機動戦艦ナデシコ×銀河英雄伝説
第十一章(後編・其の二)
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ミッターマイヤー提督とロイエンタール提督がファーレンハイト提督と熱戦を交わしてる頃……
エルネスト・メックリンガー提督率いる帝国軍艦隊は、揚陸艦に攻撃を加えたシュターデン艦隊を追って要塞から徐々に遠ざかっていた。
「本当にあのシュターデン提督が指揮をしているのか?」
指揮シートに座るメックリンガー提督の指は上下に肘掛を叩いていた。彼がやや苛立っているのは敵艦隊が常に距離をとって一向に攻撃を仕掛けてこず、艦隊を後退させると追いすがって嫌がらせの攻撃を加えてくるということを繰り返しているからだった。
「芸術提督」と称されるメックリンガーも優秀な艦隊指揮官として要塞から離されていく状況に先刻まで不安を抱いていた。その不安はファーレンハイト艦隊が反対方向に現れたことで的中したが、それ以上事態が進行しなかったこともあり杞憂は消えつつあった。自分を要塞周辺から切り離しファーレンハイトの強襲を成功させたものの、ラインハルトの麾下の提督たちの中でも特に名高い二人には通用しなかったのだ。
今やファーレンハイトは守勢に立たされて後退しつつある。敗北か撤退も時間の問題と思われた。一見、何か策をめぐらせているようで実は何もなかったのではないか? おそらくシュターデン艦隊も一矢を報いるために囮を演じたのだろう。
しかし、それまでのこう着状態が一変した。
後退を続けていたシュターデン艦隊が停止し、ついにまとまって砲撃を仕掛けてきたのだ。
「どうやら手ぶらでは帰れないらしいな……」
メックリンガーはボブカットの黒髪を揺らして指揮シートから立ち上がった。
「全艦、砲撃戦用意。艦隊速度をレベル7に上げよ!」
退屈なこう着状態を振り払うように一糸乱れぬ隊列を整えて艦隊が突進する。
シュターデンの乗艦アウグスブルグの位置はすでに割り出してある。メックリンガーは旗艦めがけて砲火を集中し短時間で敵を撃破しようと考えていた。
しかし、あと少しで主砲の射程距離という直前、メックリンガー艦隊の中央に火柱が上がった。
「なっ! どういうことだ?」
続けて
「一体、どんな攻撃だ!?」
オペレーターの返答もかなり困惑していた。
「わかりません。天頂方向と天底方向からの攻撃というだけで詳細不明です!」
つまり挟撃されたということだがセンサーにも反応がなく、艦影すら捉えられていない。
(得体のしれない攻撃だというのか?)
メックリンガーに考察の機会は与えられなかった。シュターデン艦隊が猛然と艦列を並べて襲い掛かってきたのだ。
「本気か?」
メックリンガーが驚くのも無理がない。「理屈倒れのシュターデン」として実戦では理屈ばかりが先行し、肝心な戦局で指揮が機能せず、小心で受身のような戦術しかとれないはずなのにこの大胆な攻撃はなんだ!?
さらにシュターデン艦隊の行動はメックリンガーの意表を突いた。麾下の前衛部隊は大きな損害を受けたが、敵の艦隊は後退する帝国軍艦隊の脇を一直線に通過してしまったのだ。
「これが狙いだったのか!?」
シュターデン艦隊の突き進む先にはミッターマイヤーとロイエンタール艦隊の後背だった。その後背には揚陸の撤退を支援するドロイゼン分艦隊が待機していたが、艦隊の数が圧倒的に少なかった。
「前進して砲撃せよ! ミッターマイヤー提督の艦隊にもロイエンタール提督の艦隊にもビームの一発も当てさせぬぞ!」
ドロイゼンは、勇敢な上官の影響を強く受けているのか怯むことなくシュターデン艦隊の進撃ルート上に立ちはだかった。艦隊をあえて前進させたのは激しい戦闘が始まってしまったため揚陸艦の収容が完全に終わらず、周辺宙域に多数が待機していたからだ。数の不利を承知でドロイゼンは艦隊を前進させざるを得なかった。
「撃って撃って撃ちまくれ! 敵は少数だ。一気に蹴散らして疾風ウォルフに目にもの見せてくれようぞ!」
シュターデンは指揮シートから立ち上がり、傍らの参謀が驚くほど激しく腕を振り上げて突撃命令を下した。
参謀タイプのシャープな印象のシュターデンだが、この時の気迫は「猛将」と言っても過言ではないだろう。彼自身の「進退」がかかっているとあっては必死になるのも当然だ。
しかし、エーベンシュタインの支援に助けられたとはいえ、シュターデンはメックリンガー艦隊を要塞から引き離し、やや艦列を乱しつつもドロイゼン艦隊に怒涛のような攻撃を加えているのだ。
エーベンシュタインの整えた戦略の土俵に乗ったシュターデンは戦理論ではなく、追い込まれたことによってそれまであまり引き出されることのなかった実戦能力を集約し、彼も知らないうちに初めて「指揮官」としてまともな才を発揮していたのである。
一方のドロイゼンは、無理に撃ち合うようなマネはせず、艦隊を球形陣に編成し徹底的に防戦にまわった。
むろん、メックリンガー艦隊が再編を終えて反転してくるのを待っていたのだ。
それでも4分の1の戦力では死兵と化している敵艦隊を抑えることは無理があった。単純明快な集中砲火によって1隻、また1隻と数を減らし、ついにシュターデン艦隊の前衛部隊に中央を突破されてしまう
「そのまま疾風ウォルフの艦隊に突撃せよ!」
シュターデン艦隊の放った中性子ビームは、たしかにこの瞬間、ミッターマイヤー艦隊の後衛に突き刺さり、無数の光芒の花を常闇の戦場に描いたのである。アルテナ星域会戦の屈辱的(半分は自業自得だったが)な敗北を逆に再現して一矢を報いたことは理論家提督の傷ついた自尊心をいくらか癒したことだろう。
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その破壊の光条はミッターマイヤー艦隊の後背を攻撃するシュターデン艦隊の右側面を貫き、瞬く間に周囲の宙域を熱波で覆い尽くした。
旗艦ヨーツンハイムの指揮シートの前に仁王立ちになり、力強い声とともに太い右腕を振り下ろしたのはカール・グスタフ・ケンプ中将だった。古風な風貌に堂々たる体躯。撃墜王から艦隊司令官に昇りつめた男は絶妙なタイミングで横槍を加え、シュターデン艦隊の突進を阻むことに成功した。
「シュターデンのヤツも粘ったがここまでだ。敢闘祝いに今度こそ
ケンプは不敵に言い放つと艦隊の砲撃を長距離砲から短距離砲に切り替えさせ、近接戦闘に移行した。
このケンプ提督の参戦によって中央を突破されたドロイゼン部隊は息を吹き返し、残存兵力の再編に成功する。彼は有能な戦術家らしくシュターデン艦隊の退路を断つように艦隊を動かし、その後衛に火を付けた。
「戦艦ブルメントハル撃沈!」
「戦艦シュトルベルグ大破! 応答ありません!」
「戦艦ノイツベルグ撃沈、アイヒマン提督戦死!」
シュターデンは、次々に飛び込む凶報に胃痛を再発させつつも、エーベンシュタインが事前に作成した「戦況推移データー」を睨みながら必要な指示をした。
「艦隊を密集させて隊列を乱すな! もう少し耐えるのだ」
直後にオペレーターが悲鳴を上げた。
「後方から敵艦隊っ! 数およそ12000!」
それはシュターデンに勝ち逃げされ、艦隊の再編を行っていたメックリンガー艦隊だった。「芸術提督」は指揮フロアに直立したまま無言で右腕を振り下ろす。一斉に放たれた中性子ビームの波濤はシュターデン艦隊の後衛部隊を文字通り「壊滅」に追い込んでしまった。
「くっ! まだか、エーベンシュタインはまだなのか。このままでは全滅だ」
ほとんど同時刻ファーレンハイトも焦り始めていた。
「我が艦隊の10時方向に敵艦隊です! 数13000!」
ケンプ艦隊に続きケスラー提督の艦隊だった。ラインハルトはロイエンタールやミッターマイヤーを信頼し、参戦することは控えていたがシュターデン艦隊がミッターマイヤー艦隊に攻撃を加える事態に至り、臨戦態勢を整えさせていた麾下の提督たちに出撃命令を下していたのだった。
「これはきついな……俺もシュターデンのように胃痛になるかもしれんぞ」
ファーレンハイトの呟きを耳にした周囲の部下たちは危機に陥りながらも冗談を言える上官の剛胆さに感心したものだが、もちろん彼は本気で呻いたのだった。
三個艦隊から10万本近いビームが一斉に宇宙空間を疾走し、かろうじて戦線を保っていたファーレンハイト艦隊に豪雨となって降り注いだ。戦艦を並べて攻撃に耐えていたが、数十本の中性子ビームとレールキャノンを撃ちこまれてはなす術がなかった。強固な防壁を築いていた戦艦部隊が次々と火球に呑み込まれ、防衛線を徐々に崩壊へと誘った。
「本気でやばいぞ……」
ファーレンハイトは、旗艦が衝撃で揺さぶられる中、戦術データーを一瞥した。この状況──敵艦隊が要塞周辺に集結してる今こそエーベンシュタインが最も望んだ形であるはずだ。
「今が絶好の機会とやらのはず。やるなら早くしろ!」
ファーレンハイトの寛容も限界に達しエーベンシュタインを非難した直後、ついにそれは起こった。ケスラー、ケンプ、ミッターマイヤー艦隊の各所から突然火柱が上がり、爆撃の龍となって一気に艦隊を縦に蹂躙したのだ。
「一体何事だ! なにが起こっている!?」
三提督が完全に状況を把握するより早くファーレンハイト艦隊の左翼方向から大挙して小型艦艇が押し寄せ、体勢を立て直そうとするケスラー艦隊に猛然と襲い掛かった。ワルキューレが至近でレーザービームを艦艇に浴びせ、超高速で駆け抜ける雷撃艇のレールガンが容赦なく装甲をズタズタに切り裂いていった。
ファーレンハイトから見れば、その鮮やかな近接戦闘術はまるでメルカッツが指揮しているかのようだった。
「醜態をさらすな! 後方に下がりつつ順次短距離砲に切り替えろ。こちらもワルキューレを出すのだ」
ケスラーは、初期の混乱を収拾するために次々と指示を繰り出していったが「後方に退く」ことは不安視していた。
なぜなら、混乱のきっかけとなった「謎の攻撃」を受ける可能性があり、あまり後退しすぎると今度はミッターマイヤー艦隊に被害が及ぶことになるからだ。
ケスラーが取った措置は、味方の側面を守りながら艦隊を7時方向に後退させることだった。戦線を左方向に持っていくことで防御とミッターマイヤー艦隊との連係を図ろうとした──
──のだが、ファーレンハイト艦隊の再反撃に対してロイエンタールとミッターマイヤーは旗艦を中心として明らかに要塞周辺から離脱するそぶりを見せていた。
ミッターマイヤーが通信妨害の激しいさなか、直接警告を発することができたのは同じような危機感を抱いているロイエンタールを除き隣接するケンプ艦隊とケスラー艦隊だけだった。シュターデン艦隊を挟んだ宙域に在るドロイゼン分艦隊とメックリンガー艦隊には通信が届かない。彼らは自らが行動することで味方に離脱を促そうとした。
しかし、ケンプ艦隊は後方を味方に、前方は敵艦隊と交戦中という状態で容易に行動することができないでいた。しかも計ったように突如としてシュターデン艦隊が艦隊を密集させて無謀といえる突撃を敢行してきた。
これは要塞を経由してシュターデンのもとに届いた一通の暗号電文がきっかけである。彼は電文に目を通すと厳しい表情になってわなわなと震えながらそれを握りつぶし、直後に突撃を命じたのだった。
当然ケンプは応戦せざるを得なくなる。ドロイゼンとメックリンガーはシュターデン艦隊の息の根を止めようとさらに艦隊を前進させる。
シュターデンの突撃は「離脱」もしくは「後退」を促すという二提督の意図をくじき、要塞周辺に艦隊を留めるという大役を果たすことになった。
シュターデンは激戦のさなか、至近距離から直撃弾を多数乗艦に喰らって消滅した。「理屈倒れのシュターデン」としてラインハルトはおろかミッターマイヤーにも歯牙にもかけられなかった男は理論から離れることによって皮肉にも勇戦し、幾人かの提督たちの記憶に留められることとなった。
シュターデン戦死の一報を受けたエーベンシュタインは無言でただうな頷いただけである。彼が黄玉色の瞳に捉えていたのは、司令官を失って無秩序な混乱に陥ったシュターデン艦隊の残存兵力のため、その宙域に釘付けになった敵艦隊だった。
「このタイミングだな」
だが、それを実行する前にエーベンシュタインが最も警戒していた事態が最悪のタイミングで訪れる。彼の艦隊は帝国軍から見て2時〜3時方向に展開して半包囲陣を敷き、ミッターマイヤーらの離脱を阻止していたのだが、再編途上にあるビッテンフェルト艦隊を除き、ラインハルトとミュラーの艦隊が同時に彼の艦隊にビームの嵐を叩きつけてきたのだ。
「さすがローエングラム候といったところだな……」
エーベンシュタインは、もう少し敵艦隊を要塞方面に押しこもうと意図していたが、どうも悠長なことも言ってられないようだった。
エーべンシュタインは、指揮シートに座ったまま、あるシステムを通して要塞に向けて暗号コードを送信した。
オペレータの驚くべき報告に帝国軍将兵たちは茫然とした。いったいどうして要塞がこちらを狙っているのか!?
直後、要塞砲塔群が一斉に青い白いレーザーを吐き出し、密集した帝国軍艦隊の左側面を強襲した。
完全に意表を突かれ、シュターデンを戦死させた勢いはどこかに消え去ってしまっていた。艦隊が混乱の渦中に陥ってしまう。
ミッターマイヤーのもとに、激しい妨害をかいくぐって凶報が届く。バイエルライン少将とともに未来の帝国軍を担うはずの若い幕僚の早すぎる死であった。予断を許さない戦況のさなか「疾風ウォルフ」の唇が震え、血がにじむほど拳を握り締めて有能な弟子の死を悼んだ。
「……仇は必ず取る!」
そのまま感情に任せた命令を出さないところがウォルフガング・ミッターマイヤーという軍人の優れた資質の一面だろう。彼は艦隊を立て直すために将兵たちを叱咤激励し、エーベンシュタインが驚くほど早く一時の混乱を収拾していった。
「敵の艦隊はどうしている?」
ミッターマイヤーはオペレータに問うが、その返答は意外だった。
「敵艦隊、急速に後退していきます!」
オペレータの声には安堵感が含まれていたが、ミッターマイヤーは敵の行動が不審に映った。本来ならば全面攻勢に移っていいはず。なのになぜ後退する? ローエングラム候とミュラーの艦隊に攻撃を受けているからか?
ミッターマイヤーは、多くの将兵を抱える艦隊司令官として「勘」などという不確かな心の働きだけで状況を判断することはなかったが、この時ばかりは背筋が凍るような第6感に突き動かされた。
直後、一部を除いて通信が回復し、ラインハルトからも撤退命令が出ていることをミッターマイヤーは知った。
(候も感じたのだろうな……)
感心している場合ではなかった。ミッターマイヤーは要塞から全力で遠ざかるよう、繰り返し全艦隊に伝達した。
(間に合うのか……)
艦隊は無秩序に離れているわけではなかった。ケスラーは10時方向、ミッターマイヤーとロイエンタールは急速離脱する敵艦隊を追うように、ケンプ艦隊は4時方向、メックリンガー艦隊はドロイゼン艦隊の残存兵力を吸収し7時方向に全力で離脱を計っていた。
オペレターが蒼白な顔で絶叫した。
ミッターマイヤーが目撃したのは、レンテンベルグ要塞を網の目のように走った真っ赤な亀裂だった。それが巨大な火柱を噴き上げて拡大し、強烈な空間振動とともに大爆発を起こした。
巨大すぎる灼熱の爆炎が、全力離脱の間に合わなかった艦艇を次々に呑み込んでいった。その光景は悠久の世界に現れた火竜が咆哮しているようでもあった。
それでも深刻な被害にならなかったのは、危機を察知したミッターマイヤーたちの行動が早かったこと、ラインハルトとミュラーの攻撃によって必勝の策が不完全になってしまったエーベンシュタインの
『ミッターマイヤー、無事か?』
振動が艦隊を揺らす中、親友の顔が「
「ああ、身体的には無事だ……」
ロイエンタールは二瞬だけその言葉の意味が理解できなかったが、すぐに思い至った。
『そうだなミッターマイヤー、俺も卿と同じ心境だ』
ミッターマイヤーは無言で頷いただけでメインスクリーンにグレーの瞳を向けた。その先はつい10数分前まで巨大な要塞が存在していた宙域だった。今、目に映るのは無数に漂う金属の残骸と小惑星の破片だけである。
おそらく、この場に残る誰もが戦慄する結末に立ち尽くしているにちがいない。戦場に在るのは帝国軍だが、誰も勝利したなどとは思わないだろう。
ミッターマイヤーは「なぜこうなったのか?」と嘆くよりも、貴族連合軍がこれほどの勇戦と事前準備をしていたことに大きな衝撃を受けていた。
(ここまで成しえるヤツが貴族どもの中に存在するというのか?)
その答えはまだわからない。
ミッターマイヤーが次に視線を移したのは純白の総旗艦ブリュンヒルトだった。艦隊は指定された宙域に集結を急いでいる。彼は弁明を含め、あの白い戦艦を訪れることになるだろう。処罰されることなど彼は恐れていなかった。問題は今後の戦略変更だ。
ラインハルト・フォン・ローエングラム──黄金の獅子に
ヘルマン・フォン・エーベンシュタインは、指揮シートに優雅に腰掛けたまま宇宙を彩る星々の輝きを楽しんでいた。純粋に常闇の世界を堪能しているのだが、64歳とは思えない若々しさと品格のよさが初の勝利と相まって将兵たちにはカリスマ的にさえ映るのである。
「閣下、コーヒーをお持ちいたしましょうか?」
静かに声を掛けたのはエーベンシュタインの副官であるノルベルト・イェーガー大佐だった。やや癖のある真ん中分けしたこげ茶色の頭髪と同色の細い目が特徴的な30代後半の男である。
「そうだな、一杯もらおう」
イェーガー大佐の後方に控えていた給仕の少年兵が一礼し、すぐに艦橋から退出した。
少年が去った後、大佐は上官に言った。
「お疲れではありませんか?」
エーベンシュタインは露骨に眉を歪めたが、それには悪意も威圧も感じられなかった。
「貴官は私の事をよく知っていると思ったが、まだまだ測りきれていないようだな」
「閣下を測りきれるならば小官はとっくに立場が逆だったはずです」
「ふむ、なるほどそう言う事か、これは一本取られたな」
エーベンシュタインは短く笑ったが、副官の表情はやや硬いままだった。
「ローエングラム候、簡単には勝たせていただけませんでしたね」
エーベンシュタインはあごに手を当てて思考するような顔をした。
「そうだな。私はもう少し勝てると思ったが、実際に戦ってみないことにはわからない部分も多かった」
「とおっしゃいますと?」
「ふむ。私はある程度ローエングラム候陣営について事前学習したつもりだったが、麾下の提督たちの能力もそうだが、ローエングラム候はやはり天才だろうよ」
勘というよりもラインハルトはエーベンシュタインが構築した不規則な作戦の全容を、自身の戦術的視点から最終戦略視点に到達する過程で読み解き、一挙に残りの艦隊を投入してきたのだろう。だからこそ最悪の結果だけは回避できたのだ。
エーベンシュタインは軽く咳払いした。
「ローエングラム候だけではない。疾風ウォルフと金銀妖瞳の二提督もかなり厄介だな」
そもそも、前線にあった二人の提督のほうが危機を察知するのが早かったようにエーベンシュタインには思えるのである。確信はなかったかもしれないが、それでもたいした「勘」ではある。
ちょうどそのとき少年兵がコーヒーを運んできた。エーベンシュタインはコーヒーカップを受け取るとそれを軽く掲げてお礼を言った。少年の緊張感が解け、彼は深々と一礼して艦橋を後にした。
エーベンシュタインはコーヒーの香りを楽しんでから一口飲み、味に納得したように頷いてから副官に言った。
「……それに私は10数年ぶりに艦隊の指揮を執ったのだ。もう少し賞賛してくれてもいいと思うがどうだ?」
「閣下が本気でそう思っておられるなら今から祝勝会でも開きましょうか?」
ふん、とだけ言ってエーベンシュタインは再びコーヒーに口をつけた。
もともとラインハルトが参戦してくる可能性は考慮に入れていたが、あのタイミングと攻撃ポイントの正確さは彼が天才という評価に恥じないものだった。撤退の機会を作るため、レンテンベルグにもしもの時の仕込みをしておいて正解だったのだ。
(とはいえ……)
エーベンシュタインがレンテンベルグ攻防戦に勝った負けたの判定をするならば「引き分け」となるだろう。反撃の
損害は総合すれば帝国軍のほうが多かったかもしれないが、貴族連合軍にとっての「勝利」は必ずしも明日を切り開くとは限らない。シュターデンの死ひとつとってもそうだ。
──いや、あれは自分が
「まず一人……」
その独語は副官にも届かないほどかすかだった。
レンテンベルグ要塞攻防戦は貴族連合軍側の「辛勝」によって幕を閉じた。
ラインハルト率いる帝国軍討伐部隊はアルテナ星域会戦の勝利から一転して敗北に立場を移し、橋頭堡とするはずだったレンテンベルグ要塞も失って戦略構想を見直せざるを得なくなった。
──第12章に続く──