ミュラーはクルーゼ隊が本国からわざわざガンダムとアークエンジェルを追ってきたのだと勘違いしたが、実際にはクルーゼは別にアークエンジェルやガンダムをどうこうする命令を受けてはいない。
クルーゼが休暇を返上してまでヴェサリウスで部下のアスラン・ザラを伴い出てきたのは一重にユニウスセブン追悼慰霊団の代表であるシーゲル・クラインの娘、ラクス・クラインの捜索のためである。
ラクスはその美しさや歌声もさることながら、シーゲルの娘ということでプラント人民全員にとってのアイドルというべき存在だ。
そんな彼女がこの辺りの宙域で搭乗していた船ごと消息を絶った。プラントからすれば最高評議会議員が暗殺された以上のビッグニュースである。
ではどうして数多あるザフト軍の中でクルーゼ隊にラクスの捜索の命令が下ったのか。
無論クルーゼ隊が非常に優秀な部隊ということもあるが、一番の理由にはクルーゼ隊にはアスラン・ザラが所属していることがある。
ザラというファミリーネームが示す通りアスランは国防委員長パトリック・ザラの一人息子であり、ザフトでも屈指のエリートだ。そしてアスランはラクスのフィアンセでもある。
行方不明の姫を救う若きエース。正に大衆が好みそうなシナリオだ。
パトリックとしては大衆報道用の人気取りのためにもアスランにラクスを救出したヒーローにさせておきたいのだ。……そして最悪ラクスが死んでいた場合は亡骸を抱いて帰還すれば悲劇の英雄の誕生である。
どちらに転んでもアスランに大衆は注目し、その父であるパトリックの影響力は高まる。
謂わばクルーゼ隊はそういった政治ゲームの都合に巻き込まれたという形なのだ。
故にアークエンジェルを襲撃したのはクルーゼ自身の判断である。
わざわざ馬鹿みたいにラクス・クラインの捜索だけをしていても仕方ない。アークエンジェルとそこに積まれたガンダムはザフト――――ひいてはクルーゼ自身の計画にも障害となる恐れがあった。
だからこそここで沈めておく。そういった思惑だった。
「だがまさか足つきとストライクを破壊するだけのつもりが、あんなものが出てくるとはな」
クルーゼがレーダーに示された敵戦艦の名前を見ながら薄く笑う。
連合には呆れかえるほどの数の戦艦があるが中ではブリッジマンという戦艦はそれなりに有名であった。
正確には戦艦そのものが有名なのではなく、戦艦の艦長が有名なのだ。
「……ヤキンの悪魔とは。連合も随分な大物をアークエンジェルの迎えに寄越したものです」
ヴェサリウス艦長のアデスが深刻そうに言う。
アデスは派手な戦績はないが、非常に理にかなった深みのある指揮をする男でクルーゼは高く評価していた。
そしてクルーゼの近くで戦ってそれなりに長いアデスはその縁もあってハンス・ミュラーの戦いを近くで見た事がある。その彼からすればコーディネーターの優位を覆しかねないミュラーは脅威そのものだろう。
「歌姫を救出に向かったら、大天使と悪魔に遭遇するとは。これはどういう巡り合わせかな。しかし今更になって尻尾撒いて逃げるというわけにもいくまい。国防委員長閣下はヤキンの悪魔にはご執心であらさられる。せめて腕の一本は貰って帰らねばラクス嬢を救出できてもお怒りになるだろう」
クルーゼは思案する。客観的にクルーゼは自分の能力の高さを自認している。
奪ったガンダムの一機であるイージスもあれば、自ら出ずとも戦艦二隻程度なら楽に倒せるだろう。
だが敵は今まで自分達の追撃を逃げ延びてきたアークエンジェルにハンス・ミュラー。下手を討てば逆にここで全滅させられるということもありえる。
それは非常に不味い。
クルーゼの計画の為にはクルーゼ自身にそれなりの地位があることが要求される。こんな場所で失態を演じて降格なんてことになっては洒落にもならない。
(ギャンブルに出る時ではないか。出来れば足つきとストライクはここで堕としておきたかったが、相手が悪魔ともなればな。ギルバート曰くハンス・ミュラーにはまだまだ連合でその力を示して貰わねばならんとのことだ。友人の頼みには応じるとしよう)
方針は決まった。クルーゼは立ち上がり全員に伝わる声量で言い放つ。
「私のシグーをいつでも出せるよう用意しておけ。さらに各員に伝達、敵は足つきとストライクだけではない。敵にはヤキンの悪魔がいる。下手な攻撃や猪突は避けろ」
全員に指示を伝え終えると今度はイージスとのラインを繋ぐ。
「アスラン」
『なんでしょうか隊長』
モニターに青い髪をした少年が映し出される。
彼がアスラン・ザラ。国防委員長の息子にしてイージスガンダムのパイロットであった。
「ヤキンの悪魔には君を中心として当たれ。相手が悪魔だろうと搭乗しているのはジンのカスタム機だ。武装は実弾兵器ばかり。イージスのPS装甲ならば圧倒的優位で戦えるだろう」
『了解』
「だが焦るなよ。PS装甲が少しでもレッドゾーンになれば即座にヴェサリウスに帰還しろ。歌姫を救出する前に白馬の騎士が死んではストーリーにならないのでね」
『…………分かりました』
アスランはやや不満げに頷く。まだ若く潔癖症なところもあるアスランにはこういった汚い話には拒否感があるのだろう。
だがアスランが優秀なパイロットであるのは事実だ。コーディネーターの中でも高い能力値を示すアスランは若いながら既にエース級の実力者である。
機体性能の優位もあれば悪魔相手にもそう安々と遅れをとることはないだろう。
「では作戦を開始する」
クルーゼの一言でヴェサリウス艦内が慌ただしく動き始めた。
ヴェサリウスが動き回っている中、アークエンジェルでも同様の騒ぎが起きていた。
いや漸く先遣隊と合流して安心したところでの襲撃ともなればその衝撃は並大抵のものではないだろう。
だがヘリオポリスからこっち。アークエンジェルのクルーは苦難の連続でこういった非常事態にはそれなりに耐性がついている。
その甲斐あってヴェサリウス襲来の報を受けたアークエンジェルは慌ただしく動き始めた。
紆余曲折あって民間人でありながらストライクのパイロットとなってしまったキラも自らの搭乗機へと向かっていた。
(また戦争が始まるのか)
ストライクに乗り込むと慣れた手つきでシステムを起動していく。
この動作に慣れてしまったことが、自分が戦争に近付いてしまった様な気がして少しだけ嫌な感触があった。
しかし今回の戦いだけは負けられない。
別に急に連合軍への忠誠心に目覚めたわけでも、戦士としての戦闘欲求を覚醒させたわけでもない。
ただ先遣隊のブリッジマンにはフレイ・アルスター。仄かな恋心を向ける相手の父親が乗っているのだ。
フレイは友人のサイ・アーガイルのガールフレンドのため実らない恋ではあるのだろう。だがせめてその父親くらいは守りたい。
「坊主。気合入れろよ、ここにきて振出に戻るなんて下手なジョークだからな」
「分かってますムウさん!」
苛立ちと焦りから少しだけ尖った返答をした。
しかしムウはそんなことくらいでは怒らず逆に安心させるような口調で。
「そんだけデカい声で返答できんなら心配する必要はないか。まぁそう気負うなよ。なんたって今回はいつもと違って悪魔さんが味方なんだ。気楽にやりゃいいさ」
「……悪魔、ですか」
中立国の住人であるキラだが『ヤキンの悪魔』のことくらいは知っていた。
TVでも何度か連合最強のエースパイロットとして紹介されていたのを目にしたことがある。まさかこういう形でその英雄と関わることになるとはその時は想像もしていなかったが。
悪魔とはなんとも物騒なネーミングではあるが、味方としてはこれほど頼もしい存在もいないだろう。
余り大声では言えない事だが、連合のメビウスの五機や七機程度では嘗ての友人でもあったアスランの乗るイージスの前では撃墜スコアをプレゼントするようなものだ。
それだけ連合の開発したガンダムの性能は高いのだ。
『ストライクは前面に出て敵MSを対処、またアークエンジェルならびにブリッジマンの攻撃には注意して下さい。…………キラ。フレイのお父さんのこと頼むわね』
オペレーターのミリアリアが心配そうに伺ってくる。
キラは精一杯に取り繕った笑みを浮かべると、
「うん。僕が守るよ、アークエンジェルもフレイのお父さんも。――――キラ・ヤマト、ガンダム行きます!」
そうしてストライクは無限の宇宙に飛び出していく。
心の悲鳴に蓋をし、正義感と義務感とを前面に押し出して。
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