肌寒さを感じて、ゆっくりと目蓋を開ける。
あれからどれくらいの時間が経ったのだろうか。頭がズキズキと痛い。全身も痛む。ただ骨までは折れてないだろう。軍隊の仕事や訓練課程で骨を折ったことはあるが、その時の痛みとは感じが異なる。
恐らくはただの打撲、安静にしていれば二三日で治るだろう。
「……生きて、るのか」
一文字づつ確認するように呟く。
嵐のように過ぎ去った激闘。喉元過ぎればなんとやらとはいうが、今思い返すと全てが夢だったのではないかと考えてしまう。
しかし全身と頭の痛みがここが現実であるとミュラーに教えてくれていた。
「くそっ。味方は……敵は」
通信を入れようとするが、誰もいる筈がない。
味方の戦艦は撃沈され、敵の戦艦は自分が撃沈してしまった。この宙域に生者は自分だけだ。生者だった者はジャンクに混じって浮いているかもしれないが。
「…………」
どちらにせよ、このままではどうしようもない。
MSやノーマルスーツの空気だって永遠ではないのだ。否応なく鹵獲したジンに乗っていたパイロットのことが思い出される。
もしも空気がなくなれば自分もあのような末路を迎えることになるのだろう。
それは御免だった。
味方も敵も死に尽くして蟲の良いことだろうが、それでも生存本能というものは如何ともし難い。
ミュラーはジンを動かす。爆風でのダメージが多きい。これではまともに動かすことはできない。
「だけど一度くらいバーニアを吹かせられれば」
ここは宇宙だ。空気抵抗なんてものはない。
メジャーリーガーのエースが100マイルの剛速球を投げれば、なにかにぶつからない限りは木星まででも飛んでいくのだ。
幸いバーニアの方はギリギリで生きていた。
ジンの羽のような形でついているバーニアが火を噴いた。後は運任せだろう。
無限のような時間があった。
ジンには冬眠装置のような気の利いたものはないので、死ぬか何か生者に巡り合えるまでこうして目を開いていなければならない。眠りながら気付けばあの世へとはいかないのだ。
しかも最悪なことに食糧もない。
メビウスにはこういう時のための保存食が用意されているのだが本来使う筈のなかったジンにそんなものはないのだ。
「一人、か」
目を瞑りさっきまでの過去に思いをはせる。
未来を考えたくはなかった。未来を考えるのならば、どうしても空気が月基地までは保たないという現実にも目を向けなくてはならなくなる。
ミュラーが考えるのは沈んだリンカーンのことだ。
多くの命があそこで消えた。
ブルーコスモス派の艦長が死んだことに対してはチクリとも心は痛まないが、その巻き添えを喰らって死んだ他の乗組員に対しての後ろめたさはある。
パイロットとして、ミュラーが不覚をとらなければリンカーンが沈む事はなかったのかもしれないのだ。
それが傲慢な考えだと理解しても、もしああだったらと思わずにいられない。パイロットというのも因果な商売だった。
「……ベック」
リンカーンに配属となり出会った友人。年は親子ほど離れていたが、それでも友人だった。気の良い整備兵だった。あんな場所で死んでいいような人間ではなかった。
それにジョン・タナカ。
士官学校からの先輩後輩の間柄でなんだかんだでしぶとくこの戦いを生き延びてきた。
今でもタナカが死んだというのが信じられない。ひょっこりと通信でも入れてくるのではないか、と有り得ない期待を抱いてしまう。
だが死んだのだ。
全員がいなくなった。
「…………!」
ミュラーは総て見ている。
タナカのメビウスがスナイパーライフルに撃ち抜かれる瞬間を。ジンのマシンガンがベックの体を粉々にしたシーンを。リンカーンが沈むその場面を。
それにしても、
(どうしてこんなにも自然にジンを扱えたんだ)
結局のところそこに行きつく。
戦闘中はそれどころではなかったので気にしなかったが、こうして冷静になってみるとあの時の自分の異常さが身に染みて理解できた。
初めて乗るMSという兵器。だというのにミュラーはもしかしたらメビウス以上にMSを操ることができた。自分が特別MSという兵器と相性が良かったのだろうか。
(だとしてもおかし過ぎる。大体MSはとんでもなく扱いが難しい兵器なんだぞ。それを素人がああも簡単に扱えるものか)
MSよりは扱いやすいメビウスだって乗りこなすのに訓練を必要とした。初めてのった兵器でも自由自在に扱えるほど人間が優秀なら、自動車免許取得に実技試験なんてものはない。
もし訓練なしにMSを扱える存在がいるとすればコーディネーターだが。
「なわけはないし」
コーディネーターでもない。かといってMSに乗ったことがある訳でもない。
なのにどうしてMSをああも扱えたのか、答えは一向に出てこなかった。
「――――――――」
何時間が、もしくは何十時間が経っただろう。
ジンにある空気が遂にゼロになった。もはやミュラーを活かすのはノーマルスーツにある分の空気だけだ。
この空気量がそのままミュラーの寿命ということになる。
ミュラーは拳銃に弾丸が詰めてあるかどうか確認した。
窒息して苦しんで死にたくはない。どうせ死ぬなら苦痛は一瞬の方が良い。
軍人の自殺する方法など何時の時代もそう変わらないものだ。
空気が刻一刻となくなっていく。
ノーマルスーツにある空気はMSのそれと比べれば格段に少ない。
もう空気も後三分か四分くらいしかもたないだろう。
その前に終わらせなくてはならない。
自分が死んだ後の事は心配していなかった。軍隊というやつは遺族年金がかなり充実している。
ここで死ねば自分は二階級特進して中佐。十分すぎる額が遺族には支払われることだろう。
銃爪に手をかける。自分の命を諦める最後の決心をして、
「レーダーが」
ジンのレーダーが熱源が近付いてくる事を告げていた。しかもこのIMFは味方のものだ。
連合軍の戦艦がここに近付いてきている。
藁にもすがる思いで通信を入れた。
「こちらは地球連合軍護衛艦リンカーン所属、ミュラー大尉。認識番号T-370187。空気がもうなくなってきている。急ぎ救助を求めたい」
ニュートロンジャマー影響下ではないため通信はあっさり届いた。
『こちら護衛艦コーネフ。認識番号は確認した。だが貴官の搭乗機はメビウス・ゼロのはず。何故ザフトのMSに搭乗している』
「戦闘中にメビウス・ゼロが被弾し戦闘不能となり、艦長の命令で私はジンに乗り出撃することとなった。それで運にたすけられザフトを撃退することに成功したが、味方艦は撃沈した。出来れば急いでほしい。もう空気が一分もないんだ!」
『…………いいだろう。迎えを出す』
どこか疑った様子の司令官の声を最後に通信が切れた。
ミュラーが救助されたのは空気が切れる三十秒前だった。
護衛艦コーネフに救助されて一時間が経過した。
どうして分かるのかといえば、救助されて直ぐに医務室に運ばれ血液を採取されると、この士官室に半ば軟禁の形で押しこめられたからだ。士官室には時計もあるので時間は正確に分かる。
何もすることはないので仕方なくベッドで横になると、それを見計らったように連絡がきた。
『ミュラー大尉、艦長室に来たまえ』
艦長らしい尊大な声色。なんとなくリンカーンの艦長にも共通するところがある。
とはいえ自分は予期せぬゲストであるし、この戦艦には自分の命を助けて貰った恩もある。なにより軍人は命令に従うものだ。
ミュラーが一時間ぶりに士官室から出る。すると二人の兵士が「送ります」と言ってきた。
送るとはいうが、自動小銃など携えたそれは監視役同然だ。兵士達二人からは明らかな敵意のようなものを発していたので簡単に分かった。
やがて艦長室につく。
「入れ」
「……ハンス・ミュラー大尉、入ります」
艦長室は広かった。リンカーンの艦長室に入った事はないので比べることはできないが、ミュラーの軟禁された士官室よりも広い。
そして艦長室の中心に置かれたテーブルでふんぞりかえった中年の男の背後には屈強な軍人が数名控えていた。警護の兵士だろう。
「世界樹の英雄の一人の……ハンス・ミュラー大尉だったね。私はこの艦の艦長をしているヘンリー・ゴートン中佐だ」
「中佐殿におかれましては、宇宙にて漂流していた私を救助して頂き感謝の念に堪えません。私は――――」
「いい」
ゴートン中佐が手で制した。
ミュラーの直感が危険信号を発する。ゴートン中佐には警護の兵などとは比べ物にならない敵意があった。
まるで親の仇を見るかのようにゴートン中佐がジロリとミュラーを睨み口を開く。
「さて。余り話したくはないので本題に入ろう。ハンス・ミュラー大尉、君はコーディネーターだな?」
「は?」
「とぼけるな! この戦闘データを見ろ!」
ゴートン中佐の指示で兵士がスクリーンに映し出したのはミュラーの搭乗したジンの戦闘データだった。
「これが何よりの証拠だ。コーディネーターでしか扱えない筈のMSを操り、コーディネーターのMSを二機も撃破した」
「お言葉ですが中佐。コーディネーターしかMSを扱えないと言うのは早合点に過ぎないでしょうか。リンカーンの整備主任はナチュラルでも訓練をすれば――――」
「訓練すれば、どうだというのだ! もしその整備主任とやらの言葉が正しいとしよう。え? で、貴様はMSを操縦する訓練を受けたのかね?」
「……いえ。受けてません」
嘘はつかない。吐いても調べれば直ぐに分かる事だ。
「なら決まりだ。君は自分がコーディネーターであることを隠して連合軍に入隊した。世界樹でも遺伝子のお蔭で英雄になったのだろう。薄汚い改造人間がっ!」
「誤解です中佐! 俺は……いえ、私は誓ってコーディネーターではありません。私でも自分がどうしてあれほどMSを扱えたのかは分かりませんし、自分でも疑問に思いましたとも。しかしコーディネーターではない。第一自慢にもならないことですが、私の家は貧乏で明日の食事にも困る有様でした。軍人になったのだって軍人になれば国の奨学金でまともな教育が受けられて、おまけに高い給料がもらえるからです。そんな私がどうしてコーディネーターなのですか? コーディネートにどれだけの金がいるか、よもや中佐殿は知らないのですか?」
コーディネーターは作るにしても金がかかる。それこそかなりの額の。
ミュラーの実家の財産では胎児のコーディネイトどころか自宅のコーディネートもできない。
「御託を抜かすな。直ぐに分かる事だ。と、きたようだな」
艦長室に白衣をきた眼鏡の男が入ってくる。
医務室でミュラーの血液を採取した男だ。
「ご苦労だった。ブラウン中尉、それでどうだったね?」
「そ、それが調べたところミュラー大尉には遺伝子操作を受けた形跡がまったく見受けられませんでした」
「なに?」
ゴートン中佐が目を見開く。
「これが調査結果です」
ブラウン中尉の提出した書類、ミュラーの血液の採取結果を食い入るように見つめながらミュラーにも視線を向ける。
「ま、まさか……そんな、ありえるのか。MSをコーディネーター並みに操るとは。……お、おっほん!」
ゴートン中佐がわざとらしく咳き込む。
今度は見てるこちらが気色悪くなるような猫なで声で言う。
「ええと、ミュラー大尉。君も疲れただろう。暫く休んだ方がいいだろうね。お前達、ミュラー大尉を士官室に」
態度の急変。その理由と、自分の今後をなんとなく推察しながらミュラーは溜息をついた。
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