クルーゼは秘蔵のワインでも開けて大笑いしたい気分だった。いやもしクルーゼがいるのが国防委員会の廊下ではなく自宅であればそうしただろう。
 パトリック・ザラへの献策は思った以上に上手くいった。
 軍の調和に気を使ってあの場でなにも言わずにいたが、パトリックは『ニュートロンジャマー』を地球に散布するという作戦を真剣に想定しているだろう。それにより生まれる怨嗟の声を失念したまま。

(クックっクッ、だが計画のためとはいえ……『我々コーディネーターが如何に優れていようと』か。我ながら思ってもいない事がよくも口から出る)

 クルーゼにとってコーディネーター至上主義なんてものは眉唾ものの概念だ。
 なにせクルーゼは特殊な出生ではあるがなんら遺伝子調整を施されていないナチュラル。ナチュラルである自分以下の戦果しか出せない連中が殆どを占めるコーディネーター至上主義など信望するはずがなかった。

「邪な気配が溢れ出ていると思えば、君か。ラウ」

「……おや、これはこれは。ギルバード、君こそなにをしているのかね?」

 廊下でぱったりとギルバード・デュランダルに鉢合わせする。
 待ち合わせをしていた訳ではない。本当に偶然だ。そもそも任務でお互いプラントを離れていた為、こうして直に顔を合わせるのは久しいことだった。

「私はカナーバ議員から渡された書類をザラ委員長に届けに来ただけだ。ラウは?」

「似たようなものだ。委員長閣下に呼び出されてね。……今後のザフトの戦略について意見を求められた」

 デュランダルの目が細まる。

「ほう。それは……興味深いね。少し待っていてくれ」

 やや速足でデュランダルがパトリックの部屋へと向かう。特に予定もなかったのでクルーゼは壁に背を預けて友人を待った。
 十分ほどがたったくらいだろう。デュランダルが戻ってきた。

「待たせたね」

 クルーゼとデュランダルは『計画』について他人の目がある場所でするほどにボケてはいない。
 国防委員のビルから程近い場所にあるデュランダルの宿舎にいくとそこで話を始めた。
 最初に口を開いたのはクルーゼ。

「パトリック・ザラにニュートロンジャマーを地球に散布する作戦を耳に入れておいた。この作戦が私が望むような形で実行されれば地球全土の核分裂路は機能を停止。必然的に原子力発電所も止まり地球圏は深刻なエネルギー不足に悩まされることになるだろうな。地球の総人口が"割"という単位で削られるかもしれん」

「……ラウ、それはよくやってくれた」

 クルーゼの提案は実際のところ、ただプラントの独立を勝ち取るために戦うのであれば下策といっていいものだった。
 もしもニュートロンジャマーを散布すれば、確かに地球連合の国力はガクリと落ちるだろう。エネルギー不足に悩まされ、それを補うために軍事へと向けていたエネルギーを復興にも向けなければならなくなる。
 それに単純なことだが人口が減るというのは国力の消耗に直結することだ。
 ザフトが地球連合を完膚なきにまで叩きのめし無条件降伏にまで追い込み、ナチュラルを滅ぼすために戦うのならばニュートロンジャマーの散布は悪い作戦ではない。
 しかし独立のためとなると話が変わってくるのだ。
 独立戦争をする以上、必要なのは相手との交渉の場である。連合首脳部を交渉のテーブルにつかせ、プラントの独立を地球圏に認めさせる。それがザフトの勝利条件だ。
 現在地球の世論はプラントを徹底的に叩けという主戦論よりも、どちらかといえば早々に戦争を止めるべきだという反戦論の方が強い。これには『血のバレンタイン』などによりプラントへの同情論が巻き起こっているのが一番の原因だ。
 だから独立を勝ち取るためにプラントがするべきなのは、戦争と並行して連合首脳部と密かにやり取りをし、地球圏の国家の世論を親プラント側に傾け、最終的に最も有利な条件で和平をすることだ。
 少なくともクルーゼが軽く計算する限り、あの穏健派のシーゲル・クラインが議長職にある今、パトリック・ザラに政権が奪取されるよりも早く戦争は終結するだろう。
 だがニュートロンジャマーが散布されれば話は大きく変わってくる。

「プラントは……被害者だった。地球圏から追い出され、宇宙で新たな生活を見出し地球から独立しようとして、野蛮なる連合軍の核攻撃で多くの同胞を喪った犠牲者だ」

 デュランダルがグラスを傾けながら微笑む。

「しかしニュートロンジャマーの散布により被害者は被害者でありながら加害者へとなる。多くの人間が死ぬだろう。死んで死んで、数えきれないほどの人間が死ぬ。そして……人が死んだ数だけ恨みも増す。反戦論はなりを潜め、主戦論が大勢を占める」

 大西洋連邦を筆頭に地球圏の国家の殆どは民主主義国家だ。民主主義国家である以上、民意というのは大きな力をもつ。
 国民のほぼ全てがプラントとコーディネーターに対して憎しみの感情をもち、報復を叫び始めれば、もはや地球連合も戦闘は止められないだろう。
 そして戦争は続く。お互いがお互いを滅ぼすまで。

「問題はクライン派だな。幾らザラ派に勢いがあるとはいえパトリック・ザラは国防委員長で、シーゲル・クラインは評議会議長だ。億単位の人間を殺すことになるプランなどシーゲル・クラインが認証しないだろう」

 クルーゼがザラ派なのに対して、デュランダルはザラ派とクライン派のどちらにも属してはいない。ただどちらかといえばクライン派に近いポジションにいる。
 だからこそシーゲル・クラインやクライン派のことはクルーゼよりも正しい情報を掴んでいた。

「その点は問題ないさ、ギルバード。シーゲルが地球全土へのニュートロンジャマー散布ではなく、地球一部都市へ牽制の意味を込めての散布という懸命な判断をとったとしても、実際に奴がニュートロンジャマーを散布するわけではないだろう? 現場でちょっとした手違いと食い違いがある可能性はゼロではない」

「君も悪い男だね」

「お蔭で君と違って人望がない。私は余り部下には好かれない性質のようだ」

 エースパイロットなんてものは大抵の時代本人の意志とは関係なくチヤホヤされるものなのだが、クルーゼに限っていえばそうではなかった。
 彼のもつ怪しげな雰囲気と底知れぬ恐ろしさがそうさせるのだろう。余り大々的に英雄と宣伝されることは少なかった。

…………もしこの話をミュラーにでもしたら、彼は明日から仮面をつけるかもしれない。

 しかし大々的に人気はないながらも、影のある雰囲気を好む隠れファンは何人かいるのだが、それは果てしなくどうでもいいことである。
 
「ああそれとギルバード。もう一つ面白い話をザラ委員長から聞いて来た。時にハンス・ミュラーという連合のパイロットを知っているかな?」

「連合が随分とお祭り騒ぎで宣伝していたからね。それは知っているとも。鹵獲したジンを駆って味方部隊が全滅されながらもトワーズ隊を全滅させたパイロットだろう」

「そうだ。しかも連合はご丁寧にハンス・ミュラーを世界最強などと嘯いて宣伝している。ザラ委員長はこれにご立腹でね。一万ドルの懸賞金とネビュラ勲章をくれてやるから、兎に角殺せとの仰せだ」

「……ハンス・ミュラーか。彼はナチュラルだったな」

「コーディネーターであるという疑惑を晴らすために遺伝子マップまで付属で公表されていたから、そうなのだろう」

「だがただのナチュラルでは有り得ない戦果だ」

 クルーゼは無言で頷いた。ナチュラルにもMS適正がある人間はいるだろう。だが幾らそういう人間だとしても初めてMSに乗る物がトワーズ隊全滅などできることではない。
 MSの操縦はMAのソレとは異なるのだ。戦闘用に調整されたコーディネーターなら不可能ではないかもしれないが、ハンス・ミュラーがナチュラルという事実がそれを否定する。

「ナチュラルには出来ない。出来るとすればコーディネーターでも戦闘適正が高い種だけ。だがハンス・ミュラーはコーディネーターではない。ナチュラルだ。だとすれば……ギルバード。君の仮説の正しさが証明されるというものだな」

「そろそろ人は気付くべきなのだよ。人間に秘められた可能性に。わざわざ遺伝子なんて手を加えずとも、人間は自然に進化ができるのだと。……その自然を、運命の摂理を崩したのがジョージ・グレンでありコーディネーターだ。なら運命を軌道修正しなければならない」

「運命、か。そんなものが果たしてあるのかどうか」

「あるなら作ればいい。私はこれをデスティニープランと呼んでいるよ」

 この翌週のC.E.70の3月15日。
 最高評議会において『オペレーション・ウロボロス』が可決された。
 オペレーション・ウロボロスは地上に置ける拠点確保、宇宙港やマス・ドライバー基地制圧による連合軍の地上封じ込め、核兵器、核分裂エネルギーの供給抑止となるニュートロンジャマーの散布の3つの柱からなる計画だった。
 ウロボロスというのは神話に登場する己の尾を噛んで環となったヘビの名前であり、世界をぐるりと一周し赤道を封鎖する作戦にぴったりの名前であった。



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