砂漠の虎、アンドリュー・バルトフェルドから提案された捕虜交換。アーク・エンジェルからも様々な意見があったが結局、司令官であるミュラーが乗り気ということもあり提案を受け入れるという方向に落ち着いた。
反対意見を封じ込め、取引が成立した背景には当然ミュラー本人の考えもあるが、それと同等以上に相手が砂漠の虎アンドリュー・バルトフェルドであったことがあげられる。
開戦以来。戦場におけるモラルなどが半ば公然と無視され、連合側もザフト側も降伏した兵士や民間人などの殺戮などを行っている。
連合軍が民間に隠れ住んでいるコーディネーターをリンチすれば、ザフト軍はその報復にそれを行った軍のみならず周囲の民間人を攻撃する……大凡理性的とはいえぬ行いだが、ナチュラルとコーディネーターの溝の深さを示す一例であった。
そんな中、アンドリュー・バルトフェルドという人間はそれなりに紳士的な人間であると知られている。
確かに異名もちで呼ばれるだけありパイロットとしては獰猛極まる戦いぶりをみせ、指揮官としても貪欲に自軍を勝利に導く名将であることは疑いようがない。だがその一方でアンドリュー・バルトフェルドが民間人に手を加えた、などという話は聞いた事がなかった。
連合広報部が敵将の良い話を宣伝するはずがないので民間人は知らないが、ある程度情報に通じているミュラーもバルトフェルドがそういった『戦争犯罪』に手を染めたという話は一度も聞いた事がなかった。逆に支配地域が一定の平穏にあることを鑑みれば、コーディネーターらしからぬ寛容さを持ち合わせているといえるだろう。
アンドリュー・バルトフェルドの提案ならば受け入れる価値はある。そういう結論になったのも自然な成り行きだった。
これがナチュラル憎しで知られるモラシムや良くない雰囲気をもつラウ・ル・クルーゼからの提案ではミュラーも二の足を踏んだだろう。
捕虜交換は連合及びザフトの中間地点に位置する街で行われた。街で一番のホテルを貸し切ってのそれなりにしっかりとしたものだった。
敵将とこういう風に接するのは初めての経験なのでミュラーも少し緊張する。
「…………虎はどういう思惑だと思う?」
ミュラーが同伴しているのは護衛のキャリーと秘書官であるクローゼだ。
イアンとフラガ少佐には万が一の時の為に待機して貰っている。なにか不穏な動きがあれば直ぐにでもストライクがここまで運び来られ、スカイグラスパーの爆撃がくるだろう。
「相手は砂漠の虎、ザフトでも地上戦・ゲリラ戦にかけては並ぶもののいないエキスパートです。ただ卑怯者という噂は聞きません。仮に裏があるとしても性質の悪いものではない、と思いたいものです」
「うーん」
ともあれバルトフェルドという人間に会わなければ始まらないだろう。
交渉場所につくとそこには既にバルトフェルドが待っていた。近くには赤毛の副官、たしか名前はマーチン・ダゴスタといったか。彼ともう一人、黒髪でタイトなスカートを穿いたエキゾチックな美女がいた。
着ている服装といい淫靡な臭いといいとても軍人には見えない。
(良く分からないけど、ザフトは義勇軍だからそういうこともあるのかな)
連合からして民間人である筈のアズラエルがこれよがしに軍事に口出ししてくるのだ。バルトフェルドの愛人と思わしき美女については考えを保留する。
ミュラーの姿を見咎めたバルトフェルドは慣れた動作で敬礼をした。ザフト式の、連合とは異なる敬礼が彼が別の国の別の組織に所属する軍人なのだとミュラーに改めて教えてくれた。
敬礼をされたら敬礼を返すのが軍人の礼。ミュラーと同伴していたキャリーたちも連合式の敬礼をした。
「こういう場合、お久しぶり……と言えばいいのか初めましてなのか分からないが、敢えて初めましてと言っておきましょうミュラー大佐。アンドリュー・バルトフェルドです」
「MSでは一度出会いましたからね。ですがこうしてパイロットではなく人間として会うのは初めてですから初めましてでしょう」
慇懃な敬語を操りながら席に座ることを促すバルトフェルド。しかし敬語を使いながらもバルトフェルドにはどことなく親しみやすさを覚える。本人の性格だろうか。
ミュラーは頷くと静かに腰を下ろした。キャリーはミュラーの背後で警戒を解かずに全体を俯瞰する。
「ともあれこちら側の申し入れを受けて貰って感謝しますよ。僕達はあんまりそちらに信用されていないので。これがこちら側が預かっている捕虜の名簿です」
バルトフェルドが合図をすると副官のダゴスタが資料を渡してくる。ミュラーもそれに倣いクローゼに資料を渡させる。
ざっと目を通して――――バルトフェルドに気付かれないほど静かに肩を落とし、憂鬱な気分となった。その名簿に『ナイン・ソキウス』という名前がなかったからだ。
だがミュラーはここに交渉を受ける司令官としてきている。なんとも面倒かつ煩わしいがミュラーもそこまで責任感ゼロではない。一人のパイロットに固執して会談の流れを悪くすることはできなかった。
「確認しました」
「ん。こちらも確認した。……さて、こうして僕達が顔を合わせたのはこの確認事項を済ませるため。これで一旦お別れでも問題のないわけだが」
自然と空気が固まった。バルトフェルドが柔和な笑みの中に真剣な表情を混ぜる。否、柔和の仮面に真剣の素顔を隠して晒した。
本能的に悟る。バルトフェルドの本当の目的はこれからなのだと。
「――――――」
背後でキャリーが身構えたのを感じた。いつでも応戦できるように臨戦態勢に入ったのだろう。
だがミュラーはそこまで警戒はしていなかった。これは感覚的なものなのだがバルトフェルドやその周囲の人間から悪意や殺意という感情が感じられないのだ。
「これは興味本位なんだが、ミュラー大佐はこの戦争をどう思う? 連合に名高きヤキンの悪魔から見て」
「どう、と言われても私はあくまで一介の大佐に過ぎません。戦争について語るほど大袈裟な人間じゃありませんよ」
「そうかな? 僕は結構、君は戦争の肝に関わる人間の一人だと思うんだがね。ニュータイプさん」
「……………」
コーディネーターの、それもバルトフェルドほどの男がそれを持ちだしたことに一瞬思考が空白になる。
しかし直ぐに持ち直すと返答した。
「絵空事ですよ。ニュータイプなんて、ただの連合広報部と一部が騒いでるだけのプロパガンダの幻想です」
「幻想、か。ああそういう考えなことを否定はすまい。確かに宇宙に出る事での人間の自然進化なんて実にオカルトで実にSFチックだ。ただね」
バルトフェルドが柔和の仮面を捨て去り、どこまでも達観し冷徹に世界を見据えた目を向けた。
「ジョージ・グレンが発見した地球外生命体、その証拠。エヴィデンス01。宇宙を自在に駆ける人型機動兵器モビルスーツ。そして遺伝子調整によって生まれながらに才能を約束されたコーディネーター。これら全部が百年の昔には幻想だったことだ。
だがどういう訳かこれが現代だと当たり前の現実として、戦争が起きた原因の肝になっている。これは、どういうことだろうね」
「エヴィデンス01やモビルスーツが出て来たからニュータイプは実在する。やや暴論じゃありませんか?」
「否定はせんよ。ただ僕は個人的にニュータイプはありだと思っている。これはもうコーディネーターだってあんまり知らないし、目を背けていることでもあるんだけどね。
我々の始祖。ジョージ・グレンはコーディネーターを新人類として定義したんじゃない。コーディネーターは新人類ではなく調停者なんだよ。新人類と旧人類の架け橋となるべき調停者」
「まさか、貴方は?」
「旧人類と新人類、その間を繋ぎ取り持つための旧人類でも新人類でもない調停者。僕はそうなんじゃないかって考えているんだよ。勿論こんな考えを大っぴらに言ったら殺されちゃうから言わないけどね」
確かに危険極まる発言だった。パトリック・ザラを始めとしたプラントの人間はコーディネーターを新時代を切り開いていくべき新たな種として定義している。
その思想はプラント全体に広まっているといっていいだろう。事実コーディネーターには新人類を思わせるナチュラルとは隔絶した能力があるのだ。だがバルトフェルドの唱えた思想はそれを真っ向から否定するものだ。
危険極まる思想。だというのにそれがミュラーの中にすっと入りこんでくるのは、自分が本当にニュータイプというものだからなのだろうか。
「それはそれとしてだ。大佐はコーディネーターというものについてはどういう意見をおもちかな? ムルタ・アズラエルを筆頭にしたブルーコスモスのように我々はプラントと共に宇宙の藻屑と消えるべきかな」
「バルトフェルド隊長。一つだけ言っておきますが私はブルーコスモスではありません」
「知っているとも。そんな人間が連合きっての良識派のハルバートン提督と仲良くやれるとは思わないしね。ただブルーコスモスと近い位置にいるのは本当だろう? そんな大佐の話を聞いてみたくてね」
「ご期待に添えませんよ。私がコーディネーターに抱いている考えなんて、実に有り触れたチープなものです。これから生まれてくる自分の子供を、それこそ自分の部屋の内装のように自由に変えて思うが儘の才能を与える。そんなことは倫理的に許されないことでしょう。子供は親の人形じゃないんですから。
ただそれはあくまで親の罪であって生まれてくる子供の罪じゃない。コーディネートについては否定しますが、今を生きているコーディネーターを皆殺しにしろ、なんていうのには賛同できません」
「連合側の大衆の大半を占める思想……よりも少し穏健的な考えだね。まぁ僕も大佐の意見には概ね賛成だ。プラントにいると当たり前の倫理観が破綻しそうになるが、これから生まれてくる子供を自分の思い通りに調整するなんて間違った行為だろう。
だが僕達コーディネーターはもう生まれてしまっている。生をもって生まれたということは生きていかなければならない。僕達が生命倫理的に間違った存在だったとしても、死んでやるわけにはいかないわけだ。だから僕達は少しでもマシな人生をプラントに残すために戦っている訳だが――――この戦いはいつ終わるかね?」
「戦いが進んで、ある程度の妥協点を探しつつ和平交渉が成立すれば」
「そうだな和平がなれば終わる。だが本当に和平はなるのか?」
ミュラーも力強く肯定することはできなかった。
戦争が終わるには大きく分けて二通りがある。和平がなるか、どちらか一方が無条件降伏するかだ。和平という道は謂わば引き分けに近い。勿論それまでの経緯などで戦勝国か敗戦国かに分けられることになるが、明確にどちらか一方が悪になることはない終わり方だ。
対して無条件降伏するということは一方が完全敗北して悪となることだ。それでも一応戦争は終わる。しかし、
「もしかするとこの戦争、無条件降伏以上の終わり方をするんじゃないのかな」
「………」
「即ち、一方の全ての命が絶えるか。もしかしたら」
一拍おいてバルトフェルドが呟く。
「人類の滅亡という形で」
それは有り得る未来だった。ザフトと連合。コーディネーターとナチュラル。果てのない憎しみの連鎖と堪える事ないエゴの無限。
これが限界点まで加速し、最後のストッパーとなっているニュートロンジャマーすらなくなってしまえば、
世界の滅亡。
人類の最期。
文明の終末。
それらは決して起こりえない未来ではなくなるだろう。
「僕はね。プラントがそれなりに好きだし、この地球だって好きだ。特に地球は人類が喪ってはいけない宝だと心底思う。だから僕はそれだけは止めたいとは、思っている」
「……………」
「ミュラー大佐、君はいつまでただの軍人でいるつもりなんだい? 僕から見て、君は終末を回避するだけの能力はもっていると思うがね。いやこう断言しよう。君が立てば、世界はマシな方向に変化するだろう」
「買いかぶり過ぎです。ハンス・ミュラーはそんな大げさな人間じゃない。ただの退役して年金生活を夢見る下らない人間ですよ」
「そうかね」
特に残念そうな面持ちをせず、ただ事実として受け入れたバルトフェルドは含み笑いをすると立ち上がった。
垣間見せた真剣さはなくそこにはもう柔和な笑みをもった親しみやすいアンドリュー・バルトフェルドがいた。
「会談はこれまでにしておこうか。ミュラー大佐、君と話せて良かったよ」
そう言ってバルトフェルドは去っていった。その背中がこれから自分達が殺し合いをするのだということを、ミュラーに告げていた。
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