私たちが第11艦隊を攻略してから、はや3週間あまりが過ぎました。最初の1週間は緊張感の中で過ごし、次の1週間はけっこうだらけ、その後はアキトさんやシトレさんと合流したこともあり、適度な緊張感の中に穏やかな日常を加味した時間が過ぎていきました。

 ようやく空気が変わったのかな?

 われらの提督やイネスさんは、シトレさんやフクベ元提督から提供された資料や情報をもとに今後の方針や見通しについて話し合いを繰り返しています。私もまぜてもらうことがありますが、予想通りというか、ため息をつくというか、どちらも一筋縄でいきそうにありません。

 私たちの帰還については、暗中模索の様相は変わらずです。

 そんな合間に第11艦隊に投降を呼びかけると、残存艦隊のうち、さらに1000隻余りが離脱してくれました。どうにもこちらは順調の模様。妙な根性を発揮するルグランジュ中将が両手を上げるのも時間の問題かな?

 「無理じゃない?」

 と皆さんの声は意外にネガティブ。まあ、そこところで頑固に抵抗されても……という思いがあることは間違いありません。

 そんなやるせない雰囲気のさ中、ついに終わりが見えてくる出来事がありました。

 『みんな元気そうだね』

 その人の顔を見たとたんに艦橋が明るくなり、私たちも不安が吹き飛んだ気がしました。

 そう、ヤン艦隊との通信が回復したのです。
 
   ――ホシノ・ルリ――
 



闇が深くなる夜明けの前に
機動戦艦ナデシコ×銀河英雄伝説





第18章(前編)

『追い風/そして地上ではW』





T

  分身行動以降、ヤン艦隊とミスマル艦隊との間に通信が回復したのは 宇宙歴797年、標準歴6月1日、標準時10時16分のことであった。

 『やあミスマ ル提督、久しぶりだね』

 という緊張感のかけらもない含まれていない黒髪の大将閣下の挨拶から二人の会話は始まった。ナデシコの艦橋が笑い声や安堵した反応で満たされるのは、「ヤン・ウェンリー」という為人にユリカたちが絶大な信頼を寄せているためだろう。

 『みんな元気そうだね』

 それは、実はヤンたちも同じだった。彼やその幕僚はユリカやアッテンボロー、シェーンコップらの変わらぬ姿を見てどれほど安堵したことか……

 ヤンとユリカがいくつかの他愛もないやり取りをしたあと、本題の質問を最初にしたのは最年少中将の美人提督だった。

 「ヤン提督、今の状況からいってハイネセン攻略の時期はいつ頃になりそうでしょうか?」

 質問を受けた最年少の大将閣下は、おさまりの悪い黒髪をちょっとかいてから言った。

 『そうだねぇ、このままま順調ならば今月中に決着を付けたいと考えているよ』

 まだ先は長いということに他ならないのだが、ユリカや彼女の幕僚がその期間を享受するのは、エル・ファシルやイゼルローンの二の舞を防ぐためには仕方がないと考えているためだ。もし最短の攻略方法を採るならば、二か所の叛乱星系を素通りしてハイネセンを直撃も可能――ではあるものの、その間に後方で別の叛乱や騒乱が発生という事態になると内戦が大幅に長引いてしまう可能性がある。

 ユリカが動かないのもそのあたりに理由があるのだが……

 もちろん、ヤンはその理由を知っている。

 『私としてもミスマル提督たちの負担が増えないよう、一日でもはやく首都星を開放できるように努力するよ』

 「ヤン提督にお任せします。急がずに確実にお願いします」

 ユリカは、逆にヤン艦隊の苦労をねぎらうような返答をしたが、一瞬だけブルーグリーンの瞳をスクリーンから逸らし、思い直したように言った。

 「ええと、やはり今月中に決着をつけていただくよう、どうかよろしくお願いします」

 と頭を下げた美人提督の姿に首を傾げた幕僚たちは多かっただろう。ヤンも最初は意図が分からなかったが、彼は別の理由に思い至る過去の記憶があった。

 『なるほど、そうだったね。善処するよ……いや、最初に言った通り今月で決着をつけるよ』

 「ありがとうございます!」

 と、ユリカは満面の笑みを浮かべて深々と頭を下げた。当然、ヤン艦隊のほとんどの幕僚が二人のやり取りの意味を理解できなかったのだが……

 『ミスマル提督、大変だと思うけど第11艦隊のこと、その他のこともよろしく頼むよ』

 「はい、こちらはすべてお任せください。ヤン提督はハイネセン解放にご専念ください」

 二人がそれぞれに敬礼して通信が終了するかに思えたが、ユリカが「お待ちください」と言わんばかりに待ったをかけて、

 「提督、実はとある方がヤン提督と少しお話がしたいとおっしゃっていますので、ちょっと代わりますね」

 『えっ?』

 美人提督と交代で通信画面に現れた褐色の肌をした長身の人物を目にするなり、のほほんとした青年提督の姿勢が瞬時に改まった。その時のヤンの変わりようは後々まで話題のネタになったという。

 「やあヤン提督、給料分以上の仕事をしているとは珍しいものだな」

 魔術師と敵味方双方から畏敬される黒髪の青年提督は、まさにこの時ばかりは異名にふさわしくパッと消えてしまいたい気分になった。ヤンの眼前には、彼自身が頭の上がらない数少ない人物の一人であるシドニー・シトレ退役元帥の変わらぬ精悍な姿が映っていた。
 
 



U

 一方、救国軍事会議の幹部たちの間では、いまだ会戦の結果すら送ってこない第11艦隊に対して「敗北」の見方が有力になっていた。

 「ここに至ってなお戦闘状態にあるというのは、いささか想像力の欠如を免れん。第11艦隊とルグランジュ中将は敗北もしくは降伏したと考えるのが妥当だろう」

 会議の席でグリーンヒル大将が結論つけると、室内の空気がやや重くなったような錯覚に見舞われた者も存在した。中にはルグランジュ中将を罵るような発言も散見されたが、貴重な機動戦力を失った衝撃は小さいものではなく、すぐにその声は下火になった。

 救国軍事会議側が情報の把握に苦心し、その結論に達するまでに時間がかかったのは事実である。第11艦隊が敗北したというのは、実際に艦隊がミスマル艦隊に制圧されてから4日目には通信の傍受などから一部は届いていた。が、当初は敗北するには早すぎ、ヤン・ウェンリーの策略だと疑われていた。その後、通信が途絶したため、策略を疑いつつも情報を集めにかかったが、今度は通信を妨害され、かなり断片的にしか情報を収集できなかったのである。

 そこからは、まさにヤンの嫌がらせ――――もとい策略だったわけであるが……

 救国軍事会議が右往左往させられたのは間違いない。

 その様子を冷ややかな視線で眺め続けていたアーサー・リンチ元同盟軍少将の表情は、やはり他人事だ。

 そんなことは知らず、グリーンヒル大将が寂しくたたずんでいる――ように見えるブロンズ中将に訊いた。

 「その後はどうだ?」

 訊かれたほうの返答はため息交じりだったと言ってもよい。

 「駐留艦隊が近づいているのは確実ですが………」

 グリーンヒル大将ら幹部たちの間で問題となっているのは、「なぜルグランジュ中将が念押しした作戦構想から外れて駐留艦隊と正面から会戦したと思われる」、という点である。

 しかし、より大きな点は、第11艦隊と駐留艦隊が戦端を開いたとされる5月10日から、ありえない日数でエル・ファシルとシャンプールが攻略されてしまったという事実だ。普通に計算しても異常だった。

 「いったいどんな手を使ったのか………」

 そもそも、第11艦隊の戦力は蜂起した惑星の警備艦隊が加わったため17000隻の陣容を誇る。その強大な戦力に対して駐留艦隊は全戦力で挑むのが戦術上の常識であるはずだと幹部たちは考えていた。その考えは決して間違ってはいない。

 「ふん、艦隊を分離でもしたんじゃないのか?」

 6割ほど的を射ていた不意の発言はリンチだった。相変わらず酒臭さが消えず、やはりどこか意識が朦朧としているように見える。

 そんな様子なので彼の言葉をまともに受け取る者はいない――

 ――かに思えたが、グリーンヒル大将だけはその可能性を否定しなかった。

 「第11艦隊とルグランジュ中将は決して脆弱ではないが、警備艦隊との混成艦隊でもある。ヤン・ウェンリーならば何らかの手段で艦隊を分断し、いずれか一方の艦隊に各個に撃破された可能性がある」

 つまりグリーンヒル大将が導き出した予想は、「駐留艦隊10000隻VS警備艦隊群5000隻」、「駐留艦隊10000隻VS第11艦隊12500隻」 ――ということだった。

 どちらが、いずれかと戦ったのかは確たる情報がないため断定はできないが、もしそうならばグリーンヒル大将には予想がつく。警備艦隊群に対してミスマル艦隊。第11艦隊に対してヤン艦隊であろうと。

 前者であれば戦力差は倍。正規艦隊と警備艦隊では装備も装甲も錬度も違う。しかも相手は帝国領侵攻作戦で帝国軍相手に善戦したミスマル艦隊だ。勝てる可能性は低い。

 後者は言うに及ばず。2000隻のほどの戦力差ならば、帝国領侵攻作戦で同等かそれ以上の帝国軍艦隊相手に一歩も引かず、アムリッツアでも目覚ましい働きをしたヤン艦隊相手に勝算は薄い。ミスマル艦隊が警備艦隊を撃破してヤン艦隊に加勢すれば絶望だろう。

 それでもなお、数日のうちに2か所同時に叛乱を鎮圧するなど不可能なのだが……

 有効な対策が提案されないまま、会議はいったん解散となった。
 
 

 ■■■
 
 会議室に残ったのは、やはりこの二人であった。ウイスキー瓶片手のリンチと思考に沈むグリーンヒル大将である。

 不運と自業自得の憂き目に遭った元同盟軍少将がおもむろに言った。

 「で、いったいどう対処するつもりなんだ大将さんよ。挟撃の策は白紙になったわけだし、駐留艦隊を押さえる術はないに等しいんじゃないのか?」

 かなり意地の悪い口調だったが、グリーンヒル大将は相手の挑発に乗るでもなく、淡々として答えた。

 「我々はまだ負けたわけではない。ヤンの性格からいってハイネセンを攻めるのは最後だろう。こちらにはアルテミスの首飾りがある。ヤンも攻略には時間をかけるはずだ」

 「そんなことは俺にだってわかる。だが相手は奇跡のヤンと戦姫――だっけか? 俺たちの常識が通用するのかねぇ」

 まさにリンチの言う通りで、戦術上の暴挙ともいえる三分身作戦を実行していたなどと、グリーンヒル大将でさえ想像の範囲外にあった。

 ――というよりも、ヤンの脳内が用兵上の理論を逸脱することをグリーンヒル大将もイゼルローン要塞攻略から考慮はしていても、すべての作戦に対して逸脱するかといえば、最初からそこを起点に考える者は存在しない。それは「駐留艦隊が分身攻撃を行った」、と戦術構想の半分を言い当てたリンチも同じであった。

 グリーンヒル大将はしごくまっとうな返答をした。

 「ヤンが奇策を用いたからといって、こちらが同じ土俵に上がる必要はない。奇策同士の応酬は戦術上の迷走を多発させ、短期間での敗北につながりかねない。我々は我々のできる最善の対処をするだけだ」

 拝聴したほうは微塵も心を打たれた様子がなかった。嘲笑でもするかのようにウイスキーボトルをあおった。

 「ふん、俺らに合った最善の対処方か。ならば最初からヤンと戦う必要なんぞなかったんじゃないか?」

 グリーンヒル大将は一瞬だけ目を見張った。

 「どういうことだ?」

 「そういう事さ」

 リンチはそれ以上何も言わず、ふらふらとした足取りで会議室を退出していった。
 
 
 



V

 「愛しき兵士諸君! ついに暴虐非道なる救国軍事会議に対して反撃の狼煙を上げる時が来た。我々はテルヌーゼンから立ち上がり、抑圧された日々を耐え忍んでいる家族や友人、愛する人々を開放し、もって同盟全土に正義の御旗を掲げようではないか!」
 


 ――宇宙歴797年5月27日――

 首都星ハイネセン第二の都市テルヌーゼン市の中心街から南に500キロほど離れた地下に存在する軍事施設内部の格納庫では、装甲車両の頂から迷彩服姿のヨブ・トリューニヒトが基地兵士に向かって熱心に演説を行っていた。

 「我々は勝たねばならない。自由意志と共和制の精神を希望ある次世代に繋げていくためにも勝たねばならないのだ。諸君らは、何も恐れることはない。敵は強力であっても我々の意志の強さには到底及ばない。親愛なる兵士諸君は同盟の未来を切り開くために戦い抜いた英雄として後々まで語り継がれることであろう。

 共和制の理念を破壊しようと目論む不正な軍事組織を打ち倒そう! 

 このヨブ・トリューニヒトが先頭に立つ!さあ、我に続け! 自由惑星同盟万歳! 共和制万歳! 同盟よ永遠なれ!」

 壮年の政治家の演説が頂点に達すると、ナショナリズムを刺激され内部沸騰が著しい兵士たちの歓声がさらに勢いを増して軍事施設の地下に響き渡った。その「熱狂」たるや、勇将として名高いウランフ提督も圧倒されてしまうほどである。

 「これはすごい。最初は聴いている小官のほうが恥ずかしくなってしまったが、ウォン女史の言う通り今後の参考のために聴いておいて正解だったな」

 ウランフは、すぐ隣に立つエリナにやや声を高めて感想を述べたが、「拝聴」することを勧めた美女のほうは少々呆れているようでもあった。

 「どうやら、ウォン女史も私と同じ感想のようだな……」

 騒音――歓声がややダウンしたところでウランフがささやくと、アカツキ・ナガレの美人秘書は勇将を一瞥(いちべつ)して肩をすくめてみせた。

 「失礼しました。そうですね、呆れていたこともありますが、多少自己嫌悪になりました」

 優秀な彼女にしては奇妙な返事だとウランフは思った。

 「自己嫌悪……かね?」

 「ええ」

 エリナ・キンジョウ・ウォンという才色兼備の20代前半そこそこの女性は、ネルガル時代にはナデシコの建造やエステバリスの開発、さらには極冠遺跡の件で連合宇宙軍や政府から協力を引き出すために似たような駆け引きや広報活動を行っていた。当事者側としての立場からは何も感じてはいなかったが、こうして第三者側としてトリューニヒトの演説を聴いていると複雑な気分になったのだという。

 「なるほど。ネルガルという大企業を通して権力側に身を置いていた貴女としては、その時の自分がトリューニヒトの今の姿と重なる、というわけかな?」

 勇将の問いに対するエリナの返答は意外でもあり矛盾もしていた。

 「それもありますが、私ならあんな大げさに演説しなくても、もっと簡単に扇動できるのにと思いまして」

 「………」

 ウランフは何か言いかけて思いとどまり、今度は自分に向けられた歓声に応える側となっていた。
 
 


■■■

 ウランフとエリナは、794装甲車部隊と接触し、その説得と戦力獲得に成功したわけだが、やはりトリューニヒトと基地司令官ボルト大佐との間には限りなくグレーな関係というものがあったようだった。

 ――だった、というのは明確な証拠も証言も得られたわけではなかったものの、数少ない情報を総合した限りでは、トリューニヒトがボルト大佐を含む部隊指揮官を集めた際、彼らに対して便宜を図るためにそれとなく何かを要求したが、ボルト大佐だけトリューニヒトに何も贈らなかったことがあったらしい。

 たまたま空気を読めなかったことが「左遷」という形でボルト大佐を出世コースから外してしまったわけだ。

 大佐本人はというと、軍人らしい口ひげを生やしたごっつい感じの風貌ながら、お調子者の一面も覗かせていた。わりとあっさりとウランフの協力要請を受け容れたのだ。勇将としては喜ばしい限りだが、一抹の不安を覚えなくもなかった。

 ウランフは相手の意図を読み取ろうとしたが、エリナがいち早くその理由を推察した。

 「ヨブ・トリューニヒトとは少なからず因縁があるでしょう。相手に憤りがあったとしても形だけは国家元首の命を受け容れて前回の失敗の帳消しを図り、部に対しては有力な将帥であるウランフ提督に全面的に協力することで地位を確保し、一度は外れた出世コースに戻れると踏んだのしょう。勇将の覚えもめでたければ、彼としては安心です。私が見たところ、彼はトリューニヒトよりもウランフ提督により協力的です」

 「なるほど……」

 ボルト大佐には救国軍事会議からも誘いが来ていたらしいが、断ったというよりも情勢がどちらに傾くか態度を保留していたところに、より直接的にウランフたちがやってきたという微妙さがある。

 とはいえ、ボルト大佐はこちら側を選んだということ。その判断は打算があったとしても正しいと言えるだろう。

 「案外、先の計算はできる人物なのかもしれんな」

 「ええ、そうですね。売り込む相手の目利きはできているようです」

 「それはありがたい。あとはそこそこの指揮能力があればいいわけだが……」

 期待してもいいかな、とウランフは思った。ボルト大佐の部下で離脱した者は一人も出ていないのがその証明でもある。

 いずれのせよ、細かい紆余曲折を経てウランフたちは100両の装甲車両路」と1000名を超える戦力を手に入れたのだ。これでテルヌーゼン解放の算段は立った。まだ試作段階ながら新型のエステバリス5機を加えれば、テルヌーゼンに展開するクーデター勢力を十分一掃できるだろう。

 ウランフは、ばか騒ぎが一段落すると、さっそく主要な軍人を会議室に集めて作戦の説明を行った。


 


W

 ヤン・ウェンリーは、意表を突く恩師との通信を終えると、その事には触れる気はないようで、集う幕僚たちに言った。

 「どうだい、ミスマル提督は期待に応えてくれただろ?」

 反応は様々であったが、もっとも懐疑的であったムライ参謀長が「お見事でした」と全面的に降参したことが全てを物語っていたと言ってもよかった。ヤンは満足そうにうなずいてから、シートを回転させて幕僚たちに向き直った。

 「我々はパルメレンドを解放した。次はアクタイオンだ。先ほどの通信でみんなが聞いていた通り、私はミスマル提督と今月中の決着を約束した。その言葉に二言はない」

 青年提督は幕僚たちの反応をうかがった。その表情は誰もが司令官の宣言に姿勢を正したように見える。

 「――したがって、我々は当初の予定より三日早く行動し、ライガール星系を経由して最短でエリューセラ星系に向かう。何か質問は?」

 ないようだったので、ヤンは幕僚たちに各自軍務に戻るようお願いした(・・・・・)
 
 
 

■■■

 ヤン艦隊の内部がエリューセラ星系へ艦隊を進めるために忙しく動き回る中、黒髪の司令官は何をしていたかというと――のシートにゆったりと腰かけてユリアン・ミンツの淹れた紅茶を楽しんでいた。

 「ユリアン、持つべきものはよき友人だねぇ」
 
  少年は理解したような、それでいて意外そうな顔をした。

 「……ええと、それはミスマル提督のことでしょうか?」

 もちろん、と肯定しておいてヤンは続けた。

 「正直、ミスマル提督が第11艦隊やエル・ファシルに対処してくれなければ、我々は最短の日数でここまでたどり着くことはできなかっただろうからね」

 これはお世辞でもなんでもなく、心からの本音だなとユリアンは感じていた。

 「まったくおっしゃる通りだと思います。提督風に言うと”ずいぶん楽”になったということでしょうか?」

 「んー、筆舌に尽くしがたい、ってところかなぁ」

 どうやら、想像以上に「楽をしているな」、とユリアンは思う。これまでに感じたことのない保護者の余裕は、後方のめんどう事をすべてミスマル提督に押しつけ――いや、任せられるからだが、だからと言ってのほほんと紅茶を楽しんでいるというのは――――

 いや、それがヤン・ウェンリーという黒髪の艦隊司令官の仕事の一環なのだと少年は思うのだ。仕事をしだしたら逆に邪魔になるかもしれないし、何よりも「奇跡のヤン」の平和そうな姿を見ているほうが大半の兵士たちは落ち着き、なんと仕事に精が出るのだ。

 少年の心中の賛辞をむろんヤンは知らない。ユリアンが声に出して褒めたとしても、ヤン自身は微妙な表情をするだけだろう。きっかけを作った第14艦隊美人提督の労をねぎらわずにはいられない。

 「きっと、ミスマル提督もこちらに参加したいでしょうね」

 「まあ、そうだろうね。そうなったら私はミスマル提督に任せて昼寝でもするさ」

 冗談には聞こえない。ユリアンとしては笑うしかないのだが、ヤンはそこで話を止めなかった。

 「できることならミスマル提督はこちらに駆けつけたいだろうね。なんといっても第11艦隊は動けないのだからね」

 だが、動けない理由があるんだと、ヤンはユリアンに言った。

 「どうしてだかわかるかい? ユリアン」

 亜麻色の髪の少年は「奇跡の(ミラクル)ヤン」の弟子らしい回答をした。

 「ミスマル艦隊が後方を押さえている、ということでしょうか?」

 「うん、まあまあ合ってる」

 及第点はもらえたようだが、一番弟子を自称するユリアン少年としては不満の残るところだろう。ヤンは少年の回答を補足するかのように言った。

 「ミスマル提督が第11艦隊を制圧し、分艦隊と合流してなお、その宙域に留まるのは、何も彼らの降伏を待っているだけじゃない。一つの理由はユリアンの言った通りさ」

 つまり、イゼルローンとバーラトの中間に鎮座することで、その前後ににらみを利かせているということだ。また、可能性は低いが、帝国軍がイゼルローン回廊を越えた場合の備えにもなっている。

 「今一つは、どさくさに紛れて騒ぎを起こそうと画策している輩に対してだけではなく、周辺の有人星系に住む同盟市民たちを安心させることにも一役買って いるんだ」

 ヤンの説明にユリアンはポンッと手を叩いた。

 「戦略的な位置にある、という事ですね?」

 被保護者の回答にヤンは満足げにうなずいた。

 「その通りだね。ミスマル艦隊がその位置にあるからこそ、我々は戦術的な役割に集中できるというわけさ。こういう時は私もそうだけど、彼女の”戦姫”という名声がものをいうんだ」

 軽快なヤンの口調は、ユリアンの記憶によれば、やはり気分の良い時だった。

 「ただ……」

 と厳かに前置きをして、ヤンはティーカップをトレイに戻す。

 「ミスマル提督からルグランジュ中将の様子を聞いた限りでは、第11艦隊の完全降伏はハイネセンの解放、もしくは救国軍事会議の降伏待ちになってしまうだろう。それだけじゃないけど、もう一つの理由と同じく早めに決着を付けないと、彼女たちの気苦労も限界に達してしまうかもしれないね」

 前半はその通りだが、、後半の部分は「絶対にない」とナデシコの関係者が聞いていれば否定したかもしれない。

 責任重大だな、とヤンはつぶやき、再びティーカップを手に取って心地よい味覚でのどを潤した。その後の表情が急に真顔になったことにユリアンは多少驚い た。

 「ユリアン、我々にとって彼女たちとの出会いは非常に得難いものになったけど、ミスマル提督たちにとって、我々との出会いはプラスになったのか ねぇ……」

 極めて間接的な発言だったが、ユリアンは迷わず断言できた。

 「もちろん、大いにプラスですよ」
 
 ヤンの表情が和らいだ。

 「そうか、それはよかった」


 ミスマル提督と戦艦ナデシコ……

 ヤン艦隊が彼女たちとともにイゼルローンの守備についてはや半年。その間にシトレからの宿題をたびたび思い出しつつ、「戦艦ナデシコ」の真実へ彼らなりに到達しようとしていた。

 残念ながら、まだわからないことだらけだ。真実に迫るには、どうしても情報が少ない。ある程度の想像や仮説は構築できても、二人とも、とても真実に達しているとはまったく考えていない。それだけ謎が深いのだ。

 もともと宿題の内容が途方もない。今は、いつかミスマル提督が真実を語ってくれる日まで、自分たちなりに謎を追いかけようではないか……

 だが、「真実」という回答が、ヤンやユリアンが想像する以上にユリカたちにとっても【斜め上】にあったということを、彼らは後々思い知ることになる。

 ふと、二人の視線が同一方向に注がれた。少年と若き英雄の見据えるメインスクリーンの向こうには、人類の憧憬と畏敬、活力と探求心の源である漆黒の空間がいつ果てるともなく広がっている。

 その共通の時間が少しだけ過ぎた頃、不意にヤンは少年に要望した。

 「ユリアン、紅茶をもう一杯頼めるかな?」

 「ええ、もちろんです」
 
 
 ティーカップとトレイを回収したユリアンは、しっかりと耳にしていたヤンの言葉について声を潜めて質問した。

 「てーとく。先ほど”もう一つの理由”とおっしゃっていましたが、それってミスマル提督と約束されたことと何か関係があるのですか?」

 すると、ヤンは我に返ったような表情で周囲を見回してから言った。

 「やはり気になったかい?」

 「ええ、まあ……お聞きしないほうがよろしかったでしょうか?」

 「いや、そんなことはないよ」

 ヤンは、ユリアンに「耳を近づけるように」、というしぐさをした。

 「はい?」

 少年が素直に耳を近づけると、黒髪の提督は「ここだけの話」として理由を説明した。

 「実はだね……」

 その理由を知ったユリアンは思わず表情を崩してしまったが、なにも呆れたわけではなかった。

 「なんというのか、微笑ましいですね」

 というのが素直な感想だ。ヤンも少年に同意したようにうなずいた。

 「まあ、理由が不謹慎だとか動機が不純だとか言う人も中にはいるかもしれないけどね」

 そう言ったヤンの表情は不機嫌ではない。むしろ愉快そうだった。

 「私としては、とっとと内戦を終わらせて有意義なイベントに招待されるほうを選びたいさ。そうだろ、ユリアン」

 もちろん、と少年は全面的に同意した上で、

 「理由はどうであれ、てーとくが給料分以上にやる気になったのはよいことです」

 とちょっと意地悪。ヤンとしてはベレー帽を脱いで頭をかくしかなかったが……

 「いずれにせよ……」

 奇跡のヤンは、その場を仕切りなおすように言った。

 「楽しい目標があるというのはよいことさ」



■■■

   アーサー・リンチは、ウイスキーボトルを片手に宇宙港を望む人影のない高台から周囲を眺めているようであった。髪はぼさぼさで白髪が目立ち、身だしなみも整っているとはいいがたい。伸びたあごの無精ひげを撫でまわしこそすれ、それほど気にしていない様子であった。

 (ふんっ、まあ目的の二つ目も達成できた。あとは俺が生き残れるかどうかだが……)

 リンチのよどんだ目が騒乱とは無縁な青い空へと向けられた。

 そう、かつて駆け巡った空の向こうの果てしなく広がる漆黒の世界を懐かしむかのように……

 
 



  X

 準備を整えた者、次の目的に歩みだす者――

 前を進む者たちに、同じように追従できないでいる人物が首都星ハイネセンの一角に存在した。
 
 「やれやれ、頭が痛いねぇ……」

 彼らしくなく弱々しく嘆き、何度目かの天井を仰いだ――と思ったらソファーにバタンと横になり、自慢のロン毛をかき回した。
 
 ――アカツキ・ナガレ――

 青年の名である。ミスマル・ユリカと同年齢ながら、彼女とは違ったエリート経歴の持ち主だ。彼の世界――地球連合政府時代の地球では世界有数の軍需産業企業である「ネルガル」の若き会長だった。

 そして現在(と言うと誤謬がある)は、銀河の半分を支配する自由惑星同盟の下で軍需産業界1となっているエリオル社の若き社長として君臨している――

 ――はずだった。

 一気に市場規模が100倍くらいに膨れ上がった世界で前途洋々かと思いきや……

 しかし、今は「社長」という地位と大きな権力から一時的に追われる身となっていた。二か月ほど前に突如として起こったクーデターの組織である救国軍事会議によって重要人物と目されて拘束の対象となったからである。

 アカツキは当時、トリューニヒトと非公式の会談中だった。その最中に不測の事態に遭遇し、間一髪で拘束を免れ、危機一髪で追跡を振り切ったのだった。

 その後、相手の意表を突く形でハイネセンに舞い戻って情報収集のため、半ば潜伏生活を送っているのだが……

 現在の進捗具合は、もしこの場に毒舌揃いのナデシコ連中がいれば「○ね」くらいは言われかねないくらい足踏み状態だった。政府要人の安否やクーデター側の市内部隊配置は、ジェシカ・エドワーズの協力もあって確実性のある情報を入手していた。エドワーズ女史との折衝も何度も、というわけにはいかなかったが、いざという時の協力は取り付けてあった。

 しかし、協議を重ねていたとある日、アカツキは第11艦隊が出撃したとの情報を入手する。彼は焦った。実際の出撃から8日も経過していたこと、第11艦隊の目的が何であるか容易に想像できたからである。

 アカツキは思わず顔を手で覆った。第11艦隊の目的にではなく、救国軍事会議内部の動向把握に後れをとっていたことだ。

 いや、第11艦隊の出撃情報自体が偶然の産物であり、ビュコック提督ら軍部要人の安否はいまだ掴めずにいた。

 目下のところ、それがアカツキの最大の悩みの種だった。己の失策がここにきてボディーブローのように効いているのだ。

 ――失策とは、エリオル社の社長に就任し、エージェントたちを再配置していた途中にクーデターに遭遇してしまったこと――

 ――ではなく、トリューニヒト(政界)とのパイプが繋がったことで、再配置の完了していたエージェントの大半が軍部に集中していたことだ。

 そのため、クーデターの首謀者たるグリーンヒル大将にほぼ一掃されてしまうという憂き目にあってしまったのだ。事前にミスマル・ユリカより注意喚起されていたこともあって、アカツキの自己嫌悪と自信の喪失はさらに増したと言ってもよかった。

 (いろいろかっこつかいないなぁ……)

 それから数日して、さらに青年を追い込む事態が発生した。いや、本来ならばうれしいはずの知らせであるはずなのだが……

 「社長、テルヌーゼン解放の準備が整ったそうです!」

 数少ないエージェントたちを経由して届いたウランフ提督からのメッセージをノア・エリクソン副主任から受け取ったのだ。通常なら「吉報」だ。

 しかし、アカツキの反応はその逆だった。テルヌーゼンが数日のうちに解放されたならば、当然次はハイネセンポリスだ。青年社長をはじめとして抵抗勢力側の最大の共通目標は「短期で内戦を終わらせる」ことである。

 アカツキは、テルヌーゼンを解放したウランフが、あまり時間を置かずにハイネセンポリス解放に動くに違いない、と予測していた。

 そのためには政治的な問題も考慮してビュコック提督たちの安否と正確な拘束場所を入手する必要があった。できれば統合作戦本部ビルを守る警備部隊の配置図情報を入手したいところだ。被害を最小限に留めるには、ピンポイントで目標を定める電撃戦か奇襲戦しかない。

 とはいえ、アカツキはずっと手をこまねいていたわけではなかった。エージェントの一人を思い切って統合作戦本部に潜り込ませようとはしてみたのだ。

 しかし、結果は「射殺一歩手前」という失敗だった。警備体制はかなり厳しい。グリーンヒル大将は無論、警備主任らしいエベンス大佐という軍人もなかなか手強い。

 結局、アカツキは潜入作戦を断念した。彼は仕方なくトリューニヒトに命じられて救国軍事会議に潜入中だというベイ少佐と連絡を取ろうと試みたが、どういわけか連絡の手段が途切れていて断念せざるを得なかった。

 打つ手なしだが……

 (やれやれ、誰かの言葉じゃないけど、もう少し楽な相手と駆け引きしたいところだねぇ)

 ソファーから気だるげに起き上がったロン毛の青年だが、もちろん表情も冴えず下を向いたままだった。(あるじ)を見守るエリクソン副主任もどことなく沈痛なおもむきだ。

 (こうなるとぶっつけ本番かなぁ……)

 アカツキは危険な決断を下すかに思えたが、空気が一変したのはその日の夕刻だった。

 「社長、誰か来ます!」

 そう小声で警告を発した副主任が素早くブラスターを構えてドアの側面に立つ。アカツキは慌ててソファーの後ろに身を隠し、護身用のショックガンを右手に構えた。

 エージェントやビルの管理人ではないことは設置した熱感知センサーから明らかだった。もし救国軍事会議の兵士ならば万事休すだ。アカツキはユリカたちに会わせる顔がなくなるだろう。

 とはいえ、反応は一人だった。建物の構造と利用条件のために監視カメラが設置できなかったことが痛い。

 徐々に足音が近づき、ドアの前に立った。二人の緊張感が増す。その声を耳にするまでは……

 「どうもお騒がせして申し訳ない」

 真っ先に「声」に反応したのは副主任だった。アカツキに意外そうな顔を向ける。青年社長も聞き覚えのある緊張感を拍子抜けさせるような温厚な声の持ち主に意表を突かれた様子だった。

 さらに声は続いた。生徒を諭す教師のようでもあった。

 「安心してください、私一人ですよ。いろいろ苦労しましたけど」

 アカツキと副主任との視線が再び重なった。(あるじ)はちょっと考えてから優秀な部下にうなづいた。

 エリクソンは、警戒を怠らないままゆっくりとドアを開けた。そこには――

 「やあ、どうもどうも。いやしかし、アカツキ社長はお若いのになかなか用心深い。探すのに苦労しましたよ」

 ――しわくちゃの紙袋を脇に抱えてさり気なく立っていたのは、あのチュン・ウー・チェン、「パン屋の二代目」――その人であった。
 
 
 


 ……TO BE CONTINUED

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 皆さん、お久しぶりです。ようやく続編を投稿できました。待っていてくれた方、「ありがとうございます!」

 遅くて呆れてしまった方、「本当に申し訳ありません……」

 いろいろありますが、短い期間で投稿できるように努力します(汗

 さて、17章後編のあとがきに書いたと思いますが、第二部の終わりが見えてきました。帝国側は、あと多くて「3話」くらい。同盟のほうは複雑なことをしてしまったので、たぶん「3話以上、5話未満」必要になりそうです。

 それから、投稿のほうを優先したため、ルビが振られていなかったり、強調したい部分がノーマルだったりして、ちょっと読みづらい部分があるかもしれませ ん。

 そして18章ですが、次回も同盟編になります。

 2016年3月18日 ――涼――

 誤字のほか、不自然なスペースのあった部分を修正しました。

 2016年 8月6日 ――涼――

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