「ジェネシス照準、目標、地球大西洋連邦首都、ワシントン!」

 ジェネシス内部、ザフト全軍を指揮する場所でパトリックは薄く微笑んだ。
 目の前にいる地球連合軍の半数部隊が月基地と共に消え去った今、大西洋連邦首都であるワシントンをジェネシスで焼き払えばザフトの勝利は確実のものとなる。
 
(遂に我等の時代が訪れるのだ。もはやナチュラルという旧世代の人類に我等コーディネーターが縛られる時代は終わる。我々は真の自由を手にするのだ)

 コーディネーターとナチュラルの融和。そんなものは一切パトリックの頭の中にはない。
 どれだけコーディネーターが優秀で未来を切り開く新人類だったとしても、その数はナチュラルと比べてはるかに少ない。連合と対等な条件で和平などしてしまえば、連合はその数で徐々に間接的な形でプラントを乗っ取ろうとするだろう。
 そこに待つのは結局大戦前と同じ奴隷としての生涯だ。

(コーディネーターが真の自由と独立を獲得するためには、ナチュラル共に完全な形で勝利しなければならない。ジェネシスがそれを為す。我等の創世の光が)

 地球の生命体の抹殺。そんなものは常人ではとてもではないが出来ない。例えナチュラルに激しい憎悪を持つ者でも、地球に住む全人類の命を差し出されば躊躇してしまうだろう。
 そういう意味で確かにパトリック・ザラという男は常人ではなかった。
 決して正気を失っているのではない。正気でありながら狂気に染まっているだけだ。そしてその狂気はある種、合理的な決断を下しているともいえる。少なくとも地球が滅びてしまえば、もはやコーディネーターに逆らうことが出来る国家や組織などはいなくなる。そうなればコーディネーターは真の自由を手に入れられるだろう。史上最悪の虐殺者という汚名を同時に刻むことによって。
 しかしふとパトリックは周りにいる兵士達が作業の手を緩め、ひそひそと囁いているのを目にした。

「何をしている! 急げ! これで全てが終わるのだぞ!」

 気まずそうな沈黙がブリッジにいるザフト兵を包み込む。
 沈黙の中、ザフト軍においてフェイス≠フ紋章を与えられているレイ・ユウキが皆の心中を代弁するように進言する。

「議長! この戦闘、既に我等の勝利です。もういいでしょう」

「貴様、なにを言っている? 目の前に連合軍の艦隊がジェネシスを狙っているのが見えないとでもいうのか」

「そうではありません。地球軍があそこまで躍起になっているのはジェネシスを破壊するためです。我々がここでジェネシスを破棄すれば連合軍も退却するでしょう」

「戯けたことを……っ! どこに自国の切り札である兵器を自ら破壊する命令を下す国家元首がいる」

「ジェネシスは十分に役割を果たしました! ジェネシスを破壊すれば、連合は退却します。この戦いで多くの兵力と月基地を失った連合軍はもうザフトと戦争を継続する余力はないはずです。
 そうすればプラントに有利な条件で和平をすることも十分できます」

「和平では駄目だ! コーディネーターによる完全なる勝利という形でなければな。連合軍が我等コーディネーターに無条件降伏をする! それが唯一ジェネシスの発射を止める条件だ!」

「撃てば、地球上の生物の半数が死滅します。もうこれ以上の犠牲は……」

 その時だった。ヤキン・ドゥーエの背後にある砂時計――――プラントを形成するコロニーの一つが砕けた。
 淡い桃色の輝きが一つのコロニーを呑み込み、その残骸が倒れ、隣のコロニーまでも崩壊に巻き込んでいった。
 ザフトの人間ならこの景色を見間違えるはずがない。核ミサイルによってコロニーが破壊されたのだ。またしても、

「見ろ! これが連合のやり方だ! ジェネシスを破壊するために奴等がここにいるだと? これがなによりの証拠ではないか! 奴等は我々を皆殺しにするために来ているのだ!!」

「い、いえそれは……」

 パトリックの指摘は誤りだった。連合軍はパトリックの言う通りプラントを皆殺しにするためにここに来たのではない。最初はそうだったかもしれないが、ミュラーが全指揮権を握ってからはジェネシス破壊、ただそれだけのために戦っている。
 プラントに核攻撃を行ったのはブルーコスモス過激派の一部のただの独断専行の暴走に過ぎない。
 けれどここにいるザフト兵たちがそんなことを知る由もなかった。ザフトの人間は核ミサイルに対して怒り以上の恐怖を抱いている。自分達の住んでいる国が滅ぼされてしまうかもしれない恐怖≠ェ地球の抹殺という大量虐殺への躊躇いを無くす。
 それでもユウキは尚も食い下がった。

「議長、確かに連合の核攻撃で今またコロニーの一つが……やられました。しかし――――」
 
 パン、という乾いた銃声が鳴り響く。
 パトリックはユウキの進言に対して一発の弾丸でもって答えた。正確な射撃は綺麗に眉間を貫き、レイ・ユウキという人間の生命を完全に終わらせる。
 ザフト兵士たちがざわめくが、パトリックはただ一言。

「なにをしている? 早く作業を続けろ」

 まるで雑草を刈り取っただけ、とでもいうような口調に押され慌ててザフト兵たちが作業に戻る。
 パトリックはユウキの亡骸をつまらなそうに一瞥すると、直ぐに興味がなくなったのか巨大モニターに視線を移した。

「議長! 連合軍の部隊がジェネシスに接近しつつあります! このままではチャージ終了前に到達されます!」

「ふん。連合軍め、窮鼠猫を噛むというところか。ならば100%でなくともいい。目の前の連合軍ごと地球を焼き払え!」

「そ、それが射線上の問題で連合軍部隊を狙えば照準が逸れてしまいます!」

「地球に当たれば良い! 早く撃て!」

「了解! ジェネシス、発射!」

 そしてジェネシスが三度目の火を噴いた。人類史上最悪の兵器から放たれたガンマ線レーザーは連合軍部隊を薙ぎ払いながら突き進んでいく。
 母なる惑星、地球へと。



 ミュラーからアーク・エンジェルを預かり指揮をとっていたイアンはブリッジからそれを目撃した。ジェネシスから三度目の射撃が飛んでくる。
 イアンは咄嗟に肺を破裂させるような大声で「退避ィ!!」と叫んでいた。ブリッジが揺れる。間一髪のところでアーク・エンジェルはジェネシスの射線上から逃れることができた。
 もしも操舵手が連合軍最高峰の操舵手と名高いノイマンでなければ今頃ジェネシスに巻き込まれ死んでいただろう。

「ぐっ……損害を、報告しろ」

 頭から血を流しつつイアンが声を絞り出す。九死に一生を得たらしいが、ジェネシスの衝撃の余波でアーク・エンジェルは大きく横合いに飛ばされてしまった。

「報告です! ジェネシスの第三射は東アジア共和国、成都に命中した模様!」

「ち、地球にだと!?」

 嘗てある男は言った。地球は青かった、と。多くの生命が生まれ死に、生命の営みを築いてくれた母たる星が遂にジェネシスという破壊の矢を受けた。
 だがことはこれだけで終わりはしない。悲鳴のようなオペレーターの声が今度はこの戦艦の現状について告げる。

「エンジン部分に損傷大! 戦闘続行は困難です! 一刻も早い退艦を――――あ、アズラエル理事!? 大変です、アズラエル理事がっ!」

「な、なに!」

 イアンが振り向くとシートから投げ出されたらしいアズラエルが頭から血を流して倒れていた。
 壁にべっとりと血がつき、辺りに血液が浮遊している。あの壁に頭を強打したらしい。実質的な連合軍トップの負傷だ。イアンは慌ててアズラエルに駆け寄る。

「アズラエル理事! おい、なにをしている! 早く医療班を寄越せ!」

「は、はい!」

「うっ……ぐ……」

 アズラエルが苦悶の呻き声を零す。目はうつろで明らかに危険な状態だ。

「言葉を発せられますな。直ぐに医療班が駆けつけます」

「……僕は……殺すんだ……宇宙の、化物共を……」

 意識が朦朧としていながらも、アズラエルの中でコーディネーターへの殺意だけは爛々と光っていた。
 一つの組織のトップにこれほどの殺意と狂気を植え付けたこの戦争に、イアンは遣る瀬無いものを感じる。

「一匹残らず……みんな……殺、せ……」

 そしてアズラエルはプツリと糸を切られた人形のように力を失った。
 イアンは敬礼をしようとして止めた。アズラエルは軍人ではないし、なにより。

「戦死されたんですか?」

 クローゼがそんなことを訪ねてくる。イアンは「いや」と帽子を深く被りなおすと、

「脈がある。意識を失われただけだ。……我が艦は後退する。アズラエル理事のこともあるし、なによりもう……」

 これ以上はイアンの立場上言えなかった。どれだけ士気がかろうと覆せないことというものがある。今がその時だ。
 三度にわたるジェネシスによる攻撃でもはや連合軍はボロボロ。もはや戦う術はない。

『――――イアン、右斜め64°。ローエングリーンを発射しろ』

「ミュラー大佐!?」

 あらゆるものが終わりだと確信した瞬間、ミュラーの声がイアンの脳内に直接届いた。
 通信回線は開いてない。普通に考えれば単なる幻聴と切り捨てていただろう。だというのに何故かイアンにはこの声が本物の命令であるという確信があった。
 イアンは実直な軍人であるように生きて来たし、そうであるよう努めてきた。そして実直な軍人の第一条件は上官の命令を正しく実行することだ。

「ローエングリーン照準!」

「は? いきなり、どうしたんですか?」

「命令が聞こえなかったのか! ローエングリーン照準、右斜め64°! 急げ!」

 思えばハンス・ミュラーという人間は決して良い上官ではなかった。仕事を押し付けられたのはほぼ毎度のことであるし、艦長だというのに全く艦長としての仕事をしてくれなかった。
 そんな上官に対するせめてもの意趣返し。それはミュラー本人よりも見事に艦長としての職務を勤め上げることだ。
 上官から下された最後の命令を、イアン・リーは正確にこなした。



「あった。これだな……」

 宇宙空間を浮遊していた核ミサイルを手に取る。これを装備していたメビウスは粉々のジャンクとなり宇宙を浮遊している。
 このメビウスはピースメイカー部隊所属の一機。大方途中でメビウスだけが撃墜され、運よく核ミサイルだけ誘爆せずに残ったのだろう。
 ミュラーはストライクを動かして、核ミサイルを女性を抱き抱えるように両腕で包み込む。

「最後だ。付き合ってくれよ」

 核ミサイルを抱き抱えたミュラーはそのままストライクを飛ばす。目指す場所は唯一つジェネシスのみだ。
 メビウスから放たれた核ミサイルが敵に迎撃されるなら、そう簡単に迎撃できないミサイルを用意してやればいい。ニュートロンジャマーの影響下で誘導ミサイルなんて贅沢なものはないが、人力の誘導ミサイルならニュートロンジャマーに妨害されないですむ。
 ストライクの姿を見咎めたザフトのMSたちが躍起になってこちらに攻撃してくる。
 けれどストライクは未来を見通しているかのように、攻撃が命中していない場所を正確に潜り抜けていく。

「鬱陶しいな。だが……」

 ナスカ級三隻とMS部隊がストライクの行く手を阻む。さすがにこの防御はミュラーだけで突破はできない。
 そこで遠くアーク・エンジェルから放たれたローエングリーン砲が三隻のナスカ級を貫いた。ナスカ級の爆発が周囲にいたMSをも巻き込んでいく。
 動揺の隙をついてストライクは防御網を突破した。

『やはり君もジャマをしにくるか、ハンス・ミュラー』

 次に灰色のガンダムがストライクの行く手を阻むべく襲い掛かって来た。全周囲に展開されたドラグーンが全包囲攻撃をストライクに仕掛けてくる。
 ドラグーンから放たれるビームの威力は低いが、核ミサイルを抱えている以上、ビームがミサイルに掠りでもすればジ・エンドだ。
 自らの感覚を最大にしてドラグーンのビームの雨を潜り抜けていく。けれど相手はラウ・ル・クルーゼ。完全に行く場を封じる絶対に躱し切れない攻撃をストライクに浴びせてきた。

『やらせは、しない!』

 ドラグーンのビームを割って入った白亜のMSが防ぐ。

「その声は……キラくんか」

 いつだったか連合を去ったストライクの元パイロット。いつもならどうしてこんな場所で戦っているのか尋ねていたかもしれないが、何故か今は気にならなかった。

『ミュラーさん。ここは僕が引き受けます。だから……』

「ああ。分かってるよ」

 クルーゼを振り払いジェネシスへ向かう。クルーゼもストライクの動きを邪魔しようともがいていたが、目の前にいるキラを素通りすることは出来なかったようだ。
 灰色のガンダムと白亜のガンダムが熾烈なる激闘を繰り広げる。それを遠い世界の出来事のように一瞥したミュラーは黙々とジェネシスへ突き進む。
 そして漸くジェネシスを捉えた。

「これで、おしましだ……この戦争も」

 ミュラーは静かにストライクの自爆コードを入力した。そして全てをやり遂げた満ち足りた表情でコックピットを開き、宇宙空間に体を投げ出した。
 ふわり、とした浮遊感がミュラーを包み込む。ストライクは核ミサイルを抱えたままジェネシスに向かっていき、時間がくるとこれまで共に戦場を潜り抜けた愛機は核ミサイルを抱いてその身を弾けさせた。
 多くの命が消えていく。ザフト軍を主導した者が、世界の滅亡を願った男が……核ミサイルの爆発によって、或いは一人の少年に撃たれ消えていく。
 そして最後にムルタ・アズラエルの声がこの宇宙から消えた事を確認すると、ミュラーは静かに目を瞑りゆっくりと寝入った。

『宙域のザフト全軍、ならびに地球軍に告げます。現在プラントは地球軍、およびプラント理事国家との停戦協議に向け、準備を始めています。
 それに伴い、プラント臨時最高評議会は現宙域に於ける全ての戦闘行為の停止を地球軍に申し入れます』

 C.E.72.1月1日。地球連合軍とプラントの間で停戦条約が締結された。しかしそれはジェネシスと核攻撃により両国共に戦争継続が困難になったからこその選択であり、決して平和を目的としたものではなかった。
 地球・プラント共に人口の五割を大量破壊兵器によって失った戦争は最後の戦場の名をとってヤキン・ドゥーエ戦役と名付けられた。
 そして三か月後。地球を救った英雄ハンス・ミュラーのMIA≠ェ全世界に報じられた。








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