ソキウスとの模擬戦の後、ミュラーはアズラエルに呼び出された。
「失礼します」
部屋に入ればそこには相変わらず水色のスーツを着込んだ青年が胡散臭い笑顔を浮かべ立っていた。
地球圏の富豪でも一二を争うVIPなので周囲にはがっちりとした体形の黒服男がガードしている。ミュラーがとち狂って殴りかかりでもしたら、その瞬間に射殺されそうだ。
あのジョージ・グレンやケネディ大統領の死因も暗殺なので、アズラエルもそのあたりには注意しているのだろう。
ムルタ・アズラエルがケネディやジョージ・グレンに並ぶビッグネームとは思わないが、現代においては間違いなくシーゲル・クラインや大西洋連邦大統領に並ぶ人物なのだから。
「ご苦労様でしたミュラー少佐。いや御強いということは知っていましたけど、戦闘用コーディネーターと戦って勝つなんて驚きですよ。思わず模擬戦が終わったあとなんて拍手をしてしまいました」
アズラエルは上機嫌のようだった。
ほっと胸をなでおろす。上司が不機嫌でプラスになることはない。……軍人の上司が商人というのも変な話だが。
「光栄です理事」
「ですが貴方も素知らぬ顔しておいて狸ですねぇ。ソキウスのジンがノーマルな仕様なことをいいことに、自分だけは武装を対MS用に充実させるだなんて。これが真っ当な対戦ゲームなら顰蹙を買ったかもしれませんよ?」
「……武装を充実させたから、約束はなし、ですか?」
肩を竦め「まさか」と言うアズラエル。
「昔、僕が経営者になる前に東アジア共和国……旧日本のゴリンノショっていう書物を見た事がありましたね。ムサシ・ミヤモトとかいう剣士はコジロウ・ササキという剣士との果し合いに臨む際に、わざと遅刻することでコジロウを苛立たせ、太陽を背にして戦う事で優位を得たそうです」
「その話なら知っています。戦死した私の後輩がその国の出身でしたから」
「なら話は早い。いいですかミュラー少佐、戦いにしろ勝負事にしてもね。勝てばいいんですよ勝てば。歴史だってそうでしょう? 勝った方は良い方で負けた方が悪と記される。第二次大戦でヒトラーがよく悪玉として扱われますが、スターリンやルーズベルト、トルーマンがどれだけの人間を殺したと思ってるんです? ですが歴史はアドルフをヒールにしてトルーマンやチャーチルをヒーローにした。もしも勝ったのが逆なら、果たして悪役はどちらだったんでしょうねぇ?」
もしも第二次世界大戦で敗北したのが枢軸国ではなく連合国ならば。
IFを考える話とはポピュラーな内容だ。それ故に誰しも考えさせられることでもある。
勝者が正義となり敗者が悪となる。正義が勝つのではなく勝った方が正義となる。
戦争がどちらも正義を主張する以上、アズラエルの言葉は正しい様にも聞こえた。
「……お言葉ですが理事、私はその意見に対し逆の意見を用意することができます」
「ほう、どういう風に? 遠慮せず言って下さい。別に僕はアンチ意見の一つや二つで怒ったりしませし責任追及なんてしませんから自由に発言して下さい」
アズラエルの許可が出た。それを受けミュラーは口を開く。
「たしかに戦争で勝った国は敗者を悪とするでしょう。事実として多くの敗戦国が戦後に悪のレッテルを張られてきました。そのことは否定しません。ですが悪がいつまでも悪のままではないでしょう」
「……というと?」
「人間には歴史があるからです。人間は歴史を通して過去を振り返り、過去から学習し、過去を顧み、過去をより調べることができます。書物に記された数万の文字を通して我々は現在ではなく過去を見ることができるのです。そうして過去を見ることで、歴史上で悪のレッテルを張られた人物が本当に悪だったのかどうか、歴史の英雄が本当に英雄だったのかを調べることができる。戦争が終わった直ぐ後で調べ発表できなくても、当事者が死に絶えた後、誰もがその時代の主観的人間ではなくなった時代なら客観的な視線で物事を測ることができる。そうやって悪とされていた人物が、本当は悪ではなく善の人だったと証明される例は多い」
「驚いた。軍人さんにしては歴史学者みたいな意見をお持ちなんですね。僕は軍人さんといえば頭が固そうだったり、下品そうだったりと……余り良いイメージは抱いていなかったんですけど、好印象ですよ?」
「いえ。理事の前だからこうして取り繕っているだけで、ハンス・ミュラーはそんなに上等な人物じゃありません。下品な人間というのも間違いではないでしょう。ただ私は士官学校で学んだ知識などを総動員して、理事の意見に対する反対側の意見を述べたまでです」
「そうですか。なら僕も貴方の反対意見に対して反対意見を用意できますよ。当事者が死に絶えるといいますが、それは何年後の話なんです? その時代を生きた人間というなら多くても100年やそこいらでしょうが、その時代を生きた人間が息子や孫に語って聞かせる事を鑑みれば長ければ200年、長ければ数世紀は掛かるかもしれません。一体そんな先のことを考えてどうするんです? 僕は経営者として先のことは考えてますし、アズラエル財閥が出来る限り長く存続することを思いながら仕事をしています。ですがそんな数世紀後のことなんて一々考えていたって仕方ないでしょう? 当事者が死に絶えるということは、言いかえれば時代が次の時代にタッチをすることです。そんな未来よりも僕達が考えるべきは今と近い将来、だと思いますけど?」
「ええ。理事の仰ることは正しい。ですが絶対的に正しい不変の真理ではない。失礼しました。私はそれだけを言いたかったのです」
軍人としては出過ぎた発言だっただろう。ミュラーは自分で自分に注意をする。
こんなにペラペラと喋って軍上層部などに目をつけられては敵わない。軍人が幸せに長い間、生きるための処世術は政治の世界には近づかないということだ。
政治の世界は魔窟である。下手に触れれば大火傷どころか自分の命と財産の全てが消失しかねない。
「と、かなり話が脱線してしまいましたね。有意義なお話でしたので、つい僕も熱が入ってしまいましたよ。ソキウスの件ですが……」
アズラエルが隣にいる黒服スキンヘッドに合図をする。
黒服スキンヘッド……長くて言い難い。親しみを込めて黒服スキンヘッドのことはプリンという愛称で呼ぼう。
ミュラーは勝手に黒服スキンヘッドの護衛にプリンという渾名をつけた。
プリンが部屋のドアに近付くと、ドアを開ける。すると白い髪をした見た目は病弱そうな少年が一人入室してきた。
直感が、自分はこの少年と戦った事があると教えてくる。
成程。彼が戦闘用コーディネーターのナイン・ソキウスなのだろう。
「えー、こうして直に対面するのは初めてになりますね。ナイン・ソキウス」
「宜しくお願いします。ナイン・ソキウスです」
馬鹿丁寧にお辞儀をしたソキウスだがどことなく驚きのようなものがあった。
アズラエルがここにいたことに対してではなく、アズラエルが自分と生で会っていることに驚いているのだろう。
「さて。ナイン・ソキウス、君はこれからそこにいるハンス・ミュラー少佐の直属の部下として働いて貰います。これまでと違い正式に軍属として扱うので待遇は良いですよ。ついでに准尉の階級もあげます」
「僕が、軍属に……?」
「で、いいんですよね少佐。軍の方には僕が話をつけておきますけど、もし彼等が裏切ってザフトにでも寝返ったら責任は貴方がとって下さいよ」
最後の確認とばかりにアズラエルが聞いてくる。
ミュラーもここまできて嫌だとは言えない。静かに首を縦に動かした。
「………………」
ナイン・ソキウスは自分が実験動物扱いから解放されたことを喜ぶでもなく、アズラエルの話を聞き入っていた。
なんとなく何か言いたい事があるのだが、相手が相手なせいで言いだせないような雰囲気だ。
アズラエルの方に気付いた様子はないので、ここは口を挟ませて貰う事にする。
「理事。彼はなにか理事に対し発言したいことがあるようですが?」
「……少佐」
ソキウスが目を丸くした。どことなく無表情な両方の瞳に謝意のようなものが感じられる。
悪い気分ではなかった。誰かに感謝されるというのは。
「おや。そうなのですかナイン・ソキウス君。この僕がコーディネーターと話をしてもいいと思うほど気分が良い日は滅多にないので、話があるなら早いうちにどうぞ」
「……質問なのですが、僕の他のソキウスの扱いはどうなるのでしょうか? 僕等はナチュラルの役に立つために生まれてきました。ですから、どうか僕以外のソキウスにもナチュラルの役に立てる場所を与えて下さい」
「与えてるじゃないですか。実験動物は十分にモルモットとして役立っていますよ。それでは不満ですか?」
人間性を無視した発言だが、ミュラーはぐっと堪えた。殴って物事が解決するならとっくに張り倒している。
「僕達はナチュラルの為に戦うよう作られました。ですから僕達が最も役に立てるのは――――」
「モルモットじゃなくて戦闘人形としての方が役立てるから戦わせくれ、と? ですがね、僕としても貴方達のようないつ裏切ってもおかしくないような駒は出来る限り使いたくはないんですよ。チェスだって自分のナイトがいきなり白から黒になっては困るでしょう。貴方はミュラー少佐が責任をもって管理すると言うので特例として軍属にしますが、他のソキウスは今まで通りです」
「………………」
ソキウスの表情は変わらない。だが落ち込んでいるのは傍から見ても一目瞭然だ。
そんな感情の変化がソキウスが物言わぬ戦闘人形ではなく人間であると教えてくれた。
「理事」
ミュラーが助け船を出そうと口を開くと、アズラエルが手で制した。
「ただまぁ、貴方の忠実な活躍次第ではソキウスの本格的な軍への登用を考えてあげてもいいでしょう。もしも貴方が少佐を裏切ったりすれば……研究施設のソキウスについては期待しないで下さい」
アズラエルの言葉の裏には、ミュラーの責任が問われないようにするための気遣い、ソキウスが裏切らないための人質、ソキウスの戦意を高揚させるための餌など多くの意味があった。
そのことを察してかは分からないがソキウスは顔を輝かせ「はい」と頷いた。
「ミュラー少佐、精一杯にナチュラルのために励みたいと思います」
ナイン・ソキウスがこちらを向いて敬礼をしてくる。ミュラーも敬礼を返す。
「ああ。ナイン・ソキウス准尉……もし私が危なくなったら、助けてくれよ」
冗談交じりに言うと「さて」とアズラエルが切り出す。
「戦闘人形との交流もいいですが、取り敢えずは戦争です。連合の情報部がZAFTがビクトリア宇宙港を攻めようとしているっていう情報をキャッチしました」
「ビクトリア宇宙港ですか」
ビクトリア宇宙港。アフリカのビクトリア湖の近くにあるユーラシア連邦と南アフリカ統一機構が共同せ建設した基地だ。
宇宙港というのは名ばかりではなく、パナマやカオシュン同様、マスドライバーが建設されている。もしもここが落とされることがあった日には大変なことになるだろう。宇宙や月などにある都市は食糧の多くを地球からの輸入に頼っている。宇宙港が陥落させられマスドライバーを失うのは宇宙への道を奪われるに等しいのだ。
「既にビクトリア基地にいるサザーランド大佐に話はつけてありますから、ミュラー少佐はMSの実験部隊として戦闘に参加して下さい。勿論MSでね。ナイン・ソキウス、君もMSです」
「了解」
アズラエルに敬礼をして部屋から出る。
MSでの初陣はビクトリア防衛線ときた。中々に面倒なことになりそうだった。
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