「今日も平和ね……」
雑然とした軍医用の執務室からの眺望は私を飽きさせることはない。暗黒星雲、散開星団、赤色巨星、天の川、白色矮星、地上から見上げたときよりも圧倒的に多い流れ星。すぐにでも調査に向かいたいにじ色に輝く球状星団etc……
(ああ、なんだかため息が出ちゃうわねぇ……)
そして、一万個に上る巨大な人工の光群……
エル・ファシル攻略部隊と合流してから5時間は経過しただろうか? その5時間ずっと私は銀河を眺め続け、とりとめなく理論を構築しては、また振り払ったりしていた。
(ごくたまにだけど、自分のことが嫌になるわねぇ……)
私を飽きさせないのは、実はこの世界そのもの。眼前には科学技術の粋を結集した全長が数百メートルに及ぶ巨大な艦艇が見えている。私の時代、ここまで艦艇が巨大化し、はるか宇宙に人類が進出することができたなどと、どのくらい先のことだと予想しただろうか?
「亜空間跳躍航法」が確立されていると知った時の私の興奮は、とても「説明」しきれるものではなかった。ウランフ提督から貸与された資料を隅々まで読み漁り、ハーミット・パープル基地では徹底的にワープエンジンの解析にあたった。「相対性理論」に拠らない別の理論から紆余曲折を経て生み出された新技術に納得もした。
(一つの理論に縛られなかった結果ということなのね……)
私は、その瞬間に当然と言うべきか立ち会うことができなかった。空想の中で立ち会ったとしても、そこまでの技術をもってしても「次元」はおろか「時空」さえ超越することを、この世界でも到達できていないのだ。
そもそも、なぜ私たちはその二つを超えて転移せねばならなかったのか? それは事故? それは必然? それは偶然? それとも運命?
いずれも当てはまるが、今一歩客観論としては何かが欠けている。
「それはなにか?」
私にとって「次空工学」は専門の一つではあるけれど、どうしても納得できる解答をいまだに確立できずにいる。
(そもそも……)
いや、頭の中に浮かんだ仮説など無意味。仮説は「仮説」としか機能せず、客観的な事実を探り当てる事でしか自身を納得させ、根本問題の解決方法はないのだろう。
「はぁ……」
ため息一つ。こんな姿は誰にも見せられない。理論と説明こそが私の生き甲斐? の一つなのに、どうにも転移した謎の真相に近づけそうにないのだから。自分の感情を露にするように、机の上に立っている読書途中の化学の本を指で弾く。
ふと、私は片手で弄んでいたプレートを見る。幼い「私」から託された極冠遺跡の欠片だ。
「これに答えがあるはず」
私には確信に近い感覚があった。本体が行方不明のいま、私たちの転移の謎を解く手がかりの一つと言ってもよい。いや、手がかりそのものと言っても過言ではないはず。
なぜなら、プレートは知っている。私が時折見る映像の断片がそれを証明しているからだ。もちろん、まだ誰にも話したことはない。この断片は、言うなれば意識下が作用した結果であり、無意識の産物でもあるからだ。
しかし、その断片が真実を伝え、私たちに訴えかけているのだとしたら?
そして、もし
そこに繋がったのだとしたら、私たちは自らの運命を省みなければならなくなるだろうか?
──イネス・フレサンジュ──
闇が深くなる夜明けの前に
機動戦艦ナデシコ×銀河英雄伝説
第十七章(前編)
『運命の会談/そして地上ではV』
T
その二名の訪問者は、支援者たちから見れば怪しい分類に当てはまっただろう。普段から出入りしていない見知らぬ顔であること、もう片方はじっくりと眺めればどこか違和感がぬぐいきれないのだ。
逆に訪問者たちは、事務所内に充満する喧騒は二の次であり、目的を達成せねばならなかった。だから、若干の押し問答になることを変装中の若者も想定済みではあった。彼は、ジェシカ・エドワーズが事務所に居ることを事前に知っていたので、議員に聞こえるようやや声を張り上げた。
「エドワーズ議員に会いたい」
すると、やはりと言うか支援者が呼んだのか、または騒ぎを聞きつけたのか奥から清楚な婦人用スーツに身を包んだ凛とした気品のある金髪の女性が姿を現した。
そして、ジェシカ・エドワーズは、変装した青年社長を見るなり驚くべき発言をした。
「ようこそ。あの時と同じく、あなたの勇気と行動力には敬意を表します」
さすがのアカツキも支援者たちと同様に固まってしまった。どうして「僕」だってわかったんだ?
その答えは、二人が応接室に案内された直後に解明された。
「声です。あとはあなたの身体的な特徴や雰囲気でしょうか」
なるほど、とアカツキは妙に納得した。タネ明かし、というのは聞いてしまえば何てことはないのだが、彼女に正体まで気づいてもらおうと声を高めたわけでもなかったので、驚きのほうが勝ってしまったわけだ。
とはいえ、副主任から及第点以上の評価を受けた変装を「声」だけで見破るのは決して凡庸な観察力と記憶力だけでは難しい。
(ああ、たしか彼女は音楽教師だったけ?)
ともすれば納得できるだろう。そうでなくても美貌だけではない、聡明さにも恵まれたジェシカ・エドワーズだからこそと言えないか? 事実、彼女は大勢の支援者や有権者の名前と顔をよく憶えているのだ。政治家云々ではなくても、人としてその心構えは非常に大切なことだ。
(見習いたいものだねぇ……)
ちょうど秘書らしい女性が三名にコーヒーを淹れて退出した。変装中のアカツキはそれを確認してジェシカ・エドワーズに頭を下げる。
「僕のことを憶えていてくださって嬉しい限りです。そして、このような変装という出で立ちでお会いしたことを、どうかお許しください」
ジェシカは、特に気にしたそぶりもなかった。むしろ遠くない記憶を呼び起こして微笑すらしていた。
「直接お会いするのはアスターテの慰霊祭以来でしょうか?」
「ええ、そうなりますね。ご無沙汰してしまったことを深くお詫びします」
ジェシカは軽くうなずき、アカツキたちにコーヒーを勧めた。彼らが一息ついた頃、彼女の表情が真剣さを増して青い瞳が青年の視線と軽く衝突した。
「わざわざ大きな危険を犯してまで、その後の疎遠を謝罪しに来たわけではないでしょう? アカツキ社長」
ジェシカは笑っていない。青い瞳はアカツキの変装顔を映したままだ。青年社長は「訪問した理由を知りたい」という彼女の暗示にすぐに気がついた。反戦運動家の女性議員にとって軍需産業界ナンバーワン企業の社長と会うことさえ危険を伴うのである。
「失礼。前置きをする気など毛頭ないのですが、ちょっと込み入った話になりそうですので」
青年社長の訪問の目的は、エドワーズ議員と政治的・個人的駆け引きをすることではない。へたな小細工をしようとは考えていなかった。親しい人々の死をきっかけに政界に足を踏み入れた女性には直球勝負が望ましいことくらい十分承知していた。
アカツキは、居住まいを正して自分自身を仕切り直した。
「こうして訪問した理由はほかでもありません。エドワーズ議員にハイネセン解放のご協力を仰ぎに来たのです」
次に、アカツキはそれまでの経過を簡単に説明した。最も彼が直前まで迷っていたのは、同盟国家元首ヨブ・トリューニヒトのことを話すか否かだった。ジェシカ・エドワーズにとっては言わば「仇」のような存在だろう。婚約者を軍国主義にはまった上司の無能で失い、さらに反戦運動家として尊敬するジェームズ・ソーンダイク代議員候補を「トリューニヒトの私兵」と噂される憂国騎士団のテロで失っている。
結果、ジェシカ・エドワーズは反戦派の先頭に立ってソーンダイク氏の意志を受け継ぐ形で議員に立候補して見事に当選。国防委員長時代より以前から戦争を賛美し、国民を戦場に駆り立てて同盟を食いつぶそうとするヨブ・トリューニヒトに真っ向勝負を挑んでいるのだ。
迷った挙句、アカツキはトリューニヒトと首都を脱出したこと、難を逃れたウランフ提督と共に首都奪還のために着々と準備を整えている──
──等々、若干の虚構を織り交ぜながら。
(まあ、そこは仕方ないでしょ?)
と内心のアカツキ。トリューニヒトが最初から「逃亡→地下潜伏」を企てていたことをありのままに話すと、はっきり言ってエドワーズ議員の反感を買って協力を得られなくなる。ただ、トリューニヒトの内心ではいかほどか不明瞭ではあるが、首都奪還に向けて何かしらの行動、または協力していることは「事実」ではあるので、彼女の不信が解消されずとも、要は共通の目的に向かって同意してくれればよいだけなのだ。多少の事実歪曲はこの際仕方がない。
ジェシカは、女性らしい滑らかな曲線を描く眉を多少ゆがめただけで特に拒否するような姿勢はとらなかったものの、すぐに返答するようなこともなく、まずは具体的に協力する中身について質問してきた。
逆にアカツキが内心で代議士の反応を意外に感じていた。彼女と話を始めるには最低でも3回は脚を運ぶ必要があると計算していたからだ。
「……ええ、単刀直入に話しますと、まずは我々が困っているのが拘束、または軟禁されているという評議会メンバーの安否なんですが、何かご存知ありませんか? 些細なことでもよいのです」
アカツキが期待しているのは、ジェシカ・エドワーズを中心とする反戦派の横のつながりである。反戦運動は同盟内では「非国民」のような扱いをされているが、上層部の強硬派を除けば地方や中堅どころの役人の「潜在的な反戦派」は決して少なくない。
それが市民レベルに及ぶと絶対数が飛躍的に跳ね上がる。彼らは戦争推進派以上に草の根的な活動と親密な相互連絡を取りあって活動しているのである。評議会メンバーの良識派であるホワン・ルイ、ジョアン・レベロとどこかで繋がっていてもおかしくはなかった。
そして、ジェシカ・エドワーズは見事にアカツキの期待に応えることとなった。
「全てではありませんが……」
彼女が提供した情報は、アカツキが入手した情報と被る部分もあったが、ルイらを含む評議会議員全員の安否と所在という重大情報を得るに至ったのである。
「では現在、粛清された人はいないという事ですね?」
「ええ。レベロ氏を除けば評議会議員の大半は評議会ビルに軟禁されているようです。時間が多少過ぎているので今は違うかもしれませんが、まとめて監視するならば移動するようなことはないはずです」
レベロの場合、視察先から自宅に一旦戻り、身支度を整えて評議会ビルに向かおうという直後に不孝にも拘束され、そのまま自宅軟禁になっているらしい。アカツキとしては、もし遭遇したのがウランフではなくレベロだったならばと考えるだけで思考が迷宮入りしそうだった。
(レベロ議員らしいと言えばそうだけど。良識派の政治家と扇動政治家が相見えたとしたら、きっと首都を奪還の話どころじゃないかもねぇ……)
アカツキは、ウランフに遭遇できた幸運に感謝するしかなかった。青年はエドワーズ議員の怪訝な視線に気づいて話を元に戻す。
「それで、ほかには何かご存知でしょうか?」
ジェシカ・エドワーズから得たハイネセンの情報は多岐に渡り、あとは行動可能なエージェントたちを動かして「確実」なものとするだけである。
(やれやれ、どこかの誰かさんとは質が違うな)
アカツキは内心で苦笑する。「信頼と誠実」から集められた──集まった情報は見事にジェシカ・エドワーズを中心に機能しているのだ。トリューニヒトにもたらされる「疑心暗鬼」と「歪んだ欲望」に基づいた情報とはその差を思い知らずにはいられない。中堅どころの役人たちの動向まで入手できたのだからなお更だった。
U
貴重な情報を得るに至ったアカツキだが、話の本筋はそれだけではない。やはりというべきか、美貌の代議士は首都奪還における懸念を表明してきた。
「駐留艦隊がハイネセンに至れば、その圧力で救国軍事会議は瓦解しませんか? あえて市民を危険にさらす必要があるでしょうか?」
最もな意見だ。だが、この点に関してアカツキは明確に彼女を説得することができる。
「救国軍事会議が市民を人質にとったら僕らに勝ち目はありません」
まさか、とは口に出さなかったものの、ジェシカ・エドワーズの表情は瞬時に強張った。
「もっともこの叛乱で肝心なのは、言うまでもなく早期終結を図ることです。内戦が長引けは同盟の疲弊はもちろん、帝国が横槍を加えて来ることもありえます。脅威が複数重なっていっぺんに襲撃されたら手も足もでません」
もちろん、軍部と政界の力関係という微妙な問題も存在する。彼女は、潜伏者の中にウランフが含まれていることを知った段階で両天秤のバランスについて自分なりに分析を行っているようだった。
とはいえ、そういったしがらみが戦線を拡大してきたのだから、ジェシカにとってはばかばかしい問題であろう。彼女も表情を整理してから視線をアカツキに戻した。
「首都を戦場にするのも止むを得ないとおっしゃるのですか?」
エドワーズ代議士の指摘することはアカツキも十分承知している。まちがえていけないのは彼女からの非難に対する返答の仕方だ。青年は慎重に言葉を選んだ。
「そうならないため、または最悪の事態を想定して議員のご協力が必要なのです」
アカツキが誠意頭を下げると、ジェシカ・エドワーズは数秒ほどその姿を見ていたが、ふと彼に顔を上げるように言い、そして、
「わかりました。できる範囲内でご協力いたしましょう」
かなり意外な返答だった。もちろん一度で色よい返事がもらえるとは期待していなかったのだ。アカツキの表情は思わず緩んでしまった。と同時に憂慮しないでもない。
(それって、反戦派の彼女にとっては危険な賭けになるんじゃないのか?)
協力を要請しに来て矛盾した考えではある。アカツキは承諾してくれた理由を彼女に尋ねてみた。すると、
「私たちも不当な支配に対する現状の打開を模索していたところでした」
という返事があった。そこに至り、アカツキはようやく事務所を訪ねた際の内部の喧騒に言及した。
「何かされようとしていましたか? 僕の変装だけが理由ではない気がしたので」
アカツキの胸騒ぎは当たっていた。ジェシカ・エドワーズの姿勢がやや身構えたものとなったのだ。
「ええ。救国軍事会議の支配に対して抗議集会を開こうと準備を進めていました」
現在、救国軍事会議は夕方18時から5時までの外出と大勢の市民が集まる行為──つまり集会を禁じている。当然、違反すれば処罰は免れないだろう。ジェシカ・エドワーズはそれを十分承知した上で行動を起こそうというのだ。賛同する市民を集め、クーデターに対する反対を表明するのだという。
アカツキは、彼女の勇気と行動力に内心で感嘆したものの、もちろん危険きわまる行為を止めさせねばならなかった。
「現状に萎縮せずに実際の行動と意思表示でクーデターの抗議を行うことは議員に敬意を表明します。ですが今はまずい……いや、止めるべきです」
しかし、ジェシカ・エドワーズの返答は青年が予想するよりも冷静だったと言ってもよかった。
「承知しています。ご協力する以上、今回は見送ります」
中止します、と言わないあたりが彼女らしい。
「大丈夫ですか?」
「ご心配には及びません。支援者の方たちは私が説得します」
それは、悲劇を経てカリスマ的な指導力を持つようになった女性には容易いことにアカツキには思えるのだ。彼女の場合、決意と信念はよい方向に向かっている。トリューニヒトとは真逆だ。
その場を仕切り直したのは美貌の代議士だった。
「では、私たちは何をすれば良いのでしょう? 具体的な内容をお聞きしたいのですが」
「ええ、そうですね……」
その後、少一時間ほどのやりとりが続いた。途中、ジェシカがやや声を荒げる一場面もあったが、初日の成果としては十分すぎるほどだろう。青年社長にとっては情報交換やその他の問題や課題もないわけではないが……
「ふう、なんか意外と緊張したね……」
アカツキは、事務所を出てから大きく伸びをした。木星蜥蜴と戦っていたとき、地球連合はもとより同盟政府、ウランフ提督たちとやりとりするよりも疲労を感じていた。ただ単純に金髪碧眼の美女とのやりとりならば、非常に有意義な時間を過ごすことができただろう。
しかし、今回「対峙」したのは、また違った人生を歩んでいる女性だった。「才色兼備」となれば身近ではエリナが存在したかもしれない。が、その冷静さや行動力、優秀な頭脳という面は似通っていても、エリナとジェシカの間には決定的な「差」──違いがある。
そう、「大切な何か」を失っているか失っていないかの点だ。エリナには公私における「挫折」と評せる経験はないに等しい。反対にジェシカ・エドワーズは婚約者と支持したソーンダイク氏を失っている。
(いや、ヤン・ウェンリーも失っていたのかもね)
アカツキは、誰よりも早くヤンとアッテンボロー、ジェシカ・エドワーズと知己になったが、その時から一連の「事件」が収束するまでに感じたことといえば、「ジェシカ・エドワーズ」の「ヤン・ウェンリー」に対する親友以上の感情だろう。その感情を彼女は以後、押し殺したように思えるのだ。
そして、そこからヤンは軍の英雄として、またジェシカは反戦活動家として、二人の運命は袂を分かった方向に進行し、アスターテ会戦とジャン・ロベール・ラップ少佐の死によって逆に接近するかに思えた二つの感情は、それらを凌駕する「良心の呵責」と「それぞれの運命の選択」によってついに交わる機会を失ってしまったのだ──
──とアカツキは考察する。
(二人とも今さらって感じなのかね? もしエドワーズ代議士が本気出したら、フレデリカさんやばくね?)
妙に思考がずれたな、とアカツキは青空の下肩をすくめ、事務所に向かって肩越しに振り向いた。時折、軍用車両が通過する以外はいたって平穏なたたずまいと光景である。ここが反戦派の人々の活動拠点とは思えないくらいに……
ふと、アカツキは考えをめぐらせた。
美貌の反戦活動家ジェシカ・エドワーズ──
彼女は、この先も戦乱が終わるまで同盟にはびこる主戦的な風潮に挑戦し続けていくのだろう。トリューニヒトのような権力を弄んで国民の生命と財産をないがしろにする権力者たちの前に立ちはだかっていくに違いなかった。
「反戦活動か……」
自分には縁がないかもね────と、つぶやいてアカツキはそれ以上考えるのを中断した。青年社長にはハイネセン解放に向けてやるべき事が山積しているのだ。一人の女性代議士の行く末をずっと深く思考する時間は許されなかった。
しかし、もしアカツキが考えることを止めなかったならば──
反戦活動家としてのジェシカ・エドワーズの選択をきっとたぐり寄せていたに違いなかった。
その選択を握っていたのは……
ジェシカ・エドワーズの「運命」はこの時に変わった──否、アカツキ・ナガレという不正規な存在と関わった時点ですでに変わりつつあったのかもしれなかった。
同盟を騒然とさせる
「皮肉なる運命」まで、なお数千時間を必要とした。
V
駐留艦隊がそれぞれの叛乱星系を鎮圧し、ハイネセン攻略にむけて艦隊を合流させた4月27日。司令官ヤン・ウェンリー大将は、ミスマル艦隊を通してバグダッシュ中佐と面会し、首都星の状況と第11艦隊、第12艦隊出撃の報を入手する。幕僚の多くが2個艦隊が敵に回った情報に驚きを禁じえなかったものの、ヤンを中心としてすぐに情報収集を開始した。
その結果、第12艦隊の出撃は「虚報」であることが判明したものの、ヤンは報告を受けたときに軽く舌打ちしてしまった。なぜなら、第11艦隊の所在は早期に掴めたが、第12艦隊出撃の「真偽」についてはかなりの時間を浪費してしまったからだ。バグダッシュの意図を察していても、入手した情報を確かめねばならなかった。
結果は予想通り。やはりヤンの元上官はクーデターに組してなどいなかったのだ。安堵もあったが、それ以上に自己嫌悪が伴った。
しかし、戦う相手が判明すれば、次は何をすべきか──その行動は早い。
ヤンは、収集したデーターを基にミスマル・ユリカと大概の対策を練り始めていた。
◆◆◆
そんな中、第14艦隊(ミスマル)艦隊旗艦<ナデシコ>の格納庫は、第11艦隊出撃の報を受け、パイロットたちを中心に現状を踏まえてそれぞれに意見を交換し合っていた。
「2個艦隊を相手にしなくて幸いでしたね」
とは、黒いつやのある髪も麗しく上品のある顔立ちをしたエステバリス隊
「唯一の優等生」イツキ・カザマであった。地球連合時代、途中テンカワ・アキトがナデシコを下船した際にエステバリスの新人パイロットとして補充された優秀な資質を持った若き軍人である。彼女はアオイ・ジュンと共にナデシコの一員となって数々の死線を乗り越えて今に至っているのだが、ある一つの並行世界では悲惨な死を遂げていることなど、きっと想像もしていないことだろう。
その「運命の岐路」という行動と選択と
介入の結末に彼女が触れるのは、もう少し先のことである。
イツキの発言が火蓋を切り、活発な議論が始まった。その大半はまずイツキに同意するとともに、第11艦隊と戦闘に突入した場合、自分たちの出番があるか否かであった。
「そりゃ、あるだろう」
とは、「エステバリスの特攻隊長」という名を冠せられている男勝りの美人パイロットスバル・リョーコである。彼女も20歳を迎え、個人的にはやんちゃの象徴である緑色に染めた髪を元の黒髪に戻そうかと検討中だったりする。
「いや、出撃はないかもね」
と彼女たちの背後から否定的な声がした。リョーコたちが不機嫌そうに振り向くと、そこには機体整備を終えたらしいタカスギ中尉がツナギ姿のまま立っていた。テンカワ・アキトのパイロットしての資質向上に大いに貢献した精悍な顔立ちをした同盟軍の若きパイロットである。彼もまたイツキと同様に「もう一人のありえた自分」と邂逅することになるのだが、それはまだまだ先のことだ。
タカスギは、一斉にイツキ以外の女性パイロットたちからブーイングを浴びた。
「おい、ないってどういう事だよ」
「サブちん、どーゆーこと?」
「つまんないわねぇ……妻、いないわねぇ……フフ、ぬふふふふ」
「……いやあ、そんなに睨まれてもねぇ。向こうの出方によってはありえるって意味なんですけど……」
「出方? 出方ってなんだよ。言ってみろ」
リョーコが噛み付く。これまでの叛乱鎮圧任務の全てが地上戦が主体だった。空戦フレームでの戦闘は発生しなかったので、リョーコはドックファイトに餓えているのだろう。第11艦隊とぶつかれば戦況のどこかで機会が訪れるはずなので期待しているらしい。タカスギとしては、味方と一戦やらかすというのにずいぶんやる気満々だと呆れないでもない。物怖じしないという点で考えれば頼もしいといえばそれまでなのだろうが……まぁ、それこそ今更だった。
「タカスギさんのおっしゃること、十分ありえると思いますよ」
援護射撃は、やはり
「唯一の優等生」イツキ・カザマであった。パイロットとしての資質面ではリョーコたちに一歩を譲るであろうが、こと「広い視野」という面ではイツキの方が勝っているだろう。
イツキは、まず駐留艦隊と第11艦隊の戦力差と指揮官の能力を引き合いに出しだ。同盟軍最強クラスの艦隊と正面から戦うにはリスクが大きすぎると言うのだ。
救国軍事会議を束ねるグリーンヒル大将の覚悟の程を考えても不利な戦力差で戦うとは到底思えない。ここでリョーコは疑問を口にした。
「じゃあなんで第11艦隊は出撃してきたんだ? 俺たちと戦うためじゃないのか?」
もっともな意見だ。勝つ算段があるからこそ出撃してきたのに、駐留艦隊と戦わずに何をするというのか。ルグランジュ中将は勇猛な将帥らしいので真っ向勝負を挑んでくるのではないか? グリーンヒル大将が中将に何か策を授けていようと、ルグランジュ中将は自分の欲求を優先させるのではないか、と。
「そうですね。それは考えられることです」
リョーコの意見に一定の理解を示しつつも、イツキはユリカとのやり取りを思い出して自分の見解を述べた。
「ルグランジュ中将がどれほどの将帥か、それは私にもわかりません。ですが首謀者たるグリーンヒル大将がむざむざ負ける算段を立てるとも思えません。提督曰く、グリーンヒル大将の覚悟は生半可なものではないそうです。同盟軍の総参謀長を長年勤め、ヤン提督も尊敬する軍人がルグランジュ中将の性格などを考えずに策を練るとは思えませんし、正面から戦う可能性も低いと考えます」
ではどう出るか、と問われたイツキは、数十秒ほど形の良いあごにしなやかに手を当てて考え込み、状況などを整理した上で相手の出方を推理した。
「おそらく……いえ、第11艦隊が勝つ気でいるならば、最も可能性が高いのが私たちを首都星まで引き込んでアルテミスの首飾りと挟撃するのではないでしょうか?」
「そんな簡単にいくか?」
とリョーコは反論した。いくぶん落ち着いたのか、声が荒ぶっていない。
イツキは、情報を基に推察した自分の考えを説明した。第11艦隊は駐留艦隊と緒戦だけ戦って後退し、駐留艦隊をやりすごして後方を断とうとするか、または姿をちらつかせて戦わずして後退し、あえて首都星までの道を開いてアルテミスとの挟撃距離に駐留艦隊を引き込むという方法があります、と。
しかし、リョーコは賛同しかねるのか、こ難しそうな顔をして腕を組み、20秒ほど考えてから、
「でもよ、俺らの天然提督を差し引いても戦う相手はあの奇蹟のヤンだぜ。イツキがわかっていることくらいヤン提督はとっくにお見通しだろ?」
とリョーコは黒髪の司令官を過大評価しつつ疑問を口にする。なんというのか、彼女自身が敵と正面から勝負したくて仕方がないという気分なのだろう。
イツキは、再び悩める美女よろしく上品な顔立ちを思考色で染める。
と、彼女たちの傍らを工具を抱えたテンカワ・アキトが慌てたように駆け抜けていった。その直後、ウリバタケの怒鳴り声が格納庫に響いた。どうやら、エステバリスの整備で何やら失敗でもしてしまったらしい。「工具は整備士の魂だ」云々という声が聞こえてきた。
W
一通り青年の反省する姿を一瞥し終わると、ようやくイツキはやや険しい表情のまま顔を上げた。
「ここだけの話になりますが、私がユリアンさんから聞いた事なのですが……」
イツキは前置きし、リョーコたちを周囲に集め話し出した。罠だと分かっていても駐留艦隊がハイネセンに急行しなければならなくなる、ある卑劣な策を一同に話した。それは──
「ハイネセン市民がヤン提督に助けを求める映像を流すことです。つまり、救国軍事会議がハイネセンの市民を人質にとって脅すわけです。ヤン提督のことです。罠であっても行かざるを得なくなるでしょう。もしくは市民の生命と引き換えに降伏を勧告してくるかもしれません」
リョーコは、今度は無言で固唾を飲み込んだ。彼女も今度は理解し反論してこない。可能性がないとはさすがに言い切れないらしい。
と同時に誠実紳士だというグリーンヒル大将がそこまでの手段に出るだろうか、という新たな疑問が湧く。その点についてはイツキも否定しなかった。だが、
「先ほども言いましたが、追い込んだらわかりません。グリーンヒル大将がそれを実行しなくても周囲はどうでしょう? その手段に出る前にハイネセンを解放しなくてはいけません」
グリーンヒル大将だって追い込まれれば、性格が一変するかもしれない。今は理性で最終手段を封じ込めているのだとすれば、なお勝利への欲求が勝るなら絶対にありえないとは言い切れないのだ。
もう一つの懸念は、グリーンヒル大将の同胞──部下が暴走してしまうことだ。
これも「ありえなくはない」という可能性を持ち出すとキリがないのだが……
リョーコは、なにやら考えを整理するように頭をかき、そして彼女らしく言った。
「要は第11艦隊に時間稼ぎをさせないで、とっとと勝てばいいんだろ?」
全くその通りだ。おそらく救国軍事会議側にとては唯一の機動戦力である第11艦隊が敗北すれば、精神的なダメージは計り知れず、ハイネセンまでの航路は障害なく解放されたも同然となる。グリーンヒル大将たちが次の一手を打つ前に拠点を制圧してしまえば事は済む。
ここで、伊達眼鏡をキラリと光らせてアマノ・ヒカルが大胆な発言をした。
「いっそさー、第11艦隊はヤン提督に任せてナデシコだけでハイネセンに突撃しようよ!」
唖然としたのはたぶんタカスギだけだろう。イツキを含め「それはありかな」と肯定の反応のほうが圧倒的に多かったのだ。一年半前のナデシコなら即やりかねない「特攻作戦?」ではある。
「おいおい、どんな自信があるかわからないけど、さすがに無謀だぞ」
とタカスギはまじめな表情で突っ込んだ。ヒカルは甘ったるい声で反発する。
「えー、なんでよぉ、サブちん。いいとおもうけどなー」
「……サブちん? いや、まあなんというか、ナデシコ一隻じゃ危険きわまるぞ。この艦の性能はけっこうすごいけど、首都星を護るアルテミスの首飾りをなんとかしないとお陀仏だぜ」
そう、第11艦隊に勝つにせよ、ナデシコが単独行動を取るにせよ、ハイネセンを護る12個の軍事天体をどう攻略するかが問題となる。
この点については、約1名を除いて楽観的な意見のほうが多かった。すなわち「相転移砲」+「ルリのハッキング戦術」である。タカスギからすると突っ込みどころがないわけでもないのだが、艦隊のように機動力が備わっていない分、衛星兵器に対処するのは困難ではないという点には同意した。二人も優秀な提督がいることだし……。
彼女たちの会話はそこで終わった。ウリバタケが、ようやく実戦投入するというエステバリス用のビームライフルを台車に載せて運んできたからである。一同は目の色を変えて新装備の兵器に群がった。
この時点における彼女たち──駐留艦隊の基本戦略は一本に絞られていたと言ってもよいだろう。
しかし、ヤン・ウェンリーが自身に嫌悪したように1日経って駐留艦隊の戦略構想を白紙にする事態が発生することは、後の周知の通りである。
(外伝「議上円舞」+本編50話参照)
そして、その裏ではもう一つの歴史を作るべく男たちが暗躍していたことも。
(本編48話、49話参照)
それらが実行されなかったとしたら、実に早期に叛乱は鎮圧されていたかもしれず、対帝国への対応も一歩先んじた形になって、未来がより変わったかもしれなかった。
さらにもう一方の地上では……
「諸君、元首たる私が先頭に立つ! 共に民主共和制の敵である救国軍事会議の横暴から自由意志を取り戻そうではないか!」
同盟国家元首ヨブ・トリューニヒトが半ばヤケ気味になっていた。
……TO BE CONTINUED
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
あとがき
たいへんご無沙汰しております!(汗
ようやく本編を上げることができました。いやはや……です。
作者を見捨てずに待っていただいた方、本当にありがとうございます。
とは言いましても、当初の四節ぶんの半分だけですorz この後、いろいろ続くはずだったのですが、本当に申し訳ないところです。
しばらくこんな状況が続きそうですが、気長にお待ちいただけるなら幸いです。
さて、第二部も折り返しになります。一応、「二十章」で二部は完結させるつもりでおります。次回は同盟が中途半端なので続きか、または帝国編かと思いますが、もし帝国編ならば、あの事件を軸にした折り返しのストーリーとなる予定です。
今回は投稿を優先したために、特に推鼓してないので、変なところがあったら教えてくださると助かります。
2014年月 9月27日 ──涼──
誤字修正、送り仮名修正と若干の加筆を行いました。続編はもうすこしお待ちください(謝
2015年5月15日 ──涼──
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
押して頂けると作者の励みになりますm(__)m
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