「これはまずいぞ……」
ミッターマイヤーもロイエンタールも胸騒ぎを感じていたので、味方が要塞周辺に集まることを危険視していた。
普段はあまり声を荒げることのないミッターマイヤーがオペレーターに怒鳴った。
オペレーターは懸命に連絡を取ったが、応答があったのは同じ危機感を抱いているロイエンタール提督以外では隣接するケンプ艦隊だけだった。
「他は妨害が激しくて通信不能です!」
「ちぃっ!」
ミッターマイヤーは激しく舌打ちしてメインスクリーンをグレーの瞳で睨んだ。彼の胸騒ぎが正しければ、それはもういつ起こっても不思議ではない。
「よし、旗艦を要塞周辺から離脱させろ」
やや危険を伴うが、旗艦が動けば周辺部隊を引き連れ、連絡の取れない味方に後退を促すことができるかもしれないのだ。
しかし……
「くっ!」
ミッターマイヤーは苦悶した。挟撃されていたシュターデン艦隊が再び陣形を整えてケンプ艦隊に突撃を敢行したのだ。ほぼ正面から撃ち合っていたケンプは戦場からの離脱を中止して応戦をはじめ、敵艦隊の後背を攻撃しているドロイゼンとメックリンガーの艦隊が突撃する敵を追うようにさらに要塞近くに前進してきてしまったのだ。
たちまちレンテンベルグ要塞周辺は光芒の坩堝と化した。殲滅されるのも時間の問題と思われた敵艦隊が再度突撃してくるとは予想していなかったのか、激しい砲火の応酬が要塞周辺を灼熱色に染め上げていった。
「戦艦アウグスブルグの撃沈を確認しました!」
オペレーターの弾んだ報告はミッターマイヤーを逆に戦慄させた。
司令官が喜ぶとばかり思っていたオペレーターは、その厳しい反応に身体を震わせて硬直してしまった。
ミッターマイヤーの懸念は当たった。狭い宙域に艦隊がひしめいていたために、旗艦を失った敵の残存兵力が無秩序に抵抗し、周辺宙域を混乱させてしまったのだ。艦隊の陣形が乱れ、これでは離脱どころではない。
「こうなったら……」
ミッターマイヤーは連絡の取れている味方と自分の艦隊の離脱を優先しようとしたが、ついに恐れていた事態が目の前で起こってしまったのだった。
機動戦艦ナデシコ×銀河英雄伝説
T
──宇宙暦797年、帝国暦488年4月25日──
レンテンベルグ要塞を巡る攻防劇は双方の通信回線を席巻する砲撃命令によって幕を開けた。
中性子ビームの光弾が絶対零度の虚空を切り裂き、それぞれの陣地に猛烈な勢いで突き刺さった。連続するエネルギーの応射はやがて防御スクリーンを突き破り、常闇の世界を白熱に変えて艦橋のメインスクリーンを覆い尽くした。
帝国軍の指揮を執るのはウォルフガング・ミッターマイヤー提督とオスカー・フォン・ロイエンタール提督。そしてファーレンハイトの抑えとしてメックリンガー提督が充てられていた。駐留艦隊とシュターデンの残存兵力だけならば後の「双璧」で事足りたであろうが、ラインハルトもその能力を認めるファーレンハイトという勇将を侮ることはできない。彼をメックリンガー艦隊によって牽制し、その間に駐留艦隊を蹴散らすなり要塞内に退却させるなりさせ、レンテンベルグ要塞に揚陸艦を上陸させて中枢を攻略するのが基本戦術である。
レンテンベルグ要塞を拠点として使用するためには要塞を破壊せず攻略することである。ラインハルトがオーディンで軍務省を接収したときにレンテンベルグの機密文書も手に落ち、その図面によって曝け出された弱点──要塞中心部に最短で至る第6通路を制し、核融合炉を奪取するのだ。
貴族連合軍は要塞正面に陣取って艦隊戦を挑んできた。右翼シュターデン艦隊、中央に要塞駐留艦隊、左翼がファーレンハイト艦隊だった。貴族連合軍側から見て左翼がレンテンベルグ要塞の火力の死角になりやすいため、勇将として名高いファーレンハイトを配置するのは定石といえる。
「ファーレンハイトを抑えれば要塞攻略の70パーセントは完了する」
という認識はラインハルトや実際に攻略部隊の指揮を執るミッターマイヤー、ロイエンタールともに同じだった。
まずロイエンタールとメックリンガーの艦隊が戦艦を主力とする強力な横隊陣で交戦し、ミッターマイヤー艦隊が左翼方面から時間差を設けて襲い掛かった。
集中砲火を浴び、シュターデン艦隊は連鎖する火球の中に放り込まれて数を減らしていく。ミッターマイヤーはすかさず突撃をかけて要塞に肉薄し、味方を巻き込むことを恐れた要塞砲手たちが砲撃のタイミングを失った間に強襲揚陸艦が巨砲群の死角にもぐりこんだ。
「意外に早く成功したな」
と言ったのは親友の旗艦「
しかし、ミッターマイヤーの意見は少し違った。
「もしファーレンハイトがいなければもっと犠牲も少なく、もっと早く揚陸が成功していたにちがいない。メックリンガーが中心になって卿の艦隊と2倍以上の兵力で攻撃を受ければ彼も苦労して当たりまえさ」
「なるほど、たしかに卿の言うとおりだな」
いくらファーレンハイトが戦術に巧みであろうとも、シュターデンのように実力を伴わない指揮官が含まれていれば連係や統制を欠いて足を引っ張られるだけだろう。実際、シュターデンの艦隊はミッターマイヤーの攻勢に耐えられず早々に陣形を崩して左翼方面に後退するが味方まで圧迫するありさまだった。
加えて中央に陣取る駐留艦隊の指揮官は、事前の情報によればカルステン少将という
シュターデンよりは「マシ」ながら帝国軍艦隊に押されるようにファーレンハイトの陣地を侵略し、1時方向に後退しつつあった。
すかさず帝国軍艦隊は半包囲する形で貴族連合軍に攻撃を加えるが、ファーレンハイトの艦隊がすばやく反応し、突出するように追撃する帝国軍の先頭集団に集中砲火を浴びせて味方の後退を援護した。その行動タイミングと砲撃ポイントの的確さはミッターマイヤーたちを唸らせるには十分だった。
「ファーレンハイトも貧乏クジを引いたものだな。ローエングラム候の下に馳せ参じていれば華々しく活躍できただろうに」
その分だけ発言者たる「疾風ウォルフ」の出番が減ることになるのだが、活力のあるグレーの瞳に宿る光彩は生真面目そのものだった。
対する「
「同意はするが、ファーレンハイトにはファーレンハイトの事情があったのだろう。これほどの男が情勢を読み間違えたとはとても思えん。何か理由があるだろうが、俺としてはメルカッツもそうだが敵に戦い甲斐のあるヤツがいてくれて嬉しいものだがな」
ミッターマイヤーは親友の意見に相槌を打ったが、同時に肩をすくめてみせた。
「どうにも救われない
その直後、上陸作戦の準備が整ったことが副官よりもたらされた。
「さてロイエンタール、こっちの方がよほど大変かもしれんぞ」
「そうだな、第6通路を守るのはヤツだからな……もし卿が一対一でヤツと出遭ったらどうする?」
「すっとんで逃げるね」
「同感だ。ヤツは人を殴り殺すために生まれてきたような男だからな。まともに相手にすべきではない」
ミッターマイヤーの活力のある表情が沈んだ。それほどの敵を相手にしなければならないのであった。
ロイエンタールは陸上部隊指揮官に突入開始の命令を伝えると、親友とともに索敵データーに視線を投じた。貴族連合軍はファーレンハイトのたくみな援護によって窮地を脱し、メックリンガー艦隊に追撃されると交戦せずに急速に後退し、隊列をやや乱しながらついに索敵センサーの範囲からも消えてしまった。
「どう思うミッターマイヤー?」
「そうだな。このままあきらめてほしいが再び攻撃してくる可能性は高いとみるべきだろう」
「同感だ。ここはやはり周辺を警戒させるべきだろうな」
「ああ、最初からムダに撤退させるなら戦いはしないだろうよ。もっとも貴族連中はそういうムダな行動には定評があるがな」
「そうだな。ファーレンハイトも戦いにくかろう……」
ミッターマイヤーはメックリンガーを呼び出して周辺宙域を警戒するよう指示し、自らは親友とともに第6通路攻略指揮に専念することにした。
艦隊が撤退したとなれば要塞の攻略は時間の問題だろう。それでも二人の表情に緊張の色が隠せないのは、装甲
◆◆◆
ファーレンハイト艦隊から一斉に中性子ビームの光条が放たれ、味方を追撃しようと突出する敵艦隊に炸裂した。彼は味方の退路を確保するとともに、敵の進撃速度が集中砲火によって鈍ると艦隊を前進させて敵を押し戻そうとした。
ファーレンハイトは戦術スクリーンを注視しながらオペレーターに問うた。
「味方は退いたか?」
「はい。7時方向に後退しつつあります」
「よし、こちらもタイミングを計って一旦退くぞ。油断するな」
第一段階は成功しつつある。シュターデンは先の敗北がよほど堪えたのかエーベンシュタインの作戦に従っている。もっとも「負けるフリ」ではなく本気で負けていたという事実には苦笑せざるを得ない。逆にそのリアリティーが敵を要塞に引き寄せる絶好の演出となったこともまた事実である。
ふと、ファーレンハイトの水色の瞳がサブスクリーンに映るエーベンシュタインの乗艦<ダーインスレイヴ>を捉えた。ヴィルヘルミナ級戦艦に改良を加えたものらしいが、外観で目を引くといえば同盟軍艦艇のようなアンテナフィンが胴体中央部上方と下方部にそれぞれ6本ずつ扇状に配置されていること、そのアンテナを守るように盾のような装甲が艦体側面に設けられていることだろう。
今のところエーベンシュタインの艦隊指揮は可もなく不可もなくといった具合だった。ファーレンハイトが分析した限りでは10数年ぶりの会戦ながら現役のシュターデンよりはるかにまともだとと評価できる。駐留艦隊を元の司令官から引き継ぎ、はたして上手く指揮できるか一抹の不安があったのだが、メルカッツ提督の言うように杞憂に終わった。敵艦隊に押されるように後退するフリはまさに見事としか評価のしようがなかった。
おそらくエーベンシュタインも気負うことはなかったと想像できるが、作戦とはいえシュターデンの本気の負けっぷりには多少なりとも焦りを感じたかもしれない。
ただ、後退することは予定通りではあったものの、一切気の抜けない状況に陥った敵の攻勢はさすがと言わざるを得ない。
ファーレンハイトが不満そうに整えられた眉をそびやかしたのは、敵の指揮官の一人が「疾風ウォルフ」と聞いて再戦がなることを喜んだら実際は間接的な対決になってしまったことだ。
レンテンベルグ要塞の形状と砲塔群の配置、エーベンシュタインの戦略構想から考えれば直接対決にならないことは十分想像できたが……
しかし、三度目の正直は叶いそうだった。帝国軍(ラインハルト軍)は、要塞中枢部を奪取するために多数の揚陸艦を投入しており、ファーレンハイトたちが本当に撤退したのか確信が持てずに要塞周辺に艦隊を配置して警戒を続けるだろう。
あとはどれだけ要塞内部が持ちこたえられるか──いや、敵の関心が装甲擲弾兵総監に向けられ、その間にこちらの準備が整うかだろう。
おそらく、地上戦においてもっとも獰猛な男の姿を思い浮かべるとファーレンハイトも嫌悪感が増した。ただし、その男が第二段階の鍵を握ることになるのだ。
副官ザンデルス大尉の声がした。
「閣下、味方が敵の砲撃範囲から離脱しました」
「よし、このタイミングを逃すな。一斉斉射で敵が怯んだらこちらも後退するぞ」
ファーレンハイトは追撃してくるメックリンガー艦隊を集中砲火で牽制し、相手が誘うように後退を始めると一気に艦隊を反転させて深淵の向こうに消えていった。
V
オフレッサー上級大将は40代後半の巨漢である。たくましい骨格を強靭な筋肉組織が包み、さながら荒れ狂う闘牛のような男だ。左頬の辺りに残る紫色の生々しい傷跡は猛将の証である。至近から敵兵士のレーザー攻撃を受けたのだが、電子治療をせず、己のシンボルとすることで敵に恐怖と畏怖を刻み続けてきた。
そのオフレッサーが指揮を執る第6通路は、すでに帝国軍兵士の鮮血で彩られ死体の山を築きつつあった。
ミッターマイヤーとロイエンタールが攻略部隊の指揮を任せられたのは、二人が白兵戦においても並ぶ者のない勇者として知られ、麾下の白兵戦部隊も精強であったことが挙げられるだろう。
事実、第一陣は敵兵を難なく蹴散らして通路の先に前進したが、オフレッサーがその行く手に立ちはだかると戦況は一変した。擲弾兵総監の傑出した戦闘技術と腕力が結集され、彼が使用する巨大な戦斧が振り下ろされた数だけ絶望的な悲鳴が量産されていったのだ。
兵士の骨を砕き、頭蓋を叩き潰し、胴体を切断する。返り血でどす黒く染まった装甲服を誇るかのようにありとあらゆる凄惨な地獄絵図を猛獣は作り上げ、帝国軍兵士を血まみれの肉塊に変えていった。
「いかなる犠牲を払ってでも第6通路を確保せよ!」
第一陣に続き第二陣、三陣と続いたが、生きて帰ってきた者は一人もいなかった。ミッターマイヤーとロイエンタールは監視カメラの映像を通して戦況を見守っていたが、瀕死の部下の一人がフラフラとした足取りで奥から逃れてきて、その背後からオフレッサーの巨大な戦斧に両断されると、さすがに目を背けずにはいられなかった。
「オフレッサーのやつめ、生かして返さんぞ!」
ミッターマイヤーの表情に相手に対する憎悪が露となった。戦場における「人殺し」という観点では彼も同じ土俵に存在するが、戦意を喪失した敵に対してまで無慈悲な刃を振り下ろすことはなかった。
「ボウ・ガンを使用せよ。オフレッサーの動きを止めて一気に制圧するのだ!」
ロイエンタールが第四陣の突入を命令したが、またも惨憺たる結果だった。15名の兵士のうち撤退できた者はわずか3名でしかなかった。
せめて重火器が使用できれば攻略の光明も見出せるが、気体爆薬たるゼッフル粒子が散布されている以上、白兵戦によって第6通路を突破するしか術がない。
そもそも帝国軍が第6通路にこだわる理由は、オフレッサーが守備をしていようとも最短で核融合反応炉に至るという一点である。動力部への通路はもう一箇所存在するものの、至るまでの距離が長く複雑な経路の上に幅が狭いという問題があった。敵には少数で守り易い利点があり、味方には攻めにくく時間がかかりすぎて極めて不利だった。しかも動力部へと至るまでに10ヶ所にのぼる隔壁を突破せねばならなかったのである。
その点、第6通路は道幅が広くて簡単にバリケードが築けない。隔壁数も3ヶ所と少なかった。
よって第6通路に戦力を集中して突破するしかない。オフレッサーがいなければほとんど犠牲を出さずに要塞の中枢を押さえていただろう。ミッターマイヤーもロイエンタールも悪魔のような相手の存在を呪わずにはいられなかった。
──であるからこそ、貴族連合軍も第6通路の重要性を熟知して装甲擲弾兵総監を配置したのだが……
「第5陣突入せよ! なんとしても第6通路を確保するのだ」
続く第6、第7陣も撤退に追い込まれ、有効な突破方法を見出せないまま戦線は膠着状態に陥ったかにみえた。
「しょせんあの軟弱な孺子の兵などこんなものよ!」
勝ち誇ったように雄たけびを上げるオフレッサーに部下の一人がある報告をした。
「そうか、第三段階か。エーベンシュタインのヤツめやりおるわ。金髪の孺子め、せいぜい泣きをみるがいい!」
オフレッサーの豪快な哄笑が第6通路に不気味に響き渡った。
ロイエンタールとミッターマイヤーは、ラインハルトに戦況報告後、オフレッサーを攻略するための新たな罠を張り巡らせつつあったが、その罠を確実にするため装甲服を装着しはじめた直後に警報が鳴った。
「閣下、敵の艦隊が現れました!」
やはりな、と二人はレッケンドルフ大尉の報告に冷静に応じた。ファーレンハイトはどうかしらないが、連合軍は三個艦隊の戦力を有効活用しないまま要塞陥落を指を咥えながら撤退するとは考えられなかったのだ。警戒していたことは正しかったといえるだろう。
「で、艦隊の数は?」
質問したのはミッターマイヤーであり、装甲服の装着を一旦中止してロイエンタールと艦橋に向かって駆け出していた。レッケンドルフ大尉は1万隻と答えた。
「少ないな」
とミッターマイヤー。親友も同意した。
二人が艦橋に戻るとミッターマイヤーの副官であるアムスドルフ大尉が敬礼して現状を報告した。
「敵は我々の艦隊に対して8時方向、要塞に対して5時方向から攻撃を仕掛けてきております」
撤退した方角からはほぼ反対側だ。敵は戦場を大きく移動していたのだ。
「味方の艦隊はどうしている?」
と質問したのはロイエンタールだった。
「はっ、ドロイゼン提督の分艦隊と要塞左翼方向からメックリンガー提督の艦隊が迎撃に向かっております」
警戒していたので当然の対応だった。敵がまっすぐ向かってくれば左右から挟撃する必勝の形になる。
しかし、ドロイゼン分艦隊は敵の進撃路を阻むかたちで正面に立ちはだかろうとしていた。
理由はすぐにわかった。敵艦隊の長距離砲が狙っていたのは艦隊ではなく、オフレッサーのために損害が拡大し、すぐに兵員を補充できるよう要塞外縁部に待機させていた揚陸艦だった。すでに射撃管制室は占拠されているので砲撃される心配はなく、部隊を待機させていたことがマイナスに働いてしまったらしい。最初の攻撃でかなりの数の揚陸艦が被害を被ってしまったのだ。
まさか揚陸艦を攻撃するとは……
ミッターマイヤーもロイエンタールも意表を突かれると同時に相手の意図を測りかねた。
敵は要塞を占拠させないために嫌がらせの攻撃を仕掛けてきたのだろうが、一個艦隊というのはどうもおかしい。なにか策があって少数で攻撃してきたのか、それともただでは帰れないと破れかぶれの攻撃を敢行したのか、すぐに判断しかねたのだ。
ミッターマイヤーの本隊はすでに迎撃体勢を整えていたが、彼はすぐに攻撃命令を行わなかった。
「ロイエンタール、卿はどう思う?」
「たぶん卿が感じていることと同じだ。明確には答えられないが、これが罠だとすれば次に何かある」
ファーレンハイトの早い参戦からこれまでの経緯を省みて、彼らは喉に異物がひっかかる何かを感じていた。
その違和感はドロイゼン艦隊が砲撃を始めた頃、拍車をかけるように連続して発生した。
前線指揮官の緊急通信はミッターマイヤーとロイエンタールを驚愕させるには十分だった。第6通路を堅守しているはずの野獣のような敵が姿を消し、通路はもぬけの殻だというのだ。
ミッターマイヤーは信じられないとばかりに指揮官に問いただした。
「だが待て、この監視カメラの映像はなんだ?」
『そ、それは
「「!!!!!!」」
勇敢で優秀な二人の提督を二度も愕然とさせることはめったにない。つい数時間前、ラインハルトと協議中の通信に割り込んでさんざん罵倒し挑発的な発言を繰り返していた「石器時代の勇者」が何を勘違いしたのか突然進化を遂げ、勇名を馳せる智者を騙したのだ。
通信終了後、監視カメラの死角を作るように屍のバリケードを築いているかと思えば、まさかの意表を突く小細工をしているとは!
ミッターマイヤーもロイエンタールも、それが思いつきで行われたわけでないことを悟った。指揮官の報告によれば人形に着せていた装甲服はオフレッサーが直に装着していたものに間違いがないという。監視カメラの映像をごまかしたのは5分もないことだろう。二人とも罠の準備と指示に忙しくカメラの映像をずっと見ていたわけではないが、小細工は事前に準備していたにちがいない。
問題はいかなる意図であるのか?
第6通路の防衛を放棄し、奥に移動したのか? それとも何か悪質な罠を張り巡らして攻略部隊を誘っているのか?
前者はオフレッサーの気質と第6通路の重要性からまずありえないはず。単純に後者が理由となるがそれが不明だ。
しかもそれは局地的な「撤退」ではなかった。第6通路以外の前線でも同じようなことが発生し、司令部ももぬけの殻だというのだ。
ミッターマイヤーもロイエンタールも気色の悪さを感じた。
「ロイエンタール、上陸部隊を撤退させようと思うが卿の意見はどうだ?」
「賛成だ」
要塞を完全占拠する絶好の機会のはずだが、状況が怪しすぎる。
撤退命令を出した直後、次の事態が発生した。それは予測されたものだったが、その内容は
ファーレンハイトの号令とともに攻撃陣形を形成した14000万隻にのぼる艦隊が文字通り「矛」となってロイエンタール艦隊に襲い掛かった。戦場に現れてから攻撃に至る時間は極めて短く、彼が攻勢に巧みであると評価を証明していた。
有無を言わせない集中砲火によってロイエンタール艦隊の一角に穴を開けると、前衛部隊がこじ開けた隙間に突入する。
「近接戦闘だ。ワルキューレを出せ!」
ファーレンハイトは、ラインハルトの本隊が近宙にあるにも関わらず積極的に攻勢をかける。
逆にロイエンタール艦隊は後手にまわった。最大の要因は司令官を欠いていた点にあったが、敵襲に備え要塞周辺に部隊を広く展開していたことがファーレンハイトに攻勢の機会を与えてしまっていた。
「全艦反転! 味方の艦隊を援護する」
いつまでも状況を傍観するほどミッターマイヤーもロイエンタールも愚かではない。不安は残るものの8時方向の敵はメックリンガーとドロイゼン艦隊に任せ、ミッターマイヤーはファーレンハイト艦隊の攻撃に移り、ロイエンタールはシャトルで旗艦に急行した。
「ファーレンハイトにお返しをしてやるぞ」
ミッターマイヤーは、後退し始めた味方艦隊の背後から無理に攻撃するような愚かなことはせず、その右翼方向に艦隊を迅速に回りこませ、敵艦隊左翼を攻撃した。中性子ビームの束が防御磁場を崩壊させ、巨大な戦艦を次々に串刺しにする。
この援護によって、艦列を乱していた司令官不在のロイエンタール艦隊はファーレンハイト艦隊の攻撃が鈍ると陣形を再編するためにさらに後退した。
「ついに疾風のウォルフか」
ファーレンハイトは、うすい水色の瞳に高揚の色彩をたたえ指揮シートから立ち上がった。ロイエンタール艦隊に続き、前回の戦闘では未消化に終わったミッターマイヤーとの直接対決が叶ったのである。勇将の指揮にも力が入った。
「慌てるな。前衛部隊にさらに敵艦隊の側面を突かせろ!」
ロイエンタール艦隊の後退に合わせ、ファーレンハイト艦隊の前衛部隊は左翼方向に転進し、本隊を攻撃している敵艦隊のさらに左翼を攻撃した。
やや守勢では粘りに欠けると評される銀髪の青年提督だったが、エーベンシュタインから事前に受けたアドバイスを基に二人の攻勢に対する対策を講じていた。装甲と防御スクリーン出力能力の高い戦艦部隊を常に最前線に展開することで強力な防壁を作り、高速戦艦部隊を主火力とする部隊によってその内側から敵艦隊を狙い撃った。攻守の役割を明確に区分し、運用を単純化して戦況にあわせて投入したのだ。
「やるなファーレンハイト。戦いはこうでなくてはいかん」
手ごわい敵将を相手にミッターマイヤーは激しく奮い立った。彼は側面攻撃を受け、一時的に生じた左翼の乱れをすぐに収拾すると、陣形を再編しつつ敵の攻撃を上手く受け流し反撃の機会を狙った。
それは、さほど時間を要することなくめぐってくる。
「やられた分はやり返してやろう」
旗艦トリスタンの指揮シートに長身を沈めた「
「ファイエル!」
放たれた数万本以上の青白い光条は真空の世界を一直線に切り裂いてファーレンハイト艦隊に正確に着弾し、破壊の光芒を瞬く間に量産した。
「こいつはきついな……」
ファーレンハイトは、司令官不在だったロイエンタール艦隊に損害を与え、ミッターマイヤーとはほぼ互角に戦っていたが、ラインハルト麾下の提督たちの中でも傑出した二人を同時に相手にすることは手に余るようだった。
「願望は叶ったがようだが欲を出しすぎたか……いや、まだまだ俺も力量不足の感は否めんとみえる」
ファーレンハイトは自嘲気味に微笑み、必要な命令を伝えた。
「全艦、後方に退きつつ密集隊形。球形陣を敷いて守りを強化する。ここが粘りどころだ」
ミッターマイヤーとロイエンタールはある程度肩透かしをくらっているにちがいない。オフレッサー撤退というまさかの事態に「何かある」と踏んで上陸部隊を撤退させようとしているが、その何かが起こらず──いや、ファーレンハイトの攻撃とすり換わってしまったので心理的には安堵しているはずだ。
「そろそろ第四段階だが……」
ファーレンハイトは戦況の推移を睨みながらザンデルス大尉に訊いた。
「シュターデンの艦隊はどうしている?」
「はい。敵艦隊を要塞周辺から引き離しつつなおも後退を続けております」
この戦況を注視しているはずのラインハルトは、エーベンシュタインの予想どおりまだ動きをみせていない。
「ほう、ヤツも理屈を捨てて必死になればまともに指揮ができるものだな」
シュターデンには後がない。初戦で惨敗し、著しくブラウンシュヴァイク公の信頼を失っている。このレンテンベルグ攻防戦が敗軍の将として汚名を雪ぐ唯一の機会だけに「理屈倒れのシュターデン」は死力を尽くすしかない。
「これでオフレッサーのヤツも要塞から脱出できそうだな」
ファーレンハイトがレンテンベルグの作戦において最も驚いたことといえば、エーベンシュタインがラインハルト嫌いの急先鋒であるオフレッサーを丸め込んだことだろう。
(いったいどう説得したんだか、俺もぜひ教授願いたいものだな……)
それは極めて単純かつ効果的なえさだった。エーベンシュタインはオフレッサーの
結局のところ、ファーレンハイトが理由を知ることは永遠になかったのだが……
戦況に変化があった。忍耐となけなしの指揮能力を総動員し、メックリンガー艦隊を要塞から遠ざけるために後退を続けていたシュターデン艦隊の動きが止まったのだ。
ファーレンハイトの言う──実は怒涛となる第四段階の始まりだった。