4月1日。四月の始めにしては肌寒い風の吹く今日、外はどこもかしこも嘘吐き三昧だった。
嘘といっても詐欺だとか悪辣な類ではない。ちょっとした冗談のようなものだ。
今日はエイプリルフール。一年に一度の嘘が許される日。この日を利用してゲーム会社は出来もしない新製品告知などを行い、預言者は世界が滅びるなどとのたまう。普段は洒落にならないジョークでも今日だけは冗談で済まされる。それがエイプリルフールだ。
しかし冗談だけで済まないこともある。
ミュラーが自宅へナイン・ソキウスを招いた理由もそれだった。
大西洋連邦本国に用意されたミュラーの宿舎は佐官用のものだけあり、かなり豪華というか良いものだった。アズラエル財閥の屋敷などと比べれば犬小屋だが、ただの人間からしたら上等だ。
TVやPCを始めとした電化製品だって最新のものだし、部屋も広い。とてもではないが士官学校時代の狭い二人部屋とは大違いだ。
そんな家のソファに座りお互いに向かい合いながらミュラーが口を開く。
「ナイン」
「はい」
ナインは相変わらずの無表情だ。それなりに顔も整っているのだから、少し愛想よくすればモテるというのに勿体ない。
しかし今は無表情なのが有り難かった。要らぬ心配をすることもなく覚悟が決まる。
「すまなかった」
開口一番、謝罪する。
「あ、あの少佐、なにを謝っているのですか。僕は少佐になんら含むところなど……」
「いやビクトリアでの件だ。君の戦果を奪ってしまった……すまない」
ビクトリア基地攻防戦でハンス・ミュラーは合計10機のジンを倒したということになっている。しかし事実は公表とは違う。
ミュラーが倒したジンは10機ではなく6機だ。うち4機はナインが倒したのである。
だというのに帰ってみればナインの撃墜スコアは全てミュラーのものとなっていた。ナインが得る分の賞賛も賛辞も功績も、ミュラーは奪ってしまったのだ。
ミュラーがそうしたのではない。
ナインの功績をミュラーのものだという風に事実を改変したのは、アズラエルとも面識があり、ビクトリアでは上官であったウィリアム・サザーランド大佐だ。
無論ミュラーも部下の功績を自分のものとしていい気分ではない。当然サザーランド大佐に文句を言いに行った。だが、
『ミュラー少佐、君はおかしなことを言うのだな。ナイン・ソキウスは本来廃棄されるはずだった化物――――物なのだよ。なぁミュラー少佐。君はMSでMSを倒したからといって、それはMSの功績で自分のものではないと主張するのかね?』
サザーランド大佐から返って来たのは笑えないブラック・ユーモアだった。ナイン・ソキウスは人間ではなく単なる兵器。だからその功績はナイン・ソキウスを使ったミュラーのもの。
それがサザーランド大佐の理屈だった。
ブルーコスモス思想と距離をおくミュラーのような人間はその理屈に違和感と忌避感を覚えるが、サザーランド大佐にとってはそれが全部なのだろう。
冗談でもなんでもなく、サザーランド大佐はコーディネーターを人間として認識していない。それが例え赤子であれなんであれ。
「気にしないで下さい少佐」
ナインは事もなげに言う。
「僕は別に功績や出世がしたくて軍属になったのではありません。僕の存在理由はナチュラルのために生きることです。ましてや少佐は廃棄されるはずだった僕を、もっとナチュラルの役に立てるようにして下さいました。そんな少佐の功績となるなら僕は満足です」
「……………」
分かってはいたが、こうして見ると酷いものだった。
哀れみの視線を抑えるのに苦労した。哀れみというのは高い位置から人を見下すような仕草のような気がするので、好きではなかった。
ナイン・ソキウスは本当に満足そうにしている。
これに嘘偽りはない。虚飾はない。
ナインはナチュラルのために生きることこそが存在理由といった。――――それは単なる理由以上に、ナインにとっての全てなのだろう。
人間なんていうのは、根源的に自分の為に生きるものだ。だというのにナインは生まれてからというもの自分の為ではなくナチュラルという自分を作り出した人間の為に生きている。
(もし俺がナインをただの人間に戻そうとして……無理だな。そんなことナインが望まない。人間はこうまで人間を壊せるのか)
ホモサピエンスの負の側面を垣間見たような気がした。
「えと、そうか。君が納得しているなら、話はこれでおしまいだ。ただそれだとこっちの気が済まないから大佐からの特別ボーナスはそっちに譲る。それで御相子にしよう」
「ですが僕は」
「上官命令だ」
そう言うとナインは口をつぐんだ。ナインだけでなく軍人というのはこれに弱い。
命令だ、という魔法の一言を付け加えるだけで反論を封殺できる。
「ところでナインは趣味とかはないのか? ベースボールとかフットボールとか……アイスホッケー? それにバスケは」
「いえ。特に……」
「アウトドアはNGか。ならチェスやオセロ、トランプ」
「僕はそういったものは嗜みませんので。暇が言い渡されれば訓練をしていました」
「……………」
本当にこういう時にタナカが生きていれば、というIFを考えてしまう。
タナカがいればナインを無理矢理にでも外に連れ出して遊びまわったりとしただろう。自分の受動的な性格が今回ばかりは恨めしい。
ミュラーが仕方なく野球中継でも見るかとナインを誘おうとした時だった。
「……んっ、がっ……!?」
頭にハンマーで殴られたような衝撃が駆け抜けた。
「少佐!」
ナインが慌てて駆け寄ってくる。顔色には不安と疑問がある。
当然だ。頭を押さえていて分かった事だが、ミュラーは怪我などしていないのだ。まったく何の怪我もないのに、いきなり衝撃を受けた。これは、
(なんだ……なにか、空から……)
そう。冷静になって分かってきた。
この衝撃は痛みではない。戦場で感じたあの脳味噌が外に飛び出て世界を支配下に置くような――――奇妙なそれと同じ。違うのはその規模だ。
「……落ちてくる……落ちる? …………ああもう、こんなものは俺のキャラじゃない。占い師の仕事だ!」
巨大な悪寒を振り払って立ち上がる。
「大丈夫なのですか、少佐。救急車を呼びましょうか」
「いい。それより外を」
カーテンを開けて窓から外を見る。
どうかあの悪寒が嘘であって欲しい、予感が外れて欲しいと祈りつつ。
「――――!?」
その祈りは無残にも打ち砕かれた。地球上に落ちてくる光によって。
レーザーではない。あれは大気圏外から、宇宙から地球へと落ちてきたのだ。
「隕石か? ……それにしては衝撃もないが」
ミュラーは電話を取り出して軍司令部へとかける。あそこならこんな一介の佐官個人よりも信憑性の高い情報が集まっているだろう。
「……?」
しかし一向に電話が繋がらない。
奇妙だ。C.E.も70年代に入りA.D.の頃からの携帯電話も格段に進化している。なので余程のことがない限り不通なんてことはないのだが、現に携帯は繋がっていない。樹海のど真ん中ならまだしも、ここは都市部も都市部。県外という可能性は皆無。
「まさか」
携帯電話が不通になるような混乱。電話が繋がらない。電波が繋がりにくくなる。電波妨害。
そしてもしこれが地球に落ちてきたもののせいだとして、ザフトの作戦だとすれば。
「ニュートロンジャマーを……地球に散布したのか……そんな、まさか」
ここでもミュラーの予感は正解だった。ザフトが地球へと落とし散布したのはニュートロンジャマー。
オペレーション・ウロボロス。その第一段階の始まりだった。
ニュートロンジャマーの散布により世界中は混乱。ニュートロンジャマーは禁断の力である核兵器の使用を封じることに成功したが、同時に生活に必要な原子力発電所をも地球から奪い取ることとなり、地球は深刻なエネルギー不足に悩まされることになる。
エイプリルフール・クライシス。
実に地球総人口の一割、約10億人の命を奪い去る事となるニュートロンジャマーの散布された日はその名で呼ばれることとなった。
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