ハンス・ミュラーは英雄であるか否か。これをハンス・ミュラー本人に聞けば恐らくは『否』であるという答えが返ってくるだろう。
それは決して謙遜ではない。ミュラーは自分が英雄などという器ではないと心の底から思っているし、英雄なんてこりごりだとすら考えている。ミュラーとて無欲ではない。階級が上がり給料が増えるのは嬉しいだろうが、要らぬ責任まで押し付けられるのは御免だった。第一ハンス・ミュラーが英雄に祀り上げられたのは連合軍のプロパガンダであるところが大きいのだから。しかしミュラーが連合軍で随一の戦果をあげているのは紛れもない事実。故にエースパイロットであるか否かと聞かれれば、躊躇いがちに首を縦に振るくらいはするだろう。
では他の者に聞けばどういう答えが返ってくるだろうか?
キャリーやナインなど比較的ミュラーに近い人間ならば、世間的には英雄で周りの多くもそう思っているが普段のハンス・ミュラーはどこにでもいる普通の人間と答えるだろう。だがプライベートのハンス・ミュラーと接触したことなどない殆どの人間は、連合広報部が作り上げた都合の良い『ハンス・ミュラー』のイメージを鵜呑みにした答えが返って来る筈だ。
英雄は英雄が自分を英雄だと認めるからこそ英雄になるのではなく、周りが祀り上げるからこそ英雄となるのであればハンス・ミュラーは英雄なのだろう。本人がどれだけそれを否定しようとも。
ザフト軍にとっても同様だ。
パトリック・ザラが声高にハンス・ミュラーを倒せと叫んでいる事もあり、ザフト軍にとってハンス・ミュラーは注目せざるをえないパイロットなのである。
そんな注目せざるをえない男を、砂漠の虎と畏怖された男は敢えて完全に無視した。
正面にいるミュラーを素通りにして後方にいる本隊を叩きに行ったのだ。
「キャリー、私達に与えられた命令を復唱してくれ」
囮の部隊を一通り掃討したミュラーは一息つきながら通信を入れる。
ストライクやダガーの回りにはスクラップになったバクゥが転がっていた。その殆どは中にいたパイロットは死んでいたが、中には生きている者もいる。
生存者の多くはキャリーの仕事が原因だろう。彼はコックピットを極力狙わない戦い方をするので必然的に相手した敵パイロットが生存している確率は高くなる。
そうやって生き残った者は取り敢えず拘束して捕虜用の牢屋に閉じ込めさせておく。偶にMSから飛び出て尚、こちらに銃で発砲してくるような勇敢な軍人もいるのだが、率いている男の性格が表れているのか今回はそういうタイプの人間はおらず、こちらの指示に従い大人しく牢屋行きとなった。
『我々に与えられたのは前進することです。それだけしか与えられていません』
「そう……作戦もなにもない。ただひたすら敵に向かって前進し続けろというのが我等のギルデン准将殿のご命令だった。
これは私の予想なんだが、ここをずっといけば敵の母艦レセップスもあるだろう。母艦っていうのはチェスでいうところのクイーンみたいなものだ。キングのバルトフェルドは乗ってないかもしれないし、チェスと違ってキングとれば勝ちってほどシンプルでもないけど母艦を落とせば戦いはこっちの有利に進むだろうね」
バルトフェルドの奇襲部隊に襲撃されているギルデン准将と本隊を見捨てて、命令通り前進を続けレセップスを堕とす。なにか文句を言われようと『こちらは命令を忠実に守っただけだ』と白をきればいい。
もしも窮地に陥っているのがギルデンではなくハルバートンであればミュラーはこんな二択を思い浮かべることすらなく急いで救援に駆けつけようとしただろう。しかし相手はギルデンだ。
『大佐は友軍を見捨てるのですか?』
咎めるようなキャリーの口調。それを受けミュラーの心は決まった。
「仕方ない。助けに行こうか」
『良いのですか?』
捕虜収容を終えたナインがダガーにのって近づいてくる。
「私は聖人君子じゃない。ギルデン准将には良いイメージをもってないし、彼が死のうと少しも悲しまないと自信を持って断言することができる。
ただ私の彼への諍いと彼の下で戦う者達の命。残念だがどちらが上なのかをいちいち計算するまでもない。アークエンジェル、進路変更だ。虎退治に出発しよう」
『――――了解』
大天使の名を与えられた白亜の船が百八十度進路を変更する。
MS部隊はアークエンジェルに戻りエネルギーを供給していく。ビーム兵器というのは強力なのはいいのだがエネルギーを喰いすぎるのが難点だ。今後ガンダムクラスのMSを量産するとしたら燃費の問題をクリアする必要があるだろう。
正直、継戦能力ならジンの方が遥かに上だ。
宇宙でもナスカ級に匹敵する高速艦だったアークエンジェルは地上でもそれなりの速度をもっている。程なくギルデン准将率いる地上艦部隊に襲い掛かるバクゥなどのMS部隊が見えてきた。
連合のダガー部隊も奮闘しているが無駄だろう。MSの性能云々以前にパイロットの腕が違いすぎる。
特に砂漠戦では熟練者ののるバクゥに勝てる訳がない。
「ギルデン准将の旗艦は、あらら落ちてる」
他人事のようにミュラーは言った。ギルデン准将その人には何の好感ももってはいなかったが、一緒にのっていたクルーたちに哀悼の意を表す様に十字を切る。
宗教が衰退したこの世界でこんな行為にどれだけの意味が残っているかは知らないがやらないよりはマシだろう。もしかしたら乗っていた人間に敬虔なるクリスチャンの一人くらいはいたかもしれないのだから。
「それじゃ行くぞ」
命令を飛ばすと先導をきってバクゥ部隊に斬り込んでいく。
ミュラー達が援軍にかけつけることは予想済みだったようで敵MS部隊に動揺のようなものがなかった。
逆にストライクが見えた途端に統率された動きで陣形を組み始めた。
コーディネーターとしてもって生まれた才能だけに溺れるのではなく、才能をもちながら才能を磨く努力を怠っていなかったのだろう。砂漠の虎は伊達ではないということらしい。
ミュラーの目から見てもバルトフェルド隊の隊列は実に合理的で理路整然としたものだった。
まだ対MS戦など確立されていないというのに、ここまでMS戦を念頭においた陣形を組めるバルトフェルドに尊敬の念すら浮かんだ。だがバルトフェルドは味方ではなく敵。
尊敬すべき敵こそ戦争の時は早く死んで貰わなければならないのだ。
「はぁ――――っ!」
ビームサーベルを撃つが障害物を盾にしてバクゥ達は巧みに避けていく。高速戦闘を行うバクゥを後方にいるジン・オーカーなどが射撃で援護してくる。
しかしこのままでは埒が明かない。
PS装甲の防御力を頼みに半ば強引に敵の陣形に飛び込むと、バクゥに近付き両断していく。バクゥの四足歩行は砂漠での戦いにおいて非常に有利となるが近付いての接近戦では二足歩行の人型MSに勝てはしない。
『やらせるかっぁぁぁぁ!』
後方にいるジン・オーカーがマシンガンを構えてくるが、その前に先手をうってビームライフルで貫き破壊した。
背後からバクゥがレールキャノンを撃ってくる。ミュラーは素早く近くにいたジン・オーカーの両足を切り裂くと、その機体を蹴りあげた。バクゥのレールキャノンはジン・オーカーに直撃してストライクには届かない。
ジン・オーカーの爆散。それを影にして、バクゥの頭をビームで破壊した。
次なる敵に移ろうとした所で、ミュラーはナインのダガーに襲い掛かるオレンジ色のMSに気付いた。
「あれはっ!」
あの赤とオレンジの中間に位置する何処となくライオンか虎を思わせるMS。バクゥに似ているが細部の装備が異なる。
口には忍者が巻物を加えるようにビームサーベルを加えていた。
ビーム兵器を標準に装備しているとなるとバクゥの強化発展型だろう。それがナインのダガーに猛攻をかけていた。ナインも良く凌いでいるが相手は地形を巧みに利用してあのナインと互角以上に戦っている。
「ナインとあそこまで戦えるパイロット、ということはあれがっ!」
エールを羽ばたかせて飛翔する。そしてダガーとラゴゥの間に割っているようにビームを降らせた。
砂塵があがり、そこへストライクが着地する。
『大佐っ!』
「一度下がるんだナイン。その機体、中破寸前じゃないか」
そうだった。ナインの機体には所々スパークが入り戦闘の苛烈さを想像させる。
機体性能が違うとはいえあのナインを単騎でここまで追い詰めるパイロット。指揮官としてではなくバルトフェルドはパイロットとしても高みにあるのだろう。
『しかし大佐を残しては……』
「問題ないさ。ストライクの性能はダガーより全然上なんだ。命令だ」
『分かりました』
ダガーが一度後退していく。するとラゴゥが通信を入れてきた。
『始めましてだな悪魔くん。紹介が必要かね?』
「……ザフトでは敵に通信していいのか?」
『それはまぁ。ザフトはまだ若い組織だからね。軍規にも探せば色々と穴はあるのさ』
「そうか。なら」
『やる気かね? まぁ私としてもいつかは君と闘わねばならんだろうがそれは今じゃない。私がやるべきことは全て終わったし、全ては作戦通りに進んだのだから。
僕はこの辺りで失礼するよ。――――やれ』
バルトフェルドが命じると何処からともなくミサイルの雨が降り注いでくる。同時にバクゥなどのMSからスモークが撒き散らされた。
逃げるラゴゥは一先ずおいておいてミュラーはミサイルの迎撃を優先する。
そしてミサイルを全て迎撃し尽くすと段々とスモークも晴れていた。
『――――報告します。大佐、ナインが……』
ナイン・ソキウスのMIAという報告を残して。
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