とある魔術の未元物質
人気第七位 フレンダ=セイヴェルンの憂鬱
―――男が誓うと、女は裏切るものだ。
女性は男を裏切るために生きている。そして女性は男性を裏切る毎にその妖艶さを増していくものだ。しかしながら男性が女性を裏切れば、裏切った数だけ自らの魅力を削ぎ落していくこととなる。世の中というものはその行為を為したのが男性であるか女性であるかでクルリと態度を変える最も扱いにくい極上の美女だ。
入院というやつは大概にして暇なものである。病室のベッドで医者には内緒で購入した鯖缶をパクつきながら、フレンダは無駄に時間を浪費していた。
普段なら病室なんて直ぐにでも飛び出して、いつも行っているファミレスにでも行くところなのだが生憎とフレンダにはそれが出来ない理由があった。
10月9日。
学園都市の裏側に存在する暗部組織『アイテム』の主要構成員の一人でもあったフレンダは、敵対者である垣根帝督に脅され情報を洩らしてしまい、それに激怒したリーダーの麦野沈利によって粛清された。いや、されかけた。
アイテムのリーダー、麦野の能力である『原子崩し』は粒子を曖昧な状態に固定することにより絶大な破壊力を生み出すものである。簡単に言えば超強力なレーザー光線だ。コンクリートの壁だろうとベルリンの壁だろうと、麦野沈利の『原子崩し』の前ではバター以下である。ただパワーがある分、その制御は非常に難しく、演算が狂えば自分の身をも滅ぼしかねない諸刃の剣だ。
その圧倒的な破壊力と精密な演算を必要とするという特性が幸いした。
原子崩しの凄まじいパワーとそれに反する精密性は余計な破壊を一切することなく、フレンダ=セイヴェルンの体を綺麗に両断した。
お陰でフレンダが麦野にやられる前に助けを求めていた能力者―――――――レイビーの能力により延命されたフレンダは、病院に到着するまでその命を長らえらせることが出来たのである。一人の少年からエリートという仮面を奪い去ることによって。
もし……もし仮に麦野の演算が荒かったのなら。
少しでも余計な破壊がされていれば。
レイビーが来ていなければ。
或いは彼が……化け物になってくれなければ。
フレンダ=セイヴェルンという一人の人間を生存させた数多の要素。そのうち一つでも欠けていれば、フレンダはこうして呑気に鯖缶を食べている事もなく、冷たい墓石の下で永久にお休みしていただろう。そう思えば死んでいないだけラッキー。そう思うべきなのだろう。
(うぅ、偶には外に出たい。だけど結局、ほいほい出てって麦野にでも見つかれば……)
殺されるだろう。今度こそは、絶対。どうしてフレンダが未だ生存しているのかを疑問に感じつつ、今度はもう二度と蘇らないよう念入りに殺す。
フレンダは麦野と共に決して表沙汰に出来ない様な仕事を何度もこなしていた。その過程で麦野沈利が敵とみなした相手をどれほど容赦なく殺すかを知っている。
(そうだよね。私は……麦野の敵なんだ)
もう二度と『アイテム』には戻れない。
ファミレスにドリンクバーだけ頼んで何時間も居座ることも。居座ってどうでもいい話題で馬鹿みたいに盛り上がることもない。
覆水盆に返らず。
壊れた花瓶は元の花瓶にはならない。一度壊れれば完全に元に戻すことは出来ない。
あの日『アイテム』は壊れてしまったのだ。だから二度と元通りの『アイテム』になることはない。
じわっと、フレンダの目に涙が滲んだ。
いけない、と慌てて目をゴシゴシと擦る。これだから暇というのや嫌なのだ。らしくもなく感傷に浸ってしまう。だけど、一度気になったらもう止めることは出来ない。
(皆はどうしたんだろ。第二位……垣根帝督)
自分や戦闘要員とはいえない滝壺は兎も角、他の二人。麦野や絹旗は強力な能力者だ。LEVEL5である麦野は言うに及ばず、絹旗にしても窒素を鎧のように纏うことにより超絶怪力を発揮したり弾丸を弾いたりできるなど強い能力をもっている。普通なら心配などしなくても、あの二人なら大丈夫だと思えるだろう。そう普通ならば。しかし生憎、学園都市第二位の垣根帝督は普通という言葉から世界一遠い男だった。
フレンダは覚えている。以前キャパシティダウンという秘密兵器を有した『アイテム』の総兵力が、垣根帝督というたった一人によって撃退されてしまったことを。
だから分かる。もし麦野と絹旗が二人掛かりだったとしても、垣根帝督には勝てないであろうことを。
(死んでないと良いんだけど。……って私がこんなこと考えるのも変な話しか)
そもそも麦野が死んでいれば、自分はもう殺されるかもしれないという恐怖に脅える必要はないのだ。ならばフレンダは麦野が垣根帝督に殺されていて欲しいと願うべきだというのに。
(これが人情ってやつなのかなぁ。暗部としては失格かも)
だが失格というのなら、敵に脅されてアッサリと情報を下呂した時点でもう失格だ。仮に麦野がもう死んでしまっていたとして、こんな自分を他の暗部組織が拾ってくれるのだろうか。
(…………はぁ、なんだか考える毎に憂鬱になる訳よ)
しかしフレンダには暗部以外に、どうしてもやらなければならない事がある。同じようにここ学園都市に住まうフレンダの唯一の肉親。暗部とは何の関係もない光の世界で過ごしているたった一人の妹、フレメア=セイヴェルン。
フレンダは自分の命が一番可愛いと思っているし、それを恥じてもいない。だが仮に自分の命以上に重いものがあるとすれば、それはやはりフレメアだった。
「おいフレンダ、入るぞ」
丁度その時、病室にフレンダの命を助けた恩人でもある能力者、レイビーがやって来た。レイビーという名前からも分かる通り、彼は海外からの留学生だ。
学園都市は世界で唯一の超能力開発機関だけあり、海外からも入学を希望する者も多く、一人でも多くの学生が欲しい学園都市はコレを積極的に募集している。レイビーもその一人で、フレンダが訊く所によるとドイツ人と日本人とのハーフで、複雑な家庭事情と父親が超能力というものに興味があったことから、学園都市に半ば追放同然に入学してきたそうだ。
「ねぇレイビー」
「なんだ?」
ドカッと病室のベッドの隣にある椅子に腰を下ろしたレイビーが、お見舞い用のリンゴの皮を剥きだす。料理というものに慣れていないのか、かなり荒々しい手つきだ。
「ちょっとさ、お願いがあるんだけど……」
自分の都合で命の危険に二度も巻き込んでしまったから、本当はこれ以上レイビーに頼みごとをするのは憚られるのだが、悲しいかな。自分にはレイビー以外に頼れる人がいなかった。
「お願い? また鯖缶買ってこいとかじゃねえだろうな?」
レイビーは剥き終えベコベコになった林檎を更に適当に切り分けると、適当に皿に盛りつけて置いた。
「違う違う。そういうんじゃなくて今度は真面目なお願いよ」
「真面目ねぇ。言うだけ言ってみろ、なんなんだよ?」
「私の妹の、フレメアのことなんだけど……」
おずおずと用件を切り出す。
自分がこの病室から動けない以上、レイビーに頼むしかなかった。この病院の関係者を除けば、レイビーしか自分の事情を知っている者はいないのだから。
レイビーは話を聞き終わると「今度、なにか奢れよ」とだけ言い頷いてくれた。
フレンダから何度目かになる頼み事を受けたレイビーは、フレンダに指定された住所の場所に向かって歩いていた。
フレンダがレイビーにこうしてお願い事をするのはこれが初めてではない。フレンダ自身は病室から出れないので、よくレイビーが鯖缶などを買ってきてやっているのだ。
(と、この近くか)
確かこの辺りは小学校などが集中的にある場所だったはず。
学園都市では管理がし易いように小学校は小学校、中学は中学、高校は高校、女子高は女子高で一か所に集まることが多く、この辺りもその一つだった。
丁度下校時刻なのかランドレスをしょった小学生の姿がチラホラと見受けられる。
パカッと携帯を開くと、そこにフレンダから送られてきたフレメアの写真があった。容姿はフレンダをそのまま小さくしたような感じで、フワフワとした人形のような服を着ている。
(えーと、そのフレメアっていうのは……)
フレンダの話だと、フレメアの住んでいる寮はコンビニの横に入って右だったはず。レイビーはそのコンビニを見つけると、フレンダの話のままにそこを横に入り右に曲がる。
すると、そこにケータイの画像からそのまま抜け出たような少女がそこにいた。
(あれか)
学園都市が留学生を多く集めているとはいえ、やはり外国人の数は少ない。だから間違いないだろう。レイビーはフレメアらしき少女に駆け寄ると声をかける。
「……悪い、ちょっといいかな」
「?」
フレメアは急に声を掛けられたせいでビクンと肩を震わせながらも、ゆっくりその首を後ろに向ける。
正面から見たフレメアはやはり画像の通りフレンダと瓜二つだった。もしフレメアが後五年でも生まれてくるのが早ければきっと双子だと見間違えたに違いない。
フレメアは目を点にしたまま固まっていると、その手をランドセルにつけてある『とある物』に手を伸ばす。それは今時の小学生ならば誰でも持っているようなものだった。貝殻のような黄色いソレから延びているのは黒い紐。
その形状をレイビーは知っている。自身のまた小学生の頃に先生から貰ったことがある。不審者に何かされそうになったら紐を引くようにという言伝と共に。
そう、フレメアが紐を引こうとしているソレは防犯ブザーだった。一度紐を引き抜けば、騒音に等しいやかましい音を響かせるそれ。
「警備員さーん! 助け―――――」
「時よ止まれぇ!」
フレメアが叫ぶ直前、レイビーの能力によって半径8mの時が停止する。幸い防犯ブザーは紐が引き抜かれる前だった。
レイビーは時間停止の影響で氷像の様に硬直しているフレメアの手から防犯ブザーを引っ手繰ると、そのままフレメアを抱えて走った。
今のフレメアの叫びに気付いた誰かがここへやってくるかもしれない。そうなれば終わりだ。幼女に対し如何わしい事をしようとした男として、明日からのレイビーの生活が無茶苦茶になってしまう。兎も角、人のいない場所にいかなければ。
(……やるのは初めてだが、時よ加速しろ!)
周りの景色がゆっくりになっていくのを感じる。
初めての挑戦だったが、どうやら上手くいったようだ。時間加速、今のレイビーは通常の時間速度の三倍の速度で動いている。今ならオリンピックで金メダルをとるのだって楽勝だ。
取り敢えず近くの公園に駆け込むとフレメアを離す。近くに公園があって助かった。ここに公園を作る事を決定した学園都市のお偉いさんにレイビーは感謝の念を送る。
「助けて! …………って、あれ? 大体、私はどうしてこんな場所に、あれ?」
どうして自分が下校中の道から公園にいるのかが分からないのだろう。フレメアは混乱したようにキョロキョロと首を動かした。しかし真正面に立つレイビーを視界にとらえると、フレメアが警戒したように後ろに後ずさる。
レイビーとしては年端もいかぬ少女にここまで恐怖されるのは何ともいえない空しさと悲しさがあったが、客観的に見れば自分が怪しいのは確かだったのでガックリと肩を落とした。
「警戒してるとこ悪いが、俺は怪しい人間じゃない」
「……大体、怪しい人はいつもそう言って近づくよ。この前やってた刑事ドラマでもそういうせーはんざいしゃが出てきたもん」
「せーはんざいじゃって……最近の小学生は性教育が進んでんな。はぁ、心配しなくても俺はお前みたいな小学生相手に欲情なんてしないから」
「………………」
言い訳も空しく、フレメアは警戒を解くことはしない。
しかし、これでいいのかもしれない。物騒な昨今、人の言うことを無条件に信じてばかりでは詐欺にあって大損するのがオチだ。人を疑わないでいる事が美徳したのはとっくに昔の概念と化している。この辺りのことは姉であるフレンダが教えたのかもしれない。学園都市の暗部なんてものに属していたフレンダは人を無条件で信じることの愚かさを良く知っている。
(このまま説得しても埒が明かないな)
止むを得ない。ジョーカーを切るとしよう。
レイビーは意を決しフレンダから預かった物をフレメアに差し出した。
「これは?」
レイビーの差し出した物に興味を示したのか、フレメアがおずおずと覗きこんでくる。フレンダから預かった物、それは血濡れのチェンソーをもった殺人鬼のフィギアだった。正直小学生にこんなものを渡すのはかなり抵抗があるのだが、フレンダによるとフレメアはこういう血がドバドバと出るようなスプラッタ映画が大好物らしい。
「とある女からだ。そうだな……結局、あんたこれ欲しがってたでしょ、とのことだ」
「!」
その人形を受け取ったフレメアが、目を見開いてレイビーを見る。
「も、もしかして……それ……大体、フレンダお姉ちゃんが」
フレメアには連絡しない。それがフレンダの下した決断だった。『アイテム』を裏切ったことで暗部の中でも用済みに近くなってしまった自分が接触すれば、フレメアも危険な目に合うかもしれないと考えたのだろう。こればかりは姉妹の問題なのでレイビーも口出しはしなかった。
だからレイビーは何も言わない。
ヒントを言いこそしたが決して"フレンダは生きている"とは言わない。それはフレンダとフレメア、二人を危険にさらす行為だ。
「コレ、俺の携帯及びメルアド。何か余程大変な事態があった時にのみ連絡しろ。以上だ、じゃあな」
言うことはもうない。レイビーは再び時間停止を発動させると、停止限界が来る前に全速力でその場を離れた。
そしてもうフレメアが追ってこない事を確認するとケータイを開いて病院に電話をかける。一度担当の者が出た後、暫くしてフレンダに代わる。
「渡してきたぞ、あのフィギア」
『ありがとう。結局、私が渡す訳にもいかなかったからさ』
「たっく、お前は何度俺をパシリにすりゃ気が済むんだ。退院したらゲコ太一年分くらいは買って貰わないと割に合わない」
『そこはホラ、サービスするからさ。色々と…ね』
「……………………」
色っぽく誘惑しているつもりだろうが、フレンダの体型が残念なことをレイビーは知っていたので特に欲情することはなかった。
「フレンダ、寝言っていうのはな。寝てから言うもんなんだぞ」
『酷くない!?』
電話の向こうでギャーギャーと騒ぐフレンダ。頭を掻きながらそれを右から左に聞き流す。それから少しして、一拍おいてからフレンダがややしんみりと喋り出す。
『…………ねぇ、レイビー』
「ん?」
『結局、さ。私っていつまでここにいるんだろうね?』
「それは……」
学園都市の裏側に『暗部』が存在する以上、フレンダは大手を振って太陽の下を歩くことは出来ない。もしもレイビーが勇敢な子供だったのなら、フレンダに自分が暗部組織をぶっ潰して光の下を歩けるようにしてやる、とでも言ったのだろう。しかし幾らLEVEL5級の力をもっていようと、たった一人の人間がどんなに頑張ったところで、学園都市という巨大な組織の闇をどうにか出来る筈がないということを理解する程度にレイビーは大人であった。
しかしその事実をそのままフレンダに伝えられるほどレイビーは大人ではなかったので、結果として静かに黙り込むこととなった。
『いつまでもこうして、一生誰かの陰に怯えて生きているのかな。フレンダに会う事もなく、ずっと一人で……』
「一人じゃねえよ」
『え?』
「自慢じゃないが俺はバイトも部活もやってないから暇なんだ。だから一日の三時間くらいは毎日でもお前に付き合ってやるよ」
『あは、あはははははははは!』
しんみりしていたのが、一転して嬉しそうにフレンダは笑った。
『まさかレイビー、結局、この私に惚れちゃった?』
「チッ、言っとけアホ」
『ふふふっ。遂にレイビーも私の脚線美にメロメロってわけよ!』
「知ってるか。寝言っていうのはな、眠ってから言うもんなんだぞ」
『照れない照れない』
「照れてない!」
『҉大҉好҉き҉だ҉よ҉、҉レ҉イ҉ビ҉ー҉♡҉』
「…………………………」
『フッ。嬉しさで声も出ないわね』
「いや、すげぇ気色悪い」
『酷っ!?』
「常日頃から鯖缶喰ってニヒヒって笑いしてる奴が急に♡つけてぶりっ子ぶっても逆に薄気味悪い」
『あのねぇ、世の中にはギャップ萌えってやつがあるのよ! 普段は見ない一面にこそ男って人種は萌えるんでしょうがっ!』
「女が男に男を語るな! ああもう兎に角、もう切るぞ」
これ以上話していると五月蠅く絡んできそうだったので、有無を言わさず通話を切った。こうして強引にでも会話を打ち切る事が出来るのが電話の利点でもあり欠点でもあると最近になって気づき始めてきた。
「…………ふぅ」
心の中で渦巻く、このモヤモヤとしたものが恋というやつなのかレイビーには分からない。
しかし少なくともフレンダと過ごす一日三時間以上もの時間は楽しい。楽しくて能力を使ってもいないのに時間が早く感じられるほどに。
だから今はこのままで良い。
そしてレイビーは今日も、明日も、明後日も明々後日も、フレンダ=セイヴェルンという少女に会うため『とある病院のとある病室』へと足を運ぶ。
いつか彼女が死の恐怖から解放されることを願って。そして、
「たっく、急に変な事言いやがって」
レイビー自身は知らぬことだが彼の耳は、まるでこの上ない嬉しい出来事でもあったかのように赤くなっていた。それがどうしてなのか知る者は誰もいない。本人でさえも、まだその感情には気付いていなかった。
短編第一作目フレンダでした。暗部抗争編後、二人は一体全体どうなっているかなどの状況を簡潔にお伝えしましたが、どうでしょう?
レイビーは超能力者クラスの能力者にはなったものの、表向きはまだLEVEL4のまま。フレンダは病院に缶詰(鯖缶的な意味でも)。レイビーの能力についてはアレイスターはもう知っていますが、プランと睨めっこしてどうするか考え中です。放置か排除か手懐けるか、と。
次回はインなんとかさんの短編です。
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