ザフト軍襲撃を誰よりも察知したのはアークエンジェルのレーダーでもなければ有視界でもなくミュラーだった。
特に計器に反応があったわけでも明確な戦術的な理由があったわけでもない。
部下のイアンに理由を聞かれようとただ感じた、という他ないだろう。理屈ではないのだ、この感覚は。自分まで電波系になっているような気がするのは嫌になったが、良く当たる直感と考えれば悪くはない。
なんとなくだが自分達に『殺意』や『敵意』が向けられているのを悟ることができる。そういう天性の素養、ということにミュラーはしておきたかった。
英雄というだけでも分不相応な地位だというのに、ここにニュータイプなんて文字を並べたくはなかった。
しかしどれだけ怠け者だろうとハンス・ミュラーは指揮官であり、部下の命を預かる身の上である。自分にそういった『素質』があるのならば、どれだけ嫌でもそれを有効に利用しなければならない。
敵襲を察知したミュラーは全軍に警戒とMSの発進準備を命じ、その甲斐もあって突然の強襲に虚を突かれるということはなかった。
接近してくる敵影は八機。ザフトの空中戦用MSディンである。羽根のような六枚の主翼で空を自在に飛行する姿はさながら神話に登場する鳥人のようであった。
しかしそれはブリッジから目に見える敵というだけで、実際の敵は八機のディンだけではない。
アークエンジェルの真下に広大に広がる大西洋。この海の中にもザフトのMSは潜んでいる。ソナーによる報告だと水中用MSの数は五機のようだ。
(ディンが八機に水中用MS五機か。大盤振る舞いだな)
これだけの戦力はそうそうお目に掛かれない。対してこちらは戦艦一隻だけ。まともな指揮官なら逃げるか降伏するか玉砕するかという救いのない三択を強いられていただろう。
だがミュラーが率いているのはアークエンジェル。最も早くMSを実戦配備された特殊部隊の一つであり、ミュラー自身も含めれば四人のエース級を擁する戦艦だ。
ミュラーは格納庫にいるラミアス少佐に通信を繋げた。
「ラミアス少佐、こちらのMSは水中戦は可能なのか?」
敵が水中にいるならこちらも水中で戦わなければならない。ただここで問題となるのは果たして水中でMSが戦えるのかどうかということだ。
連合の水中戦闘用MSは未だ開発段階にあり、アークエンジェルには一機も配備されていない。
『ストライク・ダガーは不可能ですが、カタログスペック上。PS装甲を採用しているストライクなら水中行動が可能です。ただPS装甲が切れると深度によっては水圧で押し潰される危険性がありますので……』
「そうか、ありがとう。ストライクにはバズーカとソードのワイヤーを換装しておいてくれ」
『了解』
水中で戦えるMSはストライクだけ。そして悲しい事に今のストライクのパイロットは他ならぬハンス・ミュラーであった。
肩を落とし嘆息する。
これだからストライクに乗るのは嫌だったのだ。なまじ他の機体にはない性能があるせいでこういう貧乏くじを引かされる。
「イアン、私はストライクで出る。指揮は頼むよ」
とはいえミュラーは指揮官の観点からいってストライクを遊ばせている余裕はなかった。
アークエンジェルが大気圏ではそう高度はとれない以上、空中と水中の両方の敵を対処しなければならないのだから。二兎を追う者は一兎も得られないとはいうが、二兎を追うしかない人間というのも大変なものだ。
「部下としては余り気が乗りませんな。総司令官たる者は最も安全な位置にいて指揮をとるべきです。戦場にあって最も死が隣り合わせにあるMS戦などはするべきではないと具申します」
「私だって戦いたくて戦うわけじゃない。私の代わりにストライクを動かせるパイロットがいるのなら喜んで私はここにいるさ。だが、そうでもないだろう」
「……はい」
イアンは何も言わなかったが、沈黙は肯定と受け取った。実直な軍人であるイアンだがまるで融通が聞かない訳ではない。そのあたりの事情は理解してくれているだろう。
ハンス・ミュラーの部下になる。そのことを知ったその時から彼はこういう日がくることを予想していたのかもしれない。
「艦は任せる。指揮もね、撤退するも交戦するも降伏するのも全て任せるよ」
「責任重大ですな」
「ああ、安心してくれ。責任くらいはおうよ」
それだけ言ってミュラーはブリッジを後にした。これまでの戦歴からイアンの実力は知っている。彼ならアークエンジェルと部隊を任せてもいいだろう。
彼に足らないのは階級だけだ。実力は指揮官として申し分ない。
「大佐、こちらです!」
ラミアス少佐が格納庫に一角を指差す。
そこには既にラミアス少佐の指示でソードストライカーの肩部とバズーカを換装していたストライクが待機していた。ダガーや少佐のスカイグラスパーは発進済みだろう。
「大佐! ソードパックに換装しときましたけど、肝心の対艦刀は要らねえんですかい?」
ストライクのコックピットに乗り込むと整備班長のマードック曹長が確認してくる。
「宇宙空間ならまだしも海の中じゃ対艦刀は大きすぎて邪魔になる。接近戦用の武器はアーマーシュナイダーだけで十分だ」
予めキャリーに色々なタイプのOSをインストールさせておいて正解だった。ストライクのOSを水中用に切り替える。
手が震えた。緊張しているのだろう。
開戦以来ミュラーは相当数の実戦をこなしている。MSパイロットとしてはそこいらのザフトパイロットよりもベテランだろう。そんなミュラーだが水中戦は初めての経験だ。
自分でもどれだけやれるかは未知数。だがやるしかない。
「ミュラー、いくぞ」
アークエンジェルから飛び出すと、空中にいるディンやアークエンジェルの上で弾幕を張る二機のダガーを後目に水中へ飛び込んだ。
水の中に入ると一気に視界が変わる。MS越しに見る海の景色は戦闘が繰り広げられているのが嘘のように静かなものだった。こんな時でもなければその光景に心奪われていたかもしれない。
だが今は戦闘中。ミュラーの心は景色ではなく『生き延びる』ことにあった。
「フン! これが噂に聞く連合のガンダムか!」
ストライクの姿を視認したモラシムは獰猛な笑みを浮かべる。
連合のMSの情報はモラシムも聞き及んでいたがそれは宇宙での話だ。どれだけの高性能機も水中戦闘用MSでなければ水中では満足な力を発揮できはしない。一つの事実としてそのことを認識しているモラシムには自信があった。
もっといえばモラシムが搭乗しているゾノは部下達の搭乗するグーンよりも性能の高いMSだ。そのことが彼の自信をより増していた。
「肩には悪魔のパーソナルマークとくれば……気を引き締めろよ! 乗ってるのはヤキンの悪魔だ。散会っ!」
モラシムの指示で一斉にグーン部隊が散会する。敵は一機ならば固まるよりも散会して四方八方からの砲火を叩き込むのが最上だ。
グーンから魚雷が発射される。狙われたのは当然ストライクだ。
「数が、多いな……」
ストライクのコックピット内でミュラーは眉間にしわを寄せた。
グーンは足のないイカのような形をしたMSで、見た目は悪いが水中では潜水艦など及びもつかないほどの柔軟な動きが出来る。連合が水中戦においてザフトに大きく遅れをとっているのもこのグーンのせいであった。
しかも敵にはグーンだけではなく最新型のゾノもある。
まだそれほど数が量産されていないゾノはザフトでも一部のエースや指揮官だけに与えられる機体だ。性能もグーンよりも高い。
魚雷を躱しながら、避けきれない魚雷はバズーカで撃ち落としていく。
水中でPS装甲が切れれば水圧でミュラーの肉体はMSごとミンチになってしまう。そんな死に方をするのは御免だった。
「私は宇宙軍所属なんだ。なのになんで水中戦なんてしなきゃいけないんだ! 人事部に文句言ってやる!」
髭面の人事部長を心の中でメタメタにしつつバズーカで応戦する。だがグーン部隊はよく訓練されているようで、ストライクがバズーカを構えると直ぐに離れていってしまう。
水中のせいでストライクの動きも鈍い。
「潰れろォ!」
猛烈なプレッシャーを感じ機体を傾ける。緑色のフォノンメーザー砲が水を貫きながら通過していった。PS装甲があるため魚雷なら数発あたっただけではビクともしないがフォノンメーザー砲を喰らうのは不味い。
ストライクが怯んだところを見て今度はその隙を突いて突進してくるゾノ。鋭利な両腕のクローに掴まれたらこの戦力差である。一溜まりもないだろう。
「数が多いなら」
バズーカを構える。
「またバズーカか! そんなものが当たるものか!」
「当たらないなら、狙わなければいい。狙うのは」
バズーカが発射される。狙いはゾノでもなければグーンでもなく海底。MSはバズーカを躱すことが出来るが海底がバズーカ砲を恐れて回避するはずもない。
狙い通りバズーカは海底に命中する。衝撃で土煙が水中に充満した。敵MSの動揺を感じ取ると、その間に土煙に隠れて移動した。これで敵はストライクを見失っただろう。
「小癪な真似を。焦るなよ、どうせこの土煙だ。あちらもこっちの場所は分からない。一度距離をとって……」
モラシムがそこまで指示をした時だった。ゾノのレーダーから一つの反応が消える。
次いで爆発。部下の乗るグーンが爆発したのだ。だが事はそれだけにとどまらなかった。二機目のグーンも何者かの攻撃を受け爆発四散した。
「馬鹿な! この土煙だぞ。奴にはこちらが見えているとでもいうのか」
土煙が晴れる。ストライクの全貌が徐々にだが露わになった。先ず目についたのは特徴的なデュアルアイ。そして左手にもったアーマーシュナイダーはグーンのコックピットを突き刺していた。
その光景に紅の鯱とまで連合軍に畏怖されたモラシムは怒りを通り越して恐怖する。自分はとんだ勘違いをしていた。ヤキンの悪魔は宇宙や地上だけの英雄だと思っていた。だが違うのだ。悪魔は海の中でも悪魔だった。
悪魔が静かに黄色いデュアルアイをゾノへ向ける。モラシムにはそれが嘲笑っているかのように見えた。
「舐め、るなよ」
ゾノを突撃させる。悪魔から逃げ切れるなどとは思えなかった。生きる為には悪魔を殺すしかない。モラシムは決死の思いでフォノンメーザー砲を連射した。
それすら悪魔の掌の上のことだと気付かずに。ストライクが伸ばしていたワイヤーを引っ張ると、そこに繋がれていたグーンがストライクの前に引っ張り出された。声を発する間もない。ゾノの放ったフォノンメーザー砲はあろうことか自らの同胞ののる機体を貫いた。
自分の手で自分の部下を殺めてしまった現実にモラシムの手が震える。その油断を悪魔は的確についてきた。今度はワイヤーをゾノに絡ませるとアーマーシュナイダーをその心臓たるコックピットに突き刺した。
「っ、がぁ……!」
コックピットまで侵入してきた刃はモラシムの体を下半身と上半身を真っ二つにする。水がコックピットに侵入していき機体が水圧に押し潰されていく。
薄れゆく意識の中、モラシムの目は悪魔を模したパーソナルマークに釘づけとなった。
「この、悪魔が」
最大限の憎悪を込めて呟くと、モラシムの肉体は海の藻屑と消えていった。
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