ミュラーのストレスはこの日、最高潮を迎えたといっていいだろう。
 ギルデン准将に嫌われているということは察していたが、まさかここまで嫌われているとは思わなかった。
 まさか一隻だけ意図的に突出させられて虎を引っかける生餌にされるとは。

「いや、この場合は生贄かな。まったくなんて上官をもったんだよ私は」

 ハルバートン提督のような良い上官と巡り合えた事の方が稀だった。嫌味な上官やブルーコスモス思想を押し付けてくるような隊長をもったこともある。
 しかしここまであからさまに殺そうとしてくれる上官は初めての経験だ。

「なぁ、これってもしかして俺達……」

「くそっ! なんで他の奴等は着いてこないんだよ!」

 ブリッジ要因は事態が呑み込めてきたのか悲愴な表情を浮かべていた。彼等もまさか敵ではなく味方に殺されそうになるのは初めての経験だろう。
 アークエンジェルのクルーはアルテミス基地で似たような目にあったそうだが、アルテミスはユーラシア連邦の拠点でそこにいる軍人もユーラシアの軍人である。
 大西洋連邦軍の所属だったクルーにとっては今は同じでも元々は別の軍達だった者達だ。
 しかしギルデン准将は大西洋連邦の軍人。同国人に殺されそうになっているという事実はアルテミスのそれよりも重いだろう。

「幾ら開戦以来、慢性的に将官が人材不足だからってあんな人間を実戦部隊の司令官なんてしないでくれ。人事部」

 ギルデン准将のような人間を自分の上官にした人事部を呪う。
 人事部はいいだろう。適当に人材を割り振っておいて自分達は安全な後方にいればいいのだから。割を食うのはいつだって前線だ。

(さて。どうするかな。一億火の玉玉砕なんて石器時代の作戦は論外だ。私は死にたくない)

 第一ここで玉砕して敵に大損害を与えたとしても、それは全てギルデンのものとなる。そんな馬鹿らしいことはない。
 故に却下だ。
 命令違反して突出を止めようかとも思ったが、それはそれで命令違反ということで処罰される。処罰されようとアズラエルに泣きつけば助けてくれるかもしれないが、ローマとの一件があるというのにこれ以上アズラエルに借りを作りたくはなかった。

「大佐! 敵MS接近、バクゥです!」

「迎撃しろ! MS部隊は発進準備、私もストライクで出る。イアン、任せる」

「またですか。こういう窮地だからこそ指揮官にはここにいて貰いたいものです」

「窮地だからこそ使えるMSは一機でも多い方が良い」

「お互いに正論ですな」

 ミュラーとイアンの言葉にはどちらにも同じくらい理がある。だからこそどちらが優れているかを決めることは難しい。
 だがハンス・ミュラーは大佐でありイアン・リーが大尉である以上、どちらの正論が勝るかは言うまでもないことだった。

「イアン、このままここに留まっても袋叩きに合うだけだ。かといって突出しろというオーダーが上から下っている以上、迂闊に下がることもできない。
 ならばここは逆に徹底的に猪突猛進になろう。司令官殿が突出を望むのなら徹底的に突出するんだ」

「……なるほど。ここに留まるよりは可能性がありますな」

 留まって真っ向勝負をするのではなく、アークエンジェルが頑丈な装甲に守られた高速艦であることを活かして徹底した中央突破を図る。
 相手は砂漠の虎でそれなりの数のある部隊だ。中央突破と一口にいっても並大抵のことではないだろう。それでもやらないよりはましだ。
 敵を突破することが出来れば後はそのまま司令官の言う通りそのまま前進し続ければいいだけのことだ。
 後の指揮をイアンに一任するとミュラーは格納庫へと走り、ストライクに乗り込む。
 装備はエールパック。OSもしっかり砂漠戦用に調整されている。これならばもう模擬戦の時のような失態は犯さないだろう。

「ハンス・ミュラー出撃する」

 砂漠に降り立つと今度はしっかり地面を踏みしめる。OSの調子は良好。なんの問題もない。
 数機のバクゥがストライクに一斉攻撃を仕掛けるが、ミュラーはエールのバーニアで砂を吹き飛ばしながら躱す。
 照準して発砲。緑色の光がバクゥを頭から貫き破壊した。ビームライフルの照準も完璧のようだ。

「にしても一撃か。カタログスペックには目を通していたが出鱈目なものだな。ビーム兵器は」

 これがミュラーが前に搭乗していたカスタム・ジンであればこうも容易くバクゥは撃破できなかっただろう。
 MSが携帯可能なビーム兵器の恐ろしさを改めて思い知った。

『大佐、OSはどうです?』

 ビームサーベルでジン・オーカーの両手両足を切断したキャリーが通信で尋ねてくる。

「最高だよ。本当にキャリーが部下で助かるよ。OSの調整なんて門外漢だからね私は」

 思ったよりも敵の数が少ない。この分なら中央突破も可能だろう。ただ戦っている内にあることに気付く。
 この部隊からは積極性が余り感じられない。攻撃もどこか距離をとってのもので積極的に接近戦や格闘戦を挑もうとはしないのだ。あくまで遠巻きに仕掛け、危なくなったら距離をとる。そんな戦法を繰り返している。

(ヤキンの悪魔に近付きたくはないっていうことか。にしても砂漠の虎が指揮をとっているとは思えない慎重さ。これじゃ砂漠の虎じゃなくて砂漠の鶏じゃないか)

 部隊の配置や敵の攻め方。それらを統合してミュラーはある一つの推論に辿り着く。
 100%の確証はないがこれならば説明がつくはずだ。

「キャリー、ナイン、少佐。これは私達は幸運にも助かったかもしれない」

 高速接近しつつジン・オーカーを両断しながら通信回線をONにして言う。

『敵はまだいます。助かったというにはまだ早いと思います』

『それに砂漠の虎もまだ出てきてません。砂漠の虎は指揮官であると同時に優れたエースパイロットでもある。虎がこのまま泣き寝入りするとは』

 ナインとキャリーが指摘する。

「うんにゃ。そういう意味じゃない。この分だと向こうさんの敵は私達じゃないかもっていうことだ」

『……まさか』

「ああ」

 生贄のような形で差し出されたアーク・エンジェル。真っ当な指揮官なら差し出された生贄を囲んで食い潰そうとするだろう。
 しかし虎は中々に強かだったようだ。差し出された餌に食いつくのではなく、差し出してきた手に食いつこうとしている。

「人を呪えば穴二つということだ。ギルデン准将殿は災難だったな。虎さんは私ではなく貴方をお望みだ。でっぷりと肥えておられたからな」




 ミュラーが『囮』の部隊と交戦している頃、バルトフェルド率いる本隊は餌を差し出して自分はまだ安全だと高を括っているギルデンの部隊に襲い掛かった。
 バルトフェルドに付き従うのはバクゥのみだ。
 電撃的奇襲作戦に必要とされるのはスピード。ジン・オーカ―やザウートではラゴゥやバクゥにはついてこれない。

「悪いね。僕はでっぷりと太った男の誘いにのる趣味はないんでね。プレゼントは素通りさせて貰ったよ」

 ラゴゥのビームが連合の地上艦に降り注ぐ。バクゥもそれに倣い攻撃を喰らわせた。
 地上艦からはストライク・ダガーが何機か出撃してくるが、中にのっているのはただのナチュラルではこの砂漠でバクゥの敵になりはしない。
 パイロットの技量がおざなりだったこともあり、たちまちバクゥの餌となった。

「おのれ! おのれぇぇええええええ! 何故ミュラーではなくこっちにくる! ヤキンの悪魔だぞ! 貴様等にとっての大敵が一番脆い状態でいるのだぞ! なのに……」

 ギルデンはブリッジで怒鳴るが当然全周波通信でもあるまいしバルトフェルドには届かない。
 バルトフェルドはどこまでも冷徹に油断しきっていたギルデンの手足に噛みついていく。

「ヤキンの悪魔は確かにコーディネーターの敵だ。けれど」

 ハンス・ミュラーがどれだけコーディネーターを殺していようと、それがどうしたと思ってしまう。ミュラーが殺したのはどれだけ多く見積もっても一万には届かないだろう。
 対して連合を牛耳るアズラエルや連合の高官たちは間接的にその指示で万を超える人間を殺してきている。彼等が殺してきた人数を思えばハンス・ミュラーが殺してきた人間など可愛い数字だ。
 第一この世界で最も多くの人間を殺したのはナチュラルではなく、

「僕達、コーディネーターだろうしね」

 誰もがハンス・ミュラーという虚構の英雄に目を向けすぎていた。英雄の弊害だろう。あまりにも眩しすぎるが故に目を晦ましてしまう。味方も敵も。
 ギルデン准将もまた同じ。嫉妬や嫌悪という負の感情をハンス・ミュラーに向けすぎていて大局を見誤ってしまった。

「それに」

 出来ればバルトフェルドは最初からこうするつもりだった。運よく敵の方から仕掛けてくれたので予定を早めることができたとすらいえる。
 ラゴゥは敵の攻撃を掻い潜り地上艦のブリッジの前に着地する。

「両手両足を食った後は、しっかり頭を潰さんとな」

 迷わずバルトフェルドは銃爪(トリガー)を引く。開戦以来ずっと引き続けて慣れてしまった動作だった。
 ラゴゥから放たれたビームがブリッジを焼き払いギルデンという人間をこの世から消し去る。
 これでお膳立てはできた。



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