とある魔術の未元物質
SCHOOL76 背徳的 な 天使
―――悪にかけても善にかけても英雄がいる。
もしも傲慢にこの世界の人間を善悪の二つに分断してしまえば、どちらのサイドにも英雄となりえるような存在は出てくるだろう。才能ある人間が必ずしも人格者とは限らない。人間としての性根が腐っていても、多大な功績を収めた大人物は歴史上多くいるものだ。
『天使の涙』のある研究所というのは学園都市の中にあって尚、どこか神秘的な様相を醸し出している、というのは垣根の錯覚だろうか。
一般的な施設と違い青色に塗装されたビルの一室には、連絡を寄越したサーシャが垣根達の到着を待っていた。
「天使の涙が見つかったって?」
「第一の解答ですが、そうです」
「だが肝心の取り出し方が分からねえと」
「第二の解答ですが、実物を手にする事は出来たのですが『ぱそこん』という機械の中にある情報が取り出せません。補足説明しますと、魔術師は一般的に科学には疎く私だけが機械音痴という訳ではありません」
それは補足説明ではなく言い訳ではないかと思ったが、垣根は口には出さずにおいた。どうでもいい事であるし、刻一刻を争うほど切迫していないが今の学園都市はどうも臭い。時は金なりともいう。
「そうだね。私もめーるっていうのは少し出来るようになったけど、あのピコピコはあんまりよくわからないし」
インデックスがサーシャに同調する。
「理解した。『天使の涙』の情報を取り出せばいいんだろう、楽勝だっての」
未元物質が目標のコンピューター内に侵入し、垣根がキーボード上に指を走らせる。
その間、僅か十秒。それだけでコンピューターはサーシャが求めていた情報を全て部外者に曝け出した。
「ま、こんなもんだ」
「……第三の解答ですが、貴方も随分と出鱈目ですね。――――協力に感謝します」
サーシャは知らない科学用語を偶に質問しながら、食い入るようにディスプレイに表示されている『天使の涙』の情報を閲覧する。
「どうだ?」
「第四の解答ですが、これは……」
どうにも説明しずらそうにサーシャはまごまごする。研究所のクーラーの音がどうにも五月蠅かった。垣根はサーシャの肩を掴み退かせてから、同じようにディスプレイの中身を見た。
「へぇ、どうもこいつぁ……学園都市らしい品物じゃねえか」
『天使の涙』なんて如何にも霊験あらかたな名前の癖して、その効力というのは物騒なものだった。
光の刺激を利用することで人の精神を掻き消し、何か巨大なエネルギーをその体内に溜め込む事が出来るようになる器を作り出す。サーシャと同じ体質を人工的に作り出すことが出来る物質。そこに「天使と会話する」なんてメルヘンな力はない。より正確にいえば天使をその身に降ろすことが出来る体質に作り直す、というものだ。代償に使用者の精神を破壊して。
「こんなもん、いるのか?」
念のための確認として垣根がサーシャに尋ねる。
「いえ」
サーシャが首を振る。その反応を同意と受け取った垣根は手の中に少量の未元物質を生成する。爆発効力を持つ未元物質は少量といえど石ころ一つは粉々に破壊できる威力があるもの。垣根がそのエネルギーを開放させると、『天使の涙』が爆発し粉々になり破壊された。
「よし、帰ろう」
「そうですね」
学園都市に来た当初の目的を一応の形とはいえ果たした垣根はそう宣言し、サーシャも同調する。『天使の涙』が期待していた効力は全くなく、その効果も物騒以外のなにものでもなかった以上、もはや二人にこの街にいる理由はなかった。しかしそうなると納得できないのがインデックスである。
「ねぇ、あの白い人のことは!」
「忘れろボケ。その白い人が誰だか知らねえが、どうして俺がわざわざ手助けしてやる必要がある。よりにもよってこの街で余計な事に関わりたくねえ」
しかもインデックスの証言によると、その白い人を襲ったのは間違いなく暗部組織のどこかだ。ヴェントやアックアのこともあるし、垣根としては今すぐにでも学園都市を離れたいのだ。下手にここに留まれば、また学園都市の超兵器や隠し玉が迫って来ないとも限らない。
「だけど私のことを助けてくれたよ? それに助けに行くって約束したし」
「知るかよ、その白い人が死のうが生きようが俺には関係ねえ。興味もねえよ」
インデックスと関わった事で垣根自身も甘くなったことは自覚しているが、それがイコールで善人になったかと問われればそうではない。受けた恩を返すくらいの心持はあるし垣根なりの流儀もあるが、見ず知らずの他人のためにメリットのない慈善活動をするような善人ではない。第一もしも垣根帝督がヒーローであるのなら『絶対能力進化実験』の詳細を事細かに把握しているにも関わらず、それを完全にスルーしたりなどはしないだろう。
「第一の質問ですが、その人は今どこに?」
サーシャが尋ねたのは垣根ではなくインデックスだった。嫌な予感を敏感に感じ取り、垣根の表情がみるみる険しくなっていった。
「病院の近く、なんだけど垣根と一緒に飛んできたとき、あの『じどうしゃ』っていうのはなくなってたから何処にいるのかは分からないけど、とっても大切な人を探してるって」
「では私も協力します」
「本当なの、さーしゃ?」
「第五の解答ですが、私も貴女と同じ修道女。困っている人を助けるのが仕事です。補足説明しますと、変態は助けませんが」
「あ、ありがとう……なんだよ……」
インデックスが目に涙を溜めながらサーシャに抱きつく。サーシャは最初は驚いていたが、やがて子供をあやす様に頭を撫でる。
垣根の方はといえば、苛々していた。インデックス一人なら強引に連れ帰ることも出来たがサーシャはそうではない。
「しかしだな……この街はアウェーであって」
どうにか垣根は二人を説得しようと口を開く。サーシャはまだ良く知らないが、インデックスは頑固な時はこれでもかというほど頑固だ。説得するには骨が折れるだろう。しかしその直前、垣根はどうしようもない、アックアと邂逅した以上の、よからぬ不気味な何かを感じた。
気持ちが悪い。吐き気もする。背徳的で冒涜的な、何かが。
――――虚数学区・五行機関が部分的な展開を開始。
――――該当座標は学園都市、第七学区のほぼ中央地点。
――――理論モデル『風斬氷華』をベースに、追加モジュールを上書き。
――――理論モデル、内外ともに変貌を確認。
――――妹達を統御する上位個体『最終信号』は追加命令文を認証。
――――ミサカネットワークを強制操作する事により、学園都市の全AIM拡散力場の方向性を人為的に誘導する事に成功。
――――第一段階は完了。
――――物理ルールの変更を確認。
――――これより、学園都市に『ヒューズ=カザキリ』が出現します。
――――関係者各位は不意の衝撃に備えてください。
「ていとく!」
インデックスが垣根の急変に駆け寄る。垣根はそれを手で制す。
「なんでもねえ……俺は。だがっ!」
研究所の外壁が爆ぜ、外の景色が露わになる。
滴り落ちる雨。これだけなら普段の光景だが、それは唐突にやってきた。爆発的な、太陽が地球にそのまま降りてきたかのような眩いばかりの光。そして垣根の白翼より尚巨大にして、幻想的な翼。それを生やしているのは――――いや寧ろ翼の方が巨大過ぎて翼からはえているように見える――――――眼鏡をかけた学生服を着た女学生。ただし目はうつろで舌は垂れている。明らかに平静とはいえない。
「ははっははははははははははははははははははは!!」
余りの事態に言葉の出ないインデックスとサーシャをよそに、垣根は大いに笑った。
なんということだろうか。よりにもよって科学サイドの総本山で、魔術サイドと対となる勢力圏内でこんな代物に、こんなオカルトが待っていようとは誰が予測したというのか。
「まさか天使様とはな! どこまで学園都市の闇ってのは深ェんだ!?」
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