とある魔術の未元物質
SCHOOL106 その時 歴史が動かすのを止めた
―――理想と現実の間で迷う様ほど人間らしい姿は無い。そしてそれは、笑えるほど尊くて、泣けるほど滑稽なのだ。
大きな理想を抱いた者は、やがて現実という壁にぶち当たる。どれだけ目指したとしても、大きすぎる理想は悠然と聳える現実によって踏み砕かれる。
世界とはかくも無常でありながらも、そして尊い。
垣根がインデックスの元へ帰還してから二日間が経過していた。
この時期、ロシアの真ん中辺りに位置しているエリザリーナ独立国同盟は非常に寒い。薄着で三時間も立っていたら、それだけで凍死してしまいそうなほどだ。インデックスと垣根が一時的に滞在しているホテルは監視の目を欺くため…………という訳でもないが、中の下程度のものなので暖房が余り利いてない。日本なら気にならないだろうが、極寒のロシアではそうもいかなかった。
なので垣根は持ち前の超能力『未元物質』で部屋の温度を温め、快適な空間にしている。
相変わらず変な所で役立つ能力だ。
「ていとく、お昼ごはん行こ」
インデックスが誘う。
時刻を確認すると、もう一時。確かにお昼時だろう。
「今、忙しいんだ。金やるから一人で行ってろ」
頭を捻りながら、インデックスに財布を押し付ける。
勿論、全額渡したりカードを入れたりすると大変なことになるので、財布にはインデックスの胃袋的に必要最低限の食費しか入っていない。
「どうしたの?」
「ちょっと、な」
垣根はテーブルにオルゴールのようなものを置き、せわしなく手を動かしていた。いやオルゴールのようなものという表現は適切ではない。それは紛れもなくオルゴールそのものだった。
古めかしいオルゴールをまじまじと見つめながら、垣根はそこに文字のようなものを一つ一つ丁寧かつ繊細に掘り込んでいく。
「…………こういうのはテンションで進行具合が変わるからな。調子良い時にやっとく必要があるんだよ」
「分かった。それじゃ、行ってくるね。…………あ、冷蔵庫にあるプリンは私のおやつだから、奪っちゃ駄目なんだよ!」
「あんなプリン山脈をどうやったら俺が食べるんだか」
冷蔵庫にあるプリンの山を思いだしげんなりする。総数44のプリンなど、垣根には到底喰いきれないだろう。ライオンでも連れてこなければ無理だ。
インデックスが行った事を確認すると溜息をつく。
エリザリーナの好意で、一時的にここに滞在している垣根だが何時までもここにいる訳にはいかない。今にも第三次世界大戦の火蓋が切って落とされそうな世界情勢下、垣根のような学園都市からの逃亡者を匿う事はエリザリーナ独立国同盟にとって百害あって一利なし―――――もしかしたら十利くらいはあるかもしれない――――――である。もし戦争が始まれば、これを機にロシアは目障りな独立国同盟を併合しようと襲ってくるだろう。独立国同盟としてはロシアへの権勢の意味も含めて、学園都市やイギリスとは友好関係を結んでおきたい筈だ。なのに垣根という反逆者を匿っている事が知られれば友好どころか敵対されかねない。国際情勢において学園都市に匹敵しうる力を持つ米国、ローマ、ロシア、イギリスならまだしも、新興国家である独立国同盟では科学サイドの総本山である学園都市に武力ではなく外交的にも太刀打ちできない。
(情性的にロシアがローマ正教と組んだのはほぼ間違いねえ。そしてイギリスは学園都市と組んでいる)
つまりローマ&ロシアVS学園都市&イギリスという図式が成り立っている訳だ。
魔術というオカルトを除けば、世界最強の軍隊を有する米国はまだどちら側につくかは分からない。あそこはローマ正教とも縁があるし、学園都市とも縁がある……あべこべな国だ。
(まさかアメリカはアメリカらしく裏側にアメコミのヒーローとか有したりして……ねえよな)
一瞬、スパイダーマンやスーパーマンにキャプテン・アメリカが魔術師の大軍相手に戦っている光景が浮かんでくる。
必死に垣根は自分の常識に従い否定しようとするが、この世界の裏側に常識が通用しないことをこの数か月で身を持って知ってしまっているので、中々否定できないことだった。
(だがアメリカってのはいいかもしれねえ。リスクもあるが……)
ローマやヴァチカンは今となっては危険だ。
まだイギリス清教に所属しているインデックスはローマ正教の敵だろうし、ローマ正教が十万三千冊の魔道書を利用しようと策謀しないとも限らない。ロシアも同様。
しかしアメリカならそうではない。
エリザリーナから聞く話によると、アメリカは魔術といったオカルトに関してはヨーロッパ各国より劣っているとのことだ。能力開発にしても同様。学園都市の暗部に所属していた垣根は、アメリカが影で学園都市と同じように超能力の開発を行おうとしていた事を知っている。
結局、その実験の悉くは失敗し幾人かの『原石』を使い潰す結果となったのだが、それは大した問題じゃない。
重要なのはアメリカが学園都市と対抗できるだけの力を持っていて、科学サイド寄りでもあるということだ。
全く超能力の研究が進んでいないアメリカに、垣根が『能力開発』についての情報を教えてやる。そうすれば、どうなるだろうか。
垣根の頭の中にはしっかりと能力開発の方法も詳細に至るまで記憶されている。それだけじゃない。三十年先を進む学園都市のテクノロジーも垣根は良く知っている。これらの情報を全て、科学サイド寄りであるアメリカ合衆国に教えれば。
(世界の勢力図が塗り替わるかもしれねえな)
少なくとも日本は、学園都市は唯一の超能力開発場所ではなくなる訳だ。しかも学園都市が総人口230万人なのに対して、アメリカ合衆国の総人口は3億人。学園都市の約130倍だ。これに一部とはいえ学園都市のテクノロジーが加われば、正に太陽系最強の軍隊の完成だ。更にその人口を武器に、学園都市を遥かに超える能力者を開発していけば……。
(学園都市の能力者の数は大体180万人。だがもし三億の人口のうち半分、いや一割でも能力開発をすれば、その数は3000万人! 180万人の人口からLEVEL5は『原石』の七位を抜いて六人生まれた。超能力者が三十万分の一の確率で生まれるってなら、3000万の人口からはLEVEL5の超能力者が合計100人生まれる計算になる! 超能力者程じゃねえが、軍隊でそれなりに力を発揮するLEVEL4なんざ腐るほど出来上がる訳だ)
更に垣根には十万三千冊の魔道書の知識を有するインデックスが共にいる。能力開発の知識だけではなく、魔術の知識までアメリカに教えてやれば、超能力者と魔術師の二つを同時に有する正真正銘の無敵国家が誕生するかもしれない。
(そうなりゃ、もう学園都市なんざゴミ同然だ。100人の超能力者……違うか。俺を含めた101人の超能力者と3000人はいるLEVEL4、それに魔術師と最新のテクノロジーで武装された軍隊。これで攻め込まれりゃ学園都市は三日で陥落…………いや、武力を行使する必要すらねえ! 簡単な外交だけで、社会的に学園都市を抹殺することだって簡単だ)
さて、どうしてくれようか。
危険な賭けだがやる価値はある。世界情勢そのものを丸ごと引っ繰り返すような話だが、それだけに遣り甲斐があるというものだ。
実行には細心の注意を払う必要がある。一歩間違えば地獄へ真っ逆さま、なんてこともあるかもしれない。
(このまま逃げ続けても何も変わらねえ。だったら……)
先を考えるべきだ。
仮に『首輪』をどうにか出来ても、その先住む場所が無ければ意味がない。
「もしもーし、垣根帝督は御在宅でしょーか!」
一世一代の決断を下そうとしていた正にその時、部屋のドアがドンドンと叩かれる。
声色は女性。まだ若い。
「誰だ?」
訝しげながらもドアを開ける。
決断を邪魔するノックをしたらしいのは少女だった。背丈も小さく、ニヤニヤと悪戯っ子のように笑っている。見覚えはない。エリザリーナの使いだろうか?
「申し遅れました。私、イギリスの魔術結社予備軍『新たなる光』のレッサーと申します。どうぞお見知りおきを」
敵意を感じさせぬ営業スマイルでレッサーが頭を下げる。
ただこの少女、レッサーは知らない。
自分がたった今、歴史を大きく変える行動に出た事を。もし彼女の来訪が後一歩でも遅ければ、恐らく世界情勢は根底から覆ることになっていたであろうことを。
レッサーは自分の偉業に何も気づかないで、ただ営業スマイルを浮かべていた。内に秘めた願いを隠して。
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