ナイン・ソキウスが目を覚ますと、先ず視界に飛び込んできたのは一面の星空だった。
雲一つない夜空に宝石のようにキラキラと自分達の存在を主張する星々は、まるで宇宙がそのまま降りてきたかのような錯覚すら覚える。
宇宙の景色などMSや戦艦から幾らでも見ている筈だと言うのに、地上から見上げる天上はこんなにも美しい。
ナインは思わずなにもかも忘れ星に見入っていたが暫くして、自分自身の役割を思い出した。
「僕はなにを……っ!」
寝かされている簡易の寝床から上体を起こすと体中が痛む。どうやら骨などは折れていないようだが強く体をうったのだろう。体の所々が痣になって紫色に変色している。
ただ生命活動には支障はないだろう。特に大袈裟な治療などせずとも自然治癒に任せるだけで回復するはずだ。
ナインは戦闘用コーディネーターとして自分自身のメディカルチェックも基礎的なものならば出来るように仕込まれている。自分の健康を『確認』するのは容易かった。
(全快まで一週間か。だけど戦闘には、耐えられる。この程度の痛みなら)
常人なら苦しくてとても動けないような激痛の中でもナインならば問題ない。常人なら一週間の治癒が必要なダメージでも三日もあれば元に戻る。
何故ならばそう言う風にコーディネートされたのだから。そういう風に造られたのだから、その機能を肉体が果たすだけだ。
(それよりも問題は)
ここが一体どこで、自分はどうしてしまったのか。これに尽きるだろう。
ナインは戦闘用コーディネーター゛ソキウス゛のナンバーナインにしてソキウスの中で唯一人ハンス・ミュラーという人間の部下にいる個体。
故にナインがいるべきはミュラーの在るところ。ましてや現在はザフト屈指の名将と名高きアンドリュー・バルトフェルドとの交戦状態にあるのだ。
こんなところでぼやっとなどはしていられない。だが果たして本当にここはどこだというのか。
空は美しい。北極星を辿れば北に進むことはできるだろう。けれどアーク・エンジェルはどこにいるのか。自分のMSはどうなってしまったのか。それらのことがまるで分からない。
ナインがこれからの行動方針を定めようとしたところで、
「ん。目が覚めたのか?」
ナインに少女のものと思われる声がかけられた。振り返るとそこにはインスタントコーヒーを片手にもった少女が立っている。
月明かりに照らされ金色に輝くショートヘアはどこか獅子の鬣を思わせる。年齢は十六歳ほどだが目にはあどけなさと同時に気の強さも秘められていた。
「あの、あなたは……?」
肌の色は白。つまりは白人だ。現地の住人には見えない。
だからといってザフトの兵士にも思えなかった。兵士にしては立ち振る舞いに隙が多い。なにより彼女は兵士なんて陳腐な人間には到底見えない気品のようなものが垣間見えるのだ。着ている服はドレスでもないというのに。
「カガリだ。カガリ・ユラ、ここを支配してる砂漠の虎に反抗するレジスタンスだった」
「……だった?」
レジスタンスなどというのは珍しいものでもない。戦争地帯には殆ど必ずといっていいほどそういう反対組織が生まれるものだ。
大西洋連邦のお膝元であるワシントンやデトロイドでも武力抵抗の色こそ欠片もないが、戦争反対を唱える団体がデモ行進をすることは偶に見られる光景だ。
だからナインが気になったのは一点。彼女が過去形で自分をレジスタンスだと名乗った事。
「ち、違う! まだ私達は負けてないっ。確かに虎に街はやられたけど……終わって、ないんだ……」
苦渋を滲ませながらカガリと名乗った少女は言う。
大まかだか事情を察する。どうやら彼女はこの地域に進駐するザフト軍の支配に抗うレジスタンスに所属していたのだが、そのレジスタンスが砂漠の虎により壊滅させられてしまったのだろう。
そういえばブリーフィングで『レジスタンスが抵抗活動をしていたが最近になって砂漠の虎にやられたようだ』という説明をされたのを思い出した。となると彼女が所属していたのがそのレジスタンスなのだろう。
「……それで、僕はどうしたんですか?」
慎重に探りを入れる。ザフトに抗うレジスタンスに所属していたくらいだ。カガリはまず間違いなくナチュラルだろう。
そして精神にブロックがかけられているナイン含めたソキウスシリーズはナチュラルに危害を加えることができない。
強引な方法は絶対的にとれないが故の選択だった。
「覚えてないのか? お前、崖を滑り落ちて来たんだぞ、MSでこうどばばーっと」
「MSで?」
そういえばザフト軍が撤退する際にスモークをばら撒いた際、バクゥのレールキャノンが運悪く命中してしまい、そのまま強い衝撃で意識を失ったのだった。
彼女の話を信じるなら気を失った自分とMSはそのまま足を踏み外し崖を転がり落ちてきた、ということなのだろう。
「でもまさか連合軍がMSをもってここにくるなんて驚いたぞ。……連合がMSを開発してるのは知ってたけど、まさかあんな量産型まで製造されてるなんてな。おまけに新造戦艦のアーク・エンジェルごと」
「情報通なんですね」
軍の高官なら兎も角、カガリはただの壊滅させられたレジスタンスのメンバーだ。連合がMSを開発したことくらい知っていても不思議ではないだろうがアーク・エンジェルのことまで掴んでいるとは。
「ちょっと色々と事情があるんだ。それより怪我は大丈夫なのか?」
「貴方が治療を? ありがとうございます」
「大したことじゃない。殆どはキサカがやったことで私は包帯を巻いて看病していただけだ。だけど大丈夫そうで良かったよ、あれだけ派手に転がり落ちて来たのに、お前って丈夫なんだな」
「はい。僕の体は特別性ですから」
ナインがそう言うとカガリは噴出した。冗談とでも受け取ったのだろう。
本当は冗談でも強がりでもなくただの純然たる事実なのだが、ソキウスシリーズのことは連合でも機密事項だ。敢えて説明しようとはしなかった。
ナチュラルの為に生きることを喜びとするナインだがナインにも優先順位がある。自分よりも優先すべきナチュラルで最も優先すべきはミュラーであり、ミュラーの不利益となることなら例えナチュラルからの要請だろうと断る用意がナインにはあった。
「ところで僕のMSはどこでしょうか? 早く大佐と合流しないといけませんので」
「ああ、それならやめておけ。ここは虎の勢力圏だ。ニュートロンジャマーだって濃いし、下手にMSの遠距離通信なんて使ってみろ。虎の子分がすっ飛んでくるぞ。
大体MSだって無事じゃない。私はあんまり詳しくないんだが、キサカによると駆動系がなんとかがこうなってコードが繋がってないとかで動かなくなってるそうだ」
「……………」
「な、なんだその目は!? 仕方ないだろう。私は科学者じゃないんだ。MSの部品のことなんて知るか!」
「いや、なんでもありません」
小さく嘆息する。どうやら自分は迂闊にも『迷子』になってしまったようだ。
どうにかして大佐に連絡をとらなければいけないが、さてどうしたものか。
ミュラーはいつになく憂鬱な気分だった。
ギルデンの部隊の救援にきたものの殆どは戦死または捕虜になってしまっていたというのもあるが、それはミュラーにとっては子細なことだ。他人事と言い換えてもいい。
基本的にミュラーは命というものに無責任で人の命を背負うなんてことはしない男だ。故に他人に対してはある程度の優しさを持ち合わせながらある程度の冷たさをもっている。
しかし自分に近い人間に限って言えばそうではない。
恐らくアーク・エンジェルにいる部隊で誰よりも自分に近かった存在、ナイン・ソキウスのMIA。これがミュラーの気分を最悪にさせている原因だった。
「はぁ」
何度目かになるか分からない溜息をつく。戦闘中行方不明などともっともらしい文句だが、MIAなんて基本的には戦死扱いと同じだ。
勿論捜索する事も出来るがここは砂漠の虎の勢力圏内。本格的な捜索は砂漠の虎を追いだした後になってしまうだろう。それさえ出来るかどうか不明瞭だというのに、仮に虎を追いだしたとしても戦闘用コーディネーターであるナインを軍が捜索してくれるかどうか。下手すればこの機にナイン・ソキウスという人間そのものを抹消しようとする事すら有り得る。
アズラエルに泣きつくという選択肢もないことはないが、あの大のアンチ・コーディネーターのアズラエルがナイン捜索にYesと返答してくれるとは思えなかった。
「た、大佐! 大変です大変です!」
またノックせず慌ただしく入ってくるのはエアーノット・リード軍曹だ。クローゼに頼んで彼の給料も減額させようと心に決める。
「リード軍曹。私は今、気分的にだるい。艦のことならイアンにでも」
「そ、それがザフトのジープが白旗を掲げてやってきたんですよ!」
「……へぇ」
確かにそれは大変だ。イアンの権限で対処できる分を超えている。ギルデンが戦死した今、大佐であるミュラーが済し崩し的にこの作戦の総司令官になってしまっている。
白旗を掲げてやってきたということは恐らく仕掛け人は砂漠の虎アンドリュー・バルトフェルド。相手のトップの使いならこっちもトップが受けなければならない。
ミュラーはブリッジに速足で駆け込むと、そこでは既に全員がミュラーの指示を待っていた。
「相手はなんて言っている?」
「はっ。ジープにのっているザフト兵は『自分はマーチン・ダゴスタ。バルトフェルド隊長の親書を預かっているので、総司令官に直接渡したい』と」
「親書ねぇ」
ザフト軍の指揮官にしては珍しいものだ。こうして手紙という形とはいえ゛話し合い゛をしようとしてくる人間は。
少なくともミュラーは一度もそんな指揮官にお目に掛かった事がない。
「うーん。良し、じゃあ通してくれ。ただ身体検査とかは念入りに。ジープもしっかり調べておいてくれ」
「了解です」
ブリッジに通すわけにもいかない。特使はアーク・エンジェルにあるフリースペースの一つに通した。
やってきた特使は思った以上に若い男だった。小さく切りそろえられた赤毛に幼さの童顔。
「貴方がハンス・ミュラー大佐ですか。私はマーチン・ダゴスタ、バルトフェルド隊長よりの新書です」
敵の手中、それもヤキンの悪魔の前にいるということもありダゴスタには緊張が見られた。護衛のキャリーが親書を受け取り、そこになにか爆弾などが仕掛けられていない事を確認するとミュラーに手渡す。
ミュラーは手紙に目を通すと、中々に興味深い内容が書かれていた。
「バルトフェルド隊長はこちらと捕虜交換がしたいと?」
「はい。先の戦いで我々は多数の連合兵を捕虜としましたが……貴方方もこちらの兵士を捕虜としている。隊長は彼等の身柄を交換したいと仰られています」
「分かった。返答はおって伝える」
敵から捕虜交換の申し出をされるとは意外だ。
だがしかし、もしもナインが敵の捕虜になっているとしたら。これは良い機会だった。
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