とある魔術の未元物質
SCHOOL11 単純 にして 明快 なる 二択
―――快楽と行動は時間を短く思わせる。
何もせず、ただジッとしているというのは思った以上に疲れるものだ。肉体的ではなく精神的に。何もしないというのは生物的にイレギュラーな行動であり、何かをするのが生物として当然の営みなのだろう。だからこそ、人は道に迷う時、そこに動かずジッとしているのではなく行動してしまうのだ。
インデックスの頼みと言うのは、それほど大したことではなかった。
そう大したことのない、日常の人間なら簡単に享受できる平穏と言う名の頼みごと。
「わぁー、凄いんだよ! 部屋が真っ暗になって変なピカピカが壁中に」
「カラオケボックスがそう珍しいものなのか。
いや、そうだったな」
インデックスのような人間にとっては、こんな在り来たりなカラオケボックスでさえ新鮮に映るのだろう。或いは例え行った事があったとしても忘却してしまっているのか。
「で、お前なんか歌えるのか? 記憶がないんだろ」
「うっ。そ、その可能性を考えていなかったんだよ!」
「本当に完全記憶能力持ってるのか?」
「けど大丈夫! しっかりとカナミンのopとedテーマを記憶してるからね。それはもう歌詞から音程まで完全に記録しているから」
「教会の連中も完全記憶能力がそんな事に使われるとは思ってもいなかったろうな」
「あっ。もしもし、この特大ステーキセットとポテチ大盛りを!」
「おいコラ。勝手に注文してんじゃねえ。てか本当に来たことないのか?」
「ていとくは何がいい?」
「紅ちゃ…………いや珈琲にしておくわ」
「ふぅ〜ん。分かったんだよ。珈琲も追加で」
パタンと受話器を置く。
やけに手慣れた動きだ。もしかしたら本当に記憶はないだけでカラオケには来た事があるのかもしれない。尤も、今日の記憶は今日の午前0時には消える訳であるが。
「で、歌うんならさっさと歌え」
「ふふぅん。私の美声に酔いな、なんだよ!」
「へいへい。分かったから歌えアホ」
そう適当に言ったのが不味かったのだろう。それから数十分間ぶっ続けでインデックス曰く『神曲』とかいうアニソンを聞かされる羽目になった。知っている曲ならまだ良かったが、カラオケで素人の歌う知らない曲を延々と聞かされるのは拷問に近い。
「…………あー、また四十三点。ていとく、この採点壊れてるかも」
「実に正当な評価だと思うがな。つぅかこの短期間で良くもまぁその量のアニソンを叩き込んだもんだ」
「次はていとくが歌ったら? 私はこれからステーキを食べなきゃだからね!」
「…………そうかよ」
と言っても垣根自身カラオケに来るのは久しぶりだ。
なので適当に目についた歌を選曲する。
「ていとく、どんな曲入れたの?」
「別に。それほど奇妙なものじゃねえよ」
インデックスは画面を見る。
するとそこにはデカデカと曲名が映し出されていた。
それは某アニメの主題歌。大人の事情で曲名を表示する事は出来なくなったりしたが、恐らくこの作品をご覧になっている読者様なら確実に知っている曲だ。
「上手く言えないけど、ていとくがその歌を歌うのはそこはかとなく間違ってるかも」
「何を言ってやがる? しかしレールガンっていうと第三位を思い出すな」
そうこうしている内にイントロが終わり、始まる。
垣根帝督にとって久方ぶりのカラオケは、色々と間違った選曲であった。
「うわー」
やけに熱意を込めて垣根は歌う。
インデックスはこの世界の不条理をスルーして、ひたすらステーキを食べる事に集中していた。その勢いときたら、食べに来たのか歌いに来たのか分からなくなる程だ。
そして漸く曲が終わった。
垣根自身、久しぶりに歌ったせいだろうか。妙に力がこもってしまった。
「点数が出るんだよ!」
「ま、この俺が歌ったんだ。九十点台は勝てえな」
垣根が自信満々に言う。
そして気になる結果はと言うと。
<2点>
「!」
「ぷぷっ……。第二位の超能力者だけに、2点は凄いんだよ!」
「くそっ! 壊れてんじゃねえのか、この採点!?
大体2点なんて出そうと思っても出ねえだろうが!」
普通はその通りだ。
カラオケの採点なんて幾ら音痴だろうと適当に歌っても四十台は軽く出る。寧ろ余りに低すぎる点数なんていうのは出ない。
だがそれは学園都市のテクノロジー。演歌のコブシまでしっかりと評価してくれる最新式だ。通常のカラオケボックスと同列に見てはいけない。
「ふふふふ。敗者の遠吠えは見苦しいだけなんだよ」
「……いいだろう。なら俺も本気出す。
未元物質(ダークマター)の本領を見せてやるぜ、このド素人がァ!」
「望む所なんだよ――――――――――ッ!」
それからは本当に対決のようだった。
2点という屈辱的な結果にムキになった垣根が、楽しい記憶なんて殆どないインデックスが、まるで競い合うかのように歌う。今日の午前0時にインデックスが『死んでしまう』ことも忘れて。
「楽しかったね、ていとく!」
「ああ、そうだな」
帰り道をインデックスと垣根は歩く。
時刻はもう午後6時。インデックスが『死ぬ』まで残り後6時間。記憶を失う。もう直ぐ全てを忘れてしまう少女は、そんな事を微塵も感じさせない笑顔で道を歩いていく。
今日一日、最後に楽しい思い出を作りたい。
それがインデックスの願いだった。インデックスの表情を見る限り、その願いは果たされたのだろう。少なくとも垣根の目から見たインデックスは、今日一日を存分に楽しんでいたと思う。
「お前は、いいのか?」
けれど気づけばそんな言葉が出ていた。
「えっ?」
「いいのかよ。テメエは今日一日が楽しければ。
大体その楽しい記憶だって午前0時には全部パーなんだぜ」
「仕方ないよ。あの二人が数日かけても解けなかった『首輪』を残り6時間で解ける訳がないし、私の十万三千冊にも『首輪』をどうにかする方法は載ってないしね」
「そりゃそうだ。わざわざ『首輪』の鍵を飼い犬に渡す主人がいる訳がねえ。けどな」
インデックスは″仕方がない″と言ったのだ。
それはつまり、失いたくないと言う事ではないのか。記憶の事を、これまでの在り来たりな日常を、消したくはないという事ではないのか。
「お前は失いたくねえんだろ、この如何でもいいようなゴミ記憶が」
インデックスの記憶を消さなければ、インデックスは死ぬという。
インデックスの首輪を解くのは不可能という。
けれど、そんな不可能がどうした。例え六十億の人間全てが屈する『常識』だとしても、この垣根帝督にだけはそんな『ふざけた常識』に屈する訳にはいかないのだ。
「だけど無理だよ。今日の朝に聞いたんだけど、あの神裂って魔術師、この世界に二十人もいない聖人の一人だったんだよ。ていとくには良く分からないかもしれないけど、聖人っていうのは―――――――」
「はぁ? お前はアレか、ボケてんのか?
俺はそんな鬱陶しい屁理屈を並べろって言った訳じゃねえし興味もねえよ。
たった一つだけ答えろ。
お前はこの下らねえ記憶が、要るのか要らないのかって聞いてるんだ?」
垣根はその二択を突きつけた。
無理だからとか、仕方がないから、だとかではない。
単純な二択を。今まで過ごした日々の記憶を『失ってもいいのか』それとも『失いたくないのか』という子供でも分かるような二つの選択肢を。
自然、インデックスの瞳から涙がこぼれた。
魔術だと理論上などといった言葉で諦めていた『希望』が垣根の二択によって芽生えてしまったからこその涙。そしてこの涙は、インデックスの本音だった。
「……嫌なんだよ」
「聞こえねえぞ」
「失いたくない。この一年間、嫌な事もあったけど…………ていとくと過ごした日々を、忘れたくなんか、ないんだよ! これからもずっと覚えていて、今日だけじゃなくて一杯、遊んだりしたい……」
「そうか」
面白い。これで考える事は一つだ。
ただ自分は塗り替えてしまえばいい。インデックスの記憶を消さないと、助からないと言う常識を。難しい話ではない。
『不可能』がどうしたというのだ。もし『不可能』という壁が立ちふさがると言うのならば、その『不可能』を『可能』に塗りつぶす。
「いいぜ、インデックス。
オカルトだろうと魔術だろうと、関係ねえ。
俺の未元物質でその下らない常識を塗り替えてやる」
垣根がややはっちゃけましたが、彼もまだ(たぶん)成人していない少年。きっと暗部の仕事がOFFの時は、ファミレスに行ったりゲーセンで遊ぶくらいのことはしている…………はず?
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