とある魔術の未元物質
SCHOOL10  Last Wish


―――悪い種子からは悪い実ができる。
根っこから駄目な人間と言うのは、死ぬまで駄目な人間のままだ。根っこから腐りきっている人間は、改心など不可能だ。だが逆に言えば救いもある。根っこから腐っていない人間ならば、まだ改心の余地もやり直す希望もあるのだから。








 先の騒動で散らかった部屋の中心に、垣根とインデックスが対面していた。当然インデックスも何時もの白い修道服を纏い直している。
 神裂とステイルはいない。インデックスからしたら、どこかの魔術結社の追っ手である二人がいると、また面倒な事になりそうだったので家の前で待機しているのだ。

 ステイルと神裂の提案もあり、当初の予定ではインデックスには何も教えず『首輪』の件を対処する算段であったが、ここまでくると話すしかない。インデックスも事情を説明せず、ただ『あの二人は敵じゃないから歩く教会を脱げ』などと言っても納得しないだろう。

 だから垣根は全てを話した。
 一年前から記憶を失っている本当の理由。必要悪の教会(ネセサリウス)が仕掛けた『首輪』の存在を。最初は自分の所属している組織が、そのような『首輪』というシステムを作り上げていたことに驚いたインデックスだが、それでも順序立てて説明していくと漸く納得した。

「って事だ。理解したかアホ」

「………………うん。本音を言うと、自分の味方(イギリス清教)がそんな事をしてるだなんてあんまり信じたくないけど、ていとくの言う事だから信じるんだよ」

「……………………また、それか」

 思わずそう呟く。
 どうにもインデックスという少女は、この垣根帝督という人間の事を勘違いしているらしい。でなければ「ていとくの言う事だから信じる」なんて言葉が出てくる筈がないのだから。

「どうしたの、ていとく?」

「別に大したことじゃねえよ。ただ、あんまりテメエが愉快な勘違いしてたから、思わず吹き出しそうになっちまっただけだ」

「勘違いってどういうこと?」

「全部だよ。一体どこをどう間違えたのかは知らねえが、お前俺の事を聖人君子のお優しい善人様とでも思ってやがるだろ?」

「聖人君子は言い過ぎだと思うな! 本当にそうなら、私の食べようとしていてお煎餅を没収なんてしないもん」

「…………あの店の煎餅はお気に入りだったんだよ」

「でも、」

「あん?」

「優しい人だっていうのは間違いないかも」

 舌打ちしたくなるのを堪える。
 やはり、これだ。インデックスの瞳は真っ直ぐだ。真っ直ぐにただ本音を告げている。本音で垣根帝督なんていう人間を優しいなどと評しているのだ。

「だから、それが勘違いだって言ってんだよ。
いいか、俺は『悪党』なんだよ。人間だって何人殺したのかも覚えてねえ。
敵対する奴は殺す。欲しい物があれば奪い取る。邪魔者はぶっ殺す。そういう闇って絶望が広がる場所で生き貫いてきたクソッタレの『悪党』が俺なんだよ。第二位の超能力者『垣根帝督』なんだよ。
それを、あろうことか『優しい』だぁ? 怒るを通り越して爆笑もんだぜ」

 笑いながら、無知なインデックスに真実(本性)を明かす。そう垣根帝督は決して善人などではない。この学園都市に存在する在り来たりな悲劇の一つに触れて闇の最下層に堕ちた悪党だ。こうしてインデックスを助ける事を手伝っているのも、単なる打算に過ぎないのだ。

 今まで自分の事を「優しい善人」などと馬鹿みたいな勘違いをしていたインデックスも、垣根帝督の本性を知って驚愕し軽蔑するだろう。それでいい。表の光の世界の住人は、垣根のような闇に堕ちた人間を、悪い人間の見本として侮蔑する。それが自然というものだ。

「この世に罪を犯さない人なんていないよ」

 けれどインデックスが言った言葉は、垣根の予想とは違うものであった。

「あぁ?」

「私だって一年前からの記憶がないけど、もしかしたら何か凄い罪を犯してるかもしれないし、ていとくは知らないかもしれないけど、十字教には『原罪』っていうものがあるんだよ」

「見縊るな。その程度なら知ってる。
あれだろ。アダムとイヴだかが神様の言いつけを破って『知恵の実』を食べたって話だろ?」

「そうだよ。けどね、その『原罪』っていうのは新約聖書だと洗い流すことが出来るんだよ」

「……流石にそんな話は聞いた事はねえな」

 垣根は学園都市、つまり科学の街の人間が故に宗教には疎い。『原罪』のことくらいは有名な話であるし一般常識といっても過言ではないから知っていたが、流石に新約聖書だの旧約聖書などという違いまでは分からない。

「ええとね。最後の最期まで信仰を貫き通すと、『原罪』を洗い流されて『神聖の国』へ導かれるってなってるんだよ」

「ハッ。だったら何だ? 罪は何時か必ず償えるから頑張れって言いてえのか?
それとも、罪を洗い流すために神を信じるのですアーメン、とでも言いてえのか?」

「な、なんで分かったのかな! もしかして、ていとくって予知能力者?」

「図星かよ!」

 思わずツッコミを入れてしまう。だが、

「でも、ていとくがどんな人間でも、ベランダに引っ掛かってた私に美味しいご飯を食べさせてくれたことや、あの赤いバーコードから守ってくれたのも、それに私の『首輪』の事を教えてくれた事実がなくなるわけじゃないよね?」

「そりゃそうだ。もし事実がなくなるってなら、今すぐ冷蔵庫に食材が戻ってねえと可笑しい」

「む。それは言わないで欲しいかも。
…………と、とにかく! ていとくが私の知らない所で鬼畜変態だったとしても、私がていとくに感謝してる事実は変わらないよ。だから私がていとくに『助けてくれてありがとう』って思っているのも変わりはしないんだよ!」

 垣根は思わず呆然とする。
 つまり、なんだ。この能天気な暴食シスターは、垣根帝督の本性が悪党だとしても、アホみたく信頼し続けるとでもいうのだろうか。

 なんという馬鹿だ。こんな愛と友情を真正直に信じるような馬鹿。もし『闇』にきたら…………。きたら、どうなるのだろう? 何故かこの能天気なシスターは、どんなクソッタレな世界に行っても『人を信じる』なんていうアホなことを止めないような気がする。

「想像以上の馬鹿だな、テメエは。愉快でアホで能天気で、ついでに頭お花畑の暴食ときた。
ハッ。どっちが悪党だか分からねえな」

「ひ、酷いんだよ!?」

「喧しいボケ。いいから、俺は扉の前で寂しく待ち惚けしてる馬鹿二人呼んでくるから、その間に俺の買って来てやったパジャマに着替えとけ」

 本来なら神裂が眠っているインデックスに着せる筈だったパジャマを放る。
 そして最後に垣根は、どこか馬鹿にするような、けれど何処か暖かさがある笑みを浮かべると、そのまま出て行った。




 そして早いもので三日の時が経過した。
 十四歳でルーンを習得し新たに二つの力あるルーンを二つも生み出した天才魔術師ステイル=マグヌスが、イギリスでも十指に入る魔術師である神裂が、そして学園都市において序列第二位に位置する超能力者である垣根帝督が、あらゆる方法でインデックスの『首輪』に挑んだが、その全てが失敗に終わる。

 無理もないだろう。寧ろ三人は良くやったと言うべきだ。イギリス清教は押しも押されぬ勢力を三分する十字教の一角。そして他の二つよりも″対魔術師″に特化した宗派だ。十万三千冊の魔道図書館なんて爆弾の安全装置(首輪)が、幾ら有能とはいえど魔術師が一朝一夕でどうにかできる訳がない。それこそ魔術や科学でも計り知れぬほどの規格外でもなければ。

「まったく自信を無くすよ。
この子の為に我武者羅に力を手に入れて、天才とまで呼ばれるようになっても、僕は結局またこの子の記憶を消す事になってしまうんだからね」

 赤毛の神父ステイルが、垣根が適当に購入してきた花柄のパジャマを着たインデックスに悔しげな視線を向けながら言った。
 
「情けないですね。聖人や女教皇と呼ばれていながら、たった一つの楔を解くことも出来ないんですから。けれど突破口は見つかりました。一年、一年あれば今度こそ必ず…………いえ今まで救われなかった彼女を、絶対に救ってみせる」

「………………………………」

 ステイルと神裂の決意を、唯一人垣根は黙ってみていた。
 垣根からしたら、インデックスの『首輪』が解けようと解けまいと肝心の『魔術』を識ることさえできれば問題はない。
 例えインデックスが全てを、家の食糧を全滅させたことや、店一つを破産させたことを忘れてしまったとしても、垣根帝督には何の関係もないことだ。

 だというのに、なぜか釈然としない。理屈ではなく本能的なモノが、そのようなエンディングに納得していない。

「垣根帝督。改めて礼を言わせてください。貴方のお蔭で私達には希望が残りました。そしてすみません。とりあえず彼女の命を救う為に、貴方の記憶を彼女から奪ってしまう」

「ハッ。何を謝ってやがる。そんな殊勝な気持ちがあるんなら、魔術の件はしっかりと頼むぜ」

「それは勿論。しかし良いのですが? 貴方のような能力者に魔術は――――――――」

「知ってるさ。だが、それでもだよ。
魔術っていう新たな『法則性』を知る事は、かなりプラスになるはずだ。
特にオカルトが欠片も存在しねえ学園都市なら猶更」

「…………そう、ですか」

 もう直ぐだ。
 『首輪』がインデックスを蝕み、やがて死に至らしめる。それを回避するために行うインデックスの『記憶消去』。一年ごとに実行されるそれは今日の深夜0時ジャストに行われるのだ。
 つまり今まで垣根帝督と過ごし、愉快に暴れまわってくれた暴食シスターは、今夜0時にいなくなる。元の人格は残るかもしれないが、垣根帝督と過ごしたインデックスは消滅、つまり死ぬのだ。

 それでいい。何も問題ない。
 これでオカルトの時間は終わり。垣根帝督がインデックスなんて少女に関わるのも、全てが終わりだ。明日になれば再び暗部組織『スクール』のリーダーとしての日常が帰ってくる。
 だから垣根は、自分の中にある違和感を心の奥底に押しとどめた。けれど、

「……てい、とく?」

「!」

 神裂がインデックスにかけた『麻酔』が解けてしまったらしい。
 インデックスは目を擦りながら体を起こすと、

「今日は何日?」

 そう尋ねた。
 インデックスは既に『首輪』のことも『一年ごとに記憶を消さなければ死ぬ』ということも、そして『記憶を消す日』のことも知っている。
 普通の人間が何気なく今日は何日かと尋ねるのとは違う。インデックスにとって今日の日日を尋ねるというのは、自分の死刑執行日を聞くのと同じような意味合いがあるのだ。

「7月27日。お前の『記憶を消す刻限』の当日だよ」

 隠してもどうにもならないと感じた垣根は、正直に答えた。
 しかし不思議とインデックスは泣き叫ぼうとも、喚いたりもしなかった。ただ「そう」と一言だけを呟き、その残酷な真実を受け止めた。

「ねぇ?」

「なんだ」

 垣根は淡泊に応じる。
 対するインデックスはまるで懇願するように言った。

「最後に、お願いがあるんだよ」



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