A.D.時代、所謂西暦の時代が終わってから丁度七十年の今日二月。
ハンス・ミュラーが大西洋連邦のMAパイロットになってから大体一年目になる。いや今は大西洋連邦のパイロットではなく地球連合のパイロットというべきだろう。
『コペルニクスの悲劇』という名前を与えられた爆弾テロ。国連主導で執り行われた『プラント』とプラント理事国との会談はそのテロにより血染めのものとなり会談が成立することはなかった。
プラント理事国の人間や国連事務総長を始めとした人間はその悉くが死亡してしまったのだ。ただプラント側代表者のクライン議長はシャトルの故障により遅刻し難を逃れる。
そのせいもあり理事国側はこのテロ事件をプラントの仕業であり、地球に対しての宣戦布告であるとし、国連にかわる組織として地球連合を組織したのだ。
お陰で大西洋連邦軍も一部の防衛隊を除いて地球連合軍へ丸ごと移行。宇宙軍などその最たるもので、わりと個人的に気に入っていた制服まで変更となってしまった。
とはいえ本当に爆破テロがプラント側の仕業だったかどうかは定かではない。本当にそうなのかもしれないし、捻くれた見方をするのならプラントとの融和を望まぬ地球側の陰謀ともとれるのだ。勿論こんな話を大っぴらにすれば変な目で見られかねないし、要らぬ敵を作るので自分の仲間内での愚痴に留めているが。
「しかしなぁ。まったく早すぎじゃないか、戦争まで。……俺は戦争する気なんてなかったのに」
ミュラーは連合軍の護衛艦のドレイク級、サンダースの艦内でごちた。
サンダースの向かう先は宇宙空間を浮かぶ巨大な天秤型コロニーことプラントだ。ただしプラントへ行くのはこのサンダースだけでなく、大小様々な宇宙戦艦が大量の弾薬とMAを収納して進撃している。……要はこれから戦争しにいくのだ。プラントと。
しかし『コペルニクス』の悲劇からまだ五日しか経っていないのにもう宣戦布告とは我が国のことながらやる事が早いというべきか。
「変な話ですね中尉。戦争する気ないなら、なんでMAパイロットになんかなったんです?」
ジョン・タナカ少尉が悪戯っぽく言ってくる。士官学校の一つ後輩だったからか、この艦でも同室に配属された。タナカ少尉はファミリーネームの通りその先祖は日本人だが、もう大西洋連邦に渡って何代も経ってるので肌の色は白い。ただ目元や髪の色に東洋人の血が残っていることを垣間見せるのみだ。
ハンスとしては正直一人で使っていた部屋が二人共用になったのにはガックリときたものだが、それが自分と仲の良い後輩だというのなら我慢はできるというものだ。これで同室になったのは頭がパーンなブルーコルモス派の連中ではジョークにもならない。
ちなみにハンスは中尉でパイロットだが別に敵のMAを撃墜したとかいう戦功がある訳ではない。士官学校を卒業した少尉は一年経てば余程の問題を起こさない限りは自動的に中尉に昇進するのだ。
「……俺が士官学校に入った時は戦争が起きるなんて思ってなかったよ。それに士官学校に入ったのは家が貧乏で普通の学校に行けなかったからだし、パイロット課になったのは適正があったのと元々なにかに乗ったりするのが好きだからだ。本当に戦争が起きるなんて知ってたら誰が軍隊なんて入るものか」
軍隊の教育というのは往々にして荒っぽいものだが、他の職業よりも遥かに充実したものがある。それが各種保障であり給料だ。
ミュラーはまだ二十歳そこそこの若造だが、それでも同年代の平均収入と比べれば多い。
家が貧乏で日々の生活をするためにホイホイとそれに釣られて入隊したら……これである。第三次世界大戦から戦争がないので油断していた。
「でも中尉、こんな戦争なんてどうせ直ぐに終わりますよ。プラントがどれだけ遺伝子弄って人生チートモードだからって数が違いますからね。今回の戦いさえ生き延びれば後は向こうから和平でも申し込んでくるんあないんですか?」
「……それは、どうだろう」
プラントの総人口と地球連合参加国の総人口を比べた場合、その比率は驚きものの木の1:300〜400。あちらは純正軍でこちらは混成軍という不利はあるものの普通なら数百倍の敵に勝つなんて不可能だ。拮抗すらできない。三日でも持ち堪えればマシというレベルだろう。
彼の大軍師・諸葛孔明やら太公望でも匙を投げる戦力差。しかしもしもそれを補うものがあるとすれば、
「まさか負けるっていうんですか? 地球軍が?」
タナカ少尉が信じられないという顔を向けてくる。
それが普通の意見だろう。他のどの兵士に尋ねても似たような答えが返ってくるはずだ。つまり連合軍は勝利を戦う前から確信しているのだ。
「そうは言わないさ。だが負ける可能性はゼロじゃないと思う。戦いは数だ、なんていう原則を批判する気はない混成軍とはいえこっち側の質もそこそこだ。普通に考えれば負けるはずがない。けど……」
プラントに住む大多数の住民はただの人間ではない。遺伝子を調整され生まれながらに優れた才能や肉体をもつコーディネーターという者達だ。
コーディネートにかけた金によってその才能などもある程度は上下するものの、遺伝子調整を全く受けていないナチュラルよりも優れた能力をもっていることには変わりない。
それは嘗てのオリンピックでコーディネーターの選手が金メダルを総なめにしたことからも明らかだ。
当然ZAFTとかいう名前のプラントの軍隊もコーディネーターが占めている。質のみでいうなら最高峰といっていいかもしれない。
「いや先輩、コーディネーターが強いのは分かりますよ。俺は別にブルーコスモスじゃないですけど、それなりにコーディネーターの強さに嫉妬を覚えてきた口ですし。だけどコーディネーターだって一人でナチュラル百人と喧嘩して勝てはしないでしょ」
「うん。それはそうだ。これが殴り合いだとかの戦争ならそこまで心配する気はなかった。だけど現代戦は数や質以外にも技術力も関係してくる」
コーディネーターの技術力の高さ、それはこれまでプラント理事国がプラントから吸い上げてきた利益の潤沢さがなによりの証明である。
その利益が膨大だからこそプラント理事国はプラントの独立など断固として認めようとしないのだろう。誰も進んで金を生む玉手箱をくれてやろうとは思わない。
(……さて。コーディネーターがどれだけの戦力を揃えているか、それが問題だな)
思い返せばここ二、三年。戦争の予兆のようなものはあった。互いが互いの主張を認めようとはせず、お互いに棘のある言葉をぶつけ合う。
お互いを尊重しないそのやり取りは正に戦争の影であっただろう。
もし議長のシーゲル・クラインを始めとしたプラント首脳陣がボケていないのなら事前に戦争の準備くらいは進めていた筈だ。
(こっちが100万の兵隊で、あちらが一万の兵隊だろうと……こっちの武器が弓矢であっちがマシンガンなら勝ち目は薄い)
といっても些かそれは心配し過ぎだろう。
コーディネーターがどれほどの技術力をもっていようと、その技術は精々が地球軍側の技術力を一回りか二回りほど上回るものくらいのはずだ。そう信じなければやっていけない。
「先輩も心配性ですね、このこと艦長とかには?」
「言う訳ないだろ。もしあの堅物艦長にそんなこと言ってみろ。『貴様はそれでも軍人か! 敵に戦わずして消極論を唱えるとは何事か!』とかなんとか説教してから修正のコンボだ」
肩を竦めながら、眉を顰め如何にも堅物という表情を作って艦長の顔真似をするミュラー。それが似ていたのかタナカ少尉は吹きだした。
「でも危険な状況だ。戦争に勝つ負ける以前に……この風潮は好きじゃないな」
地球連合軍は宣戦布告にするにあたり『コペルニクスの悲劇』はプラントひいてはコーディネーターの仕業だと発言している。
またプラントはプラントで表立った場でも地球に住むナチュラル達は、という発言が多い。
どちらの国民もこの風潮に疑問を感じていないようだが、この場合は疑問を感じていないことこそが問題なのだ。
「人種差別が当たり前に横行してるな。はぁ……肌の色や出身国なんて関係はなく人間は平等、なんていうのは嘘だったんだって今の政治家たちは言いたいらしい」
「仕方ないんじゃないんですか? そりゃ俺だって人種差別なんて下らないとは思いますよ。肌の色が黒だろうとなんだろうと人間ですしね。けどコーディネーターは根本的に違うでしょ。病気にだって全然かからないし、顔だって大抵の奴は美形だ」
「なんだよな」
人種差別が悪であり間違いとされた根拠の一つは、道徳観もあるだろうが根本的に同じ人間であるからだ。
けれどコーディネーターはそうではない。母体内で遺伝子調整を施された……言い方は悪いが改造人間。ナチュラルが能力の高いコーディネーターに嫉妬し、時に気色悪さを覚えるのも無理はないのだろう。
ミュラー自身、遺伝子操作という五文字には少なからず忌避感を覚えている。だからこそコーディネーターとナチュラルの溝は埋まらず、差別が生まれてしまう。
「ああでもコーディネーター差別が建設的なことを一つやってるぞ」
ポンと手を叩きながら言う。
タナカ少尉が「なんです」と尋ねてきた。
「コーディネーターっていう一番の差別対象ができたせいで、他の宗教差別や人種差別が極端になくなったことさ。何時の世も意思統一には新しい敵ってことなのかな」
「違いないっすね」
他愛無い冗談で笑いあう。
我ながらお偉いさんの前では口が裂けても言えない会話をしている。もしブルーコスモス派の将校にでも訊かれたら厄介なことにもなるだろう。
だがこれから命懸けの戦争にいくのだ。二人だけひっそりと愚痴るくらい罰は当たらないだろう。
そうやって話していると『第一警戒態勢』を伝える報せがなった。プラントが近いのだろう。
『パイロットは其々のMAに搭乗して下さい。繰り返します。パイロットは其々のMAに搭乗して下さい』
オペレーターの子の可愛らしい声が艦内に響く。
こんな些細なことで『この艦を守らなければ』という気分になるから男という生き物は厳禁なものだ。
「行きたくないが、給料を貰ってる手前ボイコットもできないな。行くとしますか」
「先輩。ちゃんと面倒見て下さいよ。俺、初陣なんすからね」
「初陣のパイロットはもうちょっとガチガチに緊張するものなんだが」
「生憎と神経が図太いもんで」
舌を出しておちゃらけるタナカ少尉。ふざけた態度だったがこれでいい。殺し合いなんて真面目な気分ではやってはいけない。多少不真面目な方がやる気も持続するというものだ。なにせ元々少ないやる気。維持するのは難しくない。
「分かった分かった。でもあんまり頼りにしないでくれよ。俺だってまともな戦争は初めてなんだ。俺が今まで相手にした連中なんて雑多な武器しかもってない宇宙海賊くらいだ」
ベレー帽を被り襟を締める。サンダースの艦長は超のつく堅物で、服装が乱れているだけで小一時間は説教攻撃をしてくる。
お陰さまで部屋から出る前に鏡で制服を確認する癖がついてしまった。異動して分かった上司に巡り合えたら崩した格好をしてやろう、とミュラーは密かに決心する。
「それじゃあ死なない気で頑張りますか」
ミュラーはタナカ少尉を伴い部屋を出る。ミュラーはこの時はまだ知らない。この戦いが後の歴史において大きく血文字で刻まれる事を。
これが後世において『血のバレンタイン』と呼ばれることになる戦いの始まりだった。
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