大西洋連邦の事務次官が乗っているとあってブリッジマンには普段の緩い空気はいずこかへと吹っ飛び、緊張したムードが漂っている。
それはそうだろう。
生きて帰ってアルスター氏が『ブリッジマンの総舵手は欠伸をしながら操舵をしていた』と報告すれば、それだけで減給になりかねない。
軍人とはいえ給料を貰っているという意味では世間一般の労働者と変わりない。そして労働者の恐れることの一つが給料が減ることだ。
正義やら理想やら復讐心やらだけで生きていけるような人間もいるが、全体からみればそんなのは少数派である。
最近は広報部の宣伝もあってそういった連中が多く軍に志願しているそうだが、プラントとの戦争勃発前に軍属となった軍人たちには多少の正義感はあれど充実した保障や高い給料に釣られた者が多い。
ミュラーもそうだから良く分かる。もしも給料や諸々の待遇が良くなければ、そもそも軍人になろうとなど思わなかっただろう。
というわけで金目当てで戦争を生業とする職業軍人労働者の乗ったブリッジマンでは、明日の給料が減らされない為にもいつにない真面目さを発揮しているというわけだ。
問題はアークエンジェルと首尾よく合流できるかだろう。
ミュラーは最悪の場合はアークエンジェルとストライクが既に拿捕されている可能性も考慮していたのだが、その心配は無用となった。
「中佐。アークエンジェルとの暗号通信に成功しました!」
「本当か!」
クルーの一人が齎した嬉しいニュースにブリッジが湧く。
ヘリオポリス崩壊以来久しぶりのハッピーニュースだった。
「ええ。どうやらストライク・アークエンジェル共に健在。……待って下さい。…………中佐。アークエンジェルはどうやら航行中に避難民の乗るシェルターを救助していたようです」
「シェルターを? コロニー脱出用のシェルターは別に救助しなくても地球に辿り着くようになっているだろう」
「それがどうもシェルターが故障していたらしく、それを発見したストライクのパイロットが回収したらしいです。今、乗員名簿が送られてきます」
「へぇ。となるとストライクのパイロットとアークエンジェルの指揮官は情の深い御仁のようだ。たしかマリュー・ラミアス大尉だったか」
ザフトの襲撃により艦長以下殆どの佐官が戦死を遂げたため、その場で最も階級の高かったラミアス大尉が緊急でアークエンジェルの艦長となった旨を暗号通信で聞き及んでいた。
ハルバートン提督の教え子というだけあり、肝要な人物なのだろう。
唯でさえアークエンジェルの食糧は少ないと言うのに、無駄飯ぐらいになるであろう避難民を救助するとは。
非情な指揮官なら見て見ぬ振りをして放り投げていても不思議ではないというのに。
「中佐。送られてきた名簿です」
「うん。どれどれ……」
念のために目を通す。当たり前だが知らない名前ばかりだ。
これでオーブの首長でもいたりしたならばオーブに多大なる恩を売りつけることもできるのだが、やはりそう上手くはいかなかったらしい。
回収されたシェルターは一つだけなので避難民の数はそこまで多いというわけではないようだ。
ブリッジマンにはあらゆる場面を遭遇しありったけの食料や水、空気を積んできている。この数なら十分許容範囲内だろう。
アークエンジェルと合流したら避難民はこちらに移して、事務次官のような要人には頑丈な造りとなっているアークエンジェルに移すのも一つの手だろうか。
「ん?」
その時、ミュラーの目がある一人の名前のところで止まる。
「フレイ・アルスター?」
事務次官と同じファミリーネーム。偶然かそれとも、
「フレイがどうかしたのかね?」
背後から声がかけられる。事務次官だった。
「いえ。アークエンジェルが救助したというシェルターに乗っていた避難民の名簿の中にフレイ・アルスターなる人物がいたので」
「そ、それは本当かね!?」
がしっと両肩を掴まれる。アルスター氏は喜びとも驚きともつかぬ表情で「本当なのか?」と訴えかけていた。
ミュラーはそれに押されてしきりに頷く。
「本当ですとも。……つかぬことを聞きますが、フレイ・アルスターはアルスター氏の」
「娘だよ。オーブのヘリオポリスに留学させていたのだ。……無事を祈ってはいたが、まさかアークエンジェルに乗っていたなんて」
「――――――」
どうしてアルスター氏のような大西洋連邦の大物が戦艦にのって危険な前線に出てきたのか。その謎が漸く解けた。
なんのことはない。娘のことが心配でいてもたってもいられなくなり、こうして来てしまったのだろう。
(……やれやれだ。思った以上に重い荷物を載せていたようだな。この戦艦は)
楽に楽しく生きることを信条とするミュラーからしたら、この手の責任感は御免蒙るものだが、一度背負ってしまった以上は途中で投げ出すこともまた出来ない。
軍人というものも難儀な商売だった。
願わくば早く退役して年金生活にでも洒落こみたいものだが、生憎とまだ年金を貰える年齢ではない。この戦争が終わるまでは生き延びなければならないだろう。
そしてアークエンジェルと視界に収められる距離まで近づいた。
この距離なら有視界通信が使用できる。ミュラーは部下に命令して通信を繋げた。
「事務次官。どうぞ」
「おぉ。ありがとう中佐」
本来は自分でやるべきところだが、ここは事務次官に役目を譲る。別に誰がやろうと変わりはしないのだから。
モニターに女性士官が移り込む。
いつだったか名簿で見たラミアス大尉のものだった。……相変わらず胸がデカい。
ミュラーはそこまで胸に拘りはないのだが、それでも見つめたくなるようなインパクトをあの胸は放っていた。
(っといけない。自制しないと)
露骨に女性の胸などを凝視していてはハンス・ミュラーはセクハラ野郎なんて噂が流れかねない。ある意味ヤキンの悪魔なんて恥ずかしい異名より嫌だった。
「……それで娘の顔を見せて貰うことは出来ないかね?」
『それはその、規則ですので』
隣では親バカなアルスター氏とラミアス大尉が心温まるような胃が痛くなるようなやり取りをしていた。
アルスター氏の気持ちも分かるが、ラミアス大尉からしたら幾ら事務次官の頼みだろうと、味方艦との通信という軍務に私情で民間人を介在させる訳にはいかないわけでその心中は察して余りある。
(技術士官がいきなり新造戦艦の艦長だ。苦労したんだろうな)
このままアークエンジェルと合流し第八艦隊とも接触できれば、どんなに良かったか。
だが運命はそれを許してはくれなかった。
「中佐! ザフト艦がこの宙域に接近してきます!」
「なんだって!? どこの隊だ!」
「……艦称号。中佐、敵艦の中にはナスカ級、ヴェサリウスがあります。ラウ・ル・クルーゼの隊です」
「一度プラントに戻ったと聞いていたが、アークエンジェルを追撃してきたのか。物好きな」
ここにきて精鋭部隊で知られるクルーゼ隊との戦い。つくづく運がない事だ。
「事務次官は万が一の為に奪取ポットへ」
「し、しかし私は」
「相手は仮面のクルーゼ。世界樹でMA37機、戦艦6隻を撃沈したザフト屈指のエースです。最悪この艦が沈むことは有り得ます。それに失礼ながら申し上げさせて頂きますが、事務次官殿のすべきことは武器をもって戦うことではありません。戦いは軍人にお任せを」
「わ、分かった。だが……くれぐれも娘のことは」
「微力を尽くします。事務次官をお連れしろ」
ブリッジから出ていくアルスター氏から意識を敵に移す。
敵はクルーゼだ。自分も出なければならないだろう。艦長なのだから艦長としてこの戦艦に留まるのがベターなのは分かるが、艦長としてハンス・ミュラーという戦力を遊ばせておくことはできない。
「ラミアス大尉、私は先遣隊ブリッジマン艦長のハンス・ミュラー中佐だ。そちらにある戦力は如何程か?」
『っ! ヤキンの悪魔っ。――――失礼しました。我が艦にはフラガ大尉のメビウス・ゼロ、そしてストライクが発進可能です』
「了解した。……合流早々悪いが充てにさせて貰うよ。アークエンジェルの装甲と火力は折り紙つきだ。よってアークエンジェルを中心とした陣を布く。頼むぞラミアス大尉」
『はっ!』
(ストライクとメビウス・ゼロ。しかもパイロットはエンデュミオンの鷹。ブリッジマンにはMSパイロット三人と補充できたメビウスが七機。これだけの戦力ならば、相手がクルーゼ隊でも戦えるか)
だがこの場で一番階級が上なのは中佐のミュラー。
必然的に総指揮は自分がとることになるのだろう。総司令官として挑む最初の敵が仮面のクルーゼとはなんとも嫌なものだ。
「クローゼ中尉、メビウスを先行発進させてくれ。ただし敵に突撃させずにポイントR5で待機だ」
敢えて戦場になるであろう場所から離れた場所にメビウスを配置する。
ここに配置したメビウスが果たして役立つかどうか、それは自分の采配にかかっている。
「ポイントR5ですか……分かりました」
「それと私やナイン、キャリーのMSも発進準備をさせておいてくれ」
ルーラは特に反対も言わず指示を実行していく。
「最近なんだか給料分以上に働いている気がする」
ミュラーの呟きは誰にも返答されることなくブリッジの空気に消えていく。
クルーゼ隊のMSが発進していく光景がモニターに映し出された。
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