメージできる人物像は、
「常に冷静沈着で視野広く、意志も強い。自分を厳しく律することのできる誇り高く聡明な女性にちがいない」
であった。
似たような女性をヒルダは今のところ一人しか知らない。幼少の頃から親交のあるヴェストパーレ男爵夫人くらいだ。夫人が男児として生を受けていれば、今頃はローエングラム候と一緒に帝国を支配していたかもしれないのだ。
男爵夫人はヒルダが尊敬する数少ない女性のひとりだが、ミスマル・ユリカも敬意に値する。過酷な戦場を半個艦隊で凌ぎ、アムリッツァではヤン・ウェンリーに匹敵する手腕で同盟の全面崩壊を防いだのだ。
「魔術師」ならぬ「魔女」と異名を命名されても仕方がないことだろう。聞いた経緯が本当ならば今後、ヤン・ウェンリーと同じく
謎が多いだけにヤン・ウェンリー以上に底力がしれなかった。
そのようなヒルダも奮える女性提督が岐路を迎えた同盟の表舞台に現れた。
彼女はただの流星で終わるのか、恒星として輝き続けるのか、ヒルダの興味と好奇心は大きく広がった。
「会ってみたいものね……」
帝国国内の対立は公になってはいないものの、少しでも政治感覚を持っていれば知りえることだった。同盟軍との捕虜交換が決定した今、その後に勃発するのは帝国の内戦だ。
そうなるとまだ属する陣営を定めていない諸侯たちは、いずれに味方をすれば生き残れるかたちまち悩むことになるだろう。
では、マリーンドルフ家はどうするか?
その答えは決まっている。正確にはヒルダの意志の中では決定している。当主である父親はおそらく悩んでいることだろう。
父親はきっと中立を希望しているかもしれないが、マリーンドルフ家も名家として旗色を示さなくてはならなくなるだろう。
もし父親が帝国貴族の一員として止む終えずブラウンシュヴァイク公やリッテンハイム候側に味方しようというなら、ヒルダは全力でやめるよう説得するつもりでいた。
「もう少しで大学も休みになる。その時は……」
ヒルダは、ローエングラム候につくべき明確な理由をすでにいくつか見出していた。おそらく、いや確実にそれを父親に説けば納得してくれるだろうという自信もある。
その時は父親に決心を求めることにもなるだろう。
ヒルダは、ノートとペンをショルダーバックにしまって立ち上がった。会計を済ませて店外に出たとき、いつもと違ってふと店のほうに振り返った。目に入ったのはドアノブに掛けられた「準備中」の札だった。
「あ……」
ヒルダは、初めて店主の心遣いに気が付いたのだった。そういえば、時々過去にも自分が店内に入ったあと来客がなかったように思う。
「私が集中できるようにしてくださったのね」
自分が伯爵令嬢だからではないだろう。店主は名前だけ尋ね、それ以外の身上を知ろうとも詮索することも一切していないのだ。
「ありがとうございます」
ヒルダは、ドアの向こうで美味しいコーヒーを淹れているだろう店主に向かって一礼し、彼女の未来に向かってきびすを返したのだった。
ヴェルター・エアハルト・ベルトマン少将は、担当する輸送船への捕虜移動が滞りなく完了し、ようやく一息ついたところだった。明日の出発を控え、残りの作業は部下にまかせ、休憩と食事をかねてウーデット大佐をともない高級士官用レストランを尋ねたのは標準時で20時をすぎていた。
そこで彼らはまさかの面子と遭遇した。
「よう、ベルトマン少将、こっちに来ないか?」
遠慮のない声で彼らを呼んだのは、荒々しいオレンジ色の頭髪と身体の骨肉もたくましいフリッツ・ヨーゼフ・ビッテンフェルト中将だった。
「なぜ我々は呼ばれたのだ?」
敬礼しながら内心で首を傾げていたら、ビッテンフェルトの真向かいの席に座って2人に背を向けていたもう一人の帝国軍人が振り向いた。
「少将、ごくろうさまです」
感じのよい声と砂色の頭髪の青年士官はナイトハルト・ミュラー提督だった。驚いたことに、その隣のテーブルには芸術提督ことメックリンガー中将がルッツ提督と食事をしている。
(凄い日にきてしまったものだな……)
ローエングラム陣営に属する一線級の艦隊司令官たちがこうも一堂に会するとは、興奮を覚えると同時に若干気が引かないわけではない。キルヒアイス麾下の艦隊指揮官としてルッツ提督とはそれなりに顔を合わせているとはいえ、あとは例の件で親交を深めつつあるミュラー提督以外は見知った程度でしかない。
ある意味、この面子の中に加わるというのはベルトマンの目標の一つではあるのだが……
なるほど。そう考えるとこれは良い機会なのかもしれない。これだけの司令官連中と同席できるなど滅多にあることではない。逆に楽しんでみるのも一興だろう。
そう建設的に考えたベルトマンは、ビッテンフェルトの誘いに応じることにした。ウーデット大佐が表面的にもわかりづらい緊張感をにじませていたが、建設的な意見を耳打ちすると覚悟を決めたようだった。
「それでは、恐縮ではありますがお言葉に甘えさせていただきます」
「おう、遠慮することはないぞ。なにせ貴官は我らの同志だからな」
「???」
ビッテンフェルトに勧められるがままに同席したベルトマンは、面子を見渡して猛将の言葉の意味を理解した。
「ミスマル包囲網というわけか……」
口に出してはこういった。
「小官のようないち部隊指揮官にビッテンフェルト提督から同志と扱われるなど、まこと恐縮の極みです」
「ああ、アムリッツァの魔女を叩きのめす同志というわけだ」
やっぱりな、とベルトマンは思う。ロイエンタール提督が欠けているので完璧とは言えないが、これはたぶん最強の「同志」ではないだろうか?
とはいうものの、いささかベルトマンが不利ではある。
「もし再度、かの魔女と相対する可能性があるとすればビッテンフェルト提督やミュラー提督でありましょうから、小官としては先を越されるのではないかと大変危惧しております」
ベルトマンは一個艦隊の司令官ではないからなおさらだ。
「そうだ、その通り! 貴官には才能があるが、まだキルヒアイス提督直属の部隊指揮官でしかない。それに比べれば俺は一個艦隊の司令官だ。ミスマル・ユリカが出てくれば出撃のお声がかかるのは当然俺だろう」
ビッテンフェルトは、 他のライバルたちと自分の失敗を無視し遠慮なく言い切った。ベルトマンに対しても嫌味っぽいことを口にしているのだが、話し方が豪快かつ悪意がないのでいっそ清々しいくらいだった。
しかし、とベルトマンが思うのは、つい最近まで「ミスマル・ユリカ」に絡むフレーズが禁句だった猛将の立ち直り方だ。経過は想像するしかないが、たぶん、失敗したことをいつまでも引きずるような性格でもないので、ミスマル・ユリカに対する闘志を燃え上がらせて立ち直ったのだろう。
「ビッテンフェルト提督には申し訳ありませんが、小官もミスマル・ユリカとの再戦は譲れませんのであしからず」
静かに対抗意思を表明したのはミュラー提督だった。控えめな雰囲気のある若い提督だが、ベルトマンが感じるところその内部は深く熱い。
「そういことなら私も忘れないでほしい」
メックリンガー提督だった。気品ある雰囲気さえ漂う芸術の才能にも優れたボブカットの提督は、食後のワイングラスを片手に「自分こそは」と同僚たちにさりげなく視線を走らせて強調する。
「おいおい、これじゃあ俺はさらに分が悪いじゃないか」
と今更ながらベルトマンは思わないでもない。彼が考えている以上に再戦熱は加速しているようだった。
「卿らはそろってミスマル・ユリカにぞっこんだな。だが騒ぐのは当面先だ」
半分愉快そうに横槍を加えたのはコルネリアス・ルッツ提督だった。白っぽい金髪と青い瞳の30代前半の青年提督だ。ジークフリード・キルヒアイス麾下の艦隊司令官として同僚のワーレン中将と一翼を担っている。堅実な手腕の用兵家であり、また射撃の名手としても知られていた。
ルッツ自身は、アムリッツァにおいて帝国軍右翼部隊を形成し、同盟軍第12艦隊と対峙したため、直接第14艦隊と砲火を交えることはなかったが、ミスマル・ユリカの手腕には素直に賞賛を述べていた。
「卿らの気持ちも分からなくはないが、まずは目の前に迫りつつある有事に集中するのが先決ではないか?」
まったくその通りなのだが、彼女に苦汁をなめさせられた提督たちが一堂に会している時点で避けられない話題ではある。
「残念だがそういうことだルッツ提督。貴族どもを肴にするよりはよほど旨みがある」
ビッテンフェルトは主張し、ベルトマンに視線を向けた。
「貴官が羨ましいぞ、ベルトマン少将。捕虜交換式でミスマル・ユリカと顔をあわせることができるのだからな」
心底残念そうビッテンフェルトは拳を振り上げた。
「どうせなら俺も同行したいところだが、貴族どもの抑えも必要だからな」
さすがにラインハルトは人選を誤まらなかった──キルヒアイス提督が代表なので選ばれるはずもないが、穏かで平和的に終わるべき交換式が戦場になりかねない。
間違って選ばれたとしたら、まさか女性にとびかかるとも思えないが、交渉の場にビッテンフェルトが相応しくないのは全員の一致をみるところだった。
「いずれにせよ、謎だらけの相手を知る絶好のチャンスというわけだ」
わくわくしているようにも見えるビッテンフェルトに続いたのはミュラーだった。
「敵を知り、己を知れば百戦危うからずとも言います。それに今回の捕虜交換式は軍部内でも別の意味で注目が集まっていることですし」
もちろん、ミスマル・ユリカがいかなる人物であるか知ることだ。
「ヤン・ウェンリーについては高等弁務官事務所を通じてそこそこの情報が伝わっていますが、ミスマル・ユリカに関しては20代の女性としかわかっていませんからね」
「同盟では
それは発言者のメックリンガーを含め、その場の全員──軍部内で大半の関心ごとだった。兵士たちの間では美人かそうでないか賭け事まで行われているらしい。
「ロイエンタール提督は気にしているご様子でしたが?」
「あいつは最初から美人ということで決め付けているのではないか?」
ミュラーは慌てた。
「ビッテンフェルト提督、声が大きいですよ」
「かまわん。ビッテンフェルト家の家訓だ。人を褒めるときは大きな声で、悪口を言うときはより大きな声でというんだ!」
若干、話が脱線したところでウエイターが状況を見計らって料理を運んできてくれた。ベルトマンもウーデットもこのまま「食事ができずに終わるのではないか」と懸念していたので内心でほっと胸を撫で下ろしていた。
食事中もビッテンフェルトは──うるさかった。
「たしか調印式の後はパーティーが開かれると聞いたが事実か? ベルトマン少将」
「はい、そうですが……」
大げさな内容ではなく、双方の人道と軍規に基づいて捕虜交換が無事に行われる(であろう)ことを讃え、ささやかに祝杯をあげる予定らしい。
ただし、長居はしないだろう。
ビッテンフェルトはベルトマンの肩を叩いた。目がちょっと怖い。
「わかっているな、ベルトマン少将」
「はっ?」
どうやら、是が非でも話をして来いということらしい。簡単に言ってくれるが、そんな時間やタイミングが訪れるかどうかはベルトマンにも確約できない。
「努力します」
とだけ答えておいた。が、キルヒアイス提督の幕僚として同行が決まった時点で彼も考えていたことなのだ。用兵家としての興味もさることながら一番の関心ごとは彼女の存在する謎である。
もし話すような機会があれば尋ねてみたいものだ。
最終的に、ベルトマンはビッテンフェルトだけでなくミュラーやメックリンガー、どさくさに紛れたルッツにも頼み込まれてしまった。もちろん「報告を要望する」とも熱心に付け加えられて。
「なぜ自分が?」
という戸惑いはベルトマンにあったものの、今日、この場に居合わせた運命だなと承知していた。
まさか「
結局、食事が終わった後もしばらくの間はミスマル・ユリカの話題は続いたのだった。
惑星オーディンに近い軍事衛星付近に集結した200隻以上の輸送船と、それを護衛するバルバロッサ以下20隻の戦艦はいよいよ出発しようとしていた。
バルバロッサの艦橋にはキルヒアイスの幕僚たちも集合し、メインスクリーンに映る船団からの報告を待っていた。ベルトマンもじっとスクリーンの向こうを見つめている。もうあと数十秒後で出発することになるだろう。そして11日後にはイゼルローン要塞を「訪問」するのだ。
ベルトマンが苦汁を飲んだイゼルローン要塞の失陥から10ヶ月が経っていた。目的は違うが訪問する意味はある。ヤン・ウェンリーとミスマル・ユリカをこの目で確かめることができるのだ。
「閣下、輸送船団統括士官から出発準備よしの通信がありました」
通信オペレーターの報告を受け、ジークフリード・キルヒアイスは穏かに言った。